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斎院中務(さいいんのなかのつかさ)月はよしはげしき風の音さへぞ 身にしむばかり秋はかなしき後拾遺和歌集 339月はいいなあ。激しい風の音さえもが身にしみるばかりだ。秋は心を揺り動かすものだなあ。
2011年11月30日
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江國香織(えくに・かおり)無題どっちみち百年たてば誰もいないあたしもあなたもあのひとも詩集『すみれの花の砂糖づけ』(平成11年・1999)
2022年10月02日
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外では桜の花が美しく咲き乱れているというのに、なんともうんざりさせられる、やりきれないニュースである。 先ほどの注目の記者会見で、理研は「STAP細胞論文」の主要部分に捏造や改竄の不正があり、ほぼ全ての責任は小保方さんにあると発表した。 STAP細胞の生成と存在の事実そのものはまだ首の皮一枚つながっているという見方もあるが、これも今やほとんど黒に近いグレーといったところに追い込まれた。 やっぱりそうだったのかと、われわれも十分想定していた結論である。言っては悪いが、なんとも恥知らずな事件だったというほかはないだろう。 こうなってみると、われわれの関心の焦点は小保方さん本人のパーソナリティに移るわけだが、結論的にいえば、自己愛性または演技性などと分類されるパーソナリティ障害の一種と見て間違いないだろう。これらの症候群は広い意味で、また俗なニュアンスで境界例(いわゆる「ボーダーライン」)と称されることも多い。 一般的に、パーソナリティ障害と知能に必ずしも相関がないことはよく知られており、早大大学院で博士号を取得したインテリジェンスと、この幼稚ともいえる行動には精神医学的な見地での矛盾はない。 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメインカラヴァッジョ ナルキッソス * 画像クリックで拡大ポップアップ■ [STAP細胞問題] 理研、「小保方さんが捏造」と判断【毎日新聞 1日】 新たな万能細胞「STAP(スタップ)細胞」の作製成功を発表した英科学誌ネイチャーの論文に多数の疑問点が指摘されている問題で、理化学研究所の調査委員会(委員長、石井俊輔・理研上席研究員)は1日午前、東京都内で会見を開き、研究を主導した小保方晴子・研究ユニットリーダーについて「捏造にあたる研究不正行為を行ったと判断した」と発表した。 調査委は「小保方氏は科学的に許容しがたいプロセスによる2枚の異なるデータの切り貼りや、条件が異なる実験データの使用など、到底容認できない行為を重ねて行っている」とし「研究者としての未熟さだけに帰することのできるものではない」とした。
2014年04月01日
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会津八一(あいづ・やいち)すゐえんのあまつをとめがころもでの ひまにもすめるあきのそらかな歌集『南京新唱』(大正13年・1924)水煙の天つ乙女の衣の袖の隙間にも澄みきって見える秋の空だなあ。註秋の古都を詠んで端正な調べが美しい、名匠の代表作。水煙:奈良・薬師寺東塔(国宝)上部の透かし彫りの装飾。二十四人の飛天の像が彫られている。けん家持さんによると、薬師寺にこの歌の歌碑があるようである。■ 薬師寺の風景とこの歌の歌碑(けん家持さんのブログ「偐万葉田舎家持歌集」より)あまつをとめ:飛天。天人、天女。歌集タイトルの「南京(なんきょう)」は、(京都に対して)奈良のこと。南都。* 作者特有の細かい分かち書き表記の原文は、今の目で見るとどうも読みづらく、情趣が殺(そ)がれるようにも思うので、まことに僭越ながら普通文に直した。
2010年09月26日
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岡井隆(おかい・たかし)抱いだくとき髪に湿りののこりいて美しかりし野の雨を言う歌集「斉唱」(昭和31年・1956)抱く時に髪に湿り気が残っている君に美しかった野の雨のことを僕は言った。註初出「触れてゐる髪にしめりの残りゐて美しかりし野の雨を言ふ」(昭和27年5月17日開催「大学歌人会・歌会」)
2010年06月25日
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よみ人知らずわが背子せこが衣ころものすそを吹き返し うらめづらしき秋のはつかぜ古今和歌集 171マイ・ダーリンの衣の裾に吹いて裏返しはっとするようにすてきな秋の初風。註背子せこ:古代の女性が、夫・恋人・父親・親戚など、主に年上の親しい男性に言った語。妹子(いもこ)の対語。が:格助詞。現代語の「の」に当たる。うら:心。心の中。ここでは「裏」と掛けている。ザブトン3枚。めづらし:動詞「愛(め)づ」から派生した形容詞。目新しく新鮮で、愛すべきものに言う。現代語「珍しい」とは、ニュアンスがやや異なる。 聖徳太子立像ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014年09月02日
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大辻隆弘(おおつじ・たかひろ)紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき註一部では「ざまあみろの歌」の異名をもって鳴る、現代短歌最大級の問題作。2001年(平成13年)9月11日、ニューヨークなどで発生したアメリカ同時多発テロ事件、いわゆる「9. 11事件」を詠んだ。日本人の一人として、この歌に表明された感情が全く理解できないとは言わない。が、悪意と冷笑、反米的なルサンチマン(怨念)も露骨に感じられ、この歌に対する大方の毀誉褒貶は、当然ながらきわめて激しい。万が一、僕の脳髄が思いついてしまったとしても、発表する度胸は到底ない。少なくとも、この文脈で「壮快」という言葉を使える気は全くしない。普段はセンシティヴ(繊細)でリリカル(抒情的)な歌風で知られ、僕もファンの一人である中堅歌人の、発作のごとき突発的な魂の叫びか? ヒステリックな乱心か?紐育(ニューヨーク)空爆之図:「広島原爆之図」のパスティーシュ(パロディ)。テクニカルな意味では上手いと思う。紐育(ニューヨーク):ムスリム(イスラム教徒)の視点から見れば、ビッグアップル・ニューヨークは、イスラエルによるイスラム諸国への「侵略」を陰に陽に支持する勢力の巣窟・総本山とすらいえなくもない。
2010年09月10日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ歌集「死か藝術か」(大正元年・1912) 日本酒 濁り酒ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014年08月03日
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岡本かの子桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命いのちをかけてわが眺めたり狂人のわれが見にける十年まへの真赤きさくら真黒きさくらおのづからなる生命のいろに花さけりわが咲く色をわれは知らぬに美しき亡命客のさみえるに薄茶たてつつ外とは春の雨あはれあはれ寒けき世かな寒き世になど生みけむと吾子あこ見つつおもふ歌集『浴身』(大正14年・1925)* 吾子あこ:岡本太郎。
2024年04月04日
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THE ALAN PARSONS PROJECTDON'T LET IT SHOW原題:何も見せないでくれ アラン・パーソンズ 近影ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014年11月04日
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藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか)おほぞらは梅のにほひに霞みつつ 曇りもはてぬ春の夜の月新古今和歌集 40大空は梅の彩りと香りに霞みつつそうかといって曇り切るわけでもない幻のような春の夜の月。註和歌の最高傑作の一つで、有心幽玄(うしんゆうげん)の新古今調を代表する、作者彫心鏤骨(ちょうしんるこつ)の名歌。大江千里「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき」の本歌取り。にほひ:一語で簡明に対応する現代語はない。主として、はなやかで溢れこぼれるような美しい情景や色合い(視覚)について言うが、妙なる芳香(嗅覚)や余韻(一種の詩情、脳内感覚)なども含意する。この意味の一部(嗅覚)だけが現代語「匂い、臭い」に残った。具体的には、花や紅葉、女性の美しさなどについて用いることが多い。 ○ 井上陽水/奥田民生/小泉今日子「月ひとしずく」歌詞
2013年03月19日
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大貫妙子ベジタブル
2025年11月24日
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栃木・宇都宮市泉町「近代人」にて、22日夜写す昨晩は、旧友でアルトサックス・プレイヤーの亀和田国彦君のジャズライヴを堪能してきた。彼は「ナベサダ」にちなんで“カメサダ”の異名を取る名手。場所は、地元ジャズファンに親しまれ、今年で創業50周年を迎えた老舗ジャズ・スポット「近代人」。僕も高校生の頃から時々行っていたが、ここ数年は子育てや雑用に忙殺され、訪れるのはずいぶん久しぶり。演奏は3部構成。8時から始まって、途中休憩を挟みつつ11時頃まで熱演が続いたが、時の経つのが本当に早く感じられ、真夏の夜の夢のごとしであった。休憩時間には亀和田君と話がはずんだ。亀和田君のサックスは、時に激しく時に穏やかに、ハスキーに艶やかに、円熟した大人の音色を十分に玩味できた。すべて良かったが、特にラストの方のサウダージ(切ない哀愁)溢るるラテン系の曲やボサノヴァも、夏の終わりと秋の兆しを感じさせるこの季節にふさわしく感じられた。本当に楽しい一夜だった。それにしても、手練てだれの技の生演奏を聴きながら飲むというのは、酒の飲み方として最高の贅沢だな~と、改めて思った。ちなみに、ライヴ演奏のセット・チャージ料金2500円を含めて、ビール・水割りをガバガバ飲みまくって、〆て合計4000円は安かったじょ~・・・ボトルキープしとけば、もっと安く済むと思います亀和田国彦 / ソウルアイズ 【CD】 自作曲を含む快作価格:2,100円(税込、送料別)亀和田國彦君亀和田國彦クインテット亀和田國彦(アルトサックス as)野中利香(ピアノ pf)岩見達也(ベース b)須藤晶(ドラムス ds)阿久津典計(ギター g)
2010年08月23日
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前登志夫(まえ・としお)さくら咲くゆふべとなれりやまなみにをみなのあはれながくたなびくさくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへりふるくにのゆふべを匂ふ山桜わが殺あやめたるもののしづけさ歌集『青童子』(平成9年・2007)
2014年04月03日
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「ラッキーパンチ」って言葉を、最近立て続けに目にし耳にした。なんとなくちょっとした流行語らしい。歌詠みなんてものは「言葉オタク」みたいなもんであるから、こういったことがおのずと気になってしまうのは習い性である。最初に目にしたのは、お堅い経済関係の論文で、「アベノミクスによる円安は、今のところラッキーパンチにすぎない」という文脈だった。まあ、言われてみれば確かに、安倍政権はまだほとんど何も政策を実行には移してないわけで、市場の期待が先行している面があり、そう言われても無理からぬところはあるかも知れない。勝負はこれからだ。語源はこれだろう。ラッキーパンチ 【lucky punch】 ボクシングで、偶然に命中した有効なパンチ。ある日の「ロンドンハーツ」で、カンニング竹山が言葉に詰まり、なにげに「ま~その~」と言ったのを、隣にいた有吉がすかさず「田中角栄っ!」と突っ込んでバカウケしたのだが、さらに畳みかけて有吉が「今のはラッキーパンチだろっ!」と揶揄した。さすが有吉、表現が的確であるそれに対して、竹山が即座に「ラッキーだろうが何だろうが、パンチが当たりゃ立派だっ!」と怒鳴り返したのも、なかなか見事なアドリブだった・・・そのほか、ラジオでも耳にしたが、晩酌で酔っていたので、内容はよく覚えていない
2013年02月04日
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藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか)梅の花にほひをうつす袖の上に 軒のき洩る月のかげぞあらそふ新古今和歌集 44梅の花の彩りを映し妙なる香りを移す袖の上に軒先を洩れてきた月の光が争っている。註にほひをうつす:「(視覚的な)色彩を映している」意味と「(嗅覚上の)芳香を移している」の両義が掛かっている。軒洩る月のかげぞあらそふ:軒端の梅を漏れて来た光が、風に揺れて袖の上で争っている(ように見える)。かげ:中古までは「光」の意味。「光」という漢字を「かげ」と訓じることも多かった。近現代でも、文語的な言い回しでは光の意味に用いることがしばしばある(「星影」、「影射す」など)。やがて、光が映し出す形の意味から「陰、翳り」の意味を生じ、「影」の字もろとも意味が180度変わってしまった、日本語では珍しい例である。もとの意味は、動詞「光る」の連用形である「光」に取って代わられた。
2014年03月24日
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白楽天(はく・らくてん、白居易、はく・きょい、唐)賦得古原草送別離離原上草一歳一枯榮野火燒不盡春風吹又生遠芳侵古道晴翠接荒城又送王孫去淒淒滿別情古原こげんの草を賦し得て別れを送る離離りりたる原上げんじょうの草一歳にひとたび枯榮こえいす野火やか燒けども尽きず春風吹いて又生ず遠芳えんぽう古道を侵し晴翠せいすい荒城こうじょうに接すまた王孫の去るを送る淒淒として別情滿つ「古い野原の草」の題を得て、知己を送別するふさふさとした野原一面の草は一年に一度枯れて栄える。野焼きで焼けても尽き果てることはなく、春風が吹けばまた生える。遠く芳しい草が古道に蔓延はびこり、晴れやかな緑が荒れた城壁に続いている。こうしてまた、あなたさまが去るのを送る。青々とした草にも、特別な感情が満ち溢れている。註白楽天は、字(あざな、一種の通称・ニックネーム)。本名、白居易。どちらの名でも知られている。王孫:優れた人をいう尊称。
2009年04月04日
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正岡子規(まさおか・しき)瓶かめにさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとどかざりけり(花瓶に挿した藤の花房は短いので、畳の上までは届かないのだなあ。)瓶かめにさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書ふみの上に垂れたり藤なみの花をし見れば奈良のみかど京きやうのみかどの昔こひしも藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出いで写さんと思ふ藤なみの花の紫絵にかかばこき紫にかくべかりけり(藤波の花の紫を絵に書くのならば、濃い紫に書くべきだろうなあ。)瓶かめにさす藤の花ぶさ花垂れて病やまひの牀とこに春暮れんとす去年こぞの春亀戸かめゐどに藤を見しことを今藤を見て思ひいでつもくれなゐの牡丹ぼたんの花にさきだちて藤の紫咲きいでにけりこの藤は早く咲きたり亀井戸の藤咲かまくは十日とをかまり後のち(この藤は早く咲いた。亀戸の藤が咲くのは十日余り後か。)八入折やしほりの酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く(丹念に醸し出された銘酒に浸してみたところ、萎れた藤波の花が蘇って咲いたよ。)明治34年(1901)晩春、東京・根岸の自宅(現・子規庵)で詠む。遺稿歌集『竹の里歌』(明治37年・1904)所収。註若くして、当時としては不治の病といわれた脊椎カリエス(脊椎の結核)に臥した子規晩年の連作秀歌。一見淡々とした写生(写実)の中に、鬼気迫るほどの気魄が満ち満ちている名篇。
2010年05月22日
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村木道彦(むらき・みちひこ)水風呂にみずみちたればとつぷりとくれてうたえるただ麦畑歌集「天唇」(昭和49年・1974)註夏の暮れ泥む風呂場の窓から「麦畑」が仄かに見えているのだろうか。それとも、幼き日に見た光景の追憶でもあろうか。はたまた、ぐっと下世話に「誰かさんと誰かさんが麦畑」の俗謡でも高歌放吟しているのか。ちなみに、盛夏・酷暑のこの時季、水風呂の清涼と快楽に如くはなしと、私も思っている。・・・昨夜も、最後は水風呂にして丸々1時間も浸かっていたぐらいだ。なお、なぜかこの歌の仮名遣いは混乱している。新仮名遣いで統一するなら「とっぷり」、旧仮名遣いなら「みづ」「うたへる」の表記となるところである。この混淆は通常ではあり得ない(ただし、巨匠・塚本邦雄の少なくとも一首にそうした例はある)。もしかすると、作歌時の時代状況的な混乱の反映か、何らかの意図があるのかは不詳である。 Bathroomウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014年08月03日
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式子内親王(しきし/のりこ・ないしんのう)山ふかみ春とも知らぬ松の戸に たえだえかかる雪の玉水新古今和歌集 3山が深いので春が来たとも知らない侘しい庵いおりの松の戸にぽつりぽつりと降りかかる雪解け水の玉の雫。註(山ふか)み:「~が~なので」。上古語特有の「ミ語法」。万葉集に頻出する。この歌の作歌当時(鎌倉時代初期)にはすでに懐古趣味的(レトロ)な用法だったと思われる。松の戸:「松」と「待つ」が掛けてあるかも知れない。たえだえ:動詞「絶ゆ」はヤ行の(下二段)活用なので、歴史的仮名遣いは「たえだえ」となる。
2015年03月18日
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額田王(ぬかたのおおきみ)君待つと我あが恋ひをれば わが屋戸やどの簾すだれ動かし秋の風吹く万葉集 488あなたをお待ちしてわたくしが恋しさをつのらせているとわが家の簾を動かして秋の風が吹いた。註「君」は、天智天皇。当時は妻問婚(通い婚)。 国宝 源氏物語絵巻 宿木 (歌と画像に直接の関係はありません)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年08月31日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)6日放送。評者はおなじみ俳人の夏井いつき氏。今回の兼題は「雪の銀座」。言わずと知れた日本人の憧れの街である。この番組はこのところ(少なくとも内容的には)絶好調なのではないか。長寿番組になりつつある今、いわゆる「偉大なマンネリズム」に落ち着きつつも、芸能界の俳諧プロ級の常連たちは好調、ゲストたちもなかなかの意欲作を出してきて、見ていて至極楽しい。うまい俳句を肴にうまい酒を飲んで、木曜夜は幸せな気分である 梅沢富美男湯の里の小さき銀座に春の雪文句のつけようがない手堅い一句。日本全国にあり湯の町にもある小さな「銀座」を詠んで、とびぬけた秀句ではないが、味わい深い。立川志らく粉雪に恋する銀座資生堂志らく氏、やったな。詩歌で固有名詞(人名・地名・社名など)を使うのはチャレンジだが、ここではばしっと決まって秀句となった。東京銀座の中でも特にすてきな、おしゃれの代名詞のような場所・資生堂パーラーを真っ向詠み込んだ。田舎者の私も行ったことがあるが、舞い上がってしまって、何を食べたか全く記憶にない(笑)この句を「このまま、資生堂に高く売りつければいい」という、夏井氏の戯れ言まで飛び出した。新浜レオン余寒なおネオンに獅子の影著しるし原句「余寒なおネオンに浮かぶ獅子の影」を夏井氏が推敲。これまた事実上名指しに近い三越銀座店のライオン像を詠んで若々しい鮮烈さがある。売れなかった下積み時代、すぐ目の前のアパレル店でバイトをしていて、「今に見ていろ」と思っていたという。ちなみに、レオンは古代ローマ・ラテン語の獅子(ライオン)である。なお私見だが、古語「著しるし」が難しければ、「さやか(亮か)」もありかなと思う。渡辺満里奈かりんとの小枝よ街の粉雪よ原作「かりんとの小枝にふわり粉雪よ」を添削。銀座に「たちばな」というかりんとうの老舗名店があるそうで、それを路上でつまみ食いしていたら雪が降ってきた。ほのぼのとした風情の佳句。鈴木梨央銀座色のネオンや冬の音を聞く原句「冬の音輝くネオン銀座色」を添削。若手女優らしく初々しい。さや香・新山末席にゐて春愁の祝賀会原句「冴返る末席汚す祝賀会」。早春に催される歓送迎会・出世祝いなどの晴れやかな席に、祝う意思はあって出席しているのだが、自分はその人たちから取り残された境遇にあり、鬱屈した思いを抱えつつ中心人物たちから隔たった隅っこにぽつんと座っていた。着眼点はけっこう面白いのだが、表現がいかにも稚拙で、「箸にも棒にも掛からない」と酷評されるような典型的凡句。意味も分かりづらい。特に中七の「末席汚す」が散文的な常套句なのが致命的。季語「冴返る」(早春に寒さがぶりかえす)も、取って付けたようで利いていない。ただ、この人は今後伸びると見た。夏井氏の「添削芸」が、いつもながら見事。意味が明瞭になりつつ、なかなかの逸品になったのではないか。
2025年02月07日
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□ 日本人の祖先の「3系統説」、従来の定説に修正迫るゲノム解析で進化人類学は「人類、日本人の本質」を探究【サイエンス・ポータル 内城喜貴氏 2024.7.24】僕らが紅顔の「科学少年」だった子供の頃から興味津々の話題だが、遺伝子ゲノム(いわゆるDNA・デオキシリボ核酸)解析技術の進歩で、近年大きな発見があった模様である。ただこの問題は、ややもすると、かたやアイヌ民族・琉球民族(沖縄人)などへのレイシズム(人種・民族差別)的言説につながりかねない側面があり、こなた日本国家・大和朝廷・天皇(家・制)の起源にも濃厚に関わってしまう、最高度に歴史的・政治的な問題でもあることから、これまで研究者の口は重く慎重で、隔靴掻痒の感は否めなかった。が、ゲノム解析という最新の科学技術の進歩により、研究者も有無を言わせず自信を持って自説を吐露できるようになったといえる。薄々は分かっていてもなかなか公にし難かった所説に、強力な根拠(エヴィデンス)の後ろ盾が付いた感じだ。また、この問題は、わたしたちが愛してやまないこの美しい日本語(漢語や外来語を除く「やまとことば」)の成立にも直接関わってくる。リンク先の記事は、異なる2つのソースを基にしており、前半部の理化学研究所(理研)発表の部分と、後半の金沢大学(覚張隆史助教らのグループ)発表の部分でやや齟齬があり錯綜しているが、特に注目されるのは後半の金沢大学由来の部分である。これまで言われてきた縄文人+弥生人の「二重構造モデル」の構図に加えて、いわば「古墳人」というものの存在があった(三重構造モデル)として、発表当時大きなニュースになったことは記憶に新しい。覚張助教は、文化勲章確定であろう。この発見を、くだんの金沢大学・覚張隆史助教(がくはり・たかし、考古分子生物学)の出演も得て詳細に報じたNHK『フロンティア』では、もう一歩進んで、やはりアイヌ民族に縄文人の遺伝的形質が最も濃厚に残っていることも明らかにされた(約70%)。これも従来から言われてきたことだが、最新科学の裏打ちがあった形だ。『フロンティア』の内容を要約し、私なりの解釈も若干交えつつ書くと、3万年少し前、東南アジアのインドシナ半島やマレー半島付近に定住していた人々の中から、理由は分からないが移動して今の中国の海岸伝いにやって来て、当時ほぼ地続きだった日本地域にたどり着いた人々がいた。総勢たったの1000人ほどだった。これが「縄文人」にほかならない。現在のタイ奥地のジャングルの中に住む少数民族・マニ族ときわめて近い遺伝子を持ち、ホアビニアン文化という狩猟採集文化を持っていた。その頃これらの新天地にほかの人間はいなかった。黄海は陸地で、現在の朝鮮半島も含めて大陸の一部だった。日本海は巨大な湖で、対馬海峡は川に過ぎなかった。獣がいれば狩って食糧にした。これはよほどのごちそうだった。木の実でも草の葉でも魚でも貝でもざりがにでも昆虫でも茸でも、食えるものはすべて口にした。無人の荒野と蒼古の森をひたすら歩いてゆっくりと北上し、最も早くこの地にたどり着いた人々だった。当然、移動の途中で他民族との交雑もなかった。まさに、フロンティア精神の体現者だった。その後18000年前ごろから温暖化(氷期の終わり)によって海面が上昇し、島国となったこの国で、16000年前から3000年前まで1万数千年の長きにわたって彼らは平和と繁栄を享受し、縄文文化を花開かせた。青森・三内丸山遺跡のような集落も各地に築いた。この縄文時代後期には農耕の萌芽のようなものもあったが、ほとんど狩猟採集生活のままだった。縄文人同士での交流・交易も盛んだった。彼らの遺伝子は、現代のアイヌの人々に7割、沖縄の人々に3割、東京の人々に1割残っている。しかし、世界は動き始め、1万年前ごろに農耕が、5000年前ごろには「文明」が発生した。しばらくして、約3000年前、北東アジア(シベリア)方面から朝鮮半島を経て、船で渡来人がやってきた。一時的な寒冷化や人口の飽和が背景にあったのではないかとも考えられている。彼らは稲作などの農耕や金属器などの先進技術を持っていた。農業の伝来によって土地や水利をめぐって争い・殺し合いも起こったが、まだ大規模ではなかった。縄文人と渡来人はおおむね友好的で、婚姻・混血・融合が進んだ。この縄文人と渡来人のDNAを合わせ持った人々が「弥生人」である。その遺伝子組成は、縄文人が約6割、渡来人4割である。ここまでの大筋は、従来も言われてきたことだと思う。歴史好き、とりわけ古代史好きであれば、だいたい上記のように理解してきた。DNA解析もない時代に、よくぞここまで立論できたものだと思う。結果的にはおおむね正解だったと思われる。先人たちの労苦を多としたい。ところが今回、金沢大学・覚張助教が提唱した新説は、さらにもう一段を加えたところにある。3世紀半ばごろ(西暦200年代、1770年ぐらい前)から、忽然として日本国家につながる強大な大和王権が形成されていった。「古墳時代」の開幕である。この国にいきなり文明が開化した感がある。それ以前には卑弥呼の邪馬台国もあった。この過程は従来謎とされ、弥生文化の中から自然発生的に成立したと説明されてきたが、今ひとつ腑に落ちない感じがあった。が、今回のDNA研究によって、この時期に大量の渡来人が流入していたことが明らかになったという。遺伝子解析によれば、この時期の新しい渡来人のゲノムは、庶民の人骨のDNA解析で、実に6割以上に一挙に跳ね上がったという。従来も、渡来人がちらほら来訪したとは言われてきたが、ごく少数だと見られていた。が、今回の分析ではそれどころの騒ぎではなく、庶民を含むきわめて厖大な人々が日本列島に押し寄せたと見られる。こうしたことが起こった時期は、まさに日本史上「空白の四世紀」と呼ばれる、西暦266年~413年の約150年間の全く記録のない時代に当たる。当時日本(ヤマト)にはまだ文字はなかったのだから当然だが、中国側に記録がない。したがって歴史的記録(史料)はないが、その代わり考古学的資料は豊富だという。この「欠史時代」に天皇(すめらみこと)という地位が生まれ、その人を中心とする大和王権が成立した。この大枠のフォーマットが、まるでお伽噺みたいに1700年以上続いてそのまま現代に至っている、世界でも類を見ないギネスブック級の国家がわが日本である。その空白の前は、『三国志(正史)』の魏志倭人伝の、邪馬台国の卑弥呼の跡継ぎ・台与(臺与・とよ)または壱与(いよ)が魏の国に朝貢外交をしたという記事であり、空白の後は、「讃・珍・済・興・武」で有名な倭の五王が中国南朝の宋などと外交関係を持ったという正史『宋書』などの記事である。「済」が允恭(いんぎょう)天皇、「興」が安康(あんこう)天皇、「武」が万葉集の劈頭を飾る名歌を詠んだ雄略(ゆうりゃく)天皇であることはほぼ確実と見られ、定説である。折しも大陸中国は、全土を支配していた超大国・後漢の滅亡後、ファンも多い『三国志(演義)』で知られる魏・呉・蜀の三国鼎立時代となり、その後も群雄割拠の興亡と戦乱(いわば内戦)の時代となっていた。各国とも、生きるか死ぬかの闘争で精いっぱいで、海の向こうの島国に外交的関心を寄せるどころではなかったのだろう。その時代の華々しいいくさを描いた映画はエキサイティングだが、同時代の民衆にとっては災厄でしかなく、大量の難民が発生していた。それらの民衆が、戦乱に嫌気がさしてか、生命の危機に瀕してか、海の向こうの東の伝説の理想郷「蓬莱」の国を夢みて日本に逃れてきた可能性はきわめて高い。彼らの一部は、文字(漢字)、機織り、製鉄技術などの先進的な文化を持って来た。「原住民」である縄文・弥生人にとってはまばゆいばかりの文明だったろう。彼らの出自はさまざまだが、おおむね現在の中国の版図の人々と遺伝子を共有しているという。彼らの民族性はまだ明らかにされていないが、少数民族や漢民族(いわゆる中国人)もいたのかも知れない。特に、地理的に近い「呉」(現在の上海を中心とする地域の国)などからは、故郷を捨てて台湾・琉球列島伝いに続々とやって来たのではないか。最初は言葉も通じず、どうやってコミュニケーションをとったのか、想像もつかないと覚張助教も言う。ただ、彼らの一部は文字というものを知っていて、記憶だけでは到底無理な叡智を蓄え、話し言葉だけでは不可能な高度な思考ができた。美麗な「呉服」を着ていた。機織りなんて、現代の我々の頭でも、よほど勉強しなければ、どうやって糸が布になってゆくのか皆目見当もつかない高度な技術である。そして、一旦緩急あれば、鉄製の武器に物を言わせることもあった。当時アジアでは最高の文明人であった。知識やスキルのある者が、政権に重用されたことは確実で傍証も多い。その知識の中には、政治的・軍事的なものも含まれていた。こうした趨勢の中で何が起こったのか、上記の通り全く文字の記録がないので詳細は分からず、想像を逞しくするほかはないが、なんらかの激動があったことは間違いないだろう。ただ、この辺りからは、日本史の機微というか、「やばい」領域に入ってゆくことになる。天皇(制)の起源論に近づくからだ。根拠もなく下手なことは言えない感じ、日本人なら分かるよね。NHKも覚張助教もやや竜頭蛇尾で、言葉を濁してお茶を濁した。私もそうすることにする PS. 日本語の起源についても、番組では全く触れられていないが、一定の知識のある者には間接的ながら示唆に富んでいる。有力な言語としては世界的にも稀な、母音が非常に多い日本語の音韻は、基本的には明らかに南方・海洋系の特徴を示しているとつとに言語学者は言っていたが、縄文人の出自を見れば当然である。ハワイ原住民の言語・ハワイ語もその末裔だろう。日本語とは遠い親戚である。ハワイ、ホノルル、カメハメハ。言葉の響きが明るく朗らかで、歌を唄ったりするのに向いており、現代の外国人からしばしば「かわいい」と評される日本語音韻の特徴である。まさに「サザン」(南方)の響きである。故・大野晋学習院大教授によるスリランカ原住民の「タミル語」同源説も思い出される。その縄文人の南方系言語の基層に、北方系の渡来人の言語が、膠着語的な文法や単語などを取り込みつつ融合し、弥生時代には基本的な日本語(やまとことば)が成立したと思われる。これまた従来から言われてきたことではあるけれども。・・・この国に生まれて本当に良かったと、いつも口癖のように子供にも言っている私にとっては、日本、そして日本人の成り立ちについて読んだり考えたりしているのは至福の時である。そういう感覚を持っている人々の代表が、この分野の専門の学者たちなのであろう。もちろん、日本最高度の知性が結集している。ただ、彼らの学説の応酬などを読んでいると、あまりにも精緻で頭が痛くなるか眠くなるけれども、ごくごくかいつまんで書けば上記のようなことだと思われる。いいなあ、幸せな人たちだなあと、羨ましく思っている
2025年04月25日
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藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう)散華さんげとはついにかえらぬあの春の岡田有希子のことなのだろう第一歌集『夢みる頃を過ぎても』(平成元年・1989)
2014年04月03日
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正岡子規松の葉の細き葉ごとに置く露の千露ちつゆもゆらに玉もこぼれず松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く緑立つ小松が枝にふる雨の雫こぼれて下草に落つ松の葉の葉さきを細み置く露のたまりもあへず白玉散るももろ繁る松葉の針のとがり葉のとがりし処白玉結ぶ庭中にはなかの松の葉に置く白露の今か落ちんと見れども落ちず松の葉の葉なみにぬける白露は吾子あこが腕輪の玉にかも似る明治33年5月21日
2007年06月04日
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■安倍政権批判は「イスラム国」の思うつぼ【BLOGOS 1日】■安倍政権批判はISILの思うつぼ (元記事)Criticism Against Prime Minister AbeCould Mean Falling In A Terrorist's Trap安田佐和子氏 【MY BIG APPLE 31日(アメリカ東部時間)】これは、早くもきのうの段階でネット上に颯爽と出現した明晰な論文である。一読して全く同感、完全に同意した。文章も闊達で、すとんと胸に落ちた。後藤さんの死はあまりにも痛ましい出来事であり、謹んでご冥福を祈るとともに、ご家族には心からお悔やみ申し上げ、哀悼の意を表する。・・・が、この悲劇的な結末に乗じて、またぞろ安倍政権の外交・中東政策などへの批判を繰り広げる輩が、事件のさ中から続出してきたのはご存じの通りである。彼らはまさにテロリストの一味のようにさえ見える。けさのTBSラジオ『森本毅郎 スタンバイ』なども、(予想通りだが)安倍首相批判に終始し、聞くに堪えない偏った内容だった。途中で胸糞悪くなり、ニッポン放送に変えてほっと一息ついた。こちらでは、高嶋ひでたけさんと博覧強記の論客・須田慎一郎さんが、国際テロリズムに対する政府当局の情報収集能力の強化など、至極真っ当で建設的なことを論じていて、さすがだな~と思った森本毅郎氏自身は、元NHKアナウンサーでもあり、まずまずまともな判断能力とバランス感覚を持った魅力的なキャスターだと思うが、何しろ登場するコメンテーターが軒並みTBS好みの左巻き揃いで、番組としては完全に左寄りの方向へ引きずられるのは、いかんともしがたい。彼らマス・メディアや野党の一部が主張しているのは、「安倍首相が先月の中東訪問でイスラム国の影響に苦しむ国々への人道支援を表明したことが事件を誘発した」といった論法である。狂気のテロリスト集団の意向に配慮して(遠慮して)外交政策を枉げろと言わんばかりの主張は、まさにテロの片棒を担いでいるに等しい。この間、後藤さんには誹謗中傷にも近い毀誉褒貶があったが、彼自身が何ら悪くないのと同様、安倍首相も何ら悪くない。悪くないどころか、二人とも世界に誇るべき立派な日本人である。それぞれジャーナリズムと政治の世界で、信念と正義感に基づいてやるべきことを粛々とやっていることは尊敬に値する。安倍首相が中東地域への食糧・医療などの人道援助の拡充をいち早く表明したことは、無念の死を遂げた後藤さんの遺志に最も忠実に応えているといえるのではないだろうか。私も暇な身ではなく、国際政治・中東情勢の専門家でもないシロウトがこんなところでくどくど力説する能力も必要もないのだが、悪いのは100%テロリスト集団の方であって、テロの撲滅は人類の悲願であることは、当たり前田のクラッカーである。ごく一部のマスメディアや野党が、声がデカけりゃ道理が引っ込むとばかりに繰り広げつつある、反日・反政府・反自民・反安倍キャンペーンの「言論・報道特殊詐欺」にまんまと乗せられる迂闊な国民は、最近ではさすがに稀になったと思うが、僭越ながら、一応「退避勧告」の注意喚起をしておきたい。■ 左巻きの巣窟ウェブサイト「リテラ」根拠薄弱な無茶苦茶な飛ばし(デマ)記事を書きまくってる。・・・とにかく、安倍首相のすることは何でも気に入らないのだろうこういった与太記事は、冷笑と軽蔑しかもたらさないと知るべきだろう。
2015年02月02日
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山川登美子(やまかわ・とみこ)おつとせい氷に眠るさいはひを我も今知るおもしろきかな歌集「恋衣・改訂版」(初版は明治38年・1910刊)オットセイが氷の中に眠る幸福を私も今知ったわ。面白いものね。註厭離穢土(おんりえど)の厭世観だろうか、北海の氷中に眠るオットセイのような孤独を知ったことが面白いという。名家の生まれでありながら、実生活での不幸が重なった果て、肺結核で夭折した作者の最晩年の「白鳥の歌」といわれるが、自らを突き放したその言い草が面白く、韜晦(とうかい)と微かな諧謔さえ漂っている秀歌。
2010年02月11日
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藤原定家(ふじわらのさだいえ/ていか)白妙しろたへの袖の別れに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く新古今和歌集 1336白妙の袖をからませて共寝した夜が明け、後朝(きぬぎぬ)の朝の別れに紅涙の露が落ちて、身に染みるような色の白秋の風が吹いているなあ。註何気ない言葉遣いの中に、定家一流の凝りに凝った暗喩や重層的なイメージが交錯し響き合っている、彫心鏤骨の力作。
2008年10月19日
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三沢初子(みさわ・はつこ)一ふしに千代をこめたる杖なれば つくともつきじ君が齢よはひは真筆歌碑(宮城県仙台・政岡廟)ひと節に千代の思いをこめた杖だから突いても尽きることはないでしょうあなたの寿命は。註史上有名な伊達騒動の渦中にあった作者とこの歌の歴史的背景については、文中のリンク先等に委ねます。竹などの節のある素材で作られた杖を象徴的なイメージとして、そのひと節ごとに千代(永久)の寿命の願いがこもっているのだという。その杖を突いて歩くようになっても、あなたの寿命は尽きることはないだろうと、おそらく苛烈なお家騒動の渦中に置かれた我が子の安寧と長寿を祈る、母親の切なる絶唱。なお、「千代」と「仙台」が掛詞(かけことば)になっているのではないかというコメントをいただいた。確かに、たぶんそうだと思う。迂闊にして、そこのところに気が付かなかった。「千代」は伊達政宗入城以前の「仙台」の古名である。■ ウィキペディア「仙台という名称」ご指摘をいただいたのは、地元・仙台の楽天ブロガー masatosdjさん。さすがです~、ありがとうございました。「(杖を)突く」と「(齢が)尽く(尽きる)」も掛詞になっている、鮮やかな古今集的技法。大中臣能宣「名にたてる吉田の里の稲なればつくともつきじ千代の秋まで」(能宣集)の本歌取り。碑(いしぶみ)画像の原文:「一ふしに千世越こめたる杖な連ハつくともつきし君可よはひは」(一部、変体仮名表記、濁点なし。)
2010年04月03日
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江國香織(えくに・かおり)無題どっちみち百年たてば誰もいないあたしもあなたもあのひとも詩集「すみれの花の砂糖づけ」(平成11年・1999)すみれの花の砂糖づけ 江國香織詩集【送料無料】価格:540円(税込)NHKドラマ10「カレ、夫、男友達」ホームページ(原作:江國香織「思いわずらうことなく愉しく生きよ」)
2011年11月12日
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鈴木春信 調布の玉川 (江戸時代)作者未詳 相模国さがみのくにの歌多麻川たまがはに晒さらす手作りさらさらに 何なにそこの児このここだ愛かなしき万葉集 3373 多摩川に手織りの布をさらす。さらさらさらして、さらして、さらすようにさらにさらにこの娘がどうしてこんなに愛しいんだろう。── 俵万智訳(「新潮古典文学アルバム・万葉集」所収)註相模国さがみのくに:現・神奈川県のほぼ全域と東京都の南西の一部。多麻川たまがは:現表記はご存じの通り「多摩川」であるが、いずれも万葉仮名、ないし当て字であることは疑いなく、語源は「玉川、珠川」であろう。当時貴重な珠玉でも採れたのかも知れない。手作り:「調布」とも書く。下記解説参照。さらさらに:川の水が流れるさまを表わす擬音語(オノマトペ)「さらさら」と、副詞「更々」(なお一層、ますます)、および副詞「更に」(重ねて、今まで以上に)の3語が掛けられていると解される。万葉時代の表現としてはなかなかの機知・技巧といえるだろう。ここだ:「こんなに多く、こんなに甚だしく」を表わす上古語の副詞。数詞の「ここのつ(九)」と語源的関係があるともいわれる。愛かなし:「愛しい」「切ない」「悲しい・哀しい」など、強い情動を包含して表わした最重要の古語形容詞。現代語には、そのうちほぼ「悲しい・哀しい」の意味だけが残ったが、「愛しい」「切ない」などの含意も完全には消えていないように思う。「さらす」と「さらさら」、「このこ」と「ここだ」が韻を踏んでおり、言葉遊びの意図が感じられる。奈良時代、庶民は現物納付の税(みつぎもの)である「租・庸・調(そ・よう・ちょう)」を納めたが、相模の国・多摩川周辺の民衆は、そのうちの「調」として布を納めていた。地名「調布(ちょうふ)」の名の由来である。なお、こうした現物徴税の制度があった記録は「魏志倭人伝」の邪馬台国の記述にも見られる。租庸調を納める際には、今でいう「ご当地ソング」のような和歌(やまとうた)を添付する習わしがあったという。いってみれば、後世の熨斗(のし)袋における「熨斗鮑(のしあわび)」のようなものであろうか。また、これとは別に、各地の国府・政庁などからの政治経済に関する報告や「風土記(ふどき)」の編纂資料などとともに採録されたとも言われているが、詳らかな経緯は定かではない。いずれにせよ、このようにして最終的に万葉集に収録されたものが、いわゆる「東歌(あずまうた)」である。編纂には、優れた歌人であり能吏でもあった大伴家持が重要な役割を果たしたと見られる。なお、多摩川に近い東京都下の「調布(ちょうふ)」は、古くは「てづくり、たづくり」と読み、後世に至るまで布が特産品であった。市内には、現在も「布多天(ふだてん)神社、布田(ふだ)、染地(そめち)」などの地名が残る。また「国領」など、大和朝廷に関わる歴史的由来を感じさせる地名もある。調布市国領はタレント高田純次の出身地であると、本人がよく言っている(笑)付近には、ほかにも調布という地名が点在した。現在の田園調布などもその名残である。織った布を川の水に晒す作業は、女仕事として近年まで各地に受け継がれていた。松本清張原作の映画「砂の器」にも秋田県の風物として出てきたのを記憶している。この歌は、そうした風習に絡めて、言葉遊びの要素を加えつつ、古代人の素朴な恋心を歌い上げている東歌の秀歌といえる。相模国さがみのくに:現在の神奈川県の大部分と東京都の一部。もとは武蔵国(東京・埼玉)と一つだったという説がある。江戸期の国学者・賀茂真淵(かものまぶち)は、もともと「身狭(むさ)国」というものがあって、のちにこれが「身狭上(むさがみ)・身狭下(むさしも)」に分かれ、音の欠落などでそれぞれ「相模(さがみ)・武蔵(むさし)」となったと唱えている。傾聴に価する興味津々の説といえよう。さらに、「むさ」の語源については、繊維を採る「苧、紵(からむし)」と関係があるとする説がある。この場合、「から」は「唐」(中国、外来植物)の意味か。
2014年06月16日
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吉井勇(よしい・いさむ)ゴンドラの唄いのち短し 恋せよ乙女紅き唇 あせぬ間に熱き血潮の 冷えぬ間に明日の月日は ないものをいのち短し 恋せよ乙女いざ手をとりて かの舟にいざ燃ゆる頬を 君が頬にここは誰も 来ぬものをいのち短し 恋せよ乙女波にただよふ 舟のやうに君が柔手やはてをわが肩にここには人目の ないものをいのち短し 恋せよ乙女黒髪の色 あせぬ間に心のほのほ 消えぬ間に今日はふたたび 来ぬものを作曲:中山晋平大正4年(1915)芸術座公演「その前夜」(ツルゲーネフ作)劇中歌(歌唱:松井須磨子)。註ロマンティシズム(浪漫主義)を基調とする歌誌「明星」派の歌人であった作詞者らしく、明らかに与謝野晶子の影響下にある情熱的な歌詞である。やは肌のあつき血汐に触れも見でさびしからずや道を説く君くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
2011年12月17日
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平成11年(1999)に起きた山口・光市母子殺害事件の裁判で、最高裁は20日午後3時、犯行当時18歳1ヵ月の少年だった大月(旧姓・福田)孝行被告(30)の上告を斥ける判決を下した。広島高裁の差し戻し控訴審の死刑判決が確定する。犯行時年齢が史上最年少の死刑確定事件となった。被害者遺族の感情を重視する世論の大きな動向と、少年法で保護されてきた凶悪犯への厳罰を望む国民感情の要請に応えた、きわめて厳正かつ妥当な判決と思う。なお、報道各社は、少年法に謳われた見地に則りこれまで匿名で報道してきたが、〔1〕死刑確定により大月被告が更正し社会復帰する可能性が事実上なくなったことや、〔2〕罪のない主婦と幼い子供が殺害された凶悪で重大な犯罪であること、さらに〔3〕国家が人の命を奪う極刑の対象が誰であるかは重大な社会的関心事であることなどを踏まえ、このニュースから実名報道に切り替えた。■ 読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」(日本テレビ系全国ネット)20日15時01分オンエア画面■ 18歳頃の大月(福田)孝行被告* 刑法230条の2は、外形的な名誉毀損行為が、公共の利害に関する事実に係るもので専ら公益を図る目的であった場合には、真実性の証明によりその違法性または処罰が阻却される事由となり、免責を認めていると解される。
2012年02月20日
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伊勢春の野の若菜ならねど君がため年の数をもつまんとぞ思ふ拾遺和歌集 285春の野の若菜ではないけれど、あなたのために年の数を積もうと思う。註つまん:「(若菜を)摘む」と「(年齢を)積む」の掛詞(かけことば)。こういった縁起を担ぐような歌は、和歌の伝統ではしばしば見受けられ、「予祝歌」と呼ぶ。「言霊信仰」がベースにある。
2008年04月19日
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ウェスティンホテル東京(恵比寿ガーデンプレイス内、アンドレアス・トラウトマンスドルフ総支配人)の中の鉄板焼レストランのアルバイト従業員だったC大学理工学部の女子学生(20)が、有名人顧客の来店情報などをツイッターで常習的に「実況中継」していた“機密漏洩事件”が、ネット上で祭りになっている。この女子大生は、それに加え、上司の悪口や不平不満なども日常的につぶやいていた。まあこれは次元が違う話だが、根っこは一緒かなとも思われる。上品な雰囲気を誇る当ブログで(?)この話題に触れるのはどうかとも思うが、野次馬根性含みの正義感(?)が疼(うず)いてしまうのはいかんともしがたい。「疼く」という字は「やまいだれ」に冬と書くから、冬にはふさわしいかも知れない。・・・なんのこっちゃ?・・・とにかく、ど~も炎上には目がないもんで■ 日刊サイゾー「ウェスティンのJ稲本&田中美保Twitter暴露騒動 損害賠償請求の可能性も?」その女子大生は、「スネークス(蛇)」とか呼ばれているらしい影のネット上級者軍団(?)によって、あわれ実名、顔写真、在籍する大学・学部、それ以前の学歴などまで突き止められ、大々的に晒されている。本気でやられたら、プライバシー侵害などという概念もへったくれもないに等しく、すべて丸裸にされてしまう恐怖のパターンの再現である。実にコワイ現象ではあると思いつつ、これらの情報は、もちろん僕もブックマークしてある(笑)これまでも僕らは、公(おおやけ)のマスメディアの報道には一切出ない、凶悪事件を犯した少年犯の実名や顔写真はもとより、場合によっては住所や家族構成まで目にしてきた。その他、問題発言や行動をした者に対しても、有名・無名人を問わず、推して知るべしの状態である。これらの実例を通じて、僕らはインターネットが恐るべき発明であることを如実に知った。彼女は当分、街も歩けないだろうし、将来、就職・結婚などにも影響がないとは言い切れない。たぶん、この世のどこかにあり、密かに流通しているとも仄聞される要注意人物ブラックリストに登録されたことは疑いない。これまでにも数々の炎上事件を繰り返してきたインターネット空間の怖さを、20歳にもなって何も知らなかったのだろうか。何とも哀れではあるが、若干苦笑してしまうのも禁じえない。そういえばこのブログだって、ずいぶん前にだが、1~2度炎上(というほどでもないかも知れないが)しかかったことがあるのを、昔からの読者でご記憶の方もいるだろう。それは、僕もコワさを知らず好き勝手放題書いていたブログ初心者の頃で、ある超有名芸能人がらみのかなり批判的な記事を載せたときのことだった。(後記:ダウンタウン。特に浜田の、初期の尖った芸風。一線を越えていると思った。)たちまち、激烈、あるいは冷笑的なコメントが長期間殺到し、なんとも嫌~な感じでうんざりしつつ、けっこうビビった。数えたわけじゃないが、全部合わせれば5000アクセスぐらいにはなったんじゃなかろうか。今思い出しても冷や汗が出る。その件では、深く反省するとともに、どういったことを書くとヤバイのか、身に沁みて勉強になった。感情(特に、怒りや下世話な好奇心)に任せた一方的な記事や、熱烈なファンがついている人気芸能人がらみとか、社会的常識に欠ける「掟破りな」独断的な記事掲載などは特にアブナイと思う。今回の女子大生の書いた内容は、それらのドツボな要素をいくつも兼ね備え、炎上まっしぐらのつぶやきだったと思う。やったことは、社会人としては言語道断・もってのほかの行為といっていいだろう。アルバイトだろうが何だろうが、接客業に従事するものが、顧客の来店などの個人情報を公然とリークするとは、あってはならない・あるまじき・ありえない初歩的社会的常識の範疇である。この場合、ホテル側の「守秘義務」は、公務員や医師・弁護士などに課される法制度的なものではないのかも知れないが、信義・道義・社会通念的な問題としては、確乎として存在すると思う。政治の世界では、料亭の中で話したことや起こったことは、絶対に外に漏れないと言われてきたし、それは事実だといわれる。一種の伝統文化とさえいえるかも知れない。・・・が、何も料亭に限らず、これが接客業者の基本だろう。勤務先だったホテルの信用失墜や損害も甚大と想像される。確かに、例えばもし僕が常連客だったとしたら、別に有名人でなくとも相当気分が悪いし、たぶんもう二度と行かないだろうと思われる。後味が悪い「イタいニュース」ではあったが、以て他山の石であり、人の振り見てわが振り直せの、一罰百戒的な、社会への警鐘になったという意味では、それなりに有意義だった。
2011年01月17日
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額田王(ぬかたのおおきみ)君待つと我あが恋ひをれば わが屋戸やどの簾すだれ動かし秋の風吹く万葉集 488あなたをお待ちしてわたくしが恋しさをつのらせているとわが家の簾を動かして秋の風が吹いた。註秋の名歌。「君」は、天智天皇(近江天皇)。 国宝 源氏物語絵巻 宿木 (歌と画像に直接の関係はありません)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年10月06日
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)やはらかに柳あをめる北上きたかみの岸辺目に見ゆ泣けとごとくに第一歌集『一握の砂』(明治43年・1910)柔らかに柳の葉が青く色づいた故郷渋民村の北上川の河畔がふと目に見えた。私に泣けと言うがごとくに。註啄木の郷里・渋民村は、現・岩手県盛岡市玉山区渋民付近。* 改行は原文のまま。 盛岡市・北上川畔から望む岩手山ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014年04月23日
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石原慎太郎 辞世灯台よ汝なんじが告げる言葉は何ぞ 我が情熱は誤りていしや石原慎太郎・曽野綾子共著『死という最後の未来』令和2年(2020)6月灯台よ(海の男である私に)そなたが告げる最期の言葉は何なのか私のとめどなき情熱は誤っていたのか(・・・いや、そんなはずはない)。昨1日、石原慎太郎氏が永眠された。享年89。作家として政治家として、戦後日本を駆け抜けた鮮烈な生涯だった。けさのテレビ朝日の報道によると、辞世(この世を辞するにあたり短歌を詠む伝統的風習、また、その歌)は上掲の通り。解釈の文責は筆者。註誤りていしや:反語的疑問形。強い詠嘆と確信のニュアンスを帯びる。
2022年02月02日
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僧正遍昭(そうじょう・へんじょう)秋の野になまめきたてるをみなえし あなかしがまし花もひととき古今和歌集 1016秋の野に艶あでやかに咲き競う女郎花おみなえしがああ うるさいなあ花の命はほんのひとときだけれども(その色香が私を惑わせる)。
2023年11月04日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)21日放送。今回の兼題は「号外」。的場浩司昭和逝く凍星いてぼし今日もそこにある秀句「職質をするもされるも着膨れて」が俳句愛好家必携の参考書である「歳時記」に掲載されている、研ぎ澄まされた感性を持つ作者が、またもやってくれた感がある。季語「凍星」。掲題から、昭和天皇の崩御と昭和の終わりに思いを馳せ、冬の清冽なイメージとともにまとめた。作者や読者の多くが生まれ育った昭和という激動の時代への鎮魂と懐旧の思いがこもった、柄の大きな秀句となった。中村草田男の、俳句史上の名句「降る雪や明治は遠くなりにけり」を連想したのは、私だけではないだろう。千原ジュニア極月ごくげつの号外無傷のチャンピオン季語「極月」(12月の意)。昨年末の、井上尚弥選手のボクシング4団体統一王者達成を報じる号外を手堅く詠んだ。「極」の字の「極み」「極まる」「極める」といったニュアンスも利いている。松田和佳悴むや皺の号外握りしめ原作「かじかむ手シワの号外握りしめ」を俳人・夏井いつき氏が添削。母校・慶応高校の夏の甲子園優勝の感激を思い出し、冬の俳句にアレンジした工夫もナイス。
2023年12月22日
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光源氏(ひかるげんじ)もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに 年もわが世もけふや尽きぬる紫式部『源氏物語・幻』物思いに耽って過ぎ去ってゆく月日にも気づかないでいた間にこのひととせも、わが人生も今日尽きてしまうのだろうか。* NHK大河ドラマ『光る君へ』11月3日放送。
2024年11月04日
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伊福部昭 ビルマの竪琴伊福部昭 ゴジラ「海底下のゴジラ」「エンディング」戦争、破滅、鎮魂、慟哭の、同じメロディー。
2025年11月21日
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自宅で、けさ写す。自宅のプランターで育ててきたラディッシュ(二十日大根、アブラナ科)は、ほとんどの株を美味しくいただきましたが、2~3本残しておいた株が小っちゃくて白いキレイな花を付け、ご覧の通り実も生りはじめています幼い子供たちも大喜びですよ~ん中にぎっしり種が詰まっている様子で、もうすぐ穫れる感じです~
2009年07月01日
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小野小町(おののこまち)思ひつつぬればや人の見えつらむ 夢と知りせばさめざらましを古今和歌集 552 思いながら寝たので、あの人が見えたのかしら。夢と知っていたなら覚めなければよかったのに。註大伴家持「夢いめの逢ひは苦しかりけりおどろきてかきさぐれども手にも触れなば(夢の契りはつらい、目覚めて手探りしても何も触れないのだから)」(万葉集741)などを踏まえる。松岡映丘『うたたね』小野小町うたた寝に恋しき人を見てしより 夢てふものは頼みそめてき古今和歌集 553 うたた寝に恋しい人を見てからは、夢ってものを頼りにしはじめたのよ。註(夢)てふ:「といふ」が約まった語。平安文学に頻出する。現在では「チョー」と読むが、当時は文字通り「テフ」(当時の音韻ではハ行はパ行なので、おそらく「テプ」)と読んだと思われる。これは「蝶」の音読みと同じ。てき:完了の助動詞「つ」の連体形に、過去の助動詞「き」がついたもの。・・・てしまった。うたた寝の夢幻境は誰しも好きだろうが、特に古来、文人・詩人たちに愛されてきた。大詩人ステファヌ・マラルメの傑作「半獣神の午後(牧神の午後)」も、真夏の森の木陰で半獣神ファウヌス(パン)がうたた寝をして美しい妖精(ニンフ)たちの幻影を見るという詩である。それにしても、現象としては似てるが、「居眠り」と言ったのでは、まるっきり風情がない。なお、うたた寝の「うたた」は「現(うつつ)」と同語源とする意見もある(国語学者・大槻文彦)。藤原隆信「うたたねの夢や現うつつにかよふらむ覚めてもおなじ時雨をぞ聞く(うたた寝の夢は現実と往還するのだろうか、目覚めても夢の中で聞いていたのと同じ時雨の音を聞いている)」(千載和歌集407)。いとせめて恋しき時は むばたまの夜の衣をかへしてぞ着る古今和歌集 554とても恋しくてたまらない時は、夜の衣を裏返しにして着るのよ。 註いとせめて:副詞「いと」(とても、ひどく、たいそう、たいへん)に、動詞「迫(せ)む」の連用形と接続助詞「て」がついたもの。(どうにも堪らないほど)心にとても差し迫って。むばたまの:「夜」などに掛かる枕詞。当時、寝巻き(またはその袖)を裏返して寝ると、恋しい人を夢に見るという伝承があった。また、恋するもの同士がそうすると、お互いを夢に見るとされていた。民俗学者で歌人だった折口信夫(しのぶ)は、この歌を「呪術的」と評している。万葉集2812「吾妹子に恋ひてすべなみ白妙の袖かへししは夢に見えきや(君に恋しているのに逢うすべがないので、白い寝巻きを裏返したのが夢に見えたかい?)」同2813「わが背子が袖かへす夜の夢ならしまことも君に逢へりしがごと(ダーリンが袖を裏返した夜の夢らしい、ほんとにあなたに逢えたみたいね)」などからの展開。小野小町の和歌は、世評にたがわずキュートで、そこはかとなく妖艶でもあるが、和歌という短詩形式のせいもあって、決して重くならず軽やかな洒脱さをまとっている。それにしても、天下の美女(・・・なのかどうか、会ったことがないのでよく知らないが)小野小町を夜も眠れないほど恋焦がれさせた色男は、どこのどいつだ?やはり、噂どおり在原業平あたりだったのか?それとも、谷原章介あたりか?
2025年05月10日
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