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真中朋久(まなか・ともひさ)ひとのはなし聞いてゐないとなじられて父と息子とひと括りなる子がこゑに読むをし聞けばかな多きわが恋歌の下書きなりきゑのころを見るたびに摘むをみなごの父なれば手にゑのころ五本あわただしく移る季節は窓のそとつながつたまますこし眠つた歌集『エウラキオン』(平成16年・2004)註2首目:字が読めるようになった幼子が、たどたどしい声で何か朗読しているのを何気なく聞いていたら、それは私が書きかけた、ほとんど仮名の恋歌の草稿だった。うわわ恥ずかしい、・・・ おいおい ^^;ゑのころ:エノコログサ。通称「猫じゃらし」。
2024.06.19
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紀友則(きのとものり)秋風に初雁はつかりが音ねぞ聞こゆなる誰たが玉梓たまづさをかけて来つらむ古今和歌集 207秋風に乗って、初雁の鳴く声が聞こえるようだ。誰の恋文を携たずさえて来たのだろうなあ。註平安貴族といえば、いわば先祖代々強大な利権許認可権独占の、終身の上級国家公務員であったわけだが、政治・行政らしいことは何一つせず、ひたすら宮中などのルーティーン・ワーク(決まりきったお仕事)の年中行事をこなすことの他には、恋をして歌を詠んで酒を飲むことぐらいしかしなかったことで知られる。特に、子女にとっては、和歌的教養を磨き「うたのおけいこ」をしつつ、恋(→婚姻)をすることが、最大かつ唯一のお仕事だったといっても過言ではない。・・・ちょっと羨ましい?!?いや、僕もそういう世界に35%ぐらいは憧れつつ、それじゃダメだろうな~、生きていけないだろうな~と思う現実的で真っ当な(?)感覚と両方抱えて生きてるわけざんすしかし、その不健康な生活も祟ってか、彼らの平均寿命は、わずか35歳ぐらいだったろうと推測されている(樋口清之「おもしろ雑学日本意外史」)。むしろ庶民の方が長生きだったろうとも言われている。武士階級(=開拓武装農民階層)の成長と、理論武装、政治的台頭とともに、彼ら貴族が滅び去る運命であったことは、哀れではあるが火を見るより明らかなことだった。・・・この歌も、そうした平安貴族の、のん気というか、長閑(のどか)というか、太平楽というか、アンニュイ(倦怠感)に満ちた感覚が良く出ている。作品としては、語調も整った、なかなかの名歌といえよう。
2007.10.23
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみは三人みたりの児こどもすくすくと 大きくなれる姿みる時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎん楽しいのは、三人の子供がすくすくと大きくなってきた姿を見ている時。註三人の児ども:今滋、咲久、早成。
2009.02.10
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今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』が最高に面白い。絶好調である。毎回ドラマチックかつロマンチックな展開で、心が揺さぶられる。まだ早春の今からこんなに面白くては、今後いったいどうなってしまうのか(いい意味で)先が思いやられる。特に昨10日放送の第10回は、なにげに神回と思った。□ 哀れ花山天皇 が、それよりまひろと道長の展開が速くないかざわつく「光る君へ」第10回【木俣冬氏 ヤフーニュース 10日】子供のころから親しんできた大河ドラマだが、私の知る限り、歴代の中でも五指に入る出来だと思う。日曜の夜が待ち遠しい。吉高由里子は、国民的大女優になりつつある。現在のわが国の人気女優を見渡しても、余人を以て代えがたい配役である。このあと、間違いなく歴史的傑作小説を物するであろう文人的な落ち着いた物腰と聡明な感じ。彼女はこの役を演ずるために生まれてきたと、私は確かちょっと前の詠草で(いくぶん大げさな表現で)短歌にしたが、その感想はますます裏付けられている。ただ、平安宮廷を描く以上やむを得ないのだが、登場人物が藤原姓ばかり(あとはせいぜい「源」ぐらい)という「藤原問題」をはじめ、かなり歴史ファン向けの「通好み」な作風になっており、見る側にも一定の教養が要求される感じだ。一般視聴者がなかなかついて来られないようで、視聴率は苦戦している模様だが、これはもうしょうがないよね。間違いなく、長く語り継がれる名作となりつつあるので、NHKのスタッフや上層部は、目先の数字なんか一切気にしなくていいと思う。芸術・芸能への評価って、しばしばこういう感じだから。生前はほとんど理解されず無名で、死後に評価・称賛された芸術家のなんと多いことか。ゴッホ、宮沢賢治はその典型である。芸術の歴史は、死屍累々・無念ゴロゴロの歴史である。・・・って感じか。「時代を先取りしすぎていた」「生まれてくるのが早すぎた」とかいわれる類いである。きのうも、若き藤原道長とまひろ(紫式部、こちらも藤原、遠い親戚)の情熱的な恋模様が美しく描かれたが、当時の慣例に忠実に、玉梓(たまずさ、詩歌によるラブレター)のやり取りで恋愛が進行する。道長のラブレターが、当時の貴族なら(当たり前の)必須科目の古今和歌集からの引用であるのに対し、まひろの返歌が読むのも相当難しい漢詩であるというあたりに、紫式部の文人(学者)としての教養とプライドあふれる人物像を垣間見せた面白さがあったのだが、こういう世界に少々は慣れ親しんでいる私(くまんパパ)にとっても、解読を断念するほどの高踏優雅な場面であり、ましてや多くの視聴者にはチンプン漢文であったかも知れない。それに続く、月の光の中でのラブシーン(ほぼ、今でいうベッドシーン)は、思わずうなるほどの美しさと激しさで魅了された。まさしく、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』、『ハムレット』であった。稀に見る「ファンタジー大河」と言えよう。史料の少ない平安時代をこれ幸いと、オリジナル脚本の大石静はやりたい放題。ロマンチック盛り盛りマシマシで、空想の翼を自由奔放に羽ばたかせまくっている。うるさいアカデミズムや歴史マニア方面の一部からは、多少クレームが付き始めているとも仄聞するが、所詮エンタテインメントのドラマなのであるから、そう目くじらを立てなくてもいいだろうと、私は思う。この調子で、今後もガンガン行ってもらいたい。なにしろ、信頼しうるまともな同時代の参考資料は、ロバート秋山演ずる藤原実資が毎日小まめに書き綴った日記『小右記』ぐらいしかないといわれるのだから。その秋山竜次も、コメディ・リリーフとして笑わせながら、けっこう重厚な存在感を示していて、役者開眼だね。売れない大部屋役者だったというお父さんは、草葉の陰で涙してるよ。道長役の柄本佑が、放送前のインタビューで「大石さんの脚本があまりにも情熱的なので、気恥ずかしさをこらえるのに苦労した」(うろ覚え)というようなことを言っていたと思うが、こうした場面のことであったかと納得。その柄本佑がいい。平安宮廷での権力闘争・謀略に邁進する父と兄たちに翻弄されつつ、自己を確立してゆく繊細かつ心優しき道長像を新たに創造している。この大抜擢といえるキャスティングは大当たりだったね。今のところ、若さ・未熟さを表現するため、わざと生硬(下手め)な芝居をしていることさえ、ありありと感じとれる。大河は長いのである。天才的な俳優である父親譲りの計算された演技がすばらしい。かつて、岸谷五朗もそんな感じだった。これは、一年間見ていられる。ほかにこの役を務められる若手中堅の人気演技派俳優は、菅田将暉ぐらいしか思いつかない。ただ、菅田はついこないだ同じ大河で大役・源義経をやったばかりだしな。そして、上手いが地味めなバイプレーヤーと思っていた段田安則が、「平安のゴッドファーザー」を見事に演じて、出色の貫禄と包容力。脚本の大石静が、『ゴッドファーザー』シリーズと『華麗なる一族』を参考にしたと言明してるだけあって、なかなかの「ブラック大河」でもあるが、まさしくマーロン・ブランドと北大路欣也を髣髴とさせる。しかもけっこう家族思いの温かい人間味やユーモアさえ宿っていてすばらしい。岸谷五朗演ずる父・藤原為時と娘・紫式部の関係性も、いろいろ波瀾もあったが本当にすばらしい。抑制された穏やかな演技の中に、冬を超えた春爛漫の温かい情愛が香り立っている。私にも、まもなく先生という敬称で呼ばれることになるであろう親孝行な娘がおり、とても人ごととは思えず、毎回うるうるして見ている。その娘は、吉高由里子と福田麻貴を足して2で割ったような顔をしているのである。* この記事は、もうちょっときちんと加筆修正して書こうと思ったのですが、仕事が忙しすぎて頭がぼやけておりまして、とりあえずこれで終わりにします。すみません。
2024.03.11
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紀野恵(きの・めぐみ)この度も除目沙汰じもくざた無くほころびてあさぎざくらは裏庭に生おふ註「除目(じもく)」は、もと公式の目録(記録文書)から除いたり登録したりすることで、平安時代の官僚の人事異動(昇進または音沙汰なし、場合によっては降格・左遷なども)をいう。毎年春秋の二回あった。僕が大好きな今年の大河ドラマ『光る君へ』でも、なかなか出世できなかった下級貴族・藤原為時(まひろ・紫式部の父)たちにまつわるワードとしてたびたび登場している。現代のサラリーマンにとっても、人事は切実な一大関心事である。浅葱桜は、一重の花弁に緑の萼(がく)が目立って、あまり美しくないといわれる桜の品種。
2024.06.16
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西行(さいぎょう)ながむとて花にもいたくなれぬれば 散る別れこそかなしかりけれ新古今和歌集 126ずっと眺めていることで花にもたいそう慣れて(情が移って)しまったので散る別れが哀しくてたまらないなあ。
2016.03.29
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみはまれに魚うを烹にて子等こら皆が うましうましといひて食くふ時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎん連作楽しいのは、たまに魚を煮て子供ら皆が「うまいうまい」と言って食べている時。註作者・橘曙覧には男の子ばかり三人の子がいた。長男の井出今滋(いで・いましげ)は、明治維新後教育畑を歩み、のちに山梨県師範学校(現・山梨大学教育人間科学部)校長。明治天皇の行幸(ぎょうこう・みゆき)の供奉(ぐぶ・お供)などを務めた。また、父・曙覧の遺稿をまとめ、「志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集」として明治11年(1878)上梓。明治の俳人・歌人正岡子規などの激賞を受け、近代短歌の魁(さきがけ)と目されるに至った。
2009.02.02
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於もひをく言能葉なくて徒井爾行 道盤満よハしな類爾ま可せて 如水(花押)黒田官兵衛孝高 如水円清 (くろだかんべえ・よしたか じょすい・えんせい) 辞世思ひおく言の葉なくてつひにゆく 道はまよはじなるにまかせて真筆短冊福岡市博物館蔵思いを残し置く言葉など今さら何もなくて終ついの行き先に私は行くその道にもう迷うことはあるまい。なるにまかせて、行き当たりばったりで。註戦国乱世を駈け抜け、晩年に「如水(水の如し)」と名のった人の超俗洒脱な三昧境を示し、軽妙で涼やかとさえ見える非凡な辞世の一首。
2014.12.21
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歌川広重 月に雁 こんな夜が又も有あらうか月に雁凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)初雁はつかりのはつかに声をききしより なかぞらにのみものを思ふかな古今和歌集 481玉梓たまずさの恋文を運んでくるという初雁のように初めて貴女のお声を聞いてからというもの私はぼうっとして中空にものを思うばかりだなあ。註初雁はつかりのはつかに:「初雁」(その年初めて渡ってきた雁)が「はつかに」(初めて、かすかに、ちらりと)を導く序詞(じょことば)になっており、さらに「なかぞら(中空)」のイメージに掛かっている。
2013.11.30
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島木赤彦(しまき・あかひこ)森深く鳥鳴きやみてたそがるる木の間の水のほの明りかも第一歌集『馬鈴薯の花』(大正2年・1913)
2024.06.18
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみは艸くさのいほりの莚むしろ敷きひとりこころを静めをるとき志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎんたのしみは、粗末な草庵の筵を敷いて座り込んで独り心を静めているとき。註橘曙覧:夙(つと)に近代的感性を持ち、「月並和歌」ではない「近代短歌」を準備したと、明治時代になって正岡子規が絶賛した、幕末・越前(福井)の歌人。昨年の大河ドラマ「篤姫」に、勝海舟の後ろ盾として登場した福井藩主・松平慶永(よしなが)春嶽(しゅんがく)にも称揚され、「志濃夫廼舎(しのぶのや)」の雅号を賜った。明治維新を思想的に準備した国学者たちの群像の一人でもある。仕官せず、生涯清貧を貫いた。なお、「あけみ」といっても、もちろん男ですから、念のため三人の男児の父で、今でいう「家族愛」を詠んだ歌が多数。家集「志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集」に収録された「独楽吟」連作52首は、ほとんど現代語訳もいらないほどの平明な表現ながら、まことに心温まる和歌史上の名作の一つである。僕の場合、読んでいるだけで、ほとんど法悦さえ感じる。本日から全文をご紹介する。 ■橘曙覧の世界奥村晃作 ただごと歌の系譜新井満 樂しみは 橘曙覧・独楽吟の世界
2009.01.25
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夏目三久アナ、有吉の子供を妊娠“熱愛” 結婚は未定10歳差、「怒り新党」 共演がきっかけ「あさチャン」 来春降板予定【日刊スポーツ、独占スクープ】
2016.08.24
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会津八一(あいづ・やいち)すゐえんのあまつをとめがころもでの ひまにもすめるあきのそらかな歌集『南京新唱』(大正13年・1924)水煙の天つ乙女の衣の袖の隙間にも澄みきって見える秋の空だなあ。註秋の古都を詠んで端正な調べが美しい、名匠の代表作。水煙:奈良・薬師寺東塔(国宝)上部の透かし彫りの装飾。二十四人の飛天の像が彫られている。けん家持さんによると、薬師寺にこの歌の歌碑があるようである。■ 薬師寺の風景とこの歌の歌碑(けん家持さんのブログ「偐万葉田舎家持歌集」より)あまつをとめ:飛天。天人、天女。歌集タイトルの「南京(なんきょう)」は、(京都に対して)奈良のこと。南都。* 作者特有の細かい分かち書き表記の原文は、今の目で見るとどうも読みづらく、情趣が殺(そ)がれるようにも思うので、まことに僭越ながら普通文に直した。
2010.09.26
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみはあき米櫃こめびつに米いでき今一月ひとつきはよしといふとき志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎん楽しいのは、空だった米櫃に米の蓄えが出来、あとひと月は大丈夫だという時。
2009.02.01
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川崎八重(かわさき・やえ、のちの新島にいじま八重) *あすの夜は何国いづこの誰たれかながむらむ なれし御城に残す月かげ明治元年(1868)旧暦九月二十二日(新暦11月6日)夜明日の夜はどのお国のどなたが眺めるのだろうか。慣れ親しんだお城に(われらの思いを)残す月光。註川崎八重:作者がこの歌を詠んだ(会津藩降伏の)時点で、苗字は川崎姓だったとする説(NHK大河ドラマ『八重の桜』はこれを採用)と、夫・川崎尚之助との婚姻関係は(ドラマの潤色と異なり)動乱の中ですでに解消していたとする説があり、後者の場合旧姓の「山本」となるが、厳密にはいずれとも定めがたい。ここではひとまず通説に従っておく。作者は、戊辰の役の重大局面であった会津戦争で、男たちに交じってただひとり敢然と、最新式の七連発スペンサー銃を携えて戦い、新政府軍の現場指揮官の一人だった薩摩藩砲兵隊長・大山弥助(のちの陸軍元帥・大山巖公爵)の右太ももに貫通銃創を負わせたと伝えられる女傑で、のちに人呼んで「幕末のジャンヌ・ダルク」「ハンサム・ウーマン」と称えられた。勇戦奮闘空しく会津藩が降伏した夜、下弦の月を眺めながら作者が若松城内の雑物蔵の外壁に簪かんざしで刻書したと伝えられる悲痛な一首で、一箇の和歌としても万感の思いの籠った絶唱といえる。作者は新島襄夫人となった明治時代には教育者・赤十字などの社会事業家として名士となり、多数の肖像写真が残されているが、この優しそうな女性のどこにこれほどの闘志が秘められていたのか、不可思議なほどである。御城:「みしろ」と読むか。会津藩・若松城(鶴ヶ城、現・福島県会津若松市)。「みそら(御空)」とする異伝もある。おそらく、口伝くでんのため異同が生じたものと思われる。→ ■ 会津戦争
2013.02.15
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紀貫之(きのつらゆき)桜花さくらばな散りぬる風のなごりには 水なき空に波ぞ立ちける古今和歌集 89桜の花が散ってしまう風のなごりには水のない空に波が立っているのだなあ。註繰り返し打ち寄せる花吹雪を波に見立てたか、それとも、それを見ている作者の目にあふれた涙の海に立つ波か。
2024.04.06
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THE ALAN PARSONS PROJECTDON'T LET IT SHOW アラン・パーソンズ 近影ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.11.04
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藤原清正(ふじわらのきよただ)みじか夜の残り少なく更けぬればかねてもの憂きあかつきの空新古今和歌集 1176短い夏の夜が残り少なく更けてしまったので、今から物憂い黎明の空。註夏の短い夜の逢瀬(あふせ・おうせ)の嘆き。一緒に寝たと思ったら、もう朝の衣々(きぬぎぬ)の別れ。雅なアンニュイと、「もののあはれ」が漂っている。
2008.06.23
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きょうは秋にふさわしい好天だったが、案の定長続きはせず、早くも明日は雨模様だということだ。 こういう場合、ちょっと前なら「女心と秋の空ですね」などと少々シャレのめして言うのが通り相場だったと思うが、今ではテレビ・ラジオ各局とも一切この成句を使わない。 ・・・考えてみれば、今やこんなことにも性差別とかなんとかかんとか、うるさいクレーマーがいるのかも知れないね。 物言えば唇寒し秋の風(芭蕉)。難しい世の中になったもんだ。くわばらくわばら。
2016.10.07
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作者未詳紅くれなゐの花にしあらば 衣手ころもでに染めつけ持ちて行くべく思ほゆ万葉集 2827もしあなたが紅の花だったなら衣の袖に染め付けてどこにでも持って行くだろうと思われるなあ。註紅くれなゐの花:紅花べにばな、末摘花すえつむはな。■ ベニバナし:特に意味はない。語調を整え強調する助辞。和歌には頻出。あら(ば):動詞「あり」の未然形なので、「もし・・・ならば」の仮定条件。
2010.08.25
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河合曽良(かわい・そら)かさねとは八重撫子やへなでしこの名成なるべし『おくのほそ道』(元禄15年・1702)「かさね(重ね、襲)」とは八重咲きの撫子の花にちなんで名づけられたのだろう。そんな優しい名前の大和撫子の女の子。註元禄2年(1689)旧暦四月の初め(新暦5月頃)、奥の細道の旅の途上、下野の国(栃木県)那須(なす)黒羽(くろばね)で、親切に馬を貸してくれた農夫の可憐な女の子の名前を「かさね」と聞いて詠んだ儀礼・贈答的な一句。「かさね」は、現代ではあまり聞かないが、これはこれでなかなかいい名前と思う。人生に幸せが重なりそうである。さりげなく味わい深い佳作。
2013.10.17
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■ 安倍首相、まずは背を向けた韓中の心をつかめ 【韓国・中央日報 日本語版 18日】何だろうね~? このツッコミどころ満載な爆笑記事は。韓国マスコミって、なんかホントにレベル低くて呆れるよね。反日ピンボケぶりはいつもどおりの平常運転だけど。まあ、律儀に日本語翻訳版をネットに載せて笑わせてくれる一点だけは評価するよ。僕が言いたいことは、最下段の多数の皆さんのコメントにすべて書かれているので屋上屋は架さないが、一つ言えることは、文法上、活用語の命令形ってのはあるが、現代日本口語文ではめったに使われることがない。「韓中の心をつかめ」なんて命令形で言われてもねえ、へへ・・・まあ、子供じゃあるまいし「断交」なんて乱暴なことは言わないけれども、こういうやからとは速やかにフェードアウトの「永久疎遠」でいいんじゃないかな。あ、竹島と仏像その他は返してね。出稼ぎの不良韓国人は要りません■ 先進国待遇される韓国経済、喜んでいるだけでいいのか 【韓国・中央日報 日本語版 18日】この記事にもビックラこきますな。あまりの夜郎自大ぶりに苦笑いを禁じえない。「夜郎」ってのは、確か古代中国から見た辺境の一小部族のことだったので、そういう意味でもまさに現代の夜郎自大だね。井の中の蛙大海を知らずともいうよね。
2013.09.20
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小野小町(おののこまち)秋の夜も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを古今和歌集 635「秋の夜長」というのも、言葉だけのことでしたわ。恋しい人と逢う時には、本当にあっけなく明けてしまうんですもの。註名のみなりけり:名目、名分だけだった。評判倒れだった。逢ふといへば:逢う場合には。逢う時は。ことぞともなく:「ぞ・・・なく」は係り結び。「こともなく」(あっけなく、淡々と)を強調した言い回し。
2008.10.21
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高瀬一誌(たかせ・かずし)広軌から狭軌にかわる昂奮が山形新幹線「つばさ」にはある歌集『火ダルマ』(平成14年・2002)註鉄道ファンなら、なるほどとニュアンスがよく分かる一首である。私も軽い「鉄」だが、車両にはほとんど興味がなく、路線と軌道(レール)の構造などに特化した変態マニアである作者の表現意図とは違うだろうが勝手に敷衍すると、イギリス植民地規格であった(新橋-横浜以来の)日本のほとんどの在来線狭軌から、新幹線によってやっと広軌(世界的にはフツーの標準規格)になった。西洋に追いつき追い越せだった必死の近代化の道程の一つの象徴ともいえよう。今はその変化を楽しめるほどに、この国も先進国になった。・・・なんてことを思ったりする。
2024.06.15
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当地、栃木・奥鬼怒温泉郷の入り口にある女夫渕(めおとぶち)温泉(日光市)は昔から大好きで、独身時代の若い頃には、オートバイのツーリングがてら冬を除いてしょっちゅう訪れ、結婚してからも妻と「夫婦(めおと)」で宿泊した思い出の場所である。特に、鬼怒川上流の渓谷沿いにある12もの広い露天風呂の四季折々の風情は、かけがえのないすばらしさだった。 やむを得ない事情とはいえ、まことに残念至極だ。第3セクター方式などで、何とか復活できなかったのだろうか。経済情勢がよければ何とかなったような気もするが、・・・などと今さら言っても繰り言にすぎないか。■ 女夫渕温泉ホテル廃業 地震被害で復旧断念【下野新聞(栃木) 1日付朝刊1面】 日光市湯元で2月に震度5強を観測した地震で被災した、同市川俣の女夫渕温泉ホテルの山越稔社長(58)が31日、下野新聞社の取材に7月末で廃業したことを明らかにした。本館や源泉が大きなダメージを受け、地震直後から営業できない状態が続いていた。 本県を代表する秘湯の一つとされ、全国的にも知られる同温泉ホテル。東日本大震災に続いた自然の猛威に、開業から43年で幕を閉じた。 山越社長は「再開も考えたが、ホテル全体が被災した。復旧費用も相当な額になり、苦渋の決断をした。自然の中で多くのお客様に楽しんでいただいたが、自然の力にはかなわない。これまで利用していただいたお客様には感謝の言葉しかありません」と話している。 同温泉ホテルは1970年、奥鬼怒温泉郷入り口の渓谷沿いにオープン。本館のほか12の露天風呂や日帰り入浴施設を備え、県内外から多くの観光客らが利用していた。 しかし2月25日の地震で激しい揺れと突き上げに襲われ、本館などが大きく損壊。直後から営業はストップし、加盟する奥鬼怒・川俣温泉旅館組合や県旅館ホテル生活衛生同業組合も5月末に脱退していた。7月からホテルの解体工事が進められている。(茂木信幸)[下野新聞 1日]
2013.08.02
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外ほかに能よくかけし時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎん楽しいのは、和紙を広げて執る筆が思いのほかに闊達に書けた時。
2009.01.27
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紀友則(きのとものり)五月雨さみだれにもの思ひをれば 時鳥ほととぎす夜深く鳴きていづちゆくらむ古今和歌集 153五月雨のそぼ降る夜物思いに耽っているとホトトギスがこんな夜更けに鳴いていったいどこへ行くのだろうか。註五月雨さみだれ:梅雨。
2013.06.16
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正岡子規(まさおか・しき)和歌に痩せ俳句に痩せぬ夏男明治33年(1900)夏和歌がああだこうだと考えては痩せ俳句がどうだこうだと考えては痩せこけてしまった夏の男である。
2010.08.24
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)菜の花や月は東に日は西に註柿本人麻呂「東ひむがしの野に炎かぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾かたぶきぬ」(万葉集 48)を踏まえる。
2017.05.06
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誇大妄想 森友学園問題の籠池泰典氏は、偏執病(パラノイア)などの傾向がある危険な人物ではないかと見られる。 〇 妄想性(パラノイド)パーソナリティ障害 〇 妄想性障害(パラノイア)とはどういう病気なのか 〇 自己愛性(ナルシシスティック)パーソナリティ障害 〇 好訴妄想 〇 虚言癖 〇 認知バイアス 一連の騒動は、政治の問題というよりも、心理学や精神医学の領域の問題なのではないか。〇 籠池泰典氏の嘘つきは癖、病気なの?真相は分からないが世間の反応は冷たい【ブログ『イエローカード』 16日】 誇大妄想ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2017.03.17
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紀貫之(きのつらゆき)五月雨さみだれの空もとどろにほととぎす何を憂うしとか夜ただ鳴くらむ古今和歌集 160梅雨空に轟くほどに、ほととぎすは何を憂(うれ)いて夜ひたすらに鳴くのだろうか。註五月雨さみだれ:陰暦(旧暦)五月(ほぼ現在の六月)ごろの雨。梅雨。
2008.06.23
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俵万智(たわら・まち)言葉から言葉つむがずテーブルにアボカドの種芽吹くのを待つ『プロフェッショナル 仕事の流儀』NHK27日放送角川『短歌』2月号
2023.02.27
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割と緊急を要する事柄なので、結論から簡明に書く。(なお芸能人につき、慣例により文中敬称略・呼び捨て。)起こった事実(現象)よりも、非常に気になるのが、山崎まさよしの今の精神状態である。きわめて心配される。おそらく「鬱」(抑鬱状態、あるいは軽度の鬱病)であることは、ほとんど間違いないと見ていいだろう。直ちに心療内科または精神科の受診と、一定期間の休養を勧めたい。人生は長い、焦るべからず。周囲の家族やスタッフは、とりあえず首に縄付けてでも病院に引っ張っていくべきだろう。最近ではいい薬(内服薬)もあり、早期の緩解が期待できると耳にする。フルオキセチン(プロザック)などはよく知られている。「鬱は心の風邪」といわれたこともあるが、風邪も極度にこじらせれば死に至ることもある。また、「鬱」というとかなり深刻な病気の先入観もあって、臨床の現場では「適応障害」とか「自律神経失調症」といった診断名でお茶を濁すことも多いように仄聞する。おそらく、脳科学的には、ストレスや加齢その他の原因でドーパミン・セロトニン・オキシトシンなどの神経伝達物質(脳内ホルモン)のバランスが崩れている状態なのだと思うが、この辺はしろうとの悲しさで、正確なことは言えない。私はしろうとだが、思春期からこういった分野に興味を持ち、メンタルヘルス・精神医学の中級ぐらいまでの書籍を読み漁ってきた。今こそ、くろうとの精神医学者・臨床医師・心理カウンセラーなどの出番であり、その発言が欲しいところだが、むしろプロだからこそ、診察もしないで軽々な発言は出来ないということもあるだろうか。残念な状況と思う。しろうとでも、すぐにピンとくることだ。報道によれば、歌うことが楽しくない、むしろ苦痛だ、歌いたくないという状態に陥っているようだ。山崎の近影(最近の写真)の表情が、この分野の教科書に載せたほうがいいぐらい憂愁に満ちていることも、一目瞭然であろう。典型的で、分かりやすいといえるほどの鬱の症状だと思う。躁鬱病は、主として内因的に(はっきりとした大きな外的原因がなくて)「躁」(はしゃいでいる精神状態)と「鬱」(沈んでいる状態)を繰りかえす病気である。私自身、病的というほどではないが、自分の精神状態(気分)にサインカーブ状の「躁鬱」=「循環性」=「双極性」の傾向(波)があることを、若い頃からはっきりと自覚している。これを書いている今現在は、やや「軽躁状態」(思考や直感・言動が発揚している、ただし、言い間違いや言い過ぎ・失言などのケアレスミスも多い状態)である。世界が割とバラ色に見えていて、モノを書いていても何となくノッていて楽しい。私は、特に山崎の大ファンというわけではないが、非常にクリエイティヴな仕事をしてきた実績と実力は十分に知っている。その作風(特に歌詞)は、「循環性気質」に特有といわれるマイルドな優しさ・繊細さや、現実的・妥協的・明朗温和な人間味(共感性)にあふれている。この性格傾向を持った世界文学の代表者は、文豪ゲーテである。これと対比される性格である「粘着性気質」の場合、いわゆるマッチョでストレート、ストイックで悲壮・戦闘的であり、芸術家であれば、その作風は荘重・深刻・深淵性、時には神秘性すら帯びる。循環性のライトな持ち味の産物とは対蹠的である。この性格の代表者は、文豪ドストエフスキーである。亡き谷村新司も、かなり典型的な粘着性だったと思う。「なんだかんだ言っても つまりは単純に君のこと好きなのさ」「我は行く 蒼白き頬のままで 我は行く さらば昴よ」どちらも、きわめて秀逸な歌詞のエピローグ(結語)だが、作者の性格傾向により、こういったテクスチャー(風合い)の差が出る。また、粘着性性格に比べ、循環性性格は(精神的な)スタートダッシュは利くが、疲れやすい、粘り強くないことも知られている。短距離の一発勝負には強いが、持久力はないのである。物事に対し、飽きやすいともいえる。・・・全く、私自身の性格を記述しているかのようである。芸能界のことはよく知らないが、そろそろ仕事を選んでセーブして、マイペースでのんびりやっていきたい本人と、稼げるうちに馬車馬のように働かせたい事務所サイドの間に強い軋轢があるだろうことは容易に想像できる。コロナ禍を経た業界の事情もあるのだろう。これは「働き方改革」にもつながる問題だろう。こういったメンタルヘルス(心の健康)に関する知見・概念・用語は、最近ではけっこう常識になっていると思っていたが、知らない人もまだまだ多いのかもしれない。この観点からの記事や言及が見当たらないのが残念である。・・・市川猿之助の悲劇も起こったばかりである。われわれは人の心の問題にもう少し敏感であるべきと、切に思う。■ 物議の山崎まさよしライブ「聞いていられる話ではなかった」トークばかりの異様・・・客明かす「一番悲しかった」発言【J-CASTニュース 24日】
2023.10.24
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昨晩帰宅したらエアコンを使っていなかったので、妻と娘たちに開口一番なにげなく「クーラー点けるべーよ、さすがに暑かんべー」と言った。この「暑かんべー」は、古語「暑かるべし」の音便であり、さらに遡れば(文法上の品詞分解とは別の、語源論的に見れば)「暑く・ある・べし」が約(つづ)まったものである。意味は「暑いだろうよ」である。このように、方言はしばしば由緒正しき古語をよく保存しているのである。・・・ だからって、別にどうってことはないんだけどね
2024.06.17
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみは朝起きいでて 昨日きのふまで無かりし花の咲ける見る時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 「独楽吟どくらくぎん」連作楽しいのは朝起き出してきのうまでなかった花が咲いているのを見る時。橘曙覧全歌集 岩波文庫【送料無料】 価格:1,134円(税込)
2012.03.22
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在原元方(ありわらのもとかた)霞立つ春の山辺はとほけれど 吹きくる風は花の香かぞする古今和歌集 103霞が立ちこめた春の山辺は遠いけれどもそこから吹いてくる風は花の香りがする。
2012.03.20
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私は別に皇室・皇族フリークでも何でもないし、追っかけてる暇もないけれども、コンビニやスーパーマーケットで時々男性・女性両週刊誌の関連記事を立ち読みするぐらいの興味はある。秋篠宮さまは、あのお髭でスリムでスタイリッシュなシティボーイ然とした風貌と、青年時代の「やんちゃ伝説」が尾をひいてか、率直に申し上げて、やや毀誉褒貶が多いおん方とお見受けつかまつるが、私はご人格識見、物腰、挙措動作を含め、昔から大ファンなのである。――比較など申し上げては非礼の極みであるが、皇族男子たるおん方は、人前で箸より重いものは持って戴きたくないし、ましてやハイキング途中のブランチとはいえ、群れなす報道陣のカメラの放列の前で「日清食品・カップヌードル」などをお召し上がりになるのはいかがなものかと、衷心より愚考したてまつる。細かいことを言うようですが、やはり、せめてお結び/握り飯をお召し上がりになるべきではないでしょうか。(なお、お結びの三角形は、京都・上賀茂神社の庭にある謎の三角錐の土盛りと同様、神道・原始宗教的なニュアンスがある形態であるとする説もある。)・・・年輩者は嘆いております。さて、最新号の「週刊新潮」掲載の「(紀子さまのご実家)川嶋家のルーツは会津武士」という記事に、歴史好きとして少なからず驚いた。紀子様の曽祖父に当たる池上四郎という人は、歴とした会津藩松平家家臣の子で、戊辰戦争時にはまだ幼かったため、あの少年決死隊・白虎隊には入隊していなかった(したがって、ほぼ全員討ち死の飯盛山の悲運を辛うじて免れた)そうであるが、会津若松・鶴ヶ城に籠って、官軍(天皇・新政府軍)を向こうに回して、子供ながらに勇戦奮闘したという。戊辰戦後の苛烈な処分で、若き藩主・松平容保は謹慎(のちに許されて日光東照宮宮司)、藩士らは斗南藩(青森)に改易、さらに明治維新の廃藩置県で藩自体消滅、その後池上氏は明治政府の警察畑で出世し、各地の警察署長を歴任したという。一昨年のNHK大河ドラマ「新選組!」を見た方はすぐ分かるだろうが、会津といえば幕末に最後まで徳川幕府を護ろうとした「朝敵・賊軍」、すなわち皇室の錦の御旗の仇敵の筆頭であった。皇室に対してはともかく、新政府エスタブリッシュメントの覇者となった薩長土肥閥に対しては、未だにわだかまりが消えていないことが、しばしばメデイアでも伝えられている。会津藩祖・保科正之は、徳川第二代将軍・秀忠が側室に産ませた隠れもない実子で、三代将軍家光の異母弟。四代将軍の後見人として江戸幕府の枢機にも深く参与した。言わば、「御三家」の次席といったところであった。徳川本家への忠誠は幕末まで続き、幕府アンシャン・レジーム(旧体制)に殉じた「新選組」が会津藩お預かりであったことはもとより、会津藩本体も、打ち寄せる官軍に死力を尽くした総力戦で臨み、敗れ去った。その女子供まで総動員した死闘ぶりは、官軍の猛者たちをして「敵ながらあっぱれ」と慟哭せしめ、一目置かれたことはよく知られている。最も武士らしい武士集団であったといえよう。会津藩出身で、明治時代になって新政府で重きを成した人物も多い。現代でいうと、日本最高の知性の一人である政治・経済学者で保守派論客イデオローグでもある小室直樹氏などが直ちに思い浮かぶ。地元・会津では沸いているという。そのはずであろう。かつて心ならずも官軍/朝廷/天皇家に仇なし弓を引いた会津武士の末裔が、今天皇になられる可能性のあるお子様の母となられた。以って瞑すべきである。PS.皇室について書くと、どうしても多少堅苦しい文章になるのはイナメない。当面このぐらいにしときますね。
2006.09.11
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森山直太朗 夏の終わり夏の終わり ライヴ日本の夏は暑すぎて、僕たちをちょっとした狂気に導く。そこで起きたことは、けっこう人生の思い出または悔いになる。
2024.06.16
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杜甫(とほ、712-770、唐) 春望しゅんぼう国破山河在 城春草木深感時花濺涙 恨別鳥驚心烽火連三月 家書抵万金白頭掻更短 渾欲不勝簪国破れて山河在り城春にして草木そうもく深し 時に感じて花にも涙を濺そそぎ 別れを恨んで鳥にも心を驚かす 烽火ほうか三月さんげつに連なり家書 万金に抵あたる白頭 掻けば更に短く渾すべて簪しんに勝たえざらんと欲す国は敗れて山河はある。城は春になり草木が深い。この時節を思うと花にも涙がこぼれ、別れを嘆いて鳥の声にも胸騒ぎを覚える。すでに烽のろしの火は三か月に亘り、家からの手紙は万金に値する。白髪しらが頭を掻けば髪はますます短く、もう簪かんざしも挿せなくなりそうだ。註春望:春の眺望。春のながめ。国:古代城塞都市国家であった長安(現・西安)。「城」も、ほぼ同じ意味。長安城。現代でも、中国語では大都市を「城市」という。
2009.04.03
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正岡子規(まさおか・しき)瓶かめにさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとどかざりけり(花瓶に挿した藤の花房は短いので、とても畳の上までは届かないだろうなあ。)瓶かめにさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書ふみの上に垂れたり藤なみの花をし見れば奈良のみかど京きやうのみかどの昔こひしも藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出いで写さんと思ふ藤なみの花の紫絵にかかばこき紫にかくべかりけり(藤波の花の紫を絵に書くのならば、濃い紫に書くべきだろうなあ。)瓶かめにさす藤の花ぶさ花垂れて病やまひの牀とこに春暮れんとす去年こぞの春亀戸かめゐどに藤を見しことを今藤を見て思ひいでつもくれなゐの牡丹ぼたんの花にさきだちて藤の紫咲きいでにけりこの藤は早く咲きたり亀井戸の藤咲かまくは十日とをかまり後のち(この藤は早く咲いた。亀戸の藤が咲くのは十日余り後か。)八入折やしほりの酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く(丹念に醸された銘酒に浸したところ、萎れた藤波の花が蘇って咲いた。)明治34年(1901)晩春、東京・根岸の自宅(子規庵)で詠む。歌集「竹の里歌」(明治37年・1904)註当時としては不治の病であった脊椎カリエス(脊椎の結核)に臥した子規晩年の連作秀歌。一見淡々とした写生(写実)の中に、鬼気迫るほどの気魄が満ち満ちている名篇。
2010.05.22
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみはまれに魚うを烹にて子等こら皆が うましうましといひて食くふ時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎん連作楽しいのは、たまに魚を煮て子ら皆が「うまいうまい」と言って食べている時。註作者・橘曙覧には男ばかり三人の子がいた。長男の井出今滋(いで・いましげ)は、明治維新後教育畑を歩み、のちに山梨県師範学校(現・山梨大学教育人間科学部)校長。明治天皇の行幸(ぎょうこう・みゆき)の供奉(ぐぶ・お供)などを務めた。また、父・曙覧の遺稿をまとめ、「志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集」として明治11年(1878)上梓。俳句・短歌の巨人・正岡子規の激賞を受け、近代短歌の魁(さきがけ)と目されるに至った。特にこの「独楽吟」連作52首は、和歌史上の珠玉の名作といわれる。こうした、いわば卑近な日常生活、家庭・家族愛を詠んだ歌は、万葉集の山上憶良の数首を除けば、日本の詩歌1300年の伝統にほとんど欠けていた要素であり、大きな盲点であったといえる。こうした歌風を称して、現在の歌壇では「ただごと歌」という。「ただならぬこと」の対語であり、時代の趨勢のリアリズムである。ドラマチックなことなんて、普通そんなに起こらない。
2022.11.20
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遠山勝雄(とおやま・かつお)いつの日もとなりに同じ寝息ある幸ひ満ちていつまでふたり対岸に日傘を振れる妻見えてわれも手をふりペダル踏み込む妻とゆく手をとるほどの若さなく手をひくほどの老いにもあらず病む妻に茶を注ぐわれの手の少しぶれて笑み合ふ秋陽のなか添ひ遂げむ君と過ごしし春かぞふそれでももつと知りたき女ひとよ紅梅の色ます弥生わが孫の秘めたる恋も春雪のなかひとり行くこぶし満開の山の道忘れたきこと忘れるために晩秋の水霜あびし辛子菜を野うさぎとわれ朝あさ分け合ふ海神にわが村かくす防潮堤浦のすて船ひとつただよふ震災の海に育ちし岩牡蠣をひたすらむける陽のかぎるまで第一歌集『銀のちろり』(令和6年・2024)
2024.06.16
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諏訪部仁(すわべ・ひとし)「決め科白」より子の幸せを願わぬ親などいるものか 決めて決まらぬこの決め科白「おとうさん」妻が寝言にすがりたる父なる人は我かも知れずツッコミとボケを演じて半世紀人は我等を夫婦めおととぞ呼ぶ歌誌「短歌人」7月号註結社「短歌人」の本年度「高瀬賞」選考で、僕は堂々落選の栄誉に浴することとなったが、選者の一人で歌人の諏訪部仁氏(「短歌人」編集委員)が、あわれとおぼし召したのであろう、7月号誌面において、明らかに僕の作品の本歌取り・ポスティーシュと見られる作品を掲載してくれた。先生のお情けが身に沁み、今後への叱咤激励と受け止めました。感謝感激雨あられです。ますます精進いたします。* 「短歌人」では、民主的結社運営の理念に基づき、「先生」という呼称は好ましくないとされているが、この文脈においては、僕の言語感覚では「先生」以外の呼び方はありえない。何卒ご寛恕をこいねがう。
2009.07.03
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)味噌汁は尊たふとかりけり うつせみのこの世の限り飲まむと思へば歌集「つきかげ」(昭和29年・1954)註うつせみの:「身」「世」「人」「命」「妹(いも)」「むなし」「わびし」などに掛かる枕詞(まくらことば)。「実相観入」を目指し、「真率(しんそつ)、全身全霊」の表現を鼓吹した、近代短歌の巨人・茂吉らしい名品。威風堂々たる大真面目な味噌汁礼賛が、おそらく本人の意図せざる、たくまざるユーモアさえ帯びてしまっている。こういうのを読んでいると、真面目で頑固でいくらか癇癪持ちだった明治男の祖父を思い出す。敬愛すべき日本の先人と思う。
2011.01.28
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和泉式部(いずみしきぶ)黒髪のみだれもしらずうち臥ふせば まづかきやりし人ぞ恋しき後拾遺ごしゅうい和歌集 755黒髪の乱れにも気づかずに横たわっていると初めてこの髪をかき撫でてくれた人が恋しくて仕方がない。註古来敬愛されてきた、艶麗な恋の名歌。まづかきやりし人:初めて(いとしく)かき撫でてくれた人、つまり「初恋の人」とするのが普通だろうが、一説には、親を偲んでいるのだという真面目な(禁欲的な?)解釈もある。案外、捨てがたい解釈とも思う。さらに、「まづ」が「かきやり」ではなく、「恋し」に掛かっているという見方もある。この場合は、「(かき撫でてくれた人が)まず第一に恋しい」という意味になり、初恋ではなく最近の恋という解釈もある。与謝野晶子が、明治の一世を風靡した第一歌集『みだれ髪』で歌集タイトルおよび歌に引用した。
2013.03.10
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大伴坂上郎女うちのぼる佐保の河原の青柳は今は春べとなりにけるかも万葉集 1433さかのぼって行く佐保の河原の青柳は、今は春べになったんですねえ。註前項1432の歌を詠んだあと、実際に佐保路界隈に行ってみたら、もう春になっていたよという、素直な感動の歌。何のヒネリもないと言うなかれ。・・・なにしろ、「なりにけるかも」である。ゆったりとしてコセコセしないおおどかな響きは、まさに万葉調そのものである。皆さんが歌をお詠みになる場合、5句目が思い浮かばなければ、「なりにけるかも」(または「・・・かな」)にしとけば間違いない 。べ:接尾語。大した意味はないとされる。
2007.03.20
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正岡子規(まさおか・しき)ベースボールの歌 久方のアメリカ人びとのはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも国人くにびとととつ国人と打ちきそふベースボールを見ればゆゝしも *若人わかひとのすなる遊びはさはにあれどベースボールに如しくものはあらじ九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来きたる人の手の中になかなかに打ち揚げたるはあやふかり草行く球のとゞまらなくに打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな明治31年(1898)、新聞『日本』に発表。歌集『竹の里歌』(明治37年・1904)所収註この歌発表の時点でまだ「野球」という訳語は確立していなかったが、なんと正岡子規自身が、本名の「升(のぼる)」をもじって、「野球(のぼーる)」という筆名を名のっていた。久方の:「天(あめ)」「雨」などに掛かる枕詞(まくらことば)。とつ国人:外国人。ゆゝし(ゆゆし)も:不穏な殺気がみなぎって、ぞくぞくするなあ。「も」は詠嘆。* 「近時、第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マツチ)ありしより以来、ベースボールといふ語は端なく世人の耳に入りたり」と別の随筆にある。さはに:たくさん。打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて:揚げ雲雀(あげひばり、ヒバリの雄の求愛行動)に擬(なぞら)えているのだろう。なかなかに打ち揚げたるは~:中途半端に打ち上げた球は結局どうなってしまうのか危ういなあ、草原の中を留まらずに転がってゆくけれども。グラウンダー(ゴロ)。打ちはづす球キャッチャーの手に在りて:ファウル球がキャッチャーの手にあって。ベースを人の行きがてにする:「ホームベースにランナーを行き難くする」の意味の上古語(万葉集)的表現。三つのベースに人満ちて:満塁のチャンスもしくはピンチで。そゞろに(そぞろに):気もそぞろに。そわそわ、わくわくと。
2013.03.04
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大伴家持(おおとものやかもち)わが屋戸やどのいささ群竹むらたけ吹く風の 音のかそけきこの夕ゆふべかも万葉集 4291わが家の小じんまりとした一群れの笹竹に吹く風の音がかすかに聞こえるこの夕べだなあ。註優美にして繊細な、1300年前の“近代人”大伴家持の代表作と目され、万葉後期を代表する名歌。前掲歌とともに、天平勝宝5年(753年)旧暦2月23日(新暦の4月中旬頃)に詠んだと詞書(ことばがき)にある。いささ:「いささか」の語幹であり、「小さい」「ちょっとした」などを示す接頭語。ここでは「笹」と掛けている。なお、「笹」の語源も、葉が風に鳴る音の擬声語(オノマトピア)説が有力(古代日本語の音韻「ツァツァ」)。
2010.05.14
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栃木・JR宇都宮駅西口にて、8日午後5時半ごろくまんパパ写す。(画像クリックで拡大。写真の転載はご自由にどうぞ。) 安倍晋三首相は8日、JR宇都宮駅西口などで街頭演説を行い、自民候補を応援した。同駅前の歩道には首相の言葉をじかに聞こうと大勢の聴衆が詰めかけた。 安倍首相は「日本を取り戻すため、まずやったことは強い経済を取り戻すこと。今までのやり方でない、スケールの違う金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の“三本の矢”によって、デフレ脱却、経済再建に挑んだ」とアベノミクスといわれる経済政策を説明。景気回復を確かなものにするためにも「政治の安定が必要。ねじれを解消させてください」と訴えた。【産経新聞 9日付朝刊・栃木版】
2013.07.09
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NHK「おかあさんといっしょ」(教育テレビ;午前8:35~、午後4:20~)の「今月の歌」に、きたやまおさむ作詞、加藤和彦作曲の(たぶん)新作「ありがとう お母さん」が登場して数日経った。彼らの新譜を聴くのは、本当に久しぶりだよおっかさんである。一聴して、名曲だと思う。お父さんは感激である。朝の子供たちの世話は僕の担当なのだが、楽しみが増えた。さすがというべき作詞者・作曲者は1960年代末に一世を風靡したあの伝説のグループ、フォーク・クルセイダーズ(フォークル、正式表記は「フォーク・クルセダース」)の名コンビである。加藤和彦のメロディ・アレンジは、定石ながら、閉所恐怖症のない伸びやかなメロディーと、夢見るような感じの山下達郎・高中正義系ポップチューンのノリで酔わせてくれる。きたやまおさむの詞は、豪速球の直球ど真ん中ストレートな愛の吐露であり、子供からお母さんへのラヴソングといったテクスチャー(肌触り)が、凡百の幼児向けソングに屹立する“胸キュン度”で、一聴に値する出来になっている。「あなたなしでは生きてゆけない。 I can’t live without you.」なんていう恋愛の常套句は、なるほど、実は母と子の関係にこそふさわしい言葉だと気付かせてくれる歌詞である。目からウロコです。タカラジェンヌ出身の“うたのおねえさん”はいだしょうこと、劇団四季のミュージカル俳優出身の“うたのおにいさん”今井ゆうぞうの歌唱も、優等生的ではあるが、もちろん完璧。・・・ただ、これを加藤和彦の、あの独特のエロキューションのヴォーカルで聴いてみたいと思うのは、僕だけではないだろう。なお、幼い子供たちは、必ずしもこの曲を喜んでいない。むしろ、嫌がり、やや怯えてさえいる(笑)。実は、子育てをしているとこういうことはしばしばある。僕ら大人が聴いていいなと思う曲には、一定の緊張感・緊迫感、研ぎ澄まされた美しさがあり、それが幼児の耳で聴くとコワイらしいのだ。この曲も、おにいさんおねえさんがいつになく緊張の面持ちで歌っており、それが伝わったようだ。ある意味では、子供たちの耳がいい証拠といえるかもしれない。一般的に、教育的配慮の行き届いた幼児向けの歌というと、やはり表現としては大きな制約があり、片肺飛行になりがちと思われるが、時々、その規矩を突き抜けてこちらの魂に届き、胸震わせる名曲が出現してきたのも見やすい事実である。野口雨情「赤い靴」、「赤とんぼ」、「シャボン玉」、「証城寺の狸囃子」とか、現役の文部官僚であった高野辰之の手になる「朧月夜」、「紅葉」、「故郷」、「春がきた」、「春の小川」、「虫の声」などの天才的な作品群、中村雨紅の不朽の名作「夕やけ小やけ」、さらにいちいち書かないが北原白秋やサトウハチローの作品群などは、もはや日本人の魂のふるさとともいえるスタンダードナンバーである。きたやまおさむが、’60年代から一貫して追求してきたのも、こういった湿潤な、おしぼりウェッティでセンティメンタルなロマンティシズムであり、日本人の心の奥深くに放置されがちなこうした素朴実在的な情緒纏綿さである。きたやまおさむって人は本当に変わった人だと思う。知ってる人は知ってるだろうが、著名な精神分析学者で九州大学教授の北山修氏と同一人物であることは、隠れもない事実である。 すばらしい創造者であり頭もいいのだが、本質的に変人であり、反時代的異端者であり、どこまでも夢追い人のさすらいびとである。しかも、僕の見るところ、この人にはいい意味でも悪い意味でも“照れ”がない。普段の話し方などでは“露骨さ”を嫌い、含羞・恥じらいを感じさせつつも、いざ詩的表現の場(トポス)においては、全く臆面がなく、堂々としている。あんたが一番ロコツなんだよと、突っ込みの一つも入れたくなるのである。“キザ”というのとは少し違うと思うのだが、いわゆるステレオタイプな情緒を含め、普通の大人だったらとても書けないだろうと思われるような、オケツがこそばゆくなるようなおセンチな詩やら、逆に誰もバカバカしくて思いつかないようギャグを平気で書いたりやったりできるのが、最大の個性であり特徴である。フォーク・クルセイダースの代表曲とも目される「帰ってきたヨッパライ」をはじめ、あの突拍子もない発想の数々は、今思うとやっぱりきたやまのカラーだったんだなと思われる。決して、腐しているわけではない。詩的表現やその他表現一般に興味を持つ者にとっては、まことに範とすべき資質である。照れていては、何も書けず、何もできない。四の五の言う前に、まず表現することだ。自己アセスメントや反省はその後でいい。我々の世代には、まさにナツメロそのものである。遠い昔、僕たちが思春期に差し掛かったころ、フォーク・クルセイダースはすでに解散していたが、加藤はサディスティック・ミカ・バンドなどで瞠目すべき活躍を見せ、北山は作詞家として驚くべき名作の数々を量産しつづけた。二人とも、短期間ながら、天下を取ったといって差し支えなかろう。その後のポピュラー音楽シーンに与えた影響は計り知れない。・・とは言っても、同窓会とかでカラオケで歌うのは勘弁してほしい。ジョン・レノンならいくらでも歌っちゃうから。親友K(お前のことだよ!!)はやたら歌いたがるが、・・・命かけてと誓った日から素敵な思い出残してきたのにあの時同じ花を見て美しいと言った二人の心と心が 今はもう通わないあの素晴らしい愛をもう一度(「あの素晴らしい愛をもう一度」北山修作詞・加藤和彦作曲)・・・な~んていう歌詞を、40ヅラしたいいオヤジが、恥ずかしくって肩なんか組んで歌えないっての!!!泥酔すれば歌えるかも知れんが、それはそれでみっともないだろうし。ところで、きたやまと加藤の友情関係も、いったいどうなってんだろうと、オールドファンとしてはいぶかしまずにはいられない。加藤和彦って人は、音楽的才能はものすごいものがあるし、特に若いころはルックスもカッコ良かったのだが、文学的才能、すなわち作詞能力がないようである。さらに、どうも人徳がないのか何だか知らないが、初代サディスティック・ミカ・バンドのミカには去られ、ドラムスのつのだ☆ひろに去られ、ギターの高中正義に去られ(今思うと、すぎょいメンツだす)、作曲家としては多少の実績は残したが、長い間何をして食ってるのかよくワカランという感じもあった。この人のことだから、霞を食って生きていたのかも知れないが、いつまでも未完の大器という憾が拭えなかった。その間、あれよあれよという間に北山は天下の旧帝大の大学教授になってしもうた。加藤の方は、なんかやる気を失ってたようにも見えた。最近は“ミカ役”に、人気絶頂の木村カエラを迎えてミカバンドを再結成するなど、再びヤル気を出してるようなので、大いに期待しているところである。この人が妙に考えすぎずに本気を出せば、まだまだ凄いポテンシャル・エナージーを秘めてると思うんだけどね。それにしても、端田宣彦(はしだのりひこ)はどこへ行ってしまったんだ?・・・いわく人生、奇妙奇天烈摩訶不思議。
2006.11.09
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