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2005年01月30日
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テーマ: 感情(58)
カテゴリ: カテゴリ未分類
 怒りを処理することも大変難しい課題である。腹立ち紛れに人を傷つけるようなことや否定的なことを言ったり行なったりする若者は少なくない。

 もちろん、時に怒りを感じるとしても、それは異常なことではない。しかし、人類最初の殺人者であるカインのことを考えてみると怒りを宿したままにしておくならどういう結果を生じさせるかわたしたちに教えてくれる。彼が『非常な怒りに燃えた』時、神はカインに、そのような怒りが重大な罪につながる恐れがあることを警告し、「あなたは[罪]を制するだろうか」と言われた。(創世記4:5-7)カインは神のその忠告を心に留めなかった。結果、弟であるアダムを殴り殺してしまうという血の罪を犯すことになった。

 しかし、神の助けを得るなら、怒りを抑えて、罪を犯さないようにすることは可能なのである。

 この場合もやはり、思考をコントロールするということになる。聖書は箴言19章11節で、「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違反を許すのはその人の美しさである」と述べている。だれかに気分を害されたら、その人がそういう振る舞いをした理由を理解することに努める。わざと傷つけようとしていたのだろうか。衝動的に、あるいは事情を知らずに振る舞っていたのだろうか。人の間違いを大目に見ることは、ほかでもない神の憐れみを反映することであり、すぐにかっとならないようにする助けにもなる。

 では、怒るのが当然と言えるような場合はどうだろうか。聖書は、「憤っても、罪を犯してはなりません」と述べている。(エフェソス4:26)必要なら、相手の人とよく話し合ってみることができる。(マタイ5:23、24)あるいは、問題を水に流す、つまり怒るのをやめていつもと同じように過ごすのが最善という場合もある。

 興味深いことに、怒りをどう処理するかという点で友達が影響を及ぼす場合もある。であるから聖書はこう命じている。「怒りやすい者の友となるな。激怒する者と共に入って行ってはならない。その道筋を親しく知るようになって、自分の魂をわなに掛けてしまうことのないためである」。―箴言22:24、25.

 怒りを抑えようと努力する人たちに囲まれていれば、自制心を培うよう助けられる。そのような人たちとの交友ができる場所を見いだすことは悪の蔓延る世にあって難しい。しかし、真の平和と平穏を求める心の正直な人は必ずそれを見い出すことができる。





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最終更新日  2005年02月06日 18時31分07秒
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