まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2020.07.17
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ピアノが来る前に父が死ぬんですね…。




記憶していた以上に、
「宮崎あおいは幼く見えるなあ」と思うけど、
考えてみれば、これって演技ですよね。

後半になると、キャラが激変して、
暗くて重い中年女性になっていきます。




バッハの「ゴルトベルク変奏曲」のレコードが流れていた。

ピアノじゃなくて、たぶんチェンバロですね。

気になって調べてみたら、
ランドフスカが「ゴルトベルク」を録音したのが、
ちょうどこの時代でした。

そしてラジオからは「セントルイスブルース」が流れている。

かなりハイソな人たちの生活ではあるけど、
戦前の名古屋あたりって、こんな感じなのでしょうか?



『純きら』の有森桜子は、岡崎市の出身。
『エール』に出てくる関内音は、豊橋市の出身ですね。


年齢的には、関内音のほうが20才たらずほど上です。

関内音のモデルになった内山金子は1912年生まれ。
有森桜子は、たぶん1920年ごろに生まれた設定です。

1912(明治45年)内山金子、豊橋市に生まれる。
1915(大正4年)三浦環がオペラで英国デビュー。

1928(昭和3年)桜子が7才。味噌樽に落ちる。
1930(昭和5年)古関裕而が国際コンクールで2等。金子と結婚。
1935(昭和10年)「船頭可愛や」が大ヒット。
1936(昭和11年)二・二六事件。
1937(昭和12年)桜子が17才。学校でジャズを弾く。

こんな感じです。



『エール』の関内音は、
子供のころに教会で賛美歌を歌ったり、
地元の"ミュージックティーチャー"から、
ドイツ仕込みの西洋音楽を指導してもらってました。

実際の内山金子の経歴をみると、
小さいころからオペラが好きだったり、
宝塚歌劇団に憧れたりしてたようで、
長谷川時雨らの女性芸術にも感化されてたみたいです。

裕福な家庭だから、
レコードで西洋音楽を聴くことはできたはずだけど、
実際にオペラを聴く機会もあったでしょうか。

三浦環は大正4年に世界デビューしてるし、
大正時代の後半ともなれば、豊橋のような場所でも、
オペラを聴いたり、声楽を学んだりできたんでしょうか。



一方、ジャズは、
1920年代に世界に広まって、
大正12年には、神戸に日本初のジャズバンドも生まれてます。

桜子の父・源一郎は、
妻と東京で暮らしていた頃に、
「横浜でジャズを聴いた」と言ってましたが、
桜子が生まれる前の話なのでしょうか?

だとしたら、かなり早いです。
さすがは帝大の学生…?
大正時代はもちろん、昭和に入っても、
まだまだジャズを聴いてる人は少なかったはずです。

ちなみに、
いまの岡崎は「ジャズの街」として知られてますが、
その立役者である内田修さんは1929年生まれ。
桜子より9才ほど年下です。





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最終更新日  2020.09.19 12:03:27


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