まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2025.09.22
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すでにNHKプラスの配信は終わってますが、


ほとんどの視聴者は、
はっぴいえんど一派の礼賛番組と受け止めたっぽいけど、
一体どこまでオメデタイんでしょうね…(^^;

よくもわるくも、
大瀧詠一はよく分かっていた。

それに対して松本隆は、
本気で分かっていないのか、




洋楽のメロディに日本語を乗せるってのは、
近代日本のポピュラー音楽の一般的な課題であって、
明治以来のあらゆるミュージシャンがやってきたことで、

それはべつに松本隆の独創ではないし、
ましてロックに固有の課題ではないのだから、
そんなことを内田裕也と話し合っても意味がありません。


日本のポピュラー音楽が、
たとえ洋楽を分母にしていても、
しだいに日本語の音楽になるのは当たり前のこと。

ロックに固有の課題というのは、

曲がりなりにも、
それはカウンターカルチャーだったのだから。




日本語ロック派の連中は、
「はっぴいえんどが勝った!」

ロックを日本語の歌にして商業的に成功することが、
はたして《Rockの勝利》なんですか?

山下達郎みたいに、
ご縁とご恩にあやかって権力に取り入り、
プチブル風のポップスを土着化させることが、
ほんとうにロックの目指すべき姿なの?

それはむしろ《Rockの敗北》でしょ。



なぜ大瀧詠一は、
「僕のやりたい音楽はPOPなのだ」
などとわざわざ書いたのか。

なぜ、
そのことの意味を誰も理解しないのでしょうね。
思考能力がないのかしら…?

大瀧詠一はRockを放棄すべきだと自覚したわけでしょ。

つまり、
ボブディランやビートルズの可能性を信じるよりも、
コニーフランシスやクレイジーキャッツを愛でることのほうが、
彼にとっては大事だったのです。

べつに、
そのことを否定するつもりはありません。
個人の趣味の問題なのだから。

しかし、
それを《Rockの勝利》であるかのごとく吹聴してる連中は、
端的にいって頭がオカシイのです。



なぜ大瀧詠一は、
1985年を最後に音楽をやめたのでしょうか?

日本語ポップスの隆盛が、
あたかも《Rockの勝利》であるかのごとく誤解されることに、
危機感と徒労感を抱いたからではないの??
要は、自分のシンパの連中が、
あまりにも馬鹿すぎて失望したんじゃないの?

まあ、
はっぴいえんど史観の信者たちは、
死んでもそのことを認めようとはしないでしょうけれど。


本人の自筆メモ帳の巻頭言





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最終更新日  2025.09.22 18:36:06


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