中高年の生涯学習

中高年の生涯学習

2025.06.01
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哲学、思想の学問は、どうしても西洋の学問に偏りがちである。デカルト、カント、マルクスを読まなければと思う。日本には哲学、思想はなかったのか。その上に、哲学、思想というとまず難解さが付きまとう。


​放送大学の 「原典で読む日本の思想」 という科目がある。講師は東京大学大学院教授の頼住光子先生である。頼住先生は道元の解説書を角川文庫で出されている。本屋ですぐ目に付く本であるが、道元など恐れ多くで手に取るのをためらってしまう。この科目の中にも道元を扱っているが、道元の禅の思想を短い時間の中で実にクリアに解説されている。 座禅会の導師 の説明を聞くが、半分分かったようで、どうもさっぱり理解できない、という方は、この講義で心身脱落するであろう。​


​頼住先生は、和辻哲郎が開拓した 日本倫理思想史を 専攻してきた。さて頼住「思想史」とは、どんなものか。その特徴は、この科目のタイトルに表れている。「原典で読む」というところである。テキスト上の限界があり、全文ではない。一文、あるいは数行の文章を取り上げて、それを深く読むことで、その作品の思想の全体を捉えようという試みである。全文は各自それぞれ読んでください、ということである。各章の終わりに大量の参考文献が挙げられている。放送大学の授業はたった45分、これで終わりと思ったら甘い。​
この参考文献を一つでも二つでも読むことが大学の学問である。日々の活動や仕事があり、時間が限られている。中高年はさらに病院やらリハビリ、デイサービスなどに追われている。幸いなことに文献の中に文庫本が多く紹介されている。これなどは入手しやすい。


​普通の日本思想史とは違い古事記、万葉集、謡曲等の 文学作品 が入っているところが頼住思想史の特徴だ。万葉集などは文学作品として読む場合は作品の解釈が中心になる。この授業では、万葉集を素材として歌や和歌はどうして生まれてきたか、その起源とは何かが問題になる。文学作品の他に宗教、とくに仏教思想が問題とされる。​


​​万葉集の章(第5回)では、芸術、文学の発生について 祭祀(さいし)が重要な場 であったことが論じられる。祭祀とは神や先祖をまつることである。祭祀において神は自らの来歴を語り、人々に諭(さと)しを与える。一方、人々は共同体の繁栄と除災を祈願し、捧げものをしたり、踊ったり、歌ったりして神からの恵みを引き出そうとする。ここでの言葉は日常の言葉とは違い、一定のリズムを持ち、対語(ついご・意味が対照的な語、白黒、上下等))や繰り返し等の特殊な言葉である。現在では神が人に与えたり、人が神に奏上したりする言葉としては「 のりと 」がある。「のりと」には宣命体と奏上体がある。宣命体は神が人に「のる」ことで、奏上体は人が神に申し上げる形となる。神の降臨を定期的に繰り返し再現する儀礼の中で共同体の中で伝承され、これが和歌の母体となっていった。この韻文の神謡が古代の貴族社会に取り込まれ、儀礼や宴会で歌われるようになる。この中で新作が作られるようになり、自己の内面の感情を吐露する歌が作られるようになる。口承によって共有される歌謡から特定の作者によって書かれる歌(和歌)が制作されるようになる。​​




​​第7回で 禅と道元 について述べられるが、前史として、仏教とは何か、日本人は仏教をどう受け止めたかがあるが、本ブログでは略す。道元は中国の曹洞宗を日本に伝え日本曹洞宗の開祖となった。道元は源通具(みちとも)の子として上級貴族の家に生まれた。14歳の時、比叡山の天台座主公円に就いて出家する。比叡山の教学に飽き足らず山を下りる。 天台本覚に対する疑問 だった。さらに禅を本格的に学ぶため、当時中国は宋の時代、中国曹洞宗の天童如浄に入門、ここで座禅を組み、心身の執着を離れ解脱した。28歳で帰国した道元は中国で学んだことを「普勧座禅儀」にまとめた。京都深草に興聖寺を開き、教団の運営と布教に励んだ。​​


44歳の時、京都を去って越前国に下向した。そして永平寺を開く。弟子の指導に打ち込み、主著「正法眼蔵」を執筆した。建長5年、病を得て、永平寺住職の座を懐奘(えじょう)に託し、京都に行ったが、そこで54歳で入滅した。遺偈は「五十四年、第一天を照らす。箇のボツ跳を打(だ)して、大千を触破(そくは)す。いい。渾身覓(もと)むるなく、活きながら黄泉に落つ」というものだった。テキストにはこの偈の意味は書かれていない。放送授業で説明される。大まかに捉えれば「54年の生涯で、天の最高の世界を照らす。今、ここでひと飛びして、三千世界打ち破る。全身求めるものなく、生きながら地獄に落ちる」。なんとも凄まじい生き方である。中国まで禅を学びに行き、比叡山の圧迫をはねのけ、鎌倉北条時頼政権に見向きもせず、永平寺の厳しい禅行を打ち立てた道元。


「正法眼蔵」冒頭は、
「仏道をならふといふは、自己をならふ也、自己をならふといふは自己をわするる也。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」。
これも非常に難しい文章だが、あえて大まかに捉えるなら、「仏道修行とは、自分が何であるかを追究することだ。それは自分に対する執着をなくすことだ。自分は万物によって悟らせられているので、執着がない。自分はあらゆる存在によって悟らせられているということは、自分と他のものが別々のものでなく、互いに成り立たせつつ、このような自分として存在している」


世界のあらゆる存在はつながり、関係して存在している。このことを仏教用語では「無我」あるいは「空」と表現している。


なんとも難しい議論ではあるが、この講義一回聞いて分かろうと思ってはいけない。幸いなことに放送大学は同じ授業を何回もネットで聞ける。普通の大学とは違う特徴だ。この授業は3回聞くことをお勧めする。


道元に関する参考文献
頼住光子「正法眼蔵入門」角川ソフィア文庫
水野弥穂子訳「正法眼蔵隋聞記」ちくま学芸文庫





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最終更新日  2025.06.01 11:44:15
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