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月曜日、めーちゃんが青い顔してオリニチブから帰ってきた。おやつの時間に吐いたんだそうだ。めーちゃんは腹痛を訴えている。これはおかしいと病院に連れて行った。『お母さん、お子さんが熱があるって分からなかったのですか?』『え?』先生が体温計を見せてくれると、39度1分。すぐレントゲンを撮って見ると腸閉塞だという。本当は入院が必要だというが、病室が開いていなくて、通院治療にしてもらうことになった。めーちゃんは嫌いな注射にも良く耐えた。解熱剤の注射に、抗生物質の検査の注射、そして抗生物質の注射。もしかしたら、夜に熱が上がるかもしれないから、そのときは病室の当直の看護士さんに注射を打ってもらえるように手配をしてもらっての帰宅。案の定、夜中に熱が上がっていた。これは38度以上上がったなと思ったので、健作さんを起こし、夜中に病院に連れて行った。ハル君とひーちゃんは病院に行って戻ってくる間、ぐっすり眠ってくれていた。翌日の朝、めーちゃんは、また抗生物質の注射をうちに病院に行った。夜中に解熱剤を売ったことを聞いた先生は、『やっぱり入院させよう。』とおっしゃる。私としては、ハル君、ひーちゃん、シオモニのことを考えると、通院でお願いしたいと思い、その旨を伝えた。病院側でも、病室は開いていないし、他の患者さんを無理に退院させてめーちゃんを入院させようという状態だったから、『それじゃ通院でがんばりましょう』と言うことに。結局、今日(11月16日)まで、抗生物質をうって、飲み薬を3日間追加で飲むことにして、病院再来を免れた。人懐こいめーちゃん。病院の看護士さんにも、薬局の薬剤師さんにも、物怖じなく話しかけていたよ。注射を怖がりもせずうっていたと言って看護士さんにマイチューと言うお菓子(日本のハイチューにそっくり)をもらっていたよ。今日まで、オリニチブを休んだけど、明日からまた通園できるだろう。さて一安心。と思ったら、今度はハル君が熱を上げたよ。解熱剤を飲ませて様子を見て、明日はハル君を病院に連れて行くことにしよう。
November 17, 2010
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2010年11月10日昨日の朝、居間で、シオモニのウン○を拾った。ほんのひとかけら。年取ってくると肛門のほうが緩んでくるから、トイレまで間に合わなくて、一つ落としちゃったんだろう。と、冷静に判断している自分が怖い。馴れって恐ろしい。そうそう、うちの健作さんもアナログ人間だけど、日本にもう一人アナログ人間がいた。ウチの従姉。携帯電話は通話にしか使わず、インターネットも使わない人。カメラはとりあえずデジカメだけど、それでとっているだけの人。同じ年嵩の子供がいるため、時々近況を伝え合うのだけど、メールのやり取りが出来ないから、電話になる。でも、お互い子持ち主婦だから、幼稚園の時間とか、色々神経使ってしまって、なかなか電話がかけられないのも本音。私は、こうやって、家で牛を育てて、子供の面倒を見て、シオモニの世話をして、そうやって終わっていくんだろうなあ。何も外に働きかけも出来ないで終わっていくのかと思うと、とても、寂しい。きっと、このままなんだろうなあ。シオモニを最後まで見届けたら、私もトシになるような気がするし。どうせ、このまま家にいるんだったら、せめて、子供も沢山産みたかったな。産み始めたのが、あと5年早かったらなあ。魔の不妊期間6年間があるからな。仕方がない、やることないから、がんばって、主婦、磨きかけますか・・・・。
November 10, 2010
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地図が読めない男。それはうちの健作さん。この間、うちの健作さんのトラックにカーナビを搭載した。が、余り役に立っていない。カーナビの案内の声が聞え辛い事も原因の一つかな。ウチのトラック、なんせ12年も乗っているから、乗っているとガタガタとうるさいのよね。うちの健作さんは昔耕運機に乗っていたので、少し耳が遠くなっている。それで、カーナビの、『何百メートル先の交差点で、右折です』とか、『次の分岐点では〇〇市方面に入ります』とか言う声が聞えていないのだ。いつも私に確認を入れる。ところが、そういうときに限って私は子供の相手をしているときが多い。ハル君はおとなしく健作さんの後ろにいるときが多いのだけど、めーちゃんは色々と話しかけてくる。返事をしていたら、健作さんの問いかけに適当に答えてしまった。そうしたら、産業道路で近道のはずが、一般道路に入り込んでしまい、遠回りをする羽目に。ていうか、彼は画面をきちんと見ていない。ちゃんと、文字でも説明をしているはずなのに。きちんと見ていない。画面の中でどのように説明されているかをまだきちんと理解していないのかなあと思う。それで、『ああ、このカーナビは役立たずだ。』とか憤慨しているんだから溜まったもんじゃない。昨日は、子供たちにせがまれて、動物園に行って来たのだけど、帰り道に色々さまよってしまって、健作さんの機嫌は斜めになってしまった。機嫌斜めになったところで、『あんたがカーナビの見方を知らないから、そうやってさまよう羽目になるんだよ』とか言ったら、健作さんが切れるかもしれないから、そのうち、機嫌のいいときにさくっとアドバイスしてあげよう。アナログ人間なんだよね。ある意味。健作さんのお兄さんの奥さんもアナログ人間。数多くの電話番号をきちんと頭に記憶しているのに携帯の操作は出来ないタイプだ。以前、携帯でメールをくれたこともあったけれど、このごろはなくなった。忘れてしまったのであろう。でも、便利なことだけ走っていて、手続きは私にさせる健作さん。お兄さん夫婦は自分の息子たちに色々な手続きをさせている。ウチのめーちゃんはそういうの早いだろうなあ。生まれたころから、デジタルに接してきているもんね。
November 8, 2010
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いや~叔母が亡くなった話は以前にしたんだけどね。ウチの伯母たち一家のことで、実家の父たちは呆れているよ。今回なくなったのは叔母(父の妹)で、父が喪主の立場で葬儀を行ったのね。ウチの叔母ったら、近家の人たちに嫌われていたんだって。あんまりズバズバものを言うからね。んで、子供のいなかったので、父が喪主の立場で取り仕切った。それが、伯母(父の姉)の娘は気に入らなかったらしい。『父が、経費とかをくすねたんじゃないか?』って色々疑いの電話がかかってきてたみたい。父が葬儀を取り仕切ってから、しばらくしてから、分かったことなんだけど、叔母の遺産はすべて、伯母の娘(私から見ると従姉に当たる)が受け取るような遺書が見つかったらしいのね。それで、叔母が亡くなった時、通夜もそっちのけで、従姉の姉ちゃんが通帳やら証券やらあさって持って行ったのかあって合点がいった。一時期、宝石とかブランドのバッグとか買いあさっていた叔母のそういうものも、すべて引き取っていたので、さすがに伯母は申し訳ないと少しばかりの宝石を私たちに送ってよこした。そしたら、それも従姉の姉ちゃんが返して欲しいと言って来たみたい。従姉の姉ちゃんは叔母が亡くなる何年か前に叔母に借金していたのよね。その額、600万円位だって。叔母がそれを返して欲しいといったら、従姉の姉ちゃん、『どうせ、私が相続するんだから、返さなくてもいいでしょ??』と言ってたんだそうだ。ま、その通りになったけど。ウチの父、伯母には一言も言えない。今回の葬儀について、イチャモンつけられても何にも言えないでいたらウチの母がさすがに口を挟んでいたよ。『お金が目当てで、色々言ってくるんでしょ?』って。伯母、返す言葉がなかったらしい。従姉の姉ちゃんにも一言言ったらしい。『おじちゃんが喪主になったのが気に入らなかったのなら、ハンドバッグなんかあさってないで、自分が喪主になったらよかったでしょ?』従姉の姉ちゃん、ウチの母に『叔母に色々おば(ウチの母)のこと(悪口)聞いていますよ』とか言ったとか。まったく目上に向かって言うことか!!ウチの母、祖母(母から見たら義母)が寝たきりになったとき色々面倒見ている。当時は布オムツだったから、寝たきりのお年寄りを見るのは大変だった。『おなたのお母さん(伯母)はおばあちゃんが寝たきりになったとき何にもしなかったじゃないか』と母が言ったら、『金で払っていたんだ』と言ったってさ。金ですべてを解決できるのかなあ。父も可哀想だし、母も可哀想だ。父はこの件で、自分の姉と絶縁状態になりそうだ。結局、女兄弟で結託してしまい、父は仲間はずれ??そんな感じなのかしら。私、身につまされてしまった。ウチのハル君、姉(めーちゃん)と妹(ひーちゃん)に囲まれて、将来、父の様になったらどうしよう??とか、もう一人弟(必ず弟が生まれるとは限らないけど)産んでおきたいなあ・・・・とか、考えてしまうのだった。
November 5, 2010
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『ねえ、ねえ』シオモニの声がする。うちの健作さんを揺り起こしている。『ねえ、ねえ、何で寝てばっかりいるの?』なんとも呑気なシオモニの声がする。「な!?寝るのが当たり前だろうが!」と、健作さんの腹立たしそうな声。『夕ご飯食べて寝てばっかりなんだから~』とシオモニは言うが、時刻は午前2時。『母ちゃんも早く寝ろ!出てけ!」と健作さん、すっかり起こった声で怒鳴っていた。「ふ~んだ、出て行きますよ』と、シオモニは部屋をあとにした。 午前2時に何をしろというのか?シオモニ、今月の誕生日で、満92歳。故障気味かしらね。
November 3, 2010
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ウチの健作さんが新しいテレビを欲しがっている。彼はいつも大きいテレビを欲しがる。私が、韓国に来た当時、健作さんの家にはアナムという会社のテレビがあった。この会社、今はつぶれてない。とっても、品質のいいテレビだったんだけどね。そのテレビは24インチだった。去年まで、そのテレビは居間にあったのだが、壊れてしまい(しかも修理が出来ないし・・・会社がないからね)いま、ウチの部屋には29インチのテレビがある。居間には臨時で20インチのテレビが置いてある。20インチだと字幕の字がとても小さくて見難いの。日本の放送だと字幕の字が大きいのだけど。韓国って、『大きい事はいいことだ』の国だから、きっと、『どこの家庭でもこのごろは最低でも25インチ以上のテレビを見ているだろう』なんてテレビ局のほうで解釈して、字幕の字が小さいのではないか??なんて思ってしまう。それとも、私の視力がおちた所為かしら??ま、それもこれもあるけど、健作さんはテレビがすき。小さいころ、今では亡くなってしまった2番目のお兄さんがテレビを買ってくれたそうだ。村では2番目にテレビを入れたそうだ。昔の日本みたいにさ、近所中の人が集まってテレビを見ていた時代だったんだって。そんで、健作さんと、その友達はそのテレビを持っている人に、『埃だらけでうちに来ないで頂戴よ、テレビ身に来るなら、きれいにしてきてよ』と言われて、すごく悔しかったんだって。それをお父さんに話した→2番目のお兄さんに伝わった→で、2番目のお兄さんは負けず嫌いだし、自分の可愛い弟がそんな事言われたんじゃあって事で、テレビを買ってくれたみたい。そしたらね、そのテレビが大きすぎるって事で、お父さん、売っちゃったんだって。そしたら、また健作さんが拗ねちゃったんだって。そして、小さなテレビだけど、また買ったって。そのテレビは17年間うちで見ていたよ。私が韓国に来たとき、シオモニの部屋にあったテレビがそうだったって。お兄さんがサウジで買ってきたテレビ。だけど、メーカーは韓国のサムスン。きっと、お父さんがテレビを売っちゃったりしたことから大きいテレビに対する憧れが強くなったんだと思う。それで、今調べているのは中小企業のテレビ。コンピューターでも組み立て式っていうか、メーカーの部品のいいとこだけを集めてオリジナルのコンピューターを造って売っている企業もあるけど、テレビもそうなんだよね。それだと、LGの42インチの値段で、47インチが買えちゃう。うちの健作さんと色々楽しく調べている最中なのだ。うちの健作さん、牛の世話を子供の面倒と、盆栽(!)とテレビしか、楽しみないからね。美食に走るわけでもなく、お酒もタバコもしないし、ま、テレビくらいは大きいの欲しいと思うわね。(来年、車を買う予定ではあるけど、それは健作さんの楽しみというよりは、家族が増えたから必要に迫られてだし)普段、余計なことに使うお金はほとんどない私たち。庭にためてある古鉄を売るって言ってたな~。何せ、ウチの庭は、3分の1が牛糞、3分の1が屑鉄の山、残りが通路って感じだもんな。庭がきれいになって、テレビがウチにきたら、めーちゃんたちも喜びそうだ。LCDがどうとか、LEDがどうとか色々調べてみて、一番打ち似合ったものを買おうと思っている。私が色々調べて健作さんに見せて、そして二人で検討しているのだ。結構楽しい。
November 2, 2010
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