madamkaseのトルコ行進曲

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marnon1104 @ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
marnon1104 @ Re:2018年の写真を使ってブログ復旧の試し書きをしています。(02/04) うわぁ~♪kaseさんだぁ~♪ お写真を拝見し…
marnon1104 @ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) kaseさん、こんにちは(*'▽')♪ …
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madamkase @ Re:渡航記念日(03/16) marnon1104さん、こんにちわ。 3月に書い…
madamkase @ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) ひなのさん、おひさしぶりです。 トルコは…
2017年07月24日
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 私の携帯は最近、チャージ中だと着信音が聞こえないため、前の日に縁さんから電話が来ていたのを知らずにいた。朝気がついて電話してみると、26日の夜日本に行き、3ヵ月以上滞在するかもしれないので、行く前にお会い出来たら、と思ってかけてみました、というお返事。

 そんなに長らく会えないと言うのは寂しいので、ぜひとも会いましょう、と言うことになり、善は急げとばかり、いっそのこと今日の午後に会いましょうと決まった。

 私もそう言えば、来週末にコンヤに行くことになり、縁さんの作った納豆のストックがあればコンヤの友人への土産にしたいので分けて下さい、と頼み、もう一つ、念頭に浮かんだことを聞いてみた。

「縁さん、パスタマシーンですが、その後使っていますか?」
「いいえー、全然・・・加瀬さんがお使いになるのなら、今日一緒に持って行きましょうか?」
 私は今後とも縁さんが使わないようであれば、借りるのではなく、譲ってほしいと頼んだ。

「譲るなんて、とんでもない、もう十何年も前のものですし、加瀬さんなら生かして使って下さるので、お代はいいですよ」

 パスタマシーンは、私が最初のレストランを開いた後、自分の店で既製品ではない手打ちのラーメンのほか、豚肉やニラ、白菜、餃子の皮など、ないないづくしの餃子を自分で開発し、メニューに取り入れるために、ウイグル人の友達の世話でウイグル・ラグメンの打ち方を習いに行ったあと、エミニョニュのタフタカレ厨房問屋街で、イタリア製の機械を見つけて購入、そのお陰でラーメンや餃子をトルコで創り出し、安定供給出来るようになり、自分史の中でも大事な役割を果たしてくれていた。

 最初のレストランでは私の下で働いていた従業員の謀略により、繁盛しているがために立ち退きを迫られ、店を出るしかなくなった。次の店を立ち上げる準備中にウイグル人の友達の紹介で、ウイグル・ラグメンの打ち方を習いに行き、その後のレストランと自宅に1台ずつ常備し、ひもかわうどん風の平打ち麺と、細いうどん、冷麦、餃子の皮などを作って、商売上大いに役に立った。

 レストラン業から撤退した後も、自宅で来客があったり、友人達が集まったときには、パスタマシーンは大いに役立ってくれたものだ。ダウン・カフェのボランティアやバザーの椿展で、麺作りを長らく担当してくれたお向かいのギュルセレンさんが、1年半ぶりに出身地のゾングルダック・エレイリから戻り、先日久々にお茶に招いてくれた。

 実家のお母さんが長らく寝たきりになり、その世話で故郷から戻れなかったが、3月初めにとうとう亡くなり、1年半ぶりに帰って来たのだ。ギュルセレンさんは、私のパスタマシーンが、平打ち麺の切れが少し甘くなってしまっているので、マダムは新しいのを買って、古い方を私に貰いたい、と言うのだった。

 ダウン・カフェのボランティアでは、私や手伝ってくれる日本女性達は奉仕仕事だが、ギュルセレンさんにはカフェのオーナーと話して、50リラの日当を支払って貰っていた。2014年10月のラーメン大会には、1台では手が回らず、縁さんにマシーンを借りて、早朝から麺を打ち、2台をフル稼働、昼に間に合わせたのだった。

pastamacine
縁さんから譲って貰ったパスタマシーン、いまだに新品同様です。
これで私のものをギュルセレンさんにプレゼント出来ることになりました。



そのラーメンの日の思い出に何枚かのスナップをご披露すると、

Gulseren
ギュルセレンさんがもう得意の麺を切る技をご披露しています。

miki
ラーメンのトッピングに使う花型、星型のニンジン切りを美樹さんが担当

miyuki
同じくトッピングに使う青ネギのみじん切り。この泣ける役目を美由紀さんが引き受けてくれました。

buket
ギュルセレンさんの娘、ブケットさんも手伝って、ほうれん草を茹でる前の下ごしらえ



 こんな風にみんなの力を借りてボランティアでレストラン時代の経験を生かすことも出来たのは、いい思い出である。ただ、ボランティアの主催者みたいな顔をしたヒトがいて、ダウン・カフェの女コックに「加瀬ハヌムがごっそり、コミッションを持って行ってしまうので、あんた達の日曜出勤の手当てが残らないのだ」と説明していたらしく、この女コックが私を怨んでいて、ボランティアに行くたび、ひどい目にあわされていた理由がやっと分かり、彼女とは和解が成立したのだが、次回の2014年11月の「きりたんぽの日」を最後に、私はダウン・カフェへの無料奉仕から手を引いたのだった。

 ***********************

 さて、縁さんは1994年の春、私が娘の家に4ヵ月ほど滞在した時に通った、トルコ語学校で知り合った一番古い友人でもある。その頃縁さんは婚約中でその後結婚し、95年に私がイスタンブールに移住して、縁さんがその暮れに産んだ遥(はるか)ちゃんの出産を祝いに、当時のアジア側ベイレルベイのお宅に友人達と訪問したのが最初で、彼女の家にはその後、何度もお邪魔したものだった。

 その遥ちゃんも今年6月、めでたく大学を卒業した。光陰矢のごとし、と実に感慨深いものがある。縁さんはまだ遥ちゃんが幼い頃、自宅で納豆を作り始め、私にも試食して見て下さい、とヨーロッパ側に来た時、幾つか置いて行ってくれた。美味しく出来ていて、私は近所の友人にも分けて味見をして貰った。

 やがて縁さんは豆腐も作り始め、こちらも次第に安定供給出来るようになり、忙しい日々を送るようになった。その中で、2010年、寺田わかこさんが始めた箏の教室に入り、芙蓉の会と名乗ってレパートリーも増やしつつあることを知った。縁さんを通して知り合った裕美さんとも仲良くして貰っている。裕美さんも努力家で、こちらの料理学校の最終カリキュラムまでマスターし、料理の先生としても活躍中である。

 その年2010年の夏、コンヤで行われたとある行事に、芙蓉の会からも前座としてだが、6人のメンバーに参加して貰うことになったり、ダウン・カフェの日本料理の日など、私がボランティアで頼まれるいろいろな行事に、縁さんが手を貸してくれたりして、アジア側とヨーロッパ側に住まいが離れているので、普段そうそう会えなくても、大事な時に縁さんにはよく手伝って貰ったし、私も芙蓉の会や納豆・豆腐の生産者としての縁さんを売り込む広報部長を務めてきたのだった。




 本日、午後3時の約束で、縁さんがジハンギルのサヴォイ・パスターネシに来てくれることになり、私も午前中の用事を済ませて、ほぼ同時に到着、チャイとイチゴのタルトなど、甘いもの2種類を取り寄せて、仲良く半分ずつ食べながら、最近は顔を合わせてもなかなか話をする機会のなかった欲求不満を一気に解決出来るほどお喋りした。

 重たい荷物なので、週に一、二度ヨーロッパ側に配達に来るときと同じように、引いて歩けるキャリーつきの小型スーツケースに入れて運んで来てくれた縁さんに、私はもとの売値と同額で買い取らせて貰うことにした。いずれまた身辺が落ち着いたら、ときどき麺類や餃子の皮を作って、友達をもてなそう、頭の中では早くもそう思いをめぐらしている自分がいる。

 もちろんそのときは、縁さんも再びイスタンブールに戻って来るころには秋が過ぎて暮れになってしまうかもしれないが、久々に「おうちラーメン」を作ってお呼びしたい。

 いい友達は互いに相手のことを思うものである。縁さんとの22年余のお付き合いも、彼女が私を思ってくれると同じくらい、私も彼女を思って何かをする、そういう小さな幸せを見いだせる友達のいることが嬉しい。
















madamkaseのトルコ本  「犬と三日月 イスタンブールの7年」 (新宿書房)




「チュクルジュマ猫会」




海泡石のパイプやアクセサリーと、「宮古島月桃」の買える店

アントニーナ・アウグスタ














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Last updated  2017年08月04日 18時34分49秒
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