再出発日記

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2010年03月27日
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カテゴリ: 加藤周一

「野村万蔵の芸」(1965「図書」2月号)
野村万作 「私の長男の萬斎が(この文章を)読みまして、自分は加藤先生の本を読んで刺激を受けて、狂言の道に進む気になった、と狂言師になった動機を聞かれるとよくそう答えていました」 と書いていて、(「現代思想 総特集加藤周一」のなかの「加藤周一先生と親子三代」)どんな文章だったのかを今回確認させてもらった。

野村萬斎 (1966-)は確かにまだ若手の狂言師に過ぎない。しかしながら、その才能は本物だ。映画 「陰陽師」 において、彼がスクリーンの中に出てくるだけで画面が妖しくなったので、びっくりしたという経験がある。安倍晴明は狐の妖怪の落とし子であるという伝説があり、萬斎のふと見せるしぐさがなんと狐に見えるのである。将来恐るべし、率直にそう思った。

そしてこの文章を読んでみて、なるほど、と思った。思いっきり挑発的な文章である。

狂言とは何か、という分析的な言葉はほとんど無い。わずかに加藤がドイツの演劇人のために野村万蔵に頼んで衣装もつけずに一曲踊らせたときのドイツ人の評「言葉はわからぬが、いずれ動きと同じように、よほど様式化された言葉に違いない。これほど型の定まった様式化された芝居を演じて、あれだけ写実の妙を見せるのは、実に偉大な芸である」だけである。

ほかのところでは、加藤が言っているのはただ一点だ。

狂言が芸術だから、万蔵の芸がすばらしいのではなく、万蔵が現代の「名人」だから、狂言が芸術になっているに過ぎない。



野村万蔵が名人だから、芝居とは何かという当方の考えも定まってくるのだ。その芝居が新しいか、古いかというようなことは、芝居を芝居にする決め手では決してない。芝居を芝居にするものは、新しさとか古さとかを忘れさせてくれるもの、すなわち人間精神の遂に時代を超えようとするものである。そしておそらく、これは芝居にかぎったことではない。私は芸術については確かなところから出発したいと考えるのである。

加藤は生涯、自分の目で見て、耳で聞いたものしか論評はしなかった。





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最終更新日  2010年03月27日 13時24分18秒 コメント(2) | コメントを書く


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