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私が、初めてパソコンを手に入れたのは、今から14年程前のこと。まだ、パソコンのデータ-をカセットテープに取れていたころである。フロッピーディスクも、やたらとでかかった。メモリーが、64バイト(キロバイトではない)だったと記憶している。NECの98シリーズが幅を利かせていたが、高価なため買えず、その一ランク下の、PC88シリーズのものを、親に駄々をこねて買ってもらった。当時は、マイコンショップ(今のパソコンショップのようなもの。非常に、マニアックな人しか行かないような小さなお店)で購入したが、今のような、丁寧な説明も、アフターケアーもなかった。私は、パソコンは、今のように、何でもできる魔法の箱だと思っていたしかし、当時のパソコンは、ウィンドウズのような便利なOSなどあるはずもなく、自分でプログラミングしなければ、計算すらできない代物だった。そんな基本的なことを、買ってから初めて知ったのだった。数学を、最も苦手とし、親の敵ほど憎んでいる私に、プログラミングなんて、とうていできる芸当ではない。哀れ大失敗、私の大いなる無知のために、パソコンは、出始めの頃のファミコンよりも劣るゲームしかできない、大きな粗大ごみとなってしまった。それから、私は、パソコンアレルギーになり、私には無理なもの決め付けていた。その後、ウィンドウズが出るまで、パソコンに触れることはなかった。そして先日、ふとしたきっかけで、初代のパソコンを、私より少し前に購入し、真剣にプログラミングをやっていた同級生の男の子が、実は、ある有名ゲームのゲームデザイナーになっていると知り、おったまげたのだ。ゲームデザイナーと言えば、今をときめく、花形職業、億万長者になっているに違いない。私も、あの頃からパソコンをやっていたら、今ごろは・・・と考えずに入られなかった。しかし、数学嫌いの私に、数字の羅列のようなプログラミングは毛虫の行列にしか見えず、注視するのが拒まれたのだから仕方が無い。しかし、そんなに数学嫌いなのに、何故銀行員になったのだろう。謎も深まり行く秋である。
2002.10.03
バーチャル農場と言うホームページがある。農場に登録すると(もちろん無料)、2000コミー(農場での架空通貨単位)と、やさがお、キューリップ(農場で育つ、架空の植物)と言ったものの種がもらえ、畑をレンタルして(1つの畑は、1ヶ月50コミー)自分で育て、市場に売ってコミーを稼ぐ。面白いのは、いろいろな種類の植物があって、それぞれを掛け合わせると、別の植物ができたりする。それが高く売れたりするのだ。育て方も、それぞれ水分量が違い、本当の植物を育てるように、気を使わねばならない。つまり、植物を育てて、市場で売り、金を稼いでいくゲームなのだ。お金持ちになると、何十万コミーか支払って、馬を買い、馬主になることもできると言う。ゲームの中くらい、大金持ちになったるで~という、下心満々でこのバーチャル農場を始めたのは、1ヶ月ほど前のこと。最終目標は、もちろん馬主になることである。すると、初めてすぐに、見ず知らずの方が、20000コミーも私に送ってくれたのだ。初心者さんがんばってと言うもので、寄付のようなものらしい。どうやら、このバーチャル農場、見ず知らずの人間に、20000コミーもの大金をポンと放り出してくれる程の億万長者がいるらしい。実生活にもいてほしいものだが、それは、置いといて・・・畑のレンタル料は、1面1ヶ月につき、50コミー程で、種も、100コミーから500コミー位で手に入る。そうなると、20000コミーもあれば、手広く農場経営を始めて、どんどん金が雪ダルマ式に増えて・・・なんて考えたのだが、結局のところ、レンタルしたのは、畑16面の農場一つ。これは、1回のログインで手入れできてしまう小さなものである。やっぱり、20000コミーもの大金を手にしてしまうと、桁が多すぎて、一度に使いきれない貧乏性なのである。畑にも、いちばん簡単に育てられるものばかり植えて、気ままに花を交配するので、高額の植物がなかなか手に入らない。故に、金は減るばかりで、一向に増える気配はない。赤字経営者である。やはり、大雑把でいいかげんな、私のような性格には、経営者は向いていないのだと、こんなゲームで再確認してしまった。そして、よく銀行員を10年も続けられたものだ。10,000円以上が計算できないのにもかかわらず・・・馬主どころか、破産が近い今日この頃である。・・・バーチャル農場に興味を持った方、私のお気に入りのところに、バーチャル農場入れておいたので、行ってみてくださいな。
2002.10.02
フジテレビのニュースを見ていたら、木村太郎氏が、似合わないカッパ(レインコートと言えない私)を着て、城ヶ島から中継をしていた。顔が大きいのに、カッパのフードを被っているため、さらにそれを強調して、なんともおかしい姿だ。スタジオで、気取ってコメントしていた面影はない。雨にバシバシ打たれ、ご老体に鞭打っての台風実況中継は、痛ましいの一言である。なのに、木村氏の音声がつながらず、口をパクパクしているだけの情けないお姿だけが流れた。ところが、そんな木村氏に対し安藤アナは、「木村さん、音声がつながったらお願いしますぅ。」と、ささっと切り、次の中継につないでしまった。あぁ、無情、木村氏必死のレポートはお茶の間には届かなかったのである。こういう台風中継は、新人アナウンサーがやるものと、相場が決まっているはず・・・なのに、何故、木村太郎?安藤優子の陰謀か、はたまたプロデューサーの太郎いじめか、木村太郎リストラへの第一歩か!?音声がつながらなかったのも、わざとじゃないか・・・なんて思ってしまう、勘ぐり深い主婦なのでした。
2002.10.01
近所のスーパーが、安売り専門のスーパーにリニューアルオープンしたので、早速行ってみることにした。ミニトマト1パック98円、秋刀魚1匹80円、豚コマギレ100g68円・・・などなど、激安商品満載。主婦の買い物心がくすぐられる。買い物カゴに物を入れる手も軽く、ホイホイ放り込んでいく。ふと、自分の経済限界について考えた。私が、何も考えず買い物カゴに入れる金額っていくらなのだろうと。100円以下のものについては、もう、100円切っているという嬉しさに、何も考えずに放り込んだ。200円のバナナについては、量が多いからよしとした。380円の牛肉は、もったいないからやめた。おいおい、私の、経済限界って380円かよ・・・何も考えずに変える金額は、380円以下か・・・そうそう、いくら特売でも、とんかつ用豚肉4枚680円だと悩んでしまうものね。1枚、170円だから、おいしいんだろうなぁ? なんてさんざん悩んでしまう。だんな様の誕生日に、ステーキ肉2枚で、2480円を買うときは、どきどきしてしまった。以前、デパートで、1個1万円のスイカを見たときは、一生買うことはないだろうと思ったし。そういえば、我が家の食卓には、牛肉より豚肉がのぼる数のほうが断然多いし、旬のものは、安いので、夏はきゅうり、なす、きゅうり、なすの連続だった・・・その割に家計が赤字なのは、金額が10,000円超えてしまうと、高い安いが分からなくなってしまう、私の壊れた計算能力のためかもしれない。普段、何百円単位で計算しているので、いきなり2桁上がってしまうと、高いということはわかっても、それ以上認識できなくなって、つい買ってしまう。特に、それが、自分の洋服だったり、靴だったりすると、もう、何も考えていない。決して言い訳ではない。「本当に、元銀行員なのか?」と、よくだんな様に叱られてしまう、所以である。
2002.09.30
ディズニーランドから帰ってた時、いつも思うのが、私、何でこれ買っちゃったんだろう・・・である。今回は、プーさんのハニーポップコーンのバケツのような入れ物と、プーさんの形をしたドリンクポットである。ポップコーンとジュースがそれぞれの入れ物に入っていたのだが、それに入っているがために、1000円くらいする代物だった。しかも、ディズニーランドでは、恥ずかしげもなくこの2つを首からぶらさげて歩いていたのだ。でも、それは、ディズニーランド内では、目立つことなく普通の風景だった。普段は、きっと真面目な公務員であろうきっちり横わけのお父さんも、まるでネクタイをするかのような自然な態度で、プーさんのドリンクポットを首からぶら下げていた。しかし、ディズニーランドから帰宅し、夢から覚めたような心持の今、この、およそ普段使いできないディズニーグッズを前に、どうして買っちゃったんだろう・・・と首をかしげている人は、私だけではないと思う。
2002.09.29
我が家の初ディズニーランドは、朝からつまずっきっぱなしだった。朝一、さぁ、出発という時になって、荷物を車に積み始めたら、パパの分の荷物がない。「あれ、パパの荷物は?」「俺、支度してないもん。」まるで、あたしが支度するのが当然かのような口ぶりである。「大人なんだから、自分でしてよっ。」と言っても、何もする気配もなく、仕方ないので、私が、パンツや靴下、着替えなどを、袋に突っ込む。なんで、あたしが、あんたの分までしなきゃいけないの・・・と、怒りたいところを、朝からけんかしては後味が悪くなるので、ぐっと我慢する。外は、朝から土砂降りの雨である。天気予報を見ても、1日中雨らしい。がっかりしながらも、雨で空いているかもしれない、という一縷の望みを胸に出発をしたが、東名に入ってすぐ、事故渋滞が始まっていた。トラックが横転した事故だと言う。いつもなら、20分の道が、90分もかかってしまった。その上、首都高まで事故渋滞、きっと呪われているに違いないと思ってしまう。予定では、8時到着のはずが、大幅に遅れ、10時30分を過ぎていた。雨も激しく降っている。もう、出鼻をくじかれっぱなしである。でも、雨の中、やはり人出は少なく、入り口もすんなりは入れる。あらかじめ、「ディズニーランド裏技集」みたいなもので、予備知識を仕入れていたのだが、込み合う日は、入り口でもだいぶ待たされることがあるそうだ。よし、いいぞとばかりに、ワールドバザールの中を、「プーさんのハニーハント」のファストパス目指して猪突猛進していたその時、なんと、くまのプーさんが、ヒョコヒョコと目の前を歩いているではないかっ!!我が家が今回、ディズニーランドぐんだりまで足を伸ばしたのは、ひとえにうちの娘が、プーさん大好きだからなのである。パパは、娘と毎日プーさんの歌のビデオを見ていて、全曲歌いこなしているくらいだ。そのプーさんが、私の「ディズニーランド裏技集」によると、なかなか会えないと言われている、そのプーさんがいたのだ。私たちは、猛ダッシュでプーさんに向かうが、やはり同じようにプーさん狙いの家族連れが、2重3重の輪を作ってしまっている。この壁突破は至難の業であるが、ここは娘のためとあらば、たとえ火の中、水の中である。私たち夫婦は、娘を抱っこしたパパが、絶妙なかわしで人の輪をくぐりぬけてプ-に近づき、カメラを手にした私は、ジリジリとプーの正面ににじり寄っていく。パパが、プーの横に陣取るが、プーさんもあちらこちらの家族連れの写真に入るため、なかなか私たちのカメラ正面に向いてくれない。だめか、とあきらめかけたその時、パパが思わぬ行動に出た。なんとプーの首を掴まえ、強引にこちらを向かせているのである。あの照れ屋なパパが(以前の日記「照れ屋にもほどが・・・」参照)娘のためなら、プーの首を掴むとは。首をつかまれたプーさんも、顔の表情は変わらないが(ぬいぐるみだから当たり前だが)驚いたように、こちらを振り向いたのだ。絶好のシャッターチャンス到来と私は、シャッターを切り始めた。・・・が、その瞬間、娘は泣き出はじめてしまった。大人サイズのプーは、娘の中のプーさんと結びつかなかったらしい。たしかに、プーさんは、デカかった。ビデオでは、男の子よりも小さなプーが、パパの頭一つ大きいのだから。せっかくのプーさんの横での写真は、パパがプーさんの首を掴まえたところから、娘が泣くまでを連写したお笑い写真になってしまったのだった。その後、無事、「プーさんのハニーハント」のファストパスも手に入れたため、5分も並ばずに乗ることができたのにもかかわらず、娘は、並んでる最中に熟睡してしまい、肝心のアトラクションの最中は夢の中なのであった・・・・こうして、プーさん好きの娘のための家族旅行は、なんの目的も果たされなかったのだった。ただ、雨は、午後から上がり、娘はご機嫌に園内を歩き回り、パレードも鑑賞できた。そして、興奮してしまったのか、ホテルに着いても暴れ周り、眠ったのは11時過ぎていた。私とパパは、疲れ果てたボロ雑巾のようになった。そしてパパは、「もう、俺ディスに-ランド行きたくない・・・」とつぶやいていた。
2002.09.28
そう、天気は、「雨」である。だんな様は、「雨天中止だ。」と言っているが、ホテルも予約してあるので、そういう訳にもいかない。家族そろっての初旅行、ディズニーランドなのに雨なんて。そういえば、私の小学校の修学旅行も雨だった。羽田空港の記念写真も、鎌倉の大仏の前で撮った記念写真も、傘をさしていた。中学の清水寺で撮った写真も、傘をさしていた。高校の時は、修学旅行の替わりに、6泊7日の山登りだったが、台風がきていて、旅館に缶詰になっていた。いつも、誰か雨男か雨女がいるんだと恨んでいたのだが、こうして、自分の過去を振り返ってみると、旅行の時に限って雨が降っている。自分が雨女だったと、今日初めて気がついた。だんな様には内緒にしておこう。・・・というわけで、明日は日記の更新がありません。後日まとめてします・・・といっても、いつもまとめて更新しているから、あまり変わりはないということか?
2002.09.27
シゲオ号の次に買ったのが、現愛車の某外国産車である。外国産車といっても、1600CCそこそこなので、マーチとそれほど大きさは変わらないが、ちょっとした、おしゃれ心が疼いて、柄にもなく外国産車なんて買ってしまったのが間違いの始まりだった。シゲオ号は、ご主人様(私)の横暴な振る舞いや、乱暴な扱いにも文句ひとつこぼさなかった。縁石に乗り上げても、事故で車軸が曲がっても、故障一つせず、修理に出したことは一度もなかった。それなのに、2代目は、着任早々から、クラクションはならなくなるは、オートロックが壊れるは、挙句の果てに、今年の真夏には、クソ暑い中クーラーまでも壊れてしまった。扱いは、シゲオ号よりも気を使って優しい扱いをしているはずなのにである。ディーラーに修理に出すたび、5万円もの大金が飛んでゆく。ディーラーは、外国産車はどうしても、電気系統が弱いんですよね、なんて言い訳じみたことを言うが、私にとってそれは、日本車って頭がいいんだと再認識させるだけだった。無口で実直な古きよき日本男児のようなのシゲオ号に比べ、今の愛車は、すぐ文句は言うし、金を湯水のように使うし、まるでその2代目のアホ息子のようだ。1代目がシゲオなら、2代目はカズシゲというところか。電気系統が悪いところが似ているかもしれない。できが悪いほどかわいいのは、自分のお腹を痛めた子供だけであって、高いお金を払った自分の愛車ともなると、ただ腹が立つたけだ。故に、扱いは日々粗雑になり、カズシゲ号のシゲオ化も、そう遠い日ではないように思う、今日この頃である。
2002.09.26
我が家のお笑い系1歳児は、最近、誰を見ても「パパ」という。私のことも最近では「パパ」と呼ぶ。テレビに出てくる男の人は、皆「パパ」である。禿げたおじいちゃんが出た時も、指をさして「パパ。」と呼ぶ。「パパは、禿げてないぞ。」と、だんな様は真剣に言い聞かせているが、1歳児に日本語は通じていない。逆に、金城武が出てきたときも「パパ。」と呼ぶので、そんな時、すこぶるパパはご機嫌になる。「眉毛似てるもんなぁ。」なんて、ご満悦である。実際には・・・コメントは控えておくことにする。しかし、先日、かのジー・オーグループ会長大神源太氏逮捕のニュースで、大神氏の映像が映ると、うちの子がすかさず「パパ、パパ、パパ。」と連呼した。パパはガックリうなだれるだけであった。注意する気力もなくなったらしい。大神氏のほうが・・・やっぱり、ここは家庭円満のため、コメントは控えさせていただくことにする。
2002.09.25
今の私の愛車を購入する前は、紺色の丸っこいマーチに乗っていた。このマーチは、私の友人により、「シゲオ号」と名づけられた。なぜ、シゲオなのなかと言うと、少々長い説明が必要になる。それは、ある寒い冬の日、私は、東名の料金所でを、まだシゲオ号と名づけられる前のマーチで並んでいた。お金を出そうと、お財布をごそごそやっている時、ブレーキを踏む右足が緩んでしまい、車がズズッと前に進んでしまったのだ。バコッ!!鈍い音が車の前面でしたので、ハッと目を上げると、私のマーチは、大型トラックの後ろにスッポリはまっていたのだった。ど、どうしよう、トラックの運ちゃんに怒られちゃうーパニクッていたら、トラックは何事もなかったように走り出し、姿を消してしまったのだった。何だ、たいしたことなかったんだ、とお気楽に考えた私は、そんなことすっかり忘れて、家路を急いだ。・・・が、家に着いてビックリ、マーチのチャームポイントともいえる、丸っこいボンネットのカーブ真ん中がボッコリへこんでいたのである。修理に出せば、何万円も取られてしまうと考えた私は、無謀にも自分で修理することにした。それが悲劇の始まりだった。まず、へこんだ部分にパテを塗りこみ、元のカーブを復元させようとした。が、傷口が、縦・20センチ×横・10センチ×深さ・3センチと、大きかったため、私の用意したパテだけでは埋め切れず、しかも、速乾性だったために、デコボコの不形成のままそれは固まってしまった。大丈夫、大丈夫。やすりで擦れば平らになるはず・・・とやってみたものの、パテのデコボコが、いくぶん丸みを帯びてきただけだった。大丈夫、色を塗れば目立たなくなるはず・・・・とマーチ用の紺色のスプレー塗料を吹き付けてみれば、その色は、自分のマーチより、若干明るい色合い。故に、マーチの傷口を一段と目立たせてしまっただけだった。そして出来上がったのは、ベンツなら、あのマークが立っている、ボンネットの中央一番目立つところが、デコボコのピッカリ光る紺色となった、悲しげなマーチの姿だった。友人からは、「ハナクソつけてるみたい。」と、大いに笑われ、彼氏(今のだんな様)のお母さんからは、「あなたの車の近くには、駐車したくないわね。」とまで言われた。私は、「私の紺のマーチは一目でわかるから、これでいいのだ。」と天才バカボンのパパのように強がってはいたが、悲しみに打ちひしがれていた。そんな私に追い討ちをかけたのが、友人のこの一言だった。「この車、アゴ割れてるから、シゲオだね。」「シゲオって?」「ミスタージャイアンツ長島茂雄、いわゆるひとつのですね・・」なんて、モノマネまでつけていた。そうして、私のマーチは、シゲオ号と呼ばれるようになったのだった。シゲオ号は、私の愛車として、その後数々の名誉の負傷を重ね、さらに貫禄を増した。今の愛車に乗り換えるとき、ディーラーの方が査定してくださったのだが、とても申し訳なさそうに、「・・・2万円でどうでしょう?」と言った、彼の後ろに後光が指していた。こんな車に、2万円も出してくれるなんて。即答OKで、シゲオ号と私は永遠の別れとなったのだった。あの車をもう見なくていいと思うと、妙に晴れやかな気分だった。やっぱり、いくら大雑把な私でも、恥ずかしかったのだなと、そのとき初めて気がついたのだった。
2002.09.24
私の鼻は、いわゆる団子ッ鼻。丸い上大きい。この鼻の原因は、私の母方の祖父、今は亡き十作(仮名)じいさんからの遺伝によるものである。この十作じいさんは、鼻の穴が大きくて、安全カミソリで鼻毛をそっていたという伝説的逸話を残しつつ、また、視力が悪く、背が低かったので、兵役を免れたという、およそ外見の期待できないじい様である。「お鼻パッチリ、お目々しょんぼり」と、娘(私の母)にも言われていたくらいだ。晩年、十作じいさんは、糖尿病を患い、悪い目をさらに悪くしてしまったので、いつも、テレビの30センチ前に座っていた。手には、息子の嫁が作ってくれた、特大に拡大した番組表を持ち、時代劇を欠かさず見ていた。時代劇の時間、私たちは、テレビを見たくとも、画面の目の前にあるじいさんのはげ頭を見守るほかなかったのだった。で、話は鼻に戻す。私の母も、父も、鼻はそんなにかっこ悪くはない。私は、いわゆる隔世遺伝なのだと思う。十作じいさんの鼻デカ遺伝子は、たぶん優性遺伝子で、私以外のいとこも、色濃く受け継がれている。そして、いとこの子にまで伝染しているのだ。だとすると、我が子の鼻も・・・と最近心配になってくる。まだ1才で、これから顔が変わるから、まだ、確定されたわけではないが、彼女の鼻も、丸みを帯びている。どうか、十作じいさんの遺伝子だけは、彼女に受け継がれませんように。今はただ、十作じいさんの仏壇に祈るのみである。(十作じいさん、大好きだから、こんな書き方できるのよ。だから、これ読んで、あの世で怒ったりしないでね。不肖の孫より)
2002.09.23
私の使う言葉は、どうも古いらしい。時々、友達なんかに注意されてしまう。例えば、「今日は、雨降りそうだから、こうもりもって行かないと・・・」と言うと、「こうもりって何?」と聞き返されてしまう。こうもりとは、こうもり傘の略のである。ある時は、「今日、写真機忘れちゃった。」「カメラって言った方がいいと思うよ。」挙句の果ては、「あ~あ、汽車いっちゃたねぇ。」「そうそう、シュッポシュッポって・・・煙出さねーよ、電車でしょ、今の時代はっ。」のりつっこみまでされてしまう。ついこの間までは、洗剤の事を「ライポン」と呼んでいた。これは、昔、むか~しの洗剤の呼称で、50歳以上の人が、「お皿、洗う時は、そこのライポンつけてね。」なんて具合に使っているが、最近では、「ライポン」と言っても通じる人がいないので、意識して「洗剤」と言うようにしている。それでも、まだ、「スプーン」のことは「おさじ」だし、「サンダル」のことは「つっかけ」だし、・・・この原因は、私の両親が戦前生まれのため、その影響が大きいだけで、決して、私が年齢詐称している訳ではない。本当です。
2002.09.22
犯人は、もちろん、昨日の日記にも登場した、我が家の1歳になる娘です。私のパソコンは、彼女にしてみると、非常に魅力溢れるおもちゃのようで、すきあらば狙ってきます。先日も、ちょこっと離れてる間に、「け」のキーを剥がされてしまいました。それを見た私は、「ギョエアヘアー、ウハキヤアーーーー。」と、言葉にならない悲鳴をあげて、剥ぎ取られたキーを拾い、元の所に収めてみると、パチンとはまって一安心。パソコンは壊れてはいないようでした。娘は、私の悲鳴に、キョトンとしているだけでした。それからは、席を立つ時は、ノートパソコンの蓋を閉じるようにしていたのですが・・・・今日のターゲットは、しまい忘れていたマウスでした。ほんの少しの間、パソコンはインターネットに接続したまま、蓋だけ閉じて席を離れた所、その機会を虎視眈々と狙っていた娘は、サーッとパソコンの所へ、そして、カチャカチャカチャと出ていたマウスをフルクリック。私も、すぐさまパソコンの所に戻って娘を引き剥がし、パソコンの画面を立ち上げてみたら、おかしくなってたんです。変な所が。ウィンドウの、上のバーの右隅にある「_」(最小化)「□」(最大化)「×」(閉じる)の3つのボタンがありますよね、その「_」「□」「×」が文字化けして、それぞれ「0」「o」「P」になちゃってたんです。なんだこりゃ?とりあえず、娘がしていたことはマウスのクリックだけだったので、マウスをあちこちでクリックして見るも直らない。そこで、エンコードをいじってみても直らない。Windows Meには、パソコンを、不具合の生じる前の日付へ戻せる機能があったんだっけと思い出し、昨日の状態へ戻してみても、一昨日の状態に戻してみても、そこだけ直らない。なんだこりゃぁ・・・それで、パソコンのヘルプ機能を検索すること2時間、やっと該当するものを見つけたのですが、直し方は、思いのほかややこしい。まず、Ctrlキーを押しながら再起動でセイフティーモードにし、「ttfCache」という隠れファイルを探して削除するという。うげげげ、と思いつつ、書かれたいた通りに、Ctrlキーを押しながら再起動すると、見たこともない画面になり、セーフティーモードと言うもので起動できました。パソコンは、粒子の粗い変な画面です。そして、「ttfCache」を恐る恐る検索すると、出てこないっ。やっぱりダメか・・・と思った時、そのファイルが、隠しファイルだったことを思い出し、総てのファイルを表示するに変更、ようやく、ヘンテコな名前のファイルを見つけ出し、削除できたのでした。もう一度、パソコンを再起動してみると、無事、文字化けは、直っており、何だか、涙が出そうなくらい嬉しかったです。1歳児の、マウスの悪戯が、大変な作業となってしまいました。でも、いい勉強になりました。パソコンて頑張れば、何とかなるものなんですね。
2002.09.21
別名、お笑い系1歳児・・・我が家の娘のことです。勝手気まま、気の向くまま、風の吹くまま、自由気ままにやりたい放題。水をストロー付き容器に入れて渡すと、はじめは、かわいくチューチュー飲んでいるんですけど、そのうちに、水撒き機のように、口からブーブー撒き散らす。麦茶なんて、間違っても上げられません。間違った日の記録が、ベージュのじゅうたんの上に、茶色の水玉模様となって残っています。スプーンなんて使えないくせに、自分で食べたがるものだから、さぁ大変。そこらじゅうに食べ物が飛び散って、しかも、手についたご飯粒は、振り払うので、半径1メートル以内は、ご飯粒地雷がいっぱい。踏んずけてしまうと、足の裏はベトベト、埃までくっついてきて、拭いてもなかなか取れません。本人は、楽しそうに食べ続けているので、じっと食べ終わるのを見守るしか手立てはありません。私が、トイレに入ると、必ずいっしょに入ってきて、目の前で、「う~ん、う~ん。」と、ウンチをいきむ真似をするので、こちらは、笑ってしまい、ちっとも力が入りません。だから、今日も便秘気味・・・・時には、トイレの中に絵本を持ってきて、読めとせがみます。仕方ないので、読んであげますが、トイレに座って絵本を読んであげている自分の姿が情けない。まだ、叱ったところで、言葉の分からない1歳児には、どこ吹く風。今日も、自由気ままです。
2002.09.20
インターネットは、始めて6年ほどたちますが、ホームページを立ち上げたのはこれが初めてなためか、イマイチ使いこなせない言葉があります。例をあげると、・カキコ・レス・キリ番・顔文字各種( (-_-;) (*_*) など)などなど。どうも、照れくさいと言うか、なんというか、使えないんですよね。私のホームページに来てくださった方の掲示板にも、「掲示板書込みありがとうございます。ここにお返事書いておきます。」と書いてしまいます。「カキコありがとうございまーす(^○^)。ここに、レスしときますねー。」なんて書けば、親しげでいいのでしょうが、どうもできません。ホームページトップにも、「キリ番ゲッターは・・・」なんて、書けないのです。だから、そういう企画も、当ホームページではしていないません。ホントは、しなきゃいけないのかしらなんて思うのですが。昔の文学少女(?)的言葉づかいが抜けない私は、アナログの方が向いているのでしょうか・・・
2002.09.19
友人と電話していた時のこと。友人が、今日、面白い話があったと、話しをしてくれました。それは、友人の職場のパートのおば様が、電話を取ったところ、どうやらホームページアドレスを教えて欲しいと言うものだったらしいのです。そこで、そのおば様、周りに聞きまくって、ようやく手に入れたアドレスを読み上げ始めました。「・・・ダブリュ、ダブリュ、ダブリュまる・・(中略)・・エヌ、イーまる、ジェイ、ピーまる。」と、「ドット」と言うべき所を、総て「まる」と言っていたのだとか。二人で、大笑いしました。その後、話は色々と転がり、私が、「・・・でね、SOHOっていいよね、家で出来るし。」と彼女に言ったんです。すると、彼女の返事は、「そうだよねぇ、お宅、ミシンあるもんね。」というものでした。なんで、SOHOにミシンが必要なの?一瞬の間の後私は、思わず吹き出して、彼女に、「んんん?それは、『さいほう』でしょ、あたしの言ってるのは『SOHO』。パソコン使って自宅で仕事する、『ソーホー』。」パソコンにはそこそこ慣れ親しんでいる彼女も、「SOHO」は、初耳だったとか。またまた二人で大笑いしました。
2002.09.18
うちの娘は・・・「お笑い系1歳児」と呼んでおりますが・・・パパが言えて、ママがいえないのです。では、なんと呼ぶかと言うと、その日の気分で、バパ、パパ、ばあば、ワンワン、わーわー・・・などなど、叫べば飛んでくる人と認識しているようです。主人とは、「パパ~。」「何だい?」なんて、二人で甘い会話(?)を交わし、それにやきもちを焼いた私は、必死で「ママ、ママ、ママ、ママ。いい、ママよ、ママ・・・」と私の顔を指差して教えたんです。ところが、うちのお笑い系1歳児は、あごの所に指を当てるポーズが「ママ」であると覚えてしまったようで、「ママ。」と言うと、すばやく、あごを指差すようになってしまいました。もう、条件反射です。その、ピシッとあごを指差す動きの速さは、さながら、敬礼をしている警官の動きのようです。「それじゃあ、『ど~も~、芳村真理です~。』のポーズじゃん。」と、私、一人で嘆いています。いつになったら、「ママ。」って呼んでくれるのでしょうか。
2002.09.17
昨日の敬老の日、20年ぶりぐらいに、贈り物をしました。私のおじいちゃん、おばあちゃんは、私の小さいうちに亡くなっていたので、贈り物した記憶がありません。で、昨日贈り物をしたのは、主人の方のおじいちゃんとおばあちゃんです。おじいちゃんとおばあちゃんとは、離れて暮らしているので、なかなか会う機会もなく、二人の好みとして、私の情報の中にあるのは、「甘いものが好き」という、ただそれだけでした。そんな中で贈り物を選ぶのは、非常に難しい。しかも、家は田舎なので、たいしたお店がないんですね。東京だったら、どこどこの豆大福だとか、羊羹だとか、おいしいものがそこかしこにあって、悩まずにすむんでしょうけど、イトーヨーカドーやジャスコみたいなスーパーしかないんです。そういうスーパーで買うと、何かみんなと一緒っ見たいな気がして嫌なんです。スーパーって、飛びぬけていいものもないけど、まずいものもなく均一化されているようなイメージが私にはあって、それは、毎日の買い物をするにはいいのですが、特別な贈り物するには、やっぱり飛びぬけたものを送りたいんです。なんてったって、私にとっては、20年ぶりの敬老の日の贈り物なんですから。色々と、考え抜いた末、昔からある商店街の、昔からある甘納豆屋さんの甘納豆の詰め合わせにしました。そこの甘納豆は、豆がふっくらとして、しつこくない甘さで、お茶請けにピッタリなんです。もちろん、気持ちをこめて、その店で一番高い詰め合わせ、2,800円也!!を思い切ってお店の人に注文しました。すると、25センチ四方くらいの箱に、そら豆、グリンピース、小豆、白いんげん豆の4つの甘納豆をきれいに詰め合わせてくれたんです。いっぱい入るもんだなぁと思って見ていたんですけど、出来上がりを受け取ってみてびっくり。1キロぐらいあったんです。何も考えずに買ってしまったのですが、甘納豆1キロって、お年寄り二人で食べられる量じゃないですよね。逆に、最も迷惑な贈り物になってしまった気すらします・・・おじいちゃんは、糖尿病だったこと、今日思い出して、またがっくりしてしまいました。
2002.09.16
学生時代に、とてもおかしな先輩がいまして、ある時その人が、「うちの田中がさぁ~。」という話をしていました。例えば、「うちの田中がさぁ、最近食欲ないんだよね。」とか、「うちの田中がさぁ、昨日家出しちゃってさぁ、今朝帰ってきたよ。」とか、「うちの田中がさぁ、耳かいてばっかりいるんだよ。」などなど。その先輩の苗字は、相葉さん(仮名)と言いまして、田中さんじゃないんです。だから、私は、話の内容から推測するに、田中さんというのは、家政婦さんか、執事のような人と思っていました。というのも、その先輩は、結構なお坊ちゃまだったんですね。そして、ある日、また先輩が、「うちの田中がさぁ~・・・」と話し始めました。今度は、どうしたのかなぁと聞いてみると、「うちの田中がさぁ、玄関の前にうん○しやがった。」んんん?田中さん、ボケちゃったのかしら?「あの、バカ犬、散歩でしないで、家の前でするから頭にきたよ。」そう、なんと、「田中」とは、飼っている犬の名前なのでした。それにしても、犬に「田中」なんて名前付けて、紛わしいったらありゃしない。
2002.09.15
家にいると、セールスの電話ってすごくかかってきます。羽根布団や、保険、エステやエアコンの掃除、家のリフォームなんかまで、多種多様。大体、そういう電話の方は、自分は名乗らず、まずこちらの名前を確認し、「奥様でいらっしゃいます?」と聞いてきます。そこで、「はいそうですが・・・」と答えてしまうと、機関銃のように息もつかせぬ速さで、商品の説明を始めてしまいます。そうなってしまうと、気の弱い私は太刀打ちできなくなってしまうので、「奥様でいらっしゃいますか?」と聞かれたら、必ず「いいえ。母は出かけていますが・・・」と答えるようにしています。そうすると、大抵「娘さんですか・・それでは、また掛け直します。」と言って電話を切ってしまいます。本当に用のある人だったら、ここで、自分お名前を名乗って、どのような用件で電話したのか言うはずなので、セールス電話だけを撃退できます。ところが、これでも食い下がってきたセールス電話がありました。私が、いつもと同じように「母は出かけていますが・・・」と答えると、「娘さんですか、あの、娘さんでも20歳以上でしたら入れる保険がありまして・・・・」なんて、説明を始めてきたんです。しかも、こちらが口をはさめないほどのすごいスピード。このままでは、負けてしまうと思い、すかさず私は、「あの、あたしぃ~高校生なんですけどぉ~。」と、語尾のばし気味、けだるげに言ってしまいました。これは、さすがに、無理があるのなぁ、と自分でも思ったのですが、「・・・あ、そうですか。」と言って、あっけないほど簡単に、電話を切ってくれたのでした。このことを、主人に話したら、「お前、ずうずうしいなぁ、俺にはとても出来ない。どこが気が弱いんだよ。」と言われてしまいましたが、でも、本当に気が弱いんです。気が強かったら、「いいえ、結構ですっ。」と言って、電話を切ればいいだけの話ですものね。
2002.09.14
これは、私が銀行の貸付の受付をやっていた頃のお話です。40代後半とおぼしき、暗~い顔をした女性が、私の窓口に来るとおもむろに、「・・・お金・・・借りたいんですが・・・」と、ボリュームを極限に絞りこんだような小さな声で言いました。私は、何だか、怪しげな様子にちょっと引き気味。「・・はい、どのような用途でお使いでしょうか?お金を借りると言っても色々と・・・」と、私が説明を始めようとしたら、突然、預金通帳を私の前に突き出してきました。「・・・・・定期預金が・・・・9万円あり・・ます。」そのお客様から、預金通帳を受け取り、中を見ると、確かに9万円の定期預金が作られていました。私は、その通帳を見ながら、「これでしたら、ATMから・・・」と説明し始めた所、その人は、今までうつむき加減だった顔をグッと私に近づけて、「この9万円で・・・100万円借りたいんですけど・・・」と言ってきたんです。「へっ!?」私の素っ頓狂な声なこえをあげてしまいました。その声で、上司もこちらを気にし始めている様子。私は、こういう時は落ち着いてお断りして、速やかにお帰りいただこうと、気を取り直して、話し始めました。「お客様、9万円で、100万円は、無理なんで・・・」すると、また突然にそのお客様は、「・・・じゃあ、50万円・・・」「いや、そんなには・・あの・・・え?!」「じゃあ、20万円はどうでしょう・・」おいおい、土産物屋で値段交渉してるんじゃないんだよ~。金額下げたって、9万円以上借りれるわけないじゃん。私の心の叫びが聞こえたのか、上司がスーッと私の横にやってきて、そのお客様を、応接室に閉じ込めてくれました。こういう困った人は、とりあえず、他のお客様から隔離するんですね。10分ほど、その上司と応接室で話をしたそのお客様は、納得したのかしないのか、とりあえず頭を下げて帰っていきました。9万円で、100万円借りようとした人のお話でした。
2002.09.13
車を道に入れてもらった時に「ありがと~、助かります。急いでたんですよ。」なんて、車の上についた電光掲示板に表示されたら、入れてあげたほうも、「いえいえ、お互い様です。」なんて表示して。と思ったんですが、私の場合、文句の方が多いからな~。「そこのスクーターもっと端っ。」とか、「30㌔で走るなー、ここは、制限速度50㌔だぞっ。」なんて。車降りて、けんか始めるがオチでしょうか。
2002.09.12
2年程前に、私が、今の主人に失恋して(その後、復縁して結婚できたのですが)ニューヨークに1人で失恋旅行したときのことです。ワールドトレードセンターに、私の銀行の支店があり、行ってみることにしました。ワールドトレードセンターは、高いビルが2つ並んで建ち、たくさんの人々が行き交い、まさに、都会という感じがしたのを覚えています。ビルの中のオフィスに行くのには受付をしなければならないのですが、その受付も10人位いて、来客は、並んでその順番を待っていました。私もそこに並び、受付を待ちました。5分ほどで、受付の黒人の女性が、私にくるようにと合図をしたので、そこに行くと、まず、身分証明を見せるように言われました。私は、パスポートを見せると、どこへ行きたいのか聞かれたのですが、銀行は英語で「Bank」なのは、分かるのですが、「ニューヨーク支店」の「支店」を英語でなんというのか分からなかったのです。そこで、ニューヨーク支店の住所を書いたメモを取り出して見たのですが、「Brunch」なんて、なんと読むのか分かりません。仕方なく、そのメモを、何も言わず、そのまま受付の方に見せると、その方は、電話を取り、どこかへ電話をし始めました。○○という、英語の話せないジャパニーズガールがそこに行きたいと言っているがいいか・・・・というようなことを言っていました。私は、日本から事前に連絡を入れていたので、話はすんなりと通ったらしく、受付の方は、「OK.」と言って、私に5センチ×10センチくらいの大きさで、白地に蛍光オレンジ色で、「VISITOR」とかかれた下に、私の名前と、行き先(私の銀行の名前)が打ち出されたシールを私に渡しました。それを見せないと、エレベーターで上にはいけないと言う事で、私は、なくさない様に、そのシールをパスポートカバーに貼り付けました。そして、エレベーターの前には、屈強そうなガードマンらしき人が立っていて、その人に先ほどのシールを見せ、ぐるッと回る棒をくぐって、やっとエレベータにたどり着き、上に行くことが出来ました。この警備の厳重さは、何年か前に起こった爆破テロがあったためということで、エレベーターを降りてからも、支店に入るのにも、インターホンでチェックを受け、そこで、トイレを借りたのですが、トイレですら、スタッフの持ったキーカードがないと出入りできませんでした。平和ボケした典型的日本人の私にとって、このチェックの厳重さには、ただただ驚くばかりだったのでした。それだけが、印象として強く残っています。そして、去年、同時多発テロの事件が起こったとき、自分の訪れたことのあるあのビルが崩れていく様は、大きな衝撃以外の何ものでもありませんでした。あのビルで出会った人の顔が浮かんでは消え浮かんでは消え、眠りにつくことは出来ませんでした。私のパスポートカバーには、まだ、あのワールドトレードセンタービルでもらった「VISITOR」のシールが貼られています。それを見るたび私は、それが私の手元に残った、悲しい忘れ物のような気がしてなりません。犠牲者の方のご冥福を祈るとともに、世界から戦争の火が消え、一人の子供の親として、子供たちが、平和に笑って暮らせる世界になることを、祈らずに入られません。
2002.09.11
私が、銀行で貸付の事務をやって、まだ間もない頃のお話。上司から、「この書類、1億で準備しといて。」と言われ、書類を一式渡されました。それは、貸付の稟議書(貸してもいいかい?と支店長などにお伺いを立てる書類)でした。私は、その書類を準備するのは初めてだったので、マニュアルを見ながら、何とか作り上げ、最後に金額を、「100,000,000円」とパソコンに入力しました。金額が大きかったので、ちょっと緊張ながら、間違いが無かったか見直し、上司に書類を渡しました。「おっ、ごくろうさん。」と言って、上司が書類を受け取り、見始めました。すると、すぐにその目が、テンになり、彼は、かけていためがねをはずして、もう一度書類じっと見つめ、「おい、ちょっとっ。」と、私を、呼びつけたのです。私は、また、何かやらかしちゃった?ビクビクしながら上司の所へ行くと、「あのねぇ、書類をよく見て作ってよ。ここ、金額の所『~千円』書いてあるでしょ、だから、1億円は『100,000千円』になるの。君の作った書類は、『100,000,000千円』だから、『1,000億円』になっちゃうよ。こんなに、うちの銀行出せないよ~。国家予算じゃ無いんだから、もう、頼むよ・・・。」とあきれられてしまいました。だって、『~千円』なんて、普通使わないですよね。でも、銀行は、扱う単位が多いから、切り捨ててるんでしょうけど。ドジな私の、単純ミスでした。
2002.09.10
銀行に入ってすぐ、私の支店の支店長が、新入行員全員の家庭訪問するって言うんです。なんで~と思いました。社会人なのに変ですよね。母にそのことを伝えると、家の大掃除をはじめて、当日までは、大忙しでした。娘の上司、しかも支店長がくるということで、母はそれはそれは緊張していました。そして、その当日。予定の時間に、母は一人でとても緊張して、支店長を待ていたそうです。車が入ってくる音がして、支店長が来たと母は、慌てて玄関へ。「ピ~ンポ~ン。」チャイムが鳴り、母の緊張は頂点へ。「ど・ど・どうぞ・・・。」支店長が、我が家のドアをくぐりました。母は、すかさず、「どうぞ、どうぞお上がりなすって・・・」と言ってしまったそうです。支店長も一瞬目が点に。しかし、そこは、場数を踏んだ人、何事も無かったように靴を脱いで上がってきたそうです。その後は、気が動転してしまい、母は、何が何だかわからなくなってしまったそうです。その日の夜、銀行から帰ってきて、母からその一部始終を聞いて、大笑いしました。
2002.09.09
大好きなんです。もう小学校の頃から。テレビ放映は必ずチェックしていました。成人してから、あこがれの大阪難波グランド花月にやっと行けるようになり、3回行きましたが、いつも、腹がよじれそうに笑い、大満足でした。新喜劇で、私が見た役者さんは、山田花ちゃん、島田珠代さん、まだ無名だった藤井隆君、辻本さん、内場さん、チャーリー浜さん・・・などなどのスター満載で、面白いことはもちろんのこと、新喜劇の前にやる、漫才や、お笑い芸が、これまた面白いんです。テレビで見るのなんかに比べて、生の迫力ってやつなんでしょうね、比べ物になりません。面白かったなぁ。それで、1日中見ていても、3000円くらいでした。さすが、大阪。あんなに笑えて3000円なんて、日本中探しても、ここだけだと思います。もう、絶対に行って欲しいです。暗い顔した。日本人たちには
2002.09.08
私が、銀行で、お客さんの書類を受け付けていた頃の話です。40代後半くらいの男性のお客様を目の前に、まだ、入行して2~3年目のペーペーの私がその方の融資の書類をチェックしていたので、それはそれは、緊張していました。名前、生年月日、性別と順に書類に目を通していくと、この方は、「○×運輸」という所にお勤めをしてたんです。それで、その「○×運輸」のふり仮名に目を移したら、「マルバツウンユ」と書くべきところが、「ユ」の下の棒が、少し短く書かれていたため、「マルバツウンコ」と読めてしまうんです。おじさん、ウ・ウンコ?って・・・・・もう、たまらない笑いがこみ上げてきて、だけど、お客様の前で笑うことも出来ず、大変でした。緊張した時程、どうして人間は笑いたくなるのでしょうか?
2002.09.07
銀行時代の話です。銀行には、あらゆるものを、受渡帳というものに記載して、上司に検印してもらってからやり取りしなければなりません。切手印紙類から、通帳や預かり物、封印に使う紙の類まで。勝手に使うと、えらく叱られます。きっちりしすぎてめんどくさいんですけどね。なくすと困るものばかりですから。・・・で、これは、私がまだ新入行員だった頃の友人Jちゃんのエピソードです。あるとき男の先輩に、「おい、ガムテ貸してくれよ。」と言われ、手元にあったガムテープを、何気なく渡したJちゃん。しばらくして、真剣な顔して先輩が戻ってくると、「おい、ガムテの受渡帳、N代理検印もらったよなっ。」と一言。「いえ、もらってません。」とJちゃんが答えると、その先輩は、「・・・まずいことになったな・・・」と言い残してその場を去っていってしまったのです。あせったのはJちゃん。ガムテにまで受渡帳があるのぉ~と半泣きになってしまい、とりあえず受渡帳を探すことに。引き出しを全部あたりましたが、受渡帳がありません。困って居ると、通りかかった別の先輩が、声を掛けてくれました。訳を話すと、一言、「んなものあるわけないじゃん。」チャンチャン、哀れJちゃんは、騙されていたのでした。でも、これだけ受渡帳があると、もしかしてガムテもあるんじゃないかと思ってしまいますよね。変な笑い話でした。
2002.09.06
びっくりすると言うより、確認しちゃいますよね。あれ~ここ台所だよねぇ・・・・あたし、ここに、こんなもの置いたっけ?そう、今日、我が家の冷蔵庫の前に、トイレのスリッパがきちんと揃えて置いてあったんです。パパ、トイレから冷蔵庫に入っちゃったのか?なんて、バカなことを一瞬思ってしまいましたが、瞬時に犯人は判明しました。そばで、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて立つ、我が家のご長女1歳の仕業なのでありました。その、してやったりの笑顔と、冷蔵庫の前のトイレのスリッパという、日常でありながら、非日常的な組み合わせに、大爆笑。笑いというのは、こういうものなのね、と我が子に学ばせていただきました。皆さんも、試しに置いてみて下さい。ジワッとした笑いがこみ上げてきます。
2002.09.05
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