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難関大学受験生を間近に見ている「いつやるか? 今でしょ」の「林修先生」が、興味深い発言をしています。「NEWSポストセブン」2月22日(金)配信記事から抜粋します。 【今でしょ先生「大学生の学力低下、東大京大も例外じゃない」】――長年、若者を見てきて、変わってきたなと思う点はありますか。 林:僕が授業をしている東大コースで言うと、だいたい東大に行こうっていう時点で、既成の権威に頼っていると思うんですよ。もともと東大生は保守的で、これは僕のときもそうでした。安全志向、安定志向で、早めに人生の貯金をつくって逃げ切ろうと。競馬で言えば、先行逃げ切り型ばっかり。僕みたいに、いったん後方に下げて、そこから一気に勝負しようなんていう博打派はほとんどいなかった。こうした傾向が、最近ますます強くなってきたと感じますね。だから今の学生は、ものすごく勉強しますよ。 ――では、学力は上がっているんでしょうか? 林:平均でいうと、明らかに落ちています。理由は単純で、少子化で学生の人数は減っているのに、大学の定員はそれほど減っていないから。だから東大でも、下のほうはかなり厳しく、大学側も危機感を持っているようです。ただ、上位10~20%は変わっていませんね。びっくりするくらい優秀な生徒は確実にいます。 ――東大でも学力低下が問題になっているんですね。最近一部で、東大と京大の就職差が話題になりましたが、学力的にはいかがでしょうか。 林:受験勉強面だけで言えば、特に文系では、今や完全に京大は東大の下ですね。関西のおもろいヤツが京大に行くとか、そういう個性の面での違いはもちろんあると思いますけどね。 差が付いた原因はいろいろ考えられます。一つは、受験においても、東京一極集中が加速していることですね。情報化が進み、移動も便利になるなかで、東京だけが突出してしまった。僕は年200日ほど出張して、いろいろな地域を見て、それを実感しています。そんななか、京都の洛南高校とか奈良の東大寺学園とか、以前は京大合格者の人数を増やそうとしていた関西の名門校も、東大へシフトチェンジしています。 もう一つ大きいのは、今の若者は、国立の医学部志望がものすごく多いんです。安定志向だから。 ――つまり、医学部に行けば、将来、安泰だと。 林:食いっぱくれはないだろうと。例えば、一昔前なら京大の理学部に行っていたような子が、いまは大阪大学の医学部に行くんです。それで国立大の医学部に、優秀な人材が集中するようになった。一方、技術立国日本を支えてきたような理系の学部に、なかなか人材がいかない。国立の医学部に、のきなみ人材が吸い尽くされて、他大学が低下している。これは大問題だと思いますよ。 ――なぜ若者たちはそんなにも保守化しているのでしょうか。 林:やはり、将来への不安が根本にあると思います。経済の先行きが暗いというのは、世の中のあらゆる面に悪影響を与えるんです。僕はバブル世代で、あのころは、一度失敗したって何とかなるさって思えました。しかし今は、先が読めない時代。若者が自分を守ろうとするのは、仕方のないことなのかもしれません。 でも、これは、我々の責任なんです。若者に希望を与えるのが我々大人の仕事ですから、我々の力不足。少しでも、なんとかしなければと思っているんですけど。 【プロフィール】 林修(はやし・おさむ):1965年愛知県名古屋市生まれ。東京大学法学部卒。日本長期信用銀行に入行するも、半年で「この銀行はすぐつぶれるな」と思い退社。その後、予備校講師となる。現在、東進ハイスクール、東進衛生予備校の現代文講師。東大・京大コースなどの難関コースを中心に授業を行い、抜群の東大合格実績を誇る同予備校の躍進に貢献している。〔以上引用〕「先行逃げ切り型」の「安定志向」が増えている、「経済の先行きが暗い」ため「自分を守ろうとする」のもやむを得ない、との見方は現実的で的を射ていると思います。現代の若者が「安定志向」とよく言われますが、その一つの表れが難関大を目指す高校生の「早く貯金を作って逃げ切りたい」という思いとなっているとの分析。さすがに鋭い!と感じました。林先生曰く、「博奕派」は少なくなっている、ゆえに「面白いヤツ」も減ってきている、と。「東大生の(一部)学力低下」「一極集中による弊害」「京大と東大との格差」は、そのまま、他大学での学力問題に繋がっている気がします。全体が総じて「学力低下」しているわけではなく、学力の「一極集中」によって、そのしわ寄せが他の大学、例えば地方で地元のために役立ってきた大学や、都市部の中堅大学に至っているのかもしれません。つまり、東大や京大を始め、一部の難関大学の優秀な層はそれほど変化していないのです。しかし、そこに集中し過ぎて、学問の多様化や頭脳の分散化に支障を来す可能性がある、というのです。以前ここでも書きましたが、早稲田大学や明治大学には受験生が集まるが、東京でも中堅や学部の少ない大学は受験生集めに苦労しているという現状が象徴しています。若者の「一極集中」や「安定志向」を、分散化、多様化へ導いていくことは、一方で社会、経済の安定が必要なことは確かでしょう。これからの将来、「先が読める時代」とともに「希望」が持てる時代を作っていく必要があると思います。ただし、それを待っていてはいつになるか分かりません。現代の大学生や若者の実情を知り、分析して、これからの大学や社会の在り方を考えていくことが大切となるでしょう。この意味でも、「内向き」な現状を、少しでも「外向き」志向へと可能性を増やしていくことは、一つの試みとして価値あるものと言えるでしょう。東大の秋入学やFLYプログラム、早稲田大学の「WASEDAビジョン150」など、なんとか学生を多様化して「外へ」目を向けさせようとする方針は現代にあって必然の産物なのかも知れません。そういえば、東大の新しい「外への発信」に関する記事も注目を集めています。このたび東京大学(総長 濱田純一、以下「東大」)は、コーセラ社(Coursera, 米国カリフォルニア州マウンテンビュー, CEO Andrew Ng, Daphne Koller、以下「コーセラ」)との間で大規模公開オンライン講座(MOOC)配信に関する協定を締結しました。大規模公開オンライン講座(MOOC:Massive Open Online Course)は、オンラインで誰でも無償で利用できるコースを公開し、修了者に履修証を発行するサービスであり、ハーバード大学、スタンフォード大学、プリンストン大学など世界トップクラスの大学が相次いで参入し、急速に普及しています。東大は、国境を越え世界に最先端の知を届ける方法のひとつとして、コーセラのプラットフォームを利用して、大規模公開オンライン講座を配信する実証実験を行います。これは日本で初めての試みになります。2013年秋をめどに、英語による講義として、政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット長・大学院法学政治学研究科教授 藤原帰一による「戦争と平和の条件(Conditions of War and Peace)」と、カブリ数物連携宇宙研究機構 機構長・特任教授 村山斉による「ビッグバンからダークエネルギーまで(From the Big Bang to Dark Energy)」を配信します。この2コースをあわせ、世界各国から数万人の利用を予想しています。履修者の学習状況や成績の分布に関して研究するとともに、オンライン講座と対面授業を組み合わせる「反転授業(Flipped Classroom)」についても試行的実践と評価を行います。【「日経プレスリリース」2013年2月22日より一部引用】全世界から東京大学の授業が受講できるようになる、というのです。海外の大学、学生にも訴えよう、日本の学生にも刺激を与えたい、そんな全世界、全方向へのグローバル化を目指しているのでしょう。そういえば、早稲田大学も近い将来、インターネットで講義を公開するというビジョンがありました。大学内だけでなく内外の学生や研究者への公開も考えているようです。方向性や試み自体は興味深く、これからの大学の在り方を示唆する大胆なものとなっています。しかし、ここで一つの不安があります。「一極集中」だけでなく、多数派の学生や若者たちの今後です。一般の(普通の)学生、(もちろん東大生や京大生も含めて)の「学力低下」「目的意識の希薄さ」「「大学教育への弊害」などの問題が一方であります。現代の大学が抱える問題は、そんな未来への夢と希望に溢れた壮大なビジョンだけでなく、もっと切実な問題があるようです。そちらも、真剣に取り組んで行かなくてはならない問題として、これから考えていきたいと思っています。
2013年02月23日
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「不揃い」という言葉に惹かれて手に取ってみました。「宮大工」である小川三夫氏の考え方は一考の価値があります。「木」とふれあう経験が「人」への深い思いに繋がっていることが読み取れました。小川三夫著「不揃いの木を組む」(文春文庫 2012年3月 660円)2001年、小川氏が54歳の時に刊行された単行本の文庫版です。塩野米松氏による小川氏への聞き書きをまとめた本です。小川三夫氏は、高校の修学旅行で法隆寺を見て感動し、何度も断られながらも二十一歳で棟梁西岡常一氏のもとへ弟子入りしました。法隆寺三重塔や薬師寺の再建を経て、その後、徒弟制度による寺社建築会社「鵤(いかるが)工舎」を設立、多くの弟子を育てました。この本には、現代の教育に対する小川氏独自のメッセージが随所に込められています。ただし、きっちりとした教育論ではなく、小川氏の「木」と向き合ってきた経験に基づく発言です。その中から、2箇所ほど、興味深い発言について考えて見たいと思います。【不揃いのもの組み立てる】―いまの建築のように規格化されたものを組み合わせていくなんていうのはひとつもむずかしくないよ。一人の統率者がいれば組み上がっていくんだよ。―いまのように規格化されたものを組み上げていくということになると、いちいち小数点が必要なんだな。…けれども、昔のように不揃いのものを組み上げてつくるのだったら、小数点なんかいらないんだ。―狂ったものは狂ったようにうまく組み上げていけばいいわけだ。…一つ一つの部材の精密さより、それを組み合わせた全体が正確であることが大切なんや。―みんな小数点以下でやる時代になったけど、ほんとうに必要なのはそんなことじゃないんだよな。法隆寺は小数点以下の組み合わせで千三百年も建っているんじゃないんだから。木は生きているんだから。―そういう考えで人を育てると、部分だけしか見られなくなってしまうわけだよ。細かいことだけをいって大きく物を見られない。いまの時代、全体をきちっと把握した人間というのができにくいというのは、そういうことがあるやろうな。小数点以下重視の考えや。「規格」による「小数点重視」の考え方が「全体の正確さ」を見失わせている、不揃いのものを組み上げて全体を正確にすことが大切、と小川氏は言います。「小数点以下」にとらわれすぎて「全体をきちっと把握した人間」ができにくくなっている、との言い方は象徴的な気がします。個々の「規格」にこだわりすぎて「全体」を、そして長い将来を見失っている「いまの時代」を思ってしまいます。不揃いを組み合わせて正確な全体を組み立てる、それは困難で根気が要ることでもあるでしょうが、複雑で細分化された現代社会にこそ求められる考え方だと思います。それはまた、人を育てる上でも常に根底に見据えておくべき大切な思考であると言えるでしょう。【材を寝かせることと人を寝かせること】―山に立っている木というのは、生きている木なんだよ。葉が青々と茂っている、その木は建物を建てるための木とは役目が違うわけだ。自分が生きるために立っているんだ。それが、倒されて、運ばれてきて、材になってうちに来た。だから、工場である程度寝かせておいてやらな、あかんのや。―その寝かせておく期間に、立木から建物になる木へと命が移っていくわけだ。命が移りきってから材として使ってやらなければあかんわな。立木のまんまでは、木の用途が違うし、命が違うんだから、それを使ったらいけないわけだ。―いまの時代、一番悪いのは、きのうまでカラスがとまっていたような木を倒して、あした建物にすぐ使ってしまうことだ。その建物がどうなるかっていうと、建物が完成してから狂い始めるわけだから。前もって狂わしていないんだからな。それは木が悪いのではなくて、使うほうが悪いんだ。―日本中の母親の一番よく使う言葉は「早くしなさい」だそうだ。先生も同じわけやろ。訓練が行き届いてしまったやつには「早く」といえるのだけれど、できないやつにいうんだから困ったものだ。―できない子に何かさせるということがどういうことなのかわからないんだな。だから、できる子、要領のいい子だけがいい子になってしまうわけだ。子供でも何年間か寝かせておいて、熟したころに取り出して使いましょうなんていったらば、器用な子は無理だよ。なんぼ寝かせておこうといったって、寝ていられないんだから。 何をするにも早くて要領のいいやつを器用と呼んでしまうから厄介なんだ。―時間がかかるという意味を理解するのはむずかしいな。十年後に何になっているかなんてわからないよ。俺のところでは覚えるのに時間がかかる。それは、ゆっくりでもいいから少しずつ少しずつでいいから前へということで、後戻りはしないということを前提にしているんだよ。「材を寝かせる」ことで「命」が移る、と小川氏は言います。それは、性質の変化を見越して、次の目的への準備をしっかりと整えるということでしょう。「前もって狂わしておく」ことが必要だとも指摘しています。「生きている木」のこの性質は、そのまま「生きている人」にもあてはまります。「早く早く」と子どもを育て、教育する親や先生たち。「器用」で「要領がいい」子どもばかりで、「寝かせる」効果が表れにくくなっている、と言います。「寝かせる」ことで、「命」が移り、丈夫で長持ちする「材」となる。これは、「人を寝かせる」ことにおいても同じことだと小川氏は考えています。「少しずつ少しずつでいいから前へということで、後戻りはしない」ことだけを心がけて、「寝かせる」期間を暖かく見守ってやることが必要なことがあるのかも知れません。とかく、横並びの着実な「成長」を願い、目に見えるものばかりを求めて子育てをし、教育してしまいがちな現代の在り方。「寝かせる」ことの大切さも、時に思い出してみてもいいのかも知れません。「いじめ」や「体罰」が連日報道される中、直接は関わらないかも知れませんが、「子育て」や「教育」には、さまざまな考え方、見方が求められることがあります。そんなことを考えながらこの本を読んでいました。引用部分以外にも、「そうか、そういう見方もあったか」と目を覚まさせられる発言がありました。自分に引きつけて読んでいたからかも知れません。まだまだ未熟な自分を感じさせられる本でもありました。
2013年02月15日
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立春も過ぎ、暖かさを感じる一日、「隅田川」沿いを散策してきました。隅田川西側から見る東京スカイツリーは、朝日を背に燦然と聳え立っていました。その天を突く雄姿は、あたかも「東京の未来」を思わせるが如く周囲の高層建物と調和しています。川の両岸には、有名メーメーカーの本社社屋や高層マンションが建ち並び、高速道や鉄橋など、東京を支える底力を感じさせます。実は、スカイツリーと隅田川、そして撮っておきたかった橋があります。こちらです。西側にある東京ガスのガスタンクが目印となっている「白髭橋」(奥に見える橋)です。荒川区南千住及び台東区橋場地域と墨田区堤通を結ぶ明治通りにかかる橋です。近くに「言問橋」があり、古くから渡しがあった地とされ、「伊勢物語」東下りで主人公が「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の歌を詠んだのはこのあたりとされています。(橋の近くにある「ガスタンク」と「白髭神社」)その「白髭橋」にまつわる「悲しい記憶」を改めて思い出したのでここに書き留めておきます。東京の重たい「記憶」の日は昭和20(1945)年3月10日です。「東京大空襲」の記憶です。死亡・行方不明者10万人以上と言われ、一夜にして、東京市街地の東半部、実に東京35区の3分の1以上の面積(約41km²)が焼失したとされています。特に、下町地区の被災状況は想像を絶する惨状であったことは今も語り伝えられています。あの日、この橋の上で時を過ごした方(私の親戚)から聞いた話です。B29の焼夷弾により既に火の海となった浅草地区の人々は、大川(隅田川)へ避難を始めていました。川の近くには防火帯もあり、少し火の手が少なく見えたと言います。しかし、逃げる橋は限られています。その時に頭をよぎったのは「白髭橋」のガスタンクだった、「あれが爆発したら周囲一帯は全滅する」と。そこで、「白髭橋」を避けて逃げた人が多く見えたそうです。しかし、その方の家族は運を天に任せて最も近い「白髭橋」へと向かいました。「爆発したら命はないが、今はそこにかけるしかない」と、じっくり考える間もなく、とにかく橋へたどり着きました。どうにか橋の近くに避難することができ、そこで朝を待って、川と町の惨状に驚かされることとなったそうです。他の橋は人で溢れ、火の暑さと人の殺到に絶えきれず川へ飛び込んだ人は、溺死または焼死、飛び込まなくても人に押されて圧死した人もいたそうです。逃げ遅れれば確実に焼け死んでしまう、かといって橋に逃げても人で溢れ、川に入っても生き残れない。助かった人たちは、こんな状況で生き残れたことが奇跡に思えたそうです。この「白髭橋」と川岸の「ガスタンク」。ここでは、あわや爆発かと命を託した結果、爆発せずにすんだため命をとどめた方が多かったそうです。空襲の惨状は「東京大空襲」記念館や写真集で見ることが出来ます。江戸東京博物館にも、東京の歴史の一つとして展示され、現代の人々に訴え続けています。その一端とは言え、「白髭橋」と「ガスタンク」を見ると「忘れ得ぬ悲しい記憶」を思い出します。こうした歴史の上に今の東京を象徴する「スカイツリー」と東京の未来があることを再確認しつつ隅田川を眺めていました。さて、その後ぶらりと隅田川沿いを下流に向かって散策しました。いくつか、目に付いたものを載せておきます。隅田川は、生活や産業を支える川として今も大活躍しています。大きな船を引いて走る艀(はしけ)や漁師さんの釣船、観光のための屋形船は数え切れないほど目にしました。交通の便としての水上バスの他、観光船もいくつか目にしました。こんな面白い形の船もありました。しばらく下ると、小名木川との合流地点、そこにはあの「松尾芭蕉」の旧跡があります。「芭蕉記念館」のほか、「芭蕉庵跡地」「芭蕉像」が近くにあります。(芭蕉庵旧跡)ここは、大正時代の大津波で発見されたそうですが、その時に出てきた「蛙」があったそうです。もしかして、写真にある碑の下にいる蛙?「古池や蛙飛び込む水の音」で「蛙」と芭蕉は深い結びつきがあるのです。旧跡の近くに、隅田川を見下ろす芭蕉像がありました。(隅田川を望む芭蕉像)杉山杉風(すぎやま‐さんぷう)[1647~1732]が描いた原画を模写した資料に基づくもので、かなり「本人」に近いそうです。杉風は江戸中期の俳人で蕉門十哲の一人。江戸の人。深川芭蕉庵の提供など、芭蕉を経済的に援助した人として知られています。それにしても、気むずかしそうな顔をしている芭蕉ですね。しばらく下って、今度は東へ「仙台堀川」から「横十間川」へと歩きました。そこで、「和船」を漕いでいる船頭さんを発見。どうやら観光のための和船のようです。江東区には「和船友の会」があります。HP→「和船友の会」には「櫓・櫂による和船の操船技術、並びに和船の維持管理方法を後進に継承し、活動を通じて会員の親睦と地域社会の活性化に資する事を目的として東京都江東区横十間川親水公園をベースに活動しています」とあります。「和船を漕ぐ」手こぎ体験もできるそうです。東京の川で「和船」を楽しむ。「粋」な感じがします。そういえば、川の北側を見ると番地が「海辺」とあります。この辺りは海だったのかと思うと、広々とした「江戸前」の海と「和船」が目に浮かびます。いつの間にか平成、昭和から江戸時代へと時代が遡ってしまう、「東京」は「粋」な江戸を感じさせる場所でもあったのです。
2013年02月12日
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日本の大学を代表する「東大」について、世界の大学ランキング後退だけでなく、入試制度でも立ち後れているのではないか、という事情を前回少し書きました。その東大に最も多くの卒業生を出している東京の開成高校、そこでの動きにも注目が集まっています(開成高校は毎年東大合格者数日本一、昨年は203名が東大に合格しています。)かつてハーバード大学「ベストティーチャー」に選出された経験を持ち、2011年に開成中学校高校校長に就任した柳沢幸雄氏は、昨年5月に「海外の大学事情」という講演会を学内で開き話題になりました。以下、BUAISO.netインタビューより抜粋引用します。【近憂遠慮】世界一の18歳に新たな航路を~開成学園校長 柳沢幸雄氏~(2012.8.1)柳沢氏は5月に「海外の大学事情」という講演会を開き、ハーバードの同僚教授や教え子の台湾・韓国の教授達をスピーカーに招いた。ハーバード大学の学士課程には3万5千人の志願者があり、倍率は30倍。学生の多様性を維持するために3つの分野(学力、スポーツ、芸術)で各々優れた人材を選んでいることなど、入試制度の大きな違いに、出席した生徒や保護者は一心に耳を傾けたという。「講演会が終わってから、『海外の大学に興味があるから校長先生と話をしたい』と言っている生徒がちらほらといるようです。『いつでも校長室へいらっしゃい』と伝えてあるんですよ」ノーベル賞級教授陣が軒を連ねるハーバード大学だが、教授室は学生たちが気軽に訪問できるよう、常に扉が開かれているそうだ。柳沢氏が校長室の扉を放ち、校内に舞い込んだボストンの息吹は、柔らかな追い風となって開成学園の生徒を新たな航路へ導くだろう。柳沢氏は、開成高校出身。1971年 東京大学 工学部化学工学科卒。日本ユニバック(株)を経て、1981年東京大学工学部化学工学科助手。1984年ハーバード大学へ渡る。シックハウス症候群、化学物質過敏症の世界的第一人者として知られ、1986年~2002年公衆衛生大学院専任准教授・併任教授。この間数度ベストティーチャーに選出される。1997年~2012年東京大学大学院客員・専任・特任教授。2011年4月から母校・開成学園校長に就任しました。「入試制度の大きな違いに、出席した生徒や保護者は一心に耳を傾けた」とある通り、ここでも入試制度が注目されています。東大には、「秋入学」だけでなく、「入試制度」でも現行制度に風穴を開けて新たな動きを生み出してほしいものです。では、開成高校校長は「東大に見切りをつけて、海外大学を目指せ」と言っているかというと、そうでもないようです。柳沢氏は、同インタビューで、次のように述べています。(若い世代の内向き志向について)「日本がそれだけ生活するのに心地よい国だから。嘆くのではなく、誇りに思えば良い」「海外で仕事をしてきた目から見ると、特に1990年以降の20年間の低下傾向というのは顕著だ」「若い世代が内向きだと言うけれども、それは上の世代の内向き志向が拡大再生産された結果です。例えば、技術力が高いので日本製品は競争力があると思われていますが、高い技術力のドイツ製品は高い価格で競争できる。しかし日本製品は低価格のものが多い。海外で戦うのに国内の同業他社を強く意識してきたからです。教育も同じです。大人社会を拡大再生産したものなのです。親は自分が知っている範囲で子供が動いてくれるのが一番安心なんですね。満足な教育を受けられなかった僕らの親の世代と違い、十分な教育を受けてきた今の親の世代はそれが非常に強い。その結果内向き志向がより顕在化してるんでしょう」つまり、日本人がまだまだ「内向き志向」なのは、「上の世代の内向き志向が拡大再生産」であり、「親の世代」が自分の知っている範囲でしか子どもを見ていない、その「安心安全重視」が問題でもあると指摘しています。身近な大学にばかり目を向けていないで、親の世代、大人たちはもっと子どもの可能性を広くとらえて、内に抱えるだけでなく「放り出してやる」ことが大切なのでしょう。日本の大学問題は日本の教育問題であり、そして日本を作っている大人世代の問題でもあるわけです。柳沢氏の指摘は「海外へ飛び出した可能性」を経験した者ならではの実感に基づくものなのでしょう。このままでは、日本の大学はますます国際社会の中で後退、孤立していくかも知れません。大学に改革を求めるだけでなく、社会全体が視野を拡大して意識を変えていく必要があるのかも知れません。「大学の行方」が、ずいぶんと大きな話題に発展しましたが、最後に柳沢氏の「教育観」(子育て論)として注目すべき発言を載せておきます。人材育成、子育てのワンポイントアドバイス 【垂直比較・水平認識】 英語では褒め言葉の数が格段に多い。子育てはどうしても『水平認識』、つまり他の子との比較をしてしまいがちですが、そこはちらっと横目で眺めておくだけでいいのです。大切なことは『垂直比較』、つまりその子が伸びている分野を褒めてやることです。子供は育ち盛りだから、必ず伸びているのです。1カ月前と比べて伸びていなければ、半年、1年と遡ってみればいい。もっと遡れば、おぎゃあと生まれた時は歩けなかったけれど、今は立派に成長したなということになりますから(笑)。 子どもを周囲と比べる『水平認識』ではなく、本人を見つめる『垂直比較』で育てていくべきだ、とは鋭い視点です。「言うは易し」ですが、実際はなかなか難しい問題です。しかし、親は常に意識していたい視点です。また、教育現場の先生方や子どもを取り巻く大人たちにとっても必要な視点と言えるでしょう。「体罰」や「いじめ」が連日騒がれる現代、「水平」でばかり見てしまうから周りに合わない生徒は「体罰」で無理矢理従わせる。周囲と違う行動を「水平」でしか見ていないから「いじめ」が発生する。そんな見方もできます。また、大きく捉えれば、大学入試も「水平」でなく「垂直」で評価できる方法が見いだされたら、とも期待します。大学入試制度は、少し変えるだけでも「受験生の混乱を招く」として難しい問題です。しかし、これからの日本の大学のゆくえ決定していく大切な問題だと考えるべきでしょう。今後の動きに注目していきたいと思っています。
2013年02月11日
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大学入試センター試験も終わり、今年もいよいよ大学入試本番の季節となりました。センター試験「難化」の影響か、東大の志願者数が減少傾向にあるようです。東大出願者情報(2月8日締切大学発表)昨年と比較してみます。【 】は定員、( )内が昨年比。〔 〕は第1段階選抜倍率です。文1【401人】 1169人(-27%) 2.92倍 〔約3.0倍〕 文2【353人】 1136人(+5%) 3.22倍 〔約3.0倍〕文3【469人】 1637人(+14%) 3.49倍 〔約3.0倍〕理1【1108人】 2826人(-10%) 2.55倍 〔約2.5倍〕理2【532人】 2007人(-11%) 3.77倍 〔約3.5倍〕理3【100人】 554人(+10%) 5.54倍 〔約4.0倍〕後期(理3除く全科)【100人】 2908人(-10%) 29.08倍 〔約5.0倍〕文系で昨年比-8%、理系で-11%。後期は-10%となっています。近年の大学志願者の傾向は「理高文低(理科系が人気高く文科系が低い)」とされていますが、東大は全体的に約1割減の志願者数となっています。これを以て東大不人気とは言えません。出願者は各予備校のセンター試験リサーチを見て、いわゆる「足切り」を避けて出願してきているからです。それにしても、かの「東大法学部」を擁する文科一類が「足切り」人数に届かないというのは驚きです。昨年がかなり倍率が高かったという事情(350人以上が足切り)もありますが、受験生の「現実志向」と「科類へのこだわり希薄化」を表しています。ただし、後期の志願者が減少しているのは、センター難化の影響と考えられます。今年の前期試験は、文科三類と理科三類を除く四つの科類で事実上「足切り」がほとんどないという状況です。受験生にとっては「2次試験勝負」の可能性が高まり、好ましい状況でしょう。しかし、この2次試験こそが難関です。「東大入試は世界一難しい」なる記事が目にとまりました。「東洋経済ONLINE」の特集「東大とハーバード。目指すならどっち?」シリーズの「東大の入試問題は世界で最も難しい!?」(2012年12月17日の記事)より抜粋します。以前、ハーバード大学の学生に、東大の数学と理科の入試問題を見てもらったことがある。その学生は「全米の学力テストのSATは、難易度も低く、マークシートなので満点が取れる。しかしながら東大の入試問題は、難易度も非常に高く、答案に記述していかないといけないので満点は取りにくい。もしかすると世界で最も難しい大学入試の問題かもしれない」と言っていたのが印象的だった。 また入試問題だけでなく、毎年約9000人もの受験生が書き上げた4教科の答案を限られた期間の中で採点し、その答案のみで、大学が求める人材を見抜くという「東大の選抜する技術」は、ある意味、世界でトップかもしれない。一昨年、東大とイエール大に合格した生徒が「海外大受験は、自分を圧倒的に表現しないと合格しない。しかしながら、日本の大学入試では自分を表現しすぎることはむしろ逆効果になる」「日本の入試本番では、的確に採点基準を抑えて得点を積み上げて行く受験テクニックと、制限時間内に問題を解く処理能力が求められる」「日米併願受験において、この気持ちの切り替えが大変だった…」と自分の受験を振り返っていた。全米の学力テスト「SAT」が、日本の「センター試験」に近い性格と言えるでしょう。しかし、そこからがかなり違っています。「自分を圧倒的に表現」することを求めるアメリカの大学。対して「的確に採点基準を抑えて得点を積み上げて行く受験テクニック」と「時間内の処理能力」を問われる日本の大学。しかし、東大の入試問題は難易度が高く、「内容」に関する知識と記述力を求められます。「世界で最も難しい大学入試問題かもしれない」とハーバード大の学生に言わしめるレベルの高さです。「自分」を表現することを求めるか、「内容」への知識や理解度を求めるのか、そこがアメリカの大学と東大の大きな違いであると言えるでしょう。そこで、近年の東大に対する世界の評価です。「OS World University Rankings」の調査による結果は以下の通りです。2007年(17位)→2008年(19位)→2009年(22位)→2010年(24位)→2011年(25位)2011年、1位はケンブリッジ大(英)、2位はハーバード大(米)、3位はMIT(米)です。アジアでは22位に香港大学が入っています。東大はその下という位置にあります。東大総長の浜田氏が「秋入学」を急ぎ、海外の頭脳を求め海外競争力を欲する理由の一つかも知れません。しかし、センター試験の出題傾向や東大入試問題の「人物」ではなく「頭脳」重視の現状を考えると、事は「秋入学」程度で改善が望める問題ではない気がします。センター試験は、記述式ではなく、選択肢の中から正しい答えを選ぶという能力が問われます。東大の入試問題ポリシーとは相容れない部分が多くあります。センター試験では、アドミッションポリシー(大学の入学者受け入れ方針)は見出しにくいからです。単に「センター試験の選択問題から正解を導くことができる生徒を受け入れる」というだけでの試験となっています。にもかかわらず、東大はじめ難関大学はセンター試験での選抜ラインをある程度高く求めています。昨年では、文科一類で721点(900点中)、理科一類で770点(900点中)以上が求められています。センター試験の得点で第1段階選抜を行うならば、さらに垣根を低くする(問題の易化、選抜人数の増員)が必要でしょう。センター試験でポリシーに反する選択肢問題を課して、2次試験で「世界一難しいかも知れない」難問を記述式で問う、この方式は一見合理的に見えて、やはり国際標準からは大きく立ち後れているわけです。こうした「厳しい入学試験制度」を経験して初めて東大生となれるわけです。しかし、これが「大学で自分、つまり個性をどんどん発揮して周囲に認められたい」という意欲へと結びついていくでしょうか。「自分」を表現できない入試制度を避ける学生が出てきていることも事実です。日進月歩で進化する世界の研究状況、その中で東大を始めとする日本の大学はどのように存在価値を示していくのでしょうか。ランクにとらわれすぎる必要はありませんが、大学を「選ぶ側」の高校でも「海外へ」という動きはますます大きくなってきているようです。次回へ続きます。
2013年02月09日
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2013年2月1日に行われた麻布中学校入試問題「理科」大問(2)の問7は、「ドラえもんの図」が載っています。この「図」について、次の出題がありました。99年後に誕生する予定のネコ型ロボット「ドラえもん」がすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい。ある塾の解答例を見てみると「ドラエもん自身が成長したり、子孫を残すことができないから。」とありました。麻布中学は東京にある有名進学校で、総理大臣を始め著名人をたくさん輩出している伝統校です。その「麻布中学」の知名度も後押しして、この問題がインターネット上で話題となり一気に盛り上がりました。JーCASTニュース2月4日の記事から引用します(抜粋)。「中学入試の問題…だと…?」「これすごいなぁ」など異色の出題に驚く声、「普通に考えたらロボットだからだろ」「フィクションに登場するキャラクターなので、そもそも生物ではないのではないか」など「そりゃそうだろ」という意見がある一方、「ドラえもん、心は温かいと思うよ…。だから生物として認めたいというのが本音」というドラえもんファンの思いなどがある。 さらにまとめ作成サービス「NAVERまとめ」では、「エリート達震え上がる」として、「麻布中学の問題が凄い」「外資系の就職試験みたいだね」「むむむ、面白いなあ」など、大学教授や予備校講師のツイートを紹介している。(引用以上)特に、「ドラえもんは本当に成長していないのか?」について、諸説紛紛たる状況だったようです。つまり、ドラえもんは身体的な成長はしていないが、精神的成長はしている、つまり学習能力がある。ゆえに成長していると言えるのではないか、という意見が多かったそうです。また、ドラえもんは「フエルミラー」という道具で自分を複製できるので、「成長して子孫をふやせるのではないか」という反論まで飛び交う始末です。激しい議論が展開されて、中学入試も楽しい話題を提供してくれるものだ、と微笑ましく感じました。ドラえもんは「単なるロボットだから生物でもないし、人間のように成長もしない。学習能力があっても、それはコンピュータのプログラムに過ぎない」などと言ってしまっては、ドラえもんの面白さや親しみやすさ、さらには未来の夢への思いが半減してしまう気がします。生物なのかと本気で考えるよりも、人間とロボットの真ん中で、機械がもたらす未来と、人間本来の温かい心とを兼ね備えた存在としてドラえもんを「中途半端な存在」と見ていたい思いがあります。未来は「人間的でないロボット」が溢れる世界ではなく、「人間に近い、人間らしいロボット」ができてほしいという願いもあります。あくまでも人間が先にあって、ロボットは「被修飾語」の存在であるべきだと考えるのが普通でしょう。「ドラえもんが生物かどうか」という話題がここまで盛り上がるのは、ドラえもんは「ネコ型ロボット」であるだけでなく、どこか「生物らしさ」があってほしいとどこかで願っている私たちの思いが関係しているのかも知れません。「ドラえもん」は、単に「未来への夢」を想像させるだけでなく、一方で、私たちに「人間らしくあるべき」というメッセージを送っています。そこが人気の秘密なのでしょう。今回の話題は、思わず「ドラえもん人気」を考えさせられる楽しい議論でありました。実は、こうして安心して議論できる理由があります。大問(2)の始めに「『生物であると判断するための特徴』とは、どのようなものなのでしょう」という問題を考える前提となる説明文が載っています。そこには、特徴A:自分と外界とを区別する境目をもつ。特徴B:自身が成長したり、子をつくったりする。特徴C:エネルギーをたくわえたり、使ったりするしくみをもっている。と、生物の定義が説明されています。そこから、特徴A:生命の維持に欠かせない物質として、「水」を答えさせたり、特徴B:受精からヒトの誕生を説明させ、特徴C:ヒトのエネルギー活動を自動車に例えて考えさせます。その上で、最後に問7として「ドラえもんは生物といえるか」を理由つきで説明させる問題へとつなげています。この流れを見れば、ドラえもんは「生命を維持する物質を必要とするか」「子孫を残せるか」「エネルギー活動を行うか」という視点で考え、技術では補えない要素を答えさせようとしている問題であることがわかります。そこで、塾では特徴Bに注目して、「生物は身体的に成長し子孫を作ることができるが、ドラえもんにはできない」という答えを導いているようです。学校側の正解は未発表ですが、特徴AやCを用いて説明することは全く不当なのでしょうか?ドラえもんは「水」という物質を必要不可欠としていない、ドラえもんのエネルギー源は不明(どら焼き?)で、エネルギー活動をしていない、などという答えはあり得ないのでしょうか?あえて、あまのじゃくな答えを考えてみました。「生物」の定義は難問です。この入試問題は、あらかじめ条件を提示して答えを誘導している設問だったのです。インターネットでの議論はかなり飛躍が見られましたが、それはそれで楽しんで投稿しているようです。一方でネットの「無責任さ」を感じますが、それゆえに「気軽さ」を楽しむこともできるのでしょう。ところで、「ドラえもん」と言えば、神奈川県川崎市に「藤子・F・不二雄 ミュージアム」があります。先月末(1月25日)から、「原画展大長編ドラえもん」が開催中です。来年1月まで1年間かけての一大企画です。どんな世界が待っているのか、楽しみです。興味のある方はこちらをご参照下さい。ミュージアム最寄り駅(小田急線)では、「ドラえもんの歌」が電車発着時に流れます。また、小田急線では「ドラえもん電車」(ラッピング電車)が走っています。(「ドラえもん電車」はこんな楽しい電車です)最後は宣伝になってしまいましたが、「ドラえもん」が登場する、楽しい入試問題の話題でした。
2013年02月08日
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近年の「コトバ」に関する話題です。平成21年度『全国学力・学習状況調査』中学校の国語A1「鑑賞文を書く」の問題です。「この絵の特徴は、どの角度から見ても女性と目が合います。」は「この絵の特徴」と「目が合います」との言葉の関係が不適切です。この分の内容を変えないように、「合います」の部分を適切に書きかえなさい。中学3年生の正解率は約半数、50%でした。国語最初の問題なので、作成者も「簡単な問題」をまず解いてから、というつもりで出題したようです。しかし、なんと半分の生徒しか正しく言い換えられていませんでした。報告書によれば、「合ってしまいます」「合う」「合います」などの誤答が目立つ。つまり、「特徴は」という主語に対応しない述語を答えているわけです。本来は「合うということだ」「合うことです」などと、主語に対応する言い方に改めなければ成りません。出題者は「主語と述語との体覆う関係」を聞いているのに、答える生徒は「文末表現の問題」と解釈しているようです。近年の中学生は「主語と述語との対応関係」にはあまり注意していない、ということが言えるでしょう。抽象名詞を主語とする文は、述語との対応関係をしっかり意識していないと「おかしな言い方」を生み出す場合がよくあります。例えば、「将来の夢は宇宙飛行士になりたいです。」がそうです。では、なぜこうした「主語をあまり意識しない述語表現」が違和感なく用いられるのでしょうか。一つは、「書き言葉の退化、話し言葉の優先」という状況があります。現代では、より話し言葉優先の傾向が進んでいると言えるでしょう。「この絵の特徴はね。どこから見ても中の女性と目が合うんだよ。」といった、こま切れの会話文からの連想が働いていると考えられます。少し長い文になると、主語と述語との関係はさほど気にしなくなってしまう傾向があります。「私は…」「あなたは」…という単純な主語の場合は問題ないのですが、抽象名詞や無生物主語となると、述語の乱れはより顕著なものとして表れます。もうひとつは、「日常使う言葉の短文化」という傾向が指摘できます。言うまでもなく、現代中高生の間では、メールやライン、チャットなど、短文のやりとりが日常化しています。「長い文を書くことも、読むことも少なくなってきている」現代人の日常が反映されている気がします。古文がそうであるように、日本語はもともと主語をあまり明確化しません。主語と述語とを正しく対応させることが日本語を使う上でどうしても必要かというと、それもいかがなものかと思います。ただ、現代中学生が「特徴は…」「夢は…」という主語を使って、きちんとした日本語を使うことが出来なくなってきていることは、調査で明らかになっています。願わくは、メールやラインのような「普段使いのコトバ」と、文章用語としての「書き言葉」とが使い分けられる、そんな能力を身につけてくれれば、と思っています。さらに、「長い文章を読む力」も含めて、きちんと日本語を学ぶことを考えるようになれば、今回の話題もよしとすべきでしょう。
2013年02月06日
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