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本当はダイエットの日記でも書こうとPCの前に座った私。「ダイエットの日記って昔も書いたっけ?」とふと疑問に思い、昔の日記を振り返ってみると・・・ダイエットの日記なんてそっちのけで過去の日記を読みあさり(笑)あぁ、私、先生業頑張ってたじゃん(*^^)vちょっと過去の自分をほめたい気分。***********************************************************************10年くらい前の私は学校の教員を目指してせっせと一次試験対策してたっけなぁ。その甲斐あってか、現役の時になんと一次試験突破。残念ながら二次で落ちちゃって、あの時はものすごいどん底だったわ。そんなこんなで中継ぎ気分で始めた塾講。教員採用試験に受かるまでの間、収入もあるし、経験も積めるからいいかなぁーなんて軽い動機(・.・;)中継ぎ気分なんかじゃ務まらないほどの激務の毎日。1年目は「3月になったら絶対辞める」が口癖だった。でも卒業生を出した感動をもう一度味わいたくって継続することに。どうやら私にとって自分の思うように生徒と接することができる塾講という教育現場は最高のステージだったようで……自分の日記を読みながら、当時の生徒たちの顔が鮮明に浮かび上がってきて、「あいつら今頃何してるかなぁ」って懐かしくなっちゃう。私に全然懐かず、敵意むき出しだった生徒は、気づけば私の結婚を聞きつけてお祝いに来てくれて、私が退職のあいさつに校舎に行った時も花束を持ってきてくれたなぁ。↓ちなみにこの日記に書いた生徒です↓http://plaza.rakuten.co.jp/kurumichild/diary/200503220001/辛いこともたっくさんあった。体がしんどいこともたっくさんあった。「辞めたいなぁ」って思ったこともたくさんあったし、実際本当に上司に辞意を伝えたこともあった。でも、今こうして思い出すのは……すっごく楽しかった授業、授業後に生徒たちとバカ話した時のこと、生徒たちの努力が実を結んで最高の笑顔を見せてくれたこと…笑顔の思い出ばかり。*************************************************************************娘を妊娠した時、私は迷いなく退職を選んだ。もちろん現実問題、育休を使っても塾の先生は復帰できる仕事じゃない、ってのもあったけど、たくさんの生徒たちよりもたった一人の娘と一緒にいることを選んだから。育児は思ってた通り大変だけど楽しい。娘の笑顔も泣き顔も寝顔も何もかもかわいい!!って手放しで思う。娘を置いて仕事に出るなんて今は考えられないんだけど…でもやっぱりちょっと「先生」やりたいなぁって思う自分もいるんだよね。非常勤とかでちょこっと生徒と接するようなのじゃなくって、今までのようにガッツリ生徒と向き合える先生。あんなに「ヤダヤダ」言ってた仕事だったのになぁ。人は所詮ないものねだりの生き物だなぁとしみじみ実感(苦笑)ちなみに今日ホントは書こうと思ってた日記、コアリズムのことでした(^^ゞ従妹が買ったけどやってないっていうもんで、ちょっと拝借。いやいや……キツイですねぇそしてこれをやっている姿は誰にも見せられない(>_
2009.09.17
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ひょんなことから編み物にはまり出した私。いや、うちの父方のばーちゃんが編み物の達人なので小学生くらいからちょこちょこやってはいたのですが、何せ不器用&飽き性なもんで、全然上達しなかったなぁ・・・それが大人になってからやってみると、意外と上手いじゃん…完全な自画自賛ですがでもまぁあんまりお金をかけるのも・・・ってことで道具から材料からほとんどが100均ですこの間、100均で見つけた荷造り用の麻ひも。これってなんか編めるんじゃない?と思って購入。かごを編んでみました味気なかったのでちょっと別の糸でフリルつけてみたりして。その辺にあった今まで編んだあみぐるみの一部を入れてみましたあみぐるみって編むのは楽しいんだけど、そのあと私は放置してしまうことが多く・・・自己満足の世界です(苦笑)ちなみにホントの用途はおやつ入れ旦那の好物「柿ピー」娘の好物「アンパンマンベビーせんべい」などなどが常駐しておりますもうちょい上達して娘にかわいい小物編んであげられるようになりたいなぁー
2009.09.11
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9ヶ月の娘を連れて近所のスーパーへ買い物に行ったときのこと。夕方5時ごろ、娘は甚平風のロンパスを着ていました。最近朝晩は寒いけれど、夕方はそれほどでもなく…娘は肌があんまり強くなくて、皮膚科に定期的に行っているんだけど、温めすぎるのは良くないと先生から言われています。さぁ、そんなこんなでいつもどおりお買い物をしていると、「あら~~~~~~~~~~」と1人のおばちゃん。(え?誰この人?知り合い?)突然の出来事に頭の中がになっていると、そのおばちゃんはすでにカートから出ている娘の足を触ってる!!!「最近もう寒いからね~!こんな売り場は特に寒いからね~! こんなに足出させちゃだめよ~!」どうやら知り合いでも何でもないおばちゃんだったようで、なんだか徐々にムカムカ子どもをかわいがってくれる気持ちから起こした行動なんだろうけども、今はインフルエンザとか何から移るか分からないような状態なのに……前にも娘をだっこして近所を歩いていると、向こうから歩きたばこをしているじいさんが。歩きたばこって…と思ってそのじいさんをよけて歩こうとすると、逆にじいさんがこっちへ笑顔で向かってくる「何カ月なんだい?」「男かい?」←イチゴ柄の赤い服着てんのに…(苦笑)ひ孫がどうのこうの言ってたから、きっとこのじいさんも子どもがかわいいと思って近寄ったんだろうけど、その手に持ってるたばこはあり得ないでしょう??赤ちゃんを連れていると、いろいろ話しかけられてほんわか気分になることも多いのですが、たまにこういうルール違反の年配の人がいるのが残念
2009.09.10
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去年も今頃にブログ復活、とか思って書き始めたものの、結局また1年が過ぎてしまった…さぁその1年の間に私は母となりました2008年11月27日早朝 ユウカ誕生でも実は出産、すごく大変だったんです。******************************************************************************妊婦時代、私は塾講をやってました。これでも一応ひとつの校舎の責任者を任されていて、妊娠がわかってから少しは授業のコマ数を減らしたり、勤務時間を短くしたりしたけれど、普通のフルタイムの仕事に比べるとやっぱりきつかったかも。それでも私を慕ってくれる、頼ってくれる受験生をギリギリまで指導したかったし、実際妊娠生活はとっても順調で全く問題なかった・・・・・・と私は思っていました。そして11月、産休に入り、ようやく出産準備をちょこちょこ始めた37週の検診日のこと。「あれ?先週より赤ちゃんちょっと小さい?! おかしいなぁ。もう1回測定してみるね」でも結果は変わらず。その時は「赤ちゃんの位置がイマイチ良くないんでしょ」ということで帰されました。今思うとこのころからちょっと「?」って思うことがちょこちょこと。お腹が張ってキツく感じたり、腰に鈍痛があったり、疲れて気持ち悪くなったり、ただ全部の症状がちょこっとだけだったから私も誰かに訴えたりしなかった。そして11月27日になったばかりの午前2時。寝ているとお湯が流れ出るような感覚。「え?!破水???」旦那を急いで起こして電気をつけると何かの事件現場か?と思うほどの出血一緒に住んでいる母も起こして3人で病院へ。まったく痛くなかったんです。ただ震えが止まらなかった。車の中で旦那が差し出してくれた手を握りしめながらブルブル震えてた。分娩台へあがって先生の診察。「胎盤がちょっと剥がれてる可能性があるね。うちでもできないことはないけど、 赤ちゃんに何かあるといけないからNICUのある病院へ行こう」そしてなんと救急車で私は大きな病院へ搬送されることに。救急車なんてもちろん生まれて初めて。ただ、こんな時楽観的な性格でホント良かったなぁと思うんだけど、全然危機感を感じてなかったの。お腹では子どもの胎動を感じるし、自分は痛くもなんともないし、救急車で母と「まさか私まで救急車に乗るなんてねぇ」と笑えたほど。さぁ、大きな病院の先生の診察。やはり胎盤が剥がれているかも、とのこと。陣痛が来るのを待っていては赤ちゃんの命にかかわるかもしれないということで私は緊急帝王切開をすることになりました。それが3時半ごろ。あっという間に私の周りには何人もの看護師さんが採血やらレントゲンやらなんやらで集まってきて、なんと4時半には手術開始だと。私はひたすら背中に打つということだけ知っていた麻酔の注射がどんなもんやら怖く思うだけで、あとはもうまな板の上のコイ。そして準備完了、手術室へ。麻酔の注射は思ったほど痛くなかった。でもすごく気持ち悪くって…お腹切られても痛くないけどホント気持ち悪かった…すぐに「赤ちゃんの頭と顔見えたよ」と看護師さん。「ほげっ」という娘の第一声。ここまでの数時間涙は一滴も出なかったけど、ここで初めてウルっときた。「ほんぎゃーほんぎゃー」って元気な声で泣いたのも聞こえた。執刀医の先生に「良かったね」って言われた。ただ、感動はここまで。もう私の体は限界でした。あまりの気持ち悪さに気を失いそうでした。**********************************************************************あとから話を聞いたところによると、私は胎盤早期剥離だったそうです。妊婦の100人~1000人に1人だかの確率で起こる原因不明の状態。栄養や酸素をもらう胎盤が剥がれているわけだから、赤ちゃんの命が助からないケースも多く、下手すると母体まで死にいたることも十分に考えられるとのこと。旦那と母はかかりつけの産婦人科ですでにこのことを聞いていた、と後から聞きました。先生はもちろん私には「大丈夫だよ」と安心させていたけれど、旦那と母は「かなり危険な状態です。赤ちゃんもお母さんも危ないかもしれない」と言われていたと。私の場合、気づいたのが早かったこと、お医者さんたちの対処が早くて的確だったこと、また胎盤の剥がれもそんなに大きくなかったこと・・・それで助かりました。ただ、娘は産まれるときに相当な負荷がかかったようで、1ヶ月ほどNICUに入院したんだけど、9ヶ月になった今、本当に本当に元気。6ヶ月までにはいはい、1人おすわり、つかまり立ちができるようになって、7ヶ月には1人で立つように。まだ一歩はでないけれど、親の私がビックリするような成長ぶりを見せてくれています。産んでしばらくは、普通の出産ができなかったこと、産まれたばかりの娘に点滴やら鼻にチューブを入れるやら痛い思いばかりさせてしまったこと、旦那にも最高の感動と喜びを感じるはずの日にものすごい恐怖を味わせてしまったことなどなど、かなり自分を責めました。でも、元気いっぱいに育って私にまとわりついてくれる娘、「今が最高に幸せだ」と言ってくれる旦那、私は最高の家族と巡り合えたんだなぁ・・・そう実感できる毎日を過ごしています
2009.09.08
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