24階のミミック

24階のミミック

2010.09.02
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 父が亡くなる前までは、家族をなくした人にかける言葉が、よくわからなかった。


 でも、それでいいんだということがわかった。
 お悔やみ申し上げます、ご愁傷さまです、謹んで‥‥
 いろいろな電報をいただいたけれど、一番胸をうつのは、残された遺族へのいたわりに満ちた言葉を自分で選んで書いてくださった方々の言葉。お悔やみ申し上げますなんて全然かいてなかったけど、十分、伝わる。
 伝えられないときは、言葉もなくていいんだ。


 今日、偶然にも、父がなくなる一週間後に亡くなった、颯ちゃんのお友達のお父さんの家に行きました。父が3ヶ月と診断されたとき、お友達のお父さんはすでに肝臓ガンで宣告の5ヶ月目を過ぎていました。同じガンと闘う患者の家族同士、数回しかあったことないのにすごくわかりあえて、何回か幼稚園で会うたびにお母さんと話をしていたものです。

 告別式が終わって数日後、幼稚園から一斉メールがまわって、お友達のお父さんが逝去されたのを知りました。まだ実家にいたので、通夜にも告別式にもいけなかったから、3人も子供をかかえて、まだ若いご主人を失ったお母さんがどうしているか心配でした。


 葬儀の後にどたばたしてる間にお邪魔するのは大変だけど、それでも友達の来訪はありがたいものだとよくわかったから。

 行ってみて、本当によかったと思いました。
 同じ、家族をなくした身でも、伴侶をなくした彼女が本当に大変な状態だとわかりました。それも、まだ子供が小さい。一番上のお兄ちゃんでも4年生。お父さんが亡くなったことがわかるだけに、泣いて学校に行きたくないと数日間休んでいたとのこと。
 一番したはまだ4歳。まだ病院にいけばお父さんがいると思っていました。

 母は、父をなくしたけれど、そばにはかわりに喪主をつとめてくれた兄がいて、家族のためにはどんな労をもいとわない義姉がいて、そして私がいました。表には兄が出て母を支え、影では家のこと、子供のことを全部義姉が引き受けてくれ、私は業者対応と事務を引き受けました。
 だから、母はじっと耐えていればよかった。
 絶対、泣かないから、とがんばっていました。

 でも、今日行った、Tちゃんのお母さんにはそれも許されなかった。何から何まで、一人でこなさなければならず、行ったときもいっぱいいっぱいになっていました。
 初めての体験、やらねばならない膨大な事務事項、決定事項、用意する数々の品物。葬儀が終わっても、まだ大量の手続きが手付かずの状態でした。
 それに、何より苦しかったというのは、誰にも話すことができなかったことがたくさんあったようです。同じがん患者を見送った者として、すごくわかってあげることができました。話しながら、「怖かったらごめんね」「汚い話でごめんね」「暗くてごめんね」と、何回も彼女が謝ります。それでも、話し出したら止めることができないほど、あふれる思い。
 「おんなじだったよ、うちもこうだった」


 いかに彼女が話すことに飢えていたか、よくわかりました。話の順番の支離滅裂。お茶をいれながら、手も頭も口も、それぞれが別のことをしていて、本当に彼女がいかに追い詰められていたか、よく伝わってきます。
 彼女が、自分こそ息が止まってしまうかもしれなかったと言ったのもうなずけました。

 話すことが必要なんだね。
 こんな言葉がいけない、あんな言葉はよくないというものじゃないんだ。
 気持ちが伝われば、救われる。


 お役所まわりだけで4時間以上。こりゃ、疲れるわ。





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Last updated  2010.09.10 11:43:23


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