真理を求めて

真理を求めて

2004.06.02
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東京犬さんの04月27日(火)の日記の 「 『「おじさん」的思考』『期間限定の思想』/5%の邂逅」 で紹介されている内田樹さんにちょっと興味がわいたので、図書館で表題の本を借りてみた。僕は、新しい人に出会うのは、人を介して発見することが多いのだが、好みに合うかどうかは、最初の文章を読んだときにほぼ直感的に感じる。

内田さんの次の言葉は、その直感を感じさせてくれるに充分なものだった。内田さんは、まず入門者のために書かれた解説書の方が、専門家のために書かれたものよりも面白い場合が多いということを語る。そして、

「そこには、「周知のように」とか「言うまでもないことだが」とか「なるほど……ではあるが」というようなことばかり書いてあり、読む方としては「何が『なるほど』だ」と、次第に怒りがこみ上げてきます。しかし、この怒りはゆえなきものではありません。私たちが苛立つのは、そこで「何か本質的なもの」が問われぬままにそらされていると感じるからです。」

と、書いている。僕には、この感覚がよく分かる。本質を語らないものはつまらないし、実際によく分からない場合が多い。入門書なのに、すでにそれを知っている人間にしか分からないような入門書に出会うと、著者の頭の悪さを感じるだけだ。

仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんも、子供のための科学読み物の中に本当の名著があると言っていたのを思い出すし、数学教育に半生を捧げた遠山啓先生も、子供のために本当にわかりやすい数学を創造するところに数学の本質が見えると語っていた。表面的に「易しい」ことを単純に話すだけでは入門者には分からない。本当にその本質をとらえて、構造を正しく反映した比喩表現を工夫することで、初めて入門者にも分かる話し方ができるのだと思う。

僕が尊敬する哲学者の三浦つとむさんは、まさに弁証法というものに対して、そのような本質をわかりやすくとらえた話し方をしていたと感じたものだ。この文章だけでも、僕はこの人がすっかり気に入ってしまった。そして読み進むにつれて、三浦さんや、板倉さんや、佐高さんや、宮台さんなどに感じた共感を感じるようになった。

次の文章も、実に共感するところを感じるものだ。

「良い入門書は、まず最初に「私たちは何を知らないのか」を問います。「私たちはなぜそのことを知らないままで今日まで済ませてこられたのか」を問います。

 なぜ、私たちはあることを「知らない」のでしょう?なぜ今日までそれを「知らずに」来たのでしょう。単に面倒くさかっただけなのでしょうか?
 それは違います。私たちがあることを知らない理由はたいていの場合一つしかありません。
「知りたくない」からです。
 より厳密に言えば「自分があることを『知りたくない』と思っていることを知りたくない」からです。
 無知というのは単なる知識の欠如ではありません。「知らずにいたい」というひたむきな努力の成果です。無知は怠惰の結果ではなく、勤勉の結果なのです。」

これは、実に含蓄のある言葉であり、深い真理を語っている。まさにその通りと思えるイメージがわいてくるので、大いなる共感を感じる。この考え方を今回の人質事件に適用すると、実にうまく解釈できるので、この見方の慧眼さを大いに感じたりする。

人質事件でのバッシングは、特に高遠さんに対するものがひどかった。それは、女性であると言うことが一つの理由であろうと指摘する人がたくさんいたが、高遠さんをバッシングする人は、高遠さんのことについての無知ぶりを暴露する人が多かった。ちょっと調べれば分かるようなことでも、それを調べもせず、誰かが言っていることをそのまま鵜呑みにしてバッシングの理由としているようなものが多いように思う。

だいたい態度が悪いとか、政府を批判しているとか、反体制的であるとか言うことは、それだけで批判されるべき理由でもなんでもないのに、事実を検証もせず、そう言われているからというだけでそれに乗ってバッシングする人が多かったように思う。反論するにも値しない悪口雑言ばかりだった。

高遠さんのボランティア活動を指して、大したことではないとか、自己満足だとか言うこともいわれていたようだ。しかし、そのようなことをいう人間で、高遠さんの活動を具体的に指摘して、そのどこが「大したことない」のか、どこが「自己満足」なのかを語った人を見たことがない。具体的な指摘をだれもしないのだ。それは、おそらく無知からくるもので、指摘しようにも、それを知らないから指摘できないのだろうと思う。

それでは、なぜ無知なまま悪口雑言だけを投げつけるのか。それは無知でいたいからだ、と言うのが内田さんの考え方であり、僕が共感するところだ。よく調べれば、そのすべてとは言わないまでも、かなりの部分で評価が出来るものを発見できるはずだ。それは、立花隆氏が第三者的に眺めた目で評価していることを見れば分かる。それを知ってしまったら、悪口雑言を投げつけることが出来なくなる。悪口雑言を言うためには無知でなければならないのだ。

知りたくない理由を知りたくないという心のメカニズムも、宮台真司氏が指摘していたことが当たっているだろうと思う。それは、高遠さんが尊敬されるべき活動をしていることを知ってしまうと、自分が何もしていないことが鮮やかに自分に分かってしまうからだ。何もしていないことによる負い目というか、劣っているという感覚を知ってしまうことを避けたいために、無知でいることを選んでいるという解釈だ。



内田さんの次の言葉も、いろいろな想像を書き立ててくれる言葉だ。

「入門書は専門書よりも「根元的な問い」に出会う確率が高い。これは私が経験から得た原則です。「入門書が面白い」のは、そのような「誰も答を知らない問い」を巡って思考し、その問いの下に繰り返しアンダーラインを引いてくれるからです。そして、知性が自らに課す一番大切な仕事は、実は、「答を出すこと」ではなく、「重要な問いの下にアンダーライを引くこと」なのです。」

まさにその通りだと感じる。そして、これは今までそういうすぐれた入門書をいくつか読んできたから、これほどはっきりとこの言葉を認めることができるんだなと思う。

まえがきの部分を抜粋しただけでも、これだけ面白くわくわくするような言葉に満ちている本だ。まだ最初の方を少しだけしか読んでいないが、僕はこの本で初めて「構造主義」というものの全体像がつかめるような気がしている。三浦さんが、弁証法というものの全体像をつかむ地図を示してくれたように、内田さんは、「構造主義」というものの全体像をつかむ地図を示してくれるような気がしている。

僕は、今まで構造主義を説明するような本をいくつか読んできたけれど、その全体像をつかめたと思ったことがない。数学的な「構造」の考え方は分かるけれど、「構造主義」というもののとらえ方は、それとイコールではないような気がしていた。内田さんの、この本で僕はようやく「構造主義」に出会えそうな気がしている。






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最終更新日  2004.06.02 00:06:33コメント(0) | コメントを書く


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