まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2006.05.22
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カテゴリ: 宮崎あおいちゃん
クドカンの昼ドラ、『吾輩は主婦である』。


このタイトルのギャグセンスに、まずウケてしまいました。

でも、
もともと夏目漱石にとっても、
いちばん自分のことを「吾輩」なんて呼びそうにないのが、
家で飼われてる猫ちゃんだったわけですから、

原題のというのが、

クドカンのギャグセンスも、もともとは漱石から受け継がれてます。

クドカンが、
現在の斉藤由貴ちゃんの魅力をどう引き出してくれるのか、期待





さて、
朝ドラ『純情きらり』のほうですが、
きわめてオーソドックスな「朝ドラ的風景」をつくりだしてる感じ。

わたしとしては、
もうちょっとディープな「池袋モンパルナス」っぷりを見たかったので、
その点では少し物足りない気もしますが、まぁ、しょうがありません。

この時代設定のドラマに、

これなら視聴率がとれるのも、まあ当然。

宮崎あおいちゃんは、
良くも悪くも「NHK朝ドラ的」なタレントで、
ある意味、キャラが一時代古いというか、
どちらかというと、むかしの児童劇団風な、古典的な演技が目立つ子で、


でも、そういうタレントだからこそ、
もっか、NHK朝ドラの枠には最適なキャラなわけでして、
さぞかし、世間のお父さんやお爺ちゃんたちにとっては、
「自分の娘や孫にしたいタレント投票」あたりで確実に一等賞になりそうな、
さしずめ、原節子の時代ぐらいのタレントさんを見るような気持ちで、
百歩ゆずっても、
せいぜい若い頃の吉永小百合を見るような気持ちで眺めるぶんには、
いまのところ、これ以上無い、ベストな女優だといえます。

どっちかと言うと、わたし自身の興味は、
なぜ浅野妙子が、そういうタレントを継続的に演出し続けてるのか。
その、脚本家の動機とか展望のほうにあるんだけど、


それはともかく、


もうひとつ、このドラマで興味があるのは、
浅野妙子の「戦争」の描き方の問題です。

ドラマの舞台が“昭和20年”になるには、
もうしばらく時間がかかるとは思うけど、
東京にいるにせよ、岡崎にいるにせよ、
主人公の桜子は、
まちがいなく空襲を経験することになる。

東京はもちろんですが、岡崎にも空襲はありました。
だから、桜子が空襲を避けられることはないんだと思う。

そして、そこでは複数の登場人物が無差別に死ぬことになる。

さすがに「桜子が死ぬ」という展開にはならないと思いますけど、
逆に、それ以外のことは何も言えません。

良い人だろうが、悪い人だろうが、
共感できるキャラだろうが、できないキャラだろうが、
視聴者の好みとか、人気とかにかかわらず、
無差別に、しかもいっぺんに何人もの登場人物が死んでしまうことになる。


戦争のリアリティを描くには、そうする以外にないから。
視聴者から苦情が来ても、そうするしかない。


その意味で、
映画よりも、むしろTVの連続ドラマのほうが、
戦争のリアリティが強く出てしまうような気がしています。

映画の場合だと、
はじめから見る人は「戦争映画」だってことを身構えて見てるし、
ある程度、どの人物が死ぬことになるか見当もついてしまう。

でも、連続ドラマの場合、
それまで毎日のように画面に登場していたキャラクターが、
その前日まで普通に笑ってたはずなのに、
次の日からは、いっぺんにいなくなってしまうことになる。
しかも、一人や二人じゃなく、何人もの人物が消えてしまう。

今までの朝ドラでも「戦争」を扱った作品はあったと思うけど、
このドラマを見ていて特徴的だと思うのは、
今のところ、ほとんど戦争のにおいを感じさせないってところです。
だから視聴者は、いろんな登場人物に対して、
好きだとか嫌いだとか、いまのところ身構えずに自由に感想をもてるし、
いろんな評価をすることもできる。

それは、いまだドラマに「戦争」が感じられないからです。
だれが死ぬとか死なないとかを、考えもせずに見ていられる。
でも、
戦争で何人かが死んでしまったとき、そういうことは言えなくなる。
そこは、恋愛ドラマとは大きく違うところ。

恋愛ドラマの場合、
たとえば失恋した後になっても、その人物について色んなことが言える。
その人の人格とか、それまでの振る舞いとかについて、いろんな評価もできる。
でも、戦争のドラマで死んでしまう人物に対しては、たぶん何も言えない。
もともと戦争の死は、無差別に降りかかってくる不幸だから。
善人でも、悪人でも、爆弾の下にいれば死ぬ。

大森美香ちゃんが、
「恋愛ドラマで登場人物の別れを描くのは悲しい」みたいに言ってたけど、
そんなことで悲しんでたら、戦争のドラマなんて描けません。

登場人物の性格や背景にかかわらず、
無差別に何人もの人に降りかかってくるのが、戦争の不幸と悲劇。
善人も悪人もない。

かりに視聴者から「どうして死なせたの?」と苦情が来たとしても、
戦争のリアリティの表現である以上、そうなるのはしかたない。
イラクの空爆と同じように、
東京や岡崎の空襲でも、だれの上で爆弾が爆発するか分かりません。
だれの上であれ、その人の上で爆弾が爆発しさえすれば、その人は死ぬ。

現実に差別なく人が死んでしまうのが戦争なわけで、
ドラマでも、そう描くほかないだろうと思います。

そういう戦争の表現は、連続ドラマでこそ可能な気がしています。





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最終更新日  2021.07.13 16:37:14


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