中高年の生涯学習

中高年の生涯学習

2024.02.04
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​昨年のNHK朝ドラ「らんまん」では牧野富太郎の一生が描かれていた。牧野は文久2年(1862)、四国の土佐佐川村で生まれた植物分類学者である。小学校を中退し、 独学で植物学者 になった。なぜか東京大学植物学教室に入って、勉強を続けている。小学校を中退した人間が東大へ入れたのか不思議だが、当時は現在のような受験競争のような雰囲気はなく、担当教員が牧野の勉強の実績を評価したのだろう。土佐の地元の植物の植生を調べ上げ、本にしていた。牧野はそれを日本全国の植物の調査に広げようと考えていた。その時は、植物について研究している所は東京大学しかなかった。​
「らんまん」の 植物監修者が田中伸幸 さんだ。国立科学博物館植物研究部に属し、高知県立牧野植物園にも関係している。牧野富太郎について熟知の人だ。NHK出版から「牧野富太郎の植物学」という新書を出された。テレビドラマになると多くの関連書が出される。多くが牧野の一生を描いた本になる。牧野の勉強、研究とは何だったかについては、ほとんどが触れられてない。牧野の仕事、業績を中心に紹介されているのが、この新書である。植物学の全般を扱ったものではないが、植物学の入口には絶好の本である。
​​田中さんが最初に牧野の名前を知ったのが 「学生版牧野日本植物図鑑」 (北隆館)だった。昭和24年初版、私の積読本の中から見つけたのは昭和38年発行、36版だ。奥付に頒布番号が記されている。90799号となっている。すごい番号だ。私が購入する前に9万人の人が入手している。1ページに6種類の花の図解と簡潔な解説が付いている。この小さな本に2322種の花が紹介されている。高山植物や希少植物は除外されている。家の近所の植物はほとんど掲載されていることになる。本の最後の付録に「植物名の引き方」と題して、図鑑の使い方が解説されてある。 植物分類学上の科名を知ってないと、この本は使えない 。科名とは、キク科とかツツジ科とかいうものである。つまりある程度植物について知ってないとお手上げになる図鑑である。最近の図鑑は花の色別とか季節、里山、海辺、都会などの場所別の図鑑になっており、より花の名前を知り易くなってる。またスマホのアプリに花の名前を写真に撮って、すぐ表示するものも出ている。植物について勉強しようとする人は索引から科名を覚えていくという方法で、この図鑑を使いこなすのだろう。​​
学生版ではなく「牧野日本植物図鑑」という大きな図鑑もある。こちらは図書館の参考図書においてあるもので、研究者向きである。
田中さんの専門は東南アジアの植物における種の多様性の研究で東南アジアで調査を行い標本を採集して同定する仕事である。同定とは学名を調べることである。
​日本の植物は 牧野以前は、ほとんどが外人が調査 していた。長崎の出島でオランダ商館の医師、エンゲルベルト・ケンペルが図解入りの本を出した。ケンペルはスウェーデンのウプサラ大学で植物の研鑽を積んだ。ここには植物分類学の権威カール・フォン・リンネがいた。リンネは属名と種小名からなる学名を発案した。これは二名法と呼ばれる。例えば庭木として知られるヤブツバキはリンネが学名を付けた。例えば カメリア・ヤポニカ・リンネ 。カメリアはツバキ属を意味する。ツバキ属はツバキ科に属しているので、先頭の語でその植物がどの属の何科であることがわかる。ヤポニカは日本産を意味するラテン語で、最後のリンネが学名を付けた人物名である。学名にはランク(階級)がある。ドクダミは、コショウ目・ドクダミ科・ドクダミ属の下のドクダミという種である。この目・科・属・種という階層がランクである。種以下に亜種・変種・品種がある。​
​北海道、日本、アジアという地域に線引きした場所に生えている植物の構成要素を 植物相(フロラ) という。かつての植物学は医学だった。本草学、薬の(本)になる植物(草)を研究していた。薬草は、食料としての需要に並ぶ、植物に対する人間の最大の関心ごとだった。植物学では薬草ではなく、植物そのものが研究対象だ。庭先の花壇に種をまくと、やがて発芽し双葉がでる。トウモロコシの種は一ッ葉(単葉)がでる。1600年代、イギリスの植物学者ジョン・レイは植物の芽生えに双葉と単葉があることに世界で最初に気づいた。双子葉類と単子葉類と名付けられている。植物学の幕開けである。​
牧野富太郎は文久2年4月24日、土佐佐川村の商家岸谷の息子として生まれた。成太郎と名付けられたが、6歳の頃、富太郎と改名した。生家の裏山に金峰神社があり、境内の植物を見ているうちに植物が好きになった。富太郎が生まれたころ、日本で精力的に植物最終を行っていたロシア人がいた。カール・ヨハン・マキシモヴィッチである。ロシア科学アカデミーのコマロフ植物研究所の研究員だ。函館、横浜、長崎で調査をおこなっている。鎖国をしていた日本は、どんな植物があるか、興味津々だったのだろう。
明治14年、富太郎は書籍や顕微鏡を入手するため、東京に出る。高知から東京への旅行は当時は大変だった。途中、汽船や歩きで東京までたどり着いた。千代田区内幸町にあった文部省博物局で植物学者田中芳男に会っている。田中は上野に博物館や動物園を設立した人物である。持参の「土佐植物目録」の草稿を見せている。
明治10年、東京大学が設立され、フロラ研究の元になる標本採収の重要性を理解し、全国を歩いていたのが矢田部良吉教授だった。矢田部はアメリカのコーネル大学で植物学を学んでいた。助手の松村仁三は3000種類の標本を全国から集めた。学名を調べ、標本室を作った。この標本室をハーバリウムという。
牧野は東京大学に飛びこんだ状況は朝ドラが描いていた。アカデミズムの中ので格闘が続くが、牧野の牧野たるところは、彼の人生後半の軌跡である。アカデミズムの中で研究するのではなく、在野の研究者、趣味の会、子どもたち、理科教育の教員の指導に乗り出す。植物同好会の講師となり、植物の名前、形態の特徴、似ているものとの見分け方などを解説しながら野山を歩いた。全国から花の名前の問い合わせがあれば、できるだけ応えた。また植物知識の普及のため、多くの雑誌に随筆を書いている。アカデミズムでは論文だが、これは特定の人にしか読まれない。小学生向きの学習雑誌にも書いている。田中の本には雑誌に掲載された随筆の一覧が掲げられている。
​もう一つの牧野の業績は 植物図 である。牧野に関するどの本でも構わないが、特徴的な植物図が掲載されている。植物の構造図なのだろうが、図鑑の絵とは違う。美術的な絵画である。美術館に展示されている絵画のようだ。「学生版牧野日本植物図鑑」にも各章扉に見られる。ぜひ、どこかで見てほしい。​
牧野顕影施設
練馬区牧野記念庭園
東京都立大学牧野標本館
高知県立牧野植物園(ホームページでは四季の花の写真が見事)





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最終更新日  2024.02.04 10:21:02コメント(0) | コメントを書く


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