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■■■■■初めていらして下さった方へ。ありがとうざいます。現在、1996~7年を振り返っているところです。日々、完結ですが、一連の闘病含む回顧は8月11日の日記から始まっています。そこから「次へ」で進んで読んで頂けると、(間に日常日記が挟まれますが…)わかりやすいかと思います。 ■■■■■結婚してから 6本日は新婚生活のつなぎ的経過説明です。1996年2月に新婚旅行を終え、その年の11月には夫のディズニー時代の後輩の仲人をさせて頂きました。(自分たちの時は仲人立てなかったのにね)自分たちの結婚式からもまだ約1年。年齢もかなり近い仲人(4歳違い)でしたが、舞浜の大きなホテルで、ハイヤーで送迎してもらい、ホテルに一泊までさせてもらって、「ご媒酌人さま」と呼ばれチヤホヤされ…実は、己の結婚式より数倍楽しかったです。(だって、ご馳走パクパク食べてもいいんだよ)今ではこのお二人、立派なお家を構えて二人の子供(上は来年中学生)を育てておられますが、仲人させてもらったお陰で、気分は親戚。この子供たちが孫のような気持ちがします。そして翌年1997年7月。またまた夫の転勤。今度は北関東。茨城県は「下館」へと引っ越しました。ここで新婚3年目を迎えますー。次回からは新婚「茨城編」おいおい!新婚って…一体いつまでそのタイトルだよっ!?……今(2009年)でも新婚ですが?…なにか?ポチってして頂けると嬉しいです。いつもありがとうございます。
2009年08月31日
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■■■■■初めていらして下さった方へ。ありがとうざいます。現在、1996年を振り返っているところです。日々、完結ですが、一連の闘病回顧は8月11日の日記から始まっています。そこから「次へ」で進んで読んで頂けると、(間に日常日記を挟みつつですが)もっとわかりやすいかと思います。 ■■■■■結婚してから 5今日は当時のノートに付けてた絵日記をそのままリライトします。リアルに当時が覗えるかと…(今でもあまり変わりませんが…)怖い夢を見た私。夫を起こす。夫なぐさめてくれる。が、夫だって眠い。すぐに眠りの世界に戻る…。………許さない。こんな風な日常がちょこちょこと当時の絵日記に書かれてます。その頃の写真を見ると、若いし、いつも二人でどこかに出かけてるとこでとっても幸せそうです。でもね、これっぽっちも「あの頃に戻りたい」とは思いません。一回目の手術後、自分の病名をしってからの私は日々「再発」に怯えていたんだと思います。3ヶ月ごとの検診、時々数値が変動しての再検査。その度に結果が出るまでの一週間の長いこと…。もし私が再発なんかしたりしたら、夫の心は壊れてしまう。そう思ってました。と、思わせぶりなフレーズで括りつつ…、まだまだ新婚日記つづきます。(リアル絵日記やまほどあるし)ポチってして頂けると嬉しいです。いつも本当にありがとうございます。
2009年08月30日
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■■■■■初めていらして下さった方へ。ありがとうざいます。現在、1996年2月を振り返っているところです。日々、完結になってますが、一連の闘病回顧は8月11日の日記から始まっています。そこから「次へ」で進んで読んで頂けると、(間に日常日記を挟みつつですが)もっとわかりやすいかと思います。 ■■■■■結婚してから 4私は英語が非情に駄目です。この後、結婚生活の中で3年ほどNOVAに通いましたが、(……その頃のことは、またいつか………)とにかく体が英語になじまないので、どこへ行っても殆どボディーランゲージです。夫はそこそこ話せるくせに、私をギリギリまで野放しにして会話(?)してるところを見ているのが好きです。モルディブで辛いのが苦手なくせに中国レストランに入ってしまった私。「辛いのはイヤだ」と伝えたくて普通はこれで充分に伝わるんですがねー。くーっ!!反応の薄いやつっ!!!必死に「あむあむ」して「ボーっ」ってのは「NO!」って言い続ける私に、夫は大笑いしてからやーっとサラリと伝えてくれます。新婚の頃の私は、そんな夫を「カッコいいー」と思ってました。そして、今。この事を思い出して書きながら……なんか納得…いかない…。次からは旅行後の生活に戻ります。ポチってして頂けると励みになります。いつも本当にありがとうございます。
2009年08月29日
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■■■■■初めていらして下さった方へ。ありがとうざいます。現在、1996年2月を振り返っているところです。一連の闘病回顧録は8月11日の日記から始まっています。そこから「次へ」で進んで読んで頂けると、(間に日常日記を挟みつつですが)わかりやすいかと思います。 ■■■■■結婚してから 3南の島は本当に楽園でした。この島への船は木曜にしか無いので、8日間滞在。宿泊は水上コテージ。何見ても興奮して走る妻。床が一部ガラスになってて、いつでも青い水面がゆらめいてます。窓の外は海しか見えません。一晩中窓開けてて大丈夫。もう、まさに天国。一応、新婦らしく、可愛いピンクのビキニ。突っ走って海に出ようとする私に夫が叫びます。「日焼け止めくらい塗りなさい!!」は~い♪顔にぬりぬりして、体には片手づつ背後にピシャリピシャリ。もう夢中で遊びました。白い小さな貝を集めたり、周囲に群がる色とりどりの魚を触ったり。一面真っ白の砂の遠浅。そして、誰もいないの。みんなどこに行ったんだろ?ってくらい。そして夜。見事っ!!見事だよ資生堂の日焼け止め。怖いくらいだよ。真後ろから見ると、東洋人が白人と抱き合ってるように見えます。つづく皆さまにポチっとしていただいて、ポイントが入ってて…それ見てグッとしたりしてます。ありがとうございます。
2009年08月28日
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■■■■■初めていらして下さった方へ。ありがとうざいます。現在、1996年2月を振り返っているところです。一連の闘病回顧録は8月11日の日記から始まっています。そこから「次へ」で進んで読んで頂けると、(間に日常日記を挟みつつですが)わかりやすいかと思います。 ■■■■■結婚してから 2式も終わって翌年2月。改めて新婚旅行へ。南国、モルジブへ行ってきました。行きのスリランカ航空で、きれーなスチュワーデスさんが近寄ってきました。「ハネムーンでご予約の「さわさん」ですね。 あなたたちにはケーキがプレゼントされますよー。」みたいな事を英語で言われました。「そだよー。ハネムーンだよぉ」みたいな事を応える私。姉さんが聞きます。「ケーキはいつ欲しいですかー? 今ですかー? 後でですかー?」折りしも機内食が終わって間もない頃。食後に甘いものの欲しい時間。喜ぶ私。「おお、今だよ。まさに今欲しいよー、ナウナウ。」姉さんちょっと驚いた顔してから速攻でケーキを取りに行きました。そして、もらったケーキ。わお!!!ワンホール!???しかもバカでかい。「おぉ、のーだよー。こりゃのーだ。 後で頂くから冷やしておいてねー」と、とりあえず丁重に返しました。だって、まだあと7時間位乗ってるんだもん。英語が母国語じゃないもの同士。大抵の事は通じても、細かい意思の疎通は中々難しいねー。降り際、ケーキの箱を受け取って持ち歩きましたが、空港にいる間中、すれ違う人が、その箱を見て「ヒューヒュー、結婚おめでとー」って言ってくれます。いやいや、マジで参りました。「えっへー、ありがとねー」って言い続ける元気ないよ。が、生涯忘れられない夢のような思い出もできました。こんなこと、まさか大人になってからできるなんて…。ああ、ほんと、夢のようー。新婚旅行、まだつづきます。 ポチってしていただけるととても嬉しいです。いつもありがとうございます。
2009年08月27日
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■■■■■初めていらして下さった方へ。ありがとうざいます。現在、1995年初冬頃を振り返っているところです。一連の闘病回顧録は8月11日の日記から始まっています。そこから「次へ」で進んで読んで頂けると、(間に日常日記を挟みつつですが)わかりやすいかと思います。 ■■■■■結婚してから 11995年10月28日土曜日無事に結婚式挙行。約5ヶ月前に諸々覚悟を決めてた両親の喜びは計り知れませんでした。当時、式や二次会においで下さった方々、ありがとうございました。自分の病名の恐ろしさに、びびりまくっていた私は、誰にも入院してた事さえ話してなかったので、家族以外は病後だということを知りませんでした。病後なので、夫も新婚旅行のための長期休暇はとらず、土曜結婚式、日曜休み。翌月曜は普通に出勤でした。夫の転勤先厚木。新居は少しでも実家に近づくために相模原。近隣に友人も知人もなく、ポーンと始まった新婚生活。毎日、午前11時から夕飯の支度。他にすることないからね。夫は車での営業の仕事だったので、途中で家に立ち寄ることしばしば。最初の月曜、途中帰宅した夫に洗濯もの干した時、手が冷たかったの。と言ったら暫くは仕事の途中に洗濯干しに帰って来てくれてたからね。(実は今でも干してくれるよ♪)どんだけ甘やかせば気が済むの?状態。病気はつらかったけど、後々を考えれば結構ラッキーだったね。へっへっへっ。(多分私いま、ちょー悪い顔してると思う)ありがとうございます。ポチってやって頂けると嬉しいです。
2009年08月26日
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先週、松戸であった「こけし展」へ行ってきました。版画家「大野隆司」さんの呼びかけで、約90名のアーティストが、同じ白木のこけしに絵付けをしての展示。もう、壮観。元は同じものが様々な個性を持って変化していました。どれを見ても感嘆詞。アイディア、色づかい…作者のお人柄が滲み出ていて素晴らしかったです。私もがんばろう。と強く思いました。ポチってして頂けると嬉しいです。半日かけて、一生懸命壁紙リニューアルしました!!!すっごーく大変でした。おかしなとこ(文字が見えないとか)あったら、教えてくださいー。
2009年08月25日
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■■■■■初めていらして下さった方へ。ありがとうざいます。現在、1995年夏頃を振り返っているところです。一連の闘病回顧録は8月11日の日記から始まっています。そこから「次へ」で進んで読んで頂けると、(間に日常日記を挟みつつですが)わかりやすいかと思います。 ■■■■■最初の手術から結婚まで-7そんなこんなで入退院繰り返しつつ、無事(?)に治療も3回終え、季節は8月。夏真っ盛りに正式に退院。さあ、結婚式まで2ヶ月ちょっとです。退院してすぐに式場で衣装合わせをしました。ウエディングドレスはすぐに決まりましたが、カラードレスに悩みました。気に入ったドレスが7号サイズしか無かったのです。式場の係りの方々がしきりに勧めて下さいますが、何しろ私は病み上がり。さすがに手術直後よりは体重増えてましたが、それでも42キロあるかないか位。式当日までこの体重でいる自信がなかったのです。係りの方に「あの…私、病み上がりなのでちょっと痩せてますが、 式当日はもう少し大きくなってると思うんです…」係りの方、爆笑しました。「いやですわー、お嫁さま!! 式に向けて太られるお嫁さまなんていらっしゃいません! 大丈夫でございますよ、皆さまお痩せにはなりますが、 太るなんてこと、ございませんですっ!!」と、一笑され、ドレスは無事に気に入った真っ赤なのに決定。私はわくわくと、式に備えたのであります。そして当日。お色直しの控え室で、係りの方々鬼の形相。「お嫁さまっっっ!!! 何を召し上がりましたーっ!??」って叫ぶんだよ…。……ひどいでしょ?次回、新婚生活はじまる。ありがとうございます。クリックして頂けると、嬉しいです。
2009年08月24日
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昨夜は義弟(夫の弟)が招待してくれて、世田谷花火大会へ。4人がけのピクニックテーブル指定席。高いチケットなのに…ありがとう。もうさすがのロケーション。文句なし。目の前の仕掛け花火の大迫力。頭上で大輪が開き、腹の底に音が響く。粋な浴衣姿の義弟夫婦。可愛くて微笑ましい。最近、ブログで過去の確認作業しているせいか、現在のしあわせに余計に敏感になってるらしい。花火見てたらなんだか泣けてきた。やばい。花火見上げて号泣する義姉……すまん。ほんと、素晴らしくてしあわせな花火の夜でした。ありがとうございます。ポチポチしていただけると嬉しいです。 いつも本当にありがとうございます。感謝してます。
2009年08月23日
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■■■■■初めていらして下さった方へ。ありがとうざいます。現在、1995年初夏頃を振り返っているところです。一連の闘病回顧録は8月11日の日記から始まっています。そこから「次へ」で進んで読んで頂けると、(間に日常日記を挟みつつですが)わかりやすいかと思います。 ■■■■■最初の手術から結婚まで-6 一回目の治療はチューブから直接、濃いめの薬を入れたせいか、かなりダメージが強く、ゲロゲロになりましたが、ドクター曰く「二回目以降は薄ーいのを点滴でするので、ほとんど副作用は出ないし、髪も抜けません」と。とは言え、相当つらかった一回目があるので、かなりドキドキしながら二回目の日を迎えていました。6月も下旬近くなっていました。打たれた点滴の溶剤には、なぜかアルミホイルが巻かれてました。ははーん。私にはわかりました。きっと、容器に「抗がん剤」とか書かれていて、私がその字を見たらショックを受けると思ってるな…。私はもう知ってるもんね。この薬がどんなものか、ちゃんと知ってる!!私はガサガサとアルミをはいでみました。???あれ???「生理食塩水」って書いてあるだけだ。なーんだー。私は点滴をしたまま、病棟のロビーまで行き、大きな窓から、お日様に向かって点滴容器をかざしました。「お日様ーーー!!! 私、がんばりますー。どうか守ってくださいー!! このお薬に力をくださいーーー!!!」心の中で大絶叫してました。その時!!背後で叫び声が!!!私は看護婦さんに羽交い絞めにされて、その後大説教大会ー!!!この点滴は生理用食塩水に、強い薬を少量注入してあるんだって。そして、光に弱い性質の薬なので、アルミホイルで遮光してたんだってさっっっ!!えっへーーーー!!!いつも本当にありがとうございます。ポチってして頂けると嬉しいです。最近、お気に入りリンクが少し増えました。お友達のブログです。こちらものぞいてみてください。ぎたまんさんのブログ採用コンサルタント田中さんのブログみとぅ店長さんのブログこころ座さんのブログ
2009年08月23日
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■■■■■初めていらして下さった方へ。ありがとうざいます。現在、1995年5月を振り返っているところです。一連の闘病回顧録は8月11日の日記から始まっています。そこから「次へ」で進んで読んで頂けると、(間に日常日記を挟みつつですが)わかりやすいかと思います。 ■■■■■最初の手術から結婚まで-5さて、チューブを付けたまま、一週間ほど経過。そろそろ抜糸?という頃、ドクターに呼ばれ個室へ。医「あなたの病名は卵巣癌でした。 病理の結果でもハッキリしました。 今後一ヶ月ごとに3回、予後の抗がん剤をします。 まずは、明日1回目をします。 2回目以降は点滴でしますが、初回は… そのチューブから直接入れます。 それは、そのためのものです。」とても淡々とドクターが話します。夢にも思ってませんでした。「………………がん………???」両親や、夫(当時婚約者)は何の相談もなく、あっさり本人に告知したと憤ってましたが、ドクターにしてみれば、最悪を想定していたのに、あっけないほどの良好な結果。逆に良かったねー的な告知でした。それでも、私には衝撃でした。自分が「がん」。同室の人たち(子宮筋腫や卵巣脳腫)とは違う…。部屋に戻るとショックのままカーテンの中へ。同室の方々が心配して「どーした?」と声をかけてくださるのに応える気力が出ず、閉じ篭もりました。頭の中を自分の病名がぐーるぐるします。そして、この状態で約10分位した時…。廊下から昼食配膳の音と香りが………。お腹がぐーっと鳴りました。これには、自分で自分に失笑。人間て、すっごい悲劇のヒロイン気分の時でもちゃんとお腹が空くんだね。あっさり投降。結婚式前だから、髪の毛抜けないように、薄い薬をやるって言ってたし…。ま、とりあえず、お昼食べてから考えようっ!!…もしかして、ドクターはこの結果を狙って 昼食時直前に告知したのか…?…そうなのか?つづく健康バナー中年バナーそしてライブバナーです。ポチってして頂けると励みになります。いつもありがとうございます。
2009年08月22日
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●結局人口肛門にはならずにすみました。腹水出ていた外観から想像していたより遥かに良好な状態。片方の卵巣だけ切除して手術は終わりました。本来、卵巣腫瘍は両方切除するはずが、私は結婚直前という事で片方残したとのことでした。術後、体重量ったら40.5Kでした。身長157cm。私のベストは48K(当時)。手術前は軽く50K超えてたのは、腹水だったのでした。そして、私のお腹からは一本のチューブが出てました。その先っぽはゴム製の手袋でふたされてます。毎朝、傷跡と一緒にそのチューブの根元も消毒します。他の術後の方にはそんなものついてません。何だ?このチューブ。ドクターに聞いて見ました。「このチューブ…何ですか? お腹の中につながってるんですか?」医「つながってますよ」「えーっ!!じゃー。悪者が入ってきて、 このチューブに息を吐いたらお腹膨れますか?」医「………………。 悪者入ってこないようになってるから大丈夫です」医「それより…自分で吹き込まないでね」笑いながら立ち去る回診医師。「………………。」そんなことするように見えますか!?私がっっ!??ま、そんな事より、これ何なの!!!意外なチューブの利用方法は次号!…か、その次くらい…。健康と医学のコーナーでは3位4位行ったり来たりしてます。ぽち、ぽちってして頂けると、嬉しいです。いつもありがとうございます。
2009年08月21日
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本筋とあんまり関係ない、手術後の話題。寝る前に一本更新。番外編です。手術後、2日め位に待望の食事が出ました。完全な重湯。(ねっとりとご飯の香りのするお湯)それから、お味噌汁の上澄みのみ。そして薄い薄いパインジュース。(うっすらパインの香りの水)以上3品。これが異常に美味しかった。本当に泣ける位美味。生きてて良かったと思って涙が出た。こんなに美味しいものがあるなんて…。泣きながら食べてた私に、看護助手さんが言った言葉が印象的で忘れられない。術後、最初のご飯を食べる時の反応は、面白いほど二極。美味しいと感激する人と、まずすぎると嘆く人。同じような状況で、同じものを食べて…。笑っちゃうほどに、両極端なんだって。人の感じるしあわせも、そんなものかも。同じ状況、同じ状態を喜ぶ人と嘆く人。しあわせは人それぞれなんだなー。ポチッとしていただけると、しあわせです。
2009年08月20日
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■■■■■初めていらして下さった方へ いらしてくださって、ありがとうございます。できれば、過去日記から読んでいただけるとわかりやすいと思います。カテゴリー病気だった頃のことがつづきになっています。その他は、日常とか、思い出とか書いてます。読んで頂けたら、嬉しいです。 ■■■■■今回の分には若干の尾篭ネタがございます。お食事中の方はご注意くだされ。最初の手術から結婚まで-3 さて、そうこうしているうちに、手術も明日へと迫りました。ご多聞に漏れず、明日へと備えてわたくしも剃毛(ていもう)初体験いたしました。いやー。衝撃的でした。処置室で看護婦さんにやって頂き、部屋戻り確認作業…ところが!!!!!見えない!!!見えないのであります。大量の腹水が邪魔をして…何も見えない。いやー、ショックでした。そこで初めて、これは異常だと…(遅いっ!!)そして改めて同室の皆さまとも手術の手順が随分違うことも自覚。皆さまは前夜の夕食抜きの、当日朝浣腸。私は、前日の昼・夜抜きの、前夜と当日朝の二回浣腸。これは、本気で腸を空っぽにするための、人口肛門用の処置でした。点滴で栄養補ってるから、たしかに空腹感はあまりないけど…。つらい…つらすぎる。何か食べたいー!!でも、これも手術が終われば開放されるんだ!!目の前には希望しか見えてませんでした。当日朝は、看護婦さんに髪の毛を三つ編みにしてもらって張り切って手術室へと出発。ストレッチャーで熟睡し、「麻酔掛けるから起きてー」と笑われるほどの脱力感。お気楽な娘を老両親、妹、そしてみち君がお見送り。家では祖父と弟が祈ってくれてました。つづくどうぞ、お好きな方をポチっと…。本当に励みになります。いつもありがとうございます。
2009年08月20日
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プラネタリウムに行ってきたよ。正確には向かって行ったけど、見なかったよ。行ったのは日本科学未来館。プラネタリウムの中でも谷川俊太郎氏の「夜はやさしい」をどうしても見たくて。15時~の回がこの演目だというので、張り切って13時過ぎに現場に到着。そしたらなんと!!!午前中にもう予約一杯になったって。嗚呼。マジ凹む。しかし行って良かったこともあったよ。入り口のチケット売り場の係りのお姉さんが、偶然にも友達のMちゃんだった。声かけられて驚愕。久々に会えて嬉しかったー。結局科学未来館には入らずに撤退。激混みのお台場冒険王を横目に見ながらとっとと帰宅。ま、それも楽しかった。またリベンジするつもり!おやすみっ!!カテゴリー「ライブ」カテゴリー「中年日記」今日は、ボタン2つ貼らせてもらいました。どちらでも、ポチっとしていただけたら嬉しいです。いつも、ありがとうございます。
2009年08月19日
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さて、夜になって、ワクワクしている私。やって来たみち君の手には白い箱が…。そうです。婚約指輪でした。…しかも7個!!……あ、全部頂いた訳じゃないですよ。選ぶんです。ここから…1個。(当たり前?)販売前だし、全てに値札が付いてます。上と下とでは随分値幅があります。総額500万円位でした。みち君曰く値札に関係なく、全部同じ値段だから、気にしないで好きなやつを明日までに選びなさい。(指輪の値段って随分アバウトなのねー)みち君の勤め先に宝飾部門があり、そこの方が入院中の私の為に持ち帰らせて下さったとか。普通、どんなに関連会社の人でも例外中の例外とのことで、みち君も緊張気味。お部屋の方も集まって、わいわいと皆で選考。看護婦さんまで噂を聞きつけて「見せてー」と入れ替わり立ち代り。すっごく楽しかった…忘れられない思い出。その夜は眠れませんでした。そして、大切な一つを選びました。ほんと、しあわせでした。でも、どうして退院してから買いに行かないんだろ?って、ちょっと思ってました。私。ドクターからの宣告で、色々大慌てしてくれてたんだね。ほんと、何も知らなくて…ごめんよ、みち君。本人だけはお気楽入院生活。つづきます。たくさんの方に、本当に感謝しています。ありがとうございます。
2009年08月19日
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夏休みで、すっかり夜更かしになってしまいました。夫と二人でマンションの屋上に天体望遠鏡を持ち込んでみたりしますが、中々星は見えません。小さなイスに座ってビール飲んでると、周りの高いマンションから誰かに見下ろされてる感じです。今回、キャンプも行かなかったし…。明日はついに夏休み最終日。で、プラネタリウムに行きます。(予定)楽しみです。(なら、もう寝ろよ…と、夫の声が聞こえそう)おやすみなさい。毎日見に来てくださったり、コメントやメールくださったり、ポチってしてくださったり…。本当に感謝してます。ありがとうございます。おやすみなさい。
2009年08月18日
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■■■■■初めていらして下さった方へ いらしてくださって、ありがとうございます。できれば、過去日記から読んでいただけるとわかりやすいと思います。カテゴリー病気だった頃のことがつづきになっています。その他は、日常とか、思い出とか書いてます。読んで頂けたら、嬉しいです。 ■■■■■さて、入院をした私。ドクターからの説明では、手術室の関係で手術日は19日に決定したと言われてました。そして、本当に万が一のために、そんな事はないだろーけど、人工肛門の同意書にもサインしてね、と。私は、婦人科系の手術をする人は全員サインするんだとばかり思って、特に疑問にも思ってませんでした。本当は、5月4日に緊急入院したのに、手術まで約2週間も間が空いたのは、手術室の関係というより、人口肛門の為の、外科のドクターとのスケジュール調整が大変だったからだそうです。私は全くそんな事知らずに、いい気に入院生活をエンジョイしていました。私より先に嫁いでいた妹「ちゃみ」が実家に泊まり込んで毎日来てくれ、身の回りの事は何でもしてくれてました。妹がお嫁に行っちゃって、本当に寂しい思いをしてたので、私としては、すっごく幸せな入院生活でした。当時はまだ妹のとこも子供もいなかったから、こんな事できたんだねー。そして、夜になれば、毎晩「みち君」も会社帰りに寄ってくれます。一日も欠かさず、毎晩。ある日「みち君」からポケベルにメッセージが来ました。(当時は携帯電話なんか無いからね。)「ワクワクシテマテ」ん?わくわくして?なんだろー?ポケベルは一方的なメッセージだから聞くこともできずにドキドキと夜を待ちました。つづく中年部門、総合部門とも順位が落ちてきちゃった。でも大丈夫。ライブ部門があるからね!!…そろそろライブの事も書かないと、うそっこになっちゃうね。ごめんなさい。ポチっとよろしくお願いします。
2009年08月18日
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このブログについて、夫は以前からずっと傍観しておりましたが、最近、日々のアクセス数が伸びてきたせいか時々チェックが入ります。あー、オレの頭がカツラみたいだ。とかそんなほっぺ赤くないよ。とかさ。私は「ふーん」とかって生返事のみ。夫憤慨。「あ、聞いてないなお前!」と抗議の声も強まります。ま、ビジュアルについての表現は全て却下(本日もほっぺ赤くしてやった!)ですが…。今朝のブログの件ではちょっとした抗議が入りました。「お父さん、お母さんとは、きょうこは絶対に治ると、 3人ともそう信じて話し合ったんだからね!!! 見送るつもりなんかなかったんだからねっ!」と。じゃ、最後の部分だけ訂正だ。きょうこ不在のまま見送り計画進行きょうこを家族の力で治してやろう計画開始!!………ありがとね。みち君。明日からはほっぺもちょっとしか赤くしないよ。十数年前のことを、こうやって思い出しながら書いていると、日々の幸せをもう一度確認できます。ありがとうございます。
2009年08月17日
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翌日も、みち君は実家にやってきました。今後の相談に。父も母も覚悟はできていました。きょうこには内緒で婚約は破棄。後は、何とか最後まで老夫婦二人で娘を支えること。当時70歳近かった父には、相当堪えたと思います。そんな老夫婦の前に、みち君が正座をして言いました。お願いがあります。「本当に、見送ることになるのなら、 家族として見送らせてもらえませんか?」両親「……………??」「入籍を先にさせてください」みち君。前夜は眠れなかったに違いありません。考えて、考えて、考えて。私を家族として守ってくれようとしました。父も感激しました。それでも、父の出した答えはみち君の気持ちに心から感謝して、感激した上で、「そう言ってくれる事は本当にありがたい。でも、あなたにも親御さんがおられます。あなたの感情だけで今動いてはいけません。そのお気持ちだけ、心からありがたく受け取ります。本当にありがとう。きょうこをどうかよろしくお願いします。」と、今すぐの入籍は押しとどめ、一緒にきょうこを見守って行く事をみんなで確認しあったのだそうです。私不在のまま、見送り計画進行。さあ、闘病はこれからです。次回からは「最初の手術から結婚まで」ですー!ポチってやってやって頂けると俄然はりきります。
2009年08月17日
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ほんとは、今朝早朝からキャンプ行くはずだった。夫と二人でね。大勢のキャンプも大好きだけど、友だちとスケジュールが合わない時は二人ででもでかける。キャンプ大好き。二人キャンプの場合は、大量の文庫本とすごい量の缶ピール持っていくのさ。一日中森の中や湖畔で読書&飲酒そりゃもう、ずーっと飲んで読んで…家でやれよってな行動。でも、これが外でやるからいいんだな。私も何故か屋外で飲むといくらでも飲める。屋外ビール最高。で、本当なら今頃道志の森で寝袋入ってるとこだったんだが、色々あって、出かけずじまい。誰かと約束でもしてれば絶対でかけるんだけど、そこは二人だけだと、ちょっと暑いとか、眠いとかで中止。Wiiの通信機能も調子悪いし、パソコンもフリーズしがち。嗚呼、このまま終わっていいのか!?夏休み!!!で、明日は都営一日切符買って、都内めぐりするよ!!…多分だけどね。予定だけはワクワク立てるんだが、どうも最近すぐに「やめとくかぁ」ってなる。中年だからか?今日は中年コーナーへは飛ばしません!!ライブ部門へ飛びますー。どうかポチってやってやってください。
2009年08月16日
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病院の帰りに、父に誘われたみち君。私の実家で、私不在で、父と対峙。たった一ヶ月前に、「娘さんと結婚させて下さい」のセレモニーを無事に行った同じ座敷で。父は、単刀直入に切り出すタイプ。病名は卵巣がんであること。しかも末期らしい。手術で人口肛門にするために動いているが…医師には覚悟をしておいて欲しいと言われたと。……そりゃー、驚きます。友達になって10年以上。グループで遊んでた頃から。みち君はいつも私を保護者のように面倒みてくれてた。婚約して、たった一ヶ月。結婚式を10月に控えた今はもう5月…。父は続けました。「もちろん、婚約は解消してください。 ただ、本当に申し訳ないけれど…」婚約を解消した事は、きょうこには内緒にしてやって欲しい。最後の最後まで「もうすぐ結婚式」と楽しみにさせてやってて欲しい。と。二人とも、病院のベッドの上で、毎日毎日結婚式のことを考えてる私を知ってます。最後の日まで、わくわくと自分の結婚式の夢を見させてやって欲しいと。父親は頭を下げて、みち君に頼んだそうです。生返事をして、みち君はその日は帰って行きました。つづく今日は、健康と医学全般カテゴリーに飛びます。ここの部門で、やっと3位になれました。ありがとうございます。…と思ったら、あっと言う間にまた4位だ…へへ。日記(中年部門)では相変わらず11位。層、厚すぎ。中年。
2009年08月16日
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夫、夏休み中です。昨日は新宿ワシントンホテルのざうおへランチに行きました。母、自分で釣った「鯛」に大興奮。鯛大好きの母。超しあわせ。自分で釣ったとなると美味しさ倍増らしい。本当に楽しかったらしく、「明日も行きたい」発言…。気に入ったら何度でも行きたい幼稚園気質…。よかったよ、私。元気になれて。母、嬉しそうだと、私も嬉しいよ。よろしければ、どうか、ポチってお願いします。
2009年08月15日
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どこが悪いのかもハッキリわかり、すっかり、いい気になって入院生活エンジョイ。みんなにチヤホヤしてもらえるし、楽しかった。でもね、そんな裏で、父と母はお医者さまから悲しい宣告をされていた。卵巣がんも、腹水が出た時点で相当末期であると。手術は、外科のDrとチームを組む大掛かりなものになると。人口肛門になるであろうということ。……そして、そして…。一応覚悟をして欲しいということ。全部あとから聞いた話ですが…。能天気に入院を楽しんでる娘を前に両親はどんなにか苦しかったか…。そして、その宣告を婚約者である「みち君」に言わずにいるのはフェアではないと思った父が、病院の帰りに、実家へ「みち君」を誘いました。ついに、医師からの宣告が「みち君」にも告げられます。つづく今日はいつもの、エンターテイメントライブ部門へ飛びます。どうかポチって、よろしくお願いします。いつも、本当にありがとうございます。
2009年08月15日
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今参加しているブログランキングはカテゴリーがいくつかに分かれている。登録者は獲得ポイントを一つのカテゴリーにぶち込むもよし、3つまでのカテゴリーに振り分けるも良し…となっている。で、私はそのポイントを、20%ライブ部門に。30%を健康と医学全般部門に。そして、50%を日記部門に振り分けている。私は皆さまのお陰で、エンターテイメントライブ部門では一位にならせて頂けました。本当に感謝してます。でも、これは、そのライブ部門の登録者数が少ないからです。で、野望を持った私は、層の厚い日記部門に殴りこみを掛けるべく、50%をぶち込んでいる訳です。……しかし、やはり日記部門は層が厚すぎる。中々上位に食い込めません。最近、やっと50位以内に入ってきました。で、その日記部門の中でもいくつかの小部門に分かれているので、そちらへも登録すれば、その中で少しでも上位に入れれば、このブログを見て下さる方も増えるかもしれないので、やってみよー………と、したのですが………。なんと、その小分け単位が…。小学生中学生 高校生 大学生 専門学校 サラリーマン パパ ママ 青年 中年 シニア ………というくくりなのです。………どう思います?ですよね。わかってます。ええ、わかってますとも。中年……そこ以外に私の身の置き所はありません。だから、小分け部門には登録しておりませんでした。(…どんな意地だよ…間違いなく中年だろっ! 下手したらシニアじゃねーかっ…みたいな意見は聞かないよっ!)が………。やっぱり、ちょっと欲が出てきました。全体ランキングでようやく300位以内に入ったこともあり、ここは思い切って………。ポチっと中年カテゴリーに登録いたしました。わたくしのポイントの50%をぶち込んでおります。ここで少しでもランクアップして。。。。。。。野望は尽きません。どうか、ポチっと…。よろしくお願いします。本日は、日記「中年」カテゴリーへと飛びます。中年………中年。ここでは、10位にも入れてませんが…見てみてね。
2009年08月14日
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病院へは何故か、仕事中の婚約者(現夫)が付き添ってました。仕事の営業中に立ち寄ってくれてたの。(仕事さぼってた訳だけど…時効だね!)内科から、車イスに乗せられて婦人科へ。(今朝はラッシュの電車で病院まで来たのにね)絶対安静の緊急入院。それなのに、婚約者が車で来てるなら、入院支度を整えに一度帰宅して良いという。(院内、車イスや担架で移動だったのに…)後に母から聞いたら、この時に内科のドクターから電話が来たんだって。神経性だと診断していた事を深く詫びつつ、非常に言葉を選びながら「卵巣がんであること」「婚約者が車で一緒に来ていること」「…家の玄関を、覚悟を持ってもう一度くぐっておいた方が良いこと」暗にもう二度と帰宅できなくなる可能性もある。と、そのような話をしたらしい。母の心中を思うと…ほんと痛くなる。そんな電話があったとは知らない私は公衆電話から母に電話をし、「入院することになったー。 今から荷物を取りに一度帰るねー。 みち君が車で来てくれてるから大丈夫よー」と、気軽な声を出していた。「あら、みち君来てくれてたの?そう。 じゃ、あなたのパジャマとか用意しとくわねー」母も明るい声。………母、多分、生まれて初めてのお芝居。そして、入院したくをして再度病院に戻り、やっとホッと一息。卵巣の病気であると告げられ、これから手術の方向で予定を組むと言われた。意外にも私が最初に思ったのは「よかったーーーー!!!」だった。神経性なんかじゃなかった。これでやっと治療してもらえるんだ。この痛み、つらさから救われるー。だった。本当にしんどくてつらかったの。その理由がわかっただけで、治った気でいた。いやいや、お気楽なことでした。つづくお腹パンパンは苦しかった。ポチっと押して頂けると嬉しいです。いつもありがとうございます。
2009年08月14日
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本日、二回目アップします。病気の話だけだと何となく暗いからさ。ずっと前、二子玉川という駅の近くにワンダーエッグというアミューズメントパークがありました。夫の家が近かった事もあって、よく二人で行ってました。そのパークの中に、園内の細い水路をゴンドラに乗って一周するというアトラクションがあった。普段は乗ったことなかったんだけど、その時だけはキャンペーンをしていて、ゴンドラに乗ってる間にところどころに小さな文字が書かれた卵があるので、一文字づつ拾って読んで、最後にその文字を使って文章を作り、出口のお兄さんに向かって大声で言う。すると、正解者にはプレゼントがあるというのだ。そういうのが大好きな私と夫。張り切って乗ったよ。拾った文字はゴ・メ・ラ・ン・ノ・ド・ガ・ミ真剣に悩む二人。皆さまなら、この文字を拾ってどんな言葉が浮かびますか?…難しいよねー。しかもとある。数通りもあるかー?一つも浮かばん。しかし、粘る大人二人。散々悩んで…ひらめいた!やったやったー!!では、回答に行ってきます!………あれ?係りのお兄ちゃんがしょっぱーい顔してる……はずれ???あ…倒置法がいけなかったの…か??????????…玉砕。正解は「女神のゴンドラ」「女神のドラゴン」あるいは「ゴンドラの女神」「ドラゴンの女神」どれでもいいんなら、「ご覧、女神殿!」だっていいじゃんよぉぉぉおお!!………………ばきゃろーーーーー!!!!!どうか、かわいそうなお間抜け夫婦にポチっとしてやってください。
2009年08月13日
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1995年。4月に婚約して、式場決めて、新居決めて、両家それぞれに挨拶に行って。…そしたら夫が7月から厚木へ転勤だという事が発覚。マンション購入しようとしていた我々を見て、夫の上司が7月の転勤を発令前にこっそり教えてくれたの。そりゃーもう諸々大騒ぎ。ジェットコースターのような3週間。こんな数行で書けるような事ではなかったんだけど、マンションの契約を解約したりさ…。お嫁に行くというイベントにプラスして知らない土地というハードルも入り、期待と不安と緊張と…そしてしあわせ感に浸ってた、そんな4月の終わりのゴールデンウイーク。調子悪くて張ったような感じがしていた例の「神経性の腹痛」の辺りの痛みが増し、お腹がどんどん膨れてきた。そして5月に入ってその膨れが一気に…ばーんと!!GWの連休と連休の合間の平日に病院へ!そんな私の姿を見た担当医師が。「精神的なもの」「神経性」と言い続けてた医師が。一瞬絶句後、「………どうしました!?」と。おいおい。その、どうしたのかを知りたいのは……わ・た・し。そして怒涛の95年春から初夏へと進んでいく。つづく励みにしてます。カチっと押して頂けると嬉しいです。
2009年08月13日
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本日二つめの更新です。先ほどアップした闘病回想録とは別に現在の日常を…。昨日は以前書いた夏休みの宿題のために、小さな友人「はなあゆ」ちゃん(中学1年生)が我が家に遊びに来ました。一緒に来たお母さんが、所用ででかけた夕方から夜。夫と、私と、「はなあゆ」と3人で、ご飯食べに行ったり、Wiiで遊びまくったり…。超激楽しく偽親子として遊び倒しました。中1の娘をひと時借りられて、本当楽しかったー。インタビュー以前に、楽しく生きる大人を生で見せられたし、(その体験が「はなあゆ」にとって良かったどーかは、甚だ疑問)何より、私と夫には素敵な夏の思い出となったよ。ありがとう。大人って、楽しいでしょ…?ね、はなあゆちゃん。ぽちっとクリックして頂けると、とっても喜びます。(私がですが)
2009年08月12日
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4月になって、桜が咲いて。私の体調不良は「神経的なもの」ということで、仕事も続けてました。そして、そんな中…桜の季節に私は当時交際中だった現夫『みち君』と、「結婚しよう」と思ったのです。すべてにおいて優しく私を守ってくれて、この人と一緒にいたら、神経的な心の病なんか、吹っ飛ぶだろう。と思ってました。ずーっと仲良く暮らして行こうね。おじいさんとおばあさんになっても、家族だよ。とってもしあわせな気持ちでした。そんな、最高にしあわせな時期の、5月に、あの事が起こったのでした。つづく押して頂けると、励みになります。よろしくお願いします。
2009年08月12日
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私が最初に自分の体の変調に気が付いたのは1995年に入ったすぐでした。なんか、お腹に違和感があり、時々軽く痛みます。そこで、大きな病院の内科を受信しました。バリウム飲んで、大腸の内視鏡もやり、レントゲン、CT…。もう忘れたけれど、そんな検査を色々して頂いて、出た結果が「精神的なもの」でした。検査を重ねる度に腹部の痛みは増し、私はどうしても「精神的なもの」に納得できませんでした。必至に訴えましたが、出されたお薬は「安定剤」や「胃薬」など7種類でした。私は途方に暮れてましたが、それでもお薬にすがりました。そして、そんな事してるうちに4月になってました。つづく本当にいつもありがとうございます。ポチってやって頂くと励みになります。よろしくお願いします。
2009年08月11日
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ペーパー教習に行こうかと思ってる…。(ペーパードライバーの一日講習みたいなやつ)元々、実技も筆記も全部一発での最短で免許取ったのに、今では全然運転できないの。くやしい。一昨日の花火大会だって、最初は両国のホテルに泊まる予定だった。夫が花火見物の船でお酒飲めないなんて可哀想だから。(結局日曜に予定できちゃって帰ってきたけど)そんなことしなくても、私が運転できれば良い話。母も最近では運転しなくなったし…。(近場だと逆に母に乗せてもらってる始末…情けない)一日位の講習受けただけでできるようになるだろうか…。20年位やってないんですけど…。ポチっとお願いします。最近、励みになってて、ポイント入ってると「わーい、わーい」となります。
2009年08月10日
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先週のこと。夫と二人で新宿のちょっとおしゃれな中華やさんへ。注文の品を待つ間、夫は本を読み、私はDSでドラクエ9の冒険にでかけてました。そこへ、水を注ぎ足すような感じで一人の店員さんが。店「それ…ドラクエですか?」私「はい…(えへへ…と薄ら笑い)」店「どの辺まで進まれました?」私「本筋はクリアしましたよ」店「ええっ!!あの!それなら教えてください… ○○のところがどうやっても××になるんですが…」私「ああ、それは△△ってやるんですよ」店「なるほどー!!やってみます!ありがとうございます!!」すごーくコソコソとしゃべると大急ぎで立ち去った店員さん。私、ちょっといい気になりました。へへへ。帰り際…ミントのお菓子とそのお店の割引券と、名刺をくれました。………店長さんでした。なるほどね。他のバイトの子たちから隠れるようにしてた訳だ。どうかよろしくお願いします。ポチっとよっていただくと、とっても喜びます。
2009年08月09日
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先週、ベランダの工事の方が入りました。階下(居酒屋さん)に水漏れがあると。それが、我が家のベランダの辺りだと。しかも、クーラーの室外機がおいてあるだけの小さい方のベランダ。応急処置ということで午前中だけで工事終了。その間クーラーがつけられません。寝室のクーラー付けて閉じこもればいいんだろうけど、パソコンもテレビも何もないんだもん、寝室。我が家の窓からは見えもしない室外機置き場。でも出入りは我が家から。階下の水漏れは治る。家のベランダは別にきれーになる訳でもない。それでも、近々丸まる2日在宅して工事に立ち会わなければならない…。2日!!丸々2日!!!でも、そんな暑い中、工事なさってる方はもっとつらい…。(これがまた良い方なんで、文句も言えない)それにしてもさー…。普段も2日連続で家に居ることなんて…まず無い!!誰かに遊びに来てもらおうか…。ああ、でもクーラー効かないんだった…。酷暑必至。どなたか、何もないベッドルームに篭って遊んでくれる方求む。……ってなんかヤバイ募集みたいだよ。嗚呼…鬱。またボタン添付忘れてました…。がっくり。これをクリックしていただけると、本当に嬉しいです。ありがとうございます。
2009年08月09日
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夫と、母と私の3人で両国から出る水上バスで東京湾の花火を見に行きました。船で出たお食事は「なだ万」のお弁当。おいしかったー。ビールとお茶とお菓子も付いてました。でも車で行ったので、夫ビール飲めず。かわいそう。集合時間より相当早く付いて整理番号3番!良いお席に座って、母大喜び。水上バス乗り場のすぐ隣に車も停められたし、ご飯もおいしかったし、花火は超激迫力できれいだったし。そしてなにより母のあんな顔見たら…。ほんと、行ってよかった。しあわせな夜でした。どうか、ポチっと押してやって下さい。よろしくお願いします。いつも、ありがとうございます。
2009年08月08日
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10年前の入院中のこと。手術が終わって、病棟は自由に歩いてた頃。看護婦さんに「一階の売店まで行ってきます」と言って夫とデート。格好はパジャマにカーディガン。おまけに上履きって姿でそのまま病院の庭へ。久々の夫とのデートに気分はるんるん。病院での精一杯のおしゃれで手首にはピンクのゴム。病院(広尾の日赤)の庭は広くて緑がいっぱい。本当は院内の売店までってことだったけど…。ま、いっか。いいよね。いいに決まってる。と、歩きつづけて、気が付いたら目の前にカフェが。病院の中につながってるカフェだもん。入っちゃうか…。入っちゃえ!!入院、手術とあって超しばらくぶりの娑婆の空気。その上、もうすぐ頭髪が抜けることはわかってる。カフェなんて今度いつ来れるかわからない。夫が頼んだミートソース。私はオレンジジュース。やっけに高いミートソースに軽く驚愕したけど、あまりの美味しさにクラクラしたよ。本当。しあわせって味覚にも影響するのねー。と、思ってて…後から調べたら、そのカフェ「シェ松尾」でした。日本有数の星もちレストラン「シェ松尾」…。おいしいわけだよねー。納得ーっておいおい!!えーっへっへっー。病院の庭と思って歩いてたのは広尾ヒルズの庭だったのねー。シェ松尾にパジャマで行ったことがあるのは…多分私だけ。押して頂けると本当に嬉しいです。いつもありがとうございます。
2009年08月07日
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久々に「カテゴリーじいちゃんエピソード」です。じいちゃんが亡くなる1~2年前だったと思うから今から10年位前のこと。当時、実家の二階が祖父の住まい。一階に父と母が暮らしてた。家の中の階段で行き来は自由だけど、玄関は二つ。外階段を上がったとこが祖父の玄関。じいちゃんがお昼頃、階下に下りてきて言った。「午後、映画を作ってるという若いのが来るから。 もし、下に来たら外階段を案内してやってくれ」と。その日午前中に「映画を作っている「しんどう」と申します。 ぜひ、教えて頂きたいことがあるので、 お時間作って頂いて、伺わせて頂けないか」と電話があったそう。で、昼過ぎ。下の玄関に「どうも…」とやって見えたのは、押しも押されもしない映画監督。音羽信子さんのご主人。新藤兼人さんだった。一階の父も母も仰天。でも、一番驚いたのは祖父だったらしい。とても真摯な態度で「教えて欲しいことがある」なんて言うから絶対若い映画人だと思ったと言っていた。そして、新藤監督のお人柄にむちゃくちゃ感心していた。新藤監督は、祖父より二つ年上。お互いに知ってはいたけど、映画会社も違っていたのでちゃんと話すのは初めてだったんだって。二人で映画のことを色々話して、楽しい時間を過ごしたらしい。今から10年前ったって、新藤監督87歳だもんね。…今でも現役映画監督。この向上心(祖父がお教えできることなんか無かったはずですが)。………すごすぎます。クリックしていただけたら、励みになります。ありがとうございます。
2009年08月06日
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今参加しているブログランキングは、登録カテゴリーが3つまでOK。もちろん1つに集中させたら、その分ポイントはすべて一つに注入されるんだけど、カテゴリー3つ足して100%になるように自分で振り分ける。私は「日記」と「健康医学全般」と「エンターテイメント全般(ライブ)」の3つに登録した。「日記」と「健康」はまあ順当。でもエンターテイメント?もちろん、私の主たる仕事はライブ活動なので間違いではないんだけど、自分のライブの告知すら、このブログに書き忘れるほどの私。日常お気楽日記&最近では闘病記憶の掘り起こし。だのに、エンターテイメント!!実はこのカテゴリー…ライバルが少ないの。へへへ。たしかに、ライバル少ないんだけど、それでも嬉しいや!!やったー!!どうかクリックをお願いします。1位も一瞬だけだと思うので。早く見てみてね。
2009年08月06日
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私の小さな友人に「大人にインタビューする」という夏休みの宿題がでたらしい。そして、もしかしたら、私にインタビューしてくれるかもしれない…らしい。わおー。インタビューだよ。どきどきわくわくだー。…そこで、ふっと考えた。私の肩書きって…なに?朗読の仕事をしてるけど、朗読家ではない(多分)お話作ってるけど…作家ではない…(絶対ちがう)主婦だけど、主婦って胸はれるほど家事してないし…。楽器やるけど…好きなだけだし…。そうか!!楽しく生きる大人って肩書きにしよう!胸張って言おう!「楽しく生きる大人」だ、私は!!大人だ。最初にアップしたとき、これ付けてませんでした。まだまだ慣れないなー。ぽっちとしていただけたら、本当に嬉しいです。
2009年08月05日
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10年前のリアル日記からリライトしました。これはもう、本当にその時に自分のノートにこっそりと書いたものなので本心からの個人的な日記です。1999年9月の日記頭髪が抜けると言われて、ちょっと「ニヤリ」と思えるなんて…。本当に夫のお陰でした。夫なら、どんな形の私でも「よしよし」と喜んでくれると心底信じられたから。一生懸命に生き続けたいと思えたから。今の私がいるんだな。ありがと。まだよく仕組みわからず。本当にこれで良いのか?…のランキングボタンです。クリックしていただけたら、嬉しいです。
2009年08月05日
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今年で丸10年です。二度目の手術をしてから。最近、本当に色々なことが重なって、一区切りとして病気だった頃のことも書いていくことにしました。14年前になった卵巣がん。その4年後(今から10年前)に再発した時のこと。最近、今現在つらい思いをしている人に接する機会があり、こうやって自分のことを書くことで少しでも何かの役に立てれば嬉しいなと思い書くことにしました。今日の日記は、10年前再発の手術直後、きっつい抗がん剤を打った時のことです。当時手帳にかいていた「リアル絵日記」をそのまんまパソコンにリライトしました。こんな感じの絵日記がたくさんあります。当時はベッド上で絵日記を書くのが楽しみでした。1999年9月本当に苦しかった。何で自分がこんな思いを?となげきました。病気は、本人よりも周りがつらいなー。本当にそんな風に感じました。二人の目を見て。自分、しあわせだな。と思いました。そして、がんばろうと思いました。当時は不安で押しつぶされそうでした。日々、死ぬことを怯えてました。初めて抗がん剤を投与した日のこととか、それをどう乗り切ったかとか…これから時々書いていきます。今は毎日、めちゃめちゃ元気です。手術以降は飲み薬も一つもなく、手術前より健康になりました。毎朝普通に目が覚めるってのは本当にしあわせなことです。だからこそ、今の毎日をしあわせに楽しむ事に一生懸命です。ありがとうございます。今日からブログランキングに参加します。よろしければ、クリックお願いします。
2009年08月04日
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先日の元ディズニーランド仲間の飲み会で、友人がやけにすっきりと痩せていた。「なんで、なんでー」としつこく追求。その友人から荷物が届いた。かわいい洋服や、「石川さゆり」のCDが入ってる。わーい、嬉しい。そして、最後にどっかんハーブコーヒーが入ってました。………………結果詳細を待て。
2009年08月03日
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今日は両国のお寺へ行ってきました。父の一周忌でした。しあわせにやってますから。安心してね。
2009年08月02日
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富山の友達から「ます寿司」が送られて来た。東京でいつも売ってるやつとは違うブランド。すっごく美味しかったー。びっくり。母と夫と3人で美味しく頂く。超しあわせ。昨日のサザエと一緒にランチ。至福。「ます寿司」はもう一つ同封されていた。近所の共通の友人のところへも届けるようにと。食後に夫と二人でお届けに。ちょうど良い散歩。友人のとこは珈琲豆やさん。お店で淹れて頂いた珈琲がまた美味。なんてしあわせな日なんでしょー。ちなみに、珈琲やさんご店主は昨夜の飲み会でもご一緒。真夜中タクシー帰還だったにも関わらず、今朝は早朝より焙煎なさってたとか…。みんなちゃんと大人になってるんだねー。 (…何様目線よ…)
2009年08月01日
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