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にほんブログ村 宗蔵寺の化粧地蔵、続きです。居心地良く祀られた化粧地蔵。丁寧な彩色は、地域の子供たちが施したとは思えません。おそらく、お寺の住職による彩色でしょう。またその彩色は、八浜地区の朱塗りの彩色ではありません。胸上など、児島半島南部の化粧地蔵に似ています。岡山県玉野市八浜町八浜1060児島半島南部の特徴を持ち、お顔は薄化粧。半島北部の八浜地区では珍しい化粧地蔵でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その40)」【 讃岐 宗家くつわ堂 瓦煎餅 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.27
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にほんブログ村 今回は快適な環境ですごされている化粧地蔵様をご覧いただきましょう。以前ご紹介した岡山県玉野市八浜の金剛寺。その化粧地蔵がある金剛寺の隣には、宗蔵寺があります。そして、宗蔵寺にも、別の化粧地蔵様がおられます。少し長めの階段を昇ります。するとそこには、屋根がありやや解放された地蔵堂があります。地蔵堂の背後からは、八浜の街が見渡せます。快適な堂内には、綺麗な化粧地蔵様がおられます。1体ですが大型です。衣装は丁寧にお化粧されていますが、お顔は薄化粧です。次回はこちらの化粧地蔵様を眺めつつ、宗蔵寺のストリートビューをご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その39)」【 岡山 大手饅頭 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.25
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にほんブログ村 「高見彰七がいきなり大手建設メーカと手を組んで、 大観音建立というビッグ・プロジェクトに携われたのはなぜか?」「高見彰七調査隊」の皆さん、謎は解けましたか?コメントでは、かなり良い御推理がされていたかと思います。それでは、謎の答えです。〇観音像の建つ場所について 愛知池は恵日山青峯山観音寺の土地の一部を 買収して造られた巨大な人工池です。 池の造成で観音寺の私有地が、池の中に小島として残りました。 しかし池の中の小島を私有地とするのは、 将来、池の拡張の支障となるため、 池の外に観音寺の管理地が移されました。 現在、観音像はこの移転地に建てられ、 小島は野鳥の巣となっています。〇なぜ観音像は建立されたのか? 調査隊の皆さんのコメントにもありましたが、 愛地池の造成はビッグプロジェクトでした。 その工事の際に事故で亡くなられた方がおられ、 その供養のために観音像が建てられることとなったそうです。〇なぜ観音像の作家として高見彰七氏が選ばれたのか? 昭和35年の愛知池の観音像建立の頃、 高見彰七氏のご自宅前には250体の観音像が並び、 観光バスが来るほど有名になっていました。 高見彰七氏は観音像の作家として、 愛知池近隣でも知られていました。 そのため観音寺を通じて、愛知池の犠牲者の供養のために 高見彰七氏が大観音像を「寄贈」されたとのことです。 観音像は発注されたのではなく、高見彰七氏の「寄贈」でした。〇高見彰七氏と建設メーカとの関連は? 高見彰七氏は観音像を寄贈し、建設メーカが設置施工しました。 高見彰七氏と建設メーカの間に、 特に関連があったわけではありません。若干、複雑でしたが、如何でしょうか。観音像は「寄贈」という点がポイントです。今後も「謎」に関しては推理形式を採ることがあると思います。謎解きをお楽しみください。【 バスクチーズケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.23
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にほんブログ村 愛知県の愛知池にある大観音。この大観音は、私にとって大きな謎でした。作家 高見彰七、施工 鹿島建設㈱の大観音。昭和35年、仏像製作10年の農業が専門の彰七が、いきなり大手建設メーカと協業できたのはあまりに不自然です。如何にして、大観音建立のプロジェクトを任されたのか?大手建設メーカと、どの様な縁があったのか?考えるほど、謎が深まります。今回、この謎も解明できました。しかし、すぐに答えを示すのも、楽しみがないでしょう。みなさんも、「高見彰七調査隊」の一員として、ぜひこの謎を推理なさってください。推理のお題は、「高見彰七がいきなり大手建設メーカと手を組んで、 大観音建立というビッグ・プロジェクトに携われたのはなぜか?」です。答えは次回の記事で掲載します。【 冬のぶどう 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.20
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にほんブログ村 今回も民家敷地内の観音像を、撮影許可を頂いて紹介します。背景などはAI処理、トリミングしていますので、違和感がある箇所もあるかと思います。やや経年を感じさせる風化が進んでいます。お顔もややわかり難くなっています。高見彰七作品リンク集2「観世音菩薩像」にNo.30として登録します。リンク集2 (No.30) ・所在地: 豊田市 民家 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 高さ105cm, 胸部幅30cm, 胸部厚さ20cmこの観音像には像の前面/背面の境界に、縦に明瞭なヒビ割れがあります。高見観音の製法は、1)前面,背面を別々に半割りの像として作り、2)その後、前面,背面を接合して一体化して立像としたということが、ご親族の情報から確認できました。観音像の観察から推定していた「半割り接合製法説」は正しかったことがわかりました。半割りであれば接合面を下にして、像を造形できます。一方で、接合面が弱く、ヒビ割れなどの劣化が進み易くなります。モルタルを使いコンクリート像を作ることは、一見、容易なようで、実際は難しいことがよくわかります。【 元祖 くず餅 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.18
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にほんブログ村 今回ご紹介する新発見の高見彰七作品は、重要な意味を持っています。民家の敷地内にありますので、詳細は省かせて頂きます。撮影許可などを頂いての画像掲載となります。まずはご覧ください。一見して高見観音とわかります。ただ服装の表現などが、多くの高見観音とは異なります。微笑みは少なめで、お顔も下膨れのふくよかなお顔ではありませんが、高見観音で見かける表現です。実はこの観音像、高見彰七作品であって、高見彰七作品ではありません。今までこの作風の観音像も含めて、私は高見彰七作品としてきました。しかしこれは、「高見正美」氏の作品です。高見正美氏は、彰七氏の御子息に当たります。高見彰七氏と正美氏の親子は、時に協同で作品の製作に携わった様です。今回ご紹介の観音像は、高見正美氏単独での作品例です。思えば高見観音を私が4分類に整理した時、第2分類の観音像の作風は一定ではなく、その理由に悩んでいました。もちろん製作活動での試行錯誤と捉えることはできますが、彰七氏と正美氏の両者の手が加わっていたということであれば、より納得ができます。【第2分類】 「高見彰七作品 第2分類」いずれにしても「高見彰七としていた人物はふたりいた」というのは、私にとっては衝撃の新事実でした。まずは従来通り、高見彰七作品リンク集2「観世音菩薩像」にNo.29として登録します。リンク集2 (No.29) ・所在地: 豊田市 民家 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし, 高見正美作品 ・特徴: 高さ120cm, 胸部幅25cm, 胸部厚さ15cm今後、リンク集を活用して、明らかに高見正美氏の作品と判明した作品があれば、その旨を表記したいと思います。次回はさらに新発見の作品の紹介をしつつ、また別の重要な情報をお伝えしたいと思います。【 福寿柿 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.15
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にほんブログ村 今回以降お伝えするのは、高見彰七のご親族3名の方からのヒアリング結果です。最も御詳しい彰七氏の御孫さんにたどり着くのにやや手間取りましたが、皆さん丁寧にご対応下さり、ヒアリング継続中です。まず、新情報1件目です。高見彰七の活動期間が判明しました。80歳で他界されましたが、79歳まで製作活動を続けていました。活動期間を年表で整理します。没年、昭和45年。製作活動は、昭和25年から44年の19年間。この期間に、あれほど多数の作品を製作されたわけです。しかも当初は木彫りの仏像を製作していましたので、コンクリート像の製作期間は更に短くなります。ここで奇妙なことに気付きます。没年以降に建立された観音像もありますが、これは移設でしょうか。実はそこには驚愕の新情報が隠されていました。そのお話は次回以降でお伝えします。【 かぼちゃ バウム 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.13
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にほんブログ村 驚愕の新情報の前に、高見彰七作品、新発見のご報告から。この作品は以前から確認していましたが、民家敷地内にあるため、許可を頂く関係で掲載が遅れました。大きく重そうな狸です。民家ゆえ、背景は一部AI処理しています。比較的状態は良さそうです。やや野性味があり、みよし市の大狐にも似ています。リンク集3 (No.7) ・所在地: 豊田市 民家 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 象嵌あり ・寸法: 高さ 110cm神馬,稲荷大狐以外の動物は、初めての発見例でしょう。次回は、まず問題提起の新情報から。【 とんぼ玉 たぬき 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.11
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にほんブログ村 高見彰七について、幾つもの新情報が得られました。その中には、すべての前提をくつがえす、驚愕の新情報もあります。私自身、大混乱で、なにからお伝えすべきか迷います。情報を整理しつつ、まずは新発見の高見彰七作品からご紹介したいと思います。新発見の作品にも、皆さん驚かれることでしょう。そして新情報は、謎を解くことにもなりますが、さらなる混乱を生むことにもなります。次回以降の記事にご期待ください。【 ショコラクリスタル 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.09
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にほんブログ村 浅野祥雲と1歳違いで同世代だった高見彰七。それなのに知名度がある浅野祥雲に比べて、高見彰七が忘れ去られてしまったのはなぜでしょうか?むしろ、作家銘すら残さないコンクリート像作家が忘れられるのは自然なことだと私は思います。浅野祥雲の知名度の高さが特殊なのです。そこで、なぜ浅野祥雲の知名度が高いのかを考察したいと思います。以下はその理由と思われる点です。1)浅野祥雲の作品は、多色に塗装された作品が多い 多色に塗られた人物像は表情がユニークに見えます。 そのため、テレビ番組でも取り上げられました。 一方、今日残る高見彰七の観音像は大半が塗装が残っていません。2)浅野祥雲の作品は、まとまって観られるスポットがある 関ケ原ウォーランド、五色園、桃太郎神社などでは、 浅野祥雲の作品をまとまって観ることができる。 高見彰七の作品は基本、分散している。 妙楽寺の58体は廃棄を免れているにすぎない。3)大竹敏之氏の貢献が大きい 大竹敏之氏は浅野祥雲について詳細に調べ、 書籍を出版されています。 様々な浅野祥雲のPR活動を行い、さらに五色園の浅野祥雲作品の 定期的な再塗装活動もしています。 これらの活動は浅野祥雲の知名度向上に 大きく貢献していると思います。実は私も以前に、大竹敏之氏が説明役の五色園見学会に参加しています。その際に私は大竹敏之氏の著書を購入して、サインも頂いています。マニアックな見学会で参加者も限られていました。Xで私のコンクリート像関係の投稿に「いいね」を下さる方の中には、あの時の見学会の参加者もおられるのでは?と思ったりもしています。【 浅野祥雲大全 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.07
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にほんブログ村 高見彰七について色々とわかってきました。そこで一度、重要な事項を整理します。1)高見彰七は昭和25年頃から、夢に見た観音像を追って、 観音像の製作を開始した2)高見彰七は農家の人であり、プロの作家ではない3)昭和31年にはみよし市の大狐、昭和35年には愛知池の大観音など、 代表作と言える大型作品も製作している 「みよし市の大狐」 「愛知池の大観音」4)昭和36年には道路沿いに並ぶ250体の作品とともに、 当時71歳の高見彰七が全国誌で紹介される5)その後、昭和46年の昌福寺の観音像まで、 作家活動が確認されている 「昌福寺の観音像」6)道路沿いの250体の作品群は、平成2年頃に安全上の理由から撤去7)そのうち58体は妙楽寺に置かれている8)宮口神社の神馬、森下交差点の観音像など、 その後も作品の廃却が続いている9)多くの作品が各地に移設されて四散し、現在捜索中 現在まで約110点の作品が発見されているにすぎない10)長野県での作品の確認例もあり、作品の分布は愛知県に留まらない11)高見彰七は知名度が高いコンクリート像作家・浅野祥雲より 1歳年上の同世代の作家であったが、 今日ではほぼ完全に忘れられてしまった約20年間ほどの活動で、高見彰七は多くの作品を残しました。一時期は高い知名度があった高見彰七ですが、その後、急速に人々の記憶から消えました。人の記憶の儚さには驚くばかりです。【 大須 栗りん 栗三秋 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.04
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にほんブログ村 愛知県 鞍ヶ池公園東の矢並町にある八柱神社。その八柱神社の神馬の続きです。この神馬には台座がありません。しかし銘板があります。昭和29年と読めます。その横に書かれているのは、奉納者のお名前です。神馬のお顔、たてがみ、尾、脚の造形や大きさから、高見彰七作品で間違いないと思います。調査中、地区の方にお会いしました。神馬は昨年(2023年)に再塗装したばかりで、まさにお会いした方が再塗装されたそうです。地区の方には製作年などのご確認をお願いしました。少し時間はかかるものの、町内会の折に記録を確認くださるそうです。記録でも製作年が昭和29年であれば、製作年を登録します。その場合は、みよし市の大狐像より古く、製作年が判明したものでは、最古の高見彰七作品となります。(みよし市の大狐像は昭和31年2月建立)地区の方には、永くこの神馬を保存くださるようにお願いしました。また、かつて道路沿いにあった250体の高見彰七作品は地区の方もご存知で、当時は有名だったとのことです。ところで、この矢並八柱神社の神馬を見ていて、あらためて先日の茨城県 八溝山の神馬がよく似ていると感じました。八溝山の神馬についても、もう少し検討したいと思います。【 レゴ 名馬8体セット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.02
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にほんブログ村 お待たせしました。ようやく以前から報告を頂いていた高見彰七作品候補の現地確認をしました。今回の新発見は神馬です。発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」豊田市にある人気観光スポットの鞍ヶ池公園。観光客で賑わう鞍ヶ池公園を東に過ぎると閑静な矢並町。そこに神馬のある八柱神社があります。名鉄バス矢並区民会館から南へ徒歩数分。突然目の前に意外な風景が広がります。田園風景に存在感のある真っ白な神馬。もうこの時点で、高見彰七作品への期待が膨らみます。さらに接近。はい、高見彰七の神馬決定です。(リスト集1「神馬」 No.8) ・所在地: 愛知県豊田市矢並町 八柱神社 ・製作年月: 判読不能 ・作家銘: 無銘, 奉納者銘あり ・寸法: 神馬のみの高さ 190cm, 前後長195cm ・発見者: @FDG_official01 さんまずは神馬をご覧ください。現地確認では、この神馬などを管理されている地区の方のお話も聴けました。次回はその情報と、神馬の銘板などをご紹介します。【 おすわりマスコット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.30
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にほんブログ村 八浜児島淡水湖近くの化粧地蔵、続きです。今回は残り3体をご紹介します。児島湾は、かつて海でした。その湾の海側入り口に堤防を造り、内側を干拓しました。その時、干拓されずに残ったのが、児島淡水湖です。こちらのお顔は線描きです。こちらは色落ち、お化粧直しが必要でしょう。こちらのお地蔵様は真っ赤なお顔。お酒でも呑まれたのでしょうか。 化粧地蔵の場所のGoogle mapストリートビューです。先のだんじり小屋を川沿いに進んだ所にあります。岡山県玉野市八浜町八浜1396真っ赤なベンガラが特徴的な八浜地区らしい化粧地蔵でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その38)」【 電気圧力鍋 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.28
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にほんブログ村 先回ご紹介した岡山県玉野市八浜のだんじり小屋隣の化粧地蔵。その場所から川沿いを北に約250m。八浜中学校南西の児島淡水湖近くにも、別の化粧地蔵様がおられます。祠の中には、9体の化粧地蔵様。赤い前掛で隠れていますが、ベンガラが塗られています。ベンガラ塗は、八浜地区の化粧地蔵の特徴です。左端は六地蔵ならぬ、五地蔵。5体なのは、別に1体あるということでしょうか。その六地蔵の1体と思われる、大きめのお地蔵様。ベンガラを吹き付けたのか、横のブロックまで赤く染まっています。頭の周囲の赤いベンガラは、頭巾の表現でしょうか。表情もユニークです。前掛で隠れてお化粧がよく見えないのが残念。赤い前掛の下の体もおそらく真っ赤でしょう。残り3体の化粧地蔵とストリートビューを次回にご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その37)」【 ベンガラ 試し塗り用 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.26
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にほんブログ村 八浜のだんじり小屋隣の化粧地蔵、続きです。祠の隣にだんじり小屋があります。この地区の祭りは盛大らしく、説明板もあります。だんじりは2基ですが、精緻な彫刻がされているとのこと。残念ながら秋まつりは観れませんでしたが、まつりとともに化粧地蔵も永く守られていて欲しいものです。化粧地蔵の場所のGoogle mapストリートビューです。川沿いのわかりやすい場所にあります。岡山県玉野市八浜町八浜181児島湖にほど近い、明るく開けた場所にある化粧地蔵でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その36)」【 岡山 蒜山ヨーグルトクリーム大福 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.23
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にほんブログ村 今回は、岡山県玉野市八浜のだんじり小屋隣の化粧地蔵をご紹介します。 化粧地蔵の祠の隣に見えるのは、この地区のだんじり小屋です。大きなお地蔵様。輪郭を黒く縁取りした質素な御化粧です。八浜地区は児島半島の北部、児島淡水湖側に位置します。今までご紹介することが多かった東児・胸上地区とは御化粧が違います。八浜地区にはベンガラで赤く塗られた化粧地蔵があります。今回の化粧地蔵はベンガラを使わず、極めてシンプルな御化粧です。御化粧は質素ですが、綺麗な祠と地域住民の信心で守られた幸せなお地蔵様でした。次回はストリートビューと、だんじりの話を少々ご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その35)」【 岡山津山ホルモンカレー 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.21
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にほんブログ村 茨城県の八溝山には、日輪寺という寺院もあります。こてらは八溝嶺神社からも近い様です。ネット情報で、日輪寺に下記の画像がありました。(画像出典: 「Laugh and grow fat」 )親子の神馬で、八溝嶺神社とイメージが違っています。シャープな造形で、コンクリート像(モルタル製)ではなく、石像の可能性も出てきます。はたしてこれらの神馬は、高見彰七作品でしょうか?【 ねんりん屋 バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.19
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にほんブログ村 茨城県の八溝山、八溝嶺神社の神馬。はたして、これは愛知から最遠方にある高見彰七の神馬でしょうか。通常の神馬は駆ける姿で造られます。しかし高見彰七の神馬は、四つ脚で立つ静止した姿であるという特徴があります。おそらくコンクリート像の劣化による破損を避けるためでしょう。神馬に限らず、高見彰七の作品は破損を避ける造形がなされています。たてがみ、尾の造形など、八溝嶺神社の神馬は高見彰七の神馬によく似ています。しかしこれだけでは判別できません。そこで、さらにネットで別の画像を探しました。(画像出典: 「YAMAP」 )神馬の正面からの画像で、正面から見るとひび割れがあります。この神馬は石像ではなく、コンクリート像の可能性がありそうです。ただし神馬の顔つきが、高見彰七の神馬にしてはシャープです。また、正面からは銘板も読めます。拡大しましょう。奉納者が常陸屋商店であることと、店主のお名前があります。年号は「昭和五十五年」あるいは「昭和三十三年」と読めます。高見彰七の年表で確認しましょう。昭和三十三年であれば、まさに高見彰七の活動期です。一方、昭和五十五年の場合は、移設された可能性が出てきます。そう悩んでいましたが、下記のネット情報で昭和五十五年奉納と分かりました。もし高見彰七の神馬であれば、移設となるでしょう。 【奉納年の情報: 「茨城見聞録」 )残念ながら、高見彰七の神馬であるという確証を持つには到りません。可能性はあるとは思いますが。今後、新たな情報が待たれます。またネット調査の中で、八溝嶺神社近くに別の神馬も見つけました。次回、こちらも紹介します。【 栗秋山 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.17
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にほんブログ村 しばらく遠方に出ていました。その間にX(旧Twitter)を見ていて、興味深いものを見つけました。それは高見彰七作品によく似た神馬です。場所は、茨城県の八溝山にある八溝嶺神社です。写真は 「ツネツネツネ」さん の許可を頂いて転載しています。如何でしょうか。四つ脚で立つ姿、たてがみ、尾の造形など、高見彰七の神馬によく似ていないでしょうか?ネットで別の画像を探しました。(画像出典: 「CROW'S CLOW」 )高見彰七の神馬に比べると、やや細身の神馬です。高見彰七作品の様な、違う様な……。また別の方の画像から。(画像出典: 『栃木発「ちゃりあん」ブログ2』 )やや小柄な神馬らしい。高見彰七の神馬と酷似した台座には、銘板が見えます。もし茨城県での発見となれば、愛知から最遠方での発見例。真贋が気になります。さらに調べると、別の方の画像で銘板も解読できました。それをご紹介しつつ、次回はこの神馬の謎解きを試みます。【 秋の味覚 食べ比べ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.15
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にほんブログ村 愛知県豊田市 八王山 春光院の観音像の注目点をご紹介します。(1)失われた首飾り春光院の観音像も首飾りをしています。ただし他の観音像の様に2重の首飾りではありません。その特徴としては、首飾りのペンダントが取れていることがあります。渡刈町の与次の観音像は写真の様に、円い飾りが付いています。「渡刈町 『与次』観音像」当初は渡刈町の様なモルタルの飾りが付いていたのか、それとも別の象嵌風の飾りが貼りつけられていたのか。あまりに綺麗にはがれています。モルタル以外の飾りの貼り付けの可能性を感じます。(2)消えた作家銘?観音像の背面右下に、違和感のある模様が見えます。次の様な作家銘の可能性はないでしょうか。作家銘を示す長方形の縁取りと「七」の文字が見えませんか。参考に、今は亡き宮口神社の神馬にあった高見彰七の作家銘を示します。「七」がよく似ていませんか。春光院の観音像は、作家銘の上半分が補修用のモルタルで消されている様に見えます。「与次=高見彰七の弟子」に加えて、「与次=高見彰七」の可能性も高まった様に思います。はたして「与次」とは誰でしょうか。いささか「見たいものが見える」、心霊写真的な要素がありますが、もし作家銘ならば、「与次」の重要な手がかりにもなるかもしれません。【前の記事】 「春光院 1」【 活性炭アニマル置物 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.09
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にほんブログ村 高見彰七と深い関連があると推定される謎の作家「与次」の観音像の現地確認第2段です。場所は豊田市の八王山 春光院。豊田市渡刈町の銘「与次」の観音像(リスト集2 No.25)とよく似た観音像です。(No.24)【八王山 春光院】 ・所在地: 愛知県豊田市岩倉町 八王山 春光院 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 銘板なし 「与次」作と推定 ・発見者: 「FDG公式」さん ・台上高さ: 140cm, 胸部幅: 30cm, 裾幅: 40cm, 胸部厚: 30cm, 直立形高さ140cmは、豊田市渡刈町の観音像と同じです。幅などもNo.25とほぼ同じですが、厚みは春光院の方が厚くなっています。背面には、銘板は確認できません。前後境界面のひび割れは、軽微ですがあります。この場所は第2東海自動車道の高架下付近。さらに巴川とに挟まれた、交通量も少ない閑静な場所。観音様も人恋しくなるかもしれません。ポストの横に立つ観音様は、日に数度、郵便局員に会うのを楽しみにしているのかもしれません。渡刈町の「与次」と瓜二つなお顔の観音像は、今日も笑顔で私達を迎えてくれます。*次回はこの春光院の観音像の注目点2ヶ所をご紹介します。それは「与次」の謎の解明に迫るものかもしれません。【 活性炭アニマル置物 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.06
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にほんブログ村 渡刈町 銘「与次」の観音像の続き、観音像の由来です。地主さんのお話から。******かつてこの交差点脇には貴人の墓(古墳)があったそうです。地区の皆さんは貴人の墓は祀るべきと考えていました。折しも破棄される予定の観音像があり、その観音像を譲り受け、墓に祀ったそうです。しかし道路拡張工事の際、墓は撤去されてしまいました。その時、「観音像が泣いているように見えた」そうです。泣く観音像を不憫に思った皆さんは、墓がなくなった後も観音像を移設し祀りました。その後も交差点付近を転々と場所を変え、今の場所になりました。また経年劣化の傷みは、石工に依頼して補修もしたそうです。******この観音像は「破棄される予定の観音像」だったそうです。これは「撤去された高見彰七の250体の作品群」を示しているのかもしれません。それであれば、「与次」=「高見彰七」の可能性が高まります。この観音像に、人々は「鳴き顔」を見たそうです。高見彰七は夢に見た理想の観音像を追い、その創作に「まごころ」を込めました。人々が鳴き顔を見た観音像が、もし高見彰七作品だとしたら、高見彰七は、その夢をかなえていたのかもしれません。【 人形ライト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.04
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にほんブログ村 猛暑で遅れていた高見彰七作品の現地確認、ようやく再開しました。まずは「与次」銘の観音像の現地確認です。背面の銘「与次」も確認できます。観音像の下部に傷みもあります。高見彰七作品の特徴、前後境界面のひび割れもあります。胸に抱えた蓮の花、前に垂れた2本の帯紐。やはり高見彰七作品の特徴が確認できます。「与次」は高見彰七自身でしょうか。それともそのお弟子か、ご親族でしょうか。(No.25)【豊田市 渡刈町2丁目交差点】 ・所在地: 愛知県豊田市渡刈町2丁目交差点 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 在銘 「与次作」 ・発見者: 「FDG公式」さん寸法も測定しました。 ・台上高さ: 140cm, 胸部幅: 35cm, 裾幅: 50cm, 胸部厚: 18cm, 直立形高さは見徳寺の観音像の高さ113cmより大柄ですが、他の幅、厚さなどはほぼ同寸です。実はこの観音像のある場所は、交差点の角地ですが私有地です。その私有地の地主さんから、この観音像の由来を聴くことができました。その話の中には、「与次」の謎に迫る重要な情報もありました。次回はその観音像の由来についてご紹介します。【 切り落とし 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.02
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にほんブログ村 探さなくても出会える、京都の化粧地蔵。目的地までのわずかな距離。往復で歩く通りを変えて見ました。早速、祠がありますね。ではちょっと覗いてみましょう。おや、お休み中でしたか。すみません、お邪魔しました。あっ、ここにも祠がありますね。格子もないので、写真も撮れそうです。失礼します。残念、化粧地蔵ではありませんでした。でも、おや、背後に何やら白いものが。なんでしょう?小さな化粧地蔵さんでした。こんにちは。あれ、また隠れてしまいました。ちょっと恥ずかしがり屋の化粧地蔵さんだったようです。【 ねこがいます 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.30
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にほんブログ村 6月ですが、所用で京都に行きました。観光ではありませんが、京都駅から目的地に向かう最中にも、化粧地蔵に出会えました。それほど多くの化粧地蔵が京都にはあります。まずは出会った化粧地蔵のひとつ。通り沿いに、この様な祠があります。化粧地蔵は、この祠の中。格子が邪魔で顔しか写せません。白塗りのお顔、真面目な表情です。京都の化粧地蔵を見たいという方にご紹介しました。他にも化粧地蔵には出会えています。次回、もっと良く写せた京都の化粧地蔵をご紹介します。【 パンダ・ライト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.28
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にほんブログ村 高見彰七の観音像の分類4は、未解明の存在です。分類4の作家銘は「与次」。細部には高見彰七の特徴がありますが。高見彰七作品か否かもわかりません。全体的な体形が異なるため、高見彰七が銘を変えたのかもしれません。あるいは「与次」は「世継ぎ」と読めることから、弟子の作品の可能性もあると推定しています。【分類4の特徴】a)造形 非常に安定感のある重厚な造形。 胸に抱えた蓮の花、帯紐などに高見彰七作品の特徴あり。 x)直立形のみ。b)材質 モルタルの粒度等は未確認。 経年劣化は少なめ。c)造形 重厚で安定感がある。分類4の確認例は2024年9月現在で3件のみ。「豊田市 渡刈町 路傍」 在銘「与次」 (画像提供:FDG公式さん)「見徳寺」 銘板を剥がした痕あり「八王山 春光院」 無銘 (画像提供:FDG公式さん)銘「与次」の謎は、今後解明しなくてはなりません。【 ウッドスピーカ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.25
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にほんブログ村 高見彰七の観音像の分類3は不思議な観音像です。分類3は妙楽寺のみで見られます。特に顔が簡略化され、像の劣化は少なく、比較的新しい晩年の作品と推定しています。高見彰七氏は夢枕に表れた観音様を作ろうとしたはずです。それとは異なるであろう略式の造形をなぜ試みたのでしょう。【分類3の特徴】a)造形 首がなく、楕円形の顔が独立してある。 衣装なども簡略化され、平面的。 2重の首飾りはある。 x)直立形とy)流れ形がある。b)材質 モルタルの粒度は細かい。 経年劣化は少なく白っぽい。c)造形 前面と背面の継ぎ目の有無は、 他の像の陰になり未確認。分類3の例は妙楽寺のみ。とても不思議で謎のある観音像です。【 宇宙飛行士 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.23
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にほんブログ村 高見彰七の観音像の分類2は厄介です。分類2は作風が一定していません。それは試行錯誤のためとみられ、比較的初期の作品と推定しています。【分類2の特徴】a)造形 微笑みのない表情。 指の造形などが簡略化。 x)直立形が主。b)材質 モルタル中の粒度が粗い。 経年劣化が激しい。c)造形 前面と背面に継ぎ目状に亀裂がある。分類2の例です。「割目池」 地蔵菩薩像と並び立つ「吉浜 柳池院」 「妙楽寺」 子安観音「妙楽寺」 劣化が激しい分類2は、大形像はないように思います。また全て無銘です。【 ナイトライト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.21
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にほんブログ村 高見彰七の観音像の分類1は、最も代表的な作品です。【分類1の特徴】a)造形 微笑んだふくよかな顔。 胸に蓮の花を持つ例が多い。 足元に”く”形の造形例が多い。 x)直立形とy)流れ形がある。 建設業者との共作の大形作品もある。b)材質 背面のモルタル中の小石の粒度が粗い。 前面は粒度の細かいモルタル。c)造形 前面と背面に継ぎ目状に亀裂がある。 継ぎ目は特に大形作品で多く見られる。それでは分類1の例を見ましょう。「愛知池」 鹿島建設との共作による大型像「古瀬間御嶽神社」 流れ形「豊田市中町」 前後の接合面が明瞭「野見御嶽神社」 彩色あり「妙楽寺」 ほほえみ【 ねこ目覚まし時計 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.19
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にほんブログ村 高見彰七の観音像の判別には、観音像の分類が必要と考えていました。そこで、a)造形,b)材質,c)製法に着目して4つに大別しました。1) 分類1: 代表形 高見彰七らしい、微笑んだふくよかな顔の像。 観音像の姿勢は、x)直立形とy)流れ形がある。 また建設業者との共作の大形作品もある。2) 分類2: 多様形 作風が不安定。微笑んでいない像,材質が粗い像が多い。 姿勢は、x)直立形が多い。3) 分類3: 簡略形 現在、妙楽寺のみでしか確認例がない簡略化された像。 楕円形の顔が、衣装に張り付いた様な造形。 姿勢は、x)直立形とy)流れ形がある。4)分類4: 銘「与次」 高見彰七作品の特徴を持つ、「与次」銘の像。 無銘の像を含めて、3例しか発見されていない。 観音像の姿勢は、x)直立形のみ。まずは大別です。次回以降、その詳細を見ていきます。【 ひよこ形目覚まし 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.16
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にほんブログ村 まだ蒸し暑い日々が続いています。先日の戦国武将像の関連で、少し納涼も兼ねてお話しします。では、雪景色のクラーク像をご紹介します。北海道大学のクラーク像です。背景は雪景色となっています。北海道大学にあるクラーク像は、次の画像のクラーク像ではありません。(画像出典: Wikipedia)この全身像のクラーク像は、さっぽろ羊ヶ丘展望台にあります。北海道大学にあるクラーク像は胸像ですのでお間違いなく。まだ涼しさが足らないという方には、札幌で見かけた少し涼しくなるオブジェの写真をどうぞ。少しでも涼しくなればと思います。【 北海道スィーツ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.14
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にほんブログ村 先日、とある駅前で、織田信長公像を眺めていました。金ピカです。高所から見下ろしています。あの高さでも怖がらない、さすが信長公。高所が苦手な私は、その落ち着き具合に感心していました。ここで参考に、以前掲載した徳川家康公の若き日の騎馬像を再掲載。名鉄東岡崎駅前にあります。ちょっとこれは格好良すぎますので、未掲載だった名鉄藤川駅前の徳川家康公の石像を掲載しましょう。こちらの方が家康公らしい感じ。石像の彫刻師は、戸松良夫氏と戸松政洋氏となっています。2012年建立。ついでに岡崎城にある徳川家康公像。三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗した時の姿。それぞれの像に、作家や寄進者の想いが感じられます。【 三つ葉葵 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.12
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にほんブログ村 サルビアは種類が多い。私がサルビアと呼んでいるあの赤い花は、サルビア・スプレンデンスという名が正しいらしい。サルビアの思い出は、もちろん、あの甘い蜜だ。花から長く伸びた花びら、これは「唇花」というらしいが、この唇花の根本に付く蜜がとても甘い。サルビアを見つけると、唇花を取って根本の蜜をなめていた。子供達は我先にと、その蜜を取り合うので、小学校の花壇に咲くサルビアは、唇花がない花ばかりになっていた。あの甘い蜜は虫たちも引き寄せていたはずだ。だとしたら、ちょっと不衛生だったかもしれない。当時、あの蜜の甘さに惹かれ、衛生など気にしたことはなかった。今時の子供達には考えられないことかもしれない。でも、もしサルビアの、あの蜜の甘さを知らないとしたら、それはなんて不幸なことだろう。【 はちみつ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.10
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にほんブログ村 愛知県は今なお36℃越えの猛暑予報。外出は控えめに、写真の整理等をしています。写真の整理中、妙楽寺のコンクリート仏の数を修正する必要があると気づきました。正面から見える像、背面にある像、下から見て左方に離れた場所の像。全56体としていました。(三好森下交差点からの移設を加えると57体)「正面」「背後」「左方」写真を整理していると、最大の観音像より右方に離れた場所にもう一体、観音像があるのに気付きました。これを加えると、全57体( + 三好森下交差点移設1体)。実際は、他の像の陰で見えない像がまだあるのでしょう。かつて豊田市の道路沿いに並んでいた250体。そのうちの1/5強が妙楽寺に移設されたことになります。高見彰七の作品の確認数は、今回の1体を加えると、全106体になります。まだ他に4体の候補作(現地未確認など)があります。もう少し気温が下がれば確認などして、掲載を急ぎたいと思います。【 なごやん 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.08
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にほんブログ村 名古屋では。あまり見ない化粧地蔵。名古屋市 日泰寺 境内の北側で見かけました。お顔だけ白塗りの質素なお化粧。派手好きなイメージもある名古屋ですが、化粧地蔵は質素でした。【 名古屋コーチンたまごプリン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.06
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にほんブログ村 今まで各地の高見彰七のコンクリート像を探索してきました。その中では収獲なしで終わる探索も数多くありました。今回も”高見彰七作品ではない”神馬をご紹介しましょう。それは2021年、コロナ感染対策の行動制限が、一時的に解除された時の調査でした。場所は愛知県岡崎市の土呂八幡宮。大きな神馬があります。実はこの神馬、事前の調査で高見彰七作品ではないとわかっていました。なぜなら、一見して石像とわかっていたからです。高見彰七らはコンクリート(モルタル)で作品を作りました。大きな石像の製作には、膨大な日時を必要とするからです。この神馬には、石工の名前や製作年が刻まれていました。記憶では、大正時代の製作だったと思います。おそらく手作業での石材の加工がされていた大正時代。高見彰七の活動期以前に製作された大きな神馬。その製作には、膨大な日数と技能が費やされたことでしょう。石工の名前は記憶にありません。ただ、下記の「稲垣石材店」のH.P.に紹介されていますので、この石材店の先代または先々代の作品なのでしょう。【神馬】 「稲垣石材店H.P.」高見彰七のコンクリート像ではありませんが、希少な石材での大型神馬の作品例としてご紹介しました。【 岡崎 八丁味噌 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.04
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にほんブログ村 以前の写真を探して記事を書くつもりでした。しかし写真が見つかりませんので、急遽話題を変更します。ご紹介するのは、名古屋市北区の多奈波太神社。9月なのに「たなばた神社」。この多奈波太神社には、乳イチョウがあります。乳銀杏は、古い神社には時々あります。その大半は古木ですが、こちらの銀杏はまだ若木とのこと。この乳の正体は未だに謎です。気根という説もありますが、定かではありません。銀杏は古い植物の特徴を持つ、謎多き植物です。女性の信仰の対象にもなる乳銀杏。ご感想を、境内の狛犬様にうかがいましょう。狛犬さん、いかがでしたか?「そりゃぁ、びっくりしたな、もう」【 揚げ塩銀杏 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.02
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にほんブログ村 今までコンクリート像や石像を数多く見てきました。当然、多くは作家不明ですが、その中でも特に印象に残った作品もあります。その幾つかをご紹介したいと思います。ご紹介することで、有識者からの情報が集まるかもしれませんので。例えば、先日、浅野祥雲の兵士像をご紹介した日泰寺の墓苑。その兵士像と同じ墓苑のエリア、胸像の兵士像から100m程度の距離に、次のお釈迦様のコンクリート像があります。天上天下唯我独尊。その言葉とは裏腹に、なかなか親しみやすい御姿です。なにか既視感を覚えるお顔です。わかりやすい場所にあり、浅野祥雲作品の近く。コンクリート像に興味をお持ちの多くの方がご覧になっていると思います。既に作家がわかっているのかもしれません。ご存知の方は、情報を頂ければと思います。【関連記事1】 「日泰寺の浅野祥雲作品1」【関連記事2】 「日泰寺の浅野祥雲作品2」【関連記事3】 「日泰寺の高見彰七の観音像」【 名古屋コーチン とろけるプリン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.31
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にほんブログ村 岡山県玉野市番田 明王院の化粧地蔵、続きです。この場所のGoogle mapストリートビューです。周辺の道はわかり難いかもしれません。岡山県玉野市番田1571一体のみですが、少しひょうきんなお顔立ちが印象的な化粧地蔵でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その34)」【 岡山産ままかり酢漬けなど ご飯のお供 福袋セット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.29
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にほんブログ村 岡山県玉野市番田の明王院入り口の化粧地蔵をご紹介します。 明王院西側の少し狭い道の奥に化粧地蔵はあります。しっかりとした祠の中におられます。よく手入れされています。一体のみでお仲間がおられないのがお気の毒。ひょうきんなお顔立ち。目に特徴があります。横から見ると、お鼻がありませんね。おひとりで淋しいことでしょう。それでも微笑みを忘れない健気な化粧地蔵様でした。次回はこの場所のストリートビューをご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その33)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その35)」【 桃太郎カレー 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.27
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にほんブログ村 台風10号接近中。【台風10号情報】 「日本気象協会 台風10号予報」8月27日(火)15時での台風10号予想。・中心気圧: 950hPa・最大瞬間風速: 60m/s・進行速度: 15km/h速度が遅く、台風の影響が長く長続きそうです。27~28日は外出を控えた方が良さそうです。「名古屋市緑区 光明禅寺 風神」【 現代の馬の目皿 織部 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.25
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にほんブログ村 時間をかけて、霊岩寺の地蔵菩薩像を検証しました。地蔵菩薩の比較には、妙楽寺の作品を参照します。【関連記事】 「霊岩寺の謎のコンクリート像1」【関連記事】 「霊岩寺の謎のコンクリート像2」左は霊岩寺、右は妙楽寺の地蔵菩薩像です。(類似点)・顔形(目鼻口、眉などの形と配置)・なで肩・上半身の着物の表現・体に付いた平面的な錫杖・錫杖を持つ右手の位置・簡略化された指の表現・体の前後に接合部がある(相違点)・妙楽寺の地蔵は微笑んでいる・妙楽寺の地蔵の方がやや耳が大きい・着物の裾の表現・妙楽寺の地蔵の方がやや平面的な造形・妙楽寺の錫杖は長い上半身、特に肩から右手周辺は酷似しています。一方で着物の裾などは違いがあります。ただし相違点の「着物の裾の表現」については、別の類似作があります。それは霊岩寺の近くにある京町区民会館の観音像です。以下、左は霊岩寺、右は京町区民会館のコンクリート像です。腰から下の表現が、両者でよく似ているのが分かると思います。3メートル程度の高見彰七氏の作品は、左官などとの共作の可能性があります。高見彰七作品らしくない花入などが気になりますが、類似箇所が酷似していますので、「高見彰七氏が関わった作品」と考えて間違いはないと判断しました。105体目の高見彰七作品として、リンク集3 No.6に登録したいと思います。【 静岡抹茶バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.23
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にほんブログ村 まだサルスベリが咲いている。今年のサルスベリは、特に長く咲いているように思う。実際、サルスベリの開花期間は長い。7~10月の間に、約100日間咲き続けるという。紅い花が100日咲くから、サルスベリを「百日紅」と書く。ただ、今年はサルスベリの花を、特に長く見ているように思う。その紅い夏の花を見ると、猛暑の夏をさらに暑く感じるから。けっして、サルスベリが悪いのではない。この猛暑に耐えるのに、私はもう疲れているのだ。【 日傘 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.21
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にほんブログ村 猛暑で外出も避けたくなります。これを機会に、高見彰七氏の作品リンク集を大幅に更新しました。現在、リンク集の掲載数は、104体になっています。●【リンク集】 「高見彰七 リンク集」皆様の情報提供には感謝致します。今後もご存じの情報がございましたら、よろしくお願いします。【 とろける料亭のプリン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.15
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にほんブログ村 名古屋市 日泰寺の浅野祥雲作品、続きです。先日の2体の兵士像が見つめる方向。そこには次の兵士像があります。腹部から上の像です。像のみの大きさは、高さ50cm,幅30cm,胴部厚さ18cm。まだ顔には幼さも残っています。この像も含め、多くの兵士像が日泰寺の近くにありました。その場所が売却され、多くは中之院に引き取られました。今回の像などは、日泰寺の墓苑に移されたものです。[中之院の兵士像]【過去の記事1】 「中之院1」【過去の記事2】 「中之院2」破棄寸前だった浅野祥雲の兵士像は、かろうじて守られました。今回の記事の日泰寺の兵士像は、その一部です。破棄されかけた高見彰七の仏像群は、50体強が妙楽寺にあります。そして日泰寺には、高見彰七の観音像もあります。日泰寺には、浅野祥雲と高見彰七両名の作品があります。一歳違い、同世代のふたりに交流があったと考えるのは、ごく自然なことに思われます。[日泰寺の高見観音]【 名古屋コーチン さんわの手羽先 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.11
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にほんブログ村 先にご紹介した名古屋市 日泰寺での高見観音の現地確認。日泰寺では、鯖弘法、化粧地蔵もご紹介しました。日泰寺では「アレ」は観なかったの?そう思われている方もおられるでしょう。ご心配なく、もちろん観ています。「アレ」、つまり浅野祥雲作品です。二体の兵士像が、日泰寺の墓苑にあります。日泰寺の墓苑ではありますが、背景に見える西蓮寺と隣接しています。いつもの様に、兵士像の寸法も測定しました。兵士像は草木に隠れているため、上着裾から上の見える部分の寸法です。上着裾から上 73cm兵士2体分の幅 65cm厚さ 20cm兵士は兄弟で、日中戦争に関連した戦没者の慰霊像です。氏名もわかりますが、個人情報ですので伏せます。まだ若い命が戦争で失われました。8月になると、戦没者の無念さを想わざるをえません。この兄弟が見つめる先、目視できる距離にも兵士像があります。次回はその兵士像についてもご紹介します。【 名古屋 風来坊 手羽先唐揚げ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.09
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にほんブログ村 岡山県玉野市下山坂白坂峠傍の化粧地蔵、続きです。今回は化粧地蔵と石仏,石祠のご紹介です。まずは、この場所のGoogle mapストリートビューです。周囲も広く、アクセスしやすい場所です。ただし駐車スペースはありません。岡山県玉野市下山坂1748さて、この化粧地蔵の左隣には石仏と石祠があります。私はこの中央の石仏が、一目でお気に入りになりました。この石仏は何でしょう。蓮の花をお持ちですので、観音菩薩と分かります。さらに頭部に11個の楕円があります。この楕円は顔を示しているのでしょう。つまり、この石仏は「十一面観音」とわかります。十一面観音の右の祠は石造りです。この地域には石祠が多くあります。児島半島では花崗岩が多く産出され、石材が豊富なためでしょう。手入れの良い化粧地蔵、ユニークな十一面観音、そして石祠。多くの出会いがあり、満足感の高い化粧地蔵探索でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その32)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その34)」【 岡山産白桃 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.07
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にほんブログ村 今回も化粧地蔵をご紹介します。所在地名は、岡山県玉野市下山坂の白坂峠傍です。 普通車でも通行可能な道の登坂の途中に化粧地蔵はあります。緑色が印象的な六地蔵です。綺麗に彩色されています。日頃からの手入れの良さがうかがわれます。幸せな化粧地蔵です。化粧地蔵も微笑んでおられます。ところで、この化粧地蔵の左隣には、興味深い石仏があります。次回はこの場所のストリートビューと、その石仏をご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その31)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その33)」【 岡山産マスカット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.05
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にほんブログ村 豊田市墓地の釈迦如来像(推定)。この斜め前に、小さなコンクリート像があります。このコンクリート像も高見彰七作品ではないかと思います。根拠はその製法にあります。小さな像ですが、前後に接合部があります。高見彰七作品に多い特徴です。像のデザインンは従来の高見彰七作品とは異なります。まるで円空仏の様な造形です。この様な「高見彰七作品かもしれない」例の扱いも、今後、考えなくてはなりません。悩みますね。【 パイナップルケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.01
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