まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2006.05.14
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カテゴリ: 宮崎あおいちゃん




あ~、泣いた。
あそこまで泣いたのもひさしぶり・・。

最後の法廷シーン。すごかったです。

自分のために嘘をつく祖父を見た孫娘の涙。
偽りの人生を背負わねばならない孫娘を想って嗚咽する祖父。
そんな二人が背負うそれぞれの苦悩を想って、泣き崩れる母親。
彼らの苦悩を共有するために、自分も犠牲になろうとする弁護士。
弁護士の犠牲心と、そこで芽生えた心の絆に救われて、あらたに涙する祖父。

もう自分でも、何泣いてるんだか、ワケわかんなかった。
何もかもが、一気に開放されてくようでした。


「最後に竜雷太は真実をぜんぶ語りました」というオチと、
「友香ちゃんは正当防衛になりそうです」という後日談は、
話の顛末としては呆気ないものだったけど、
その前の法廷シーンで、すべてを出し切った感じでした。

どうなったとかこうなったとかいう話の顛末よりも、
人間の心のなかにある本当の思いをすべて出しきることにこそ、
感情のクライマックスと、物語のエンディングがあるんだなと思いました。
そういう脚本の書き方に、あらためて感心です。





先日書いたとおり、
土曜ドラマの『マチベン』は、
「よるドラ」の新作みたいな気分で見てたんですが、
いっぽうの朝ドラ、『純情きらり』のほうも、
わたしとしては、よるドラ『ちょっと待って神様』とのつながりで、
注目してるわけです。

『純情きらり』は、
いまのところ、わたしは安心して見ていられる感じなのですが、
まだまだ、先は長い。

いったい、これからどうなっていくんでしょうか??

今後のなりゆきを、勝手に予測・・。




今後の展開でわたしが注目してるのは、
浅野妙子と宮崎あおいちゃんとの関係です。(~~;

つまり、
脚本家が、アイドル女優にどこまで求めるか。
その度合で、このドラマの展開も大きく変わってしまう。

戦中戦後を生き抜く女性ジャズピアニストの人生を、
どこまで「壮絶」なものに描くか。
それが、ここでの浅野妙子の、サディズムのみせどころ。(~~;;;
優等生タレントの宮崎あおいちゃんに、いったいどんな人生を歩かせるか。

ここまでのストーリーのように、
「経済観念のない、ちょっとわがままな女子高生」ぐらいの役どころなら、
これはもう宮崎あおいちゃんの得意とする分野だったと思いますけど、

問題はこれからです。

噂によると、
浅野&宮崎コンビの映画だった『NANA』(←見てません)では、
役の内容に不満があって続編がキャンセルされたとも言われてますけど、
それに劣らないような壮絶な役柄を演じることを、
この『純情きらり』のほうで要求されてしまうのかも。

もちろん、宮崎あおいちゃんだって、
女子高生の役ばかり演じてきたわけじゃないだろうし、
大人の役だって、出来ないわけじゃないと思う。

考えてみりゃ、
彼女は『ちょっと待って神様』のときに、
ある意味すでに、五十過ぎのおばさんの役を演じてたわけだし。

『ちょっと待って神様』のときは、
少女らしさを失っていない(取り戻した)オバさんの役だったけど、
今回の役も、どこか少女らしさを持ち続ける女性になるんだろうとは思う。

とはいえ、
この物語の設定からいって、
“たったひとりの愛する男性と結婚して、幸せな家庭を・・”
みたいなことにはならないだろうし、
ヒロインのこれからの運命は、
脚本家のサジ加減ひとつで、いくらでも「壮絶」なものになる。

じっさい、『大奥』なんかのことを考えると、
浅野妙子は、平気でコギャルタレントに壮絶な役をやらせるし、
『華の乱』のときなんかは、
容赦なく虐げられる貫地谷しほりちゃんがあまりにも可哀想すぎて、
さすがのわたしもちょっとヒきました。(~~;;

きっと、
このドラマのヒロインも、
戦中はせいぜい「非国民」扱いされるだろうし、
人目を避けながら場末の隠れジャズバーあたりで演奏しながら、
そんな地下の生活の中で、何人かの男性と関係を交じえつつ、
そのうち、大事な恋人や大切な友人を戦争で失くして、
やがて戦後になったら、
極貧のなかで身を売るような日々。
ついには、酒とタバコにおぼれて、みずから身を滅ぼしてく、

・・みたいな展開だって、ありえない話じゃありません。

彼女がいつかまた地元の岡崎に帰る日が来るかどうか、
それさえ、まったく予測もできません。

いったい浅野妙子は、
どこまであおいちゃんにやらせるつもりなのか。
つーか、
それ以前に、「朝の連ドラ」という枠の中で、
どこまで「壮絶な人生」なんぞを描写できるかってのも問題ですけど・・。

ちょっとでも暗くて重い話にすると、すぐさま視聴者から苦情もきそうだし、
きっと、そのあたりのバランスも、
したたかに様子をうかがいながら書いてるんでしょうねー。


昨日の放送では、
東京でお金の工面に苦労している桜子ちゃんを、
さっそく、磯おばさんが助けに来てくれました。

個人的には、
この磯おばさんにはずっと生きててほしいなぁと思いますが、
でも、これから先、
だれがどうなるか、まったくわかりません。

とりあえず来週ぐらいは、
笛子も、味噌屋の御曹司も来てくれるみたいだし、
当面はまだ大丈夫だけど、

やがて、
こういう援助がひとつひとつ失われていくにつれて、
桜子の人生は、どんどん「壮絶さ」を増すことになるでしょう。

以前、劇団ひとりが、
「桜子さんは真っ直ぐで迷いがない」みたいに言ってて、
それを聞いたとき、わたしは思わず、
「桜子に迷いがないのは、まだ経済観念のない女子高生だからだろ。」
と思ったし、いずれ笛子みたいに経済観念に縛られるようになったら、
「“迷いなくまっすぐ走る”なんてことは出来なくなるだろう」
と思ったけど、

でも、
ある意味、桜子みたいな人物というのは、
一生「経済観念」なんてものとは無縁なんじゃないのかって気もする。
支援してくれる人たちのことを有り難いと思うことはあるだろうけど、
じゃあ自分で地道にコツコツお金を貯めて、
人生に保険を賭けながら、健康な老後を設計しようなんて生き方は、
いつまでたっても絶対にやらないだろうと思う。

したがって、
周囲から支援してくれる人たちがいなくなれば、
それにつれて、桜子の人生は、必然的に転落せざるをえません。

今後、
笛子や杏子がどうなるのか。
戦争で勇太郎の運命はどうなるのか。
(原作ではけっこう生き延びるみたいだけど。)
岡崎の味噌屋はどうなるのか。
マロニエ荘の面々はどうなっちゃうのか。
劇団ひとりや、イケテツとの再会はいつあるのか。

このへんのサジ加減ひとつで、桜子の運命はどうにでも変えられる。
理解者や応援者を減らせば減らすほど、宮崎あおいちゃんは悲惨になる。



いっぽう、
かつて、父親の三浦友和が言ってた、
「桜子がいちばん強い/笛子は弱いところがある」ってのは、
今後の物語を考えるうえでも、大きなヒントになる。

笛子という人は、
戦時だからといって必死で竹槍をふり回したりする人だけど、
そういう彼女の姿というのは、
「家族を守るため」だけのものじゃなく、
ある意味、彼女自身の「弱さ」をも表してると思う。

杏子や、桜子や、勇太郎は、
その手のことには鷹揚で、動じることもほとんどありません。
意外に、弟や妹たちというのは、
世間的な価値観とか、常識とかに屈したりしないし、
そういうものに逆らう神経とか耐える覚悟とかをもってる。
磯おばさんも、そのへんの修羅場はくぐり抜けてきてます。

それに対して、笛子の弱さというのは、
けっきょく、常識や世間的な価値観を打ち破れないところ。
「自分の人生を進むこと」に対して、
いちばん臆病なのも、たぶん笛子だろうと思います。

その意味で、
笛子は、経済的な面では「助ける側」に立っているようで、
人生のうえでは、
ぎゃくに笛子のほうが、妹たちに「助けられる」場面も出てくるかも。

笛子は、
桜子に襲いかかるであろう「壮絶な将来」を心配するがゆえに、
音楽家なんていう選択には反対しているわけだけど、
逆に考えると、
父親の三浦友和のほうは、
桜子の将来が壮絶なものになりうることをも見越したうえで、
彼女の「強さ」を信頼しきったのかもしれません。


まあ、
曲がりなりにも「朝ドラ」のヒロインである桜子の人生が、
どれだけ「凄まじいもの」として描かれるのかも、
まだ分かりませんけど、

たとえば『大奥』なんかを見ると、
浅野妙子のドラマに出てくる女性は、
たとえどんなに壮絶で凄まじい人生を送っても、
最後には、どこかキラキラした純粋な部分を見せて終わります。

このドラマも、
タイトルが『純情きらり』だし、
ヒロインの人生も「壮絶」かつ「キラキラしたもの」になってくのかな。

それでも、
その人生の「壮絶さの度合」ってのは、やっぱり気になります。







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最終更新日  2021.07.13 16:37:46


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