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新春放談女性には、三つのタイプがあると思う。三つのタイプであって、四つでも二つでもない。三通りの女性ってどういうタイプだ?まずぼくと二人で飲みに行く。ぼくは不覚にも酔いつぶれる。第一のタイプの女性は、ぼくが酔っ払って溝に嵌まっても、しっかり介抱してくれるひとだ。第二のタイプは、溝に嵌まったぼくを冷たく見やると、ぼくを見捨てて知らん顔してスタスタと一人で帰ってしまうタイプ。そして第三のタイプは見捨ててスタスタ歩き始めるのだが、しばらくして戻ってきて、溝に嵌まって苦しんでいるぼくの背中を思いっきり踏んずけてから、またスタスタと去って行ってしまう女性。世界広しといえども、女性にはこの三通りのタイプしかないと思う。もちろんスタスタ去って行ってしまうタイプの女性と深く付き合うことによって、その女性がしっかり介抱してくれるタイプに変わることもあるし、介抱してくれる女性がスタスタ去って行ってしまうタイプに変わることだって、もちろんある。ワーグナーのオペラのヒロインはどんなタイプの女性か、ぼくの「女性三タイプ」論にしたがって次回からの日記で少しづつ書いてみたい。
2006.12.31
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12月21日の日記でちょっとだけふれた我がネットの畏友ぱきゅんさんのブログぱきゅんの部屋が本日、久しぶりに更新された。ブログによれば、ぱきゅんさんはお元気そうで、来年に向かって活躍中である。こんなに嬉しいことはない。ぱきゅんさんにはバーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」の映像だけではなく、カルロス・クライバーやビル・エヴァンス、インバル、ノイマン、大植英次さん等々の貴重な音源、映像をいただた。その全てがたいへん素晴らしいものばかりで、この場を借りてこころからぱきゅんさんに御礼を申し上げる次第である。ぱきゅんさん、ちゃれさんはこの楽天の音楽関係のブログをとおして出会った方々である。あらためてネットでブログを書いてきて良かったと思っている2006年の年の瀬だった。
2006.12.30
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きみはマタチッチを知っているか。モンチッチのマタいとこだからマタチッチって?ロブロ・フォン・マタチッチ、1899年ユーゴスラビア生まれの指揮者の名前だ。マタチッチの名前は60歳以上の日本のクラシック音楽愛好家なら誰でも知っているだろう。(もちろんぼくは60歳以下だが…)マタチッチが日本に親しまれるようになったのはN響の指揮者として、N響を指揮してブルックナーを肇とする数々の名演奏をおこない、当時の日本人に多大の感銘を与えたからである。そんなマタチッチであるが、彼が日本で有名になる前、1962年にイタリアのトリノ交響楽団を指揮してイタリア人のオペラ歌手たちがイタリア語で歌った、ワーグナーの「ニュールンベルグのマイスタージンガー」が発売された。マタチッチはこのトリノでの演奏に先立つ1958年にバイロイト音楽祭で「ローエングリン」を指揮しているが、N響を指揮したワーグナーの「リング」組曲や、この「ローエングリン」などを聴くと、おおよそこのイタリアの工業都市トリノで演奏された「マイスタージンガー」がどのようなものであったか、想像がつくというものだ。キビキビ、テキパキ、スッキリ調ではなくて、その真逆、ネチネチ、コネコネ、コッテリ調であろう、と。けれどもこのマタチッチの「マイスタージンガー」、たしかにゆったりではあるが、けっしてネチネチ系でもなければ、ベトベト系でもなかった。歌手の歌わせ方が素晴らしいのだ。まるでイタリアオペラを聴いているように感じる。さらに、舞台が見えるような管弦楽の操りかた。現代のオペラが舞台演出家にその主役の座を奪われてしまう前の、歌手と指揮者が主役だった時代の素晴らしい音の記録である。オペラの醍醐味がその歌や合唱にある、ということが良くわかる貴重なな「マイスタージンガー」の音の記録であり、そのような歌の醍醐味という視点はマタチッチがなんとあのウィーン少年合唱団の出身だということからも頷けよう。ドイツ芸術の讃美、ゲルマン民族の讃歌的な「マイスタージンガー」が一方の極(きわ)みであるとすれば、マタチッチの「マイスタージンガー」は“ちょいワル親父”礼賛的な「マイスタージンガー」であり、ヴェルディの「ファルスタッフ」とはまったく別の楽しさがある。ぜひご一聴をお薦めしたい。
2006.12.27
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2006年も残り少なくなった。今年の最後にあたってTxxさんのことを書き記(しる)さないわけにはいかない。ぼくがウェッブで日記を書くようになったのは2002年の2月からだった。いまではほとんどちりぢりばらばらになってしまったライコスダイアリーというところで日記を書くようになった。そしてその年の暮れにTxxさんの記事に出会った。その記事のことはいまでも良く憶えている。それは「電車のなかでマルクスの「共産党宣言」をブックカバー無しで読むことについて」という記事だった。ちょうどその頃、村上春樹さんの小説「海辺のカフカ」が出版された。この「海辺のカフカ」を契機にTxxさんと親しくなれたと思う。二人とも村上春樹さんの小説が好きだったからだ。明けて翌2003年の2月、いまになって振り返ってみれば運命の出会いというような大事な出会いをした。鈴木道彦教授の新書「プルーストを読む」を偶然、読んだのである。この読書をきっかけにぼくは2003年の7月から今では「きっこの日記」で有名になった「さるさる日記」というところで、「失われた時を求めて」の読書感想日記を書くようになった。これは一年以上書き続けた。一方、TxxさんはNGO活動のかたわら受験した選抜試験に合格し、念願かなって渡英することになった。渡英したのちもTxxさんは海外生活日記をウェッブに書き続け、ぼくは熱心に読み、時々コメントした。2003年の夏の終わりに、ライコスダイアリーは楽天に吸収されてしまった。Txxさんは過去ログの関係もあったのか、引き続き楽天でイギリス生活日記を書き続けた。そのこともあって、ぼくも楽天で日記を書き続けることにしたのだった。2004年の夏にプルーストの「失われた時を求めて」を読了したあと、なぜかぼくはワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」が聴きたくなり、2004年の秋から「トリスタンとイゾルデ」ばかり聴いてきた。この「トリスタンとイゾルデ」熱は2005年、バイロイトでの大植英次さんのライブで頂点に達し、ネットの畏友ぱきゅんさんのご好意で鑑賞することが出来たバーンスタインの映像のあまりの素晴らしさに、ついに燃え尽きた。イゾルデはアイルランドの王女である。ではアイルランドってどんなところだ?それを知るにはアイルランド人の書いたアイルランドだらけの小説を読めば良い。そう考えたぼくはジェイムズ・ジョイスの小説「ユリシーズ」を読み始めた。2005年5月にマーテロ塔の朝から始まった物語は2005年の12月に、モーリーの独白で終わった。そしてそのころ、Txxさんも英国から帰国した。2006年は想定外の事件で幕を開けた。まず英国から帰国したばかりのTxxさんが5月の就職試験に向かって猛勉強を開始したのだ。まだ時差ぼけも取れていないはずなのに…。これはすごい努力の人だとただただ感心した。と思ったらその翌週ホリエモンが逮捕された。ことは6月25日に起こった。一次試験に合格し、二次試験が終わったばかりのTxxさんが突如としてブログを全て削除したのだ。一夜にしてインターネットの世界からTxxさんは消えてしまった!どうやらブログを全削除した原因は入社試験に関するトラブルらしいのだが、いま一歩、判然としない。そしてそれ以来、Txxさんからは何の連絡もない。 まるでTxxさんは鬼にさらわれてしまったみたいだ。けれどもあと3ケ月もすれば春だ。来年こそはTxxさんにも桜咲く春がやってくるだろう。ぼくはTxxさんに桜の咲き乱れる美しい春が訪れることを心から願っている。
2006.12.21
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突じょとして愛する女性を奪われてしまった男は、さらわれた妻を捜し求めた。けれども長い年月をかけてようやく見つけ出した愛する女は、現在の生活に安住し、男と一緒に帰ろうとはしなかった。男はひとり寂しく帰るほかはなかった。そのときひとり寂しく家路をたどる男のバックに流れる音楽として相応しい曲は何だろうか?モーツアルトかベートーヴェンか、それともワーグナーか?相応しい曲はブラームスしかない。それも交響曲第三番しかないと思う。ああ、ぼくはなぜ鬼の下着を洗濯している妻に声をかけることが出来なかったのだろうという激しい慟哭で始まる第一楽章、結婚した当初の楽しかった日々を懐かしむ第二楽章、ひとりきりになった淋しさが色濃く滲む第三楽章、これから一人きりで生きていくという決意と、でもなァという嘆きで終わる第四楽章、そのすべてが愛を失ってしまった男の姿を描いて余すところが無い。クナッパーツブッシュの指揮で聴くブラームスの交響曲第三にぼくは女性にフラレた男の嘆きを聴く。クナは優れたワーグナー指揮者だが、ワーグナーだけではない。クナのブラームス第三ほどこの曲の本質を描ききった演奏はないとぼくは思う。お奨めはベルリンフィル盤だが、ウィーンフィル盤のほうが深いかもしれない。
2006.12.10
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昔々、あるところに若い男と女がいました。二人は梅の花が咲く頃に出会い、桜の花が咲く頃に一緒になりました。そろそろ稲刈りの時期を迎えようとしていた秋の夕暮れ、二人並んで家路を辿っていると、突如男の背後から竜巻のような風のうねりが巻き起こり、男は道端に倒されてしまいました。起き上がってみると、傍らの愛妻がいません。愛妻は竜巻のごとく、翔けて来た鬼に攫われてしまったのです。男は途方に暮れました。そしてその後愛妻を捜しました。何年も何年も捜しました。月日が経ちました。長雨がやっと上がった、ある初夏の朝、丘の麓を流れる小川の畔で、赤い褌(ふんどし)を洗濯している女を見つけた男は思わず息を呑みました。愛妻は縄で縛られているわけでもなければ、鬼に監視されているわけでもないのに、鬼から逃げようと思えば何時でも逃げられるのに、逃げようともしないで鬼の褌を洗濯しているのでした。呆然とした男は、女に声をかけることもなく、一人で里へ帰ってしまったのでした。これが今に言い伝えられる「鬼の褌」の物語だ。女は助けに来てくれる男を待っていたのかもしれないし、あるいは何時の間にか鬼を好きになっていたのかもしれない。トリスタンを失ったイゾルデにも、いつの日にかマルケ王を愛する心が芽生えてくるのだろうか?たとえ鬼に攫われなくても、愛した男と一緒に暮らしていても、いつのまにか心は別の異性に移っていってしまうこともある。結婚して三年、浮気がばれて怒っているエヴァに、ワルターは「三年目の浮気ぐらい大目にみろよ」と言うのだったが、こんなことならあの時ザックスのほうと結婚しとけば良かったなァと思うエヴァだった、と思いながら聴くバレンボイムの「マイスタージンガー」には特別な味わいがあると思った2006年晩秋の夜だった。
2006.12.05
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ワーグナーのオペラ、「トリスタンとイゾルデ」は亡くなったトリスタンの後を追って、イゾルデの絶唱「イゾルデの愛と死」でその幕を閉じる。では、イゾルデの死因は何だったのだろうか?トリスタンへの思いが高まって歌っている時に脳動脈瘤が破裂してくも膜下出血を起こしたのか?それとも心筋梗塞を起こしたのだろうか?どうも腑に落ちない。結局、イゾルデは心のうえでは死を迎えたけれども、生き延びたのだ!誤解の解けた優しいマルケ王とブランゲーネに助けられてカレオールからコーンウオールへと戻ったイゾルデは、まるで薄皮が一枚、また一枚と剥がれていくように、いつしかトリスタンへの思いは意識の引き出しの奥のほうへ、奥のほうへと畳み込まれてゆき、数年後にはマルケ王とのあいだに玉のような王子を授かるのだった。まさに「鬼の褌」である。えっ、「鬼の褌」の話、聞きたい?
2006.12.03
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