September 30, 2015
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大正14年生まれの叔母が、昨日亡くなりました。

長男夫妻(従兄弟夫妻)と同居しておりましたが、朝ご飯を食べて自室に戻ってから、心臓発作で急逝してしまったそうです。

すぐに救急車を呼び、消防からの指示で心臓マッサージをしながら到着を待ったそうですが、残念ながら息を吹き返すことはありませんでした。

私は、天塩岳を彷徨しておりましたので、携帯が圏外でした。夕方父から連絡を受け、仕事が終わってから弔問に伺いました。
おばちゃんは、枕元の多くの白い供花の中で、静かに寝ているように横たわっており、手を合せるのが不思議な感じでしたが「おばちゃん」と、声を掛けても、いつものように「熊」と、にっこり笑って声を返してくれないので、おばちゃんが90年の寿命を全うしたのだなと、寂しいですが実感しました。

おばちゃんは、母の10歳年上の長女です。女学校(今の高校)には、母をおんぶして通った事もあったそうです。6人兄弟姉妹の長女と末っ子ですから、母を自分の子供のように思っていてくれ、私の事も孫の様に可愛がってくれました。

母は、困った事があると、いつも「姉ちゃん…」と、おばちゃんの家に行っておりましたが、もう肝っ玉母さんのようなおばちゃんが「なあに心配するな、姉ちゃんがなんとかしてやるよ」と、言ってくれることはありません 母は今日持病の通院日です。
昨夜のうちに、おばちゃんが亡くなった事を告げると今日の病院には間違いなく行かないで、おばちゃんの枕元で泣き続けるのが目に見えてますので、父と話して、今日の通院の後話す事にしました。

父も私も本当に心苦しいのですが、おばちゃんは「芳江、なあに気にするなって、姉ちゃんは寂しくないって」と、笑ってくれると思っています。



まだ私が20代の頃、祖母と、叔父が、定職にも就かずにアルバイト生活をしていた私を心配してか、亡くなった夜に私の枕元に来てくれました。一番私を心配してくれたおばちゃんならきっと「母さんを大事にしなよ!」と、喝を入れに来てくれると思い、気になって何度も夜中に目を覚ましましたが、朝日が差す時間になってもおばちゃんが姿を現わすことはありませんでした。私も若い頃は、随分と破天荒な生活をしておりましたが、前科もつくこともなく、ちゃんと就職をしてから30年を過ぎましたから、少しは安心していてくれているのだろうと、勝手に納得をしております。

弔問から帰ってから、私がまだよちよち歩きの時に、おばちゃんが一緒に遊んでくれている白黒の写真を引っ張り出して、いつもの笑顔を思い出しておりました。

おばちゃんのご冥福を心からお祈りしております。















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Last updated  September 30, 2015 09:08:35 AM


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