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警衛勤務 その2
十条駐屯地の気楽な警衛勤務にも例外はありました。後期教育の教官でいつも新隊員を怒鳴り散らしていたH1曹が、何の因果か私が上番したときの警衛司令だったのです。昼間は大人しく仏頂面で勤務していましたが、人の目が無くなる夜になるとH1曹は一人演説を始めました。業務への不満、上官への侮蔑的な発言をしゃべり続け、いつの間にか自分の自慢話や知識をひけらかすようになっていました。他の勤務者はただ黙って聞くしかなく、私は警衛司令が早く仮眠してくれないかと願っていました。
だが、知識自慢の話でおかしなことを言い出したので、怖いもの知らずの私はH1曹に向かって、「その話はおかしい、間違っている」と食って掛かりました。1曹と士長という大きく階級の離れた者で言い合いをすることなどありえないのですが、怖いものとらずの無鉄砲な性格が出てしまいました。警衛所内は罵声が飛び交う修羅場となりました。下っ端士長と古参の1曹が口論するという、自衛隊ではなかなか見られないものをご披露してしまいました。結局、一緒に勤務していた営舎係が間に入って仲裁により鎮火しました。
この件については、特にお咎めはなかったのですが、私は幹部や陸曹から上官に歯向かう要注意人物として目を付けられるようになってしまいました。いくら相手が問題ある人物とはいえ、上官に公然と反抗することは自衛官では大問題でした。
後に知ったことですが、H1曹は少年工科学校出身で曹長や幹部に昇任していてもおかしくない年齢なのに1曹で昇任が止まっていたようです。部下をすぐ怒鳴り散らすだけでなく、上官にも反抗的だったことが災いしたようです。その後、H1曹はいつの間にか都内某駐屯地の営繕係に転属させられたと噂で聞きました。営繕係はボイラー等や施設管理を行う部署で、通常は技官が行う業務です。自衛官が就くような業務ではなかったのですが、どうもH1曹は上司の幹部に何事かあって盾突いたため転属させられたようです。気に食わない奴でしたが、どことなく私にも通ずる部分があり、機会があれば話を聞いてみてもよかったのかなと少し後悔しています。
警衛隊の失態
十条駐屯地の警衛隊勤務は、前に書いた通り平和でゆるいものでした。しかし、時々不測の事態が発生していました。私は遭遇したことはなかったのですが、在隊中に駐屯地への不法侵入が2度発生しています。
1度は、近所の高校生が外柵を乗り越えて駐屯地に進入したのですが、ワナ線に引っ掛かり警報が発報、直ちに警衛隊が駆けつけて取り押さえられました。その後は警務隊に引き渡されて、親が迎えに来ると釈放されたそうです。なぜ侵入したのか問われて、高校生は「何があるのか興味があったから」と答えたそうで、至って幼稚な動機だったそうです。十条駐屯地には外から見ても工場の建屋しか見えないのに何があると思ったのでしょうか。
2度目は、十条駐屯地の分屯地である通称”赤羽地区”で発生しました。夜間は2名の歩哨が派遣されて、巡回等を行います。赤羽地区は、車両工場の他に米軍に返還するハーフトラック等の用途廃止になった車両を保管しています。また、その時期は、駐屯地祭りのために使用するテントを置いていたそうです。夜間、1人で巡回していた守衛が、テントを集積していた付近で不審者を発見しました。不審者は気付いて逃走したので守衛が追跡しました。しかし、守衛は高齢で鈍足のため不審者をとり逃してしまったのです。赤羽地区の警衛勤務についていた陸曹が駐屯地の当直幹部に通報、直ちに当直幹部らが周辺を捜索、警察への通報等を行いましたが結局犯人は見つからずに終わりました。不審者の侵入目的は保管していたテントを盗むためだったようですが、被害はなかったとのことでした。

赤羽地区は、敷地が広く死角も多いため侵入されやすいです。また、守衛は高齢者ばかりでこうした事案の対処には不向きでした。しかし、警衛の増員もままならず、盗まれそうなものは人目につかない場所に保管するぐらいしか対応手段はありませんでした。
陸上自衛隊武器補給処十条支処勤務の顛末 … 2024.01.01
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