Mrガチぼっちの日常(潰瘍性大腸炎患者です)

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2004.01.25
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カテゴリ: なし
もう誰もは一度、名前くらいは聞いたことがある本だと思います。

別にこの本は教育論を書いた本ではないのですが、たまたま最近、教育に関する事を日記に書いてましたので、「バカの壁」を読んで感じたことを、私の教育に関する考えにからめて書いてみたいと思います。

1月23日の日記で

教育に関するこの議論は、結局「モノゴトを型に当てはめてこないしていく技術を重視するかどうか」によって意見が分かれるとこではないでしょうか?

と書きました。
で、モノゴトを型にはめていく能力を測るテストがペーパーテスト(入試試験など)でその王様的位置にいるのがセンター試験だと。(1月24日日記参照)

さらに学力崩壊を危惧する立場はこの「モノゴトを型に当てはめてこないしていく能力」を重視する傾向にあり、ゆとり教育を重視する立場はこういった能力の低下をあまり危惧しないと言った事も書きました。

それで「バカの壁」では次のような意味の事が書いてあります。

つまり知っているだけでは何も意味がないと言うことです。
そこには出力が伴わなければならないと。
さらに全然違うページになりますが次のような例が出ています。

東大での口述試験で頭の骨を二つ置いて学生に「この二つの骨の違いを言いなさい」と言った所、1分くらい考えて「先生、こっちの方が大きいです」と答えたそうです。
確かにまちがいではないでしょう。
でもいくらなんでも、それはないだろうと言う話です。
著者がこの例を出した意図は違うと思うのですが、私はこの例も学習したことがうまく「出力」出来ない状態の人の例ではないかと思います。
と言うのも東大生なのですから、ある程度の知識はあるはずです。
ですが、ある知識を試験という場でダイレクトに出力する(私の言い方で言えば「型に当てはめて正答を出す」)事はできても、今まで学習してきた知識・経験をほかの事に応用して「出力」する事ができないのではないかと思うのです。
このある知識をほかのことに応用して「出力」するという作業は試験で知識を出力するよりも若干創造性を有します。
と言うのも「Aと言う知識をと問うてますよ」と試験ほどはっきり言ってくれないないからです。

3つかもしれないし4つかもしれない。それは人によって違うし、いくつの知識をピックアップしてどう結び付けてどういう答えになるかは答えがないわけです。頭蓋骨の例でも別に模範解答がある訳ではありません。当然、「こっちの方が大きい」だって正解でしょうが、それでは小学生並み答えです。
今まで、約20年学んできた事はほとんど生かされていません。うまく出力できていないのではないのでしょうか。

実は私はゆとり教育に賛成です。
と言うよりもゆとり教育でもいいのではないかと思っています。
どうせ、そんなに詰め込みで教育したってうまく「出力」(言い換えれば「若干の創造」)すら出来ないのなら意味がないのではないかと。

しかし、今(20歳を超えて)、自分に必要だと思って勉強したことはあまり忘れないでしょう。
ですから、別に円周率が3でも(実際は3ではないと言う話もありますが)全然問題ないと思います。(3.14の方が良いとは思いますが・・・)

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今日の社労士勉強

雇用保険法の過去問演習

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最終更新日  2004.01.26 23:27:22


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