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彼が趣味のログハウス(本人曰くログハウスではなく掘立小屋だそうです。笑)を建て初めて早、三か月。今月の終わりくらいには引っ越し出来る予定です。縁あって知人に山林を分けてもらい、そこに建てたのでそこで生活する分は家賃は不要です。(当たり前ですが^^;)車も何台置いても駐車場代も要らないし、同じ県のちょっと都会に住んでいる私からみれば夢のようです。(笑)また、その山林にあった材木を利用して建てているので材料費はかからず。システムキッチンとかバス、トイレとかは勿論,メーカーのものですがそれも建ててくれている大工さんの顔で格安で譲ってもらったそうです。そして土地柄、薪もふんだんにあるので大工さんに勧められて明日は「薪ストーブ」を見に行くそうです。私はまだ一度も行ったことがないのでどんな「小屋」が建っていることやら想像もつきません。又、田舎なのでその一帯に住む人はほぼ自給自足の生活を送っている様子。彼も自分の敷地に畑を作り、色んなものを植えたとのこと。先日はその地域でとれた新米を分けていただいたのですが炊き立てのご飯は本当にキラキラしていて美味しかったこと!「どうするの?私たち、結婚してもそこに住むの?」と彼に尋ねてみましたが「気が向けば住めばいいし、ここはここで置いておいてどこかこじんまりしたマンションを借りてもいいし。」とのこと。彼は今住んでいるマンションが嫌で仕方なく、出ていきたい一心だったのでまぁ当分はそこに住むことになりそうです。私も週末だけ行こうかなー・・・と思っています。話は戻りますが・・・地元の人は農作物を育てる傍らで猪を仕留めて燻製にして食べたり(美味しいらしい。。。私は到底、無理ですが。猪って豚と親戚みたいなものですから美味しいのかもしれないですね。)鶏を放し飼いにしてそれを捌いていただいたり...プリミティブな生活を送っているようです。古き良き時代の名残という感じでしょうか。今、物価も上がってきていますし、放射能問題で食の安全も取り沙汰されていますよね。九州に移住してくる方々もいらっしゃるようですし。自給自足の生活・・・・こんな先が見えない時代、限りなく贅沢なのかもしれないな、と思います。大工さんは色んな農作物を育てるセミプロみたいな方らしいので私も是非、色々教わりたいと思います。(この時期、彼が大工さんのところでとれたサツマイモを大量にもらってくるので我が家は毎日、サツマイモ料理が並んでます。)ところで...私が今、一番やってみたいのは「椎茸栽培」なんです。大工さんに尋ねてもらったらそんなに難しくないそうなので。。。もし栽培することになったらブログに写真を載せたいです。(笑)
2013.10.15
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来月の推薦試験を控え、上の姪が他県にピアノのレッスンを受けにいきました。一流の先生のレッスン・・・母親(姉)が付き添いましたが私も是非、見学したかったです。一時間のレッスンだったそうですが中身が濃く、大変身になるレッスンだったようです。姪曰く「すごく楽しかった!また機会があれば同じ先生にレッスンを受けたい。」とのこと。「先生の弾くベートーヴェンはダイナミックで同じピアノから紡ぎだされる音だとは思えなかった...」とのことでした。(スタジオの関係でレッスン室にはピアノが一台しかなかったらしい。)後は今月、来月とコールユーブンゲン(Chorübungen)のレッスンが4回入っています年内には姪の進学先が決まっていることを願います~!!
2013.10.14
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叔母が施設へ入る前、叔父夫婦が叔母のアパートで引っ越しの荷造りをしていたら妹の遺書が出てきたそうです。(父から見て2番目の姉、私にとってもう一人の叔母になりますね。)遺書は叔母あてになっていたとか。60年以上前に書かれた遺書。一番楽しいはずの高校時代・・・何故、自ら命を絶つようなことをしたのか。成績の良い姉(叔母)と比べられていつもコンプレックスを抱いていたことが遺書には綴られていたらしいのですが叔父は辛くて最後まで読めなかったみたいです。祖父が再婚を繰り返し、複雑な家庭環境で育ったことも関係しているんじゃないかな、と思います。「育った環境」というのはとても大切です。話によると祖父は成績のよい叔母を特に溺愛していたそうで歪な家庭環境で育てられた子供たち(父や叔父たち)は皆、被害者といえると思います。ある意味、父親に溺愛されて最後まで自立出来なかった叔母も「被害者」といえるのかもしれません。遺書とともに妹の写真も何枚も出てきたそうです。叔母も何十年も持ち続けないで早く手放せば良かったのに・・・(近々、お焚きあげをしてもらうことにしています。)そういうものを持ち続けること自体、悲しみのエネルギーがいつまでもそこに滞留するんじゃないかなと素人考えで思ってしまいます・・・・。制服姿で佇んでいる女学生の残像がなかなか頭から離れずにいます。
2013.10.07
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10月に入り、役所の手続き(転入手続き)があってそのあと叔母の施設へ行きました。色々な感情、怒り・・・渦巻いていました。父と母、3人で行きました。皆、いろいろと腹積もりはありましたが叔母の状態を見ると私はすべての感情を飲みこまざるを得ず(母もです)父は淡々と・・・あなたに帰る場所はないのだからここで生きていけるように、我儘ばかり言わずにヘルパーさんたちとうまくやっていけるように努力しなさい・・・そう言い聞かせていました。先日の叔父夫婦からの報告を聞いて、私・・・私達はどう話をしようか迷っていたのですが叔母は殆ど泣いている状態でしたので何も言えませんでした。今回は私の母も行っていましたし、叔母にとって煙たい存在の父も行っていたことから防御本能が働いた...のか。自分が皆に迷惑を掛けていることを多少なりとも叔母は理解しているでしょうから「怒られる!」と思って自分の身を守ろうとしたのかな?と思います。「迷惑を掛けてごめんなさい。」本心なのかどうか分かりませんが(人を疑うという嫌な気持ちは普段は持たないようにしていますが叔父の話を聞いていると叔母は人によって態度を使い分けているとしか考えられません。)叔母はずっと泣いていました。小さくなって痩せこけて生気がない叔母。その姿を見ていると私も母も胸が痛くなって何も言えませんでした。ワンルームの部屋には箪笥とベッド、冷蔵庫が置かれていました。箪笥の上には17歳のときに大変不幸な亡くなり方をした父のもう一人の姉の写真が飾ってありました。制服姿の女学生でした。それを見て、益々胸が痛くなったのもありましたし、(話には聞いていましたが出来れば写真は見たくありませんでした・・・)未だに妹の死を悼んでいる叔母の心情も伝わってきました。見えないけど叔母なりに妹の冥福を祈ってのことなのでしょう。目が不自由な叔母が泣いて許しを乞うているのを見てもう何も言う気がなくなりました。叔母は病気かもしれません。どこまで正気なのかも分かりません。叔母の部屋を出ようとすると叔母は私の手を握り、「Aちゃん、また来て頂戴ね。」と言いました。でもそのときのその言葉は一瞬なりとも叔母の本心だと信じたいと思う。大変な3カ月でした。私自身、消耗しきっている感じです。でも怒りは消えていきました。「Aちゃん、また来て頂戴ね。」たとえそれが叔母の本心でも本心でなくてもどうでもいいのです。私は私の出来る限り、今後も手助けをやっていきたいと思っています。
2013.10.07
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