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「丹後王国物語」丹後建国1300年記念事業実行委員会編 せせらぎ出版丹後の旅をした時に、図録を6冊買ったのですが、そのうちの一冊だけ全国で流通している本がありました。子ども向けにわかりやすく書いているのと、内容がユニークなので紹介します。それと、私は興味なかったので時間かけてわざわざ天橋立がよく見えるところにはいかなかったですが、古代から有名なこの天然の奇勝はこんな姿をしているようです。第一部は「まんが 丹後王国物語」です。地元出身の伴とし子氏の自説を全面的にわかりやすく展開しています。つまり、丹後に卑弥呼がいたし、トヨも丹後にいたのです。どうやら舞鶴市にある常世島である冠島に、巫女として存在して、神託を全国に発信していたらしい。残念ながら、あまりにも我田引水で説得力は全く無いが、大和王権により不当に無視されて貶められた丹後王国の栄光に、気がつくキッカケになる仕組みになっている。第二部から第四部までは、丹後の各自治体が各々工夫をしながら、丹後風土記の世界を展開したり、弥生から古墳時代にかけての、見事な遺跡をわかりやすく説明していています。カラー写真も多く、特に弥生丹後王国のイメージを持つには格好の入門書になっている(半分はマンガで説明しているので、更にわかりやすい)。私は、天女伝説と浦島伝説が、丹後風土記によって、丹後を舞台に展開されていたのを初めて知った。それにしても、天女の羽衣を隠した和奈佐夫婦は酷いです。困っている天女を自宅に招待して手なづけて、酒造りをして、儲けるとさっさと天女を追い出すわけです。それを慰めたのが奈具村の人々。それで天女は奈具村に留まるわけだ。奈具遺跡が水晶の日本最大の工房だったのを、このように作り変えたのかもしれない。
2016年09月30日
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書写山のあと、世界遺産姫路城に向かう。 ここも、いろんな映画作品に使われている。最も古くて有名なのが、「007は二度死ぬ」(1967出演ショーン・コネリー、浜美枝)である。城前のこの三の丸広場(天守閣より撮影)へ、ボンドがヘリで降り立った。 「隠し剣鬼の爪」(2004山田洋次監督)では、この菱の門などで撮影した。 「大奥」(2006林徹監督)で、宴のシーンは西の丸で撮られた。実際に行くと、写真そのままの景色が現れた。 百間廊下の奥は、千姫の休憩所や奥女中たちが住んでいた所らしい。家康の孫娘千姫は豊臣秀頼に7歳で輿入れして、大阪夏の陣で死に別れする。本多忠刻と再婚。幸せな10年間を送るものの、夫と息子たちと死別、悲劇のお姫さまだった。その物語が、長い廊下を歩くごとに延々と続きます。 天守閣に登る途中にあるはの門への坂である。この道は、いろんなテレビドラマで使われている。いかにも絵になる。 天守閣より姫路の街を望む。姫路城が白鷺の城のように白い秘密は、瓦の継ぎ目まで漆喰を塗っているからである。下から見ると真っ白に見えるというわけだ。 左官技術の粋を尽くしたこの城は、何度観ても惚れ惚れする。この平成の大改修が終わった数年は特に真っ白で、見応えがあった。 さて、帰りだ。この大手門も江戸城を模してよく映画やドラマで使われているらしい。最近では、「天地明察」そしてこの前公開されたばかりの「超高速!参勤交代リターンズ」でも使われた。 夕食は名物姫路おでんを堪能しました。すりおろしショウガ醤油で食べる。いくらでも食べれる味でした。
2016年09月28日
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私の参加している映画サークルで、姫路のロケ地めぐりツアーを敢行しました。 姫路駅を出ると、目の前に世界遺産姫路城が見えます。思った以上に白くて、白漆喰で塗る事の大変さを知っている私などは、それだけでテンションが上がります。 先ずはバスで書写山円教寺に向かいます。966年に性空上人によって開かれた天台宗のお寺。「西の比叡山」として知られています。 ロープウェイで上がれば、こんな山の上へ。54万人の姫路の街が一望。姫路城は小山に隠れて見えません。遠く瀬戸内海、淡路島が見えます。 坂が多くて、相当歳を召した参加者も居て、正直少しヒヤヒヤしましたが、結局最後まで元気に歩き通されました。凄い。 苔の道が無惨に荒らされている。最初、誰かが盗んだのかと思ったけど、道行く人が、これはイノシシが荒らしたんだ、と教えてくれた。苔の下の虫などを好んで食べるそうだ。 最初のロケ地。正面は書写山食堂(じきどう)。ここでは、「駆け込み女と駆け出し男」(2015原田真人監督)のロケが全面的に行われた。 この大講堂では、駆け込み女が写経や読経をするシーンが撮影された。 食堂の中は参観者が無料で中に入れるようになっていて、「黒衣の刺客」(2015ホウ・シャオシェン監督)で太い柱を挟んで秘術を尽くして戦う印象的なシーンが撮られた。おそらくこの柱だろうと特定した。 奥の院では、トム・クルーズと渡辺謙の競演が話題を呼んだ「ラストサムライ」(2003エドワード・ズウィック監督)での雪のシーンを撮ったらしい。この映画にあった雪を被った木々が見当たらない。わざわざ植えたのだろうか。 本多家廟所は勝元(渡辺謙)の屋敷として撮影されたらしいが、とうてい人が住める家ではなかった。景色だけを借りたのだろう。 書写山は、なんてもない景色が全て絵になる。「駆け込み女」では、全面的にロケ地として使われた所以だろう。 摩尼殿では、スーチーが歩くシーンの場所を特定した。 他にも、「軍師官兵衛」「武蔵」などのNHK大河ドラマ、「源氏物語千年の謎」「天地明察」などで使われた、この山は、古い建物なのに参観者も中まで入れる所が多くて、そういう開かれた姿勢がロケ地に 何度も選ばれる所以なのだろう、と推察した。 偶然、映画のロケハン隊らしき人々が居たので、何を撮影するのか聞くと、来年秋公開の「関ヶ原」らしい。原田真人監督作品である。よほどこの山が気に入ったのだろう。
2016年09月27日
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古代の里資料館の展示物の続きです。この自治体の教育委員会が書いたのだと思う。古代がテーマにするのだから、それなりに情熱をもって開館したのだと思う。昨日行った府立の資料館には、大風呂南墳墓の青いガラスの腕輪の実物こそはなかったけど、きちんとレプリカがあったし、丹後三大古墳から出てきた貴重な埴輪の実物もあった。そういう展示物の優劣ではこちらは劣るところはあるけど、説明は熱があってよかった。ここから古墳時代前期。なんと龍神信仰は同じなのか。吉備の弥生土器の龍の絵と同じような絵画土器が出ている。海から天気が変わるとすれば、丹後で龍神信仰が起こるのはむしろ自然。しかし、同じような絵があるのにびっくりする。古墳時代中期の竹野遺跡から乳児用の石棺が出ている。こういうのは初めて見た。玄関にこんな写真パネルもあった。資料館から新明寺古墳の横顔を写す。 丹後半島を東回りに回って帰ることにした。同じ道を通りたくない、というのは私の貧乏性から来ていて、多分一生治らない。波が高くなっている。 海沿いのレストランで昼食。そこからも、名勝「松島」を写す。 定食にはハバ飯付きのを選んだ。この地方の海藻を混ぜ込んだご飯らしい。魚はキス。 なんか台風がかなり近づいて来ているらしい。早々に出る。途中の海岸線。 途中で強く雨が振り出したが、つい「舟屋」が見える道の駅に寄ってしまう。 展望台からは、雨でけぶってよく見えない。 宮津与謝「9条の会」は頑張っていました。 宮津に近づくと、ピタッと止んだ。それでお魚センターで、食事。「宮津カレー」を頼んだら、ここのは「カレー焼きそば」だった。ちょっと衝撃的。ネギと魚のフライが入っている。もともとカレーは、魚の出汁が合うのは常識なので、これでもいいのかもしれない。わりと美味しかった。単なるこの店のオリジナルなのか、どうかは不明。 兵庫まで車で戻り、加西パーキングでコンニャクと肉のぶっかけ丼を食べた。もう腹いっぱい。 この旅はこんなところかな。
2016年09月26日
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みやづ歴史の館に行く。細川ガラシャの木造が作られていた。 大河ドラマ誘致作戦があるらしい。 ここは、歴史資料館らしいのだが、企画展の時にしか開けないらしい。でも、本だけはみさせてもらった。 気になっていた、この町の自由民権運動は天橋義塾という結社が中心だったらしい。本を読むと、わりとガチガチの武士が中心人物だったようで、天皇中心の憲法案を作っていた。それでも、ここと慶應義塾と立志社が三代自由民権結社だったというのだから、自由民権運動はまだ十分な動きのないまま盛り上がり、そして潰されたということになる。さて、今日は奈具岡遺跡跡を見て、丹後の古代の里資料館に寄るのが目的。奈具岡遺跡は、いろいろ迷った。遺跡は主に「あざ名」で名ずける。しかし、ドライブ用の地図にはよくて町名、悪くて市の名前ぐらいしかついていない。よって、前日の資料館で教えてもらった不鮮明な国土院地図と見比べながら探し当てるのではあるが、目立った立て看板がない場合は、それこそカンで探し当てることになる。迷って、地域のご主人に聞いてみる。「奈具遺跡?この前の畑は古墳じゃということで、ずいぶん長い事耕すこともできんかったが、奈具いうたらこことちがうよ。たしか、ずっと先の信号のあたりだと思う。」こんな風に最初の聞き合わせで、大体の場所を教えてもらうのはまれである。感謝して、場所を勘違いしていいたことを恥じつつ、その場所に向かう。しかし、この高校の下にあったのは間違いないと確認した。この丘陵の上で、日本有数の玉造の里があったわけだ。ガラス玉やくす玉、そして製鉄までも引き受けた弥生後期の丹後の先進性が象徴が、この奈具岡遺跡である。立て看はついに見つけることができなかった。 竹野神社にたどり着く。古い神社。 可愛い絵馬。 隣には古代の里資料館。ここが思ったよりよかった。 町立博物館なのだが、非常に情熱を込めた展示解説があり、かつ、写真撮影OKなのである。よって、弥生時代に絞り関係する大量の写真をそのまま載せます。これを読むと、この2日で訪れた遺跡の概要もわかると思う。写真が多くなったので、後半は明日。
2016年09月25日
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7時、小雨が降っているけど、朝の散策に出かける。少し歩くと、カトリック宮津教会があった。 明治の洋風建築らしい。 後ろから見た方が特徴があった。大村邸あと。中級武士の住居があり、自由民権運動で天橋塾という一大運動があったそうで、その指導者が輩出したそうだ。初めて知った。調べる必要がありそうだ。 出た。城下町特有の角ばった道。 この産婦人科医(現役)も充分明治風建築である。 やはりかなり間口が狭く奥行き深い造りだ。 ちょっと坂をあがって町を撮る。 宮津町のマンホールは、小さいのも大きいのも、やはり天の橋立がテーマ。 古い町なのだが、日本海ということで、古い建物が多い。 彼岸花が咲いていた。 これは宮津藩最後の藩主本荘宗秀•宗武の墓。幕末はわりと不遇だったらしい。アーチ状の石橋が面白い。 この一角は映画の撮影にも使えそうだ。 蕪村通りには、蕪村の俳句が家々に飾られている。 この辺りから気がついたのだが、道の角々に異様にお地蔵さまが祭られている。全部綺麗に化粧して、花も添えられて、町全体で統一されている。しかも全部表情が違う。こんな地蔵堂町はない。ホテルの人に聞けば、隣り組で管理しているらしい。 城下町らしいいろんな建物をみる。 これは「味じまんたい焼き屋」の店だったらしい。 これは元カメラ屋だったらしい。宮津は歩くとかなり面白い街だった。
2016年09月24日
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今年に入って、2日続けての休みが取れなかったのですが、急遽取れることになり、かねて行きたかった丹後の弥生遺跡群に向かうことにしました(ここは交通の関係で、夜に出発というわけにはいかないので、丸々2日必要なのだ。でも、結局高知ほどには大きな収穫はなかったので、連載も4回で終わります)。舞鶴若狭自動車道の西紀(にしき)パーキングで、ちょいと休憩。「泳ぎたこ焼き」に「踊りたこ焼き」。ここは、明石焼ともまた違うこんなものを売り出している。食べませんでした。 綾部で京都縦貫自動車道に移って宮津で降りる。昼飯は手軽な道の駅みたいなところで、海鮮ものを頼んだのだけど、冷凍ものの寿司でした。残念。 そこから、天の橋立を望む。横から見るので、何が何やらわからない(一応半島の突端、つまようじみたいなものが天の橋です)。 多分、この辺りに春の頃に読んだ大風呂南遺跡があるはずだ。 京都府立丹後郷土資料館。弥生遺物の展示は、ここだけのような気がするのでとても期待していたのだが、なんか情熱の感じられないがっかりしたものだった。赤坂今井墳丘墓など、弥生時代最大級の遺跡があるのにもかかわらず、淡々としか書いていない。写真禁止なので、詳しくは述べれない。でも、ともかくここで行きたい遺跡の場所だけは教えてもらった。こういうところが、博物館のいいところなのだ。ここの資料館は、中世以降に力点があったようだ。与謝野蕪村特別展示をしていた。 この資料館は丹後国分寺跡のそばに併設されている。ここから天の橋立も見える。古代においても、この不思議な地形は、有名だったようだ。 そこから遺跡めぐりをする前に、天の橋立ワイナリーに寄る。甘いワインとケーキを買った。ここのぶどうは、牡蠣の貝殻を大量に土壌に蒔いていた。ぶどうつくりはやはりアルカリ性がいいのか。 男山を通り過ぎ、人に聞きながら、丸山墓地の道を少し上がると、大風呂南遺跡(弥生晩期)あとがあった。 鉄塔が立っていた。写真を見ると、ここから遠く天の橋立も一望出来ていたようだ。交通の要を司る王の墓だったのか。この遺跡を嚆矢として、丹後の王墓が始まる。それにしても、(台風が接近していた頃で)ちょうど雨が本降りになった。植物のツルも絡まりびしょびしょになる。 そこから竹の川流域を上る。三坂神社墳墓(弥生後期)。かなり迷う。入り口近くで、バーベキューをしていた家族に場所を聞く。「三坂神社は確かにここだけど、弥生遺跡なんて聞いたことがないわね」地域の人も知らない遺跡というのは、弥生遺跡の宿命である。登ってみると、なんのことはない、反対側から道が通っていて、ホテルや府立マスターズビレッジの施設が建っていた。この施設のために一山削ったのだろう。 説明板もあった。 ここは、山の突端。大風呂南遺跡と同じである。自分のテリトリーを見渡すところに作っている。この頃から、墓に多量の鉄器・ガラス玉が副葬される。王様が出来つつあった頃である。 そして、17号線にずれて、峰山街を抜けると、谷あいに赤坂今井墳丘墓がある。 国の指定になっていて、ちゃんと遺跡は保存されていた。 しかし、国の指定の割には他になんもない。 ここからは、眺望もよくない。テリトリーに作ったのではない。丹後の最後の大王と言われる。何かがあったのかもしれない。明日、この地域で反原発の学習会があるようだ。文字に地域の怒りがよく出ている。ここは京都だ。しかし、福井の原発銀座はすぐ隣だ。地域に何の益もないのに、不安だけが大きく膨らんでいる。 今日はここまでにして、早いけど帰る。雨がひどくなった。ホテルは楽天で銀水という和風ホテル。まあまあ。
2016年09月23日
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「ゼツメツ少年」重松清 新潮文庫 この文庫本も「文庫本のためのあとがき」がついていて「解説」はない。だから、ここに登場するエミさんもツカモトさんも、ナイフさんも、マユミという女の子も、初老の男性数人も、草野心平詩集を読んでいた中年男も、野球帽を目深にかぶった少年も、かつての重松清の小説の登場人物らしいのだが、特定してはくれない。重松清はずっと文庫本解説を拒んでいて、そういう訳知り顔の「解説」が嫌なんだろうと思うから、私も「特定」はしない。 年に一冊以上は重松清を読むことにしている。昔は九割型読んでいたが、途中で追いつかなくなって諦めた。でも、今回登場した人物たちは昔の作品が多かったので、正直嬉しかった。 そんな中に、タケシとリュウとジュンという「ワケあり登場人物たち」が新たに登場して来て、物語をセンセイと一緒に作り始める。途中で真由美という女の子も出て来て、話の筋は複雑になるけど、かえってスッキリし始めるのが不思議だった。 私のスマホで「ゼツメツ」って書くと、最初から三番目に「絶滅危惧種」が登場する。絶滅危惧種たちは、自殺しない。けれども、とんでもないところまで追い詰められているんだよ、とタケシやジュンは私に教えてくれた。「想像力が大事なんだよ」。昔、重松清を読み始めたころから云えば、追い詰められる子供たちの事情はどんどん酷くなってきた。あんなに高度な追い詰め方は、私の「昔」にはなかったと思う。 夏休みが終わる頃に、そして終わった後に、今年も、いく人かの悲しい出来事があった。その数万倍もの、追い詰められたゼツメツ少年たちが、今もテーチス海の海岸をさまよっている。私に、子供たちとの接点はない。けれども、偶然、霊園や駅前やコンビニ前で出会ったならば、絶滅危惧種には気がつくことができるように、今から想像力を鍛えておこうと思う。 2016年9月20日読了
2016年09月21日
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「ビッグイシュー294号」ゲット。 今回の表紙は経済学者の浜矩子さん。アベノミクスをアホノミクスと命名して、経済学の立場から最も鋭く安倍政権を批判している論者である。 この前の日曜日の朝、テレビの「時事放談」に珍しく浜矩子さんが出演していた。「今日はアベノミクスの"別の言い方"は、言ってはいけないことになっていますが‥」と皮肉りながら語っていたのが印象的だった。そうか、テレビではアホノミクスは「放送自粛用語」なんだ、わりと進歩的なこの番組でさえそうならば、他の番組も全部そうなんだろう。なんてつまらない放送局たちなんだろ。 創刊13周年記念インタビューで、彼女は以下のようなことを言っていた。 今アホノミクスは完全崩壊に向かっています。当初彼らは「分配」の論理は縮小均衡をもたらすばかりと言っていました。ところが、今や大嫌いだったはずのこの「分配」という言葉を使わざるを得なくなった。今回の選挙では「成長と分配の好循環」という苦し紛れの言葉を使い、ついには、その気もないのに「同一労働同一賃金」とさえ言い始めざるを得なくなっている。それだけアホノミクスは敗色濃厚だということです。 マイナス金利もダメで、ヘリコプターマネーも出来ないとなると、ついには、例えば国債の強制割り当て制度、愛国税の導入などといったとんでもないことをやり出す恐れがある。つまりは統制経済化です。 経済の自然体の力学を全部封じ込めていくと、最終的に人権を侵害する、人の自由を奪うことになっていく。 市民は地下に潜るしかない(笑)。かなりの程度、まじめに地下経済を構築していくことをせざるを得ないと思うんです。やっぱりレジスタンスは地下に潜って、そこでお互い支え合っていくような。現金も、家に金庫で持っておく。それはそれとして使う必要があれば使いつつ、しだいに物々交換をしながらお互い支え助け合うというようなこともしながら、新しい経済のシステムを作る。 (以上) ついには、「地下に潜る」という言葉さえも出てきた現代日本。もちろん実際に地下に潜るわけではないけれども、新しい戦前が始まろうとしているのかもしれない。
2016年09月20日
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9月15日号の平和新聞に、国連上級幹部として東ティモールなどでPKO部隊を率いた経験を持つ伊勢崎賢治さんの話が、空恐ろしかった。 自衛隊が11月から南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣される予定です。その時には「駆けつけ警護」など戦争法に基づく新任務が付与されるとみられている。 「これをこのままにしておけば、いずれ自衛隊に殉職者が出るでしょう。どこの国の政府であろうと、自国の兵士の死は必ず政治利用します。それで世論がいっきに動いて9条が変えられるのだけは許すわけにはいきません。 (略)しかし、ただ自衛隊を撤退させるだけで、日本が南スーダンの人々を見放したと受け止められてはなりません。それは人道的に許されません。だから、自衛隊を引く代わりに、別の貢献の方法を考えなければなりません。そもそも軍事部門は、PKOの一つでしかありません。規模的には1番小さいが、1番権限を持っているのが行政部門です。軍事監視団も非常に重要な部署です。非武装の軍人が紛争当事者の懐に入っていって信頼醸成をするのです。もう一つが文民警察です。(略)」 何がなんでも、自衛隊員を「殉職」させて、その頃が来年か再来年かはわからないが、いっきに国民投票に持ってゆく、そんな安倍の目論見が目に見えるようだ。 許してはならない。 平和新聞県内版が出来ました。合わせて紹介します。 さて、明日より2日ほど、天の橋立辺りに旅して来ます。当然遺跡めぐりです。しばらく休みます。
2016年09月17日
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今月の映画評はまじめな人は顔をしかめるような作品。でも、映画は観なくちゃわからない。「マッドマックス 怒りのデス・ロード」砂漠の中を往って帰るだけの物語です。出て来るのは、異様な風体の人間たちばかり。全編ほとんどCGなしのアクション。そんな単純な話なのに、この作品は、今年のアカデミー賞最多6部門を制し、キネマ旬報外国映画賞一位を獲得し、私の昨年度マイベストテンで唯一のハリウッド作品として入りました。満を持しての紹介です。何が良かったか。一つは徹底したアクションです。「マッドマックスと言えば、メル・ギブソンじゃろ」という往年のファンもいるかもしれませんが、今回はトム・ハーディが演じています。何しろ、ジョージ・ミラー監督が30年ぶりに再開した新作の第4作目なのです。私は前作を観ていませんが、直ぐに世界観はわかります。いわゆる「北斗の拳」の世界。核兵器か何かで資源は枯渇し、恐怖と暴力で民衆を支配する独裁者がいます。そのジョーの軍団に捕えられたマックスは、ジョーに囚われた女たち「子産み女」を率いて反逆を企てるフュリオサ(シャーリーズ・セロン)らと共に自由への逃走を開始します。ホントに死人は出なかったのか?と思うくらいの凄い迫力の車の暴走が続きます。この映画を観るに当たってお願いがあります。暗い部屋で、大音響で、出来たら音響設備が整った処で観て欲しいのです。ホントは映画館で観て欲しいタイプの作品です。もう一つ良かった処。それは見終わったあとに「あゝこれは神話の英雄誕生譚だったのだ」と気がつく構造になっているところです。前半部で「弾は死の種だ」という台詞があります。その暴力から逃れ、辿りついたはずの「緑の地」は放射能汚染で泥土に変わっていました。その地で得た汚染されていない食物の種が、やがて「希望の種」になるのではないかと思わせるラスト。9割がエンタメアクションなのですが、その1割があるのために、格調ある作品になっていました。今回シャーリーズ・セロンはスキンヘッドで片腕で、血と泥にまみれています。それなのに、やっぱり美しくかっこいいのです。「これはマックスが主人公じゃない。マッド・フュリオサだ」という感想が、あちこちで聞こえました。長いセロンファンの私としては、大満足の一作でした。(2015年米国作品、レンタル可能)
2016年09月16日
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「死神の浮力」伊坂幸太郎 文春文庫 あの時の父はこう言った。「じゃあ、俺が先に行って、怖いかどうか見てこよう」(489p) 私の父親は、そんな優しいことは言ってくれなかった。ある日見舞いに行くと、「死んでいくとはこういうことなんだな。やっとわかったよ」と悟ったようなことを言っていたかと思えば、ある日行くと「痛い、怖い、怖い、痛い。そばにいておくれ」と泣きつき、ある日行くと「ありがとう」と生涯言ったこともないような殊勝なことを言っていた。ある日行くと昏睡状態に入っていて、二度と目を覚まさなかった。 伊坂幸太郎の死神千葉シリーズは先が見えない。先が見えないからこそ、死は怖く、いつの時代も人間にとっては最大の難問になっている。 でも、この本を読んで私は「はっ」と思った。父はあの三ヶ月間で、行って帰ってきてくれていたんだ、と。
2016年09月14日
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「イーハトーヴ探偵 賢治の推理手帳1」鏑木蓮 光文社文庫 推理小説はふたつの効用がある。一つは、頭の体操のクイズ雑誌が根強く売れるように、娯楽として大きな需要があるので利益が見込めるということだ。一つは、犯人を特定するためにはその周りの風俗・社会状況を詳しく描かなければならないから、対象の周りに興味のある読者ならば格好の解説書になるということだ。 世の中に宮澤賢治ファンは多い。かくいう私も、もう既に45年来のファンである。岡山の地から既に二回も賢治を慕って花巻を旅したし、一回は偶然、賢治の旧居前で弟の宮澤清六さんと言葉を交わしたことさえある。 だからこそ、こういう小説には惹かれてしまうと同時に、悪態をつかざるを得ない。 時代はまだ賢治が農学校の教師をしていた頃であり、素封家の家の恩恵を受けながらも嫌っていた時である。友人の藤原嘉藤治をワトソンにして、ホームズのように推理をする。私も泊まったことのある大沢温泉の混浴川風呂から見えた河童の話を見事に推理してゆく。いろんな細かい描写が、あゝ大正11年の花巻はこうだったに違いないと思わせてくれて、嬉しくなる。賢治と父親との微妙な関係にも異論はない。しかし、やはりどうしても賢治が殺人事件に首を突っ込むような、こんな大変なことに二度も三度も入ってゆくのが違和感あってたまらない。いくら、そこから派生した詩や短歌が、それとなく提出されようとも、賢治の作品にこれらの事件が大きく影響されなかったはずはないからだ。事件はフィクションだよと、言われようとも、賢治ファンとしては、作品を穢されたようで、やはり我慢出来ないのである。 そういう意味では、殺人事件にもならない第一章と四章、特に一章は、良くで来ていたと思う。ただ、正直続編は読みたくはない。
2016年09月13日
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9月12日。季節は十二節気で白露に移っており、72候では、この日から「鶺鴒(セキレイ)鳴く」になる。残暑はまだあるが、朝晩には白い露が実を結ぶのがこの気らしい。実際、朝晩はすっかり過ごし易くなった。この夏の酷暑に戻ることはもうあり得ないとホッとしてところである。 この8年間は、家がある程度は風が通ることもあって、ずっとクーラーを一切使わないで過ごしてきた。でも今年の夏は、お盆をすぎても熱帯夜が続いた。何度も心が折れそうになった。今更昔ながらのクーラーは使えないということと、「意地」があって、クーラーを使わずに乗り切った。オトコ独り家なので、家を開け放して寝ても怖くないということもある(高額な品物も現金もない)。しかし、だんだんと耐え難くなってきた。日本列島この数年間で確実に熱帯化している。間違いない。ともかく、今年は乗り切った。来年は乗り切れるだろうか。(ちなみに、8年間クルマもクーラーと暖房は使わずに乗り切ってきています) そんなこんなの「白露」である。そして「鶺鴒鳴」。写真のセキレイは黄色かかっているが、これはなかなかお目にかかれない。私がいつも目にするのは、ハクセキレイだ。白と黒とのコントラストが特徴的だ。ただし、尾っぽを上下に振る仕草は、同じ。その特徴からイシタタキの異名も持っているらしい。もっと興味深い異名は、オシエドリである。「日本書紀」にイザナギとイザナミが、この動きから、いわゆる「性交」のやり方を学んだというくだりがあるらしい。それはつまり、一般的にもそういう風に、1400年前から人々はやり方を教えあいしていたということを示しているだろう。いわば、セキレイは数少ない「生きている古代遺物」なのである。
2016年09月12日
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「DAYSJAPAN9月号」 表紙の写真は、撮影森住卓さん。沖縄高江の安次嶺さん一家。2008年7月25日。今年6月、父は、オスプレイの騒音から子どもと妻を守るため、高江から避難させた。 特集は「沖縄 平和に生きる権利」である。 高江村は、人口160人ほどの小さな集落である。やんばる(山原)と呼ばれる北部特有の亜熱帯の森に囲まれたそこは、生き物の楽園であり、人々は自然との繋がりによって生きている。この森と営みがいま、米軍と日本政府によって壊され始めている。上空をオスプレイが飛び、その騒音は人々の生活を脅かし、生き物は自然のサイクルを失いつつある。 亜熱帯の森と日本人が共生する場所は、もう沖縄にしかない。それを米軍の論理と、それに追随する恥ずかしながらも日本国の論理で強制的に排除するのは、それはいったいどういう権利なのだろうか。 沖縄は、何度も何度も何度も、住民の意思を示した。つまり、個人と共同体の対立ではない。住民の共同体を国が押しつぶす。それはいったいどういう論理なのだろう。9年間の座り込みは、普通の意思ではできることではない。市民をゴボウ抜きに排除する機動隊員は、リゾートホテルに国から何百億と予算をもらってこの数ヶ月常駐している。機動隊員の後ろで、理不尽な状況に涙を流す市民の写真は、この矛盾を表しているだろう。 沖縄は日本の矛盾の集約点だ。と、昔沖縄に行った時に思った。この10年で、沖縄の状況は2~3段階悪くなり、沖縄は日本そして米国の「本物の戦争の」最前線基地に変貌しようとしている。戦時に住民が弾圧されるのは、歴史の教訓である。日本人は、沖縄に行くべきだ。そして、実態をみるべきだと思う。
2016年09月11日
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藤田嗣治展を見るために、兵庫県立美術館に向かったわけですが、その間に撮った写真をいくつか載せたいと思う。朝六時半起床。右手に明石海峡。晴天である。なぜか三ノ宮駅で、阪神電車に乗り換えができずに阪急に行ってしまう。三ノ宮駅には阪神の行先掲示がなかったので、阪急もおかしいなあとは思いながら、阪神も同じか、と思ってそっちに向かったのである。よその県の認識とはそのぐらいなものなんです。もっとわかりやすい掲示してください。三ノ宮駅。阪神電鉄の岩屋駅で降りると、そこから美術館ロードが通っているので、迷うことはありえない。こんなわけのわからない「美術品」もある。いろんな角度から見たのだけど、何を表しているのか、最後までわからなかった。兵庫県立美術館。安藤忠信設計。前回はしっかり見なかったので、今回しっかり見ようと思う。建物の中で迷わせようという気が満々。さて、裏の海に回ると、ヤノベケンジの「美術品」が堂々と展示されていた。『SUNSISTER』というらしい。昨年阪神大震災20周年を記念して作られたらしい。その他、写真撮り放題のこんなどなたかの作品もあった。藤田嗣治展では入り口に嗣治になりきろうという企画もあった。ちょび髭も服もおいてあった。嗣治展を見たあとに遅い昼食。県立美術館周辺ではチケットを見せると割引してくれる店が多数ある。この「さくら」ではランチが50円引き。淡路島の天然鯛の塩焼き。身は少なかったけど、800円で食べれたので良しとする。そこからちょっとした古代遺跡を見にぶらぶらしていると、岩屋駅の少し東にある岩屋公園にこんな記念碑があった。阪神大震災10周年記念碑らしい。岩屋の町は死亡60余名。家屋400軒全壊。町全体が半壊。しかし、10年を経て約9割が復興したために記念碑を建てたらしい。そういえば、この公園の周りの家々には細い路地があるところがあったのだけど、みんな新築の家だったのでおかしいなあとは思っていた。神戸だからかなあ、と思ったのであるが、みんな全壊か半壊していたのだ。この周りの人々は、ほんと苦労してきたのだ、と思った。西灘駅から道路を隔てた東側にこの西求女塚古墳がある。ふたつの説明書きを載せたのは、「灘百選」と書いた方の看板が新しいと思うのだが、築造時期が変わっているのである。最近できたのは3世紀後半とあり、その前までは4世紀前半とある。この間、古墳時代の始まりが50年間早まったとのが反映されている。どちらにせよ、早い時期の古墳、しかも前方後方墳で、貴重である。帰りの電車では、台風が近づいていて変な雲が出ていた。
2016年09月10日
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兵庫県立美術館の藤田嗣治展にいってきました。映画で知った藤田の「白」も、戦争画の傑作と言われる「アッツ島玉砕」も、初めて観ました。一言で感想を言えば、藤田嗣治は「努力の人」であり、洋画と日本絵画からいい処を採って藤田嗣治の絵を開拓した才能ある日本人であり、迷走を繰り返した凡人であった、ということになるでしょうか。ちょっと観ると、加藤周一は藤田嗣治をかなり褒めていたようですが、私は何処かに書いている文章を観ていないので、以下に述べるのはかなり的外れがあると思います。しかし、自分の感性を大事にして書きます。絵は図録よりコピーする。当然画質も色も悪い。今回生涯の作品を俯瞰して観た。それでわかったことがいくつもある。1910年。23歳の自画像。東京美術学校の卒業制作らしい。絵は上手いが、平凡。席次は16/30だったらしい。さもありなん。それは藤田嗣治自身が嫌というほどわかっていたのか、親のスネを囓って自費で渡仏する。彼は焦っていたと思う。フランスで、吸収出来るものは何でも吸収した。先ずはピカソのキュビスムを真似る。「トランプ占いの女」(1914)。そして、モリディアーニやスーチンらと交遊を持ち、その影響が見られる。「風景」(1918),不安でノスタルジーある絵。この頃から、藤田嗣治はサインに「日本藤田」などと書いていた。やがて日本が抜けて藤田から嗣治になる。サインに漢字の名前を書くのは、藤田嗣治ぐらいなものなのではないか。そこには、日本人であることを利用した作品宣伝戦略があるのと同時に、西洋風絵画に学びながらも、日本に対する想い忘れない藤田嗣治の二律背反性格もあるように感じる。「タピスリーの裸婦」(1923)やがて藤田は「藤田の白」を作り上げる。一躍パリ画壇の寵児となり、彼のサインは常に「パリ 嗣治」と書かれるようになる。改めて本物の白を観る。あるときは、ほとんど陶器に近く、あるときはホントに色白い女性の肌の色になる。藤田嗣治は言う。「裸婦を描くに際して 、ルーベンスは脂肪を、ルノワールは血を、ピカソは人間の構造を描いた。だから自分は、まだ誰も描いていない『肌』を描こうと思った」。まるで、そこに肌があるかのような微かな色の重ね方。日本絵画の技法と美意識を西洋絵画に持ってきたのは、藤田嗣治の発明だろう。そして、その色を引き立てるために、一本の墨線で、表現する。決して抽象画ではなく、極めて写実性を持つ。爪の形まで、疎かにはしない。なおかつ、その背景の緻密な絵!線を大切にし、細部にこだわるのは日本の伝統てある。裸婦像は、西洋絵画の伝統てある。此処に、藤田嗣治の世界標準は出来上がった。戦争はやってきた。しかし、藤田嗣治が日本に帰る絶対必要性はなかった。それでも帰ったのは、やはり藤田嗣治の日本への愛憎だろう。その後の裸婦像は、いくつかは「書きなぐり「という表現がピッタリのもあった。藤田嗣治は日本に戻ってくる。本気でもどって、戦争画を書き始めたのは、1943年という。「アッツ島の玉砕」も観た。その直前に「猫」という作品もある。これはやはり間接直接に戦争に相対した藤田の世界観という気がする。ほとんど化け猫である。「アッツ島玉砕」は、下手をすれば戦争批判とも捉えかねない絵である。ところが、世間の反応は違った。初めて観た、息子たちの戦場に、かえって親たちは奮起したのだと言う。藤田嗣治は初めて日本に受け入れられたと思っただろう。彼の絵は自由になる。彼は描きたいものを描いたのだ。「サイパン島同胞忠節を全うす」(1945)は、民間人自決を描いている。反戦絵画にみられてもおかしくはない。これらをほとんど藤田嗣治は想像で描いた。しかし今から見ても真実がある。ここには、藤田の白も線もないが、藤田の技術と努力が変わらずあっただろう。しかし、藤田嗣治は変わらなかったが、戦後日本は変わった。石もて追われるように、藤田嗣治はフランスに「帰る」。そこで藤田は80歳でなくなるまでに次第とキリスト信者になってゆくだろう。藤田嗣治の白と線は復活し、やがてはそれもどうでも良くなって、宗教絵画になってゆく。思うに、藤田嗣治とは、日本から離れて具現化する典型的な日本人だった。
2016年09月09日
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8月に観た映画の後半である。「シン・ゴジラ」については、長文を書きました。ご笑覧ください。「シン・ゴジラ」二回目二回目を鑑賞。二回目を観るのは「レヴェナント」に続いて二回目。今回は冷静に観たし、まるきり退屈しなかったし、今年の誰にでも訴える最大訴求作品であることは間違いない、との感触も得た。「わたしは好きにした、君らも好きにしろ」宮澤賢治の「春と修羅」初版本と一緒にそのメッセージを遺して、ゴジラの生みの親らしき牧教授は姿を消している(続編に出てくることはない。なぜならば写真では亡き岡本喜八監督になっていたから)。このやり方は、正に平成の感覚そのものだ。今の若者にとって、戦争は既に歴史的事項であって、震災はテレビの中でのみ体験する。しかし、そのおかげで世界を熱血正義感溢れる大人よりも冷静に見ることもできる。彼らは今までのゴジラ映画にありがちな、ヒーロー待望のご都合映画も排除する。ゴジラ味方論も排除するだろう。しかし、気になるのは、やはり牧教授はあまりにも科学者として無責任なのではないか、ということだ。それはつまり脚本を書いた庵野秀明の無責任さになるのである。確かにたまたまゴジラの撃退は成功した。牧教授の本心が本当に「(妻を殺した)核被爆の悲劇を繰り返させない」というものにあったとしたら、このやり方は、心底やってはいけない(実際にかなりの悲劇もあったはず)ことのはずだ。それに、ゴジラの本当の恐ろしさは、ゴジラ細胞の万能さにあるはずだ。水と空気さえあれば、人間の持つ元素の数十倍で増殖するとなると、これからはゴジラ細胞の管理は核兵器並になることは目に見えている。東京駅の前で凍結したまま、無防備で「展示」していてはいけないはずだ。そういう脚本を書いてしまった、庵野秀明は、いわゆる「パンドラの箱」を開けてしまったのである。東宝社長は既に続編に大変意欲的と聞いているが、庵野秀明は社会人の良識として決してそれを許してはならない。つまり、自分は二度と監督をしてはいけないし、「シン・ゴジラ」の原作権を放棄してはならない。今回の「伝説的な」ゴジラヒットを名誉に、永遠に「シン・ゴジラ」を「凍結」するべきだ。 「ヤシオリ作戦はもともと奇跡的な作戦なのだから、日米同盟における核攻撃が最も現実的な作戦だったし、今回の映画は日米安保における防衛の在り方を見事にシミレーションした傑作だ」というバカな批評を目にした。ゴジラという虚構にに対してヤシオリ作戦という「理想」を対置した点が、この映画のエンタメとしての結節点で、それを無視する批評はバカ以外の何物でもない。ゴジラは虚構なのだから、最悪の兵器である核兵器を投入したら、それこそもっとひどい悲劇が起きる(たとえば、ゴジラの防衛本能がゴジラの無数の卵としてばらまかれる)というのが、「虚構のセオリー」というものだろう。最初のゴジラが食べたという放射性廃棄物は、「各国の」ということになっていたし、なんと60年前(1956年⁈)という設定になっていた。その頃の原発大国は米国か?フランスか?前の批評で、わたしは「最終的には日米安保の枠を超えて、日本が新たな安全保障政策に舵を切ったこ」と評価した。それは若干勇み足だったことを謝りたい。もちろん、この作品は今までのゴジラ映画にあった日米軍事同盟をなんの疑問も持たずに共同歩調を取るモノとは明確に一線を画しているのは明らかである。アメリカはゴジラ細胞を日本よりも先に圧力をかけて全て回収して秘密保護化を画策したり、「日本はいつまでもかの国の属国扱いだ」という呟きを政府高官に言わせたり、首相に「いつも無茶を言ってくるねえ」と嘆かせたりしている。しかし、ゴジラ防衛は、2プラス2で、従来通りに進むし、日米安保解消の方向に向かっている描写はなかった。ただし、アメリカや中露の東京核兵器攻撃論に対して、全方位外交と特にフランス外交を駆使して、ヤシオリ作戦のために24時間実施を遅らせたのは、軍事同盟に逆らった、明らかな「違う道への選択」であったし、ゴジラ細胞情報の世界への情報提供に踏み切ったのは、アメリカへの大きな反逆だろう。そこには、日米安保関係への庵野秀明の「無邪気な」反発があるのは確かだ。「(責任とっていま政治家を)辞めるわけにはいかない」という最後の矢口の呟きではないが、これからの日本の外交力が最も重要なのは確かである。絶賛ばかりが聞こえる中でこの作品に対する唯一の批判的な批評として杉田俊介のツイートがある。しかも炎上袋叩きにあっているので、覗くと「『シン・ゴジラ』は、ニュータイプの国策映画の時代のはじまりを告げる記念碑的な作品」と述べ、「自分たちの性格や体質や組織をどう改善するのか、どうすればましになれるのか、という痛みのある考察や苦闘の痕跡がなく、意識改革さえすれば元々ポテンシャルはある、「この国はまだまだやれる」「この国は立ち直れる」という日本人=日本国家への信頼と鼓舞ばかりが語られ、不気味だった。」と政治家や官僚・自衛隊ばかりに夢を託し、民衆的な視点がないのを批判している。それに対しては、「巨災対のメンバーはもともとはみだしやろう集団だった」「監督の描いたのは日本で1番長い日であって、その視点はもともとない」というまともな批判がツイートされている。私も杉田氏の批判は的外れだと思う。ただ、あまり無い物ねだりをしてはいけないが、この作品を「神だ」と持ち上げすぎると、先に書いたような「無責任性」もあることから、変な方向に行くことは十分考えられるので、評価はほどほどにするべきかな、という気は、わたしもして来たところである。ゴジラを倒すのに、軍事力だけでなく、鉄道を使ったり、タンクローリーを使ったりする、軍民一体の斬新な作戦は、しかし十二分に評価して良い。まさにこれが「理想的な」日本の専守防衛だということを見せてくれた。こんな倒し方は、今までのゴジラ映画には一切なかった。また、明らかに原発事故等の想定外の巨大災害に対する、日本人の在り方に想いを致すエンタメ作品として、稀有の映画になったことを大きく評価したい。庵野秀明は、エヴァQのあとにやはり行き詰まったことを映画公開時に告白していた。エヴァは確かに「虚構」に呑み込まれていたのである。今回、見事に「現実」は「虚構」と相対した。それはやはりゴジラだから、だ。ゴジラの歴史が、そして震災という現実の出来事が、庵野秀明をして、ちゃんと現実に向き合わせたのだ。庵野秀明をも変えた、今回のゴジラはやはり凄い映画なのだと、わたしは大いに、しかしあまりすぎる事なく評価したい。2016年8月14日TOHOシネマズ岡南★★★★☆「シング・ストリート 未来へのうた」監督の前二作を知らないので、この監督の文法が分からずに、しかもイギリス音楽に疎いので、彼らの作る80年代音楽に現代はどういう位置付けを与えているのかもわからないので、ずっと戸惑っていた。まあ、80年代の青春映画ってこんなもんだろう。私は彼らよりも10歳ほど歳上の地球の反対側に居た男だけど、命を削られるような深刻なことはまあ起こらないだろうと想像出来る。ならば、この初恋を応援すれば言い訳だ。やっぱり、音楽映画は私には似合わない。(解説 )「はじまりのうた」のジョン・カーニー監督による1980年代のダブリンが舞台の半自伝的青春音楽映画。14歳のコナーは街で見かけて一目惚れしたラフィナに、自分のバンドのPVに出ないかと口走ってしまう。彼は慌ててバンドを組み、猛特訓を開始する。コナー役は映画初出演のフェルディア・ウォルシュ=ピーロ。他に、「シャドー・ダンサー」のエイダン・ギレン、「ナッシング・パーソナル」のマリア・ドイル・ケネディ、「トランスフォーマー ロストエイジ」のジャック・レイナー、「ミス・ポター」のルーシー・ボイントンが出演。主題歌はマルーン5のアダム・レヴィーン。(あらすじ )1985年、ダブリン。折しもの大不況により父親が失業し、14歳のコナー(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)は荒れた公立校に転校させられる。家では両親のけんかが絶えず、音楽狂いの兄と一緒に、隣国ロンドンのMVをテレビで見ている時だけが幸せだった。ある日、街でラフィナ(ルーシー・ボイントン)を見かけたコナーはその大人びた美しさに一目で心を打ちぬかれ、「僕のバンドのPVに出ない?」と口走ってしまう。コナーは慌ててバンドを組み、無謀にもロンドンの音楽シーンを驚愕させるPVを製作すると決意する。2016年8月21日シネマ・クレール★★★「君の名は。」新海誠の長編アニメを初めて観る。自然描写に特徴があると聞いていたが、それよりも印象に残ったのは、最初から主題歌を一曲オープニングアニメと一緒に見せて、なおかつ途中も一つの音楽グループの楽曲を作品の中の大きな要素として使うなど、内容のすれ違い物語(ネタバレになるのでこういう曖昧な言い方しか出来ない)と相待って、昔タイプの「極めてオーソドックスなドラマ」を観た気分になった。悪い意味ではない。これがもし現代では新しく感じるのだとすれば、若者の感覚は、そんなに悪い方向に行っているようには思えない、という意味で、王道のラブストーリーだった。かなりヒットしている。こういう伏線回収物語は、伊坂幸太郎もそうだが、今の若者に受けるのかもしれない。■ あらすじ1,000年に1度のすい星来訪が、1か月後に迫る日本。山々に囲まれた田舎町に住む女子高生の三葉は、町長である父の選挙運動や、家系の神社の風習などに鬱屈(うっくつ)していた。それゆえに都会への憧れを強く持っていたが、ある日彼女は自分が都会に暮らしている少年になった夢を見る。夢では東京での生活を楽しみながらも、その不思議な感覚に困惑する三葉。一方、東京在住の男子高校生・瀧も自分が田舎町に生活する少女になった夢を見る。やがて、その奇妙な夢を通じて彼らは引き合うようになっていくが……。■ 解説『星を追う子ども』『言の葉の庭』などの新海誠が監督と脚本を務めたアニメーション。見知らぬ者同士であった田舎町で生活している少女と東京に住む少年が、奇妙な夢を通じて導かれていく姿を追う。キャラクターデザインに『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』シリーズなどの田中将賀、作画監督に『もののけ姫』などの安藤雅司、ボイスキャストに『バクマン。』などの神木隆之介、『舞妓はレディ』などの上白石萌音が名を連ねる。ファンタスティックでスケール感に満ちあふれた物語や、緻密で繊細なビジュアルにも圧倒される。■ キャスト(声の出演)、神木隆之介、上白石萌音、成田凌、悠木碧、島崎信長、石川界人、谷花音、長澤まさみ、市原悦子■ スタッフ原作・脚本・監督: 新海誠作画監督: 安藤雅司キャラクターデザイン: 田中将賀音楽: RADWIMPS2016年8月28日Movix倉敷★★★★
2016年09月07日
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8月に観た作品は夏バテで疲れたのか、たった6作品でした。二回に分けて紹介します。「ファインディング・ドリー」ピクサーの写実とアニメを合成させる技術は、改めて凄いとは思ったのである。が、そもそも海洋の世界に「ドキドキ」を感じない私には、猫に小判。■ あらすじカクレクマノミのニモの大親友であるナンヨウハギのドリーは、すぐに何でも忘れてしまう。ある日、子供のころの思い出がよみがえり、一念発起して家族を捜す旅に出ることを決意する。おっちょこちょいなドリーを心配したニモは、父親マーリンを説得してドリーの旅に同行する。■ 解説愛くるしいカクレクマノミのキャラクターたちが活躍するアニメ『ファインディング・ニモ』の続編。前作にも登場したちょっぴりドジな愛されキャラ、忘れん坊のドリーに焦点を絞って、彼女の家族捜しの旅に同行する親友ニモと仲間たちの大冒険を映し出す。『ファインディング・ニモ』『ウォーリー』で2度アカデミー賞長編アニメ映画賞に輝いたアンドリュー・スタントンが、本作も監督を担当。新しい仲間たちも加わった心躍る旅路に、大人も子供も引き込まれる。2016年8月1日Movix倉敷★★★『X-MEN アポカリプス』鳴り物入で登場した最強のミュータントのくせに、簡単に倒れてちゃんちゃん。お約束とはいえ、やはり子供だまし映画と言わざるを得ない。当初の重厚な雰囲気からいえば、何時の間にかミスティークが「英雄」になっていたりなんだかな〜と思う。終わってくれて良かった。■ あらすじ1983年。文明が誕生する前から神として君臨していた、ミュータントの始祖でもあるアポカリプス(オスカー・アイザック)が、突如として長い眠りから覚醒する。数千年ぶりに目にした人間とその文明が、誤った方向に進んでしまったと考えた彼は新しい秩序が必要だと判断。マグニートー(マイケル・ファスベンダー)など、4人のミュータントを率いる。彼の存在と考えを知ったプロフェッサーX(ジェームズ・マカヴォイ)は、ミスティーク(ジェニファー・ローレンス)らと共にその行動の阻止に挑むが……。■ 解説ヒットシリーズ『X-MEN』の第6弾にして完結編。数千年の眠りから目覚めて人類に新しい秩序をもたらそうとするミュータントのアポカリプスに、プロフェッサーXらX-MENが立ち向かっていく。監督は、シリーズ第1作、第2作、第5作も手掛けたブライアン・シンガー。『フィルス』などのジェームズ・マカヴォイを筆頭に、マイケル・ファスベンダー、ジェニファー・ローレンス、オスカー・アイザックと実力派スターが結集する。VFXを駆使した壮絶なバトル描写の数々に加えて、X-MEN結成をめぐるエピソードにも注目。■ キャストジェームズ・マカヴォイ、マイケル・ファスベンダー、ジェニファー・ローレンス、オスカー・アイザック、ニコラス・ホルト、ローズ・バーン、タイ・シェリダン、ソフィー・ターナー、オリヴィア・マン、ルーカス・ティル、コディ・スミット=マクフィー、アレクサンドラ・シップ、エヴァン・ピータース、ベン・ハーディ、ジョシュ・ヘルマン、ラナ・コンドール■ スタッフ監督・ストーリー・製作: ブライアン・シンガー脚本・ストーリー・製作: サイモン・キンバーグ2016年8月11日Movix倉敷★★★え「ターザン REBORN」1890年の話なので、悪役の国もドイツ帝国ではなくてベルギー王国などが登場する。クリストフ・ヴァルツなどが出てくるとちょっと勘違いしそうだが、久しぶりのSLジャクソンが、南北戦争からメキシコ内乱への介入などの黒歴史を語るところで、この作品のアフリカ分割が済んでない時代での、原住民奴隷化への強い批判精神がわかる。それと、ターザンがほとんど超能力者ばりな万能感を出して、少し引いてしまうが、それはエンタメのお約束として、明るく見るべきなのかもしれない。■ あらすじ生後間もなく国の反乱が原因で、コンゴのジャングルで動物たちに育てられた英国貴族ターザン(アレキサンダー・スカルスガルド)は、美しい妻ジェーン(マーゴット・ロビー)とロンドンで生活していた。ある日、政府の命令で故郷へ戻るがそれは巧妙なわなで、ジャングルを侵略された上に、妻がさらわれてしまう。愛する妻と故郷を取り戻すべく、ターザンは内なる野性を呼び覚まして戦うことを決意する。■ 解説映画やアニメなどで度々映像化されてきた冒険小説を、『ハリー・ポッター』シリーズなどのデヴィッド・イェーツ監督が新たに生まれ変わらせた活劇。ジャングル育ちの英国貴族ターザンが、愛する妻と故郷のために過酷な試練に立ち向かう。主人公ターザンを、堂々たる肉体美を誇るアレキサンダー・スカルスガルドが熱演。妻ジェーンに『フォーカス』などのマーゴット・ロビーがふんするほか、サミュエル・L・ジャクソン、クリストフ・ヴァルツが脇を固める。■ キャストアレキサンダー・スカルスガルド、サミュエル・L・ジャクソン、マーゴット・ロビー、ジャイモン・フンスー、ジム・ブロードベント、クリストフ・ヴァルツ■ スタッフ監督・製作総指揮: デヴィッド・イェーツ2016年8月13日Movix倉敷★★★★
2016年09月06日
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いったんホテルに帰り、チェックアウトして高知駅のコインロッカーに荷物を置きに行く。すると、駅前に巨大な三志士の像が見えて来た。NHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせて作ったらしい。龍馬と中岡慎太郎と武市半平太である。山内容堂公は、これを見たならば言うだろう。 「維新の回天に労があったのは、龍馬は別として、こいつらよりも、私の方がよっぽど力を貸したはずだ‼」 しかし、容堂公は人気がないのである。 「龍馬伝」幕末志士社中という建物が駅前に出来ていた。博物館フェチとしては、(500円で若干高かったが)入らざるを得ない。 「龍馬伝」に使った龍馬の家のセットがそのまま展示されていた。高知市が買い取ったらしい。写真取り放題なのがいい処。そんなにすごいとは思わないのだが、説明ボランティアのおばちゃんが居たので、いろいろ質問出来たのが良かった。龍馬の家は、わりと金持ちの武士の家だったらしく、中に小川を引き込んで水洗いなどをしていたらしい。この縁側で、観てないけど大河ドラマの中では、竜馬たちが仲良く話していたらしい。 家は間取りが残っていたわけではないので、正確ではない。文献などから想像し、他の武家の家を参考にしながら作ったらしい。これは台所。台所からは、上げ下ろしの出来る階段がしつらえていた可能性がある。その上の部屋に龍馬が居ただろう。これは二階に上がった写真ではなくて、別に竜馬の部屋が作られてていた。 「今さっき、高知市内を歩いて来たのですが、ホントに昔の古い家がないですね」 「大空襲で一面焼け野原になって、家どころか文献もあまり残ってないのよ」 「道路は昔と比べてどうだったんですか」 「電車通りは、都市整備で道路を広げたけど、あとは昔のままだと思うわよ」 「普通城下町というのは、防備のためにかなり入り組んでいると思うのですが、はりまや町などは、なんか碁盤の目みたいだったんですが」 「そうかもしれない。山内の殿様が城下町を作る時に、馬の速駆けをしたいというので、県庁前の通りはなどは真っ直ぐに作ったみたいよ」 そうなんだ。とりあえず、道だけは、江戸時代を偲びながら歩けばいいということがわかった。駅前から路面電車で、この旅で1番行きたかった博物館、自由民権記念館に向かう。ここで8冊ほど本を買った。以降、もう少し本を読み込んで記事を書きたいので、レポートを暫く休みます。
2016年09月05日
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山田町から300mほど南に行った菜園場町に横堀公園がある。その花壇のひとつにこういうのがあった。武市半平太の田舎にある生家を、市民が再現したものらしい。武市半平太は、維新の中で、言うなれば旧守派として罰された派閥の党首に過ぎない。しかし、何故か現代において非常に人気があることが、こんなものからでも伺えるのである。 安政1(1854)年叔父島村寿之助と槍剣道場を開きました。その後一時江戸に出て帰郷後、道場の経営に力を入れ、藩からご褒美をいただきました。 長州などの尊攘運動が激化する中、万延元(1860)年藩から剣術修行の許可を得て北九州の諸藩を巡歴しました。 やがて、修業のため再び江戸に出て、大石弥太郎から尊攘運動の全国情勢を聞き、また木戸孝允、久坂玄瑞らと交流し刺激を受け、大石、島村衛吉、池内蔵太らと土佐勤王党を結成することを決め帰国し、200人余りの同志を集めました。(「土佐の歴史散歩」より)武市瑞山道場跡記念碑ただ、最近「幕末下級武士の絵日記」なる本を読んで知ったのであるが、忍藩(埼玉県上田市)という一つの地方の藩の武士でさえ、様々な若者がおそらく十数人規模で尊皇攘夷運動に影響を受け、政論を書いて蟄居させられるまで「流行」していたのである。驚きを禁じ得ない。その広がりは、例えば朝鮮拉致問題で急進的な政治団体と一部政治家が結びついている状態といえばいいのか。そして、それを支持する広範な国民がいるという状態。そういう時に日本人はどのように動いてゆくのか。拉致問題は少し問題が限定されすぎているかもしれないが、日本人が国論を二分するような運動に直面した時に、どのような態度を取り、どう動くべきなのか。尊皇攘夷運動VS開国運動もそうなのだが、自由民権運動VS明治政府の問題からも、観ることができるような気がするる。それは、私たちがこれからの改憲問題に直面するときに貴重なヒントを、この高知の土地からもらうような気がするのである。 菜園場町商店街を通り過ぎて、文化プラザカルポート前に運河が通っていて、運河公園に沿って、あるモニュメントがあった。高知でずっと行われている「マンガ甲子園」の第一回から24回までの最優秀賞を展示していたのである。私の琴線にひっかかったものだけを紹介する。どうやら、高校生らしく、あまりひねりすぎたり、ブラックすぎると最優秀賞にはならないらしい。 そこから西に歩くと、はりまや橋交差点の東側に到着する。はりまや橋観光バスセンターの隣に河田小龍の碑があった。洋学家で、坂本龍馬にも影響を与えたらしい。
2016年09月04日
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8月25日(木)二日目7時起床。ここのホテルは100円追加すると、朝食がつくと言うので、追加しておいた。こんなすごいボリュームとは知らなんだ。絶対これはお得でしょうう。雨が降っていた。昨晩も駅に着くと、雨が止んだ直後だったし、今日も雨が降っている。天気予報は曇りのち晴れである。このように、天気予報が全然信用出来ないのは、今年始めの出雲の旅でも経験した。海沿いの地方の特色なのかもしれない。常に海から天気が変わってくるとしたら、訪問神は海からやってくるという信仰は、非常に説得力があったかもしれない。セブンイレブンで500円の傘を買った。まさか、雨はこの時だけで、そのあと一日中ずっと邪魔な傘を持ち歩くことになろうとは、その時は知る由も無かった。ともかく、チェックアウトの前の朝の遺跡巡りに出かける。高知市内には古代の遺跡はない。今回は弥生遺跡は完全に諦めている。今回の旅のテーマは、私の人生テーマのひとつである「中江兆民の時代をめぐる」である。左のカテゴリーに「中江兆民」があることからも、私の関心の深さを推察して欲しい。その割にはカテゴリーに記事数がこの数年間増えることは少なかったが、今回の旅は、「旅(日本)」にカテゴリーしない。たった2日の旅ではあるが、まだ全然書き切ってないが、非常に長くなる予定であり、カテゴリーは全て「中江兆民」にする予定である。何故ならば(これが旅の醍醐味なのだが)今回の旅で私の自由民権運動への視点が大きく変化したからである。そのことを文献を駆使しながらかなり長く書くと思う。もちろん、本来の旅の記録も、これから書くので、まるで司馬遼太郎の旅行記みたいな記事になりそうな予感がある。写真は、駅前から南に百mほど歩いた処にある山田町の八幡神社だ。その神社の至る所にの勧請を担ったであろう人々の名前があった。明治5年にこの町に移って来たというから、この名前は中江兆民の幼馴染の可能性がある。或いは幼馴染の親の名前か。名前を眺めるだけで、当時の様子が想像出来る。私は研究者ではないので、そのように自由に想像力を膨らませながら、大胆に記事を書くだろう。八幡神社の絵馬。願い事は、非常に具体的で、かつきちんと名前・住所まで書いているのが多かった。この土地の伝統なのかもしれない。中江兆民(弘化4年(1847)~明治34年(1901))幼名は竹馬。のちに篤助或いは篤介。兆民は筆名である。八幡神社のある旧山田町に生まれた。山田町の中でも、篤助は部屋町という武家屋敷に住んでいた。すぐ近くに牢があったようだ。土佐勤王党の志士が切腹する処を、少年篤助は塀をよじ登って見たことがあるらしい(15歳)。つまり、彼が父親の跡を就いで大人になる直前に尊皇攘夷運動の嵐は止んでいたのだ。 父元助は足軽でしたが兆民が14歳の時亡くなり、母に育てられながら藩校文武館に入りました。 文武館では萩原三奎、細川潤次郎について洋学を学び、岡本寧浦を師とする奥宮慥斎について陽明学を学びました。 藩から留学を許された長崎ではフランス語を平井義十郎について学ぶとともに坂本龍馬や後藤象二郎、岩崎弥太郎たちと知り合いました。 彼の語学力はすばらしく、岩倉遣欧使節団に参加フランスに行き法律や哲学を学ぶ中でルソーの著書に出会いました。 帰国後しばらく法律の仕事をする合間にルソーの「社会契約論」を「民約論」として翻訳したり、フランス語学校校長などをしましたがすぐにやめ、自由民権運動に取り組むようになりました。 明治23年(1890)第1回衆議院議員選挙に当選するも理想とかけはなれた議会に失望し国会を「無血虫の陳列場」とののしって辞職しました。 以後、筆で政府と渡り合い、東洋自由新聞を創設しましたがわずか40日あまりでつぶされました。 明治33年(1900)のどに痛みを感じ耳鼻咽喉科で喉頭癌で余命1年半あまりと宣告を受け、切開手術を受け「一年有半」「続一年有半」を書き残しました。(「土佐の歴史散歩」より)山田町は武家も住んではいたが、基本的には町民の町ではなかったか。今でも醤油屋や機械工場がたくさんあった。今も運河がすぐそばに通って、商売にはいろいろ便利だったことが伺えます。しかし篤助は基本的には家で本ばかりを読む読書家だった。性格は温和でおとなしい。のちの奇行を好む変人の姿はなかった。過去、高知市内には二回入ったことがある。一回は団体観光。桂浜の龍馬像は観たが、とうていこんな処まで来れる余裕はなかった。もう一回は、労組の会議で。朝早く起きたならば、来れたかもしれないが、事前の準備が悪くて、場所が全くわからなかった。この日もなかなか迷いました。もっとも、中江兆民誕生地の周りの風景は、こんな普通の路地である。よっぽどの物好きでなければ来ない。やっと来ることが出来ました。中江兆民先生!高知城から2キロ東にある町である。あとで述べるが、武市半平太が道場を開いていた菜園町も南に数百mほど行った処にある。江戸の町風に云えば、下町である。石塔は1953年(s28年)、石碑は1981年(s56年)に建てられている。いずれも高知市教育委員会建立である。高知市内は昭和20年7月4日の空襲で、ほとんどが灰燼に帰したらしい。当時を偲ぶ建物は一切ない。
2016年09月03日
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猛暑がまだ終わらない8月24日真夏の夜の倉敷駅。夏の旅に出た。無理やり出た。休みが取れないので、仕事が終わると飛んで帰って、倉敷駅から電車に乗って高知へ。午後7時5分発の特急南風。高知で食べれるかわからないので、先ずは電車の中で旅気分のビールを空ける。何だか忙しくて、美味しいという味がしない。得々切符で、特急往復6480円の切符をゲット。2時間40分の夜の電車で、瀬戸内海と四国山脈を横断する。高知駅では、くず入れさえも、郷里の作家と云うことでアンパンマンが迎えてくれる。宿は寝るだけと思ったので、「ホテルタウン駅前」という、まんまの名前の宿にした。楽天ネット割大格安3700円!という値段と思えば、韓国のモーテル(現在おそらく3500円以上するはず)よりも上等な部屋でした。そのホテルの近くに12時まで営業しているというので、利他食堂という魚料理居酒屋に行って見る。カウンターのご主人にこの店の名物カツオの藁焼きを頼んだら、もう品切れでした。カウンターには、伊賀焼きが並んでいて、豪快なカツオ料理に合わそうとするおしゃれな店。でも、「一口だけならカツオがある」と云うので、それを頼んた。「合うワインは何ですか?」と聞くと、タトール・プリミティーヴォ・サレント(イタリア辛口・プリミティーヴォ種)を勧めてくれた。なるほど、これは合う。カツオも臭みはなくて、甘みのあるような刺しなのだが、それでもワインのしっかりとした香味がカツオにはとっても合うということがわかった。スーパーで買うカツオとは一味も二味も違う。これはお通しの「うるめいわしとモズクの酢物」。ご主人が今日の一押しということで、勧めてくれたのがこのメジカの新子。何でも、メジカは大きいモノは必ず鰹節にする上物らしい。しかも、すぐに鮮度が落ちるので決して刺身に出来ないのだそう。しかし、新子(小さな魚)だけは、鮮度が12時間持つそうだ。よって、メジカの刺身が食べれるのは、新子が出回るこの夏休みだけの貴重なものらしい。「羨ましい。私も食べたい」とご主人。閉店間際で売れ残りそうだったので勧めたのは有りありなのだが、高知でしか食べれないということもあり、乗ってみた。味は、ものすごい蛋白。臭みは一切しない。辛口の日本酒と合わせたら、美味しそう。赤ワインとは絶対合わないf^_^;)。ともかく面白いモノを食べさせてもらった。腹は既に一杯だったので、これぐらいで切り上げる。今回の旅はグルメが目的じゃない。あくまでも明日がメインです。帰って早く寝なくちゃ。実は、この旅を通してこの利他食堂が最も美味しい食事になろうとは、この時には思いもしなかったのではある。高知は、コインパーキングさえ、龍馬を使うのか!
2016年09月02日
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