講演会・展示会・ワークショップのお知らせ 0
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トルコに初めて来た年から数えて今年で26年目。ずっぼりどっぽりトルコに根を下ろしてしまった感があるのだけど、今、振り返ってみても、全てがつい最近のように思えて仕方がない。年月が経つのは本当に早い。残りの人生、悔いのないように、大切に大切に生きていきたい。ライコス時代のブログがスタートなので2004年以前の記録もあるはずだけど、インフォシーク時代のブログも残しておいてよかった。記憶って定かじゃないから、こういう形で記録に残しておくのも大切かな・・・って思う。30代、40代の私、異国で手探り状態の中、仕事に子育て、よく頑張ったなって誉めてあげなきゃね。にほんブログ村
2013年07月05日
こちらのブログは更新されていますせんが、ちゃんと続編があります。続きは以下のブログへ。後編「続・絨毯屋へようこそ トルコの絨緞屋のお仕事記」はこちら弊社「ミフリ」は外資系トルコ現地法人の貿易会社です。絨毯、キリム、手工芸品全般のほか、ファッション関連、ファブリック関連、食品、家具、キッチン用品、日用品、各種機械などの輸出・輸入、関連したアドバイス業、代行業などを行っています。トルコキリムと伝統手工芸ミフリ&アクチェ
2009年08月15日
今年も残りわずかになりました。トルコはお休みが元旦のみのため、仕事納めも仕事始めもなく、普段とあまり変わらないのですが、気持ちだけは紅白歌合戦とか、除夜の鐘とか、年越し蕎麦とか、初詣とか、お節料理とか思い浮かべながら盛り上げています。こちらのブログへもまだ訪問してくださる方がたくさんいるようですが、以下のブログで続きを書いています。よろしくお願いいたします。ブログの続編「続・絨毯屋へようこそ トルコの絨緞屋のお仕事記」はこちらでは、みなさまよいお年をお迎えください!!
2008年12月27日
日本からはウズベキスタン航空を利用して戻ってきた。トルコで買えるチケットの中では安いからというのが理由なのだが、距離的にも実際に短いのだと思う。でも時間はかかる・・・。家から成田までクルマで1時間。チェックインが19:00で、成田発が21:00で、大阪に一度降りる。そこでお客を下ろすのと拾うのと・・・。そしてタシュケントまで8時間、タシュケントで4時間待ち、イスタンブルまで5時間。私たちが住むアンタルヤはイスタンブルからさらに飛行機で1時間。イスタンブルで4時間待っての飛行機を予約していたので、結果、日本の家を出てから23時間で着いたことになる。どうりで身体も痛くなるわけである。トルコに戻ってきたばかりは、やはり日本ボケするものである。まずトイレにペーパーをそのまま捨ててしまった。この逆で日本へ行ったばかりの時もトルコボケしているから、いろいろやらかす。一番問題は駐車場や細い道路で右側通行をすることである。対向車がいたり、中央分離帯があればそれほど戸惑うこともないのだけど、気がつくと右側からまわろうとする。ファーストフード店で、トレイの片づけをしない。…トルコじゃ食べっぱなしでいいんだもん・・・・。たいてい店を出てから気がつく。トイレにペーパーを流してはいけないとゴミ箱を探してしまう・・・・だって、癖になっているんだもん。そして日本ではトイレにペーパー捨ててよかったんだって気がつく。あとはお茶を出すときに飲み口ぎりぎりまで入れてしまう。日本人がカップに6分目ぐらいに上品に入れているのを見て「ケチくさいなあ。もっと入れてよ」と一瞬思ってしまい、ああここは日本だった・・・と。画像は8月3日から10日までの鹿沼での催事の準備中に撮影したもの。下がっている小さな四角いものはスカーフ付きのオールドイーネオヤ。次回は4月に都内で古いイーネオヤ、オスマン刺繍、手織り布、その他服飾品などの展示会。
2008年08月23日
長い長いって大げさな・・・・・。ほんの4日半の間、外に一歩もでれない状態で、毎日20時間ほどデスクワークをしていた。締め切りがあるからとにかくやるしかない。アンタルヤの天気はとてもいいのに、家の中にいるから青空なのにも気がつかない。青い空を見たら、やっぱり青い海を見たいよね。・・・・ということで、ちょっと遠出して(ってアンタルヤ県内でしかも30kmぐらいしか離れていないところ)、久しぶりの休暇。例のごとく食事、飲み物全て込みのビーチリゾート5つ星ホテル、ってやつですけど。4月末まで4000円と安いので駆け込みで。ちなみにこの晴天下、アンタルヤでは地中海ビーチや屋外のプールで泳いでいる人、たくさんいるだろうな。そういう私はきっと泳ぎもしないで、寝て、食べて、お風呂に入って・・・。あっ、仕事の続きがあるのでパソコンは持参です・・・とほほ。
2008年04月25日
関東は雪が降ったそう。こちらは昨日、今日とだいぶ温かくなってきた。風はあるけど空は青いし、そういえばもう2月に入っている。2月といえば、日本ではこれからまだ寒くなる時期ではあるが、アンタルヤでは2月の声を聞いたら、もうすぐ暖房がいらなくなるね、という話しが出る。あと2週間で寒さも終わり・・・とも言う。カフェの仕事も、オープニングセレモニーも無事終わったし、少しずつスタッフに任せるようにして、私は自分の仕事に集中していきたいと思う。今週はちょっと疲れたので、家でグタグタ。本当に久しぶりにテレビなど見ながら過ごしている。
2008年02月04日
犠牲祭も3日目。肉の食い過ぎで、お腹と歯が痛い。お腹が痛いのは単なる食べ過ぎで、歯が痛くなるのは、肉が固くて噛みづらいからである。骨付きの炭火焼き肉を、手で持って、歯で食いちぎる。友人宅では牛1頭と羊1頭を切った。初日の夜は家族中で、肉を切り、カウルマを作ったり、バーベキュー用に用意したり。カウルマはいつも思うけど、白飯にのせて食べたり、玉ねぎ、しいたけなどと一緒に煮込んでたまごでとじてもおいしそう~。甘みのある牛レバーはミフリ社長の好物。食べる人が他にいないので、一人占め。バターライスにのせて、ワシワシ食べた。ごちそうさま~。
2007年12月22日
この前、午前10時まで寝ていられたのはいつのことだったろう・・・・・。と思いながら、目覚ましのならない時計を見て、笑ってしまった。時計の針は10時をまわり、別に今日は何もすることがないし、起きる必要もないので、せめて正午までは寝ようと頑張って布団にもぐりこんでいたものの、我慢ができなくなった。いや、久しぶりに寝たいだけ寝た。これも「犠牲祭」のおかげである。昨日の午後から、官公庁、学校などはいっせいに休みになり、今日から日曜日まで連休になる。今朝は犠牲祭の1日目で、あちらこちらで犠牲の牛や羊、山羊などが切られて、肉になっていることだろう。友人宅でも昨日は、家族が集まり、甘いものの準備や、パンの買いだめ、食料の仕入れと忙しかった。今朝も午前中は牛と山羊を切っていると思う。我が家は関係ないので、とくに何もしないが、私は犠牲の肉の臭いが苦手なので、この間は肉のあるところにできるだけ近寄らないようにしている。決められた場所で屠られた肉を、いまごろ一家総出で分別しているところだろう。今日のアンタルヤは天気もいいし、きっと昼にはバーベキューをする家庭も多いだろう。今日は店も休みなので、夕方には誰かの家を訪ねることにして、息子と家に引きこもりを決め込む。何もしなくてもいい、貴重な一日を楽しもう。
2007年12月20日
95年から住み、商売をしてきたTuzcular Mah. Pasacami Sok.(トゥズジュラル地区パシャジャミイ通り)とも、今日でお別れである。いままでも店の移転はしたが、全て同じ通り上でしただけで、ご近所さんも店の環境もあまり変わることがなかった。13年間のカレイチっ子であるが、いよいよ最後。カレイチを出る。そして初めての「ドーガラジ界隈」へお引越し。ドーガラジはカレイチの東、徒歩5分の距離である。以前は八百屋、魚屋、肉屋、洋服屋、香辛料屋などが並ぶ、常設の市場があったところで、今はすっかり取り壊されて、再開発計画の該当地区である。(権利の問題で揉めていて、工事はなかなか進まないけど・・・・)外国人がトルコ語を習う語学学校「トメル」もこの界隈にある。ドルムシュの乗り換え場もここにあり、賑やかさでいえば、カレイチよりもよほど人が多い。カレイチが観光客メインであるのに対して、ドーガラジは庶民が行き交う場所である。最近は予備校、語学学校などが次々と開講し、火曜日には青空市場も開催されるので、軽食屋や気軽に入れる食堂などが増えている。価格も観光地に比べたら安く設定されているし、逆にいえば、安くしないと商売にならない地区でもある。その分、薄利多売の、日本風に言えば100円ショップなどもこの地域にある。そこで営業するのであるから、我が「ミフリ・カフェ」も庶民向けである。予備校生や周囲の店で働いている若い子たちのランチやお茶の場になればいいなと、思っている。そして次の10年の目標は、高級住宅地への進出・・・!? このまま庶民界隈に埋もれてしまうのも悪くない・・・・!?もしくは慣れ親しんだカレイチに戻るとか・・・・!?どの道であっても、自分が選んだ道だから、きっと後悔しない・・・はず。引越し作業はちょっと落ち着いて、明日からやっとカフェの準備。スタッフの疲労度は最高値。ミフリ社長もちょっと疲れてます。カレイチとのお別れも、それほど感傷的にならないで済んだのは、この疲労のせい?
2007年11月30日
店舗の引越しの片付けに追われる日々なもので、他に話題がなくてすみません・・・・。今日も一日お片付け。トイレの掃除とか、壁の掃除とか、棚の掃除とか、キッチンの掃除とか、冷蔵庫の掃除とか、始めたらキリがない。やるしかないので、やっているんだけど、広すぎるのって問題である。まだオープン表示はしていなのだけど、引越ししたのは周囲も見ているものだから、好奇心満々でとにかく覗きにくる人がたくさん。何を売っているんだ。これは日本のキリムか。キリムは○○で買ったらいいんじゃないか、君は知らないだろうけど、これはへイベって言うんだよ、これはキリム、これは絨毯だよ・・・・と、丁寧に教えてくださる方も少なくなく、そのたびにはいはい、そうですか・・・・。明日はエアコンのとりつけ・・・・の予定。看板のとりつけ・・・・の予定。テーブルが届く・・・・予定。調理器具が届く・・・・予定。みんな予定で終わってしまう。もう少しで終わるはずだったんだけどなあ・・・・・いったい、いつ終わるのだろうか、この片付けと開店準備・・・・。息子と映画を観にいくつもりだったけど、疲れてそれどころじゃなくなった。とりあえず家までたどり着いて、ご飯でも食べて・・・・・。・・・・もう限界・・・・おやすみなさい。
2007年11月26日
朝から総勢7人で引越し先の店舗の荷物の片付け。ミフリ社長だって、体力も気力もないけど、何かしなきゃ・・・と邪魔にされながらも店内をウロウロ。やっと自分の仕事を見つけて(?)、雑巾で棚の埃を落としていた。そこへ通信社のフセインがやってきて、「おお、これは写真に撮らなきゃ! 一生に一度見られるかどうかの姿だ・・・」とカメラを取り出す。棚の配置をして、キリムと絨毯、その他の商品などをとりあえず、置いた。とりあえずというのは、スタッフ、その他手伝ってくれた友人たちは、絨毯屋ではないため、畳かたもそろえ方も知らないので、ただ棚に置いてもらった状態だからである。絨毯屋のキリム、絨毯の畳みかたってちょっと特殊である。これだけは修業を積まないとできない。畳みかたを覚えてもらうために、スタッフを絨毯屋修業に出さなきゃいけないな・・・と思ったり・・・。それでも今日1日で床スペースが確保できたし、一部のキリム、絨毯は中2階と地下に押し込んだ。あとは一人で少しずつ手直ししていく。中2階と地下はぼちぼちとモノを広げて、古い民家とか、遊牧民のテントの中とかを再現するように、古いものだけでできた空間を作って、ミフリ社長が・・・・もといお客さんに楽しんでもらう部屋にする予定。つらい作業も、この部分だけはかなり楽しいかも・・・と思いつつ、ああ明日(って・・今日になってしまったけど)もまた片付けか・・・と、うなだれてみる。日曜日の明日(って・・・もう今日だってば)は、夜にトルコの友人の結婚披露宴に招待されているので、早く片付けが終わったらいけるかもって思っている。もし間に合わなくても花束ぐらいは贈りたい・・・・。ミフリで長いことアルバイトをしてくれていたジェムと、同じころに社員として入ったスーザンが、長い春を経てやっと結婚することになったのである。いわゆる職場結婚になるので、ミフリ社長としても感激である。
2007年11月25日
一日おきに晴れ、雨を繰り返すアンタルヤの天気。今日は晴れている。昨日は布団を干して、雨に降られたので、そのまま出しっぱなしである。今日は乾いてくれるだろう・・・・。さてさて、一向に進まない店舗準備。一番の理由は、指揮するべき私、ミフリ社長の不在である。仕事の種類が多くなりすぎて、ひとところに留まれない。二番目の理由は、トルコ流スローぺース。職人たちが明日やる、明日来る・・・が来ないのである。みんなお金に困っていないのか、と思うと、約束は仕事が終わったら一括支払なのに、仕事する前にお金の請求があったりする。それならさっさと来て仕事を終わらせろ、って言いたいところ。信頼して前金を払ってあげていたこともあった。過去の話。でも前金を払うと、どういう目に遭うかは15年間のトルコ生活でいやなほど体験したので、今後はなし。近くに新しく飲食店を開けたオーナーが、ランチを食べに行くたびに「絶対、職人に前金を払っちゃダメだよ。終わったら払うように。そうしないとウチみたいに家賃を払っているのに、オープンできない状態が何ヶ月も続いたりするからね」と言う。なんでもいいのだけど、一度約束したことは、損しようがなんであろうが、商売人だったら守ることが大切である・・・と思うのだけど、思うのは私だけ。今日は水道屋への支払いと、片付けがある。食器とかもそろそろ選ばなきゃ・・・・。その前にメニューを決めなきゃ・・・。ああ・・・・ため息。やっぱり専門外の仕事は苦手である。それに私には飲食店経営のセンスははっきり言ってない。ノウハウもない・・・・。なんだかつらくなってきた。出勤しなきゃ・・・・。いってきます。やっぱりキリム、手工芸品談義や、村民市場めぐりとか、村訪問してだけのほうが楽しいなあ・・・。ああ、でも心配しないでください。引き受けた仕事はちゃんとしていますよ。
2007年11月21日
先日のブログで日本語のDVDをどうやって手に入れるか・・・と思案していたら、さっそくアンタルヤの日本人のお友達がお子さんの日本語のアニメのビデオを20本貸してくれた。そう、ビデオをCDに書き換えてもらえばいいのである・・・・。これはいいことを教えてもらった、と喜んだ。言われてみて、そういう張り紙を見たことを思い出した。でも必要なときに限って、どこで見たかは思い出せないものである。探しにいくのもアテがないので、知り合いのインターネットカフェに手数料とっていいから、と頼んだら、すぐに電話してくれて、納品日まで話をつけてくれた。1枚2.75YTL(約270円)でビデオをCDにしてくれる。世の中便利になったものである。(・・・・って知らなかったのは、私だけ・・・?)さてここ3日ほど、アンタルヤでも雨が降ったり、やんだり、青空が見えたかと思うと急に風が吹いたり、不安定な天候が続いている。アンタルヤにも冬が来たようである。・・・といいつつ、雨があがるとまた暑くなったりもするけど。引越しの準備は着々と進んでいる。店舗としては2日前から内装の職人さんが入っている。店舗の面積は1階と地下を併せて312平方メートル。地下のカフェ部分は200平方メートルはある計算。そのカフェ部分の壁を作ったり、取り壊したり、と壁の修復、ペンキ塗りで約15万円。大工さんに木製テーブルを作ってもらっている。テーブルは予算の都合で15個ぐらいにしようかと思っていたのだけど、それだとあまりにもスカスカになるので4人用が21個。運送代込みで約12万円。テーブルがきたら、それに合わせて椅子を選ぶ。キッチンは手元にあるものを移動させ、それにあわせて水道を引いてもらう。トイレ3か所の点検・整備。看板も話だけはしておいた。食器や器具類、冷凍庫、リネン類は買うところの目星だけつけて、一番最後。あとはドリンクメーカーなど、材料の仕入先との交渉。大家との契約書も取り交わし、それを元に税理士が住所、会社名の変更と、事業内容の変更の届出と書類作り。この届出は商工会議所、税務署などに提出し、さらに公用新聞などで公知、公証役場での書類作りなども加わり、実質12~15万円ほどかかる。引越しの作業をしなきゃいけないなか、どういうわけだが、週に1回開催の小学校のママ・パパ学級にも通っている。これは教育用語など公用文書のトルコ語の使い方の勉強になっている。明日はアスペンドス、ペルゲ、シデの観光への同行。ああ、そして船のパーツ集めに固執しすぎて、かなり遠周りしたDSのゼルダの伝説もやっと終わった。(息子に買ったはずがいつの間にか私がやっていた。だってファミコン世代だもん)これで安眠の日々・・・!?最近アンタルヤ市内の郵便事情がわるいらしく、普通郵便はまず届かない。EMSなどでも5日ぐらいで来たかと思うと6週間もかかったりしたものがあった。それでもEMSは届いているみたいだから、アンタルヤへ何か送るときは少々高くてもEMS利用のほうが紛失のリスクが少ない。電話会社のトゥルクテレコムはまだスト中でかれこれ21日経ったらしい。何度通っても、まだ新店舗に電話回線を引いてもらえない。それどころか、受付もしてくれないし、その前に必要書類も教えてくれない。今度の店は管轄が変わるので、電話番号を新規で取ることになる。ということで12月以降は店の電話、FAX番号が変わります。(ストをやめて、通常営業をしてくれたらの話だけど・・・・)携帯電話は同じままです。メールも同じメールで届きますので、どうぞお間違いのないように~!!
2007年11月06日
昨日の日曜日のこと。午後、外出して、とあるカフェに座ってお茶を飲んでいた。壁にかかっている時計が3時をさしていた。私は家を3時過ぎに出たはずなんだけどなあ・・・・・と考えて、ああ、今日から冬時間(サマータイムが終わった)だ、と気がついた。今日はトルコの祝日でお役所、学校などはお休みである。休みでよかった。じゃなかったら、例年のごとく、息子に、スクールバスが来るのを外で待たせてしまうところだった。・・・と、時計をすべて1時間前に戻した。日が暮れるのが早くなったわけである。5時過ぎには暗くなっている。でも今年もアンタルヤはまだまだ温かい。今日も半そでで十分な陽気だった。10月末になるのに、まだ一度も暖房を使っていないなあ。というか、温かくて使えない。今日は新店舗のためのスタッフ・ミーティング。ショールームと営業の責任者、カフェの責任者、会計の責任者、そして絨毯と手工芸品担当と全体の責任者の社長の私。他にオープン時に従業員を3人ほど入れる予定で、現在選考中。話のネタに、日本の喫茶店システムとカラオケ・ボックスのことを説明したら、おもしろがられた。やるわけじゃないけどね・・・・・。カラオケに関しては、常々思っていたのだけど、自己陶酔型で、歌を歌うのが好きな人が多いのに、なんでカラオケが一般的にならないのか・・・・不思議である・・・・。イスタンブルにはカラオケがあるようだけど。ホームページをみるかぎり、大人数グループへの貸し出しで、私たちが知っているカラオケのイメージとはちょっと違うような・・・・。ホテルなどでは英語の歌があるカラオケとかは見るけどね・・・。でもトルコ語の歌のカラオケもあるらしい・・・・・。と、話がズレたが、続きは明日以降・・・・。
2007年10月28日
きっと他の地方に比べたら、かなり温かいのだろうな・・・・アンタルヤ。そういう私もまだノースリーブの薄いワンピースを着ていられる。夜はちょっと寒い。羽毛布団を出してきて、ペラペラの夏パジャマのまま、汗をかきかき被っている。日中はクルマで冷房をかける。でも家で冷房をつけることはなくなった。そろそろ上着を持ち歩かないと恥ずかしい。肌寒いときも増えた。週末の3日間、ちょっと疲れたせいもあり、布団が温くて、出られなくて、家から一歩も出ることなく終わった。この忙しいのに、いいのか・・・!?宿題も(私の場合は翻訳の仕事)ギリギリにならないととりかかれない。時間があると逆算して、開始時間まで何もしない。寒くなると動きがにぶくなる。暑くてもにぶくなるけど・・・・。できることから用事をすまそうじゃないか・・・・って思うのだけど。3日も寝て過ごしたから、明日からはまた全開。がんばろう。若いときと身体と体力が違うから、無理はしない、自分のペースでやれることをやるしかないのだよ・・・と自分にいい聞かせる。
2007年10月21日
ミフリ社長には金庫がある。といっても、普通現金やら重要書類やら入れるわけだけど、ミフリ社長の金庫にはライター時代に使っていたニコンの一眼レフカメラ1台が入っているだけ。しかももう何年も開けたことがない。なにせ、入れるべきものがないわけだし・・・・。で、その金庫の鍵を先の盗難事件で盗まれて、開けられなくなってしまった。スペアキーもないのである。でも別に開ける必要もないんだけどね・・・・と、4か月が経っていた。必要はないのだけど、開けられないとなると開けたくなるのが人情・・・!?鍵屋さんを呼んで開けてもらった。開けたら、やはりカメラが1台入っているだけ。呼ばれた鍵屋さんも言っていた。「こういうケースでは開けたとたん、中からドルやらユーロやら現金があふれ落ちてくるものだけど、こんなカラの金庫を開けたのは初めてだよ」そりゃそうだろうね。金庫はそういうものを入れるためにあるのだから。金庫の鍵開けと新しい鍵のつけかえの家計簿。75YTL(約7600円)。1トルコリラがついに100円を越えた。今まで1トルコリラ70円から85円とか、95円とか。トルコリラの高騰で、外貨に換算すると何もかにもが高い。トルコでの生活はますます苦しくなるばかり・・・・・。カメラを取り出して、カラの金庫を閉じた。
2007年10月17日
長かった断食月が、今日でやっと終わる。・・・って、別に断食していたわけではないのだけど、一人だけ断食している友人がいて一緒にいる間は食事時間を逃してしまったり、なんとなく食べづらかったりして・・・・・。ほかの友人は気にするな、ってバクバク食っているのだけど。本来それでかまわないのだけど・・・・。断食している友人は私が食事をとらないのを気にしたり、逆に何か買ってきてくれたりするけど、正直言ってどうしても食べる飲むのタイミングをはずしてしまう。ああ、でもこれで明日から思う存分食えるぞ~。いつも食っているのですけどね。絶対私には断食はできない。それだけ再確認して、今年の断食月も終わるわけである。明日からラマザン・バイラムのため3日間はお店はお休みです。(恩恵だけは受ける・・・・。)
2007年10月11日
日本でオーバーステイして仕事をしているトルコ人の知り合いがいる。経済的な事情でそうなってしまったようだが、今度、トルコに残した妻子と別れて、日本人と結婚するという話。本人曰く、オーバーステイの状況を正当なものにしたいためというのが理由のひとつ。日本で続けて経済活動(働くこと)をしたいというのも理由のひとつ。もうトルコへ戻りたくないというのも理由のひとつ。幸せを追求するのは、個人の問題だし、彼が幸せになれるのなら、それもいいのだろうと思う。でも、お金のために日本へ行ったトルコ人のあまりにもパターン化された、経路を彼もたどることになったのか・・・・と。私個人は離婚を批判する気は全くないし、しない主義。夫婦間の問題だし、継続する気がない場合は仕方がない・・・・。言葉の通じない相手との結婚も批判しない。結婚の形も人それぞれだから、言葉があまり通じなくてもいい、意思の疎通がなくて相手を誤解しているぐらいがちょうどいい・・・ということもありえると思う。(私個人は相手と十分理解しあえ状況じゃないといやだけど・・・・)人にはそれぞれ、自分の生きたい場所があると思う。それを手にいれるために、(できるだけ他人を傷つけたり、迷惑をかけない範囲で)さまざまな手段を使うこともあり得ることだと思う。でもそれが「トルコじゃ何もできないから」という「逃げ」でないことのほうがいいとは思うけど・・・・・。彼の日本での成功をと幸せを祈る・・・・。
2007年10月10日
アンタルヤへ戻って、まだ時差ボケのミフリ社長・・・。夕食の後は、知らない間にそこらで寝ているし、朝は早起き。ところで飛行機に預けられる荷物の重量が、なんだか厳しくなっている・・という話をあちらこちらから聞いていたが、実際、厳しかった。知人の話では春に飛行機に乗った際、二人で48KGで、8KG分の料金を徴収されたとか。私もそうだけど、いつもなら27、28KG、つまり二人で55KGぐらいまで何も言われたことないんだけど・・・。で、トルコへ戻るときは預ける荷物をかなり調整した。息子と二人で45KGまで落とした。まさか一人あたり2.5KG程度じゃ、何も言われないだろうと思っていたのであるが・・・・。ところが成田で、「5KGオーバーですから、5KG分出してください」と言われて、ええーっ。2.5KGもダメなのか・・・と驚いてしまった。毎度使っている航空会社で知っている人がカウンターにいたので、5KGオーバーのまま預けることができたが、こりゃ、今後カバンを変えなきゃ・・・って思った。だってスーツケースって自身だけで6、7KGあるんだもん。どこかの国の人の荷物みたいにビニールシートみたいなカバンで布テープでグルグル巻きにするか・・・って。そして機内持ち込みのバックではもっと笑った。パソコンがあるので小型のスーツケースを持っていたのだが、「機内持ち込みの荷物は1つあたり5KGまでにしてください」と言われて、中身を別の袋に分散したのだが、出すものを出して最後にスーツケースの中にラップトップパソコン1台になった。それでも8KG・・・。許してもらえずどうしても5KGになるまで出せという。「もう出すものがないのですけど・・・」最後のパソコンが3KG、それも出してようやく5KGになったわけだけど、ちょっとまってカバンの中身はゼロ。私はトルコまでこの空のカバンを持っていくわけか・・・!?・・・・って空のカバンをトルコまで運んできたのである。機内持ち込みのカバンも布袋とか、ビニール袋にするしかない・・・って思ったわけである。イスタンブルからアンタルヤまでの飛行機では問題なく、「もっと預けてもいいわよ。わが社の飛行機はデカイから大丈夫よ!」などど、英語とトルコ語混じりで、お姉さんに言われただけである。
2007年09月13日
今日は家での急ぎの仕事があったので、一日中家にいた。でも家にいてよかった。ってぐらい外は暑かった。太陽が暑いというより、空気がやたら熱くて重いのである。部屋からベランダに出たとたん、もあっという熱気に襲われる。アンタルヤの観光業者は書き入れ時であるけど、私には関係ないもんね。涼しくなったらうんと働くよ・・・・。というわけで!? 日本に夏休み兼出稼ぎ!? に行きます。さて今年の夏は8月(お盆過ぎごろ)に鹿沼で展示会をする予定。今回の目玉はオリジナル状態でほとんど修復の必要なかった(骨董では重要なポイントのひとつ)カイセリのアンティークキリム。薄くて細かくて、色はもちろん古い時代の草木染め。色数が多いのでとてもきれいです。画像にあるようにコチニールもある。9月上旬まで千葉と鹿沼に滞在しますので、商談、個人的相談は、この機会にどうぞ。連絡は鹿沼のアクチェに入れていただくか、メールでお待ちしております。では、日本でお会いしましょう・・・!!
2007年07月24日
日差しが強くて、風が吹いていて、暑いのだか寒いのだかわからなくて、身体を壊す陽気のアンタルヤ・・・・。気温は32度とか、それぐらい、らしいのだけど、ときどき吹く風が妙に冷たかったりして、暑いと思っていたら、ゾクゾクってしたり。しかもクルマと店はエアコンかけまくり、外へ出ると汗ダラダラ。でも夏本番まではまだ日があるんだよね。さて、息子の夏休みは6月20日からって聞いていたのだけど、なんだか暑さを理由に早まったらしく、6月16日から全国一斉夏休みである。9月の中旬ぐらいまで続くから約3か月間の休暇になる。暑いから、この陽気で学校で勉強しろ、っていうのは無理があるけど、働いているお母さんは子供を誰に預けたらいいのだ・・・って思う。サマースクールだの、学童保育みたいなものもあるわけだけど、もちろん毎日ないし、無料じゃない。ああ、眠たい・・・。今日も忙しいから出勤しなきゃいけないのだけど、暑いし、外に出るの面倒だし、寝てしまおうかな・・・って。ああ社長でよかった・・・(でもこんな社長だと会社がつぶれる・・・)。
2007年06月12日
ミフリからの連絡です。メールからのお返事が2,3日以内に届かない場合、メールがこちらに届いていない可能性があります。その場合はこちらのメッセージの作成に書いて送っていただくか、ホームページの掲示板にお知らせください。折り返し、別のアドレスをお送りいたします。またhotmailからのメールはほぼ100%届いていませんので、別のアドレスでお試しください。以上よろしくお願いいたします。昨日仕事で行った、ケメルのホテルからの夏景色。
2007年06月07日
市民講座の講師をしていると、授業だけでなく、定期的な会議のほかに、講師のためのセミナーというのにも参加しなければならない。今日あったのが4回目のセミナーで、マルマラ大学の医学博士の女性によるものだった。「変化」をテーマにした人生論、生き方論みたいな内容で、講演者の舞台風の話し方、動き方で、参加者の評判はかなりよかった。講師だけでなく、市の職員たちも多数聴きにきていた。午後は授業があるので途中で抜けて、教室のある市民ホールに戻ったが、なんでもそうだが、一人で自分だけの考えに引きこもるのではなく、ときどきはこういう専門家の話を聴いたり、他人の考え方を聴くだけでも、そうだよね、とか、自分が考えていることがたいしたことじゃないと思ったり、気分が変わるものであるなあ・・・・と。影響を受けるかどうかというのは、人それぞれなんだろうけど、内容でわかりやすかったことのひとつに、ある絵(心理テストでよくつかう向かいあった顔と花瓶の白黒の絵)を見たときに、Aグループは「顔」といい、Bグループは「花瓶」という。お互いに人生のベースが何色かで見えるものが違う。そしてお互いに「あいつらはわかってないなあ」と考える。でも正解は「顔であり花瓶である」ことだという。違う見方や立場で違うものが見えるということを「知る」ことだという。そんなような話が舞台風に続いていく講演だった。最近、商売以外の場に出る機会が増えて、それによって知り合う人の数も増えると、人間関係もそれだけ複雑になってくる。そして馴れ合いになると、お互いに親密さと不敬をごっちゃにしてきて、親しければ親しいほど、相手に対する要求が増え、それが果たされないと不満となる。トルコ人としてはすごく一般的な話なんだけど、親しくなると何でも聞いてくれなきゃ、友達じゃない・・・みたいなところがある。つまり境界線を簡単に踏み越えてくる人が多い。なかには理不尽な要求をしてくる人がいて、話をしていると、すごい理屈で「私の考え方や道徳観念の方が間違っているのかしら・・・」と洗脳しかかりそうになったりする。具体的にはとても言えないが(でもここではよくある話)、それで私も頭に来たり、気持ちがもやもやしたりするのだけど、ふと思ったりもするわけ。自分が正しいということは自分で信じるとして、相手の考え方も私にとっては変だけど、まあ、そういう考え方もあるんだな・・・・。そう思うと、相手の考え方を受け入れるかどうかは別にして、認めることができるから、自分の考えも相手の考えも否定しなくてすむので、気持ちがラクになる。もうひとつ、火傷をして「手が痛いよ~」と泣いている子供には、こう接したらいいんだよ、と講演者が言っていた。1.「手が痛いの~?」と繰り返して事実を肯定する。そうすると子供は「うん」と言う。 2.「それは大変だったねえ」と気持ちを代弁してあげる。3.「こっちにおいで痛いのが治るおまじないで、キスしてあげる」これをしてあげないで「そんなに痛いわけないでしょ」とか「自分でやったんだから我慢しなさい」とか一見正しいことを言ってみても子供は愛を感じることができないけど、たったこれだけのことで愛を感じて育っていけると言う。「今、自分は大変なんだ」「こんなに辛いんだ」「助けてくれ~」と言っている周囲の「子供たち」にも、これをやるべきなんだな、って思ったんだけど、どうしてこうも甘ったれが多いのだろう・・・って。ああ、一人でマイペースに誰にも邪魔されす、骨董集めやっている方がどんなにラクチンだったか・・・・今はそんなことも思ったり。でも人生それだけじゃないってこと。講演者の弁によると人生は20%の知識と80%の人間関係から成り立っているそうだから・・・・。
2007年03月26日
2か月ぶりぐらいに美容院に行った。いつもはフィットネスのあるホテルの美容室でついでにやっていたんだけど、時間もないので近所の美容室に行った。初めての美容師さんで、何色に染めますか? って聞くんで「栗色と赤色でぶちぶちに、まだらに染めて・・・」と冗談で言ったら、本当にそうされた。縦方向に部分的に色を変えるのじゃなくて、本当にまだら・・・・。こりゃこまったなあ・・・と思いつつ、まあいいか・・・・。でも結果、混ざったら、真っ黒になってしまった。久しぶりの黒髪で、それも新鮮だなあ・・・と。カットとブローもしてもらって、眉も整えてもらって、34YTL(3000円)。ホテルの3分の1の価格である。やってもらえることは大して変わらないんだけど、あとは気分の問題だけなんだよね・・・・。先日、会議があって、授業の担当表が配られた。日本語2クラスが私の担当。いよいよ月曜日から始まる。
2007年02月04日
学校の前期が終わり、子供たちは2週間休暇に入った。息子も初めての通信簿というものをもらってきた。まだ1年生ということもあるのだろう。(たぶん絶対評価で)3、4、5と3段階で、全部5だった。その前にもらった生活行動の評価も5以外見つからなかったので(生徒の多くが同じ評価なんだろうと思いつつ)、こう見えて実は「大」がつく親バカであるから、すぐに日本の祖父母に電話をかけさせて報告させたりした。本人は通信簿、ってなあに? って感じなんだけど、親バカだから仕方がない。初めての子供で初めての通信簿なんだから、ちょっとぐらい舞い上がるのも仕方がない・・・。でも・・・私も小学校時代は5以外はもらったことがないけど、結局、トルコで絨毯屋であるから、人間通信簿の評価だけじゃわからないし、どうしようもないけどね・・・。(私の場合、自分ではこれで満足しているわけだけど・・・・・一族からの私の評価はオール1である)通信簿といえば、今回は私は通信簿をつける立場になった。テストの点数といえ、他人を評価するというのは簡単なようで難しい。語学だから、テストや会話の評価で割り切って点をつけるしか方法はないんだけど・・・・。そうはいいつつ、つい頑張っている人をみると、実際の点数もあるけど、その頑張りも評価したいなあ・・・って思ってしまう。とくに社会人講座ともなれば・・・。気持ちはみんなに100点つけたいなあ、って思うのだけど、そうもいかないのである。日本語講座は初級コースの生徒たちは、出席率が80%を超える17名全員が合格し、修了証をもらえることになった。講座の試験は3つの点数で評価される。1つは通常の書き込み式のテスト。(アンカラの文部省へ提出)2つ目は会話を含む、聞き取り書き取り。3つ目は実際の語学習得レベルと普段の授業への取り組み態度。これを100点満点で評価し、3つの点数を足して3で割る。つまり平均を出して、5段階評価で1~5まで成績をつけるのである。44点以下は1で不合格。平均が70点以上で4、85点以上で5になる。書き込み式のテストでは、20代の女性が100点をとり、軍人さんが99点、アドナンが97点、以下94点・・・・・・・・64点と続いた。総合評価で17名中5名が4で、12名が5という成績。実際、生徒たちは4か月間という短いクールでこれだけのことを覚えたのだから、優秀である。通信簿とは別に、私が一個人として評価したいと思っているのは43歳の主婦。約1か月遅れて入ってきたのに、彼女は遅れた分、ひらがなの読み書きを授業で受けることなく、自分で勉強してきて、あっという間にみんなに追いついた。今では誰よりも単語を覚えているし、何よりも日本をいつか旅行で訪ねることを目標に、授業でも積極的に発言するし、すばらしい。何かを習得するのに、年齢的なことを理由にできないなあ・・・と彼女を見るたびに思うわけである。100点をとった20代の女性は、ひらがながとてもきれいに書ける。授業のノートもきちんととるし、その文字のうまさに感心していた。彼女が書いたのを知らなければ、日本人が書いたと誰もが思うだろう。彼女曰く「アラビア語も習っているから、曲線に抵抗がないのかも・・・」というけど、覚える人は覚えるものである。彼女の学歴は小卒で現在は家事手伝いある。日本語ももちろんこの講座で初めて触れた。気持ちさえあれば、学校以外でもいくらでも学べるということである。この市の講座で初めての授業で初めての生徒となった17名。初めてという部分で私にとっては特別な存在である。最初は生徒同士、お互いにギクシャクしていた部分もあったと思うけど、最後はとてもいい雰囲気にまとまったし、また中級コースの4か月間をともに過ごす。1年生が2年生に進級して、新入生が入ってきて、急に大人になるように、生徒たちが言ってくれる。「みんなで順番に初級コースに参加して、(トルコ語の下手な)先生を、通訳して助けてあげるよ!」。初めての生徒たちのこの言葉に感動しつつ、次の初級コースの生徒たちと顔を合わせる日も楽しみにしているミフリ社長・・・・もとい、ミフリ先生である。
2007年01月28日
時間がないから、やらなきゃ・・・・ってあせればあせるほど、他のことに逃げてしまう、ってよくある話。今の私がその状態。少しでも地道にやらなきゃいけないのに、なんだか普段しない検索をしてみたり、全く関係のない本を読んでみたり、普段は2、3時間の睡眠でこと足りているのに8時間も寝てみたり、ちょっとゲームでも・・・なんて10分のつもりが1時間にもなっていたり。ここ何日か、眠たくて眠たくてたまらない。仕事から逃げているせいもあるのだろうけど、一番の原因はこの冬の気候のせいかも・・・。アンタルヤは冬でも比較的温かい。今年はとくに暖冬で、昼間は暑くて、今日も海で泳いでいる人がいたほどである。が夕方になるといきなり冷え込む。冷え込むと言っても気温的には他の地域に比べたら十分暖かいわけだけど、昼間の気温の高さとの差があるので、身体がついていけない。それで身体を壊し、なんだかだるいなあ、具合が悪いなあ・・・・となるのである。そういえば、アンタルヤの冬につきものの、長雨もなかったし、昨日今日も夕方から雨が降りそうでなかなか降らない。ああ・・・・ネタもないのに、日記を書かなくては・・・と無理をした。これも仕事から逃げての行動なんだけど、こんなことしている間に少しでもやらなきゃ・・・・ってわかっちゃいるんだよね・・・と・ほ・ほ。今週末は久しぶりにフィットネスにでも行こうかな・・・・って違う、違う・・・。ところで話はガラっと変わるけど、これってみなさん、知っていたのかなあ・・・って思うことがひとつ。実は私と私の周辺が知らなかっただけなのかもしれないけど・・・・・・。トルコのケイタイで試しに一般電話にメッセージを送ってみた(自分のところの電話に)。電話が鳴って、受話器をあげると、送ったメッセージと送り主(私なんだけど)のケイタイ番号が合成音声で流れた。おおーっ!! ってみんなで感動した。(なんせ、こんなシステムになっているとは全く知らなかったもんで・・・・)そこでいたずら好きのアドナンがすぐに自分のケイタイから、階下のチャイ屋のオズギュルの一般電話にメッセージを送った。「アンタルヤ○○警察署。18歳未満に水タバコを販売しているのを、衛星からキャッチして記録した、調書をとるので出頭するように」この電話を受けたオズギュルは黙って聞いていたけど、顔が青ざめていって、一言「・・・このO...C....(ピーッ)」。すぐにアドナンの仕業だってバレたけど、衛星からキャッチした・・ってフレーズに笑いがとまらなくなった。しばらくはこのいたずらメッセージ、アドナンはあちらこちらにすると思うけど、このシステムを知らない彼の友人が電話をとってこんなメッセージが流れたら、やっぱりドキッとしてしまうだろうね・・・。
2007年01月19日
なんだかちょっと疲れているかも・・・。口ではいろいろ言っても、実際は泣き言いっさい言わないし、ため息つかない性格なんだけど、今回はへこたれそう・・・・へこたれても、誰かにやってもらうわけにはいかないし、自分でどうにかするしかないのだから、やらなきゃいけないんだけどね・・・・。絨毯屋としての仕事も、いままでこんなにためたことがないってくらい、たまって、どこから手をつけていいのかわからない・・・・。卸しのための商品集め、かなり大量で金額と商品内容に制限があるから、損をしても現金に代えたい・・・ってところからしか集められない。都合よくオフシーズンでみんな弱気だから、商品はあちらこちらから集まるのだけれど、今度はそれを私が処理しきれないでいる。輸出入関連の代行業もある。日々の追跡、トルコと日本との連絡、変更、追加・・・・。加えて法律文書の翻訳ばかりがたまっていく・・・。翻訳の仕事って・・・・おかげさまでトルコ語では普通に意味が理解できるのだけど、それを日本語になおすと面倒くさい。トルコ語から日本語より、日本語からトルコ語の方が普段から目にしているだけに最近ラクである。和訳する場合、法律文書で使用する単語を選ばなきゃいけないし、医療、貿易、それぞれの専門的な用語も、実際の日本の法律用語と並べて選択しなきゃいけない。今は参考にと日本の同じ項目の法律読んでいるところ。市の日本語講座は最終テストは終わり、成績表の提出、修了証のための書類作り・提出、次期講座の準備に追われて、役所を行ったり来たり・・・・。次期講座の前にまた会議だセミナーだってあるんだろうな・・・・・。そして来週は息子の学校の前期の終了と、初めての通信簿。その前に学芸会があるらしくて、衣装の準備をするように父兄から連絡があった。それでも今まで聞いていたほどは面倒なことはなく(男の子だからかも・・・)、濃紺のジーパンと白いシャツ、黒い靴を用意しろ、と言われただけ。赤いネクタイとズボンの吊は学校側で用意してくれてそれにお金を払えばいいとのこと。おかげで家のなかはぐちゃぐちゃ。洗濯と掃除機かけるのだけは、必ずやるけど、散乱しているモノを片付けるとか、台所を隅から隅まで拭くとか、洗濯物を毎回畳むとか・・・・もう、どうでもいいや・・・状態である。自営業のよさはある程度、自分の都合で時間を好きに分配できることなんだけど、私の場合、家庭の事情と仕事システムの都合で、仕事を家庭に持ち込まなきゃいけないという境のなさはちょっとつらい。叶わない夢なんだけど、日本語が不自由なくてパソコンが使えるスタッフか、せめて家のことをやってくれる嫁さんが欲しい・・・・なんて。あと2週間ほど頑張れば、とりあえず一区切できるのだけどね・・・・・。なんか学生のころの試験前とか、ライター時代の複数の仕事が重なったときの締め切り前とか思い出す。
2007年01月18日
お正月・・・・じゃなくて、仕事はじめ。・・・って数えてみたら、あと1晩寝ればいいんだ、って気がついた。いや~、長かった。お正月休み・・・・・(犠牲祭休み)。何もしなかったから余計なんだろうけど、木曜日から世間は仕事をしているから、電話だけはかかってくる。店が開いていないもんだから、商売関係、友人たち、日本語の生徒たち・・・今日は店に来ているのか、いったい何をしているのか、豪勢に旅行でも行っているんじゃないか、それとも、こっそりアンティークキリムでも探しにいっているんじゃないか・・・・って、家にいるのよ・・・・大晦日からずっと。月曜日にはまず日本語教室、それから年明けを待っていた荷物を3件急いで送る。それから、それから・・・・・。考えると、なんでこんなに休みにしてしまったんだ・・・・って後悔するんだけど、しちゃったものは仕方がない。その分、頑張る。今回は家の掃除もしていないし、急遽、休みが終わるのに気がついて、バスタブと洗面台でも磨いてみたぐらいで。年末、体調崩したもんで、ジムにもいかないでダラダラすごした。食っては寝ての生活だったから、弛んだお腹が余計弛んでいると思うけど・・・・。商売日記だから、仕事していないと書くこともなかった、ここ数日。やっぱり休む、怠けるって限界があるかも。2007年も始まったことだし、気合を入れなおして、いってきま~す。(まだ休みは1日あるんだけど・・・・!?)
2007年01月07日
新年あけましておめでとうございます。2007年もどうぞよろしくお願い申し上げます。実はミフリ社長は大晦日から3日3晩、体調を壊して家に・・・・ではなくて、部屋にこもりっぱなしである。本人は病人の意識はないのであるが、子供にうつしてはいけないということで、隔離されて部屋にいる。重大な症状はないのだけど、どうも扁桃腺がすぐにやられる・・・。外にはもちろん出ていないし、部屋から出るのも風呂とトイレに行くぐらい・・・・。部屋にはパソコンと有料放送につなげた新しいテレビと漫画本がいっぱい並んでいる本棚とベットとカロリーフェル(セントラルヒーティング)があるから、食事さえ運んでもらえば別に部屋の外に出なくたっていいもんね~、と、文字通り寝正月をすごしている。今となっては大晦日のパーティーの予約入れなくてよかった・・・って感じなんだけど、こういうのって予感があったりするから、全ての行動は理由があってのことなんだろうと納得。おかげで1日10時間ぐらい寝て過ごしたし、すごく久しぶりにテレビ三昧の日々になった。でも3日でこの生活にもあきた。仕方がないからこもっているけど、じっとしていられない性分である。休みの間、実家に戻っている友人・知人に村の様子を尋ねたり、訪問プランを立てたりした。今年はカラデニズ方面に縁がありそうな予感・・・・。あとは特に変わったこともなく、2007年になったわけだけど、まだ休みが5日間もあるのかと思うと、何をして過ごしていいのか・・・・それが問題である。(病人じゃなかったら家でじっとしていられなくて、どこかへ行っているけどね・・・・)。
2007年01月02日
kurban bayraminizi ve yeni yilinizi kutlar.mutluluklar dilerim. mihri原稿もなんとかあげて、クリスマスツリーも飾ったし、サンタの赤いブーツにお菓子も詰めたし、新年のプレゼントも買ったし、朝から携帯に犠牲祭のメッセージが次々入ってくるし、横のアパートでは朝からクルバンのヤギを切っているし、道端では3人楽隊がロシア民謡奏でているし・・・・でもまだ年を越していないんだよね・・・。トルコの2007年まであと11時間30分。よいお年をお迎えください!
2006年12月31日
弊社の仕事納めは明日30日(土)である。今日は残りのお役所仕事と税理士事務所に年末の挨拶に行き、今年中にやっておかなければならない公的な用事を終わらせ、午後には日本語講座の生徒の家にお茶に行った。明日は午前中に修復の終わったアンティークキリム2点の最終点検をして、年明けに送る準備をしておく。昼までには仕事が片付く予定である。今年は犠牲祭と重なったので連休になるし、弊社はいつものことだけど休むときは思いっきり休ませてもらう。今年は8半連休の予定で次の出社は1月8日である。どこかに休暇で出かけるほどの余裕もないし、家でぶらぶらしているか、フィットネスへ行ってプールとハマム三昧の日々になるか・・・・。お天気は今日また回復してきたので、このまま行ってくれると天候的にはよい年越しになりそうだけど、犠牲祭は通常雨が降るというジンクスがあるので、どうなることやら。今年は会社として新しい分野を加え、仲介会社、貿易会社として別分野の仕事に携わった。来年はさらにいくつかの新しい仕事を手がける予定で、専門外の内容もあるのでその勉強会もしていかなければならない。貿易会社、取引のアドバイス・相談で少しずつ食えるようになってきているので、このまま絨毯・キリム部門は商売から社長の趣味として存在してくれたらいいのになあ・・・・って思っている。絨毯、キリム・・・この商売は深みにはまればはまるほど、抜け出せないものである。商売としての採算よりも、好きなものへの情熱だけで突っ走る。同じ気持ちの人を見つけると、いいものを見ること、感じること、それらを共用することだけでも喜びに変わる。いいものを見せてあげたい。こんなものもあるんだよ、と自慢したい。他人が持っているいいものを見たい。それらを探している人のために見つけてきたい。そして自分が見つけてきたものを喜んでくれる人を見て、それが自分の喜びになる。自分が絨毯屋ということを忘れて、お客さんの目で一緒に見ていたりする。・・・・全くオタクの世界である。理解できない人には全く理解不可能な世界だろうなとも思う。商売って割り切らないと儲からないのだけどね・・・・。正直言って、情熱とか好きという気持ちが優先する分、採算は取れない商売である。実際、私の場合、悲しいぐらいただ働きの部分も多い。でも自分のためにまた相手のために真面目に仕事をやろうとするとお金の計算なんてしていられないものである。自分のポケットから持ち出しする場合もある。それでも好きなものを見れたんだからいいや、とか、この人には喜んでもらえたからいいや・・・とかいう気持ちで自分を納得させて、あとは気にしないことにしている。そうでも思わなきゃ、やっていけないのである。好きなことは商売にしないほうがいいっていうけど、それは本当だと思う。商売でやってよかったことは商売にかこつけて、貴重なもの珍しいものなど自分用に安くたくさん集められたことかな・・・・。年末ということで、来年の抱負でも・・・・って。とりあえずの目標は来年も家族で3食ご飯が食べられて、子供を学校へ行かせることができて、健康に生活できること。あとはいいキリムや古いものをたくさん見れて、できればそのうち気に入った2,3点は自分のコレクションに加えることができたら最高なんだけど・・・・・。こんな気持ちを今年も何人かの人と共有させてもらえた。この場を借りて、その方たちには心からお礼をいいたいです。みなさま、よいお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします。・・・・・実は年末にかけてやり残していた大切な原稿書きがあり、まだできあがっていない。ちょっと力を入れているもんで、なかなか納得できないでいる。(・・・といいわけ)といっても今日、明日中には入稿しなきゃ・・・って思っているので、早めに年末のご挨拶をさせてもらった。
2006年12月29日
今年も残りわずかである。顔を合わせると、「休暇はどうするの?」という話になる。年末年始休暇だけだと元旦だけしか計算しないのだけど、今回は犠牲祭と重なるので、30日(土)、31日(日)、1月1日(月)、2日(火)、3日(水)の5連休となる。木曜日と金曜日も休みにするところは日曜日まで9連休になる。田舎に帰る人とか、親戚の訪問を待つ人は別だけど、気ままな一人暮らしの人や若者夫婦、上流家庭などは犠牲祭よりも、アンタルヤなどのホテルで過ごすことを選択する人もいる。今年はアンタルヤの多くのホテルはすでに予約で満室だそうだ。というのも、今年はアンタルヤの天候が良く、それを期待してくる人がいること。またトルコ一のホテル数を持つアンタルヤでは、この休暇に格安プランを出していて、実際、家にいて食事を用意するより安上がりだったりする。大物歌手が年末年始パーティーに出るところは宿泊費込みで2万円ぐらいからであるが、それ以外は年末年始でも5つ星、4つ星のオールインクルードで4000円~10000円でいくらでも見つかる。また3月までの冬季割引で、アンタルヤの豪華ホテルでも1月5日以降は食べ放題飲み放題、温水プール、フィットネスなどの施設が利用できて1泊4000円前後で泊まれる。先日もクンド村にある新しくできた5つ星ホテルを見てきたが、とてもきれいで冬季でも3つのレストランが開いており、寿司&和食、イタリアン、トルコ料理が食べ放題、館内バーも飲み放題で設備も充実していて、ちなみに冬季個人で来たらいくらで泊まれるの? と尋ねたら25ユーロ(約3700円)と言われた。10人ぐらいで来たら団体価格で18ユーロ(約2700円)。これならアンタルヤの寿司レストランで食事をするより安いな、なんて思ってしまったわけだけど。5つ星でなければオールインクルードでももっと安い。ペルゲ地区の4つ星ホテルでは年末年始パーティー込みで3泊で110YTL(約9200円)、ケメルでも年末年始の3泊で160YTL(約13500円)。安い安いって話をしてみるけど、宝クジでも当たったら行ってみるかな・・・ってところ。でも日本からトルコに年末年始に旅行されるのなら、こんなプランもいいかも。例えばインターネットでも予約できるところでは・・・・。これはアンタルヤのシデの5つ星ホテルで、年末年始はツインで一人当たり64YTL(約5300円)で年末年始パーティーの食事のみ別料金で70YTL(約5800円)。それ以外のシーズンは3食付きで55YTL(約4600円)。http://www.bufiyat.com/
2006年12月28日
本日、パソコンのお掃除をしたもので、現在中味がからっぽです。少しずつ元の状態に戻しているところですが、写真はあと2、3日お待ちください。というわけで楽天ブログに写真を載せることも、メールの返信に写真を添付することも今日はできませんので、よろしくお願いいたします。
2006年12月10日
仕事が忙しくなってきて、そういうときに限って、風邪をひいたり、天気が悪くなったり。卸しの作業で、商品の撮影をしなくてはいけないものがたくさんあって、天気が悪いのはとても困る・・・・。といってもやらないといけないので、太陽が顔をのぞかせる瞬間を逃さず、撮影。風邪も3日目。本来なら家で寝ていないといけないぐらいの体調であるが、そういうわけにもいかないので、フラフラしながら日本語講座をなんとか乗り切り、店の作業もなんとか乗り切り、家に帰って子供に夕食を作り、風呂に入れ、寝かせる。そのあと、期日がまだ許されるものは残して、その日のうちにどうしてもというものだけやって、薬を飲んで早めに寝る・・・・。昨夜など早めに寝ても、長く寝る習慣がないものだから、2、3時間ごとに目が覚めるし、でも体調を考えて、頑張って寝てみる。これじゃ治るわけないのだけど、他に方法がないもんね・・・・。こういうとき、働く母と子供だけの家庭は厳しい・・・・と言ってもどうしようもないし、まあ、なんとかなるものである。絨毯屋の仕事もどういうわけか、この時期に集中してしまった。というか、県外出張がほとんどなくて、店にいる時間が増えると、来客も多い。いままでよほど店を留守にしていたんだなあ・・・・と反省してしまったほど。来客があるということは、用事が増えるということで、出張しようが、店にいようがあんまり変わらないってことがよくわかった。忙しいからついつい日本への家族、知人・友人への連絡も忘れてしまうけど、私のことだから連絡がないのは元気な証拠(風邪はひいているけど)と思ってくれ・・・・。
2006年11月22日
今日もとても暖かい一日であった。店では外のテラスにテーブルと椅子を出して座っているのだが、チャイよりよく冷えたコーラが飲みたくなるほどである。このまま冬が過ぎてくれたら、なんと幸せなことだろう・・・と思う。先週、今週と日本語講座の生徒がずいぶん店に遊びにきた。宿題をやりにくる人もいるし、ただおしゃべりにくる人もいる。今週は外回りの用事がほとんどなく、暇をしていたので、一緒に座っておしゃべりに興じる日々で、おかげで退屈することなかった。人とかかわると、大変なこともあるけど、その人の数だけ、うれしいことも分かち合える。笑いすぎて、顔の筋肉が痛かったり、面倒な作業もその笑いやおしゃべりの合間に終わってしまう。心身ともに健康なんでしょうね。徹夜しなきゃいけない仕事はないし、10:30には自然に睡魔が襲ってくるし、そのまま朝まで寝てしまう日も増えた。このところ、仕事でまたは自分の仕事外での案件で、自分とは無関係のところで問題を抱えていたり、でスムーズにことが運ばず、停滞している用事がいくつかあった。こういうときはあせらずあわてず、ただ待つのが私流である。待っていれば、縁があれば全てが動き出す日が来るって・・・・・。もちろん、その日のための準備は怠らない。無駄になってもいいから、その突然の日に備えて待っている。今日、まずその1つが突然、解決されたとの電話があった。この人は口ばかりで絶対やらないだろう、と期待すらしていなかったことであった。なんだかこれをきっかけに少し忙しくなるかもしれない・・・。天気もいいし、気候もいいし。どうにもならないことを考えてじっとしているよりは、人と接して、笑って、食べて、寝ていれば、そのうち全てが動き出す・・・そんな気がする。
2006年11月17日
アンタルヤは11月に入っても温かい日が続いている。少なくとも雨ではない日の日中は半袖で歩けるほどだし、実際、昨夜7時ごろにスーパーに買い物に行ったら、お客さんで半袖の人を何人が見かけたし(館内勤務の店員は半袖ですけど・・・)、私も上にカーディガンを着ていって暑かった。だから店へ行っても、店内にこもって暖房をつけることもほとんどないし、たいてい外にテーブルと椅子を出して座っている。日が当たると暑いぐらいであるが、夕方日が翳ると一気に気温が下がる。先日、帰宅する道でふと街中にある気温計を見ると周囲は暗いのに21度だった。日中に比べると低くなっているのだろうが、さすがアンタルヤである。我が家ではセントラルヒーティングの準備も万端、1日にうち、朝2時間、夕方帰ってきてから6時間つけているが、あまり必要性を感じていない。本格的に寒くなるのはこれからである・・・・・・。寒くなるといえば、大晦日とお正月の季節である。大晦日と言えば、年越しパーティーの話題がそろそろ出ていいころなのであるが、今年は犠牲祭の祭日と年越しが重なるという、酒飲みには不運のスケジュールである。別に断食月と違って、犠牲祭では酒飲んじゃいけないってことはないんだけど、一般的に犠牲の肉とアルコールを一緒にとる事をしないものである。だから年越しパーティー自体は今年も各ホテルで飲み放題のどんちゃん騒ぎがあるわけだけど、その一方で犠牲を屠ったり、その肉を食べたりしている人もいるから、気分的に酒飲んでどんちゃん騒ぎというのに乗り気になれないんじゃないかな・・・なんて心配しているのである。そんなこともあって今年は「さて宴会会場はどこにしよう」という気分にまだなっていない。今年の大晦日パーティーはお客さんの予約はいまのところないので、静かに過ぎていくかもしれない。誰もいなきゃ、身内だけで冬シーズンで年末年始もめちゃくちゃ安くなっている、リゾートホテルにこもるものいいかもしれない。・・・と、いいつつ、家で普通に過ごして、それにも飽きて店に行っていたりするのだろうけど・・・。さて今年の冬、キリム、絨毯の仕入れをお考えの方へ、また個人的に見たい方、今年の冬は金額の面で各地方の問屋が底値を出してきている(小売店は知りませんが・・・・)。この不景気で閉店したり、倒産したところもかなりあり、行方をなくした商品もある。弊社にもそんなところから連絡が頻繁にある。ご存知の通り、トルコ国内では以前のようにアンティークはもちろんのこと、オールド商品も新作も見ることができなくなっている。各地をまわる度に、それを実感させられるし、もう欲しいものを手にいれるというよりも、アンティークはあればすごくラッキーだし、オールドものならなんでもいい、どんなものでも貴重だし手にいれないと間に合わないという時期に入っている。商品不足は同じであるが、通常それが理由で価格は高騰する。実際高騰した。それが観光関連業でいえば、爆弾事件でのキャンセルが続き、いったん盛り上がったと思った景気がまたまた悪くなっている。小売店が倒産したり、問屋から買わなくなってしまったり、または支払いをしないと、地方の問屋、村の大問屋にまで影響する。観光地の小売店と違い、わずかな儲けで細々と営業している彼らは、小売店からの支払いがされないだけで簡単につぶれる。連鎖倒産である。そこから流れる商品があるが、やはり現金化されなければ意味がないし、いまとなっては現金取引しない絨毯屋は信用されないので、倉庫や家に眠ったまま放って置かれるのである。そんな商品を見ることができるチャンスだし、金額的にも安く買える。一般的にはトクにオールド品はモノ不足だし、以前からのように選べるチャンスは減ってきている。オールド品を持っていても、先の高騰を見込んで放出しない人もいる(それは誰だ・・・!?)。雪が降って峠越えができなくなる前に、今ある、オールドキリムや絨毯を一緒に見にいきましょう。大金が必要になる犠牲祭の前など、かなりお得なお買い物ができると思うのだけど・・・。また仕入れが大量になって、総重量が200kg以上で、国際宅配便などで20万円~40万円と費用がかかりそうな場合、1kgあたりの送料が3~5ドルで済み、その他の諸経費を入れてもかなり安くあがる一般貿易、トルコからの輸出手続きのお手伝いもしますので、それに関するご相談もお待ちしてますよ。(輸出の相談は国内での書類手続きの都合上、かならず、購入する前にお願いしますね)
2006年11月12日
ラマザンバイラム中は、親戚や知人・友人の訪問などがあって、みんな忙しいようであった。アドナン宅は我が家から歩いて2分かからない場所で、お母さんが食事に呼んでくれたりするので、バイラムの挨拶にとも考えたが、今回も遠慮した。彼の一族も親族の多い家で、長男であるお父さんのもとへ一族が挨拶に訪れる。広い家に座る場所がないほど人が集まるようだ。我が家のバイラムは世間とは全く逆で、とてもひっそりと静かに過ぎた。トルコに親戚がいなくてよかった・・・・って思うのも、こんなときなんだけど、プラス外国人だからトルコの風習しらないもんね・・・って特典も多いに利用させてもらう。さてアパートの駐車場に我が家のクルマだけが残った。みんな出かけているということである。2軒ほどの住人がいたようだけど、彼らの家にも訪問者が行ったりきたり。我が家へはチョコレートや飴を集めにくる子供たちが数人訪れたが、それも近所では留守宅が多かったのか、それほどたくさん来なかった。バイラム初日には親戚はいないけど、トルコの各地の友人・知人からメッセージが届いた。みんな忙しいだろうと、私は電話もしなかった。私と息子は、遊びに来たトルコの友人たちと映画に行き、クルシュンルの滝とドュデンの滝に魚を食べに行った。道は空いているし、映画館もガラガラ。滝には家族連れがピクニックに来ていたが、普段の日曜日に比べたら空いていた。ドュデンの滝を目の前にした川魚レストランがある。夏は気温が低く、とても気持ちよいところである。今の時期、寒いかとも思ったが、バイラム中は天気がずっとよく、半袖で過ごせる陽気であったので、涼しさが心地よかった。夜中にビーチパークに行き、海辺で寝転がった。深夜12時を過ぎているというのに、人の出入りが激しく、バーやディスコはトルコ人客でにぎわっていた。ビーチも寒くなく、石浜に座って、帰ろう帰ろうと思いながらも、あまりにもの気分のよさになかなか立ち上がることができなかった。25日までがバイラムで、26日と27日は学校が普通にあるし、世間も動き出しているようだけど、私はお休みをいただいて家にいる。息子が学校へ行っているので、久しぶりに(何年ぶりでしょう・・・・)ゆっくり昼寝をさせてもらった。明日は弁護士での面談と、市民スクールの会議があって出かけなきゃいけないけど、きっと店には行かない。強引に日曜日まで休みとるつもりでいる。こんな感じでラマザン・バイラム+休暇は過ぎていく・・・・。
2006年10月26日
日曜日の夜から断食がなくなる。そして月曜日から水曜日までの3日間はラマザン・バイラムで公休日になる。今日からの週末を併せて、5連休ということであるが、週末はまだ断食中なので、断食している人たちにとってはあと残り1日という感じ。でもバイラムに備えて、買い物に出る人で商店街通りはにぎわっていた。この不景気で今日、明日、稼がないといけない職種もたくさんあるわけで、なんとか景気が盛り返されるといいなあ、と思う。ところで私のパソコンがちょっと故障気味。ファンのトラブルだけなのですぐ済むのに、どこもかしこもバイラム前で忙しく、手をつけてもらえない。預けてもやってくれないから、仕方がないから持って帰ってきて、騙し騙し使っている。というわけで、30日ごろまでパソコンが使えないかもしれない。お返事などが遅れたりすることもあると思う。そんなときはミフリ社長のパソコンが調子悪いんだな。っと思ってください。そして私もバイラム中は休暇をもらいます。では休暇明けまでご機嫌よう!
2006年10月21日
今週の土日は仕事を休みにした。それで子供と映画でも見に行こうと思った。カーズっていうのですか? トルコ語タイトルはアラバラル(クルマたち)。最初はマクドナルドのおもちゃで知ったから、期待はしていなかったんだけど、私も十分楽しませてもらった。クルマのエンジン音やレース場での盛り上がりなど、気持ちを高揚させるものがあった。それで見終わってから、なんだかすごく不思議な気持ちになってしまった。その気持ちがなんなんだかわからなかったんだけど、ラストシーン、もしかしたら私が目指しているものがこれなのかな・・・って思った。実力はつけておきたいし、実際そうでありたい。でも表舞台に出なくてもいいし、末端の一流どころとおつきあいがなくてもいい。自分を求めてくれる人たちのために何かできたらうれしいし、打算的なつきあいや都合のいいときだけしかよってこない人たちよりは、心から友達でいてくれる人のためにその時を生きたい。私の商売のスタイルって実は商売になっていない。でもこの商売が生きる楽しみになっている以上、いくら商売だからといって、損得勘定やお金だけで自分自身を動かせないのも事実。人ってどこか、自分の生きる場所を探して迷い続けているところがあると思う。それが見つかるかどうかは運もあるだろう。でも見つかったときに去るか戻るかの決断はもう運ではないと思う。勇気もいることだろうし、他人の人生も背負っている立場であれば自分だけの意志では決められないこともある。自分の場所が見つかった人は幸運だと思う。
2006年10月14日
トルコのキリムのモチーフにはいろいろ名称と意味がある。名称は研究者たちが分類の都合上、勝手に名前をつけたものもあれば、実際に織り手たちにそう呼ばれているだけのものもある。同じ形のモチーフでも地域ごとに意味が変わって伝わっているものもある。その地域で独特なのは、今のように村間の交流がなかったころ、またテレビや本などの情報伝達方がなかったため、母親が織ったものを娘が見よう見真似で織ったことから来る。多少の工夫や個々のセンスは問われるものの、そのため同地域で同じようなモチーフのキリムが織られたのである。私はモチーフの学術上の都合でつけられた名称も意味も重視はしていない。呼称として使うが、そこにこめられている意味は組み合わせで考えることにしている。そのためのデータ収集はもちろん簡単ではないし、村を回ったときは必ず、その地域にあるモチーフの意味や色の意味、もう本人たちが意識して織っているとは思わないが、どう伝わっているか、またどう考えているかは話を聞くことにしている。そこからいくつかおもしろい話もでてくるし、村の女性でも下手に本を見たりしている人は「これってドラゴンのモチーフだよ」と説明してくれるけど、「そうなんだ。知らなかったなあ・・・ところでドラゴンってなに?」と尋ねると「見たことないから知らない」という答えが返ってくる。そのひとつにリンゴのモチーフというのがある。一般的には櫛とか目とかいわれているものであるが、リンゴのモチーフであるという話も数箇所の村で聞いた。どんな意味かというと、幸福の象徴なんだという。どうしてリンゴと幸福がつながるかというと・・・・。ここにひとつのリンゴがあるとする。そのリンゴの持ち主が「はい、これあげる!」と誰かにリンゴを手渡したとする。するともらった人はうれしい気持ちになる。その顔を見てあげた人もうれしくなる。たかがリンゴである。しかしそれが1つ存在し、それを受け渡ししたという些細な行為で2人の人が幸福になったわけである。幸福ってそんなことでも感じることができるという話である。場所によっては1つのリンゴを分け合うこととも言う。ところで話は変わって、最近、都会のトルコ人は変わってきていると感じる。昔、もしくは今でも農村部ではそうだけど、近所づきあい、助け合いというものがあった。しかし最近は日本と同じで、同じ建物内にいるのに交流もなければ、挨拶もしなかったり、ちょっとしたことで何かをお願いすると、お願いしたことを後悔する結果になったりする。これも当然の流れなのであろうが、我が家のあるアパートでも住人たちがそんなことを叫んでいたので気になった。うちのアパートは古い地区にあり、12軒あるアパートの10軒は持ち家で2軒が借家である。お年寄り世帯と持ち家であるという意識が強く、それぞれの勝手な主張で、波長が合わないのである。自分の意見が通らないと、だれかれ構わず嫌がらせをする人や、自分もさせられたから、あいつにもさせろとか、理屈の通ることならまだしも、お互いが気分が悪くなることばかりする人たちがいる。それがあまりにもしつこいもので、何も言わなかった人たちも何か言われるごとにけんか腰になるし、構えてしまっている。住人同士が実はとくに理由もないのに、警戒しあっている。私も正直いえば、アパートの住人と挨拶はするけど、不愉快になることが多いので、できるだけ誰とも深く関わりたくないし、何かあっても声を荒げない、知らないふりを通すしかない、と思ってしまっている。これじゃまるで日本にいたころの近所付き合いと同じだな、なんて思いながら・・・。でも考えたら日本の方がよほどマシであった。いっさい関わりがないし、誰が住んでいるかも知ることがなかったから温かい交流もない代わりに不要なトラブルもなかったなあ・・・って。それにしても私が好きであったトルコの一部分が、こんな形で壊れていくのを実感しなきゃいけないのは、なんとも寂しい気分である。最近、そんな小さな事件がいくつかあって、アパートの住人たちの間が険悪である。そんななか、買い物で外出したとき、アパートの住人のひとりであり、元管理人のアリおじちゃんと近所の水道屋のお兄ちゃんが立ち話をしていた。アリおじちゃんは、自分勝手な住人たち相手に公益費を集めたり、掃除のおばちゃんを手配して掃除をさせたり、ビルをきれいにするためにいろいろ尽くしてくれていた。でも公益費を集めるたびに、自己中心的な理屈で支払わない人がいたり、掃除をさせていてくれたおかげで建物がきれいだったのに、それに文句を言う人がいたり、共同設備を自分のものにする人がいたり、ほとほと疲れきっていた。よく「文句も言わずに、その日に公益費やその他の支払いしてくれるのはアンタだけだよ」と言われたものである。水道屋のお兄ちゃんも、うちのアパートの水道工事でかかわるから、住人同士のトラブルはよく知っている。間に挟まっていやになることも多いと思う。3人でため息とともに、別れようとしたとき、水道屋のお兄ちゃんが店の奥からまだ青いオレンジを持ってきて、1個ずつ私とアリおじちゃんにくれた。「今朝、フィニケ(地中海のオレンジで有名な町)から届いたばかりなんだよ」と言う。私は柑橘系は実は苦手であり、ほとんど食べることもない。でもオレンジを手にしてなんだかほんわりとした気分になった。ひとつのオレンジで小さな幸せを感じた瞬間であった。
2006年10月05日
この3日間、家に帰ってくると、とにかく眠くてたまらない。無意識にソファーに横になったまま寝ていたり、今日も気がつくと1時間ほど居眠りをしてしまった。多少は涼しくなっていると思うんだけど・・・アンタルヤ。それとも夏の疲れがどっと出たか・・・。たしかにこの数日、太陽の下、輸出用の荷物やリストを作ったり、空港まで運んだり、炎天下のクルマの中で待っていたりした。一緒に行ったり来たりしていたアドナンとRちゃんも、同じようなことを言っていたので、仕事が片付いて一安心したもんで、気が抜けたんだな、と思う。アンタルヤ市の市民カルチャースクールが10月から開校する。受講者は無料なので、事前の反応もいいようだ。外国語には日本語、中国語もあり、私は講師に応募していないのに、講師が見つからないため私に頻繁に電話がかかってくる。以前にペリンにつきそって一緒に市役所に行っただけなんだけど・・・・。生徒は今のところ30名いるらしい。1日3時間週2日。ペリンは夫と中国へ帰るかもしれないから・・・と断ったらしい。で、中国語の講師も探さなきゃいけない。中国語の受講者は日本語よりも多いという。大卒で教師免許を持っている人、または大学で日本語、中国語に関連した学部を卒業していること、就労許可のある人なんだけど(トルコで外国語学部を卒業しているトルコ人で漢字の読み書きができる人ってことなんだろうけど・・・そんな人は他でもっと良い職についていると思う)、時間給を聞くと、誰もやりたがらないのである。無料スクールだから、ほとんどボランティア精神でやるわけなんだけどね・・・・・。我が家の隣のビルに貸しアパートの垂れ幕がある。こちらに住みたいという日本人の友人がいるので、彼にどうかと見にいった。3LDK・バス・トイレ2ヶ所、ソーラーシステム付きで南と東向き。エレベーターはない。125平方メートル。ペンキ塗りなどは店子持ちで、その代わり出ていくときもそのまま出て行って構わない。5階建ての3階部分(トルコ式では2階)。家賃は450YTL(約36300)だそうだ。一人で住むには広いぐらいだし、なによりもこの地区は買い物や用足しにすごく便利である。大通りに近いけど、通りの間なので騒音もないし。今日のランチはちょっと贅沢にウシュクラルにあるイタリアンレストランに行った。ステーキはマシュルームクリームソース、ブルーチーズとバターのソース、トマトソースのスバゲティ、前菜に鳥のレバーペーストと、サーモンロール。デザートはとらずに、並びのバーガーキングでソフトクリーム。カレイチのマクドナルドですっかり見なくなった女子学生たちが、なんとバーガーキングの2階でたむろしていた。きれいどころを満喫(アドナンと息子が・・・)。
2006年09月08日
迫った輸出の準備で大わらわ。モノの準備はだいたい完了したけど、書類の準備がまだいくつか残っている。細かい作業だから面倒である。最後は空港までクルマを飛ばす。Rちゃんの帰国。またいつの日か戻ってくるかもしれないけど、日本を出て8か月、うち約5か月という長いアンタルヤ滞在。いろいろ目標を持っての滞在で、中味も濃かった。日本へ戻り新しい生活がスタートするわけである。帰国までの残り数日アンタルヤとトルコを楽しんでね。スタートと言えば、来週から息子も新入生。ランドセルはないけど、学校指定の制服も何もまだ用意していないし、それ以前に何も学校から連絡ないのだけど、いいのですかね・・・?前日に名札つけとか、あわててすることになるのか・・・・。そうえば、Tちゃんの一時帰国ももうすぐ。最後の1枚、修理が終われば、こちらの準備は全てOKです。昨日、3日ぶりにホテルのプールへ行った。夕方6時ごろだったせいもあるけど、水が冷たかった。いままでなら、夕方の方が水も温まってぬくかったけど、なんとなく夏の終わりを感じた。暑さで日中は食事ができなかったミフリ社長の食欲が一気に元に戻ってきた。やはり少し涼しくなっているのか・・・・。それとも気のせいか・・・。貧血気味の身体にレバーとほうれんそうの献立を考え始めている・・・・。
2006年09月05日
8月の中旬ごろからバカ長い廊下の天井に水のシミができはじめた。階上からの水漏れである。単純に上の階の住人に伝えたところ、すぐに修理屋を呼んでトイレの水漏れを直してくれた。ところがその後も水漏れは止まらず、どうやら他に原因があるらしい・・・と思っていたら、夜ごと壁から水が染み出し、廊下に水溜りができるほどになった・・・のが4日前。また階上の住人に修理屋に見てもらうよう頼んだら、階上の向かいの家の風呂からの水漏れであることがわかった。ところがそこの家族は田舎へ行ったのか、長いこと留守をしている。8人の子供の上の兄が一人で留守番をしているらしいが、仕事へ行っているので、応答がない。そして水は漏れたまま・・・・・。このままではシミがひどく、経費がかさむだけであるから、早く直してもらいたいのであるが、留守ではどうしようもない。メモに書いてドアに差し込んできたが、今のところ何も言ってこない。アパートの水もれに関しては、とにかくもめることが多いので、私も注意深くなる。階上の住人のように、すぐに修理屋を呼んでくれるのは稀で、お金をかけたくないものだから、とにかく逃げの姿勢に入り、被害を受けているほうが悪者呼ばわれされることもよくあることである。今は原因が自分にあるにもかかわらず、対処しない場合はかなりの金額の罰金(20万円ぐらい?)があるから訴えてしまえば済むのであるが、同じアパートの住人となると、できるだけモメごとは起こしたくないものである。この水漏れで何日がつぶされているのであるが、こういうときに限って、仕事がたくさんある。家から税務署、公証役場、貿易協会、商工会議所、税理士、通関士、行ったり来たり、書類が連携しているから、1枚ないとまた戻り、それを揃えて次の役所へとなんだかあわただしい。来週、200kg以下の小ロッドだけど絨毯、キリムの輸出が1件あるので、その作業もある。博物館鑑定はなんと費用が無料になった。ありがたいことであるが、その分、面倒があるのではと不安も残る。会社名の変更に伴い、その書類の切り替え、通達などもあり、余計面倒臭い。ああ、明日は久しぶりの休日。朝から家でゴロゴロしたいところであるが、そうは問屋が卸さないのである。
2006年09月02日
絨毯屋の社長の前職はフリーランスのライターである。有名じゃないけど、仕事はいっぱいあったし、忙しかったけど、楽しかった。連載で署名記事も書いていたし、やりがいもそれなりにあった。物書き願望は全くと言ってなかったけど、その延長線上で本も出させていただいて100万円ほどの印税も手にした。絨毯屋になってからはきっぱり前職は忘れて、未練は残さない・・・。それに正しい日本語はもうわからないから、今でも時々、トルコ関係とか、それ以外でも書かせてもらう機会があるのだけど、正直言って自分で書いた日本語に自信はない・・・。・・・って威張っていても仕方がないのだけど・・・・。さてライター時代の思い出と言えば、フリーランスだから仕事は家。まだ20代だったし、1週間ぐらいの徹夜なんていうのもあったと思うけど、乗り越えられた。当時はありがたいことに、とにかく仕事は山積みで、取材に行っては、メモやテープを起こしながら書くわけである。同時に何件かの仕事をするわけで、資料はぐちゃぐちゃ、部屋もぐちゃぐちゃ・・・。そして眠ることができない分、食べ物に走る・・・(それでも今よりはずっと細かった)。この時の相棒もフリーランスのライターで、その後、名が出る人になってしまったけど、深夜のコンビニで仕事の合間に立ち読みデートをしたもんだ。話はズレたけど、この仕事には常に時間との戦いがあるわけで、あと1時間、あと10分・・・とあせればあせるほど、時間はどんどん経っていくし、手は進まないし・・・どこかに逃げ場があれば、このまま逃げてしまおうかなあ・・・なんて一瞬思うほど、つらい夜もあったわけで・・・・。お金だけはあるけど、遣う時間もない、寝る時間もない・・・(最後だけは今でも同じか・・・)。ただ今の寝る時間がない・・というのは、自分の仕事だから締め切りというのがない分、ラクである。やっただけ仕事につながるし、やらなければそれだけのことだし・・・。でもよそから来た締め切りのある仕事はしんどい。守らないとその後の信用にかかわるしね。・・・って生活を20代のころ続けていて、このままでは死んでしまう・・・と逃げたのがトルコであった・・・今、明かされるミフリ社長の秘密・・・って全く秘密じゃないのだけど。それからパソコンとか、ワープロとか、時計を見ながら、最終入稿時間を逆算するとか、そういう生活はなくなって、よかったなあ・・・って思っていた。寝る時間が少ないのは今も同じなんだけど、時間時間に追われる恐怖はないもんね。・・って思っていたら、つい最近(って言うか今、その真っ只中)、ライター時代の悪夢が再び・・・。大げさですみませんね、単に締め切りのある、しかもとっても急ぎの仕事を請けただけ。でも久しぶりに時計とにらめっこ、家から1歩も出ずに、丸2日間半はただパソコンの前にいただけ・・って生活を味わった。完全徹夜2晩・・・。一応送ったけど、まだ訂正箇所もあるし、寝れないので、今は今晩、ベットで寝られる幸せを味わおうと夢みている。追われている間は、コレさえ終わってくれたら、私の人生、あとは何もいらない・・・って、心から思ったもの。ジムやプールに通う日がまるで遠い昔のように思ってしまったし・・・。まあ、今後はこんなに時間に追われた仕事はないと思うし、やることもないと思うので、2006年の夏の思い出として大切にしよう・・・・。夏の思い出がこれじゃ、情けないなあ・・・。あと何時間かで開放される・・・って喜んだところで、もう1件締め切りのあるものを思い出し。た。
2006年08月11日
トルコへ戻る直前、かなり忙しく、あわただしくなり、メールをチェックもできませんでした。お返事遅くなっていますが、申し訳ございません、もう少しお待ちください。明日、復活してなんとか書きますので、ミフリから返事がないな、と思っている方、すみません。それから売れているものが、いろいろありますので、その表示も明日、なんとかしたいと思います。追加の骨董キリムもできるだけ早く、載せますので、お楽しみに。それからそれから、鹿沼の店の在庫入れ替えをするために草木染めキリムと新作キリムを中心に、あっ!?と驚きの売り尽くしセールを、近日中にHPでしますので、そちらもご覧ください。とり急ぎ、報告でした。今日は寝ます。では・・・・。
2006年07月27日
プール通いができる余裕があると思っていたら、また睡眠時間2時間の日々になってしまった。睡眠時間が2時間というのは明け方の6時に寝て8時には起きて出勤する・・・ということなのであるが、それでも息子との約束があるのでプール通いも続けている。朝から外回りをし、店へ行き、夕方からは空港そばのホテルまで行き、プールで泳いでハマムで身体を洗う。その間にも携帯に電話がかかり、「ホテルで泳いでハマムに入るところ・・・」なんて応えると、「優雅でいいねえ」なんて言われるけど、現状は優雅じゃなくて義務、疲れが限界のときなどほとんど拷問。ハマムに入るから、家で風呂に入る時間を考えなくていいってだけ。暗くなる前に(9時ぐらいにならないと真っ暗にならない)家に帰り、疲れた身体で居眠りしながらパソコンを打つ。気がつくとパソコンの上によだれが・・・・ああ、あぶない、あぶない。そして忙しいときに限って、用事が立て込む。暇なときは思いっきり暇なのに、どうしてうまい具合にいかないものだろう・・・・。店で5分、10分の爆睡。もう帰国なのに、まだ何も用意ができていない。家の中ぐらい掃除したいけど、手をつける時間がなくて、気だけがあせる。ああ、また着の身着のまま帰国。髪の毛もボサボサ、せめて眉毛ぐらい美容院で揃えたかったのだけど・・・・。今日はただのボヤキである・・・・。
2006年06月27日
クムル(KUMRU)が我が家の窓に巣を作ったのはいつのころだろう。寝室の開かない窓(トルコ在住の方はわかるだろう)と鉄格子の隙間に、夫婦でやってきて愛をささやきあっているな・・・と思っていたら、気がついたときには巣ができていて、卵を孵すメスの姿が見えた(なんとすばやい!)。メスは私が窓越しに覗いても、動じることなく、卵をひたすら暖め続けていた。別の写真ブログにも書いたけれど、メスの姿は見えるが、オスはどこへ行ったのか、姿が見えない。それか私がいないときに来ているのだろけど、全く姿が見えなかった・・・・。メスが食事を取るでもなく、オスが運んでくるのでもなく・・・と心配していた。今朝、仕事に午後行くため、寝室で休んでいたら、珍しく窓の外にオスの姿が見えた。巣のために細い枝を持ってきてはメスに渡し、メスがそれを巣に加える。それを3度繰り返した後、メスは食事を取りに(って勝手に想像したわけだけど)出かけていき、代わってオスが卵の上に座った。オスは私になれていないため、ガラス越しに覗く視線に気がつくと、卵を残して、向かいのベランダに逃げていってしまった。悪いことをしたな、と思ったけど、なんだか人間みたいで面白い。卵を守るために動じないメスと、ちょっとビビリ屋のオス。それでも危害を加えないとわかると(これも想像)、巣に戻ってきて卵の上に座った。「俺が代わるから、お前、食事してこいよ」「そう? じゃあ行ってくるわね。頼んだわよ」「任せておけって、ちゃんと見ているから心配するなよ」「本当に大丈夫? どんなことがあっても子供たちから目を離しちゃダメよ」「おう」「あ~ビビった。細め目の人間が覗いているんだもん。つい逃げちゃったよ」「あなた逃げたの? 子供たちを放って!?」「だって仕方がないだろう。あっ、だけど向かいのベランダから一応俺も睨み返していたから、あいつ何もできなかったぞ」「何言ってんのよ、私は逃げないわよ、身を挺してでも守ってよね。本当にしょうがないんだからあ」「だけどさあ・・・・」「もういいわよ、あなたは子供たちのために枝でも拾ってきてちょうだい」なんて会話があったか、なかったか・・・。(ないに決まっているんだけど)その合間に巣を覗くと、なんと卵1個だけだと思っていたら、雛が1羽孵っていた。卵は計2個であったようである。雛がいつ孵ったのか、わからないがまだ1,2日のことだと思う。それにしてもこの雛がどうやって卵の中に入っていたのか、わからないぐらい大きい。以前、turkuvazさんがクムルの話をブログで書いていたと記憶するけど、この鳥を観察していると、本当に家族や夫婦のことを考えさせられる。ネコは父親は子供を作るだけでどこかへ行ってしまうし、出産、子育てはメスのみが引き受けることになる。鳥には夫婦で子育てするものも少なくないのだろうが、こんな間近で野生のクムル夫婦の子育て風景を見るチャンスがあると、余計思うわけである。写真はメスが子育ての合間に食事に出かけたあと、オスが卵を温めようとして、私の視線に気がついて、ビビらず卵を守るべきか、自分だけでも逃げるべきか考えている瞬間。(結局一度逃げて戻ってきたのだけど・・・・)
2006年05月17日
暇なもので、商売日記としては書くことがないのである。銀行は最後にテレフォンバンキングでG銀行に送金のキャンセルをもう一度言ったら、翌日、ちゃんと戻ってきていた。やれば出来るんじゃない・・・・。ということは1回目の人が手続きちゃんとやらずに、私のお願い(って送金のキャンセルなんだけど)は8日間、放置されていた・・・ってことなのか。戻ってくれば、別に騒ぐことじゃないし、いいけどね。週末はなんだか街中が騒がしかった。ガラタサライの優勝が決まったのと、アンタルヤ地元のアンタルヤスポルが第一部リーグ(スーパーリーグ)昇進が決まったものだから、ついでに黄色と紺色の旗とか、その他の色の旗とか、便乗してみんなが騒いでいるのである。アンタルヤスポルの1部リーグ昇進は何年ぶりになるのだか、そういえば2部に落ちたときも私はアンタルヤにいたなあ、とか思ったわけ。アンタルヤスポルのチームカラーである赤白の旗の巨大な旗が街のいたところに掲げられ、ドルムシュなどにも赤白旗。でも私はサッカーには全くの無関心である。暇なんだけど、5分、10分の用事はあちらこちらにあるもんで、家でゴロゴロしているわけにはいかない。これでまるまる休暇でどこかに遊びにいけたらいいのだけどねえ。商売やっていると、事務的な用事とかお役所関係とかを無視できない。それでも支払い関係を銀行自動引き落としにしたり、ネットバンキングにしたから、少しはラクになっているけど。人と会う約束も待ったり、待たせたり。このダルさの一番の理由は気候なんだと思う。急に暑くなって、外を回ってくるだけで疲れている。家に帰るとまずは夕寝・・・。その分、夕方以降の外の涼しい風は気持ちいいけどね・・・。他になにかあったかな・・・・・。5月ももう半分過ぎてしまった。来週にはミフリ社長の誕生日が待っている。身体、精神ともに健康で過ごせることに感謝。初夏で活気が出てきたアンタルヤより。
2006年05月16日
よくある話なんだけど・・・・。トルコの某大手プライベート銀行のG銀行のインターネットバンキングで、他行D銀行宛に送金をした。ところがうっかり口座番号だけを全く関係ない番号で打ち込んで、先方から「お金が届かないよ~」との連絡で、気がついた。翌日にテレフォンバンキングで、キャンセルの手続きをとってもらい、「他行宛なので2、3日はかかります」とのこと。まあ、戻ってくるならなんでもいいや、とそれは置いておいて、送金をしなおして、支払いは無事終了。ところが8日経って、インターネットで見たら、まだ戻ってきていない。8日経つまで見ない私も私だけど。仕方がないので、G銀行まで出向いていった。そしたら「お金は当行へまだ戻ってきていない、D銀行から返金の手続きがなされていない。D銀行へ行って、事情を説明してくれ」という。で、行くって、言ったって、他市のD銀行の支店に送っているのだから、当然アンタルヤの支店に問い合わせに行った。そしたらD銀行のアンタルヤ支店の女行員。「その送金はここの支店宛にしたわけ?」「違いますよ。U市のおたくの支店にしたんですよ」「よその支店のこと、わかるわけないじゃない、ふん」って・・・・。実際はトルコ語なんだけど、日本語訳はこんな感じ。で別の人が「当行のインターネットバンキングに問い合わせしてください」と番号をくれたので、店に戻ってから電話をした。事情を説明すると、「送金部門に問い合わせのメールを送っておきますので、12時過ぎない時間にもう一度電話してください」。なんだか面倒になってしまって、家に帰ってからもう一度G銀行のテレフォンバンキングに連絡した。他行宛の送金のキャンセルを伝えると、調べてくれて「今実行中ですので、2、3日中に口座に振り込まれます」との返事。「つまり、2、3日中にキャンセルになった分のお金が戻ってくるってことですね?」って念をおすと「もちろんです」と対応はいつも丁寧でいいのだけどね。普通だったらG銀行との取引なんだから、G銀行が客に「D銀行に行って聞け」って言うこと自体、変だよね。でも待ってて何もしてもらえないぐらいなら、自分たちでさっさとやってしまおう、って思うのがトルコ生活の知恵(!?)。間違って送金した相手も言っていた。「僕も以前、間違って送ったことがあるのだけど、何はともかく戻ってきてくれることを願おう」全くその通りです。はい。
2006年05月09日
昨日は1年分の睡眠不足を補うかのように、夕方6時ごろまで眠ってしまった。普段はこんなことはありえないのだけど、よほど疲れてしまったのか・・・・って。夕方起きてみて、この時間から仕事に行くのもなあ・・・って、家のベランダでも掃除することにした。アンタルヤの夏は何度もしつこく言うけど、「暑い」。もっと夏になると、食事をとるのもきつくなる。そうなると昼間はフルーツとか、水分をとるだけの生活で、まともにとれるのは唯一、夕方日がかげってからの夕食ぐらい。それも家の中じゃ蒸すから、ベランダでとる。夏になると夜、アパートのベランダで夕食をとったり、チャイを飲んでいる家族の姿が見られる。時にはテーブルで、時には絨毯を敷いて、夜もそのまま寝たり・・ね。一冬分の埃を、ホースとデッキブラシを両手にゴシゴシ洗った。出しっぱなしで埃を被っていたプラスチック製のテーブルと椅子もゴシゴシ。ベランダで食べる、夏の夕食の準備完了。昨年はエアコンをかけて室内で過ごすことが多かったけど、今年はテレビとソファーもベランダに出して、夕涼みもいいかも・・・なんて考えているところ。
2006年05月03日
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