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遠山勝雄(とおやま・かつお)いつの日もとなりに同じ寝息ある幸ひ満ちていつまでふたり対岸に日傘を振れる妻見えてわれも手をふりペダル踏み込む妻とゆく手をとるほどの若さなく手をひくほどの老いにもあらず病む妻に茶を注ぐわれの手の少しぶれて笑み合ふ秋陽のなか添ひ遂げむ君と過ごしし春かぞふそれでももつと知りたき女ひとよ紅梅の色ます弥生わが孫の秘めたる恋も春雪のなかひとり行くこぶし満開の山の道忘れたきこと忘れるために晩秋の水霜あびし辛子菜を野うさぎとわれ朝あさ分け合ふ海神にわが村かくす防潮堤浦のすて船ひとつただよふ震災の海に育ちし岩牡蠣をひたすらむける陽のかぎるまで第一歌集『銀のちろり』(令和6年・2024)
2024.06.16
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永井祐(ながい・ゆう)君といて色んなテレビが面白い ゆっくり坂を上から下へ第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(平成24年・2012)君といると今まで興味がなかったテレビ番組さえ色づいて面白く見えるよ。君とふたりでゆっくり坂道を下って行こうか。註三十一文字(みそひともじ)の制約もあって、一読してなんか舌足らずな歌だと思っていたが、紙背を透かしてよく読めば、ほとんどプロポーズに近いぐらいの、それなりにたおやかな恋歌だった。一見、肩の力が抜けたナチュラル感が、作者らしい。
2024.06.15
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原田彩加(はらだ・さいか)スプーンを水切りかごに投げる音ひびき続ける夜のファミレススカートがくらげみたいに膨らんで水の匂いの地下鉄が来る行列がなくなり水が腐っても撤去されない黄色いボート嫌わずにいてくれたことありがとう首都高速のきれいなループ透けながら眼前に立つ木蓮のいいえ謝る必要はないさりげなく花の記憶を分け合って路線図のごと別れていくか好きだったひとを忘れて新緑の世界ようやく胸に迫りぬ岡山発南風5号ふるさとの空の青さが近づいてくる雨粒の滴る森のやわらかく俯いているアカキツネガサ第一歌集『黄色いボート』(平成28年・2016)
2024.06.11
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)藍青らんじやうの天そらのふかみに昨夜よべ切りし爪の形の月浮かびをり第一歌集『水陽炎』(昭和62年・1987)註きのうの宵、ふと空を見たら、すごく綺麗な細い月が出ていた。この秀歌の的確すぎる表現を知ってからは、こういう月を見ると、切った爪にしか見えなくなっている。おそろしい。佳人である若い頃の作者が足の爪を切っているさまを妄想させて、なにげにエロい一首でもある。・・・あ、足とはどこにも書いてないか。すいません 「夕べ」ならぬ「昨夜よべ」なんて言葉はこの歌で初めて知ったが、確かに存在し、源氏物語に用例があるとかいう。
2024.06.09
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梅内美華子(うめない・みかこ)ティーバッグのもめんの糸を引き上げてこそばゆくなるゆうぐれの耳乳房当たらぬように抜け来し雑踏の振り返りたれば秋のまたたきみつばちが君の肉体を飛ぶような半音階を上がるくちづけわが首に咬みつくように哭く君をおどろきながら幹になりゆく重ねたる体の間に生るる音 象が啼いたと君がつぶやく夜半の道君ひとりする物思い知らざれば照るわれは若月みかづき截るごとにキャベツ泣くゆえ太るときもいかに泣きしと思う夕ぐれスピンクスのわれが投げにし言葉の輪からんと君の首に落ちたり歌集『若月祭』(平成11年・1999)註女性ならではの鋭敏な身体感覚が横溢している、現代短歌の名作歌集。男の身体でも詠んで詠めないことはないかもしれないが、このように優美な感じにはならないだろう。截る:「きる」と読むのだろう。截断(せつだん)する。話は変わるが、伝統的で優雅ではあるが書くのも読むのも難しい旧(歴史的)仮名遣い(例・ゆふぐれ)を用いるか、分かりやすい新(現行)仮名遣い(例・ゆうぐれ)を選ぶかという、短歌実作者であれば必ず直面する、それなりに重大な岐路・選択・決断がある。そう遠くない昔(俵万智以前)は、一流の歌人は旧仮名というイメージも、確かにあった。個人的には、梅内さんが(格調高い文語体でありつつ)新仮名遣いを採っているのを見て、これが決め手になり、私も途中で旧仮名から新仮名に変更した覚えがある。今となってみると、新仮名にして良かったと思っている。読者に媚びるわけではないが、読んで分かりやすいということも大事だと思う。梅内さんは、いわば一種の師範であり、恩人である。
2024.06.09
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香川ヒサ(かがわ・ひさ)神はしも人を創りき神をしも創りしといふ人を創りき人はしも神を創りき人をしも創りしといふ神を創りき太陽が昇りはじめてこの街のガラスしづかに透明となるどのやうに馬鹿なことでもすでにもう誰かが言つたり書いたりしてるどのやうに語つてみても納得をさせるためには沈黙が要る洪水の以前も以後も世界には未来がありぬいたしかたなくひとひらの雲が塔からはなれゆき世界がばらば らになり始むたとへもし世界が滅んでしまつてもそれも世界の出来事である一冊の未だ書かれざる本のためかくもあまたの書物はあめり歌集『ファブリカ』(平成8年・1996)
2024.06.08
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俵万智(たわら・まち)いつもより一分早く駅に着く 一分君のこと考える第一歌集『サラダ記念日』(昭和62年・1987)
2024.06.07
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竹内亮(たけうち・りょう)自転車の荷台に雀一羽立ち草の匂いがながれていったキッチンで知らない歌を口ずさみ君は螺旋のパスタを茹でるジーンズの裾に運ばれついてきたあの日の砂を床に落として線香を両手でソフトクリームのように握って砂利道を行く水色のジャージで歩く女子たちのみな丸顔になっている国川べりに止めた個人タクシーのサイドミラーに映る青空旧市街を何も話さず歩きたい足音のよい道を選んで海水の透明な水射すひかり大きな鳥が陸を離れる終電の一駅ごとに目を開けてまた眠りゆく黒髪静か第一歌集『タルト・タタンと炭酸水』(平成27年・2015)
2024.06.07
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)画家が絵を手放すように春は暮れ林のなかの坂をのぼりぬ第一歌集『青蟬』(平成7年・1995)
2024.06.07
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横山未来子(よこやま・みきこ)ゆたかなる弾力もちて一塊の青葉は風を圧しかへしたり第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』(平成10年・1998)
2024.06.07
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井辻朱美(いつじ・あけみ)水球にただよう子エビも水草もわたくしにいたるみちすじであった歌集『吟遊詩人』(平成3年・1991)註水球:ここでは地球のこと。スポーツ種目ではない。
2024.06.05
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小島ゆかり風に飛ぶ帽子よここで待つことを伝へてよ杳とほき少女のわれになにかあやふき感覚は来ぬ岩かげを声なき蝶のもつれつつ飛ぶわが髪より生れしならずやなまぬるき風を起こして黒揚羽とぶ若宮年魚麻呂わかみやのあゆまろといふ人の名をおもへばたのし春の早雲はやくも蟬はみな小さき金の仏にてせんせんせんせん読経のこゑす炎昼のわあんゆうんと歪ゆがみつつ樹木は蟬の声に膨らむ午後のかぜ瀞とろにしづみて夏ふかしあなひそかわれに魚の影あるくれなゐは不穏なるいろ花にあり火にあり女のくちびるにありその髪の濡羽色なるをみなにて抱けばほのあかき喉見ゆシーア族難民ゆゑにパキスタン国境に来て棒で打たるる秋のショールに肩つつまれて何をどう言ふともわれは難民ならず会議室の窓にひろがる鰯雲 ギリシャ以前に多数決なしみづからが釣りたる魚を食む子らは眼しづかに骨まで食べぬ石川原、草川原あり 蜻蛉せいれいのにほひにみちて秋の陽は照る玉のごと白湯さゆやはらかし生くる身のもやもやふかい冬のあさあけ弾丸の速さに雲へ飛び込みし冬の鳥あり のちしろき風椿さく下土黒しこの朝は霜の神殿ひそやかに建つ今しがた落ちし椿を感じつつ落ちぬ椿のぢつと咲きをり走り来て赤信号で止まるとき時間だけ先に行つてしまへり歳晩の鍋を囲みて男らは雄弁なれど猫舌であるみかんひとつころがり落ちてゆふやみにとほいわたしの声が聞こえる歌集『憂春』(平成17年・2005)
2024.06.01
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〇 千年以上親しまれてきた「短歌」が令和の今ブーム 俵万智さん「SNSと相性がいい」〔東海テレビ(名古屋) ニュースONE〕
2024.05.02
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加藤千恵(かとう・ちえ)幸せにならなきゃだめだ 誰一人残すことなく省くことなくまっピンクのカバンを持って走ってる 楽しい方があたしの道だ ついてない びっくりするほどついてない ほんとにあるの? あたしにあした目の前の世界は鮮やかに変わるわずかに足を踏み出したならバレたっていいと思った嘘をついてまで会いたい人がいたからあの頃のあなたは今もここにいてわたしを動かし続けている歌集『ハッピーアイスクリーム』(平成13年・2001)
2024.05.02
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小池光(こいけ・ひかる)フィレンツェの衰弱とともにこの地上去りし光を春といはむか歌集『廃駅』(昭和57年・1982)註いはむか:現代語「言おうか」に相当する古語的な言い回し。 サンドロ・ボッティチェッリ 春(プリマヴェーラ) 1482年頃イタリア・フィレンツェ ウフィツィ美術館蔵* 画像クリックで拡大ポップアップ。
2024.04.03
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前登志夫(まえ・としお)さくら咲くゆふべとなれりやまなみにをみなのあはれながくたなびくさくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへりふるくにのゆふべを匂ふ山桜わが殺あやめたるもののしづけさ歌集『青童子』(平成9年・2007)
2024.04.01
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小池光歌集 サーベルと燕 全576首 こいけ・ひかる 現代短歌の巨匠 価格:3,300円(税込、送料別) (2024/3/22時点)楽天で購入はかなごとおもひてをれば秋晴れに今朝は秩父のやまなみは見ゆ京橋区と日本橋区と合はさりて味気なき名の中央区成りぬ中央区といふは東京駅のひがしより春のうららの隅田川までをいふいにしへの貴人のごとく白鷺一羽田植ゑをはりし田中をあゆむぬくもりはいまだのこりてなきがらの母の額にわれは手を当つ母が耕す鍬に小石のあたるおとかちりかちりと忘れざらめや明治より四代生きて生き尽くせし母よと思もへばかなしみはなし真言宗の父子おやこの僧がこゑあはせ経よむときの夏のすずしも泥棒に入はいられたることいちどもなく七十年過ぐ 泥棒よ来よありのままなる現実を歌によむことのむつかしわれは希ねがへど父の日にむすめがおくりくれたりし夏掛け布団の肌ざはりかなひとつづつたまごの中に鰐がゐて鰐のたまごといふはおそろし駅階段一段とばしに駆けあがり空に消えたり女子高生はヴァイオリンのケース背に負ひ乗りきたりにほへる少女をとめ春の電車にわが進む路はゆきあたりばつたりにしてときにイヌフグリの花などが咲く歌はおろか文学に縁なきふたりのむすめ父の日にパジャマ買つてくれたり歌つくるは魚釣るごとし虚空よりをどる一尾の鯉を釣り上ぐ雀宮すずめのみやに降りゐし雨は宇都宮に来しときあがる悲しきまでに宇都宮の宮の橋よりながめたる川の流れはおもひをさそふなにか一言いはないと済まぬ性格といふものありてわれは好まずカソリックより別れし東方教会にヨーロッパを憎むこころあらずや万葉集に「恋我」と書かれし古河こがのまちしづかに梅を咲かせてゐたり五十一年ぶりにすがたをあらはせる革共同清水丈夫八十三歳松林のなかにひともと辛夷の木しろく花つけ春は来向きむかふ日露の役えきたたかひたりし祖父おほちちが出征に携へしサーベルぞこれ開け放つ窓より二羽のつばくらめ家に入り来つ吉兆ならむ歌集『サーベルと燕』(令和4年・2022)
2024.03.23
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佐藤りえ食べ終えたお皿持ち去られた後の泣きそうに広いテーブルを見て一人でも生きられるけどトーストにおそろしいほど塗るマーガリン青空の天辺にある美しい南京錠の鍵をください春の河なまあたたかき光満ち占いなんて当たらないよねヘッドホン外した時の静寂にどこか似ている恋の終わりは歌集『フラジャイル』(平成15年・2003)* 歌集タイトル「フラジャイル」は、宅配便・航空便などの表示でおなじみの「ワレモノ」のこと。脆いこわれものは、「心」を的確に言い当てた隠喩(メタファー)である。上掲5首は、若い作者の失恋をリリカル(抒情的)に歌って、ヴィヴィッドな(生き生きした)表現になっている。* 現代短歌には著作権がありますので、引用には限度があります。(この程度であれば大丈夫と思います。)
2024.03.17
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岡野大嗣 サイレンと犀 Silent Sigh(新鋭短歌シリーズ 16)価格:1,870円(税込、送料無料) (2024/3/15時点) 楽天で購入 岡野大嗣(おかの・だいじ)ラッセンの絵の質感の夕焼けにイオンモールが同化してゆく骨なしのチキンに骨が残っててそれを混入事象と呼ぶ日生年と没年結ぶハイフンは短い誰のものも等しく生きるべき命がそこにあることを示して浮かぶ夜光腕章マーガレットとマーガレットに似た白い花をあるだけ全部くださいぎりぎりの夕陽がとどく二段階右折待ちする僕の胸までかなしみを遠く離れて見つめたら意外といける光景だったそうだとは知らずに乗った地下鉄が外へ出てゆく瞬間がすきともだちはみんな雑巾ぼくだけが父の肌着で窓を拭いてる歌集『サイレンと犀』(平成26年・2014)* しいて言えば、「ただごと歌」(≒ 日常的なリアリズム)の系譜に連なっているのだろうが、おかしみを帯びた汲めども尽きぬ味わいの歌風の話術の妙は、天才的と言えるだろう。こういう感じは、やっぱり関西人持ち前のものなのかなとも、ちょっと思っている。・・・俵万智さまの次の次ぐらいに、ものすごく敬愛している。
2024.03.15
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奥村晃作(おくむら・こうさく)不思議なり千の音符のただ一つ弾きちがへてもへんな音がす撮影の少女は乳をきつく締め布から乳の一部はみ出る一回のオシッコに甕一杯の水流す水洗便所恐ろし結局は傘は傘にて傘以上の傘はいまだに発明されず運転手一人の判断でバスはいま追越車線に入りて行くなり歌集『鴇色の足』(昭和63年・1988)
2024.03.15
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奥村晃作(おくむら・こうさく)最前線に出された者がわけもなく殺しあうのが戦争である結局は一人ぼっちのボクだから顔ぶら下げてそのままに行け歌集『ピシリと決まる』(平成13年・2001)
2024.03.08
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山崎方代(やまざき・ほうだい)たんぽぽを掘りとってきて正月の小屋にこもりて眼をほそめいる机の上に風呂敷包みが置いてある 風呂敷包みに過ぎなかったよ母の名は山崎けさのと申します日の暮方の今日の思いよ戦争が終ったときに馬よりも劣っておると思い知りたりおもいきり転んでみたいというような遂のねがいが叶えられたり歌集『迦葉』(昭和60年・1985)
2024.02.28
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高野公彦(たかの・きみひこ)早寝して子はみづからの歳月を生き始めをり夜の霞草歌集『天泣』(平成8年・1996)註うわ~、沁みる。巨匠・高野さんもこういう歌を詠んでいたのか。筆者の娘も、はや大学生。今年成人式を迎えた。万感あまりにも胸に迫りすぎ、このモチーフでは一首たりとも詠めていない。まもなく、というかすでにときどき、こういう夜が現われて来ている。遠からず巣立って行ってしまうのだろうか 娘が選んできた若者を認めてやる心の準備が、ぼちぼち必要だろうか。「おとうしゃん、おかし、とうもころし」なんて言ってた頃が懐かしい。・・・おっと、これは歌のネタに使えるか。
2024.02.28
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永田和宏(ながた・かずひろ)歌の下手な歌人はいいが歌の読めぬ歌人は悪 と、言いて降壇歌集『日和』(平成21年・2009)註「(歌の)詠めぬ」ではなく「読めぬ」である。自分の短歌が下手な分には大した罪はなく、まあいいけれども、人さま(特に後進)の歌をちゃんと読めない、読まない、読もうともしない(で批評・批判する)のは悪だと言っている。なるほど、まことにごもっとも。言われてみれば、狭量な人にしばしばありがちな言動である。これは短歌以外のさまざまな事柄にも拡張・適用できそうな指摘だ。講演会で、実際にこういう趣旨のことを語ったという現代短歌の大御所による、ユーモラスではあるが、けっこう手厳しい「メッセージ・ソング」である。耳が痛い歌人も少なくないのではないか。
2024.02.28
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横山未来子(よこやま・みきこ)ひとはかつてわが身めぐりを指さして全てのものを名づけたりけり第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』(平成10年・1998)人は原始、自分の周辺のものを指さして、全てのものを名づけていったんだなあ。旧約聖書のアダムとエヴァ(イヴ)の神話、および現下の科学的認識をも踏まえた主知的な理屈の歌ともいえるが、その理屈のスケールが幽遠茫漠で、そこにまぎれもなく詩がある。俳句形式がほぼ完全に拒否・排除する「理」を、短歌はかなり許容する。その好例と言えよう。
2024.02.28
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小池光(こいけ・ひかる)猫の毛のぼろぼろとなりしものぞ行き路地のおくにてカラオケきこゆそこに出てゐるごはんをたべよといふこゑすゆふべの闇のふかき奥よりむせかへるばかり赤子のにほふ抱き重巡摩耶へきみかへりけむ歌集『草の庭』(平成7年・1995)
2024.02.27
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紀野恵(きの・めぐみ)晩冬の東海道は薄明りして海に添ひをらむ かへらな第一歌集『さやと戦げる玉の緒の』(昭和59年・1984)冬の終わりの東海道はほのかに薄明かりして海に寄り添っているのだろう。帰ろう。註作者の代表作で、現代短歌の傑作。女性版塚本邦雄ともいうべき難解晦渋な歌が多い(そこが魅力でもある)作者にしては、割と分かりやすい一首といえよう。かへらな:「新古典派」とまで称えられた作者の教養・歌風から見て、現代の関西弁の「帰らな(あかん)」ではないだろう。「な」は「~しよう」。活用語(この場合は動詞「帰る」)の未然形に接続して、話者の意志を示す上古語終助詞。万葉集に頻出する。おそらく、奈良時代当時の口語だったのだろう。平安時代以降は「む」に取って代わられた。 東海道 富士山付近 / 薩埵峠(静岡県清水市)付近ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大
2024.02.26
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)最上川逆白波さかしらなみのたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも昭和21年(1946)作歌集『白き山』(昭和24年・1949)
2024.02.24
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穂村弘(ほむら・ひろし)体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき
2024.02.06
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産経歌壇 今年の6首伊藤一彦選車に乗り行く当てもなくハンドルを切りて走れば友の墓に着く大阪・堺市 鈴木武雄「アカシアの雨がやむとき」が包み込む棺の叔父と泣いてる叔母を大阪・羽曳野市 西村真千子秒速で届くLINEよりバイク音とコトリと音する郵便が好き静岡・下田市 倉内野梨子シュレッダーの紙屑すべて湘南の釜揚げシラスならばいいのに神奈川・横浜市 杉本ありさピンポーンが鳴って「わたし」という人が来た鍵を忘れたと妻が大阪・高槻市 東谷直司サイバーテロ警戒と政府「妻婆さいばあは確かに怖い」と父は言うなり群馬・前橋市 西村晃小島ゆかり選おテイさん吾を呼ぶ声がふと声が聞こえてきそうな長き秋の夜石川・中能登町 神前貞万緑に白髪を染めるやう妻は帽子を脱いで風を呼び込む兵庫・明石市 小田慶喜黄砂にて霞める瀬戸の島々はけものの眠るごとく静けし岡山・玉野市 古川一郎春来れば春に匂いのあることを思い出させてこの春はゆく奈良市 河野久恵寺うらに羽虫ながれて右ひだり風のかたちであってまたなくて東京・渋谷 朝倉修鉢植えの防寒用の新聞にプーチンの名のあるを除外す秋田市 小林純子産経新聞 12月28日付〔坂本野原 寸評〕近年は産経新聞しか読んでいないので、これだけご紹介しておく。選者のお二人は、いずれも歌壇の重鎮。とりわけ小島さんは、お嬢さんのなおさんも歌人として第一線で活躍しておられる。五七五七七という定型韻律を持った、たったの31音(三十一文字みそひともじ)で、おまけに1300年にも及ぶ分厚い歴史の中で発想の前例・類例がないか(パクりになってないか)にも注意する必要のある、短歌という唯一無二の詩形。考えてみれば、僕らはけっこうめんどくさいことをやってるわけだ。・・・興味がない人から見れば、ヲタクの変態趣味としか思えないであろう そんな中で、皆さん(多少字余り破調になったりしながらも)黒光りするような重厚・清冽な詩のきらめきや、くすりと笑わせる軽妙洒脱な機知の閃きで自ら楽しみ、読者を楽しませてくれる。とても勉強になる。特段言いたいこともないのだが、ひとつ言えるとすれば、短歌という国民文学が滅びることは絶対にないなという確信である。
2023.12.30
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岡野大嗣(おかの・だいじ)母と目が初めて合ったそのときの心でみんな死ねますように脳みそがあってよかった電源がなくても好きな曲を鳴らせる大丈夫なのは知ってる 話半分に聞くから打ち明けてみて
2023.11.26
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永井祐(ながい・ゆう)月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたねパチンコ屋の上にある月 とおくとおく とおくとおくとおく海鳴り
2023.09.27
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水原紫苑(みずはら・しおん)まつぶさに眺めてかなし月こそは全またき裸身と思ひいたりぬ第一歌集『びあんか』(昭和64年・1989) 月 オルドリン宇宙飛行士 アポロ11号ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2023.09.26
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木下龍也 鈴木晴香歌集『荻窪メリーゴーランド』より 数首「いつか海辺に住みたい」に「ね」を添えてふたりの夢をひとつ増やしたぼくの肩を頭置き場にしてきみは斜めの夜をご覧ください参列者めいたぼくらが砂浜で見上げる月は喪主めいている脱がすときわずかに腰をベッドから浮かせてくれるやさしさが好き交わっているのにもっとほしくてポニーテールをしっかりつかむ本棚に村上がまた増えてゆく「コインロッカー・ベイビーズ」のほう映画のよう 最前列で観ることは初めてだから目は開けたまま* 本文の書体(ゴシック体と明朝体)は原文のまま。
2023.09.20
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坪野哲久(つぼの・てっきゅう)このくにのことばをにくみまたあいすおぼろめかしくこのしめれるを歌集『碧巌』(昭和46年・1971)この国の言葉を憎み、また愛している。曖昧で思わせぶりな、このじっとりと湿った言葉を。
2023.09.16
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塚本邦雄(つかもと・くにお)歌はずば言葉ほろびむみじか夜の光に神の紺のおもかげ歌集『閑雅空間』(昭和62年・1977)歌わなければ、言葉は滅びるであろう。夏のあとさき、短い夜のほのめきにラピスラズリの神のおもかげ。
2023.09.15
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永井祐(ながい・ゆう)パーマでもかけないとやってらんないよみたいなものもありますよ 1円第一歌集『日本の中で楽しく暮らす』(平成24年・2012)パーマでもかけてちったあシャレのめしてないとやってらんないっすよみたいな感じもありますよ。ポケットに1円。僕の価値も1円。註一読、これはたぶん石川啄木だなと睨んだ。しかもその代表作といえる二首「はたらけど/はたらけど猶なほわが生活くらし楽にならざり/ぢつと手を見る」や「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」(第一歌集『一握の砂』明治43年・1910)あたりである。作者がこれらの名歌の高度なパスティーシュを意図したのかどうかは、知らないしさほど問題ではない。短歌は、発表されると同時に作者の手を離れ一人立ちする。読者である私にとっては、この歌の紙背に啄木が透けて見えることがリアルにほかならないだけである。明治の啄木青年は、赤貧洗うがごとき境涯にあって、自己憐憫や自慰・自愛的な感情で「ぢつと手を見」たり「花を買ひ来て妻としたし」んだりしたのだろうが、裕福ではないにしろ赤貧は洗ってないであろう平成の祐青年は、自嘲・諧謔的な感情で上掲のごとく言ったりするわけだ。どちらも程度の差はあれ多少の芝居っ気が入っていると思われる。最近はカメラもデジタルになってしまって、写真フィルムも富士フイルムの社名に残るぐらいになってしまったが、まだなんとか通用するであろう割と適切と思われる比喩としていえば、この歌は啄木というネガティブ(陰画、否定的)に対するポジティブ(陽画、肯定的)である。あるいは、永井祐という高次関数(ファンクション)を通して変換(デコード)された啄木である、ともいえるだろうか。この変換方式が合わないと「文字化け」して見えることは、パソコンをいじっている者ならよく知っている現象である。作者をめぐる毀誉褒貶には、一部にこうしたいわば「文字化け」めいた現象が起こっているのではないかと憶測しているところである。日本映画史上の最高傑作の一つとして名高い黒澤明監督『七人の侍』で、侍のリーダー勘兵衛(志村喬)が諄々と名台詞を言う。橋本忍ほか脚本。うろ覚え「明日はいくさという夜にはな、城の中でもこういうことがたくさん起きる。人間、明日の命も知れんとなると、ちょっと浮ついたことでもせにゃ息苦しくてかなわんのだ。若い者の気持ちにもなってやれ。無理もないのだ。」も思い出した。
2023.09.14
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永井祐(ながい・ゆう)ベートーベン後期弦楽四重奏 ぴちぴちのビニールに透けている第一歌集『日本の中で楽しく暮らす』(平成24年・2012)こう見えても僕が密かに愛してやまないベートーベンの渋い後期弦楽四重奏曲。ぴかぴかの新品CDジャケットがぴちぴちで剝がしづらいほどのビニールのラッピングに透けて見えるこのわくわくなときめき。
2023.09.13
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俵万智(たわら・まち)むっちゃ夢中とことん得意 どこまでも努力できればプロフェッショナル『プロフェッショナル 仕事の流儀』NHK27日放送
2023.02.28
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俵万智(たわら・まち)言葉から言葉つむがずテーブルにアボカドの種芽吹くのを待つ『プロフェッショナル 仕事の流儀』NHK27日放送角川『短歌』2月号
2023.02.27
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)火の如くなりてわが行く枯野原二月の雲雀身ぬちに入れぬ歌集『捜神』(平成5年・1993)火のように燃えて私が行く枯れ野原で二月のひばりをこの身の内に入れたのだ。註短歌にいち早くシュルレアリスム(超現実主義)を導入した巨匠の歌は相変わらず難解・晦渋だが、きわめて魅力的なイメージが紡がれている。おそらく、例えば具象と抽象のあわいをいくシュールな絵画の一幅を見るように鑑賞すればいいのであって、論理的散文的な意味を探ってもあまり意味がないかも知れない。二月の雲雀:ひばりといえば、うららなる春たけなわの田園の「ピーチクパーチク」の声でおなじみの雄の求愛行動「揚げ雲雀」が直ちに思い浮かぶが、「二月の雲雀」とは、真冬にじっと雌伏する鳴かず飛ばずのひばりというような意味か。この辺りには微かに論理的な意味を読みとれるような気もする。
2023.02.01
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)藍青らんじやうの天そらのふかみに昨夜よべ切りし爪の形の月浮かびをり第一歌集『水陽炎』(昭和62年・1987)
2023.01.25
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永井陽子(ながい・ようこ)イタリア語のやうなひかりを持て来たる冬の郵便配達人は落書きは空にするべし少年が素手もて描く少女の名前龍之介の好みは鰤ぶりの照り焼きとおもひ出しつつ寒し 元旦歌集『モーツァルトの電話帳』(平成5年・1993)
2023.01.11
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)春ここに生あるる朝あしたの日をうけて 山河草木さんかさうもくみな光あり歌集『山と水と』(昭和27年・1952)註「生(あ)るる」の読みは、作者の孫でやはり歌人の佐佐木幸綱氏が確認している。上古語動詞「生(あ)る」の連体形。「生(あ)る」は、「生まれる」の意味だが、「生まれる」が「生む」の受身形であるのと違い、能動的・自発的であり、また神秘的・超越的な存在が出来(しゅったい)するニュアンスがある。現代でも、短歌表現では比較的普通に使われる。語源的には「あり(存在する)」と関係があるかも知れない。したがって、韻律上「朝」は「あした」と読むと思われる。
2023.01.01
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岡野大嗣(おかの・だいじ)ハムレタスサンドは床に落ちパンとレタスとハムとパンに分かれた歌集『サイレンと犀』(平成26年・2014)註う~む、上手いなあ。現代短歌を切り拓いている俊英による一首。短歌というものが五七五七七の韻律をもってする言葉のパズルであるという遊戯性を思い出させるとともに、ちょっと痛々しいようなリアリティが同居している。レタスとハムを挟んだ上下のパンが二回出てくるあたりの芸が細かくて、笑える。・・・おにぎりでは、こうはならないだろうね(笑)シュールな歌集タイトルは、英語「サイレント・サイ(静かな溜息)」に掛けてあり、これまたお洒落。
2022.12.21
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)さうぢやない 心に叫び中年の体重をかけて子の頬打てり歌集『希望』(平成12年・2000)註「頬打てり」という言葉を見れば文語訳新約聖書・福音書を思い出してしまう。文語体・旧仮名遣いが醸し出す「重厚化魔法」。あの明朗快活、人格円満かつ温厚篤実、頭脳明晰(おまけに美人)の小島さんの家でもこういうことがあったのか、表現上多少盛ったか。まあ、子供のいる家庭なら、たまにはこういう事態も起きるよね。特に、同性の母親と娘にはありうるかな。父親(わたし)と娘の間では絶対にありえないけどね。日常生活の一齣を鮮やかに切り取った秀歌。3、4句目の「中年の体重をかけて」が、現代短歌のリアル表現としての切れ味鋭いツボである。・・・さても、中年の母親の全体重をかけて頬を打たれた「子」とは、お嬢さんで現在やはり歌人として活躍している小島なおさんか、それともその妹さんだろうか(・・・どっちでもいいけどね)。
2022.12.21
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河野裕子(かわの・ゆうこ)たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏くらき器を近江と言へり歌集『桜森』(昭和55年・1980)註近江(おうみ):旧仮名遣い「あふみ」。「淡海(あはうみ)」の音便で、もとは淡水湖の意味。琵琶湖の古称。転じて近江の国(現・滋賀県)を意味するようになった。
2022.12.17
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馬場あき子音立てて燃ゆることなき朽葉焚き冬へ冬へとなだれゆくべし歌集『雪木』(昭和62年・1987)註晩秋から初冬にかけて降る時雨(しぐれ)などに濡らされて湿り気を帯びた朽ち葉は、焚き火をしてもぱちぱち音を立てることなく燻って燃える。その静けさと凛たる空気の中で、季節は冬へと傾いてゆくのだろう。
2022.12.11
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岡部桂一郎(おかべ・けいいちろう)しゅるしゅると雨戸を閉める向こう側十一月はもう戻らない卓上に地震ないのしずかによぎりしが途方に暮れし眼鏡ありたりさびしさの極みにあれば夜をこめて雪ふる音をきみは聞いたか間道にこぼれし米の白ぞ沁むすでに東北に冬が来たひと息に行人坂を吹き抜けて途方にくれる昼の木枯葡萄酒にパン浸すとき黒々とドイツの樅は直立をせり『岡部桂一郎全歌集』
2022.12.05
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前登志夫(まえ・としお)山の樹に白き花咲きをみなごの生まれ来につる、ほとぞかなしき*註 純白の花が咲いて、その花のような女の子が生まれてきたよ。その女陰の割れ目のかわいくて恥ずかしくて愛しくて切なくて哀しいなあ。古語「かなし」の持つすべてのニュアンスを用いていると解される。すみれ色の夜明けのひうちほのぼのと掌てににぎりしめ少年眠る*註 ひうち:火打ち石のことか。菫色(紫色)にほのめく光の中、火を熾したばかりの石を握りしめて~。・・・「少年」は作者の自画像か。単純に生きたかりけり花野行く女童めわらはひくく遅遅と歩みてひたすらにいま在る時をあがなへと歌ひ出づ夜の森から三人子みたりごはときのま黙もだし山畑に地蔵となりて並びゐるかも国栖くにす・井光ゐひか滅びしのちもときじくの雪降りやまず耳我嶺みみがに響とよもして若葉のなだり吹く風に問はずや過ぎむわが常処女とこをとめ歌集『縄文紀』(昭和52年・1977)
2022.12.03
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