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娘とすごしている、ロンドン滞在最終日になったというところなのに、またしても最後に喧嘩をしてしまいました・・・。二人が最後の晩にでかけたのは娘が計画してくれた、「テムズ川豪華ディナークルーズ」です。ガラス張りの船で食事をしながらテムズ河のディナーと夜景を楽しみます。テムズ川の岸辺にある、船着場に予定より早く到着してしまった私達でしたが、乗船して、案内された席に着くと、メニューを見て、注文をしている頃になってようやく出航のドラ(汽笛)が聞こえてきました。 何だか馬鹿に、騒々しい、話し声が聞こえる席で落ち着かないでいましたが、ちょうど窓際の景色の良く見える席が空いているのを見つけ、私達はそこへ移動させていただき、そこに落ち着きました。さっきまで後ろの席で東洋人の団体が大声で話し、ハデに笑っていたのが静かな船内の雰囲気とはチグハグのような気がして私達には耳障りだったのですが、その声もおかげで気にならなくなりました。ロンドンでは、夜の景観を損ねないようにするため、ピカデリー・サーカス以外でのネオンの使用は禁止されています。 しかし町はイルミネーションに彩られて、ロンドンの夜を落ち着いた風情に見せています。料理が運ばれ、ワインで乾杯し、船内で演奏されているサックスフォンの音楽を聞きながら、外を眺めると、ライトアップされた日本のピースパゴダ(竜の彫刻の置物)を始めチェルシー橋、HOUSES of PARLIAMENT、ウエストミンスター橋、ロイヤルフェスティバルホールなどが次々と私達に迫り来るように見えてきます。船は川上へと進み、ビッグ・ベンのところまで来た。 ここから船は川下へと引き返し、ロンドン橋をくぐり、右手に戦艦ベルファスト、左にロンドン塔、そしてタワー・ブリッジの真下に差しかかった時には音楽が一段と大きな音で演奏された。 それはまるでこのディナーツアーの最高潮だと言わんばかりに盛り上がりました。 タワー・ブリッジの向こうにセント・ポール大聖堂の丸い屋根を望み見る景色であった。 更に、「皆さん、ここから見える景色がこのツアーで最もうつくしい夜景です」とアナウンスされた。女性はスーツやワンピースにパーティードレス、そして男性はスーツで決めていて昼間の街中で見ていたイギリス人達とはまた一味違って見えました。船内が少し寒くて男性に上着を借りているドレス姿の女性もいます。そういえば娘の時も学校の友達を集めたパーティーでは、幼児であろうとも皆パーティードレスを着て集まります。娘の誕生日は1月の寒い時なのですが、それにもかかわらず半袖のワンピース姿でおめかしして来てくれたものです。 寒くないかしら?と心配しているうちはまだまだイギリス式に溶け込んでいない証かもしれません。船上ではバレンタインデーの日であったこともあり、熱々の(?)若いカップルのダンスも多く見られました。美しく、静かな夜景であった。娘は私に景色の良く見える場所に坐らせてくれて、自分は振り返る形でテムズ川の船上から見るロンドンの夜景を眺めていました。ワインが効いてきたのか、それとも夜も更けて来た為なのか? そしてあまりの快適な心地よい揺れの中で、私はついうとうとと・・・・。 「お母さん!折角いい場所に坐らせたのに、ちょっと起きてよ・・。」 これが私達の最後の喧嘩となってしまったのでした・・・(笑)。船はまた、元の船着き場に着いた。船内では、サクスフォンの“蛍の光”が演奏されていました。
2004年05月05日
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結婚して間もないとき、主人に夜中に起こされた。 「どうしたのだ、うなされていたよ」と。あの頃は良く夢を見たが、うなされる夢は決まっていた。 いつも次女の姉と喧嘩している夢だった。 夢の中ではうなされていても、目が覚めて平常心に戻れば、何ということは無い、うなされるほどのことではなかった。 些細な姉妹げんかで、辞書の取り合い、とか、参考書の取り合い、母が買ってきてくれたセーターの奪い合いなどであった。実際にこれらのことは、結婚前に、実家にいて、日常生活の中で姉としばしばぶつかり合っていたことであった。 特に仲が悪かった方ではない、むしろ仲は良かった。これからの人生について話し合ったこともありましたし、一緒に銀座へお買い物で、出かけたり、映画を見に行ったりしたものです。勉強部屋は8畳の部屋に勉強机を二つ置いていた。 姉と私は机を離して置いていたが、お互い一人でいたいと思い、ほかの部屋、居間などへ移動したりしたものです。私には兄と長女の姉もいましたが、二人は年齢、生活環境が私とはかけ離れていましたから、あまり接点は無かった。 その点、次女の姉とは同学年の大学生であり、姉は数学の先生を目指して、私は英語の先生を希望していましたから、あまりに近くにいた存在ということではあった。何度か夢でうなされ、その度に姉と喧嘩の夢を見ていたのですから、主人は「よほど激しくやりあったのだなあ、そんな夢を今も見るのだから」と言った。 私は不思議だった、なぜこんな夢を見るのだろう、姉とは、むしろ仲良しでもあったのに・・・、と。 ロンドンに住んでいたときに、姉は亡くなった。(4月30日の日記)身近な姉の死はとても悲しかった、父とともに抱き合って泣いたのです。そのとき以来、姉の夢は、パッタリ、と見なくなった。夢の中で、あんなにも姉と言い合ったりしたのに、それもしばしば夢のなかで、うなされたりしたのに、姉の死後、全く夢を見なくなったのです。 なぜかしらと、不思議に思いました。その後に二十数年して、再び私は、ロンドンの、以前に住んでいた家を訪れていますが、そこで‘タイムスリップした話’は4月27日の日記で書いています。 そのとき私は姉の夢を、姉の死後、始めての夢を見ているのです。姉も私も、タイムスリップした時代に戻っていて若々しかったのです。 そのときは仲の良い姉妹の夢でしたが。姉の死後には一度も姉の夢を見なかったのに、タイムスリップしたときに見た夢は仲良しの姉妹に戻っていました。 現実と、タイムスリップ、姉の死後の夢は精神面の葛藤、、姉妹二人の無意識の中のライバル意識、などがあったのでしょうか。理解できない不思議な現象を経験したのです。なぜなのでしょう、この現象を、説明、解説、教示できる方がいらっしゃったならば、ぜひお聞かせ願いたいものです。 (楽天の仲間)夢は、よく未来の予言とか潜在意識とか言われますがどういう意味なのでしょう。(楽天の仲間)姉妹は生まれたときからの競争者、でも反面一番親しい仲でもありますから。(私)私の夢の場合、潜在意識だったのでしょうか。やはり、私たち姉妹は仲良しでありライバルでもあったのでしょうか。姉も私も高校の、数学、英語の先生になりましたが。(楽天の仲間) フロイト心理学の夢判断では説明がつきにくく、むしろユンク(フロイトに対立した心理学者)の方が近いと思うのですが、ユンク以降のソンディー心理学で説明出来るのではないかと思います。 簡単に言えば、表面上の人間関係と内面的関係とは矛盾し葛藤している場合が多く、何かのきっかけで立場が変われば相手への認識も変わるということです。それが自分にとって印象深い相手であればある程です。相手の死や環境の変化など様々な要因がからんできます。(私)自分自身の奥深さに潜んでいる深層心理を眠りにつくと誰もが見る夢,とユング心理学では解き明かしていますね。
2004年05月02日
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