** 長島便り **

2005/06/01
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テーマ: 愛しき人へ(899)
カテゴリ: カテゴリ未分類
お待たせしました 「人探し」
「どうやって探したの?」というご質問が多かったので
その話からします。

手短に言うと「インターネット」の力です!
インターネット万歳~!!!

母の兄である私の伯父と、その父親である私の祖父と、
そのまた父親である私の曽祖父は、親子三代で
同じ高等学校を卒業しています。


祖父  大正6年生まれ 昭和10年卒業 (当時もまだ中等学校)
伯父  昭和21年生まれ 同39年卒(戦後6・3・3制になり高等学校に)

この高等学校の掲示板に、私は「人探し」
の書き込みをしたのです。

祖父の話は以前に「最愛の祖父」として、何度も話を
書いているので、「ああ、あの変わった爺さんのことね」と
思い出して下さる方もいるかもしれません。

実は、その父親である私の曽祖父も、変わり者でした(恥)。
曽祖父は、中等学校卒業後 明治37年に日露戦争へ出兵し、
戦地から母校へ、ちょっとユニークな手紙を何通か宛てており
歴代名物卒業生なのです。


↓本邦初公開、kangの先祖です。



軍人が曽祖父です。「得多」という欲張りな名前です。
着物を着て座っているのが曾祖母、私が8つになるまで生きていました。
そのひざに寄りかかり、汽車の玩具をもった子供が
私の最愛の祖父(当時3歳)です。


あいにく私も会った事が無いので、ここに
曽祖父が母校に宛てた手紙をちょっとだけ紹介しますので
察して下さい。



読めます?読めませんよね、スゴイ乱筆ですもんねぇ(恥)
曽祖父本人の手紙の書き出しを拝借すれば
職務の閑ヲ得テ走リ書キ、乱レ筆幸二御許シ下サレ度。 です

古い漢字を表示出来ないのですが、タイプしてみると、こう↓です。


二百五十 円 五百
計算誤りて消しました
それは高いねと云ゑば或る人答て曰く。
我兵團ラムーチン攻撃の際、敵の砲弾六百発。
我兵團の損害馬一頭。而して一弾の代十二円五十箋と算し
12.5×600=¥7500円
或は又 生命よりは米五合と言ふ事あり。
    理由 浪予街1戦に我部下の兵の背負嚢に
       砲弾の破片が丸りまして、其内にありました
       米の五合を打ち飛ばしました。其兵曰く、
       生命よりは米五合がをしかったとの事。
斯かる事ども書いて見たり談じてみたりして(以下省略)


とまぁ、こんな感じの「ちょっとおもろい戦地の話」を
母校に送り続けた名物卒業生だったようです。
(他にも可笑しな、というか不謹慎な
手紙が何通も母校に残されているので、
今度機会のある時にここで紹介します)

私は、この「名物卒業生 得多」の孫を
ご存知の方いませんか?
と書けば少しは注目度も高いだろうと思い、
掲示板に、そのように書き込みをしたのです。

書き込みをしたのは今から1年半ほど前。
伯父が卒業してから40年近く経つので
同級生達は58~59歳だろう、インターネット世代に
ぎりぎり入るよね、きっと誰か見てるよね、
あの「明治の名物卒業生」の孫なら多分覚えてくれている
人がいるよね、と淡い希望を抱いて書き込んだのでした。


ご、ごめんなさい「続きです」と書いておきながら
結局 話が大きく反れただけで、全然先に進みませんでした。。。
今日はここまでです、すみませ~ん!






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最終更新日  2005/06/02 10:07:29 AM


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