中高年の生涯学習

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2026.06.03
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靖国神社の隣に法政大学の新校舎が建っている。この一口坂校舎の道路の反対側に「塙保己一・和学講談所」の碑が立っていた(標柱と銘板も現在は撤去)。しかし多くの人にとって「 塙保己一 (はなわほきいち)」ってどんな人、という印象だろう。さらに和学講談所とはなにか。歴史の話題にも出てこない。


蝉谷めぐ実 (せみたにめぐみ)という若い女性作家が、塙保己一に猛烈な興味をもって「見えるか保己一」と言う小説(角川書店)を書いた。蝉谷は早稲田大学文学部卒業で、2020年「化け物心中」で「野性時代」新人賞で作家デビューした。大変な筆力の持ち主で、盲人関係の資料を読みつくし、盲人はどういう生き方、行動をするかを研究し、それを小説のなかに組み入れている。現代の塙保己一と比肩される国立民族学博物館の広瀬浩二郎研究員の経験を聞きこんでいる。広瀬さんは盲人の研究員で日本では珍しい存在だ。


小説冒頭で辰之助(保己一の幼名)で目が見えない日常が描かれる。目が見える読者からすると不思議な光景で、何の話か理解できず、 話の中に入っていくのが困難になる 。視覚障碍者の視線なのだ。辰之助が寺子屋で太平記の一節を空で読み上げる場面は、ひらがな表記だ。 文章がひらがなで書かれると 、ほとんど意味が取れない。辰之助は耳で聞いて覚えるという学習形態で、文字(テキスト)を読んで覚えているわけではない。その状態をひらがなという音声文字であらわしている。もちろん読者には、その後で漢字交じりの「太平記」原文の一節が紹介されている。しかし現代の読者には、この原文も読みこなせない。


角川書店発行の「見えるか保己一」の装丁も凝っている。 中扉は真っ黒 、もちろん文字は白抜きだが、その文字の両脇に、見えるか見えないかのうすい表記の漢字が入っている。遊び心かもしれないが、「見えるか読者」と問うているのかもしれない。


この小説を読みこなすには、塙保己一とは何者かを知ってると、小説の細部の意味も味わえるようになる。江戸時代後期に 「群書類従」という大叢書を作った盲人学者だ 。図書館に「群書類従」の本を見つけた人も多いだろう。普通は手に取ろうとは思わない。難しい本に見えてしまう。しかし、この本がなかったら江戸時代以前の歴史や日本文学の資料は闇に消えていたかもしれない。貴族や富裕層の蔵の中にしまい込まれた写本の多くは一般の人間は見ることも読むこともできなかった。貴重な写本を版木にしてバレンで印刷できるようにした。


この本の参考文献に「 奇跡の人塙保己一 」(埼玉新聞社)が紹介されていたので図書館で借りだした。筆者は堺正一という人で埼玉県立盲学校で校長をしていた人だ。歴史叙述という形式ではなく、多くのエピソードを重ねることで保己一を浮かび上がらせている。盲学生への道徳講話の題材に使ったようだ。同じ話が何回も出てくる。 書き方も一定していない 。ある項目は英語、ある項目は戯曲、ある項目は古い小学校の道徳の教科書からの引用だ。ともかく保己一に関する資料を大量に集めたようだ。福祉専門家が知らないような盲人福祉の情報が次々と出てくる。その中からいくつかを紹介する。


保己一は今から250年以上も前の江戸後期、1746年(延享3年)、武蔵国児玉郡保木野(現在の埼玉県児玉町)に生まれた。7歳の頃、病気で失明した。12歳の時、母親を失う。江戸では「太平記読み」で生計を立てている盲人がいるという話を聞き、記憶力抜群の保己一は江戸で学問をしようと決心した。絹商人の手を引かれ江戸へ出る。江戸へ出た保己一は 雨富須賀一検校という師匠の盲人一座 に入門する。当時の盲人の職業は、あんま、はりの鍼按業(しんあんぎょう)か、三味線、琴の芸能関係、それと金貸し業に限られていた。学問をしたいという夢を持っていた保己一にとって江戸での生活は厳しいものだった。あんま、はりも上達しない。学問もできないと絶望し、 牛が淵で自殺を決行しよう とした。誰かに声をかけられたか、未遂におわった。この牛が淵は現在の武道館横、千代田区役所の前のあたりの淵で、江戸時代の浮世絵では急峻な崖で深い堀になっている。ここに飛び込んだら生きていることはできなかっただろう。ちなみに九段坂は浮世絵では九層の段になっている。


保己一の日頃の様子に心をいためていた師匠の雨富検校は「3年間は自分のやりたいことを何をしてもよい」という特別の許可を出してくれた。ここで生き方は180度変わった。「般若心経」を100巻唱える決意をする。「般若心経」は仏教の教えを276文字で表したもの。このお経は「観自在菩薩…」と言う言葉で始まる。普通の仏教の解説書では「観自在菩薩」とは観音様のことと説明される。堺先生は文字通り 「自由自在にものを見たり考えたりする 」意味だと捉える。一人の人間として、学者として、自在に見る、何事にもとらわれない生き方を主張する仏さまと向き合うことで保己一の一日は始まる。この「般若心経」の丸暗記は寺の坊さんのやり方から学んだのだろう。毎日100回も唱えればいやでも記憶してしまう。難しいのは100回もやれるかである。それも毎日である。記憶術抜群というのは、こういうトレーニングの賜物(たまもの)だ。もちろん保己一は字句の意味をきちんと押さえていただろう。


雨富検校一座の隣に住んでいた松平乗尹(のりただ)という旗本は保己一の才能に気づき、自分の師匠であった 国学者萩原宋固 (そうこ)に紹介してくれた。宋固は歌人としても知られ、この師匠の下で日本の古い文学や和歌についての学問を深めることができた。ここで他の学者とも知り合えることができ、神道や漢文、古い法律、医学書も学ぶことができた。宋固は 学風は違う が国学者の賀茂真淵を紹介してくれた。心の広い宋固のおかげで、真淵の「国学」に接し、学問に取り組む姿勢は保己一の生涯にわたる学問に大きな影響を与えることになる。真淵の死去によって直接の指導は6か月に過ぎなかったが、「日本書紀」など六国史(りっこくし)を読み通すことができた。


「群書類従」は25の部から成り立っている。日本の神々、ついで朝廷・天皇から始まって、法律、武家政治、最後がその他の25番目が「雑部」で終わっている。聖徳太子の「憲法17条」は、なんと最後の「雑部」に入っている。普通なら最初の「律令部」に入れるところだ。ここに保己一の学問の姿勢をみると堺先生は述べている。 聖徳太子 は「憲法17条」を制定して国家の役人として政務の当たる心構えを説くとともに仏教を敬うことを強調した。太子は次のように言った。「正しい政治の本は学問にあるが、学問の本は儒(儒学)と釈(仏教)と神(神道)にある」。


ところが「日本書紀」には「二に曰く、篤く 三宝(仏教) を敬へ」となっている。ここの「三宝」とは仏・法・僧の事を指しており、要するに仏教の事である。太子の制定された「憲法17条」は故意に書き換えられた偽物と保己一は見抜いていたので「雑部」に入れた。この聖徳太子の時代は仏教を信仰する蘇我一族の権勢がピークに達していた時代で、太子が制定した「篤く 三法(神・儒・仏) を敬へ」では都合が悪い。「三法」とは「神道・儒教・仏教」の事を指す。法隆寺の僧や蘇我一族によって自分たちの都合の良い主張で憲法を改ざんしてしまった。「サンポウ」という音だけしかわからない保己一は、どのようにして、この改ざんを見破ったのか。
「古事記」編集のときは、「憲法17条」は完全に無視された。


これは今の「平和憲法」に通じる。風前の灯の憲法が100年後の歴史叢書に「雑部」に分類されないことを祈る。


保己一はたびたび名前を変えている 。前記の小説を読む場合も注意したほうがいい。生まれた時は寅之助と命名された。両親は眼が見えるようにと神社やお寺にお参りした。村の山伏の祈祷が病気にきくという話を聞いた両親はお願いに行った。その山伏は名前が悪い、と言った。そこで「辰之助」と改めた。山伏の弟子として「多聞房(たもんぼう)」 という修験者の名前をつけてもらった。耳から多くの知識を聞いて修行せよという意味だろうが、目はよくならなかった。この山伏はどこかへ消えてしまった。雨富検校の一座に入門すると「千弥」という名前を与えられた。自殺未遂の3年の後、衆分(しゅうぶん)という位に昇進した。ここで名前を故郷の保木野村からとって「保木野一(ほきのいち)」と変えた。20歳のとき、勾当(こうとう)という地位についた。師匠の実家の名字をもらって「塙(はなわ)」とつけてもらった。「保木野一」も「保己一」に変えた。これは中国の「文選」という書物の「己を保ちて百年を安んず 」という言葉からとったと言われている。塙保己一と言う名前になった。


勾当になったころ、狂歌で有名な大田南畝(なんぽ・蜀山人)にあった。南畝は保己一の目になり、本を読んだり、書きとったりと多くの援助をした。


盲人の官位は、最初は無官の「初心」から「衆分」→「四度の座頭」→「勾当」→「検校」→「総検校」と上がってゆく。これはお金を納めて上がってゆく。お金のない保己一はどうしたか。雨富検校や周囲の援助が大分あったようだ。


保己一は「令義解(りょうのぎげ)」を出版した。平安時代の法律の解釈書だ。東京大学デジタルアーカイブで読むことができる。冒頭の「 温故堂 蔵」とは保己一のこと。日本の古い行政制度や法律の歴史を知るうえで重要な書物だ。この10巻の書物は一部が散逸、所有者の蔵にしまい込まれ、所在さえわからなくなっていた。史料集めや校正を通じて、復元した。出版しようとしたところ、京都の吉田書林という本屋が同じ「令義解」を復元、出版していた。慌てたのは吉田書林側。保己一版が出れば、多くの人は、そちらを購入するだろう。番頭を江戸へ出張させて、一部売れるごとに二匁(もんめ)を自分のところへ補償してもらえないか、と交渉した。これが大変な事業であることがわかっていた保己一は、「申し訳ないことでした。一部売れるごとに、九匁九厘お支払いしましょう」と申し出の三・三倍ものお金を払うことにした。しかし、この本は、そんなに売れるものではないことは保己一は承知の上だった。


明治時代になって、 この「令義解」が、わが国初の女医誕生のきっかけ になる。渡辺淳一の小説「花埋み(はなうずみ)」で描かれた荻野吟子がその人である。シーボルトの娘楠本イネが女医1号と考える人もいるが、イネのときには医師免許はなかった。正式な資格をもった公認医師は吟子だった。吟子は18歳で熊谷の名家に嫁いだ。結婚後まもなく病気になる。この病気が吟子にとって一大転機になる。離婚し、実家に戻った吟子は治療のため東京にでる。順天堂病院にいくが、婦人科の治療室で耐えがたい経験をする。男性医師の前で自分の体をさらさねばならなかった。日本に女性の医師がいないことに疑問をもった。一人の女性として自分が医師にならなければならない。学業で優秀な成績をあげても男尊女卑のつよい封建遺制の残る日本の官僚機構は吟子の意思をはねつけた。国学者であり漢方医の井上頼圀(よりくに)の私塾にはいり、「令義解」の講義を受けたことを思い出した。平安時代に作られた養老律令の注釈書「令義解」の巻八「医疾令(いしつりょう)」に「女医」についての記述があったことから、わが国にも女医の前例があることを証明してくれた。女性の医術開業試験を拒む理由がなくなった。


寛政5年(1789)、保己一は「 大日本史」の校正に くわわる。これは水戸黄門の徳川光圀が計画し、水戸藩が150年の歳月をかけて完成したものだ。保己一が加わることに強い反対があった。「盲人に校正などできるか」。堺先生は芝居仕立てで叙述している。
場所は江戸の水戸藩邸。館員に保己一が入ってくることに不信の念が広がる。「翠軒(史館の館長)はなにをかんがえているのか。盲人の手をかりるだと? たわけたことだ」
翠軒は塙検校に「源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)の校正をやってもらうことにした。「源平盛衰記」は源氏と平家の戦いを物語としたもので、「平家物語」より劣る。さらに異本が多く、その校正作業は複雑、困難なものだった。疑問に思っているところを読み上げると、じっと聞いている検校は、理由を挙げて誤りを指摘する。
「あれは人間業(わざ)とは思えない」との声が上がり、第一次試験に通過し、「大日本史」の校正作業が始まった。


保己一の結婚生活は平坦ではなかった。37歳の時、初婚。当時からすれば晩婚だろう。相手は紀州徳川家の御殿医の娘で、その名を「テイ」といった。盲人の最高位の「検校」の位に進もうとした時だった。「検校」は旗本の武士と同等の扱いをされ、一座から相当の金も入ってくる。テイも甘い生活を夢見ていたのだろう。長女「トセ」が生まれるが離婚することになる。その理由は不明だが、小説では弟子の不倫になっている。離婚後、まもなく再婚した。再婚した「たせ子」との生活は人もうらやむほどだった。たせ子との間にできた「寅之助」は7歳で亡くなった。「群書類従」の出版事業、和学講談所の経営も順調だった。夫婦の悩みは後継者がいないことだった。自分に子供ができないことを知った 妻は家事見習いに来た若い女性を夫に勧めた 。その女性の名前は「イヨ」と言った。4人の子供が生まれ、四男が「次郎」と名付けられた。この次郎が後継者となり、「続群書類従」や和学講談所の経営にあたる。文久2年、この 塙次郎が暗殺されるという事件 が起きる。幕府からの命令で天皇制廃位について調査せよという指示がきた。血気にはやった長州藩志士たちが「塙次郎は不忠の臣だから天誅を加えよ」と暗殺を企てた。普通なら刃は幕府に向かうはずだが、暗殺者は弱いところへ向かう。この犯人は明治時代には公にはならず、60年たった大正11年に新聞記事になった。犯人は意外なことに、初代総理大臣になった伊藤博文、聾唖学校設立に動いた文部省技官になった山尾庸三だった。ここに和学講談所は消えた。しかし、その精神や資料は東京大学史学編纂所に引き継がれた。




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最終更新日  2026.06.03 10:44:53
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