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大東亜戦争よりうんと前、僕がまだうんと幼かった頃、 礼儀正しく姿勢の良い軍服姿の軍人を街中でたまに見かけることはあっても、戦闘服の兵隊の集団を目にすることは稀だった頃、幼い僕には周囲が平和だった頃、離れに遊びに行ったまま、僕はついつい昼寝をするなんてことがよくあった。離れの縁側の近くで、冬には畳がほんのり暖まり心地よかった。風流な者からは趣味の悪いと言われていたらしいけれど気にも留めなかった曽祖父のそのまた祖父が植えた、山茶花と紅葉、池の水蓮と桃の木々を通り抜ける風が夏には優しく心地よかった。隣の店舗で父が番頭や丁稚に指図する大声も、店舗奥の主屋で弟や妹や女中を叱りつける母の声も聞こえず、春や秋には、縁側に長く飛び出した軒の向こうに見える雲がゆっくり動いているのをぼんやり眺めたまま、隣室で曽祖父母が仏壇の前で交わす低い声が子守唄になって、お線香の香りと共に僕は昼寝の世界に誘われるのが、心地よかった。
曽祖父母の会話の内容は、ほとんどが昔のこと。後に僕らが暗誦させられた神武天皇から現人神までの整理された順番ではなく、我らがご先祖の名前はあちらに飛び、こちらに跳ね、やたらめったらややこしく、しかも同じ音が何度も使われるようで、御仏壇の前の祖父母は過去帳を見ながら話していたのだろうけれど、その頃の僕には、御仏壇の中のどなたのことなのか、父方とか母方とか従兄弟とか、叔母とか養子という言葉すらわからなかった僕には、ちんぷんかんぷんだった。そのお方が女なのか男なのかすら判別できなかった。
幼い頃には、御仏壇は手を合わせ、蝋燭を灯し、お線香を上げて、リンをチンと鳴らして、ご先祖様にご挨拶、ということはわかっていても、そもそも御仏壇が何なのか、ご先祖様がなんなのかすらわからない頃から、そういう風にするものだ、ぐらいにしかわからず、ただただ見よう見まねで、褒められるから繰り返していただけ。あの頃、本家にご挨拶なんて聞いていても、ほんけって、何? 曽祖父のほんけって、僕の母の父母が住んでいるあちら側のもう一つ隣の家の祖父母の家ではなかろうし、中央にあるお店がある僕の両親の家が主家だろうから、ほんけ、本物の家だから本家なんだろう、なんてわからないなりに考えたこともあったけれど、自分たちの孫夫婦、つまり僕の両親に対して、なんでそんなこと言うんだろう、なんても思っていた。わかんなかったけれど、どうせ幼い僕にはわかるわけないって思っていたし。曽祖父母の会話には、しばしば、ほんけ、本家という言葉が登場していたのは覚えている。本家にご挨拶、本家にお伺い、本家にお届けもの、本家に遠慮して、本家に申し訳ない、いや本家には勘当されている、いやそれは飛び出してきただけで、とか、やっぱり、ほんけ本家って何?
その内、わかってきたことは、ご先祖さまってのは、父母の父母の父母の父母のって、何度も何度も繰り返して、一千年、二千年、紀元二千六百年まであと数年と言われていた頃だったから、その頃までうんとうんと遡ったうんとうんとうんと昔の血のつながったどなたかということらしくて、なんてのがなんとなくわかり始めたのが、学級が男女に分けられた八歳、三年生の頃。
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