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1925年(大正14年)に日本でNHKラジオ放送が開始されましたが、その頃アメリカのメトロポリタン生命保険会社がラジオ体操を始めました。それは会社のイメージアップのためだと言われていますが、健康を促進して保険料の支払いを抑えようという目的もあったのではないでしょうか。それが成功したかどうかはわかりませんが、ラジオ体操は数年後には日本に上陸し、今では日本にすっかり根付いています。特に夏の朝のラジオ体操会は日本の風物詩にまでなっていますね。これは東京・神田の面高巡査さんが子供達のために始めたそうです。小さい頃から嫌になるほど聴かされたこの体操音楽ですが、これをじっくり聴くと結構いい。ドラマチックでリズミカルでよく出来てます。なかなかの名曲だと思います。ラジオ体操第一は高らかに序奏が始まり、なめらかなリズムで腕を振る運動から様々に変化する旋律のバリエーションが続きます。そして転がるような鍵盤の動きに合わせて身体を回し、それから軽ろやかにスタッカートをきかせて飛んだ後、躍動する身体を静めるようにゆったりとした演奏に変わり、最後の呼吸を整えて厳かに終わるという見事な展開です。服部正という方の作曲です。 一方ラジオ体操第二の音楽は、体操がストレッチとポーズを主にした動作なので、ピアノもリズムを押さえてゆったりとしています。個々のフレーズに連続性が少なく、ちょっと散文的な構成なので、私はサティの小品集を思い浮かべてしまうところもあります。このピアノはまるで人を呼び寄せるように華やかで陽気に始まります。そして唐突に軽くはねるようなかわいいフレーズに変わります。次にロシア民謡のような重さのある旋律や、憂いを含んだ旋律やなめらかな旋律などが次々と繰り出され、さらりと終わります。ラジオ体操第一の組曲のようなまとまった印象はありませんが、それぞれのフレーズに個性と味があるので飽きません。こちらはなんと團伊玖磨先生の作曲。偉そうな分析をしてすみません。ラジオ体操第1・第2ラジオ体操第1 (ピアノだけ)いやあ、聴き応えがありました。もっといろんなミュージシャンが演奏してくれたら面白いだろうなあ。アシュケナージとか、チック・コリアとか、キース・エマーソンとか...。と思ったら、やっぱりモノ好きな人がいて、これを短調で弾いてました。ラジオ体操第一を短調にしてみた【sm2504090】これはなかなかサマになってます。渋く、重く含みを持たせた展開で、哀愁に満ちたシリアスなドラマを感じさせますね。NHKの「サラリーマン体操」もこの短調でやればかなり悲哀感は高まるでしょうね。サラリーマン体操そういやあ、フィリピンで観光名物になってるという刑務所でのアルゴリズムダンスの元祖、NHK番組「ピタゴラスイッチ」の「アルゴリズム行進」も見て面白い体操ですね。Algorithm March (Arugorizumu Koushin)でもやっぱり自分も楽しくやりたいという人は何と言ってもこれ。福島名物「やきとりじいさん体操」。岡田麻紀先生。やきとりじいさん体操レッスンこのところ肩も腰も痛くて動きません。私もせめて柔軟体操かわりに軽くやってみましょうか。はい、♪やきとり、♪やきとり~♪♪ いてて!
2009/01/31
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今日の朝日新聞の文化面に今和次郎さんのことが載っていて久しぶりに「考現学」を思いだしました。つまり「考古学」に対して、現在の生活を研究するのが「考現学」、それを始めた人。まさに「考現学の父」。今和郎先生は早稲田の教授で、最初は柳田国男氏について民俗学を学んだが現代の人々の生活に興味を持ってとんでもない調査研究を始めて、柳田氏から破門されたとご本人は語っておられる。私も学生時代に彼の「住居論」に出会い大いに感銘しました。そして、大金をはたいて買い込み、バイブルとして今も大事にしまってあります。(全部読んでないのですが)その最初のページは戦災で家を失った人たちが暮らす廃棄されたバスの家の研究です。洗面器から寝具からマッチまで、あらゆる生活用具の場所が絵やリストで克明に記録されているのです。つまり住まいの原点を詳細に記録したデータベースです。藤森照信氏編集の「考現学入門」には今氏が残したさまざまな記録と軽妙な文章がつまってます。田舎のブリキ細工の樋の形状記録、茶碗の欠け方、群集の溜まり方、学生の髪の分ける位置、町内の犬の種類...。また現代もマーケティングで使われている定点観測として、銀座や下町を歩く人の種類やその服装、どちらの手に荷物を下げているか、口を開けているかどうか、洋服の破れている部位などなど...。いったい何のために、と誰もが口に出すでしょうが、彼はおおまじめに「民俗学としての統計の採取である」と答えています。だけどどこか、調査する事そのものを楽しんでいる雰囲気もありますね。またこんなのも調査してます。彼の住居の近くの井の頭公園ですごす人々。何処に何組、どんな人が何をしているか、食べているのは何か...。そして、この公園で自殺した人の職業や場所や方法など。彼は知らせを聞くと飛んで行って現場を克明に検証したそうです。同じ空間で見られる生と死、それを見ると厳粛な気持ちになるとも語っています。しかしこれだけの努力で集めた昭和初期の膨大な資料は、工学院大学に眠ったままです。「考現学」は学問として学会には認知されていないようです。ただ、先生の影響を受けて、形は違ってもそれなりの記録を未来に残そうとする人たちはまだまだいます。それが今先生の残した遺産なのかもしれませんね。たとえば赤瀬川源平氏や藤森照信氏ら「路上観察学」の人々は「考現学」の影響を大きく受けた一派ですし、ホテルなどの克明なイラスト記録を残す妹尾河童さんとか、様々な若者の部屋を撮影した都築響一氏の「TOKYO STYLE」などにも「考現学」の香りを感じます。これらは、20世紀末から21世紀初頭に生きる我々の生活文化のデータベースとして、大切に記録されるものなのです。
2009/01/25
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「○○の父」つながりで「Bluesの父」のお話をしましょう。4-5年前がブルース誕生100年だったので、イベントやら映画やらでご存知の方も多いと思いますが、ブルースの父といえばW・C・ハンディです。だからこの世で始めて生み出されたブルースソングはったいどんなのか、と気になって探しましたが、やっぱりこれも「へ...?」と思わせるモノでした。「メンフィスブルース」と言う曲ですが、なんかデキシーのような、ラグタイムのようなほんわかした曲です。我々がブルースと呼ぶジャンルの音楽とはずいぶんズレています。なぜか、それが気になって調べると、ブルースという音楽のジャンルが出現するいきさつを知る必要が出てきました。「1903年、田舎の駅で、黒人ミュージシャン W・C・ハンディは「かつて聴いたことのない、奇妙な音楽」を奏でる男に出会った。その音楽に興味を持ったハンディはそれをもとに曲を作り、それをブルースと名づけた。それが黒人達の音楽をアメリカ社会に認めさせ、広がるきっかけとなった。」しかしW・C・ハンディの著書「Blues An Anthorogie」によると、上記のような伝説とは少し異なっています。彼はすでに幼い頃からゴスペルや地元の黒人音楽に親しんでいましたが、彼がコルネット走者として活動始めた当時のアメリカの音楽界は、ヨーロッパから伝わった音楽を基にしてヒットしていたフォスターやボードビルショウなどの白人系音楽が主体でした。彼の本には「ミシシッピー州のタトワイラー駅のプラット・ホームで、ナイフの刃でギターを弾きながら独特の歌を歌っていた男に語りかけ、メモをとった」という記述があり、彼は各地で様々な歌を研究していたようです。しかし彼がこのような種類の音楽を自ら演奏するようになるきっかけは、次のようなシーンだったようです。「ある日、彼の9人のバンドの前座に地元の3人組のバンドが出て、大いに受けてハンディらよりもはるかに多いチップを稼いだ。」というわけで彼はこれらの音楽を「原始的な音楽」の意味を含めてBluesと名づけ、いくつかの曲を書き、演奏し始めたのです。でもラジオもレコードもない時代なのでごく一部の人にしか伝わっていません。1909年に彼はメンフィス市長選用のキャンペーンソング「Mr.クランプ」という唄を作り、大いに人気を得ます。これを1912年に「メンフィスブルース」と改題し発表した、というのが事実だったようです。曲も当時の状況からか、白人音楽の匂いが抜けきれていません。The Memphis blues by Louis Armstrong and his All Starsしかしこの曲は即大ヒットし、Bluesという言葉が始めて世に知れ渡るとともに、黒人達の音楽に注目が集まるのです。2年後に彼は名曲「セントルイスブルース」を発表するのですが、これが真のブルースソングの原点となります。(日本では「いやん、ばっかーん」の歌として有名ですが) そんなわけで、W・C・ハンディは「ブルースの父」と呼ばれているのですが、いきさつからすると、彼はBluesを生み出した人というより見いだして世に広げた「育ての父」というのが正確なんでしょうね。当然、本来のBluesを生み出したのはミシシッピー下流の無数の黒人たちでしたが、全く記録が残っていません。記録に出るのはレコードが普及して圧倒的な情報が全米に広がる1830年以降です。最初はマ・レイニー、ベッシ-・スミスなどの女性シンガーがヒットし、その後ブラインド・レモン・ジェファーソン、チャ-リー・パットン、サン・ハウスなどの男性シンガー達が続々と出て来るのです。----------------------------------------------------------------<追記>ちなみに、当時のハンディにはこんな面白いエピソードもあります。彼は自信満々で1912年に「メンフィスブルース」を1000部出版しようとした。ところが悪質な出版者の男たちに1000部の売れ残った楽譜の山をつきつけられ、落胆してそれを50ドルで売り渡してしまう。ところが実は楽譜は2000部刷られ、1000部はすでに注文済みの大都市の楽譜屋に向け、列車で移動中であったとか。大損はしましたが、彼は有名人となるのです。当時の音楽産業の基本は演奏するか楽譜を売るかでした。ちょうどその頃レコードやラジオが発明されたのですが、一般に普及する前だったのです。「演奏」から「楽譜販売」、「レコード・CD販売」に変わり、それから「音楽データ配信」と音楽産業もそのシステムが移り変わっているんですね。<追記2>ハンディの伝記映画が作られていて、ナット・キング・コールが演じたということです。エラ・フィッツ・ジェラルドも出てます。面白そう。St. Louis Blues 1
2009/01/18
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ちょっと調べてみると、モリスを「近代デザインの父」と評することには反論する人が少なからずいるようです。少なくとも本人は同意しないだろうとのこと。私もそう思います。なぜこんな事を気にするかというと、デザインを勉強し始めると必ず最初にモリスが出てくるからです。で見に行くと唐草模様。そこでワケわからなくなるんです。モダンデザインを学ぶ第一歩がこれ??私ならモダンデザインを学ぶならまずミース・ファン・デル・ローエだと思います。コルビジェでもフランク・ロイド・ライトでもない。ミースはバルセロナ・チェアで有名ですが、1929年のバルセロナ博覧会のドイツ館がモダン建築の原点であり終着点でもあると思います。「Less is more」の言葉に代表される極限にまで突き詰められた造形です。当時としてはショッキングなこの建築の影響はあまりに強すぎ、世界中にスチールとガラスによる無機質なビルを溢れさせることになります。もちろん現在ではデザインの環境も変わり、新たな視点があるのでしょうが、今から40年前にモダンデザインを学ぶのならミースから始めるべきだったと思うのです。おかげでモリスやコルビジェやライトが当時の私のアタマを混乱させました。とは言え、モリスをデザインの源点と呼ぶのも決して間違ってはいないと思います。思想的な意味ではね。でもそれはあまりに高尚な視点じゃないですかね。ウブな学生には早い。デザインから離れて久しいのですが、ずっとモヤモヤしていたことが今、なんとなくスッキリしたような気分です。
2009/01/16
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近代デザインの源流と評せられているウィリアム・モリス。その展覧会を見ましたが、展示されているのはクラシカルな唐草模様の壁紙やステンドグラス。へ?どこがデザインの原点なのかと若い頃から怪しんでいましたが、その理由がこの会場でなんとなくわかりました。彼はたしかに中世に憧れ、クラシカルな装飾を愛していました。機械生産を嫌い、職人による手工芸を基本としました。しかしそんな調度品を単純に寄せ集めるのでなく、室内空間を調和させ、生活と芸術を融合させることを目指しました。そしてまた、金持ちや貴族が独占していた壁面クロスを印刷された紙で安価で大量に作り出すことに成功しました。教会にしかなかったステンドグラスも一般の家にも持ち込みました。こうして美しく調和したインテリア空間を創造するという「アーツ・アンド・クラフツ運動」は世界に広がりました。それが後に工業生産の世界にまで影響を及ぼし、モダンデザインへの道を開いた。どうもそういうことらしいと自分なりに納得しました。この運動に深く共感した建築家チャールズ・レニー・マッキントッシュはスコットランドで運動を起こし、素晴らしいデザインの名品を残しています。有名な「ヒルハウスのハイバックチェア」。意外に小柄で座りにくいんだけど、それも許してしまう程の素晴らしさです。
2009/01/15
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世の中の歌のほとんどは恋愛の歌なので、いかにドラマチックとはいえ描かれるスケールは限られます。そんな意味で、昔作られた唄には時代の違いからでしょうか、より深いものを感じる歌が多いようです。その中でも、歌詞がただ長いだけでなく、語られる内容のスケールの大きさや深さを感じる唄といえば絶対これだと思います。とてもレトロな唄ですが、ロックやらソウルやらに飽きたときに、ふと沸いてきて口ずさむ私の愛唱歌でもあります。それは「戦友」です。日露戦争の頃、明治38年作です。軍歌ですから軍国主義的な常套句や表現が出てきますが、詩の内容は英雄の死を称えるというよりは一人の友人の死を嘆くものです。この歌詞には敵への憎しみや軽蔑、戦いの成果などといったものは見当たりません。どちらかといえば戦いの虚しさや悲しさが感じられます。 その意味で、軍歌のかたちをとった反戦歌とも受け取れるのではないでしょうか?だからこの歌は当時でも問題視され、軍規にそむいて介抱するという点や、感傷的な内容のせいで軍隊内では唄うことを禁止されていたそうです。でも前線の兵士達はこっそりとこの唄を唄っていたとあります。彼等の本音の心情に通じるものがあったからでしょう。全14番にわたる歌詞の中で、現在、過去、そして帰国後の夜といったシーンが移り代わり、作者の心情が切々と伝わってくるのを感じるのは私だけでしょうか?長いですが、歌詞をご覧下さい。(著作権は切れてるそうです)===============================================戰 友 / 真下飛泉 作詞、三善和氣 作曲1)ここはお国を何百里 離れて遠き滿州の 赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下2)思へば悲しい昨日まで まっ先駆けて突進し敵を散々こらしたる 勇士はここに眠れるか3)ああ戦いの最中に 隣におりし我が友の にわかにはたと倒れしを 我は思はず駆け寄りて4)軍律厳しき中なれど これが見捨てておかりょうか「しっかりせよ」と抱き起し 仮包帯も弾の中5)折から起る吶喊(トッカン)に 友はようよう顏上げて「お国の為だ かまわずに 遅れてくれな」と目に涙6) 後に心は残れども 残しちやならぬこの身体「それじゃ行くよ」と別れたが 永の別れとなったのか7) 戦い済んで日が暮れて 探しに戻る心では「どうぞ生きていてくれよ 物など言へ」と願うたに8)空しく冷えて魂は お国に帰ったポケットの時計ばかりがコチコチと 動いているのも情無や9)思へば去年船出して お国が見えずなった時玄界灘で手を握り 名を名乘ったのを始めにて10)それより後は一本の 煙草も二人で分けて喫み着いた手紙も見せ合うて 身の上話繰り返し11)肩を抱いては口々に どうせ命はないものよ死んだら骨を頼むぞと 言い交わしたる二人仲12)思ひもよらず我一人 不思議に命永らえて赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘らうとは13)くまなく晴れた月今宵 心しみじみ筆取って友の最期を細々と 親御へ送る此の手紙14)筆の運びは拙いが 行燈の陰で親達の読まるゝ心思いやり 思わず落とすひとしずく===============================================この唄は伴奏つきで聴くといかにも軍歌で、しかも宣伝車から大音響で流す右翼のイメージが強いので困ります。やはりこの唄は無伴奏がいい。そして歩きながら唄うに限りますね。夕暮れの河原なんぞをね。私も古い人間なんでしょうか?
2009/01/13
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ドラマチックといえば「大阪で生まれた女」の完全版はすごかったね、と友。 へ?いつものカラオケだと4分程の歌だけどそんなに凄いかね、と私。 なんちゅうやっちゃ、とあきれ果てた友。カラオケの唄はダイジェスト版。 で、35分にわたるボロの「大阪で生まれた女」フルバージョン、見せてもらいました。 最後のほうは黒霧島の湯割りが効いてきて、いい気分で感動的なエンディングまで、 じっくり味あわさせていただきました。こんなすごい唄だとは全然知りませんでした。 歌詞は高校の同級生の男女の物語で、東京に行った男を女が追って出ていくが、 現実に挫折して結局別れ、別々の人生を歩みながら思い出すという構成です。 あの時代にこんな曲を作っていたなんてオドロキです。 まだまだ音楽の世界は知らないことだらけです。老後の楽しみは尽きません。 この「大阪で生まれた女」の歌詞は全18番ありましたが、これ以外にも長い歌は あるのかと調べたら、「さとうきび畑」(全11番)10分とか、さだまさしの 「親父の一番長い日」(19番)12分30秒とかいろいろ出てきましたが、 演奏なしの歌ならこれくらいでしょうか。 虎舞竜の「ロード」(全13章)も長いのですが、それぞれの曲が独立してるので どう勘定したものか? 時代をさかのぼるとえらいのがありました。明治に作られた「鉄道唱歌」。 東海道編が66番、山陽・九州編が68番といった具合で第5編まで。全334番あります。 でもこれはただ各駅を連ねただけの名所巡りの歌。我が町ソングの意味だけでなく 教育の意味もあり「地理教育鉄道唱歌」が正式名称。 ボニージャックスのCDでは前曲通すと2時間半かかるそうです。 日本で一番長い歌としては合唱曲の「ねがい」という歌で全1500番あり、 今でも歌詞が公募で追加されているそうです。ま、これは人に聴かすというよりも 歌うことに意義のある作品というかイベントなのでちょっと特別ですがね。 これを1日中聴けといわれる方もたまらない。 まあ、長けりゃいいってモノでもないんですが。最後までじっくり聴かせられる 歌というのはそれだけ中身が濃い作品だということなんでしょうね。 当然、こんな長い歌がTVやラジオで放送されることは難しいのですが、 BOROの大曲は一度だけ深夜放送で流れたそうです。 お暇な方はとにかく、お聞き下さい。 BORO 大阪で生まれた女・18 ノーカット完全版 全35分 1/4BORO 大阪で生まれた女・18 ノーカット完全版 全35分 2/4BORO 大阪で生まれた女・18 ノーカット完全版 全35分 3/4BORO 大阪で生まれた女・18 ノーカット完全版 全35分 4/4
2009/01/12
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正月元旦、久々に京都の友人宅でのんびり過ごしました。 彼の愛用のウクレレや写真を見せてもらいながら話題は彼の集めた音楽に。 彼も結構コアなヒトなので、これといったミュージシャンはとことん探しまわる。 ぎっしり並んだ曲のリストを選びながら、彼が青山テルマはどう?と聞く。 ほう、青山にそんなビルあったかな?と私。 え、ギャグか?と友人は絶句。 わたしもずいぶん色々な音楽を聴いてますが、好みでない世界にはさっぱり 興味を示さないので、人並みはずれて非常識なところがあります。当世の 流行ウタなんかどうでもいいので、アユやらBzやらが流れてきてもさっぱり 耳に入りません。暮れの紅白もうるさいので消しました。ただ、ジェロがどんな 演歌を唄っているのかを一応確認はしましたが。 あきれた奴だ、とにかくこれを聴けと「そばにいるね」が始まる。 そういえばこのフレーズどこかで聴いたことがありましたが、途中からラップが 入るのは知らなかった。その構成がうまくこなれていて、感心しました。 私ら中年にとってはラップの独特の言葉のリズム感にはいまひとつ違和感を感じ ますが、若い人にはすっかり身について馴染んでいるようです。 結局幾つものビデオクリップを見せてもらいましたが、彼のお進めのYukieの バージョンの方が確かに好みですね。 SoulJaのセルフカバーでYukieをフューチャーした「そばにいるね」です。 そばにいるね/SoulJa×Yukie「ここにいるよ」と「そばにいるね」はどう違うのかと聞くと、SoulJaの目線と テルマの目線の違いで、それに対するアンサーソングなんだってさ。 なるほど。ま、どちらも女の歌に男の語りが絡むのでカラオケでウケてそうです。 それに、離れて暮らす男と女の対話形式の歌詞がドラマチックで泣かせますね。 でもこの手の構成の名作としては松本隆作詞の「木綿のハンカチーフ」が思い 浮かべられます。あの歌詞の構成はじつによく出来ていましたね。
2009/01/11
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私らの同年代の者が集まると「いつの間にか時が過ぎ去っていく」と日頃から嘆いておりますが、今年は実際にトクしていたんですね。それは「うるう年」ではなくて「うるう秒」。2009年1月1日8時59分59秒の次が、8時59分60秒、そして次にやっと9時00分00秒になったんですって。これは地球の自転と世界の標準時計との誤差を修正するために、時々1秒挿入されていて、今年は3年ぶりに実施されたそうです。だから今年は1秒トクをしました。で、その貴重な1秒、何に使ったかな?私は寝てました。
2009/01/06
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いつのまにか年が明け、正月休みも今日までとなりました。みなさん、あけましておめでとうございます。今年もこんなゆるめの調子でよろしくお願いします。私はこの1年、いくつか新しいことに取り組むことになりそうです。がんばらなくっちゃ。で、この本を読みました。「のうだま」新聞で一面広告してるものだから、また胡散臭い本が出たわと目をやると、「脳をだませばヤル気が出る」とある。ん、これはと目を通すと、なるほどそのとおり。これはいまひとつ勉強に身が入らない受験中の私のムスメにちょうどいい。で、さっそく買い込みました。イラストレーターさんが脳のセンセイに聞いて書くというルポ形式のイラスト付きなのでとても読みやすい。「脳は体より後で出来た器官だから、体が脳を動かすことも出来る。」んー、強引な理屈だが、なんかナットクしてしまう。なかなか思うようにいかない、意思が弱いと、日頃から愚痴ってましたが、この言葉に頭をガツンと叩かれました。そうなんだ、まずは動くこと。そう言えば昔、入社教育で嫌々ながら座禅を組んだ寺の坊主に「形から入れ」と言われたことがありました。そんなわけで、頭とカラダのバランスを上手くとってこの1年、乗り切りましょう。
2009/01/04
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