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2004年03月23日
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隠された情報を明らかにしたり、しるしや兆しで将来のことを伺ったりするために、多くの場合、魔術が使われる。これは占いとして知られており、この点でバビロニア人は有名だった。

「魔術、超自然力信仰、および宗教」という本によれば、「彼らは打ち殺された動物の肝臓や腸を調べたり、火や煙を見たり、宝石の輝きを観察したりして将来を予言する先見術の熟練者であった。彼らは泉から水がさらさら流れる音や植物の形状から出来事を予告した。……大気中のしるし、雨、雲、風、稲妻なども前兆として解釈され、家具や鏡板のひび割れも将来の出来事を予告する手掛かりとなった。……ハエその他の昆虫、それに犬も神秘的な知らせを伝えるものであった」。

聖書のエゼキエル書は、ある軍事行動の際、「バビロンの王はその分かれ道、二つの道の頭の所で立ち止まった……占いをするためである。彼は矢を振った。テラフィムによって伺いを立てた。肝を調べた」と伝えている。(Eze 21:21)まじない師、魔法使い、および魔術を使う神官もまた、バビロニア朝廷の紛れもない肝要な成員だった。―Da 2:1‐3、27、28.

東洋および西洋双方の他の国々の人々もまた、多くの形態の占いに手を出した。ギリシャ人は重大な政治上の出来事をはじめ、結婚、旅行、子供などの個人的な俗事に関しても神託所に助言を求めた。その最も有名なのは、デルフォイの神託所であった。アポロから来ると考えられる答えは、女神官、もしくはピュティアを通して、分かりにくい音で与えられ、神官により解釈されて、あいまいな詩の形に組み立てられた。

古典的な一例は、「もしクロイソスがハリュス川を渡るなら、彼は力ある一帝国を滅ぼすであろう」という、リュディアの王クロイソスに与えられた答えである。滅ぼされる、その力ある帝国はこの王自身の帝国だった。クロイソスはハリュス川を渡ってカパドキアに侵攻した時、ペルシャのキュロスの手にかかって敗北を喫した。

西洋の占いの技術は、ほとんどなすことすべてに関して兆しや異兆を求めることに取り付かれていたローマ人と共に頂点に達した。社会のあらゆる階層の人々が占星術、魔法、お守り、易断、その他多くの形態の占いを信じていた。そして、ローマ史の権威エドワード・ギボンによれば、「ローマ世界で流行した様々な崇拝様式を人々はすべて等しく真実であるとみなし」た。

有名な政治家で雄弁家のキケロは鳥の飛び方に兆しを求める専門家であった。ローマ史家ペトロニウスは、ローマの幾つかの町のおびただしい数の宗教や祭儀から考えて、それらの町には人々の数よりも多くの宗教があるに違いないと述べた。

中国では、西暦前第2千年紀(殷王朝)以降の年代の神託用の骨や貝殻が10万点以上出土した。殷朝の神官たちはそれらのものを使って、天気から部隊の行動に至るまであらゆる事柄に関して神の指導を求めた。神官たちはそれらの骨に古代の文字で疑問を書き、次いでその骨を熱し、現われたひび割れを調べて、その同じ骨に答えを書き記した。中には、中国語の書体がこの古代の文字から発達したと考える学者もいる。

占いに関する古代中国の最も有名な論文は「易経」で、西暦前12世紀に周の最初の二人の皇帝、文王および周公によって書かれたと言われている。「易経」には対立する二つの力である陰陽(つまり、暗と明、否定的と肯定的、女性と男性、月と太陽、地と天、その他)の相互作用が詳細に説明されており、多くの中国人は今でもこの陰陽が人生のあらゆる事柄の背後の支配的な原理であると信じている。



「易経」は何世紀にもわたって、易断や土占い、その他の形態の中国の占いすべての基礎となってきた。





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最終更新日  2004年03月23日 00時34分28秒
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