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本年は、HP未熟な私にお付き合いいただき有難う御座いました。沢山のアクセスと書き込み、感謝です。明日30日より1月2日迄、私のテナントビルは正月閉館です。1月3日にしかコンピューターを触れません。残念ですが4日間の休業です。皆さん、よいお年をお迎え下さい。来年も宜しくお付き合い下さい。本年以上のアクセスお待ちしています。よろしくネ。
2002年12月29日
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奥ゆかしきことは日本人の美徳ですよネ。己をむなしゅうし、他人の気持を慮る。忘れがちな日本人の心です。ところで、世界的に見て日本とドイツのみがA型社会で、ラテン系はB型社会と言われています。前者は血液型のA型の人、後者はB方の人が多いのですよネ。A型は、まず社会ありきで、社会に自分を合わせていこうと発想し、B型はまず自分の考えや気持が優先され、自分と社会が合わなければ、社会が悪いんだと発想するそうです。そこで、日本人的に、自己主張をしない、イエス・ノーをはっきり言わないというのではイランでは通用いたしません。日本では、自己主張する=わがままと捉える傾向があります。しかし、自分が自己主張するということは、他人のそれもまた認めるということなんですネ。個人の権利を主張することは、他人の権利もまた尊重することに通じます。イランでは、自分の考え、事情などをはっきり主張し合うことから始まります。この対立は直ちに敵対することではないのです。違いを認め合った上でどうしようと考えるのです。彼らの商売も同様ですよネ。前置きが随分長くなりました。本題はこれからです。イランでは、いつ何時も主張することを忘れてはいけません。ホテルで予約してなくて、部屋がないと断られてもです。「私は確かに予約を入れておいた。このホテルをいつも利用しており、他にホテルも知らないし、ペルシャ語も話せないので、ここで断られたら行く所もない」と、少々大げさに、かつ大きめの声で主張してください。これを傍で聞いていたイラン人、放ってはおきません。「どうしたんだ。そうかそれは大変だ。部屋を用意してやれ」てなもんです。かくして、私はよき援軍のお陰で快適な夜を過ごせたのです。ある時、私の友人が車の接触事故に見舞われました。警官が来るまでは、お互いにお前が悪いと主張し合っておりました。警官が来たら来たで、ワーワーと繰り返しです。そして遂に、警官による判定が出たのです。予想通り、私の友人にぶつけた相手が悪いということになりました。するとどうでしょう。この相手、判定への若干の不満を残しながらも、態度を一変、今度は如何に自分は困っているのか、家族を沢山かかえ困ってることをとうとうと述べだしたのです。(通訳してもらいました)結論はこうです。私の友人、びた一文とらずにこの相手を許してあげました。かくかように、困ったら主張することを忘れないで下さい。人情家のイラン人、何とかしてくれます。優しいです、イラン人。怖い顔して。
2002年12月28日
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ここ数年、日本人のイランツアーなるものが行われています。テヘランのアザディ・グランドホテルで日本語をしゃべるガイドさんに案内された日本人の一行を見かけるようになりました。このツアーに、私の知り合いのご夫婦が参加されました。このご夫婦、年はまだ30代と若いのに、ペルシャ絨毯がとてもお好きで、遂に念願のイラン行きを果たされたのです。この日本人によるイランツアーをめぐって、今イランでは壮大なドラマが始まってしまっています。それは、日本人観光客の買うお土産をめぐる争奪戦です。知人のご夫婦によるならば、ある日、イスファハンの町で日本語のうまいガイドの案内で、このご夫婦以下十名ぐらいの方が絨毯屋に行ったそうです。このご夫婦は、私のトルコでのガイドの役割の話を聞いていたので、その場では絨毯を買わず、夕食後、ガイド抜きでその絨毯屋に行こうとしたらしいのです。付かず離れずついて来たのです。例のガイドさんですネ。仕方なく、その日はあきらめ、翌日再挑戦に及んだのでした。なんとかガイドに悟られずに絨毯を購入出来たまではよかったのですが、その後それを知ったガイドの態度は急変したとのことです。「口は利いてくれないは、睨み付けられるはで怖かった」とのことです。絨毯屋のおやじさんによるならば、このドラマの裏では、ガイドが40%もの法外なバックリペートを要求していたとのことです。このご夫婦は2枚の絨毯を、ガイド抜きでおよそ60万円で購入、その他の方々はガイドを通じて、総額約300万円使われたらしいのです。〆ておよそ360万円の金が動いたのですネ。我々でも、360万円は大金です。ましてやイラン人にとっては、サラリーマンの年収の6年分位のお金なんですヨ。我々にとっての2400万円位だと思って下さい。勿論、バックマージンはガイドが独り占めする訳ではありません。日本の旅行社から利益の取れないイランの旅行社の利益になるはずです。しかし、日本の旅行社からは決して望めない極めて膨大な利益なんですよネ。かくして、ガイドはこのご夫婦から二十数万円儲け損ないました。彼のおよそ半年分の給料です。態度の急変もうなずけるというものです。今や、人懐っこくてやさしい、何処までも暖かなイラン人の心が、観光客ずれし、醜くゆがみ始めようとしています。どうか皆さん、イラン人にぼろ儲けの味を教えないで下さい。正当な、イラン人価格で物を買う自信のない方はイラン行きご遠慮下さい。イラン人の本来の心を守って下さい。あぁ、日本人ツアーが世界をダメにする。
2002年12月25日
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無理してしまいました。「ペルシャ絨毯 古典美の世界」河出書房新社刊 48,000円。買ったのです。この本、テヘランにある「イラン国立絨毯博物館」所蔵の歴史的な絨毯を日本人写真家・山崎秀司さんが撮った力作です。「この本を見た人は、ペルシャ絨毯がアートなんだと捕らえられるようになる。外国人として世界で始めて撮影を許可された」という山崎さん直々の紹介で、買うことにしました。この博物館、私は過去5回位見に行ってます。そして、この博物館所蔵の絨毯の絵葉書は、2回買いました。にもかかわらず、今回、こんなに高い本まで買ってしまいました。ほんと物好きです。我ながら。載ってましたよ。カシャン産の19世紀後期に作られた絨毯。登場人物は5人です。王様が冠をかぶり、馬にまたがっております。手には弓矢。「パエリダエザ」で狩をしているのですね。ここで豆知識。「パエリダエザ」とはその昔、王侯貴族が狩を楽しむために、泉を作り、草花を生い茂らせ、動物を放し飼いにするという、夢の楽園を作ったと言われています。その楽園=パラダイスの語源となっているのが「パエリダエザ」らしいのです。王の傍には妃が、これまた冠をかぶり、手には鷹をとまらせています。第二夫人も馬にまたがっています。冠をかぶった若い男は王子なのでしょう。スカーフをまとった二人の女性は従女でしょうか。王の馬の足元には、狩猟犬が三頭、鹿や兎を追いかけています。草花は、色とりどりに咲き乱れ、木々には小鳥が飛び交っています。泉はコンコンと湧き出し、アヒルが群れ遊んでいるのです。王朝文化華やかかりし頃の情景を生き生きと描き出した傑作です。ところでなんです。例によってこの5人、あれなんですヨ。繋がっているのです。眉毛が。流石に、二人の妃はこころもち薄いとは言え、王子はもとより、二人の従女までもが、クッキリとなんです。ハイ。私の友人のイラン人、事あるごとに口にします。「This is the Iran.」
2002年12月21日
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副題:「イランはアジア」?始めてイランに行った時のことです。尿意を催した私はトイレに駆け込んだのです。あっ!しまったーッ!やばいーッ!ペルシャ文字は、ミミズが這ったようで、俺には読めないんだ。イランは、厳しいのです。レストランやバスでさえ、男女別なんてところも時にはあるのですから。ん?待てよ!イラン人の男はスカートはかないよな!いくら確かめても、私の入ったトイレにはズボンをはいた人の絵が、隣にはスカートをはいた人の絵が書いてあるではありませんか。そうなんです。イランの男性用トイレには小便器がないのです。男性も大便用の個室に入り、ズボンとパンツを降ろして、しゃがんで用を足すらしいのです。とはいえ、彼ら全てにカマっ気があるわけではありませんので、ご安心あれ!私の場合、小便は立ったままでご勘弁下さい。問題は、大便です。イランの便器、長方形です。しかるに、洋式ではないことは一目瞭然、しかし和式ではない。こいつは困った。どちら向きにしゃがむのやら。例のキンカクシなる、前方をはっきりと示して余りある代物がないのですネェ。イランの便器。ところで、イランは水洗です。(だから、驚かないように。言ったでしょ。先進国だ!ってネ。)日本の場合、水は後ろからタンクのある方、すなわち前にながれますよネ。イランは逆で、タンクのある方から出てきます。従って排泄口はタンクの逆側です。然るに私、今だ、どちら向きにしゃがむべきか確信のないまま、タンクを前にして利用しております。これでいいのか何時も疑問です。更に問題は、用を足した後です。トイレットペーパーがないのです。見れば、便器の横に蛇口とその先には金属製の蛇腹になったホースが。そうなんですネ。これを右手に持ち、左手で洗い流すのです。うひょーッ!左手ですよ。右手は食事のためにとって置いてください。ホースがあればラッキーです。ジョーロの親玉みたいなのを置いてあるだけのこともあります。うまく使ってください。かくして私目、トイレのたびにパンツや靴下をびしょびしょにするのでした。かくかように、イランはアジアにしてアジアでなく、テクニックの要する国だったのです。実にイランは難しい。
2002年12月19日
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中近東と呼ばれているイラン。西アジアとも言われます。トルコのイスタンブールの町の中心を流れる(これは文字通り流れています)ボスボラス海峡の西はヨーロッパ大陸、東はアジア大陸です。同じひとつの町が、ヨーロッパとアジアにまたがっているのですねぇ。まさしくここで、東西文明が出会い、交じり合ってきたのです。このトルコの東に位置するイランは、当然アジアです。我々と同じアジアだーッ!と思える事柄がいくつかあります。彼らもまた、家に入る時靴を脱ぎます。して、スリッパを履く習慣はないようです。あぁ、スリッパはどうでもいいのです。本来彼らは、椅子の生活ではありません。彼らの家の石の床にはペルシャ絨毯が敷かれており、彼らはその上に直に座ります。アグラをかいたりしてね。ほらね。胡椒、胡瓜、前にお話ししたでしょう。アグラには、同じイランを意味する「胡」の字が使われているでしょう。「胡坐」とね。胡坐とはイラン式の座り方のことだったのですねぇ。更に嬉しいことには、礼儀を重んじるイラン人は、敬語を使うだけでなく、なんと正座の習慣があるのです。やっぱりアジアですよね~。 <つづく>
2002年12月17日
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かくして、彼女は45万円で絨毯を買ったのでした。6倍さえしておけば、彼女は270万円でその絨毯を買ったことに気づいたでしょう。それはともかくとして、トルコは物価が日本の六分の一であることを念頭において、そろそろあなたは、目の前の商品をいくらで買いたいのか決める時が来ました。今や店主は45万円という日本人価格で売りつけぼろ儲けをしようと考え、あなたは20万円という正当な価格で買いたいと考えています。彼らはよく、「では、あなたはいくらならいいのですか?」と逆に質問してきます。あなたの腹を探ろうとしているのですネ。早い段階からこの質問に乗ってはいけません。値段交渉が佳境に入り、お互いの腹が決まった頃にスペードのエースは切って下さい。この時、この商品の妥当な値段が20万円と仮定しておきましょう。そして、あなたが10万円で買いたいと言えば、彼は直ちに非常に怒って商品をかたずけだすでしょう。しかし30万円とあなたが言えば、一瞬渋い顔を見せてから、「私はあなたの事が好きだから」とか何とか言いつつ、40万円までしてやるとなるでしょう。要するに、怒らないし、かたずけないのです。これはもう明らかに失敗です。ですからして、怒らせないと、しかも一度かたずけるふりをさせないといけないのです。日本でこんなに怒って、商品をかたずければ、客は逆に怒って帰ってしまうと思える位の勢いです。すごいです。ビックリしますヨ。でもあなたはそんな勢いにビビってはいけません。「あぁそうか、そこまでは出来ないんだな」ってな具合に冷静に「まあまあ、そんなに怒らずに」と一度店主をなだめて下さい。これでやっと土俵はととのいました。後は存分にあなたの日頃鍛え上げた腕を発揮して下さい。短時間で決着しようという考えは禁物です。彼らの時間は、我々とは違ってゆっくり流れているのです。トルコとイラン、基本は同じです。違いを少々のべます。もしあなたが指値(25万円にしろ)をして帰るふりをしたとします。トルコは追いかけてくるでしょう。20万円以上の時は儲かりますから。でもイランは追いかけてきません。彼らは誇り高い商人です。「本当に欲しければ戻ってくる」と考えるのです。これが、観光客相手に商売をしているトルコと観光客などほとんどいないイランの違いです。もうひとつ、イランはトルコほどはふっかけないと言えます。同様の理由で。いずれにせよ、「こいつはあまり知らないな」と思えば高く、よく知っているなと思えば安く言って来ます。一にも二にも勉強です。更に一言付け加えさせていただきます。この通り実践されたからと言って成功するかどうかは保証の限りではありません。当方一切の苦情は受け付けません。失敗は成功の元とおあきらめ下さい。何せ、はじめに言ったでしょ。相手はシルクロードで交易が始まった頃からこんな駆け引きを行っている商人の末禽なんですから。でも私、優しいですから必ず成功する方法、ひとつだけお教えします。それはネ。あなたが信用できる現地の人と一緒に買い物に行き、値切ってもらうことです。信用できる人ですヨ。あなたトルコで、3000円のスカーフ1500円に値切って喜んで買ったでしょ。そう、それ、そのスカーフ500円で買ってくれますから。
2002年12月15日
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悠久のシルクロードで商売を積み重ねてきた、連戦練磨の商人から値切ろうというのですからダイソレタ話しです。トルコでは、前にお話ししたように、日本人観光客はおよそ3倍で買わされているのでした。ぼられない為の秘訣は、買わないことなんです。そんな当たり前の冗談を言うなってェ?イエイエ、買いたいのでしょう?しかも安く。だからネ、買わないのですよッ!まずネ、欲しそうにします。欲しそうにしたら、高くなるって?う~ん、そッかぁーッ!じゃぁ、値段聞いてから欲しそうにします。これだといいですか?それだと同じですか?ちと違うでしょ!でネ。買わないんですヨ。欲しいんだけど、ちと高い。その値段では欲しくない。ここ難しいですよ。うまく演じてくださいネ~。ハイハイよそ見しないでよ~く聞いてくださいヨ。ここでは、店主の口から「○○にまけとくよ」と言わせてください。・・・・・でも買わないですよ。言ったでしょ。買うための鉄則は買わないこと。この客は買わない客だと思わせてはいけません。でも、お金をいっぱい持っていると思われてもいけません。だからと言って、お金がないというのもダメです。難しいですネェ。だから、お金ないこともないが、この商品にそれだけもは使えない。と言うことにしましょう。お金は腐るほどあるが持ち合わせがないだと、クレジットカードでいいなんて言い出しますから。日本人のカードは信用ありますからネェ。して、商品は褒めてください。欲しいのですからネ。褒めましょう。ケチをつけてまけさそうという魂胆の方、時々見かけますが、買えなきゃそれでもいいって時はそうして下さい。でも、本当に欲しい時は褒めましょう。しかるに、今日、もうこの町や国を立ち去るってことにして下さい。この商品をこの店で買うチャンスは今だけだ。とネ。もう二度と買いに来れないんですヨ。こうした間に、店主の言っている値段は日本円にしていくらなのか計算して下さい。それだけだとだめですよ。それだけだと、「ほぉー、1,000円かぁ、安い」と思ってしまいますからネ。これだと3倍で買ってしまいかねませんから。掛け算をお願いします。物価がトルコは日本の六分の一位ですから、かける6=6,000円という様に。これ案外やらないんですネェ。日本人。ある女性ですが、トルコで45万円で絨毯を買ってこられました。勿論カードで。日本のデパートでは120万円位はすると言われてネ。でも彼女、かける6を忘れたのです。お解りですよねぇ。45万円は彼らの平均月収からすると、我々の270万円に相当します。もし本当にその絨毯、日本で120万円の価値があるというのなら、トルコで20万円位で売られていなければなりません。実際、日本で買っても20万円位迄の代物なんですよ。まあ彼女若かったのでぼられなかった方でしょう。おばさんだったら、もっと腹立たしい結果だったかもしれません。 <つづく>
2002年12月14日
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私、とある絨毯の本を見ました。イラン上陸を果たしていなかった頃の話しです。そこには、古いペルシャ絨毯の写真が載っていました。それは、アフシャル朝の王、ナデール・シャーを描いた絨毯でした。「何だッ!これは!」。その時、理解不能の違和感が私を襲ったのです。この王様には、左の眉毛は在るが、右の眉毛がない?イヤ、待てよ!違うぅー??右の眉毛は在るんだ。して?左がないの?ウーム?「オーイ!ルーペ何処だった?虫眼鏡だよッ!」「おぉー!こりゃよく見える。どれどれッ」いくらよく見ても、確かに眉毛は在るのだが、それは左なのか右なのか判然とはいたしません。「ん?ありゃー!」新たな驚愕的事実の発見です!!王の他に、家来と思しき人物が二人。このうちの一人もやはり!またまた、妃らしき夫人、第二夫人、第三夫人、これらの女性のうちの一人も・・・・。事ここに至っては、絨毯の織り間違いの類や印刷のミス、はたまたヨゴレでもないと思われるのです。そうなんです。確かに絨毯に描かれているこれらの人物の「眉毛は真一文字に繋がっていた」のです。物忘れの至ってよろしい私は、その後、この摩訶不思議な体験などすっかり忘れてイラン行きを決行したのでした。カシャンの町に行った時のことです。ある友人の家に招かれました。私は、彼の奥さん並びにお嬢さんと思われる人影を目撃は致しました。チラッとネ。しかし例によって、チャドールに身を隠し、紹介もされないので「らしき人影」でしかありません。テヘランとは大きな違いです。それはともかく、そのお嬢さんのご主人が現れた時なんです。私は、ハッと息を呑み呆然と立ち尽くしたのです。挨拶するのも忘れて・・・・。。。そこには、とっくの昔(1747年)に死んだはずのナデール・シャーがにっこりと微笑み、握手を求めているではありませんか。「サラマレコム。ハレーショマーブベ?」「メルシー。へィりフベ」なんて挨拶しながらも、私はと言うと完全に「うわの空」。「あの絨毯だ!!!」とつぶやいていたのでした。かの絨毯の記憶が忘却の彼方から蘇ると共に、私の中の「世界の七不思議」のひとつが氷解していくのでした。それからと言うもの、私の情熱は、イラン人の眉毛の観察に注がれたのは言うまでもありません。注意を払えば、これまで見えなかったものまで見えてくるものなんですネェ。「あの男性、見た~ッ!」「おッ、この御仁もだーッ」ってなもんです。イスラム圏においては、成人男子の象徴として髭を蓄えている人がほとんどです。中でもイラン人、髪の毛も黒く、額も狭い方。眉毛が繋がっている人は当然毛深いのてすからして、このお方、顔中毛だらけといっても過言ではないでしょう。更に、これはごく稀なケース、とはいえ「ヤンバルクイナ」や「琉球山猫」のように発見には非常な困難を要するというほどではないのですが、いらっしゃるのです。女性が。チャドールの隙間から見てしまいました。突然ですが、皆さん、この話題はこの辺で終わらせていただきます。<お断り>眉毛の問題は、彼らの単なる身体的特徴にしかすぎず、身体的欠陥では決してないばかりでなく、ましてや人格的欠陥ではないことは言うまでもありません。私の知人の義理の息子さん本当に真面目でいい人です。他の方々も私の愛してやまないイラン人と思われます。少し面白おかしく話題にさせて頂いたこと、ここにお詫び申し上げます。
2002年12月12日
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アケメネス王朝の宮殿ペルセポリスの外門には、大きなクサリがぶら下がっていたと言われています。これは、門の飾りではなかったのですネ。国民が、日々の生活の中でもめごとが起こった場合、何時でもこのクサリを引くことが出来たそうです。その通り、これは「ザンジーレエドラッド」(裁きのクサリ)と言われ、ダリオス大王がもめごとを解決してくれたそうです。あるイラン人、得意気に教えてくれました。紀元前500年頃には、イランは既に無法地帯ではないばかりでなく、裁判が制度として確立していたのです。「イラン?大丈夫?怖そ~!」なんてこと、ユメユメ言わないようにネ。お願いしますヨ。そして今も、本当に犯罪の少ない国イラン。「おォ~、こんな所にいいものがぁ、これぞアラーのお恵み」とお借りする人はいるようです。これを「泥棒」と言うんだそうですがネ。でも日本は今、ヒッタクリ、強盗、殺人天国状態・・・・イラン人に「日本は怖いんだって?」と言われるかも知れませんですヨ。
2002年12月10日
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皆さん、イランを「物価の安い後進国」と侮ってはいけません。はたまた、「高速道路があるの?」なんてことで驚いてもいけません。世界の文明の発祥の地は、チグリス・ユーフラテス川流域であると言うことはご存知の通りです。学校で習いましたよネ。そこから程近いイランの歴史も、紀元前7,000~6,000年頃にまで遡る、悠久の彼方からのようです。紀元前550年頃、今からおよそ2,500年以上前に、イランでは既に王朝文化が花開いていたのです。アケメネス王朝ですネ。イラン南部に、当時の首都であったシラーズと言う町があります。ここに、ペルセポリスというアケメネス王朝の宮殿跡が残されています。紀元前に王朝が存在し、広大な宮殿が100年がかりで作られたと言われています。王朝が存在したと言うことは、国があり、市民生活がきちんと存在していたということですよネ。紀元前500年にですよ。その遺跡、ペルセポリスには、巨大な石像が施されたクセルクセスの門をはじめとし、各種彫刻や石柱などが残されています。これは雄大、かつ圧巻で、荘厳でさえあります。痺れますネェ。また、壁一面に彫られたレリーフも、当時の権力の強大さと絢爛豪華ぶりを偲ばせています。このように、当時既に建築学が確立し、その下に宮殿をぶっ建てる財力と権力が備わっていたのです。そればかりではありません。いいですか、そこでは香りを楽しみ、高度な技術で織られた絨毯を使っていたことも判明しているそうなんですヨ。なんと。腹を満たすことに汲々としていたのとは訳が違います。かくのごとく、悠久の歴史を誇るペルシャ民族は気高いのです。上野公園辺りにたむろし、麻薬とナンパにうつつをぬかしていた輩は、イラン人の恥さらし者だったのですヨ。お解りいただけましたでしょうか。
2002年12月09日
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もうこれは、下品です。トルコも同様ですがネ。うッへェーッ!なにッこれーッ!ってなもんですネ。まことに。何がってネ。高速使って行ったでしょ。クムへ。クムは、日本では、クムとかコムとか言う人がいますが、本当はゴームなんですヨ。スペルは、GHOMですからね。まッ、それはいいのです。どちらでもネ。この街、あぁ、そうそう、またまた話がそれますが、いいですよネ。急いでないでしょ?イラン人にクムは「街じゃないでしょ、村でしょ」と言ったら、「村!?!」って言ってひっくり返っていましたです。ハイ。この街ということにしておきましょう。そのクム、何にもないところなんです。純金のドームを持つモスク以外は。塩湖に近いこともあって周りの砂漠も塩分が強いのか、この街は緑も少なく茶色一色と言っても良いほど殺風景なところなんです。街の入り口に、観覧車とちょっとした遊園地みたいなのがあるのがご愛嬌なんですがネ。しかし、この殺風景な街は、言わずと知れたシルク絨毯の産地です。色とりどりの美しいシルク糸で織られた華麗なペルシャシルク絨毯のネ。日本のような四季折々に綺麗な自然や花が楽しめる国においては、わびさび文化と水墨画がもてはやされ、イランのように土漠の世界では、泉にこんこんと水か湧き出し、草花が咲き乱れ、動物が群れ遊ぶ美しい永遠の楽園が求められるんでしょうネェ。と言うことで、綺麗なシルク絨毯の花が咲いています。またまたですが、イランに行かれた際にはくれぐれも「綺麗」と言う言葉は慎んで下さい。絨毯を高く売りつけられるから。ではありません。「キレイ」というのはペルシャ語で「男性器」を意味するようです。日本人の女性がシルク絨毯を見て「ワーッ、綺麗」なんて目を輝かせていると、男ども「クスクス」笑っておりますから。お気をつけ下さい。えーと、今日の話はっと、甘いでしたよネ。そう、「スイーツ」と言うのですから甘いんです。でもネ、限度があってしかるべきと思いませんか?クムのお菓子ですヨ。円盤状なんです。その妖怪は。クッキーと言うほど柔らかくもバター風味もありません。原料は小麦粉とビスタッチオに大量の砂糖、更には若干の湿り気とベタベタ感のために蜂蜜といったところでしょうか。ふんわり感はいりませんので、重曹の類はご遠慮下さい。あくまでもペッタリとお願いします。こいつは甘い。尋常な甘さではない。こいつを勧める勧める。断ろうが何しょうが。あまり食べないと遠慮していると思うのか、帰りがけにドッサリとお土産として持って帰るはめになります。何とかなりませんか。一度だけ日本に持って帰ったことがあります。重たい目をしてネ。皆さん召し上がられました。一口だけ。
2002年12月06日
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「イランは大変だ」と言っても、イランが大変なわけではない。私にとってイランは大変なんです。皆さんは、私が純粋に「イランが大好き」であり、しょっちゅう「イランに行きたいと思っている人間だ」とお思いですよネ?ところで、イランに行こうと思えば、最低でも約13時間の飛行機の旅を覚悟しなければなりません。しかもです。私は関西に在住しているので関西空港が便利なのですが、イランエアーは、私の都合などお構いなしに成田の発着便しか用意してくれてはいないのです。夜が明ける前に起き出して、朝一番の飛行機で成田まで行き、5~6時間時間をつぶしてから13時間のイランエアーなんですネ。要するに、家を出てからテヘランのホテルの部屋にたどり着くまでおよそ丸一日かかるのです。関空からの発着便となると、トルコエアーなどという手もありますが、それとてイスタンブールで、行き帰りで計3日間のトランジットを余儀なくされてしまいます。従って、何時落ちても不思議でない骨董品(747SPなどという、その昔パンナムが太平洋航路に一番最初に導入したジャンボと同型機であるそうな)に意を決して身を任せるのはめになるのです。そればかりではありません。イランに奇跡的に着いたは着いたで、これまたポンコツタクシーに乱暴運転、はたまた6時間の時差と低い気圧、薄い空気と戦わなくてはなりません。眠れない夜との付き合いなんですよネ。また、夏は水あたりと称する発熱を伴う激しい下痢に襲われたりもします。例の鼻に取り付く頑固なやつもネ。ありとあらゆる敵が襲い掛かってくるのです。ここで、イランの食事があわない人は、まずイランを好きにはなれないし、金輪際「イランに行きたい」などと言う無謀な欲求を持つはめにはならないでしょう。その国を好きになると言うときに食事の比重は大きいのですねェ。かれらは、健全・健康に生涯を過ごされると思います。私はと言うと、今まで海外で現地の食事で困ったことはありません。しかも、イランの食事も大好きときているのです。かくして、ここから私の不幸がはじまるのです。何故なら、私をして、しょっちゅう「もう行きたくない」と思わせる国がイランなんですから。「イランは大変だ!」なんですヨ。驚かれましたでしょうか?まぁ、驚かれないまでも、「へェ~」ってくらいにはお願いします。少しばかりは力(リキ)入れて書いてますからネ。でもネ。時々無性に行きたくなってしまうのですヨ、これが。かくして、私、現在エントリービザの申請中です。ハイ。「行きたくないのに行きたい」「行きたいのに行きたくない」これが、私の自覚症状のひとつです。厄介な病気でネェ。
2002年12月05日
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イランは、その国土の三分の二以上が土漠であった。荒涼とした土と瓦礫の大地のほんの僅かの地域に水が湧き出している。そこがオアシスであり、人間の住める町や村です。これまでの日記で書いてきたように、この地の自然は厳しい。冬は私にとってはまだましな方である。気温が氷点下になり、雪も降るとは言え、日本のように木枯らしが吹かないので凌げる。より厳しいのは夏でしょう。灼熱と呼ぶにふさわしいかの高温。カラカラできわめて埃っぽいのです。先にお断りしてさせて頂きますが、これからの話はあまり綺麗とはいえませんので悪しからずご了承下さい。埃っぽいので、吸い込んだ埃を追い出そうと鼻汁が出るのでしょう。流れ出てこないので、あくまで「でしょう」なんですネ。そこでです。カラカラ故に、鼻の奥に出てきたところですぐに干からびるものと思われます。わが鼻の奥では、かくかようにに死闘が演じられているらしいのです。鼻汁が出る、干からびる。また出て干からびると。今や、私の大して高くも大きくもない鼻は、干からびた鼻くそがこびり付き満杯、窒息寸前、口での呼吸を余儀なくされております。そればかりでなく、そのような湿り気のない頑強な代物を蓄えなれていない私の鼻は、痛みすら覚えだすのです。静かに呼吸している時でさえヒリヒリと。何かの拍子に手などが、鼻に触れようものならズキン!とばかりになのですネ。こうした場合、皆さんご注意下さい。むやみに、チーン!なんて鼻をかんだり、ましてや指などを用いて鼻くそを「ほじる」などという、無謀な行為にはくれぐれも及ばないで欲しいのです。よろし御座いますか。イランの夏に製造されるこの頑固極まりない妖怪は、鼻の粘膜を死んでも放しはしないのです。従って、鼻の粘膜の方があなたの鼻から引き剥がされてしまう結果となってしまうでしょう。要するに、おびただしい鼻血に見舞われてしまいます。そこで、私の編み出した対処法をお教えいたします。まず、ぬるめの湯で風呂を満たしてください。湯が張れましたら、なるだけ服は脱いでお風呂に浸かって下さい。身体を出来るだけ沈めて、鼻が浸かるか浸からないかの位置にてゆっくりとお風呂を楽しんで下さいネ。呼吸は深く、鼻からですヨ。ほら、ぬるめといったでしょ!いつもの温度ではのぼせちゃうんですヨ。1時間位チャポチャポして頂いたら、恐る恐る鼻に水を入れながら、フゥーンとなさるがよろしかろうと思われます。この時も、決してチーンだけはお避け下さいませ。しかも、潔癖主義、完ぺき主義が頭をもたげようとしたら、死力を尽くして押さえ込んで下さい。このように、イランの夏は厳しいのです。お解りいただけましたでしょうか。
2002年12月03日
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イランにだって高速道路はある。そこで私は、その高速道路でテヘランからクム(ゴーム)へぶっ飛ばすのでした。片側3車線、休憩なしで一路南へ3時間と少々。快適なドライブと言いたいのですが、そうでもありません。なにせ、景色がほとんど変わりません。見渡す限りのカヴィール砂漠です。ここで皆さん、あの自然の作った芸術作品とでも言えるような風紋、サラサラと流れ落ちる砂丘をラクダがなんてイメージをしないで下さい。点在する小高い岩山。それも、悠久の年月の果てにそこそこ風化し、ボロボロと崩れそうな岩山。それと、そのボロボロ岩山が更に風化した瓦礫、もっと進んで土。そうなんです。イランの砂漠は砂漠ではなく、荒涼とした土漠、土と瓦礫の不毛地帯です。そこにほんの少し、いばら状の下草をちりばめて下さい。さらに、その下草さえも枯れ果て、風によってカラカラと大きなボール状になって転がるやつ・・・・ほら、西部劇の決闘の場面、クライマックスですネ。まだ打ち合いは始まっていませんヨ。一番の緊張のときです。効果音がテケテケテケン。フィユゥー!なんて風が吹くでしょう。すると砂埃と共に転がりながら登場するやつ、あれですよ、あれ。その「あれ」をひとつふたつ彩りに飾って下さい。ハイ、イメージ、頭の中に出来上がりましたでしょうか?そうした、ワンパターンの景色、地平線の彼方まで続く土漠の中の一本道。当然サービスエリアなどという気の利いたものなど望むすべもなし。ハンドルほぼ固定、アクセルもクルーズコントロール状態にて爆走。景色にもううんざりとし、頭はボンヤリ、押し寄せる睡魔と闘っていた頃、それは突如現れるのです。左(東側)前方に湖が出現するのです。見渡す限り真っ白に。(冬の場合は初めから終わりまで雪で真っ白です。従って湖は出現いたしません。ひたすら睡魔と闘うのみです、悪しからず。)「真っ白じゃネエだろう。真っ青だろう」って?イィエェ、水が一滴も無いので真っ青とはいかないのです。水の無い湖、そう、塩湖なんです。これこそ、太古の昔、イラン高原が海底であったことの証しです。天然ミネラル塩の宝湖、あッ!イヤ、宝庫なんですネ。見渡す限り。羨ましいですねェ。日本は周りが海だらけなのに天然ミネラル塩は高いのだッ!あぁ、あなたも買っておられますか。露天掘りですゾ!露天掘り。うーん、縦掘りじゃなくて、集めるだけだから「露天塩採取」?
2002年12月02日
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