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妹が逝った。 私のかわいい妹が逝ってしまった。急なことだった。 私達がアメリカへ帰る日の朝に心不全をおこしたのだ。 妹は前の日から咳がひどくその日の朝、父は私達を空港へ送って行って、母が妹を病院へ連れて行くといっていた間際だった。救急車が来ていろいろな処置をしている中で、うちの父は、"おまえはとりあえず帰れ。もし最悪の場合は自分達がすべてするから心配するな”といった。心配するなといったって.... だけど私は小さい二人の子供と一緒だ。これはとりあえず帰って出直そう。と決め泣きながらタクシーに乗り込んだ。妹には "がんばって!"といって家を出た。思いっきり後ろ髪を引かれる思いだったが、 私はそうするべきだと思った。羽田から成田。 長い道のりだった。 考えるのは妹のことだけだった。心の中では彼女はもう駄目だったというのはうっすらわかっていた。 だけどうちに電話をして確認するのが怖かった。だけどしなければいけなかった。 つらかった。 聞きたくなかったけど聞かなければならなかった。あれから一週間、 私は本当につらい日々を送った。涙がとりとめもなく流れる。考える...またなみだが出る。涙が枯れるまで泣くとはこういうことだったと思った。体は疲れているのに眠れなかった。目をつぶるとあの最後のシーンが短編映画のように何度も何度も私の頭の中で繰り返された。毎日父と母と電話で話した。お互いを励ましあった。 ありがたいことにその日のうちにうちの弟が東京から帰ってきていろいろしてくれた。 親戚のおばさんもすぐ駆けつけてくれていろいろ手伝いをしてくれたらしい。そんな苦しい中にも、私達には信じるものがあった。 私達家族は、神を信じていてある教会に属している。私の心はこの教会の教えに本当に救われた。ありがたいことだと思う。私の両親達の心も救われた。私達に信じろものがなかったらここまで心が救われなかったと本当に思う。そしてせめてもの救いは、妹は突然逝ってしまったが、 私達が帰っていた2週間、私達は楽しい時間を一緒に過ごした。 あとでまた日記には書こうと思うが、 プールにも一緒に行った。ランチにも行った。BBQも家族全員でやった。 お盆には親戚みんなで集まった。一緒に買い物も行った。そして "時” というのは本当にすごいものだ。心の傷も少しずつ癒してくれる。毎日、 少しずつだが心が軽くなっていくのがわかる。ありがたいことだ。今回はとても暗い話題でごめんなさい。だけど書くことで私の心にひとつ区切りをつけなくてはと思って書きました。読んでくれてありがとうございました。
2005.08.28
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やっと金曜日の仕事が終わった。これから明日へ向けての荷作りである。うちのボーイズたちの興奮は頂点に達し始めている。日本へ帰ること。もちろんしばらく会っていなかった家族に会うこと。そしてうちのボーイズ達に会うのを楽しみにしている私の両親に親孝行すること。そしてもうひとつ....いつも日本へ帰国することは私にとって自分が日本人であることを確認する唯一の機会である。私はアメリカ人社会で毎日アメリカ人の中に埋もれて生活している。家でも日本語を使うことさえあまりない。こちらのテレビを見てハンバーガーだのピザだのメキシカンだのという食べ物を食べ、こちらの友達と電話でおしゃべりをし、会社でも日本に触れられる機会なんてほとんどない。毎日の忙しい生活の中に自分がいつの間にか、そうしているつもりはないけれどこのアメリカの環境の中に吸収されてしまっているような気がする。最近会社でランチの時に自動販売機にDR PEPPERを買いに行くことがある。そんな時 "あ~私もアメリカナイズされてきちゃったなあ~”なんて思う。いつも日本には夏に帰る。家に帰ったとたん、畳のにおいが鼻をかすめる。あ~日本にかえってきたって思う。自宅で夕ご飯の後テレビを見ていると外から花火のにおいがしてくる。と思っていると母がスイカを切る音とともにあま~いスイカのにおいがしてくる。すいかを食べていると遠くから涼しげな風鈴の音が聞こえてくる。この時期にはわたしの田舎の青森ではねぶたまつりがある。夕方になるとそのねぶたの太鼓の音が遠くから聞こえてくる。そうしているうちに花火のにおいが蚊取り線香のにおいに変わる。お盆になるとうちの祖父母の家におじさん達、おばさん達、そして小さいころから一緒だったいとこ達と集まる。花と水を持ち 御先祖達の眠っているお墓までみんなで散歩がてら歩いていく。お墓に着くと線香のにおいがとても懐かしく感じられる。墓石に向かい静かに手を合わせてご先祖さまたちに祈願する。夕食が終わると迎え火といって青森の津軽の地方ではお盆の最中家の門のところに火をたく。これは御先祖様たちがお盆にうちへ帰ってくる時に迷わないようにという目印だ。その日を焚きながら子供達は花火に興じる。私も、ものごころつくかつかないかのころからそうやっていとこ達と花火をした。今は私のボーイズやいとこ達の子供達が キャーキャー言いながら花火を楽しむ。それを見ながら遠い昔の思い出に浸ったりもする。こうやって私はいつも、ほんの2週間の間に自分は日本人であることを再確認する。それは私にとってとても大切なことなのだ。そしてその2週間私は思い切り日本人になる。そして父と母に甘える。いくつになったも父や母には甘えたい。この期間は私にとって日本人としてそして私自身にとっての大切な充電期間であるとも言える。今年も思い切り日本人してこようっと!!!
2005.08.06
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うちの長男には けんちゃんという昔からの友達がいる。昔ここの近くに日本の保育園があった。うちの長男はそこに1歳から4歳まで通った。けんちゃんとはあの子らがお互いオムツをしているときからの友達だ。彼は長男より1つうえの10歳だ。彼らは違う小学校に行っているのでその保育園を卒業してからは遊ぶのはもっぱら土曜日は日曜日だ。そうしているうちに彼らもそれぞれの友達ができてなかなか週末にも遊ばなくなった。ただ毎年のけんちゃんの誕生日とハロウイーンはいつも一緒にすごす。そんな彼らが今同じサマーキャンプに行くことになった。去年もそこに行っていた長男はそこにも何人もの友達がいる。そこへ途中からけんちゃんがきはじめた。最初の日、彼は誰も知ってしている子がいなくて独りで心細そうにしていたらしい。”あいつ...新しいやつだ...”という友達の声で長男が後ろをうち振り返るとそこにけんちゃんがいた。”あの子、僕の昔からのともだちだ”といって長男はすぐにけんちゃんの方へ行ったらしい。何ヶ月離れていても彼らは昔からの友達だ。それからけんちゃんと長男と長男の友達たちとさっそくカードゲームをはじめたらしい。私は小さいときとっても中学1年のとき父の仕事の関係で引越しした。それからその次の土地に二年いた。それからまた引越しした。うちの両親はそれから25年同じところに住んでいる。だが私には幼稚園から一緒だったとか、小学校から一緒だったという友達がいない。私は私の友達たちが "幼稚園から友達だった。”とか”小学校から..."なんていっているのを聞くとなんだかうらやましかった。私に中にそんな思いがあったからだと思う。この土地に引越ししてから2-3度アパートやら家やら住むところを変えたが、長男の小学校は常に同じところへ行かせた。といより学校を中心としてすむところを決めた。ここアメリカでは平均持ち家持続期間は5年から7年といわれている。みんなよく引越しをする。そんなわたしたちもフロリダで結婚してオクラホマに移りそれからこのカリフォルニアに移っている。そんなことを考えるとうちの息子たちにおさななじみをつくってあげたいと思うのも少し無理かもしれないがそうなったらいいなと思っている。うちの近所にはプールがある。夏になるとうちでも毎週土曜日と日曜日はプールの日だ。そして特に週末は子供たちだけではなくて親たちの社交場とも化すのだ。子供たちを遊ばせながら親たちは世間話に花を咲かせる。そうやってもう7年。この前も息子の友達のお母さんに ”オタクのXXちゃん、初めてみたときは歩けるか歩けないかのとしだったのにね...”その男の子ももう立派な少年だ。私はそうやって子供たちの毎年の成長を見ているのがとても楽しい。私のひそかな夢はあと10年ぐらいしたある日長男が友達を家に連れてくる。"ママ....覚えている??? XX ちゃんだよ。よくプールで一緒にあそんでた....””うん...うん...おぼえているよ..まあ...すっかりおとなになったね...あのころはいつもないてばかりいたのに....お母さんはどうしている???”なんて会話ができればいいなと思っている。だけどそうは思うけど...なんか年寄りくさい夢だなあ......だけどそれは私のひそかな夢なのだ。
2005.08.05
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昨日の土曜日は案の定仕事に行く羽目になった。朝6時におきてうちのボーイズを起こさないように抜き足差し足で家を出る。会社に着いたのが6時半。結局朝昼ごはん抜きで家に帰ったのは5時半だった。何もできなかった。 今日は日曜日。昨日できなかった私の週末一気掃除を朝から始める。普段の掃除に加えて来週には日本へたつのでうちのだんなのために少しエキストラに仕事をした。まずベットのシーツと枕カバーをすべて取り外して洗う。それとバスタオルもだ。それから冷蔵庫の中と冷凍庫の中も掃除した。うちのだんなは料理をしない。しないというか、する気持ちはあるようだが何を作っても彼が作ったものはすべて彼も認める失敗作と化すので最近は無駄な努力はしないことにしたらしい。 まず冷蔵庫のすべてのものを取り出して中の棚やら引き出しやらをすべて洗う。それから古くなったものや、前の日の残り物などすべて処理する。野菜や肉、果物、チーズなど何がどれだけ残っているかを確かめ仕分けながら所定の場所に入れる。冷凍庫も同じようにした。それからフードパントリーという食料を入れている棚のものもすべて出して古いものはすべて捨てた。私にしてみれば何がどれだけあるから何を買って入れておけばよいか まあインベントリーみたいなものだが彼に言わせると ”日本からまたたくさん食べ物を持って帰ってくるから少し場所を造らないとナ....”。だって。 失礼しちゃうよ、本当に。だけどあたってないこともないかな... 今週スーパーに行ったら 少し冷凍のディナーとビール、スナックなどを買って入れておいてやろう。なんて私はよい妻なのかしら...なんて思ったりもするけど本当は私たちだけで日本へ行くので少しはわたしの中にも罪悪感というものがあるのだ。 とはいうものも私はいま小さいノートを持ち歩いてリストを作ってる。 そのリストとは (1)日本に行ったら食べたいものリスト その中には 焼き魚と煮物、かつおのたたき、おいしい冷やし中華、うなぎの蒲焼、焼肉。お好み焼き、ラーメン、たぬきうどん...などである。 (2)日本に行ったら買うものリスト 子供用ビタミン(肝油みたいなやつ)、大人のビタミン剤、私の洗顔クリーム、塩の歯磨き粉... そしてもうひとつのリストは日本へ持っていくものリストである。姪っ子たちへのお土産ももう買った。国際免許証もとった。妹に頼まれた洋服も買った。母に頼まれた甘味料も買った。後は少しキャンデーを買っていこう..... 今回の帰国は準備万端である。後は出発の日まで病気と怪我に気をつけなければ... 息子たちももう本当に指折り数えてる。彼らも興奮をおさえきれないようだ。そして口を開けばここに行こう、何をしよう、という話ばかりだ。昨日は私がいないときにじじから電話が来て早く会いたいようとうちの長男に言っていたらしい。 そういう彼らも少し心の中にダディをおいていくという罪悪感があるらしい。付け足したようにうちのだんなに ”だけどダディが一緒に行かなくてとっても寂しい”とあれだけ飛び跳ねてうちのだんなが行かないといって喜んでいた長男が言っていた。私は隣で思わず吹きだしそうになった。 そのそばからやはりうちの次男坊が "僕もさびしいよ~”だって。 だんなそれを聞いて うるうる状態とはいかないまでも少し寂しそうだった。 だけど去年はうちの長男は日本へ行ったはいいけれどやはり寂しい気持ちもあるのか、毎日のように ダディに電話しよう、電話しようと言っていたのできっと今年もそうなるんだろうな.... さあ あと 1週間だ!!!がんばろうっと!!!
2005.08.01
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