真理を求めて

真理を求めて

2003.02.11
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小椋佳の歌は、タイトルだけでもいろいろな連想が浮かんでくる。この歌は、残念ながら<うたまっぷ>では検索出来ない。そこで、タイトルと一部の歌詞から連想をふくらませてもらおう。僕が、この歌で気に入っているフレーズは、

      恋はするもの されるもの
      いえいえ 恋は、してしまうもの

というところだ。恋だけは、感情をコントロール出来ると思っている僕のような人間でさえも、やっぱり「してしまうもの」なんだなと思ってしまうところがある。「するもの」であれば自分に主体性があるから、間違ったり悩んだり悪いことは起こらないだろう。「されるもの」なら、相手まかせにして自分は気楽にしていることも出来る。でも、「してしまうもの」だと、想像力だけがふくらんできて、妄想と錯覚の中でもがくようにもなるものだ。

僕の初恋は、古いフランス映画「シベールの日曜日」の中のひとりぼっちの少女<シベール>だった。未だに恋し続けているようなものだから、「してしまうもの」だという実感がわいてくるな。

本当の生身の生きている少女に恋をしたのは中学校を卒業するあたりだっただろうか。病院の待合室にいた女の子に「恋してしまった」。名前も知らない女の子だったから、気分はシベールに恋したときと同じで、現実のその子に恋したんじゃなくて、きっと僕の空想の中に浮かんだその子に恋をしたんだろうと思うけれど、なぜ恋したのかは分からないのに、突然そんな気持ちが浮かんできた。もちろん、一言も話をすることなく、そのまま卒業してしまったけれど。

その後は、しばらく数学に恋をしていたので女の子に恋をする暇はなかった。高校を卒業したときは、これでやっと数学だけに気持ちを捧げられると思って、寝ているときとご飯を食べているとき以外はずっと数学のことだけ考えているというような生活をしていた。それが、またある日突然恋に落ちる。

恋に落ちる共通点はいくつかあるけれど、最初から失恋することを予定しているような恋をする傾向があった。勝手に恋をして勝手に失恋するような感じかな。僕がもし女だったら、中島みゆきが描くような心情がよく分かる女になっただろうな。

「恋、してしまうもの」という感覚がよく分かるので、この歌はタイトルだけでも引き込まれてしまう歌だ。今はさすがに若い頃のような恋の落ち方はしなくなったけれど、すてきだなと思う心が浮かんでくるのを、ひとつの恋心だと思うようになると生活が楽しくなるというのを発見した。周りにすてきなものがひとつでもたくさんあると嬉しくなってくる。暗い心を照らす一条の光というのはそんなものかもしれない。



恋は、してしまうものだと、その感覚が分かる人はこの歌をぜひ聞いて欲しいものだと思う。心の中の一番深いところに直接触れてくる存在が、恋心を起こしてしまう。だから自分ではコントロール出来ないんだ。





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最終更新日  2003.02.12 22:29:48
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