ムハマド・ユヌス氏 は1940年に東ベンガルで生まれた。当時イギリス領インドであったが、1947年に誕生したパキスタンの一部になった。1971年、独立戦争の末、東パキスタンは バングラデッシュ と名前を変えた。
1972年、アメリカのミドルテネシー州立大学の助教授の職を辞しバングラデッシュに帰国し、チッタゴン大学で 経済学を教えることになる 。バングラデッシュは、洪水、干ばつ、サイクロンなどで飢饉の真っ最中であった。大学の教室で エレガントな経済理論 や 自由市場の機能 について論じることが空虚に感じられるようになった。灌漑計画によって農場の収穫高を上げようとしたが、それだけでは飢えや貧困の問題は解決しない。人々は懸命に仕事をしていたが、あらゆる努力をしても 貧困から抜け出せなかった 。なぜなのか。村の女性と話しているうちにその 原因 がわかった。籠や椅子の工芸品を作る材料を買うために現金が必要で、その現金を 村の金貸しに 頼っていた。金貸しは、製品の価格まで自分で決めて、その同意があったときのみ金を貸していた。女性たちはほとんど儲けにならない仕事をしていたのだ。村の金貸しの犠牲になっている女性たちのリストを作ってみると42世帯で856タカ借りていた。アメリカドルに換算すると27ドルに満たないものだった。貧困者に数十億ドルを注ぎ込むという国の開発計画について学生たちに教えていた教授は、現実との ギャップに 驚いた。この犠牲者を救うために、教授のポケットマネーから27ドルを出したことから、 グラミン(村の意味)銀行 が始まった。
既存の銀行は貧しい人に金を貸すというルールを持っていなかった。この発見はバングラデッシュだけでなく、世界中に通用することだった。世界の金持ち国のアメリカでさえ例外ではない。経済学者らしく、 経済理論の盲点 を次々と明らかにしていく。グラミン銀行は マイクロクレジット (無担保小額融資)という手法で貧しい人の自立支援を全国展開する。さらにグラミン銀行は貧しい人たちの住宅、教育、医療の分野までサービスを拡大し、そのいくつかは ソーシャルビジネスの運営手法 がとられている。ソーシャルビジネスという概念は、グラミン銀行の多様な仕事を遂行するうちに 徐々に作られてきたものだ 。商品やサービスを販売する自立した会社でありながら、目的は社会の奉仕し、貧しい人の生活を改善することにある。法的にはNPOの運営形態をとっている。ソーシャルビジネスの企業は配当ははらわない。会社の所有者は一定期間で会社に費やした投資分を取り戻すことができる。しかし 配当と言う利益 は投資家に支払われない。利益は組織のなかに留め置かれ、新たなサービスや製品を生み出すために使われる。
参考書
「貧困のない世界をつくる-ソーシャルビジネスと新しい資本主義」
ムハマド・ユヌス著 早川書房
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