March 9, 2023
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興味深いお話でした。

黒澤明監督の映画「野良犬」「羅生門」「七人の侍」などの名作に多く出演されていた「志村喬」さんの言葉です。

〈近ごろよく若い人たちが「この舞台に立てて、いい勉強になった」と言っているのを聞く。(略)ちょっとおかしいなと思う。演技の勉強は常日ごろからすべきで、本番の舞台で、映画で勉強されては困る。日ごろの勉強の成果を披露するのが舞台であり映画であるはず〉(自叙伝より)

スポーツには該当しないとは思えど、成果を披露するという点では考えさせられることもありました。

舞台、映画は作品ごとに役作り、演技などを練り上げて、その都度完成されたものをパフォーマンスとして披露することになります。ライブである舞台ではセリフを間違えたりすることも時にはあるそうですが、映画では監督からOKが出るまで、何度もやり直しをます。

卓球でも常日頃練習、勉強をして、その成果を持って試合に臨みますが、試合では失敗、失点のやり直しは出来ません。やり直しが出来るのは練習までであり、練習で完璧なまでに積み上げたはずでも、練習を100パーセントとして、そのうち何パーセントを試合で出せるかが勝敗に大きく影響します。

しかし、練習で完璧な100パーセントに到達することは難しいことです。単純に100パーセントを1パーセントの積み上げとするならば、例えばサーブからの3球目攻撃を選手、指導者が納得できるボールで100本連続で決めるまで練習をしたか、もちろんその他の練習メニューでも同様です。チキータを納得のいくボールで100連続して決められたか。

それを達成することが100パーセントとするなら、本当に難しいことであると思います。

しかし、言い換えると、完成度は指導者、選手の満足度でもあると思います。



ここで双方の到達点の意識が違うと、どちらかが妥協していることとなります。

数値の100パーセントは目標として難しくとも、共通の意識として目指すなら。

【90パーセントでなくては満足しない。80パーセントならまあ合格だろう。70パーセントでも仕方がないな。】選手と指導者が意識を共有し妥協せずに、満足できるまで一歩一歩積み上げてゆくことが出来たならば、目標達成に近づくことが出来るのではないでしょうか。

また、そんな関係にならなくては、目標達成は程遠いとなります。

当たり前ではありますが、エンターティメントの演者とスポーツ選手では鍛えるところは真逆と感じますが、成果を披露するためには、日ごろから練習、勉強を重ねることが求められるのは同ということですか。


私自身が情けないのは

舞台、映画では、若い人たちが「この舞台に立てて、いい勉強になった」のは、本人ですが。

選手たちが試合に出場して「この試合はいい勉強になった。」のは、選手よりも私でありました。

私は老齢となりましたが、中身はの90パーセントは若輩となりますかね。(苦笑)





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Last updated  March 9, 2023 03:07:22 PM


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