24階のミミック

24階のミミック

2010.08.10
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この日から、父の状態を日記につけ始めた。


 思い出すのは悲しくてつらいけど、忘れたくないことでもある。涙ばかり出てくるけれど、書かなくてはいけない気もする。自分のために、書けるときに書いておく。



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 12時過ぎ。行ったらお昼も食べずに寝ている。気持ちよさそうなので寝かしておく。最近夜眠れないらしく、昼間もうつらうつらしていることが多いと看護婦さんの言葉。
 寝ている間に、机の上にある手帳を開くと、昨日私たちが帰ってから、6ページも何か書いてある。ほとんど読めないようなよれよれした字で、しかしやはりせん妄に取り付かれた内容だった。夜通し、自分のおかれている状況を分析してたたかっている話なのだけど、現実にはありえないような話が書かれていて、父のせん妄が深いことを思わせる。

 でも、そんな中に、一文、見つけた。
 「○○○(私)とこんなにも終日話せてよかった」と書いてあった。どうやら私は、父の夢の中の戦場で、将軍をつとめているらしい。強敵を前に勝ち目のない戦いを続けている父に、夢の中でも力になれたことが私にはただ、うれしかった。


 それでも、たっぷり寝たせいか少し元気になり、いつもより明晰に話をする。とはいえ、話しているとところどころにせん妄が混ざる。
 今日は戦国大名の前田家になっているらしく、母に「太閤殿下がどうでるかだな‥庭でも歩いてみるか?」などという。母も、医者に言われたとおりなるべく話をあわせようとするのだが、目覚めていても夢の中に居続ける父の姿が悲しくてしょうがないらしく、すぐに「しっかりしてよ!」などと話を壊してしまう。それも、悲しい。

 でも今日は父にいい知らせを伝えるのだ。
 父が、つい先日まで仕事をしていた病院の事務長さんがきてくれるのだった。
 その事務長さん、Yさんは父の右腕として、長く一緒に病院をきりもりし、親グループや患者さん、その他もろもろのことに対して一緒に闘ってきたいわば同士。父が弱ってきてからはすっかり頼りにしてきていたし、Yさんも慕ってくれていた。
 父が入院し、7月末で退社してからも元の病院でずっと事務長をしていたのだが、父は何か遣り残したことがあるらしく、せん妄が強くなってからたびだびYさんの名前を呼ぶようになっていた。
 先日も、何か別のことをしようとして父を説得している最中に、「よしわかった、やろう。今すぐやろう。それじゃYさんを呼べ!」と突然大声で叫びだす事件もあって、みんなあわてていた。思いつめた母がYさんにお願いして、この日きてもらうことになっていたのだった。

 Yさんがくるのは3時すぎとのことなので、母と二人まちながら父と話をしていた。
 Yさんがきて、職場の話をいろいろしてくれた。父はすごく安心したような顔で聞いていて、退社直前に始めていた改造計画の話を楽しそうに聞いていた。心の中はまだ退社していなかったのだな、と思った。Yさんも、そのへんはよくわかっているようで、「先生に書いていただきたい書類もたくさんあるのでこんどお持ちします」などと言ってくれる。

 Yさんと話をしているときの父はまったく、病院長の父であって、せん妄は少しも出ていなかった。顔つきもかわり、病が遠ざかったかにも見える。

 Yさんとの話の中で、家族の私たちに父が訴えたかったことが一つわかった。

 何日か前、父がおかしなことを言い始めたあたりから、看護婦さんも、家族も、父がせん妄にとりつかれてしまったことに気づき。そしてその時間が長くなるにつれ、いつのまにか父が言うことをまともに聞こうとしなくなっていた。
 颯ちゃんよりも小さい幼児が何か言ってるみたいに、「はいはい」と聞き流し、父の声がよく聞こえなかったりすると、適当に自分で推測して返事をしてたりしてたのを父はよくわかっていた。そして、自分がそういう態度で扱われることを一番恐れていたのだった。 
 もともと医師で、院長で長く人を指導する立場にいた人だったのに、この病院ではもはや看護婦さんも「おかしなことを言うおじいさん」としか見ないようになってくる。薬のこと、酸素のこと、その他いろいろな処理のことでそういえばよく看護婦さんと喧嘩していたのはそのせいだったのか。俺はボケていない、そう思いながらも、漢字や薬の名前が思い出せなくなる。ふっと意識を緩めると、何を言ってたかわからなくなる。それが、我ながら恐ろしく、しっかりしないといけない、時々自分を見失うことを知られてはならない‥そう思っていたのだという。

 Yさんに訴えるように言う父の話に、はっとさせられた。
 そういうば、さっき、父に「ピンクのコップに水をいっぱいにしておいて」といわれたとき、目の前をみたら黄色のコップしかなかったから、私が「はいはい、黄色だけどね」と返事して水を汲んでおいたこと。私は、父が間違えて黄色をピンクといったのだときめつけていたけれど、Yさんとの話の中で父が「洗面台にピンクのコップがあるんだよ」、と言ったので見に行ってみると、たしかにそこにもう一つ、ピンクのコップがある。つまり、父は「すでに入ってる黄色のコップのほかに、もう一つピンクのコップにも水をいっぱいにして、すぐ飲めるように並べておいてほしい」といいたかったのだ。

 この言葉には本当に自分が、おざなりになっていたと気づかされる。父は、一生懸命、病と闘い、薬や酸素のせいでおそってくる妄想と戦い、医師であり院長である自分を守ろうとしていたのだった。
 もっと、父の立場で話をきかなくては、と思う。

 Yさんが帰っていき、父はとてもすっきりした顔をした。1日の日からひっかかっていたことをなしえたのかもしれない。
 長く話をしたので、疲れたようだった。

 その日が、最後に父とまともに話せた日だった。






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Last updated  2010.09.30 14:54:35


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