2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全65件 (65件中 1-50件目)
人生は生きた年月の長さではなく、自分ならではの使命を果たしたかどうかが重要(DVDブック 生きがいの創造 第一巻人は死んでも生きている)昨日買った本年収300万円時代 日本人のため幸福論 森永卓郎DVDブック 人は死んでも生きている 飯田史彦心をつなぐ生き方 野中ともよ先日の「幸せインストール」は自己啓発本を読み飽きた人に最適。明日から「ヘルパー2級要請講座」を受講する。
2005.05.31
コメント(0)
愛の反対は憎しみではありません。それは無知・無関心です。これはマザーテレサのことばです。エリック・バーンと言う人の本を読むと、この意味が良くわかります。刺激の飢えは人間の生存にとって、食物の飢えと同じような関係をもっているのである。幼児は「撫でてもらわなければ背骨は縮んでしまう」どんな社会的接触でも、無接触よりは生物的な利点をもっている。ネズミを使った実験で注目すべき点は、動物の健康を増進するのに、優しく扱うのと、苦痛を伴う電気ショックとが、両方とも効果を示したということである。(人生ゲーム入門 エリック・バーン)
2005.05.30
コメント(0)
ちょっと変わってきている。越山さんのブログを読んでから。あそこへいってブログを隅から隅まで読むと変化があります。不思議な人です。昨日の行動講演会>本屋(幸せインストールを買う)>激安すし>コンビニ>自宅すし屋で注文したものが遅いので本を読んでいた。「セミナーで、ひとつだけでも、「これだ!そうだったのか!」「今日はこのことをきづかせていただくためにここに来たんだ!」(幸せインストール)と書いてあったので「ダムと風船の話」がそれだと思った。そして、コンビニで700円以上買ったのでクジがひけた、チキンラーメンが当った。チキンラーメンはメッセージ解釈 1、臆病者 2、すぐおいしい、すごくおいしい 3、簡単にできる昨日の本を読みながらメッセージはどれかを思案中。
2005.05.29
コメント(0)
最近CMでよく聞きますが意味がわからない。知ってる人は書き込んで下さい。もうひとつ「ハードのイニシャライズ」これも意味がわからない。・本気でほんソフトをご利用されたい方は、これまで作成した文章や作品は別ドライブに保存しておき、ハードのイニシャライズをする。(こういう文章)昨日の講演会からまず今までの自分を受け入れる・・・過去の事や失敗を悔やんでいるとエネルギーの無駄使い受け入れる>痛み>世界が広がる1、思う2、行動(初めは十分の一とか十分の三でしかないが 次第に十分の八、十分の九になる) 3、習慣(十分の十になると、小さい人生から大きい人生始まる)
2005.05.29
コメント(1)
今日は、水島智裕さんの講演会に行った。満員だった。ダムと風船の話がよかった。ダムは水が一杯になるとあふれる。風船は一杯になると破裂する。与え続ける v一杯になる v返ってくる=上昇気流に乗る。何かを与え続けるといつかは臨界点に達して戻ってくる。これが上昇気流に乗るということ。帰りに講演の中で薦めてくれた本を買った。「幸せのインストール」
2005.05.28
コメント(0)
気のチェーン(鎖)を外す・・・充電会に参加すると良くない気がはずれるこの事にについて「ツキを呼ぶ魔法の言葉」ではこう書いてある。イヤな事が起こるとイヤな事を考えるでしょう。そうすると、またイヤな事が起こるの。不幸は重なるというけれど、それは、間違いなくこの世の法則なのよ。だけど、そこで「ありがとう」と言うとね、その不幸の鎖が断ち切れちゃうのよ。それだけではなく、逆に良い事が起こっちゃうの。たぶん越山さんは、自らの生体エネルギーで参加者の気の鎖を断ち切っています。
2005.05.28
コメント(2)
健康である事が一番の強運。一番のGOOD LUCK CHARM(幸運のお守り)は友達。何を知っているかではなく、誰を知っているかが重要。あとは明日というか今日。メモした事強運な人は物事が起こりやすいから努力しない。小さな運から大きな運にできる。聞いた事は教える。運が良くない人は、運のイイ人とつきあう。運のイイ人・・・イイ事の選択の確率の高い人ナポレオンは側近に運のイイ人が欲しいと言った。タイタニックではキャンセルした人が一杯いた。人のキャンセルが多い所に近ずかない自分の力を越えたモノを活用する。イイ運をチャージする。カード(ギャンブル)が良いと家庭はよくない。宝くじに当たった80%の人は人生が良くならない。失敗から学んでラッキーにする。ストリートスマート(活学?)イイ食物を食べる。イイ先生につく。まず自分がイイ種になる。場所、人、タイミング(時間)(聞き違い、書き間違いがあるかもしれません)。
2005.05.27
コメント(0)
【 葛藤 】 笑うことは 愚かに見られる危険を冒すこと 泣くことは 感傷的に見られる危険を冒すこと 人とふれあうことは かかわりあう危険を冒すこと 気持ちをさらけ出すことは 拒絶される危険を冒すこと 人前で自分の愛を語ることは 嘲笑される危険を冒すこと 愛することは 愛されないという危険を冒すこと 圧倒的な不利を承知で前進することは 失敗の危険を冒すこと しかし冒険せねばならない なぜなら人生最大の危害は 何の危険も冒さないことにあるからだ 何の冒険もしない人は 何もしない 何もない 何でもない 苦難と悲しみからは逃れるかもしれないが 学ぶことも 感じることも 変わることも 成長することも 愛することもできない 自分の確信に縛られて奴隷になっている 自分の自由を失ってしまったのだ 冒険する人のみが自由なのだ ―保証ではなくチャンスを探せ ―人生はどうあったかではなく、これから何がおこるかである ―人生は旅であって目的地ではない ―欲しい状態を手にするには現状を手放さなければならない ―依存は相互同意による奴隷制だ ―矛盾 ―安定の欲求を手放せば安定を得る ―人生をそっとしのび足で歩いて、安全に死に到達しようとする人がいる ―先延ばしにする癖は、ほとんどの人が直すのを引きのばす欠点だ ―敵が欲しければ、誰かを変えようとすればいい ―成功とは、もう一度立ち上がることだ ―望むのは、本当に手にする意思のあるものにせよ ―問題から逃れる最善の方法は、それを解決することだ 今日が地球で生きる最後の日であるかのように生きよ いつの日か そうなる!(『愛と叡智の紀州備長炭研究会』マガジン より)
2005.05.27
コメント(0)
新しく何かを始めるとき、必ずつきまとう怖さ。それは、誰もが感じる感情で、通らなければならない道。乗り越えるポイントは二つ「怖いままやる」「少しずつでいいから、とにかく始める」やり始めて(やり始める前も)あまりに問題が出てくる時は、もしかしたら、それをしない方がよいという合図かもしれないので、変に自分に挑戦しようとせず、自分の心の声をよく聞く。頭の中でもやもやしてはっきりしない時は、客観的に見る為に一日以上ゆっくり待って考えてみる。うまく成功するようになっている事は、わりとトントンとスムーズに行く事が多い。成り行きと自分の心の声に従う事。(「幸運へのダイナマイト」+「その夢はいつやるんですか?」から抜粋)
2005.05.27
コメント(0)
多くの人達の人生での誤解は、自分は何もしなくても時間が経てば、何か、なんとなくいい変化が起こって来て、願っていた事が起こるのではないかという幻想です。自分の夢や希望を叶えたかたっら行動をどんどん起こす事です。その行動も、今までと同じパターンでなく、できるだけ過去と異なった新しい行動であればある程、効果的だ、ということです。様々な新しい可能性の角度や手段を駆使して、新鮮な前向きな発想法で今までとはひと味違う斬新な行動をどんどん起こし続けるのが鍵です。(幸運へのダイナマイト 越山雅代)
2005.05.26
コメント(0)
なんと大勢の人たちが不安の奴隷になって暮らし続けていることか。あらゆるところに恐怖がある。恐怖からは何も得られないどころか、すべてを失うことになるのだ。「たしかにそうだろうが」という人がいる。「しかし、恐れずにはいられない。 不安になるのを、自分でもどうしようもない」自分でもどうしようもない、などといってはいけない。どうしようもないと考えれば、どうすることもできない。何とかできると考えて行動すれば、何とかできるかもしれないだけではない。しっかり信じて行動すれば、必ず何とかできるものなのだ。だから、できると考えよう。心から真剣に信じれば、やがてはすべての不安が消えるときが来る。
2005.05.26
コメント(0)
「その夢は いつやるんですか?」 和田 清華職安の帰りに買った。理由は不明。この人のブログに書き込みした。その本から「人をねたんでしまうのは、きっと、今自分が思い通りに動けていないから。うらやましいなと思える人がいるということは、本来自分ができるであろう可能性を秘めているからこそ、持つ感情だと思うのです。負けていないってことです。つまりやってないだけ。」
2005.05.26
コメント(0)
小さな池から出たことがないカエルがいた。ある日、海に住むカエルがその池に来た。好奇心いっぱいの海のカエルは池に入った。「お前は誰だい? どこに住んでいるの?」池のカエルが尋ねた。「ぼくはこういうもので、海に住んでいるんだ」「海? 海ってなんだい? どこにあるの?」「海は大きくて水を満々とたたえている。ここからそう遠くはないよ」「海はどのくらい大きいの?」「ああ、とっても大きいよ」「このくらい?」池のカエルはそばの小さな石を指差した。「いや、もっともっと大きい」「じゃ、これくらい?」今度は二匹が乗っている板を指差した「いやいや、もっと大きい」「じゃ、どれくらい大きいんだい?」「ぼくが住んでいる海は、この池よりもっと大きい。 これくらいの池が何百万も入るくらい大きいよ」「馬鹿な、冗談じゃない。 ぼくをだまそうというんだな、 きみは嘘つきだ。 ぼくの池から出て行ってくれ。 さあ、出て行ってくれ。 きみみたいなカエルとはつきあいたくない」「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」真理に対して自分を閉ざせば、うぬぼれたままで生きることになり、そのうぬぼれがあなたを愚かにする。一方、誰かがいったから、本に書いてあったから、制度としてそうなっているから、というだけで、自分で確かめもせずに、すべてのことを鵜呑みにしていれば、やはり成長が止まる。(「万能の鍵」 トライン)
2005.05.25
コメント(0)
わたしたちは直接に身体を傷つけて殺すだけでなく、敵対的な思考によっても殺すことができるし、実際に殺している。そのとき殺すのは相手だけではない。自分をも殺しているのだ。大勢の人々の悪意ある考えが集中するために病んでいる人がたくさんいる。なかには実際に生命を失う人もある。憎悪を世界に注ぎ込めば、世界は地獄と化する。一方、愛を世界に注ぎ込めば、栄光と美に満ちた天国が出現するのだ。(人生の扉をひらく「万能の鍵」 トラインより抜粋)
2005.05.25
コメント(0)
人生の扉をひらく「万能の鍵」 トラインより抜粋いつか自分にもよいものが与えられる、いつかよいことが起こると考えるのはやめよう。いまの人生でよいことを実現しよう。たったいま引き寄せ、自分のものとし、現実化させよう。どうして知識や智恵を得るのに、他の人のもとへ行かなければならないのか?もはや人や制度や本の奴隷になることはない。これらの仲介者を主人とするのではなく、ただの教師だと思うべきだ。真理はわたしたちのなかにあるあなたが何を信じるにしても、真理は外からやってくるのではないわたしたちすべてのなかに、いちばん大切な中心があるそこにすべての真理が満ちている
2005.05.24
コメント(0)
正心 1.物事をすべて前向きに考える 2.感謝の心を忘れない 3.愚痴をこぼさない調息法 1.姿勢 背筋をまっすぐにして座る 肘を直角に曲げて両手を組む(鈴の印) 鈴の印・・・利き手を上にして、おにぎりを握るようにする。 2.息法(呼吸法)+想念(心の力)・内観(イメージする) 一 吸息(きゅうそく)・・・鼻から静かに息を吸い込む、下腹部(丹田)に空気を吸い込むつもりで (宇宙の無限の力が体に満ちわたっていく様を、イメージする) 二 充息(じゅうそく)・・・息を止めて丹田に力を入れ肛門を締める (自らの「思い」が叶った様をイメージする) 三 吐息(とそく)・・・鼻から息を静かに吐き出す、丹田の力及び肛門を緩める (体内が全くきれいになった様を、イメージする) 四 小息(しょうそく)・・・普通の息を1,2回する、呼吸を整える 一から四を1サイクルとして、25回繰り返す。 五 静息(せいそく)・・・軽く丹田に力を込めたまま、静かでゆっくりな呼吸を十回する (世界が平和に満ちている様を思い浮かべる) うちゅうのむげんのちからがこりこって まことのだいわのみよがなりなった大断言・・・宇宙の無限の力が凝り凝って 真の 大和の み世が生り成ったこの大断言を調息法の「静息」のときに十回強く念じる。そのとき、地球全体が平和に満ち、イキイキとしている姿をイメージする。大断言で世界全体のことを念じることは、天に大きな徳を積むことでもあり、その徳は倍になって本人に戻ってくる。注・・・やれば判る、必ず効きます。
2005.05.23
コメント(0)
前に書いたことが気になるので一応対処法を挙げます。それは、「正心調息法」という呼吸法です。興味のある人は、「正心調息法」で検索してみてください。この呼吸法を作ったのは、塩谷信男という1902年生まれの医学博士です。本も出しています。http://www.infoibis.ne.jp/~shioya/index.html 「正心調息法」は覚えておいて 絶対損のない呼吸法です。
2005.05.23
コメント(0)
今年の初めに受けた「易のセミナー」で講師の人が言っていた今年の卦(世界の時運)その時のノートから天地否・・・天の気は上へ、 地の気は下へと互いに交わらない。 (停滞、ゆきずまり)七月 鬼月(たぶん、よくない月)倹徳へき難・・・才徳を秘めて控えめにして、外からの難を避ける。2005天災之年=祈りの年人・・・要祈祷ふと思い出して書いてみた、あたっていると思う。
2005.05.23
コメント(0)
若い人たちは、幸せになるには、カネとかコネがあればいいと、つい思いがちかもしれない。だけど、幸せになる方法は、自分のやりがいを見つけること。世間一般のカネやコネによる幸せではなく、要は自分が幸せだと思えればいい。それが人生に勝つということでもあると思う。子供達に「夢中になれるものを探せ」というのは簡単だけど、なら、どうやって探したらいいか。たとえば、自分のことを忘れて人に尽くすことで夢中になるものが見つかり、未来が開けてくることもある。人に対する思いやりや気配りは、わすれないでほしい。(中日新聞 未来の主役へより)どうやって探すか?目の前のことに打ち込む、社会人なら今の仕事、学生なら勉強やスポーツなど得意なものを伸ばす、とよく本にかいてあるがその通りだと思う。
2005.05.22
コメント(0)
http://www.cpa-togo.jp/やってみたら結構当っていた。
2005.05.22
コメント(0)
すると雲谷禅師は、大笑して「何だ、そんなことか、 それじゃ昔から偉人、聖人などが 何のために学問修業したのか全く意義がないではないか。 自分の運命は自分でつくるのであって、 学問修業は、それによって人間が人間をつくることなのだ。 そういう風に人間をつくっていくのが大自然、道の妙理、極意なのだ。 お前の理屈では偉人、聖人の学問修業は何にもならぬことではないか。 馬鹿な悟りを持ったものだ」と喝破した。了凡は反省し、改めて古聖賢の学問に精進したところ、その後は、外れなかった予言が外れるようになった。そして自分なりに進歩し、出世の道を歩み、できないといわれた子供もできた。多くの人は、易を人間の運命を研究する学問だと思い、運命を宿命的に考えております。宿命ならば運命ではありません。運命は立命・・・新たに創造する、でありますから易は、宿命の学問ではなくて立命の学問である。易は文字どおり変わるであり、変えるであります。(易と人生哲学 安岡正篤)
2005.05.22
コメント(0)
袁了凡の話母子家庭に育った袁了凡は、母親を助けるため医者になる勉強をしていた。ある日、老人が現れて了凡の生涯を予言した。その予言をきいて了凡は、医者になるのを改めて高級官僚を目指す。予言のとおりになっていたので「人間には運命があり、 神様がちゃんと進むべき道を予定してくれておるので、 下手にもがいてくだらんことを考えても何にもならん」というある種の悟りの心境に達する。ある時、試験の準備のため、お寺に泊まって勉強していると、そこに雲谷という禅師がおり「あの若者は年に似合わずよくできておるようだ、 どういう修行をしたのだろうか」と興味をもって、本人に「あなたは、 見たところ若いのに似合わず人物ができとるようだが、 どういう学問をしたのか、どういう修行をしたのか」と尋ねた。了凡は「私はそういう勉強も修養もいたしませんが、 少年時代に、不思議な老易者が私を見て、 お前はこうこうだと予言してくれました。 それが恐ろしいほど当りますので、 人間には運命があって決まり切っておる、 くだらぬことを考えても何にもならないと 気がついて煩悶懊悩することをやめました。」(続く)
2005.05.20
コメント(0)
「お前が進化論を信じるのならば、 昔からある動物園のチンパンジーやゴリラ達は、 人間の言葉を語るようになり、 雇い主に、檻から出すよう交渉するだろう」 (心の発見 現証篇 高橋信次)ヒルティも同じ事を言っている。(5月13日の「世間の人の信仰」)松下幸之助さんも、塩谷信男さんも。
2005.05.20
コメント(0)
花には花の精がある。私たちの心が浄化されると、その花の精とも話はできるし、姿を見ることもできる。これは事実である。否定する者達は、自分で体験をしないからわからないのであって、それは否定する根拠にはならないだろう。(心の原点 高橋信次)塩谷先生の本にも同じような事が書いてあった。一度見てみたいものです。
2005.05.19
コメント(0)
近頃では、人間的にはどうであれ、金や地位、名声あるいは才能がある人には、善人、偉人というレッテルを貼りたがる。「・・・何だかんだと言っても、あの人はたいした者だ・・・」ということをよく耳にするだろう。それは、何に対する評価であるか、冷静に考えてみる必要があるだろう。人間の評価を単純に受け取り、それは間違いだと薄々感じながらも大勢に流されてしまう。(心の原点 高橋信次)
2005.05.19
コメント(0)
ここのところ正法のHPから抜粋してますが、ここへ行くと人間や人生に関する疑問の答えが書いてあります。精神世界好きな人は必見。超おすすめです。http://www.shoho.com/index.html
2005.05.19
コメント(0)
反省は単に、ああ悪かった、良かった、で終わってしまっては、正しい反省とはいいがたいのである。これは重要な点である。反省したとき、間違いを犯したことを発見したならば、その間違いはどうして起こったのかといった、自分の心のなかの原因を追及してとり除くことが大事なのだ。もっとも、反省ばかりに終わると心を小さくしてしまう。そこで、反省も焦点をしぼって行い、あまり細かいことにこだわらないようにする。(http://www.shoho.com/index.htmlより)
2005.05.18
コメント(0)
苦しいから助けてくれ、というだけでは、愛の手は差しのべられません。なぜかといいますと、今の自分の運命は、自分自身で作り出したものだからです。それは、他の誰の責任でもありません。自分自身の責任だからです。反省という、自分を改めて見直す立場に立って祈る時、神仏は慈悲と愛を与えてくれます。(http://www.shoho.com/index.htmlより)
2005.05.18
コメント(0)
法律的には一番悪いのは一ですが、 心の分野では正解は二です。(http://www.shoho.com/index.htmlより)
2005.05.17
コメント(0)
一、人を刃物や銃で殺した人がいる。二、人を殺すことはいけないと 知っているので自分では手をかけないが、 心は憎悪の念で一杯の人がいます。 心を汚す一番イケナイ人はどちらですか?答えは 正法と百の人間模様 1 その五十五(お気に入り一覧の 正法 から行けます。)(http://www.shoho.com/index.htmlより)
2005.05.17
コメント(0)
100%確実に運命をよくする方法がある。それは性格を変えることである。気の小さい人は大きく、怒りやすい人はにこやかに、せかせかした人はのんびりと、いつも自分本位であった人は相手の立場を考えて。そうした性格を変えるテストをするのに一番よいのが家庭である。家族に対しての思いやりから変えてみることである。すると、職場その他の対人関係もうまくゆくようになるし、自然と運命は変わってゆくのである。例え、現状が不満足であろうとも、まぎれもなしにそれがあなたなのである。運命を良くしようと思うならば、例え嫌だと思っている自分の人生であっても、まずそれを受け入れて、その上でどうするかを考えなければいけないのである。自分の現在の人生を嫌ったままで、いやだからこうしようと思って逃避すると、すべて失敗に終わるのである。我々は因縁の法則の枠を出ることはできない。因縁の法則から逃避しようとせずに、因縁の法則を上手にコントロールすることである。(因縁の法則=原因と結果の法則)(http://www.shoho.com/index.htmlより)自作 「あわてるな 結果は急に止まらない」
2005.05.17
コメント(0)
世の中には、何度も何度も職をかえる人もいる。働き始めたかと思うとすぐに辞め、辞めては勤める人がいる。こちらの都合で辞める人もいれば、中には好条件で引き抜かれる人もいる。人に認められ請われて転職する人はそれで良いのだが、不平、愚痴、不満の心で定着しない人がいる。また、「あれも、これもけしからん」と定職にもつかずブラブラしている人もいる。もし、今の仕事が自分の「分」ではないと思う人は、現在の仕事を手抜きすることなく、一生懸命やりながら祈ることである。すると運命は静かに展開してゆく。今の仕事を怠けていては運命は良くならないのである。そして、「分」に適った使命を感ずる仕事に行き当ったとしても、その運命には上限と下限の幅がある。 一生懸命に努力しても、 その運命の上限を越えることはできない。 限界があり、その限界を知ることを 「心のやすらぎ」というのである。(正法のHPより 高橋信次)
2005.05.16
コメント(0)
人間、四十歳を過ぎたら、そう簡単に自分を変えることなんかできない、とおっしゃる方がいますが、本当にそうでしょうか?プラスの言葉は魔法となってステキな出来事を体験させてくれます。ステキな出来事に「感謝」。そして、素晴らしい運命に「感謝」しましょう。何にでも「ありがとう」。これで、すべてオーケーです。何も心配することはありません。まだ起こってもいない未来に対して「不安」がったり「心配」したるするのはもうやめましょうね。(ツキを呼ぶ魔法の言葉・五日市 剛)
2005.05.15
コメント(0)
昨日は、和歌山へ飯田史彦の講演会に行った。覚えている講演内容は最近、学校からの依頼が多くなった。日本人の四人に一人はプチ鬱。「がん」と呼ぶのをやめて「ぽん」(PON)と呼ぼう。「がん」なんて言うから告知されるとガーンとくるのでポン(PON)と呼べばそれほど深刻にならずにすみます。だから、これからはポンと言いましょう。 「イヤーわたし今度ポン(PON)になりまして」 「そうですかポン(PON)ですか」 「ええポン(PON)なんです。」自作 医者「・・さん。じつはあなたPONなんです。」患者「エエーPON?わたしがPON?本当ですか?」 医者「本当です。まだ初期ですがPONです。 放っておけばロンになります。」これ以降は、半睡眠学習状態になったので覚えていない。それからライブで「生きていく明日からも」「いつまでもいつでも一緒」を歌う。隣に座っていた若い女性が二人泣いていた。一緒に歌っていると少しこみあげるものが確かにあった。
2005.05.15
コメント(0)
悲しみや試練のとき上から与えられる慰めは、さまざまの有益な人生経験のなかで最もすばらしい、最も良いものの一つである。自分でそのような経験をしたことのない人々は、人間の魂がどのように高められ、また、どのように広くなりうるかを、まるで知らない。それゆえ、こういう人たちはまた、決して他人を力強く励まして、平凡な人生を超えて向上させることができない。 「くろがねの鎧は、天の翼の衣とかわる。 苦しみは短く、悦びはとこしえなり。」 (カール・ヒルティ 幸福論 第三部)カール ヒルティ強化週間は本日を以って終了。読んでくれた人に感謝。ありがとうございました。
2005.05.14
コメント(0)
苦しみに出合ったら、まず感謝するがよい。それから、その苦しみが何のために役立つかをたずね給え。あなたがそれをただ避けようとせず、その苦しみの意味を理解しようと真剣に願うならば、やがて必ずそれを発見するであろう。(カール・ヒルティ 幸福論)
2005.05.14
コメント(0)
「われ、安息日のために装う、 こよなくいそいそと。 わが魂は夫にゆだねられし 花嫁の心のごとくなれば。 み使いたちよ、われを導け、 われはかの王のしもべゆえ。 わが悩みみな消え行くぬ、 ハレルヤ、われも今ともに歌わん。」このような最も単純な人生こそ、驚嘆すべきものである。もしいつでもひとが自分の人生をそういうものにしたい、いや、むしろしてもらいたいと願う勇気をもつならば、この世の他の芸術品も比べものにならぬほどの人生が得られるであろう。神に身を委ねる人々に、神は普通の意味での幸福を、つまり富や名誉やあらゆる種類の享楽を、保証するものではない。しかし神はこの人々に、はるかに信頼でき、かつ満足をあたえるような幸福を授け、なおその上に、この幸福が来世までも続くものだという希望をも賜るのである。
2005.05.14
コメント(0)
キリスト教の信仰の中心は、キリストの復活である。キリスト自身が言っておられるように、一つの「霊」であって、いかなる方法をもってしてもそれは決して定義することのできないものである。これに反して、キリストは疑いもなく歴史上の人物であって、霊ではない。現代の人々がつまずくのは、この点である。ことに、神が霊であるからには、この霊の宿った者は、誰でもみな当然神の息子、より控えめな表現をもってすれば、「神の子」と呼ばれてさしつかえない。しかし、復活という最も明白な歴史的事実・・・はじめある人数の人が、いや、五百人以上の者が同時に、肉眼で見たと主張するこの事実は、後世の人々の信仰に対して課せられた、きわめて厳重な要求であって、いかに思考をめぐらし解釈の手立てを用いても、これを回避することはできない。復活のことを切り離して考えれば・・・十字架で死んで、ただ葬られただけの「神の子」など、われわれに何の役に立つであろうか。そういうことは誰も信じないであろう。逆に復活という事実からキリストを神の子と結論することは、きわめて論理的に一貫した推理である。もし復活が真実でないとしたら、キリスト教全体が誤謬か、錯覚に基づくばかりでなく、まさに虚偽の上に立つことになる。 (カールヒルティ 幸福論 第三部)
2005.05.13
コメント(0)
世間の人たちは、自分に都合のよい、信じやすい理屈さえついていれば、どんな空想家の説でもやすやすと信ずる。ほんのすこし前まで、現世紀の最も教育ある無数の男女が、自分では吟味もできないのに、少数の自然科学者の単なる断言に基づいて、こう信じていた、われわれ人間はすべて猿から由来したものであるが、げんざい猿と人間とのあいだの中間種はほろびてしまったのだ、と。世間の人たちは、どんな説でも、その結論が自分たちに都合よいものであれば、手あたり次第に、次つぎと新説を信ずるであろう。
2005.05.13
コメント(0)
多くの人は、むしろ、この世の生活の悲しみに満ちたありさまを詩や散文で嘆いたり、あるいは、刹那的享楽で一時ごまかそうとしたり、ただ空想や思い出のなかに生きようとしたり、または、せめて他人よりも恵まれた「特別の」階級だと言う高慢な意識に酔おうとする。しかし、われわれが説く幸福は、それを得たいと願うすべての人に許されるものであり、「この世が与えることのない平和」である。(カール・ヒルティ 幸福論)
2005.05.13
コメント(0)
人生のほぼ半ばごろに、これまでになしとげた一切のことに対して不満を覚える瞬間がやって来る、しかもそれは、往々にして、最上の、最も成功した生活経路の人達に、いち早く訪れる。また、教養ある階級の人々の方が、他の階級の者よりも、それを経験することが多い。若い人が困難な試練をまったく受けることなしに、また、生来の利己心や虚栄心を根こそぎに捨て去らないうちに、えらい地位につくことは、危険である。そういうことから、たいていの人生行路の失敗が生ずるのである。(カール・ヒルティ 幸福論 第二部)
2005.05.12
コメント(0)
子供たちにほんとうに必要なのは、宗教ではなくて、清らかな雰囲気である。教育というものは、一般に言われているほど重要なものではなく、最上の教育を受けた者でも、それに続いて自己教育しなければ、ちゃんとした人間にはなれない。反対に最もよくない教育を受けても、そのあと自己教育によって、改善されるものである。(カール・ヒルティ 幸福論)
2005.05.12
コメント(0)
人間の内的生活の大きな進歩は、たいてい諦念によって始まるものであり、諦念によって精神的進歩という褒賞が生まれるのだ。外的生活で重大な諦念が誠実な意図でなされるならば、つねにそれを追って、大きな内的な褒賞が与えられ、これが諦念を非常に容易にする。しかし褒賞が与えられるのは諦念がなされたあとであって、その前ではない。(カール・ヒルティ 幸福論)
2005.05.12
コメント(0)
人間を知ることの真の秘訣は、出来るだけ虚栄をはなれた純粋な心をもつことである。 子供たちが両親よりも 祖父母の方になつくことが多いのは、 祖父母の愛情の方が無私だと感じるからである。ある人を本当に知るには、その人が働いているとき、男子ならばその職業で、女性ならば家事で働いているときが一番よい。また、男女ともその人柄が最もよくわかるのは、彼らが困難や心配事におちいっている場合であり、逆に最もその人がわかりにくいのは、社交場、特に温泉地や夏の避暑地などである。 最も容易に人間を見わけるには、 その人が生涯の努力の 真の目標と考えているものを知ればよい。もしもその目標が、権力とか享楽とかにあるならば、そうした人には全幅の信頼をよせるわけにはいかない。
2005.05.11
コメント(0)
憂いに対する二三の比較的ささいな対抗策、最も有効なのは、 仕事 である。第二の手段、それは 祈り。第三の手段、経済的な憂いにたいするものだが、それは 足るを知る こと。終りに経済的な憂いを救う手段をなお一つだけあげるならば、それは、不思議にも、 規則的にひとに施す ことである。
2005.05.11
コメント(0)
超感覚的世界から出てくる諸力の助けをかりなければ、真の教養を身につけることは出来ないからだ。こうした超自然的な力が存在すること、そしてわれわれはこの力を合理的に証明することはできないが、それをためして自分で経験することができること、このことを教えるのが宗教の神秘的な真理である。だれでも、生涯にただ一度でも、こういう力が果たして存在するかどうかをあえてためしてみようとするならば、この宗教的真理はずっと明白な公開の秘密となるであろう。けれども、享楽欲や利己心をまだほんとうに捨てる気がなく、どんな価いを払ってもより良き生活に進みたいと願わないような人ならば、たとえそういう試みをしたとて、この力を完全に身をもって経験するわけにいかないであろう。(カール・ヒルティ 幸福論)
2005.05.10
コメント(0)
苦しみにあえぐ魂よ、君はまわりくどい「キリスト論」などを読む必要はない。また実際、信頼するに足るキリスト論はまるでないのである。それゆえ君は、ただ実践的によってのみ、次ぎのことを経験することができる、君が心の底から、ひたすらに、「主よ、お助け下さい」と祈れば、一つの道が開かれるということを。「わたしに来る者をわたしは決して拒みはしない。」じつに福音書のあの一つの偉大な、絶対的な言葉である。(カール・ヒルティ 幸福論 第二部)
2005.05.10
コメント(0)
人はすでにただ肉体の健康のためだけでも、いわんやおのれの外的内的の幸福全体のためならなおさら、実にいろいろなことを試みるではないか。裸足であるきまわったり、塗れた布にくるまって眠ったり、あるいは巡礼だの、祈祷週間だの、その他これに類する「宗教的苦行」を容易に堪え忍ぶのであるが、それらはなお単純な信仰のごくささやかな表現に過ぎない。彼等はどんなことでもしようと覚悟している。しかし魂を救う道は、もっと手近で、ずっと簡単である。宗教改革時代のある学者が、これについて言った言葉を聞くとしよう。つまり、肝心なのは、この道を知ることではなく、この道を歩くことだ。「どうして人間は、そんなに愚かなのか、 神の言葉を信じないとは? わたしはわたしの約束をかたく守り、 それを果たす力を充分に持っている。 それにしても何と愚かな人たちであろう、 いつもわたしを疑うとは? わたしは慈しみの心をあなたに寄せる、 それなのに、なぜわたしのもとを訪れないのか わたしこそはすべての罪を赦す確実な、 自由な場所なのに? されば、おお人間よ、 わたしを忘れて、 あなたの盲目があなたを死に導いても、 わたしを責むるな、わたしに訴えるな、 あなたはおのれの好むままにふるまったのだから。」(カール・ヒルティ 「幸福論」)
2005.05.09
コメント(0)
ひとは誰でも生まれつき怠惰なものだ。怠惰をおさえて仕事に向かわせるもっとも効果的な手段として役立つのは、習慣の大きな力である。習慣的な勤勉を身につけるちょっとしたコツは、思いきってやり始めることである。今日の日記を読んで気に入った人は、思いきって買いましょう。今日の書き込みは、すべて「幸福論」第一部より。
2005.05.08
コメント(0)
真の仕事ならどんなものであっても必ず、真面目にそれに没頭すれば間もなく興味がわいてくる。ひとを幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と成功とのよろこびである。若干の制限をつけ加えておく。どんな仕事もみな同じだというわけには行かない。見かけだけの仕事もある。たとえば「ご婦人がたの手芸」の一部分、結局ものにならぬピアノの稽古のような「芸術」修行の大部分、いわゆる「スポーツ」の大部分、自分の財産の単なる「管理」などもこれに属する。利口な人間なら、何かもう少し心の満足を得られる仕事を求めねばなるまい。気のきいたシュワーベンの牧師フラッチヒは、自国の一将校について次のような実例を報告している。その将校は彼の主人の公爵のもとで、ただ無益な規則ずくめの任務についていて、自分を不幸に感じていたが、その悩みの原因を知らなかった。そこで牧師は、次ぎのような方法で、なるほどと悟らせることができた。すなわち、牧師は一人の少女を呼び入れて、彼女が終日おとなしく椅子にかけて、銀のスプーンを手に持っていたら、一グルテンやろうと約束した。すると少女は、彼が予想した通り、半時間もするともう不機嫌にスプーンを投げ捨てて、こんなつまらぬ仕事をするのはいやだ、こんなことで実際報酬がもらえるとは考えられない、と言い出した。これがまさしく、多くの人々が自分の「仕事」に喜びを持たぬ理由である。仕事の性質上、それは当然そうなるのである。これがまた、なぜ機械を使用する仕事や、機械的で部分的な仕事が、総じて人を満足させること少なく、工場労働者に比べて、なぜ職人や農夫の方がはるかに多く満足を感じるか、ということの理由でもある。(カール・ヒルティ 幸福論より)ながくなってしまった。 ンーン マンダム(意味不明)
2005.05.08
コメント(0)
全65件 (65件中 1-50件目)