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2004.04.20
言葉の定義 右翼と左翼
(12)
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何かの議論をするときに、言葉の定義の違いをそのままにしておいて議論をしても、その議論が実りをあげないというのは、考えてみればすぐ分かることのように僕は感じる。論理というのは、ある命題と違う命題のつながりを判断するものだが、前提となる命題が違ってしまえば、結論が違ってくるのは当然だ。だから、結論が違う両者が、その前提を検討せずに、結論だけを闘わせても議論にはならない。
両者のそれぞれの前提を認めれば、論理的にはどちらも整合性をとれるということはいくらでもある。今回世論の問題になっている「自己責任」の問題も、「自己責任があるかないか」という結論を議論しても仕方がないと思う。問題は、自己責任というものをどうとらえるかという、前提にかかわる部分を議論しなければならない。どちらが考える「自己責任」の方が、普遍的な妥当性を持っているかということが重要なのだと思う。
僕は、「危険を承知でいったヤツが自分で責任を取るのが当然だ、助けを求めるなんてけしからん」という自己責任の定義には賛成しない。松沢呉一さんが語るように、それは、そのような意味で「自己責任」という言葉を定義している人間が自分自身に適用すればいいものだというふうに考える。他人に押しつける定義ではない。松沢さんが語るように、危険をもたらした責任者(この場合は誘拐犯人を指す)以外に、その責任が追及できない、あとの責任は自分に帰するというのが正しい「自己責任」の定義だと思う。この自己責任の定義は、救いを求めることと対立はしない。むしろ、あのように立派な行動をしている人たちを見捨てるような、そんな情けない行動を日本人が取るということに憤りを感じる。
この問題があれほどの世論の対立を引き起こした原因の一つに、右翼と左翼というような問題があるのではないかというのを、「マル激トーク・オン・デマンド」での宮台氏の発言から聞いた。この二つの言葉も、各人にとってその定義が大きく食い違うものもないのではないか。「サヨ」という言葉で左翼批判をしている人間たちが、左翼に対する基本的な知識を全く欠いて、その批判する左翼と同じやり方で批判しているのを宮台氏は指摘していた。
「サヨ」に対して、右翼を揶揄するときは「ウヨ」という言葉を使うらしい。これは、どちらも相手をバカにして感情的にすっきりするために、批判をするというよりも悪口を言っているだけのような気がする。だから、このような言葉を使って発言するようなものは、まともな議論ではないので中身そのものを論じるだけの値打ちはない。しかし、この現象を眺めてみると、いろいろと考えさせられるものも出てくるので、こういったものを議論するというよりも、考察の対象として感情的にならずに冷静に、その本質を考えてみたいと思う。
だいたいが、「サヨ」とか「ウヨ」とかいう言葉には、最初から相手をバカにしたいという価値判断が含まれている。これは、まともに相手を批判できれば、このような言葉を投げつける必要はないのだが、それが出来ないので、相手を貶めるような言葉を投げつけて相手を出来るだけ低い位置に落としたいという感情を感じる。戦時下の「非国民」という言い方に通じるようなもので、一つのレッテル貼りの効果を持ったものだろうと思う。
レッテル貼りというのは、そのレッテルを貼ったものの悪いイメージを相手に重ねることで、相手を貶める効果をねらっているもので、論理的に批判できないときに使いたくなるやり方だ。これは、右翼的な立場だけでなく、左翼的な立場でもたくさんのレッテル貼りがこれまで生まれている。これは、あとになって真実が分かれば、レッテル貼りに過ぎないことがよく分かるのだが、渦中にあるときはなかなか気づかないので被害が大きくなってしまうことが問題だ。今回の人質3人とその家族に対しては、「自己責任論」で非難する人間のほとんどは、このレッテル貼りに過ぎないような気がするが、真実が分かるまではなかなか世論が静かにならないだろうなという感じもする。
犯罪報道にしても、逮捕されたというだけでもう犯人だというレッテルを貼るような報道が多い。しかし、もし冤罪だったら、そのレッテル貼りによって受ける不利益は計り知れないものになる。偶然、犯罪の場面に立ち会うという可能性は誰にでもあり得る。だから、レッテル貼りを容認するような社会は、実は我々にとっては非常に危険な社会なのだと思わなければならないが、社会はどうもそのことに鈍感なような気がするのは僕だけだろうか。
レッテル貼りに敏感になり、そのような煽動や宣伝に踊らされずにすむようにするには、言葉の定義というものにもっと敏感になる必要があると思う。言葉というのは、悪いイメージを持っている、レッテル貼りに役に立つ言葉として短絡的に受け止めては行けないのだ。立場が違えば定義も違う。敵対する側を「テロリスト」と呼ぶのは、もうすでに立場からする定義が入り込んでいるのだと受け取ってその言葉を見なければならない。
右翼 〔フランス革命における国民公会で議長席から見て右側に保守派のジロンド派が座ったことから〕保守的・国粋主義的な思想傾向。また、その立場に立つ人や団体。
左翼 〔フランス革命時、国民公会で急進派のジャコバン派が議長席から見て左側に座ったことから〕急進的・革命的な政治勢力や人物。ことに、社会主義的または共産主義的傾向の人や団体。
歴史的には、フランス革命の時の状況から考えられた比喩的なものの言い方らしい。本質は、右翼は「保守的・国粋主義的」、左翼は、「急進的・革命的あるいは社会主義的・共産主義的」ということにあると思う。しかし、これは言葉を言い換えただけで、「保守」「国粋主義」「急進」「革命」「社会主義」「共産主義」という言葉は、また定義の難しさがあって、こう言い換えたからといって、議論するときの定義の違いが埋められるという期待はなかなか出来ない。
宮台真司氏は、「マル激トーク・オン・デマンド」の中で、富の再分配政策を支持するのが左で、それを拒否あるいは出来るだけ極小化するのが右、というような定義をしている。抽象的な議論の出発点としては、価値判断を含まない定義なので、議論が出来そうな定義ではあると思う。しかも、再分配政策を支持する人間は、社会主義的・共産主義的でもあるし、現実がそうなっていないときは急進的・革命的にもなるだろうから、辞書的な意味との整合性もとれる。再分配政策を支持しない人は、自己責任を徹底させるという道を選びたくなるだろうから、現在の体制を変えるよりもそのままにしておきたいと考えるだろうから保守的な考え方とも重なっていくだろう。
右翼・左翼を議論しようとしたら、このように価値判断から離れた定義のもとに議論すべきだろう。僕も、右翼や左翼というのは、単に立ち位置の違いにすぎないものだと思っている。問題は、どちらの立ち位置に立って考える方が、自分の理想とするものを実現する道につながるかということなのではないかと思う。再分配政策により、弱者にも温かい手をさしのべることが自分の理想につながる道ならば、そういう人が左翼に心を引かれるのは当然だ。逆に、自助努力によって、自分の力でなんでも解決していくのだというのが理想だったら、右翼的なものに心を引かれるだろう。
しかし、日本では、右というと日の丸や君が代に一体化するという、大いなるもの崇高なものとの一体化の心情を持つものが右ということになっている。さらに左も、マルクスや紅衛兵に一体化する心情を持つものが左になっている。こういう心情的な右翼・心情的な左翼という発想をすると、本来はあり得ないような右翼的・左翼的発想が出てしまう。これが「ウヨ」「サヨ」と揶揄されるようなものにつながっていくのだろう。
自助努力によって、自分の力で解決するのが右翼ならば、日本に軍事的な脅威を解決する力がないからといって、アメリカに追従してそれに全面的に頼るなんていうのは、本当の右翼の側から見ればなんと情けない考え方だと思うだろう。小林よしのり氏や西部邁氏の、イラク戦争反対の発想は、ある意味では本物の右翼に近いのかなとも感じるところもある。詳しく読んでいないので、そう言いきることは出来ないが。
イラクで人質になった人たちは、世界中から見捨てられていたイラクの人たちの側に立って、イラクの人々のために活動をしていた。その人たちに共感して支持するのは、十分左翼的な位置を持った感情だと思う。だから、彼らを左翼ではないかと感じるのは、言葉の使い方としては間違っていないと思う。しかし、左翼だからと言って何か悪いことがあるのだろうか。協力して何かをしていこうと考えるか、困っているかもしれないが、自分で努力して何とかしろと考えるか、基本的な姿勢の違いに過ぎないのではないか。そこでは良いとか悪いとかの価値判断はできないと思う。
レッテル貼りというのは、正しい批判を殺すことにもなる。目をくらませてしまうのだ。右翼も左翼も十把一絡げにして論じられるほど単純ではない。右翼の中にも、左翼の中にも、すぐれた人もいれば、どうしようもなく非論理的な人もいるというだけのことではないかと思う。レッテル貼りをすることなく、正しく批判し、正しく評価することが大事だろうと思う。
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最終更新日 2004.04.20 09:27:25
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