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雪女って、美しくも恐ろしい雰囲気ですよね~。でも、雨女って全然美しいイメージないですよね~。同じ水の精なのに(雨女も水の精・・・よね^_^;)。いつでも、どこでも、でかけるときには、雨を降らす女。私もこの異名を持っています。旅行やハイキングが雨だったら、楽しい気分が盛り下がりますよね。ローテンションに持っていく女。私の6月のお休みも今日で終わり。何をしたかっていうと、タップリ寝てタップリ食べて(タップリ飲みました。えへ)結局、整理整頓はできず、その反対に、風呂敷をいっそう広げるだけ広げたかもしれません。まあ、いいか。また、雨女再開です。もう一つの意味の「雨女」人に潤いをもたらす存在。カラカラに乾いている人間世界に、ちょっぴり水分を与える女。占い師としての私は、他人様の悩みや質問を、快刀乱麻のように解決することはできないかもしれません。まだまだ勉強途中。預言者として、未来を切り開き教え諭す役目は、果たせそうもありません。そうなるように毎日奮闘中。でも、他人様に、ちょっとはお役に立つ存在でありたい。私の存在が、少しでも心のやすらぎや安定につながるならば。みんなが話してくれることを理解し、共感することならできるかもしれません。一緒に笑い、一緒に泣くことならできるかもしれません。こんな私でいいなら、いつでも聞きます。その反対に、こんな私に、こんな微力な私に、「お話をして」下さるというだけで感謝しています。さあ、あさってから鑑定を開始、講座もいっぱい、イベントもいっぱい。大雨を降らすぞー。7月2日から、「雨女」始めます。
2005.06.30
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この言葉を聞いたら、「奮い立つ」っていう言葉ありますか?私は「故郷に錦を飾る」という言葉を聞いたり、心でつぶやくと、何だか元気がでます。ふつふつと熱いエネルギーが湧いてきて、よしがんばろう、と思うのです。なぜだかわかりません。変ですか?この意味は、立身出世して田舎に帰り、貢献することを言うのかな?そんな偉ぶっているわけではなく、おこがましいことを考えているのではないけれど、この言葉は私を勇気づけます。前回のブログの「男になりたい」にも通じます。このことは書こうかどうか、ずいぶん迷いました。頭ではなく、体や心の奥底にある願望だからです。私は京都の「丹後ちりめんの里」の生まれですから、実は「錦」はもともとあります。子どものころから、ハタ織り機からきれいな金糸銀糸を使って、高価な絹布が織り上げられるのを、目をまるくして見てきました。錦はもう、飾ってあるお国柄です。でも、何か貢献できたらいいな。本『アロマ占星術』も、京都の各新聞社・マスコミ関係に、書評をお願いすべく、以下の手紙をつけて送らせていただきました。☆.。.:*・゜`★.。.:*・゜`☆.。.:*・゜`★.。.:*・゜`☆.。.:*・゜`★.。「私は1日たりとも京都のことを忘れたことはありませんでした。今も目をつぶると、なつかしい若狭の海、蒼くかすむ大江山、ゆったりと流れる由良川が、すぐ目に浮かんでまいります。少しずつ落ち着いてきた現在、何かこちらからでも貢献できることはないかといつも考えてきました。私は始めての本『アロマ占星術』を出版いたしました。占いとアロマセラピーを結びつけた実用書ですが、日常生活に役立ち、どなたにも読んでいただけるわかりやすい本です。根底には人を励まし、勇気付ける「メッセージ」を込めさせていただきました。夢を持つことの大切さ、積極的に人生を切り開くこと、明るい未来を持つことを願って書きました。私はこの本を京都のかたに紹介し、こころに「火」をつけることができたらと思っております。読んだいただけることで、少しでも「京都」にご恩返しができたらと考えております。」一部抜粋。☆.。.:*・゜`★.。.:*・゜`☆.。.:*・゜`★.。.:*・゜`☆.。.:*・゜`★この手紙はすべてボツになり、実際に送ったマスコミに、本のことは取り上げられることはありませんでした。でも、すぐに「京都」の別の会社から「仕事をしませんか?」というメールが来たのです。もちろん、全然関係ない会社で、この手紙を送ったところではありません。このメッセージは直接の効果はありませんでしたが、どこかで響き、届くものだと思いました。空にでも、宇宙にでもメッセージを大きく発すれば、どこかで、誰かが受け止めてくれる。そんなような確信にも似た思いが、今はあります。実現したい、という熱く強い思いがあれば、それは誰かに伝わる、そんな気持ちがあります。「鬼の里・大江町の元伊勢神社と丹後一ノ宮・籠神社」はなつかしい。籠神社は神代の時代までさかのぼり、伊勢神宮の元になったとされています。伊勢神宮はここから伊勢へ移されたのです。ここには、朝鮮半島から伊勢神宮へのシルクロードの端っこがあります。子どもの頃古墳で遊んで、ご神体なんかのぞきましたっけね。わたし、ばち当たったかな?この間行ったときは、とてもさびれていたけど、今はどうかな?松ノ木はひしゃげ、階段は崩れていたっけ。もっと注目を浴びても良い場所だと思います。あまり観光地化されるのも困ったことだけど、うまく脚光を浴びてくれればと思います。元伊勢神社は、私的パワースポットのベストワンでもあります。ここにヒーリングセンターが作れたらいいな。心と体を癒し、回復させる場所。確か温泉も出たと思うのだけど。でも、湿気が多く、冬寒いのが難点かな。交通が不便かもしれないし。誰か、共鳴してくれる人がいるかな。こう発信しておけば、また何かメッセージが帰ってくると思っています。京都の会社さんとの仕事もうまく行けばいいな。
2005.06.29
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私は男になりたいと思っていました。子どものときから「女には教育はいらない」って言われて来ました。「女に学があると生意気になって、男を馬鹿にするからいけない」とも言われました。「そうか、男のほうが偉いんだ。女は男より劣ってるんだ。」ずっと通奏低音のように私のこころにこの言葉は残っていました。女だから、大人しく、従順に。女だから、しゃしゃり出ず、男を立てて。男じゃないと、大きなことを為し遂げることができない。そういえば、歴史の教科書は男の勝利した物語(ヒストリー=ヒズ・ストーリー=彼の物語)で満ち満ちています。何か大きなことを為し遂げたいと思っていた訳ではないけれど、女であることの劣等感をずっと持ち続けていたように思います。私が育った時代的なもの(戦後よ)もあるかもしれません。もちろん男の人だって、「男だから」「男じゃないと」っていう価値観の押しつけもあるでしょう。どうしても男になることは無理です。女であることを受け入れるしかないのです。就職して、会社の慰安旅行での「お酒を作ったり」「注い」だりも、何で私がしなくてはいけないの?と思いながらしてきました。でも、今は、女で良かったかも、って思います。どこで変わったんだろう?そうだ、仕事も楽しいけど、家事も楽しいからだ。結婚して、仕事をすると、どうしても女の人のほうに負担がかかります。(そうじゃない家庭もあると思いますが)最大の大仕事は、「子どもを生むこと」です。これは女しかできません。これで、どうしても、いったんは仕事を休止しなければいけません。(次の日から仕事をする人もいると思いますが)いつしか、これらをすべて楽しもうと思うようになりました。せっかく女に生まれたんだから、女であることも楽しもう。欲張りかしら?家事と仕事の両立は、きっと私には無理。どちらも、ゆとりを持って楽しみたい、というのが今の私の希望。仕事で大成しないかもしれない・・・でもいいや。家事も手抜き・・・これで死ぬこともないだろう。まあまあの気分でやってるから、まあまあの結果しかでないかもしれない。でもね、今の生きかたで元気でいられるのだから、私には合っているのかもしれない。毎日を一生分だと思って、仕事をして家事をして、思う存分楽しんで生きるの。現実の世界と夢の世界のどちらも必要。タロットも通帳も必要。男の世界と女の世界のどちらもおもしろい。仕事も家事もおもしろい。星座の文章は4分の3書けました。今日の夕食は、麦とろご飯とヒレカツ。やっぱりお野菜は山盛り。キャベツをメインに。お日様の栄養タップリ中華スープ(干ししいたけ、干しえび、干し貝柱の干しコンビ)。酒肴は、北海道の雪氷(大根おろしにちりめんじゃこ、いくら、サーモンなど混ぜたもの)
2005.06.27
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「ああ、半分書けた」ひと段落した私は、早朝の庭を歩き回ります。(1分で歩了なのだから、歩き回るほどの広さとは言えないかも)色々な発見があります。今、白い「くちなし」の花がとてもきれい。ひとつ花をつんで、テーブルの上に飾ります。たった一花なのに、部屋中が甘い香りにつつまれます。それにアジサイの紫色の花。これは見ているだけでとても幸せ。そのままにしておきましょう。ふとコンクリートの壁の下のほうを見ると、苔がいっぱい生えています。本当、昔は「苔が生えてる~」って嫌がられる植物の代表だったと思うのに、今は、和風の「苔玉」ブームが到来し脚光を浴びています。実は、苔はしっとりとした趣があって、古寺など苔で有名な庭園もあります。でも、十分な水分が必要ですし、管理するのはとても大変だと思います。一言で苔といっても、たくさんの種類があります。じーっと見ると、「小型化した樹木」のカタチをしています。杉、ひのき、松・・・。家に生えているのはひしゃげたなさけない「杉のカタチに見える」苔です。でも、梅雨の水分を吸って、青々と庭の一角で茂っているのです。この苔をすくいとり、今日は自家製苔玉をつくります。素焼きのうつわに並べるだけですが、「樹木の小宇宙」ができあがります。これに水をたっぷりと含ませてやります。星座の文章はあと半分。今から、また書き始めなきゃ。今日の夕食は・・・。サルサソースがあるので、そこから発想。この香辛料の効いたトマトソースをかけたハンバーグを作りましょう。昨日はさっぱり系だったからね。それにデザートは杏仁系にしようっと。もちろんサラダはクレソンとかスパイシー系でいこう。熱くホットに食欲を増してくれる料理で、暑い夏を乗り切ろう!なんてね。
2005.06.26
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「坂本龍一のCDかけて」ごそごととラックから取り出して、夫がかけてくれます。それが終わると「エリック・サティのCDかけて」またまた、ごそごそと夫が動いてかけてくれます。そう、夫をこき使っている「私」です。結婚生活も長くなると、だいぶ夫の考えや行動パターンがわかってきます。どうすれば機嫌がよくなるか?どうすれば怒らせるか?なども経験的にデータが蓄積されていきます。私のモットーは「彼が大事にしていることを私も大事にする」ということです。(他の夫の方はあまり知りません。うちの夫は、ということですけど・・・。)趣味とか大事にしているものを尊重し、親友、仕事などの話はよくしています。(なんと、大事な決定ではよく占いもするのですよ)実は一番大切にしているのは、「料理」彼は食べることが好きです。食い意地が張っているといってもいいでしょう。最初は、私は関西出身、夫は関東出身なもので、全然趣味嗜好、味付けが違いました。これがもとでけんかをし、お酢のびんなんか投げましたっけ。(危ない)最近は、夫の好物も知り、食べるパターンもだいだい決っているし、「好物を出せば機嫌がいい」ということがわかってきました。(夫は食い気が3日続きます。だから、肉といえば肉が3日オーケー。簡単便利)ですから、彼の今朝の顔を見て、夕食の準備をすることにしています。「今日は南部牛のすきやきよ」とか「紀伊国屋のパテよ」とか言えば、夫はるんるんとして定刻に帰ってきます。そう、えさ、で釣っているのです。もう「色気」より「食い気」になります。確かこういうことわざもありましたよね。何だっけ?妻は結婚して料理の腕が上がるのと反比例しておなか回りが太るとか・・・。結婚したてのころは、ヘタな料理もご愛嬌、「あなた、ごめんね、焦がしちゃった」これが10年ぐらいたつと、「はい、食べて!」と、どさっとお皿を目の前に置いても全部平らげてくれたら、夫婦仲良く円満(!)生活になるかしら。夫を家庭に引き止める(引き戻す)には、料理が一番、と主婦はわかってくるのかもしれません。で、昨日も彼の好物を並べておいたら、一番上の作用を起こすことができたのでした。そのうちに「肩揉んで」とか言います。「足揉んで」まで言うと、怒られるかもしれませんが・・・。さて、今日はこの蒸し暑さだから・・・酒肴に酢の物は必須。山菜の和え物は作ったし、うざく(うなぎときゅうり)も作ろう。さっぱり系でいこう。やはり、枝豆もあればいいかな?
2005.06.25
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バックグラウンドミュージックとして、昨日はベートーベンの第九交響曲を聴きました。「合唱つき」で有名な曲です。(まるで「おまけつき」みたいだけど、これが重要な楽章です)できる限り大音響で聴きます。「これを聴いてやってます」つまり、仕事に励むことができる背景音楽のはずでした。しかし、彼の音楽は知らず知らずCDデッキの正面に向きなおり、全身全霊で聴かざるを得ないそんな力があります。「お前、しっかり傾聴せ~よ」という、がしっとした強制力があります。第九は「大工」の曲だとつくづく思います。何回もぶっこわし、何回も作り上げる・・・そんな曲です。この交響曲は思い出深い曲です。高校生のころ、メゾソプラノで何度も演奏会に出ました。外山雄三さんの指揮で京都市交響楽団とともに、あちこちで演奏しました。もちろん、たくさんの合唱団員の一人ですけど。白い手縫いのドレスを着て出たの、なつかしいな。だから、耳にたこができるほど、たくさんこの曲は聴いています。3楽章の緩序楽章(ゆっくり静かな楽章)が最高です。この楽章があるから、第4楽章の「歓喜の歌」が映えるのです。緩序楽章の決った「ある部分」にくると、何度も涙があふれてきます。まるで、自動涙製造機の場所のようです。ボタンを押すと出てくる。そして待ちかねた第4楽章。「大苦」(苦悩)を通して歓喜へ至るといわれている曲です。この曲を書いたとき、ベートーベンはまったく「音」が聞こえませんでした。演奏会でブラボーの嵐が起きたときも、歓呼の声を上げ続ける観客に向きなおす楽団員がいなければ、全然気がつかなかったのです。音が聞こえず、作曲を続けたベートーベンの苦悩はいかほどだったでしょう。この歓喜の歌はまるで大騒ぎの踊りのような音楽です。私にはしっかり「阿波踊り」の音楽が聞こえます。狂喜乱舞のうちに、盛り上がって終わります。すべての楽器がフォルテッシモで終えた後、全身に電流が走ります。(よく言われる表現ですけど)気分が高揚し、感動の嵐に包まれます。(よく使われる表現ですけど)まるで、タロットの「世界」のようです。大団円を迎えた人生の終末。ああ、でも久しぶりだわ。スポーツをやった後のような音楽を聴くの。いつもは宮下富美夫さんのようなリラックスさせる「ヒーリングミュージック」が多いもの。私も大分体力が回復してきたかな?普段は若い人が聞くロックとか、音が心臓に負担がかかって体がもたないもの。でも、ベートーベンの大音響はスカッとしました。ということで、全然筆が進まない~。
2005.06.24
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今朝、新聞を取りに外へ出たところ、庭先に、山椒の新芽がたくさん出ているのに気がつきました。さっそく、摘めるだけ摘みます。梅雨の晴れ間に、新葉が「出たよ」って顔を出すのです。そこをすかさず、手でつまみ取って、今日の料理に使います。刺激的ですごくいい香り。香辛料はお好きですか?私は好きです。この山椒の葉っぱから、今日の夕食を何にしようか?考えます。ふつう考えて、この季節の食べ物「うなぎの蒲焼」の香味料として、上にたくさん散らせましょうか。それとも、さんまかいわしの蒲焼に載っけるかな?でも今日は、ちりめんじゃこと青海苔と山椒で、混ぜご飯にしようっと。香辛料から、料理を考えるのも「あり」ですよね。他に冷蔵庫に「三つ葉」があります。ここから、「高野豆腐の三つ葉卵とじ」ザウアークラウトがあるから、(キャベツがたくさんあるときは千切りにしてブラックペパーの塊を入れ、酢漬けにしておくと便利で~す)ここから考えると、おいしいソーセージを買ってこようと思います。今日の夕食はそんなこんなで、スパイスの効いた食事です。目にもあざやか、食欲も増してくれ、消化吸収に役立つスパイス。スパイス(香辛料)の効いた生活って楽しい。庭に生えているもので料理ができたら、安上がりだし。ところで、今私はヤマモリ食品の「トムヤムラーメン」にはまっているのです。韓国の辛ラーメンより、もっともっと辛いの。インスタントラーメンなんだけど、中にレモングラス、カー、唐辛子などが入っていて、卵をかけて食べるといっそうおいしいのです。辛くて辛くて、(;_;)が出てきそうです。でもマイブームといっていいほど、最近食べ続けています。(体にはあまりよくなさそう。お医者さん、このブログ見てないよね)私、生活に刺激が足りないのかしら?もっと覚醒したいのかしら?確かに頭がはっきりするような気がするわね。以前は辛いものは全然食べたくなかったのに。そういえば、昨日も赤唐辛子をどばーって入れた(無意識)「きんぴらごぼう」を作ってしまいました。もっとスパイスの効いた生活がしたい~、っていう願望があるのかな。
2005.06.23
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「シャネルの5番」という香水は「夜はシャネルの5番を5滴まとって寝る」とマリリン・モンローが語ったことで超有名です。ジャスミンとバラを中心とした香りで、ふんわりと甘く夢心地へ誘ってくれます。でも私が思うに、女性的ですが、決してセクシーなだけの香りではないように思います。毎日蒸し暑く寝苦しい夜が続きます。動くと汗がだらだらと出て、じっとしていると肌寒い。こういう日は何を着ていいかわかりませんよね。寝るときもうっかりと窓を開けて寝てしまったら、次の日にしっかりと風邪引いていたりします。私は寝るときに枕元にお気に入りのエッセンシャルオイルを1、2滴(高いものは高いからね)たらして寝ます。今、ベッドサイドに置いてあるのは、ラベンダー、サンダルウッド、イランイラン、ベルガモットです。ラベンダーはヤング・リビング社のものが一番好き。ぱっと目の覚めるような紫色をイメージする明るい香りです。他の会社のものは、平べったい香りがするように思います。すべてリラックス効果があるエッセンシャルオイルです。呼吸を深くさせてくれます。開放感をもたらしてくれる香りです。心臓の鼓動もゆっくりとさせてくれます。これらの香りで香りのドームを作って寝ると、コトって眠りに落ちてしまいます。ちょっともったいないって思われるかもしれないけど、よく眠れるにこしたことないもんね。一度開けたら、ワインと同じでどんどん香りが飛んでいってしまうしね。私は健康の源は睡眠をしっかり取ることだと思っています。体の不調の原因は「よく眠れない」ことが一番多いと思います。夜眠れないと、昼間ぼんやりしてしまい、一日中だるい感じがします。それで、毎夜私はお気に入りのエッセンシャルオイルをまとって寝ることにしています。本当に香りは「一瞬」にしてムードを変えてくれます。これらの香りをとっかえひっかえして眠ります。シャネルの5番をまとって寝るのには勇気がいります。だってやっぱりちょっとお高いのですもの。でも私も真似してみるかな。一緒に寝ているネコのメイがとてもいい香りがします。すべてをブレンドした香りをまとって寝ているネコだからです。
2005.06.22
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いつも鑑定ルームにはバックグラウンドミュージックとして、ヒーリング関係のCDを流しています。たいてい、ニューエージ系の『ワンネス』や神山純一さんの音楽が多いかな。歌声のCDはあまり流していません。ことばや歌詞があると、それを聞いてしまうので、心がなかなか集中できなくなるからです。これは私だけかもしれないけど。事務所にいるときは、いつもがんがんと音楽を鳴らしています。今年1月の本の最後の仕上げのときは、ずっと竹内まりやさんのCDを聴いていました。「もう、出すのよそう」とまで思い、落ち込んでいた時期に聴いていた曲です。お正月前後はすっごく忙しかった。「こんな本なんか出したって、無意味だ」とまで思いつめたのです。そのころ毎日、竹内まりやさんのアルバム『BON APPÉTIT!』の中の一番暗めの曲『WINTER LOVERS』を何度も何度もリピートして聴きました。なぜだかわからないけど、この曲を聴くと、筆が進んだのです(うそ)。痛いひりひりするような感情を、何度も味わってしまいました。私ってマゾ的傾向があるのかな。6月のお休みになってから、自分の心のおもむくまま音楽を聴こうと思ったら、やはりクラシックに向かってしまうのです。私はどの音楽が絶対に好き!とかこれしか聴かない!ということはありません。そのときどきで聴きたい音楽を聴くことにしています。しかし、好きな曲って人によりますよね。昨日はラベルの『オンディーヌ』を聴いてゾクってしました。フランス近代の作曲家の大御所です。ラベルはドビュシーと比較されることも多いかもしれません。私はどちらも強く「水」をイメージしますが、ラベルは色彩的、ドビュシーは構造的に聴こえます。ラベルはぴちぴちとはねる、ドビュシーは整然とはねる「水滴」の音楽です。日本の6月の梅雨の時期にはラベルがぴったりかな。オンディーヌは水の精。人間に恋する妖精です。ピアノ曲でありながら、彼女の妖艶ぶりがまざまざと浮かびあがる音楽です。人間の男性に媚を売り、しなだれがかり、上手くいかないと、最後にはけたたましい笑い声が・・・でも、すべて水の中にかき消されていくのです。私の心もかき乱される音楽です。そしていつしか夢の中へと連れ去られてしまいます・・・。てへへ、お昼寝してしまったのです。文を書き出そうと鉛筆を持ったまま、机につっぷしてしまいました。
2005.06.21
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「ほな、著者さんを盛り立てていきまひょということで」「わあ、うれしい!」先日提出した「本の企画」がほぼ、私の希望どおり通りました。私は文を書くたまごです。物書きの「たまご」かもしれません。たまごですから、まだこの世に生まれていません。でも、恋するたまごですから、「白鳥のようになりたい」「孔雀のようにきれいになるの」「たまごを一杯生むにわとりコッコさんみたくなるわ」など、夢は限りなくあります。まだ見ぬ、本に恋する、夢たまごです。私は自分が文章を書いて、人に理解されるかどうか?どうしても不安でした。「書いたって、私の気持ちなんかわかってくれやしない」などと子供の頃から、文章力にまったく自信がありませんでした。自意識過剰でひねくれものだったのでしょう。でも、思いをしたためたいという気持ちは強く、以前からのホームページで『妖精日記』 『ある日の鑑定ルーム』 『ネコのタウ日記』 でつたない文ながら、とつとつと自分の気持ちや考えを書いていました。そして、おかげさまで、このブログを作成することで、文を書くことに対する恐怖感はだいぶ少なくなりました。そうすると、意に反して、というか、うれしいことに、「感動しました!」とか「そのとおりだと思います」など、感想をいただくこともありました。「人ってわかりあえるんだ」と改めて思ったのです。もちろん誤解されて、悲しい思いもしました。しかし、文章には「チカラ」があるのだと実感したのです。そして『アロマ占星術』を出版させていただき、1000枚は書いたと思いますから、文章力はともかく、文章量にはちょっぴり自信がつきました。「てにをは」をまちがえないように(今でもときどきまちがえてますね、すみません)するので精一杯。「主語述語」をちゃんとつながるようにするので精一杯。文才のある人の文章にはおよびもつきません。でも、自分のことばで、気持ちを素直に書くと、伝わる人には伝わるんだ。ていねいに、心をこめて文を書くと、伝わるんだ。まだまだ、本の企画は2分裂したぐらいの状態で詳しくは申し上げられません。ごめんなさい。でも、これから、文章を入れ込みます。(カバーは決定しました。すっごく、すてきな本になる予定です)たまごが「殻」を割って、現実世界へ生まれ出ることができるように、着々と準備します。これからが大変。たまごは「ゴーサイン」を戴いたので、核分裂を始めます。やはり刺激が必要なのです。他の人の一撃が推進力となるのです。たまごは2分裂、4分裂、16分裂と倍ばいゲームのように増殖していきます。たまごであるなら、たまごのまま。でもこれから、現実世界に生まれ出るために、大きくなっていきたいと思います。新しい「本作り日記」がもう少しで始まります。たまごには暖めてくれる親鳥が必要です。ぜひ、応援をよろしくお願いいたします。
2005.06.20
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私は日本の聖地・霊山といわれるところに行くのが好きです。といっても私が、「ここはいいな」と思ったところなので、観光地として脚光を浴びている場所とは限りません。私的パワースポットと言っていいかも、という場所が日本各地にあります。いくつか内緒のお気に入りの地域があります。先日行ってきた場所は熱海の「伊豆山神社」久しぶりに「ここは!」と思った場所です。梅雨の最中、雨に濡れた石段のわきの、見え隠れするアジサイの花をながめながら、本殿まで昇ります。源頼朝と恋人であった北条政子が、ひそかに忍び逢いをしたというお話で有名な神社です。伊豆の海である相模灘を見下ろす高台にあります。遠くは御神火たなびく大島が見え、近くは初島が鎮座している景勝の地です。祭神は、「火牟須比命」(ほのむすひ)です。火に関する神社です。温泉、雷電、火事・・・電気関係(IT、コンピューター)もそうかな。「禊道、錬成の御導きの御神威は著しい」と由緒にあります。伊豆山は古くから海岸に「走るが如き温泉」が湧き出していたので、走湯山ともいいます。伊豆山神社には海岸の「走り湯」から登っていくのがよさそう。とっても大変だけどね。私には大島、初島を通り、海から来た龍が急な参道(階段)を駆け昇り、山頂の本殿や奥の院に水を飲みに行くような「イメージ」がわきました。ここはかなり大きな神域を擁しているいるようです。多分は昔はかなり流行っていた場所なのでしょう。神仏習合の社で、役小角をはじめ、弘法大師、多くの山嶽仏教徒や修験者が入峰して、修行を積んだ霊場でもあります。弘法大師空海も来ていたのです。私の本名(弘子)は弘法大師さんから、いただいていますゆえ、とても他人のような気がしません。父がちょっとはあやかるようにと思ってつけてくれたのです。その割には悪筆で、頭脳のトロさは、お恥ずかしい限りです。占いの世界では、弘法大師空海は密教占星術の大御所。でも、ちょっぴりその系譜を引き継ぐことができるかな?彼に(何て気やすく呼んじゃいけませんよね)「奇遇ですね」と言いたいほどです。彼は日本中を旅しています。本当に行動力は目を見張るものがあります。弘法大師は、ここに修行の拠点を作ろうと考えられていたようです。(実際は高野山になりましたが)きっと熱海伊豆山の地は、とても優れた霊地なのでしょうね。後白河院の御撰に成る粱塵秘抄に「四方の霊験者は、伊豆の走湯(伊豆山神社を指す)信濃の戸穏、駿河の富士山、 伯耆の大山。」と著され、東国、東海における第一の霊場として聞こえていたそうです。ところで、私の実家の近くにも出石(いずし)という場所があります。何か関連があるかしら?出石は新羅の王子天日槍(あめのひぼこ)が、垂仁天皇3年に渡来して拓いた場所です。伊豆は、いず(出ず)、いず(厳)とも関係があるかしら?何かが出現してくるようなパワーがあります。神話・伝説から考えていくと、切りがないほどロマンの世界が拡がります。ご神石やご神木にも触れてきて、久しぶりに、エネルギーを戴いてきた気がしました。
2005.06.19
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私はベートーベンの交響曲『田園』を、昔、「田んぼ」をイメージしながら聴いていました。「田園」って聞くと、田植えが終わったばかりの青々とした苗が風にそよぐ、水をたたえた田んぼを想像してしまいます。でも、本当は違うんですよね。ドイツには多分「田んぼ」はありませんよね?この日本語訳はちょっと、誤解してしまいます。いや誤解しているのは私だけかもしれませんが・・・。ベートーベンの「田園」は「いなか」という意味か、「畑や林・森などの緑の多い郊外」をイメージして作られていると思います。とても有名な曲だから、すぐに最初のメロディが浮かぶ人もいると思います。昨日は指揮者の宇宿充人(うすきまさと)さんの公開オーケストラ練習をのぞいてきました。6月18日の本番に向けての交響曲第6番『田園』練習を一般に公開しているのです。総勢60人ぐらいの「ナマ」の音はやっぱり迫力があっていいわ。全身のうぶげが音の微風を受けて、そよいでいます。CDだと耳だけで聴く感じですが、細胞が聴いている感じです。中学校のとき、私はアルトサックスを吹いていて、コンクール漬けの毎日を送っていたので、この練習風景はとてもなつかしいものです。放課後は練習、土日も練習、練習の毎日でした。(第2バイオリンが弱いかな?)と思いながら聴いていました。そうすると、宇宿さんもそう思っているらしく、何度も何度も繰り返し、弾きなおさせています。最初のフレーズ、確か「今夜はマーボが食・べ・た~い~な~」という歌詞が当てはまるCMもあったような。その「今夜は」のところ。「今夜は」ではなく「今夜・は」だということをしきりと教えています。フレーズの切れ目が違う、リズムの切れ目の問題を取り上げているようです。ドイツ語の文章なのかな?ことばのつながり、句読点の打ち方を説明しているような。この最初のフレーズは形を変えて、全曲に登場するので非常に重要な問題です。宇宿さんのことば『芸術(感動)とは、平和をもたらす最後の砦である。』を裏打ちするように、砦を死守するかのように、何度も何度もやり直しさせています。決して妥協しません。「顔が気に入らない」「次回はこのように『切る』と一筆もらっておく」など容赦しません。指揮者もプロ、演奏者もプロ。かなりきわどいせめぎあいが続きました。30分ぐらいずっとその場面だったかな。ベートーベンもかなりしつこい人だったと思います。(曲からも)そのベートーベンが乗り移ったような宇宿さんです。私が聴いたところ、「なおっていなかった」と思います。ああ、それでも本番はあさって。芸術に完璧、これで終わりってないのね。第一バイオリンはほぼできています。最初の演奏は「日本の田園風景」が目に浮かびました。宇宿さんのおっしゃるようにした演奏は「ドイツの牧歌的風景」がちょっぴり浮かびました。
2005.06.17
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「色が見える」和太鼓の音を聴いたのは、始めてでした。たいていの和太鼓の演奏には「水墨画」のような白黒の濃淡を感じるのですが、昨日の『太鼓~音の響き』というコンサートでの、佐藤健作さんの演奏は別物でした。私はいままで、世界各国の打楽器の演奏を聴いてきました。その中で、日本の打楽器は、体全体でたたく、直線的な響きが特徴だと思ってきました。しかし、佐藤さんは、体全体で打つ、縦横無尽な響きでした。私は音を聴くと「色」を感じることがたまにあります。色聴といわれる現象かもしれません。インド音楽を聴いたときなど、シタールの音とともに空気がピンク色に染まったのを見たことがあります。彼の音には、ヒンズー教寺院の暗さの中の色の氾濫を感じます。(演奏される楽曲のそのときどきによって違いますが)そう、とても「色気」があるのです。配られた楽曲解説の彼のことばによると「世界の中心を貫く響きで、根源的な『ちから』を呼び起こしたい」とあります。和太鼓の音は、樹木が植わっているなら、地球の核(コア)に向かってまっすぐ根っこが届くような音だと思います。そして、そこから根源的ちからを吸い上げてくれる。そして、彼は「太鼓は打つ」ものだと言います。「打つ」は集約する感じ。「たたく」は拡散していく感じ。心は打つといいますが、心はたたくとは言いませんよね。ドラムはたたくといいますが、打つとは言いませんよね。彼の演奏は「打ち込む」「打ち抜く」「打ち狂う」音楽です。ひたすら、集中する。彼は「心を打つ」太鼓を「打ち」たいのだそうです。『たまゆら』という小さな締太鼓の楽曲が最高でした。たまゆらとは、玉(真珠)と玉が触れ合うときのかすかな音。それらがぶつかりちらばり、小宇宙を形成します。「雨で、太鼓の締め具合の調整は大変だろうな」国立劇場へ向かう道をかさをさしながら、おもんばかりました。やはり音は最初しめって重たかった。でも、空調のせいか段々と乾燥した音になりました。話は飛んで、イタリアで生まれたピアノの、演奏会も湿気の多い日本での調律は大変なのですよ。ああ、また、太鼓も演奏したくなりました。せっかく整理整頓の6月にしようと思ったのに、ふろしきをどんどん拡げてどうするというのでしょう。
2005.06.16
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私は小学生のころ、母が毎月取っている婦人雑誌を見るのが好きでした。とくに「料理」のコーナーは大好き。作るのはむずかしかったけど、おいしそうな料理のカラー写真を見ながら、ごはんを食べることもできました。(何か浅ましくも悲しいわね。母が怒ったのはもちろん)それに、寝る前に写真を見ながら寝ると、食べる夢を見ることも特技でした。そのころは家にはあまり本などなく、小さい頃から活字が好きだった私は、雑誌のすみからすみまで読みました。表紙に載っている文から、奥付の編集者の名前まで活字を追いました。それにときどき載っているインテリアのコーナーも好き。家の設計図も見るのが好き。設計図から家の中をあれこれ想像するのも好きでした。最初は「上」から見た図である、というのがわからなくて、何で、居間の上にトイレがあるのだろうと「横」から見た図とわからず、不思議に思いましたっけ。今まで家の増改築は約5回ほど行ってきました。そのどれも私が「設計図」を描きました。失敗したこともあるし、大成功(庭の見えるキッチン&対面式キッチン)もありました。で、今月は「庭の設計」にも取り掛かっています。昨日は埼玉から優秀なガーデナーのお二人がいらしてくれました。うちの庭は「ネコのひたい」よりちょっと広め。全然手入れをせずほったらかしなので、草がぼうぼう。その間を「短くも美しく燃え」ているバラの花たち。今回は何とか「バラのアーチ」を作りたいと思ってお呼びたてしました。設計図は、すでにおおよそを描いてあります。でもやはりプロの方は違うわね。色々と勉強になりました。夢を色々と申し立てました。「ホワイト・ガーデンにしたいのです」「ハーブを中心とした英国式庭園もいいです」私は、きわめつけ『秘密の花園』みたいにしたいのです。この物語の内容はすっかり忘れました。このことばのみ、私の心に残ってます。なんか妖しい草花が生い茂る植物をかきわけて少女が庭園に入り込む(?)というような内容だったと記憶していますが。そんな風なイメージになったらいいな。(草がぼうぼうの状態なので、今でも荒れ果てた『秘密の花園』かもしれないけど)
2005.06.15
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きゃはは、ねぎぼうずが見えてる~。昨日、事務所からの帰り道でのできごと。他人様のトラッシュボックスから「ネギの花」が顔をのぞかせていたのです。きっと、買ってはおいたものの使うのを忘れたねぎの行く末の姿でしょうね。ねぎの花って、白い小さな花が咲いて、それはそれでかわいいのだけど。でも、ひとごとと笑ってはいけません。うちの冷蔵庫でもよくやってしまうのです。ときどき、にんじんから新芽が出てたりして。特に私がよく冷蔵庫の中で「遺跡」のようにしてしまうのが「納豆」ほら、あれって、3段重ねだったりするじゃない?ひとつずつ食べるのだけど、そのうちにカバーがどこかに行っちゃって、賞味期限がわからなくなったまま放置してしまうのです。一週間に1パックは買うから、そのうちに冷蔵庫の奥に古い納豆がしずしずと進んでいくのです。(押し込まれていくのです)で、ときどき納豆を食べたいと思って、奥から引っ張り出して、食べようとすると、納豆が「遺跡」の状態で出現してくるのです。「これ、いつの???」でも、納豆はもともと発酵食品だから、いいわよね、大丈夫よね、と言い聞かせつつ食します。もちろん、「もったいない」主婦根性もしっかりあります。こういうように冷蔵庫の中は、探検するとミステリーに満ちた食品がた・く・さ・ん、あります。今見ても、「煮豚の煮汁」・・・これいつの?今度いつ作るのよ?「いつ買ったかわからない味噌」・・・味噌は腐らないからいいけどさあ。「豆腐蓉」・・・誰かからもらった、沖縄のおみやげ。どうして食べるのかわからない。などなど、お恥ずかしいほどたくさんの「遺跡群」が並んでいます。ほんと、こういう梅雨の季節だし、冷蔵庫は清潔に、風通しよくしなければいけませんよね。きゃはは、なんて他人様を笑ってはいけません。でも、いつの間にかこういうふうに、たまってきてしまうのです。これって、私の頭の中もいっしょかな?私はノートに思いついたことを毎日書きとめています。今199冊目だから、かなり書いてきたのですが、それを使っているかというと、全然、というに等しい。使い道のないまま、もしくは、使い道がわからないまま、膨大な字の集合体を作ってきてしまいました。これって、私の頭の中の「過去の遺跡群」。何で、こんなことを書いたのかわからない、それよりも何よりも、字が読めない~。書いてすぐに、調理して、食さないと訳のわからないメモの集積で終わってしまうのです。これは本当に反省しています。ですから、今はもう一度読み直して、パソコンに打ち込んでいます。でも、これはまたこれで、パソコンの中の「遺跡群」になったりしてね。何なの?このファイル?え~い、削除・・・なんてね。
2005.06.13
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おとといの夜、佐伯チズさんが出ていらっしゃる番組をたまたま見ていました。彼女は知る人ぞ知る、伝説の「美肌師」です。「手のひら」と「指使い」で年間2000人以上の女性の肌をよみがえらせているのだそうです。 当然、彼女のサロンはいつも予約でいっぱい。わたしも、ぜひ、受けてみたいものだわ。私はいつも「もう、こんな年だし、しょうがないわ」とあきらめムード。もしくは「美しいシワで年を重ねましょう」と開き直りモード。でも、ゲストで出演していた松本伊代ちゃん(といっても結構いい年)が、先生の「魔法の手」でマッサージを受けました。その前と後の変わりように、もうびっくり!(伊代ちゃんはもともときれいな人なのですよ、でも実際「目からうろこ」状態の変化)夕食の後片付けをしながら、テレビを目の端で見ていたものですから、正確な表現になっているかどうか、おぼつかないところがあるのをお許し下さい。彼女自身は今までの人生にとても苦労なさっているようでした。ご主人に先立たれ、一時は顔も肌もボロボロ、もちろん心も精神もボロボロの時期があったのだそうです。でも、それから一念発起。美に燃えたのです。確か彼女は今60才を越えていらっしゃると思うのに、つやつやぴんぴんとした美肌の持ち主です。その手指のマッサージ・テクニックにも感心したのですが、それとともに、「手のチカラ」を再確認した番組でした。番組中に彼女が言っていました。「おじいちゃんが子供のころよく言ってました。『チズ、手にはね、とてもチカラがあるんだよ。だから、手を大事に使うんだよ』と。この言葉はいつも私の中にありました。ですから手に「気」をこめてマッサージをさせていただいています。そうすると筋肉は言うことを聞いてくれるのです」(記憶のみに頼って書いてます)このことを、私、かなり忘れていました。昔から『手のひら療法』ってありますよね。子供の頃、ぶつけたりしたら「痛いの痛いの、飛んでいけー」っておばあちゃんに手で痛む所をさすってもらいながら、言われましたっけ。そうすると、泣き顔が乾き、いつの間にか痛いのがなくなっていました。その後、大人になってから、私は野口晴哉氏の『整体』という身体技法を学ばせていただきました。その趣旨は「からだからこころを整える」です。からだのゆがみを調整して、からだとのこころ健康を得る東洋的身体技法です。「愉気」という行法(訓練法)では、手に気を集め(集中し)、センサーとして自分や相手の体を感じ取る修練をします。手で、異常のあるところ(悪いところ)を察知するのです。相手にうつぶせになってもらい、背骨を触りながら、骨の特徴を感じます。最初は全然骨の数さえ数えられず、冷や汗のかき通しで、私にはこういう「才能」はないんだと、すごく落ち込みましたっけ。この『整体』の創始者である野口晴哉氏は、それこそ昭和の伝説的な療治者として有名です。氏は患者と対する前に、その患者の悪いところから生活・性格まで見抜いていました。その「足音でわかる」と。観察力や集中力は並みの比ではありません。その手や指は天才的、神業的偉業であり、最後には「目で治す」との言葉も著書にありました。(気は本当はどこからでも出せるのです)こんな私でも「へたな鉄砲も数打ちゃ当たる」では、ありませんが、練習をしてくると何となくわかるようになってきたのです。「気」ということばは最近よく言われるようになりました。「オーラ」は当たり前のように言われますよね。しかし、はっきりと説明するのは相変わらずむずかしいことです。私の今の結論では、人間は肉体だけではなく、その他に「気」と言われる「エネルギー・フィールド」があると確信するところまでは行ってます。相手と対峙すると、相手の異常なところを、離れて座っていても感じ取ることができます。全身で集中すると、相手の体が何となくわかってくるのです。(思い込みかもしれませんが、実際そういう練習もしました)占いにもかなり『整体』の影響は受けていますね。生前の野口晴哉氏は知りませんが、恩人といえます。これは、いつかちゃんと書かなくてはと思っています。エネルギー・フィールドは誰にでもあり、それを自在に操り、自分や人に「活かす」こともできます。「気」は「手」から出やすいものです。その「気」を使って、佐伯さんはマッサージをしていらっしゃったのですね。ただ、手や指の動きを機械的にするのではダメで、「上がって~、きれいなるのよ~というように、気合や掛け声を心でかけながら、マッサージをしているのです。それがないと、本当にはきれいにならないのかもしれません。私は恥ずかしながら『整体』で食っていこうと思っていたこともありました。現実に「初段」の免許もいただきました。「気」をもう一度思い出させてくれた番組でした。わたしもその夜、内緒で「気」をこめてマッサージをして寝ました。翌日、はっきりと肌が変わっていました。(それこそ気のせいかもしれないって?)
2005.06.12
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昨日は本当に何もしなかった。ここ最近10年ほど、手帳には予定が書いてない日はなかったように思います。『時の記念日』だったのに、時計を見ないで一日過してしまいました。何もしなくてもいい。なんて幸せなのでしょう。お休みをいただいて10日たちます。張り詰めていたバイオリンの弦を一本ずつゆるめていく感じ。でも、これは家族が元気だからできることでしょう。以前はこうはいかなかった。リラックスということがどうしてもできなかったと思います。いつもどこかで緊張をしている。誰といても、一人でいても緊張が解けない。緊張は決して悪いものではありません。全力を出すには緊張していないといけないと思います。でも弛緩がなければ、緊張はない。十分にゆるめることができなければ、いざというときに力がでない。頭ではわかっていたけれども、実行するには程遠かったように思います。食べ物を一口ずつ味わって食べる。お茶を飲むひと時を楽しむ。これって何て幸せなことでしょう。「占い師」という役目と「主婦」という役目が交替ごうたいで訪れてくる一日の時間割。主婦という仕事も、これで終わりということはありません。つい、私自身を見失いそうになります。私はムーン・フェアリー・ヒロコという一人の人格に本名の人格があります。芸名を持つというのは、とても楽しくて幸せなことです。だって、二人分の人生が生きられるのですもの。しかし、ムーン・フェアリー・ヒロコにも色々な役割があります。「占い師」ときどき「先生」ときどき「生徒」そして、ひょっとして「著者?」本名である私は、母、嫁、娘、妻、そして、女である私自身。最後の「女である私自身」がいつのまにか、どこかへ行ってしまったように思いました。私の夢のノートには、たくさんやってみたいことが書いてあります。「女である私自身」がしたかったこともね。(今はやりのデトックスとか。)それを6月になったら毎日一つずつ実行しようと思っていました。今日まで一つずつこなしてきました。(この書きかたも強制的、義務的なのよね)でも昨日は何もしませんでした。何もしないって、やっと全部の弦をゆるめ終わったような感じです。文章をもうれつに書きたいと思ったり。(あっ、Mさん今、せっせと書いていますのでもう少しお待ちを!)ちょっぴり、仕事への興味が回復したかな。もう少し「女である私」にプレゼントをしてあげよう。ペディキュアなんてしてみようかな。(ね、すごく遅れているでしょ?)
2005.06.11
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きゃ、今鏡を見たら顔が黒くなってるわ。昨日、「梅雨に入る前に庭の整枝しなきゃ」と思って、日中2時間ほど外に出ていたのです。きっとそれが原因。案の定、今日から「梅雨入り」。昨日は曇っていたから大丈夫、とたかをくくったかな?帽子をかぶり、長袖のブラウスを着て万全の体制で、庭に出たつもりだったけど。6月の太陽は雲を通してでも、結構強いものがあったのです。ガーデナーのM君と一緒。そうだ、今回からはネコのメイ君も一緒。ネコは決して手伝ってはくれないけれども、そばで見ていてくれるだけで疲れが半減するような気がする。家の中から、じっと、見守るといっていいかな?大きくなりすぎた南天や柳の木、びわの木などをM君が切ってくれるそばから、ゴミ袋に片付けていきます。もう、大汗をかいてしまいます。ガーデニングと言葉はステキに変わりましたが、内容は園芸であり、農作業です。土いじりで体を使っていると、時間を忘れ、忘我の境地になりますが、しっかりと現実には顔や手足は日焼けをしているのです。これを普段の美白(普段も地黒だけど)にもどすのは至難のワザ。でも、そう言ってばかりもいられない。放っておいたら、すごいうっそうとした庭になってしまうのです。ネコのひたいのような庭でも。(ネコが気を悪くするかな?)何とかM君の協力で、庭がすっきりしてきました。そして、M君がメイにプレゼントしてくれたのが、キャットニップ。キャットニップはネコにまたたび的効果のあるハーブです。苗木も持ってきてくれたので、メイに「ほら、もらったよ」とためしに嗅がせてみました。でも、全然なんともないようで、ぷいとあっち向いてしまいました。うちのメイにはお気に召さないのかしら?M君いわく、「大人のネコ」のハーブだそうです。大人にならないとわからない香りなのでしょうか?シソ科なので、見た目はレモンバームやミントと似ています。M君はタネもくれました。タネ袋には、キャットニップにうっとりする成人ネコの写真が写っています。これが、前にいたタウにそっくり。全然可愛くなくて、すごみのあるおっさんネコのようです。目が据わっているようにも見えます。日本のタネ会社なら、カワイイ子猫の写真を載せるところです。でも、この写真を見てすこしほろっとしてしまいました。タウが写っているかのようだったからです。このブログの右上に出ている写真とほぼ同じ。おっかない顔をした茶寅ネコ。これは、アメリカ製のタネです。アメリカではこういうネコが「カワイイ」部類なのでしょうか?タネ袋は取っておこうと思います。そして、この写真を机に飾っておこうと思っています。
2005.06.10
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こんなタイトルをつけたら意味深よね。何のことはない、私の「13参り」の日のことなのです。私の実家の京都では、女の子は13歳になると「本裁ち」の着物を初めて着ます。それまでは幼い少女風の着物。それが、大人の女の仲間入りをして、虚空蔵菩薩さんへとお参りする行事のことです。誕生を過ぎ、お宮参りのときに着せ掛けられていた着物を、仕立て直すのです。この行事は、近畿地方だけかもしれませんが、成人儀礼のひとつかと思われます。虚空蔵菩薩は、13仏(あとで説明しますね)の一つのご本尊です。知恵や福運を授けてくれる菩薩さまです。こちらの仏様におまいりして、13歳のお祝いとして、開運を祈ったのでしょう。13歳は女性は最初の厄年とされています。初潮とも関係があるかもしれません。13歳の私は誰かに見つめられようものなら、耳たぶまで真っ赤に染まるような、うら若き乙女だったのです。(そうです、この私でもそんな時があったのです!一体それは今いずこへ?)丹後ちりめんの里に生まれた私は、シックな薄紫色の着物を着させてもらいました。他の女友達は嬉々として(いや、そう見えただけかもしれませんが)にぎにぎしくお参りに向かいました。私はその日に始めて口紅をつけたのです。鏡の中の私は、初めて見る私でした。無理して作った大人の女のように見えました。私は恥ずかしくて、夕方薄暗くなるまで外に出られなかったのです。ようやく外が暮れなずむ頃、母にせかされて13参りへと出かけたのでした。確か橋をわたったときに振り向いてはいけないというタブーもあったような・・・。先日、東洋大学の講座『日本人の死後観ー13仏信仰を中心として』を聞きました。東洋大学は昔から、結構縁がある大学です。よくお誘いいただいて、ときどき出かけています。もちろん私が出た大学ではないのですが・・・。東洋大学は東洋史学、哲学、仏教学などのメッカですよね。私は日本の宗教史観に興味があります。日本人の死生観もライフワークとして手がけているテーマです。(大きく出てしまいました・・汗)いつか日本人独自のタロットを作ろうと思っています。『ジャパン・タロット』というタイトルで下手ながら自分がイラストを描いた原本もあります。私は占いでも、日本人としての精神性・魂を大事にしたいと考えています。(おこがましいですが)人間として、日本人として、男として、女として、自信を持って生きていって欲しいと思っています。その中で日本人として大切なものは何か?残していかなくてはいけないものは何か?いつも考えています。最近も、日本人はよくバッシングされることが多いように思います。また、自信をなくし、卑下しすぎているのではと思うこともあるのです。歴史的に見ても、もう一度日本人として依って立つところを明らかにし、世界へと発信できることがあるのではないかと、思っています。13仏の信仰はそんなに歴史があるわけではありません。せいぜい鎌倉時代末期。講座は「日本人の死への準備教育」の一環とのこと。13仏信仰は日本人が生んだ独自の信仰です。13回忌という言葉はよくご存知だと思います。それと響きあう13参り。顕界と幽界は対応するという思想なのです。人間は誕生を通して、13参り(あるいは15歳、20歳)で成人式を迎える。それと同じく死者は13回忌で弔い上げを迎える。そして、個性をなくし、祖霊となる。不動、釈迦、文殊、普賢、地蔵、弥勒、薬師、観音、勢至、阿弥陀、阿しゅく、大日、そして13番目の虚空蔵。中国の道教・儒教、日本に輸入された密教・浄土信仰の思想が入り混じっています。13仏巡礼で最近も見直されているようです。今現在生きている人間にとっての13参りであり、13仏信仰だと思っています。死者を「弔う」ことは、生きている自分を「癒す」ことです。顕界(現実)と幽界(死後)を結びつける信仰だとも言えます。きわめて日本的な信仰だと言えます。他人の目に触れぬように、うつむいてそそくさと小走りでお参りを済ました私は、ちゃんと虚空蔵さんに功徳をいただいて来なかったかもしれません。だって、今の私ってあまりにも知恵がないのですもの。もう一度13仏巡礼の旅をして、きちんとお願いしてこようと思います。
2005.06.09
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私は自慢ではありませんが、あまり体が丈夫ではありません。数年前、大病してから、無理が全然ききません。それで、かかりつけのお医者さんというのがいます。昨日もその女医さんとお目にかかってきました。もう、3年ぐらいになるかな。もちろん看護婦さんたちも懇意。行くと結構時間を取ってくださり、体の話だけではなく、仕事や趣味、家族や生活の話など、お友達のように接してもらっています。私より少し下の年齢。まるで雑談につきあわせていて、悪いような感じです。今年になってから、すごく血圧が高くなり、「これが続くなら・・・」(精密検査をしましょう)と後の言葉が聞こえそうです。高血圧は成人病(今は生活習慣病というのかな)の一つで、色々な病気のもとになると言われています。私はしっかり、体は老人になっているのでしょうかね。めまいや心臓の動悸・・・。それが昨日は上下とも20、目盛りが下がっていたのです。20というのは大きいと思います。「これじゃあいらないよね」といきなり血圧を下げる薬はなくなりました。血圧が高いということは、私が考えるに、ビルの屋上のタンクが圧力を高くしないと、高いところに水を供給できないように、高く緊張を保つ仕事をするために圧力を高くしなければいけない、ということと同じかもしれません。自分は小心者なのに、身の程知らずに、その性格や限界を越えて、無理に「何か」をやってきたのかもしれない。他の人から見たら、たいしたことない、って言われるかもしれないけど。プレッシャー(圧力)を与えて、それもハイ・プレッシャー(高圧)を与えて生きてきたのかもしれない。それが、6月になってお休みをした途端、ばーって数値が下がったんだもの。よっぽどリラックスしているのかもしれません。それとも、やはりなまけもの(てんびん座の意味のひとつ)が本来の姿?とても気分が楽なのは確かなのです。本当に仕事をやりたくなるまで休めたらいいなと思います。これに味をしめたから、また、血圧が上がってきたら休もう。先生も「休んでね」って言ってたし。体って、だましだまし使うしかないし。先生のホロスコープもしっかりあります。看護婦さんたちのホロスコープもあります。「先生、結婚する相手が見つかったら、相性見るから教えてね」と言ってあります。「ほんと、お願いしま~す」なんて、おっしゃっていますが、まだ、彼氏の出現のお話は聞いていません。信頼できる、お話をよく聴いてくださる先生がいて良かったと思います。
2005.06.09
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先日、新宿で開催された『ミネラル・フェア』に行ってきました。もう何年行ってるかなあ。かれこれ10年ぐらいかな。1年に1、2回、世界各地・日本中の石やさんが、あっ、もとい、鉱石屋さんが集まり、展示即売してくれる催し物です。化石や鉱物の標本もたくさんありますが、やはり私にとっての「目玉」は「水晶」です。他に半貴石(宝石とはいえないまでも貴重できれいな石)類もたくさん揃っています。何十万、何百万円とするものもあり、買うのは畏れ多い石も多くあります。でも、眼福っていうのでしょうか?見るだけでも幸せを感じます。石好きの人というのは独特な雰囲気があります。石を見る目がもう、恋人を見るような目になっています。どう考えても、「石」に大枚をつぎこんで家にもってかえって飾るという心境は、同好の士でない限り理解しにくいものがあると思います。宝石も石といえば石。女性は年とともに好きになってくるとも言われています。わたしも、年齢を経るごとにダイヤに目がくらんだりしています。でも、どっちかといえば、半貴石類の水晶・ラピスラズリ、オブシディアンなどの親しみやすい石が好きです。なかでも水晶は「これっ」というのと出会うために、毎年フェアに出かけているのです。10年前はスカートはいてハイヒール、バッグ片手に気取ったような格好をしていったのですが、最近は、ズックにリュックをしょって出かけます。そうじゃないと、広い会場内を歩き回ることができないし、買った石を持って帰るが大変だからです。もう、すごい格好してあやしい「おばさん」しています。今回目をつけたのが「ギャラクシー・クリスタル」別に「ギャラクシー・クリスタル」という水晶があるわけではありません。球形の中にレインボーと不純物が混じりあい、ちょうど銀河系のように輪っかになった「つぶつぶ」が入っている水晶を、勝手にそう呼んだものです。ひと目見て気に入りました。この水晶を見ると、すーっと中に入れそうです。直径7センチぐらいなのですが、広い宇宙空間を感じることができます。これを鑑定ルームに飾ろう。そう鑑定ルームには大小合わせて50個ほど水晶が置いてあります。これは映画『スーパーマン』の影響もあるのです。スーパーマンが生まれたクリプトン星の洞窟は「水晶洞窟」となっており、それはそれはきれいなものでした。いつしか、この洞窟を再現しよう、と思っていたわけではありませんが、影響はしっかり受けてしまいました。水晶は古代の遺跡から発掘(水晶ドクロなど有名)されたり、日本の神社などに奉納されていたり、かなり昔から貴重品扱いされていた石です。水晶はクリスタルともクォーツともいいます。種類もそのままの原型、球形、ピラミッド型、8面体、12面体などさまざまなものがあります。私が感じたところ、思念を凝縮・拡大させてくれるような働きがあるように思います。場所の浄化にも役立ってくれるようです。トランスミッター的な役目を果たしてくれるのでしょうか?もちろん見てもきれいです。まるで、「水」の「精」みたい。そうだ、「水精」と言い表すこともあります。確か、水が5000年地中に眠っていたら、それが凝って水精になるのだとか・・・。ああ、水晶のことを書くとキリがありません。どうぞ、鑑定ルームにいらしたら見てみてくださいね。また、この水晶の中に入る「ワーク」を致しましょう。(^_-)~☆
2005.06.08
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今日(6月7日)発売の女性雑誌『BOAO』7月号(マガジンハウス社)に、私の記事が掲載されました。178ページの「香りセラピーでこころと体の最終仕上げ」という特集で出ています。星座×血液型を組み合わせた「占星術フレグランスで運勢アップをしましょう」ということで、48通りの香りの提案をしています。本当に香りはモードを一瞬で変えてくれる作用があります。私にとって、毎日の生活に必須のアイテムとなっています。今日の気分、体調によって、さまざまな香りをセレクトして、鑑定室(または家)に香らせています。雑誌の中では、例えば、しし座の運勢は「とても強運、創造力があります。でも、孤独に弱い甘えっ子です」と書いたあと、星座本来の運勢を上げるエッセンシャルオイル「オレンジ、フランキンセンス」をプラスして提示しています。その上に(その上ですよ)しし座の中でA型の人はローズ、B型の人はシダーウッド、O型の人はペパー、AB型の人はペパーミントというように、詳細に書いています。血液型は200年ほど前に発見されたことなのですが、性格判断としてあなどれないものがあります。それぞれ単独で用いてもOKです。また、星座の香りプラス血液型の香りをブレンドして、香らせてもOKです。例えば、しし座O型ならば、オレンジでもペパーでもいいですし、これをブレンドしたオレンジ・ペパーでもいいです。なかなか刺激的でパワフルな香りとなります。私が実際に香りを試してみて、作り上げた組み合わせです。全星座分をブレンドして(何通りになったかな?100通り以上になったと思います)ステキな香りになっているかどうか、試したのですよ。これが一番この取材で大変だったかも。でも楽しい経験でした。今日はちょっぴりどきどき、ちょっぴり嬉しい気分。本屋さんに行って、ちゃんと雑誌に載っているかどうか見てこなきゃ。こんなときは「ローズ・オットー」の香りを自分にプレゼントしちゃいます。何せ一滴300円の世界ですから、「おっとー」とびっくりしながら、香りのしずくを楽しみます。この香りは自分が「セレブ」になったと思わせるような(思わせるというのがポイント!)上々な気分をプレゼントしてくれます。どうぞ、書店でコンビニエンスショップで、見てみて(できたら買って)くださいね。よろしくお願いいたします。3月出版した私の本『アロマ占星術』には「香りによって運勢をアップさせる方法」が書いてあります。そのふくいくたる香りとともに、もっと日本に世界に、広まりますように。あっ、そうだ。本『アロマ占星術』では具体的に本に香りをつけることができませんでした。でも次回の本『星座別の香りの本』では「星座別」に実際に「香り」を楽しめる本を作成しようと思っています。こちらのほうもどうぞご期待くださいね。
2005.06.07
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昨日、NHKの教育テレビで『ようこそ先輩』という番組を見ました。古武術の甲野善紀さん、が母校の明星小学校(「疑念」という精神集中法を授業に取り入れています!)で授業をしました。タイトルは「呼び起こせ!日本人の力」筋力にたよらない身体技法の実践研究者です。筋肉をトレーニングする方法は明治時代の軍事訓練から始まったのだそうです。彼の体の動きは不思議で、全然ムダというものがなく、とても美しい。このほうが大きな力が出ることがあるの、知ってた?あの桑田真澄投手をよみがえらせたことで有名です。私はこの人のことをかなり昔から知っていました。著書『表の体育 裏の体育』には随分を影響を受けました。「ナンバ歩き」という言葉で知っている人もいるでしょうね。日本の江戸時代の体のさばき方です。右手右足、左手左足、と同側を使って歩く方法です。江戸時代の飛脚は一日に200キロメートル走っていました。これはナンバを使っていました。日本独自の「不思議なチカラ」と言ってもいいかもしれません。筋力をふっとぬかせると、力がいらなくて大きな力を出せるのです。(よくわからない表現でごめん)人を殺傷または倒すのが武道であるなら、現代にはどのようにして利用できるか?介護で寝たきりの人を抱き起こしたり、座った人を引き起こしたりするときなどに大いに有効なのだそうです。(私も実は重い人をベッドから起こして、私自身がぎっくり腰になったことがあります)体にはまだまだ、未知のチカラが眠っているようです。私も「整体」という身体技法をずいぶん学んだものですから、体から心が変わるということはよく知っていました。でも、彼は「体から革命を起こす」と言っていました。体から心、ひいては現実を変えていく。地球の温暖化や、さまざまな問題は今までの知恵ではやっていけないかもしれません。新しい知恵は「体に学ぶこと」、その体を通して未来を変えて行きたいということが、彼のメッセージとしてあるようです。しかし、天才的な身のこなしで、教えるのも教わるのもかなり難しそうです。言葉では教えることが不可能かもしれません。でも「教える中で、教わったことがたくさんある」とおっしゃってました。教え方も、新しい発想も人と人との関わりで生じたのですね。
2005.06.06
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なかなか観ようと思って観ることができなかった映画がたくさん家にあります。最近はDVDで観られるのでとても便利。それを一つずつ観ていこうと思っています。なのに、昨日の衛星放送「ムービープラス」で『昼顔』(カトリーヌ・ドヌーブ主演)をやっていたものですから、急遽こちらに変更。この映画は都合3回観ています。高校のとき、大人になってから、そして今。高校のときは「何だかさっぱりわからない」部類の映画でした。ストーリーは昼は「昼顔」という娼婦名で背徳的な恋に生き、ふだんは貞淑な医師の妻として生きる貴族的な女性の物語です。映画は夢(白日夢?)、過去のフラッシュバック、そして現実が入り混じり、よくわからない構成となっています。でもそれだからこそ、印象に強く残ります。だから、3回も観てしまうのよね。聖人のような夫には満足することができないカトリーヌ・ドヌーブ。夢では、倒錯した世界で活き活きと生きています。その夢があってこそ、夫に心からの愛情を捧げることができるのです。今回は「ディテールを見よう」ということにしました。この映画は、カトリーヌ・ドヌーブが一番美しく撮れていると思います。衣装もすばらしい(何ていうブランドだったかな?)出てくる車椅子もスタイリッシュ!さすがフランス・パリを舞台にした映画だわ。中で黒魔術的な幻想(現実?)の場面が出てきました。西洋の映画には、ときどき「魔術」の影響を見て取ることができます。伯爵がある儀式をするため、カトリーヌを屋敷に連れて来るのです。それが、黒ミサ風なのです。一糸まとわぬカトリーヌが全身をおおう花冠つきベールで、棺おけに横たわっています。胸には百合の花を抱いて、死人のように目をしっかり閉じています。そして、伯爵が詩のようなものを読み上げるのです。何か妖しく、不可思議で、演劇的です。実は魔術結社の入団の「儀式」もこういう形を取るらしいのです。儀式次第は秘密とされ、外部にもらしたものは、「死をもって償わされる」という約束があるのだそうです。しかし、少しずつかいま見られる結社の内容に、今回観たカトリーヌと同じ姿をした写真があったのを見たことがあります。もちろん、これにはこれで意味があります。無垢な状態で、ベール(神秘、秘密)をかぶり、ゆり(清浄、聖母マリア)を持って入団する。でも、興味本位で取られることが多かったのでしょうね。悪いイメージで映画には描かれることが多いようです。それを考えると、あの明るい『ハリー・ポッター』の登場は魔術の復権につながるかもしれません。私は、「心をイメージの世界で遊ばせ、現実をより豊かに生きる」という魔術の考えは「人間性の回復」として今現代の人に必要ではないかと思っているからです。
2005.06.06
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こう書房のあまろ~ねさんのブログに、また再び、私の読書感想文を取り上げていただきました。(ちょっと掲載が遅くなってすみません)こう書房の本は読みやすく、わかりやすいので、昔からよく読ませていただいています。6月1日付け「おじいちゃんに諭されているような?」というタイトルです。稚拙な文章なのに、いつも載せていただきありがとうございます。今回は『【超入門】般若心経の読み方』に対して書かせていただきました。これは私のもう一つのブログ『今日のデザート読書』に書いたものです。よくぞ占い師の苦労をわかっていただけたと、感謝感激あめあられ致しております。占い師に占いの技術(占星術、タロットなど)は必要不可欠なのですが、それを実際の鑑定で伝えるにはかなりな「表現力」が必要です。その表現とは、占い師の脳・思考を通して、口・言語という形で相手に伝えることです。占いの結果は占い師の頭をスルーして出てくるのです。シンボル(象徴)として出てくることが多いので、それを相手に伝えるには、かなり言語能力が必要かもしれません。また、占い師の人間性(人柄)が出るかもしれません。私も若い頃、かなり占ってもらったことがありますが、占い師の言っていることがよくわからず、抽象的で、占いはあやふやなものだなと思ったものです。「きつねにつままれた様な気分」でよく帰ってきました。また、反対に「全然ダメよ!」と絶対反対断定的に言われたこともあります。手相を見てもらって生命線が割れているので「40代半ばで死ぬ」とまで言われたこともあります。納得するまでいかず、「そんなもんかな」と思っていました。同じことを言うのでも、その「言い方」があると思います。老若男女さまざまな人に応じて、表現力は変えたほうが伝わりやすいと思います。「言い方」のバリエーションを知るために本を読んでいるのかもしれません。私の「本を読む」という行為はイコール勉強好きということでもありません。なので、私はそんなに勉強家ではありませんです。本というものに「囲まれている」状態が好きなだけなのかとも思います。あまろ~ねさんのブログは編集者さんが日常何を考えていらっしゃるか?が書かれています。このブログで、私は編集の勉強をさせていただきました。ところで、あまろ~ねさんは『感想文を書いて新刊ゲット!』という独自の企画を立てていらっしゃいます。K書房さんの本を読んで、感想文を書いて新刊をゲットしよう!そんなに難しく考えなくていいそうですよ。短いものでもOKとのこと。どうぞ皆さんふるってご応募を!
2005.06.06
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今日はこわいお兄さんネコとにらみ合いました。窓の外を見ていたら、よそのネコさんと目が合いました。向こうのネコが、ボクをじっと見て「何だよ、見るんじゃないよ、このチビっ子」といったものだから、ボクも負けずに「何言ってるんだよ、ボクんちの庭だよ」と言い返してやりました。向こうは思いっきり毛を逆立てて「フーっ」と言ったものですから、ボクも負けずに「フーっ」と威嚇してやりました。相手のネコはね、すごすごと首を引っ込めて、足早に去っていきました。ここにはね、ボクがいるんだからね。ボクはね、番犬ネコなんだからね。勝手に通ったりしないでね。ボクは一人前のネコなんだからね。ちゃんとボクに一言あいさつしてから行ってね。ヒロコお母さんが、「まあまあ、メイちゃん、何を見てうなってるの?」と聞きました。だから、「ボクね、怖いお兄さんネコにひとこと文句言ってやったんだよ」と鼻高々に(低めの鼻ですが)お話しました。「まあ、それはそれは、お役目ごくろうさま」「まだ小さいのに、頼りになるわ」と言ってくれました。えへん、偉いだろ?って、ボクはお母さんに甘えるときはひざに乗って、ちゅくちゅくします。肌触りのいいニットのセーターなんかをお母さんが着ていると、何かわからないのだけれど、本当のお母さんを思い出して、つい吸ってしまうのです。だから、お母さんが「哺乳びん」を買ってきてくれました。子ネコ用の飼育のための、おっぱいだって。ボクはね、「もう、お兄ちゃんだから要らない」って言ったんだけど、近くの「ぺっとしょっぷ」で買ってきてくれたんだよ。慣れない哺乳びんに「牛乳」を入れて「飲みなさい」って。「ごむ」っていうのでできてるの?あの、ぐちぐちしたの。ヒロコお母さんは案外乱暴だから、「さ、飲んで」と無理やりボクのおくちにつっこむんだよ。最初はボクも「何これ?」と思ったんだけど、結構おいしいんだよね。なぜだか、とてもなつかしい。そして、いつの間にかとろとろといい気分になってしまう今日この頃です。
2005.06.05
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ボク、メイが来てそろそろ一週間たちます。毎日、たくさん遊んで、たくさん食べて、たくさん寝ています。お部屋の中の探検はまだまだ、未踏の地があるぞ。窓の外は出ちゃいけませんって。ときどき、のそーって大きなオジさんネコが、こっちをにらみながら庭を通り抜けます。青い首輪をした白いネコさんや白に黒のブチのネコさんたちが、どうも公園への通り道として使っているようです。やっぱり、ちょっと怖いかな。ヒロコさんが、オレンジ色の毛糸で、ミサンガ風のかわいい首輪を編んでくれました。あっ、サッカー、日本が勝ってよかったね。ボクはベッドでうとうとしていたのだけど、わーっていう大歓声がリビングから聞こえてきたよ。黒地(ボクの地色)にオレンジ(ん?何か巨人軍風だな)はよく映えるって言ってるよ。夏を招きよせるあざやかな配色です。そういえばミサンガってプロミスリングとも言うんだよね。願掛けみたいなもので、占いの一種といっていいかも。手首(もしくは足首)に結ぶときに、1つお願い事をすると、それが切れたときに願いが叶うのだそうです。きっとヒロコさんは「お守りの代わり」にもしてくれたんだよね。亡くなったタウお兄さんのお古が結構多いんだよ。「つめ研ぎ器」も使いなさいって。せっかくだから、かりかりかりって研ぐまねをしてヒロコさんを喜ばせて上げました。ボクはエンタメ系だからね。人が喜ぶことをしたいと思っています。タウ兄さん、以前ヒロコさんのホームページで)『ネコのタウ日記』 っていうの書いていたんだって。だから今日から、『新月通信ブログ』で『ネコのメイ日記』を始めます。何なに?ちょっとお兄さんの日記を読んでみました。「付録ネコでもわかる占い」もついていたのか。でも、兄さん、あまり勉強してなかったみたいだな。なんて。ボクの日常的発見の日記。に、占い超初心者(ネコ)のボクが学んだ「占い」の記事も載せていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
2005.06.04
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待ちにまったネコがやって来ました。お休みに入った6月直前にしたことは、ネコを家に迎えること。家にネコがいるのは、ほぼ1年ぶりのことです。大きな声を出しながら、バスケットに入ってやって来ました。生後1ヶ月の男の子。黒きじのしっぽがぴんとした元気一杯の子猫です。朝からネコを迎える準備でおおわらわです。「ネコのトイレ」はあったっけ?えさどうする?寝るところは?など、気がかりなことがたくさんです。私は顔をみてすぐに名前をつけました。「メイ」君です。「明」と書いて「メイ」と読みます。明るい性格だからね。5月Mayも兼ねています。5月の最後の日にやってきたからね、メイ君。あっ、「名君」というひびきも聞こえるね。それほど、チビっこいのに威厳があるのです。その名のとおり、家に入ると臆することもなく、あちこち探検してまわります。全然人見知りしません。人のひざにかけのぼり、黒い目でじっと顔を見ます。これは、飼われているネコしかしないことです。野良ネコたちは、人と視線が合うのを避けます。(よくここまで、1ヶ月育ててくださいました。育ての親に感謝)植木鉢をクンクン、家族をクンクン、テーブルをクンクン。家の中を一通り確認した後は、ちょっとおなかがすいたようで、一緒につけてもらってきた「猫缶詰」(まぐろ)をお皿に出したら、ぺろって食べてしまいました。そして、また行動開始・・・かと思いきや、ひざに抱き上げてやったら、少し落ち着いてきたようでじっとし始めました。きのうは、私はジップアップパーカーを着ていたので、胸のところにネコをカンガルーのように入れてやりました。袋に入った子カンガルーのように、「母」(私)のぬくもりを感じてもらいます。すぽっと入った子猫は、最初のぱっちりおめめはどこへやら、いつのまにかうとうととしてしまいます。今日は一緒に寝てやらないとダメかしら?ふところのあたたかい生き物を抱きながら、考えました。こんにちは、ネコ君、よく来てくれたね。これからどうぞよろしく。また、「メイ」君の写真をアップしますね。「タウ」君、今までどうもありがとう。
2005.06.01
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