真理を求めて

真理を求めて

2002.12.31
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今年最後に選んだ歌は、年の終わりとはなんの関係もないようだけれど、一つつながりがあるとすれば、この歌は北山修と加藤和彦が作ったということかな。昨日は再結成のフォークルのコンサートをやっていた。昔のファンとしては、そこにオリジナルメンバーの端田のりひこがいて欲しかったけれど、アルフィーの坂崎くんも好感度ではまずまずだから、それはそれでよかったかな。

ベッツィ&クリスでは、「白い色は恋人の色」の方が有名だと思うけれど、<うたまっぷ>で検索したらこの曲もあって、詞を読んでいたらこの歌の方が気に入ったので、日記にはこっちを選んだ。

毎日眺めていたおなじみの青空でも、恋をするとそれが違うものに見えてくる。そういう気分というのは、僕らの世代にはすぐ分かるんだけれど、今の若者はどうなんだろう。僕が昔のフォークソングにこだわるのも、最近のを知らないということもあるんだけれど、こういう気持ちにぴったりと応えてくれるからなんだろうなと思う。その日から何かが変わったというのは、唯物論者としては、かなり矛盾しているんだけれど、変わってしまうんだから仕方がない。

「花のような二人」というのは、どういうイメージなんだろう。花のようにかよわいところがある繊細さを持っているということだろうか。花のように可愛い純潔さということだろうか。この歌は、物語のようになっていて、1番で恋の始めの初々しさを喜びとともに歌い、2番では、恋の中の幸せを歌っている。そして3番では、その恋が終わる切なさを歌っている。恋はいつか終わらないと完結しないんだな。永遠ということはないんだ。それは寂しいけれど、物語としては美しい。

「花のような二人」というのは、物語全体を通じたイメージなんだろうな。つぼみがまさに開こうとする瞬間が、恋の始まりの喜びだ。それが満開になり、花の盛りになったときの美しさと喜びが2番のイメージだろうか。でも、花はいつか散るときが来る。風が吹いていつか離ればなれになっていってしまう。それが3番のイメージだろうか。

青春の恋は、「花のような二人」だろうな。それは花が咲いている間だけの短い幸せだけれど、ずっと忘れない美しい想い出になるだろう。若くなくなってから恋をするときは、「花のような二人」ではちょっと寂しいね。散らない花にしてもらおうかな。たとえ散ってしまっても、そこから新しい命が芽生えてくるようにすればいいのかな。あまりロマンチックではないけれど、「種のように」なればいいのかな。唯物論的(現実的)になると、やっぱりロマンチックさは少なくなるな。





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最終更新日  2003.01.02 07:14:16
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