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2004 7/31(土)オープンキャンパス2日目は山編。shinは午前中PTで、タイミングが合ったので3人一緒に出かける。こんな時長女は「あら~お父さんと出かけるの久しぶりねぇ」等と言ってshinを喜ばせるのだ。次女はカゼ気味で部活を休む。まだ合宿の疲れも取れていないようだ。他の人はもう回復したのだろうか。山編の学校はJRの駅からシャトルバスで20分位の所にあった。路線バスも走っていたが、とても駅から徒歩で通えるような場所ではない。しかしよく言えば自然に囲まれた環境の中でスペースはゆったりとしており、建物も落ち着いて見えた。学部の説明、入試相談、合格体験談、スタディサポート、奨学金相談など内容も充実していた。学びの環境としては悪くないと思うが、はてさて本人の学力の問題もあり、どうなる事やら。どこの大学もオープンキャンパスは学生達と教職員が一体となって行う一大イベントのようで、学生達も活き活きと仕事をこなしていたのが印象的だった。昨夜、次女が義父のビデオデッキを壊してしまった。録画に使おうとしていたテープが劣化していたようで、中で絡まってしまった。修理は来週。私達のデッキも16年くらい前の物で、 (よくもっていると思うのだが)シドニーオリンピックの頃から買い替えを考えていたのだが、DVDも出てきたりしていまだに迷っている。2003 7/31(木) *転院16日目*いろいろと用を済ませて4時過ぎに病院へ着きました。shinは同室のUさんと談笑していましたが、私を見ると「今日はいつもより遅かったね」と指摘しました。あれ、こんな事も分かるようになったのでしょうか。昨夜は看護師さんと相談し、紙おむつもスーパーをダブルで使ったはずですが、やはりベットサイドに洗濯物が置いてありました。看護師さんのタイミング次第だと思いはしますが、担当の人によって汚れ物もざっと洗ってあったりなかったり・・です。置き方も、さりげなくでも分かるように・・からドスンと豪快に・・と様々です。PT室でH病院で一緒だったYさんと再会しました。転院が決まった後、会えなくて挨拶も出来ないままこちらに来てしまっていたので、私も気にはなっていたのですが。Yさんも「○さんに会えないので心配してたのよぉ」と言ってくれました。Yさんの病室は1Fだそうです。「お互い無理せずにがんばりましょうね」と言いましたが、何だか思いがけず同級生にあったようで、私もYさんもPT室で泣いてしまいました。でも一緒に頑張る仲間がいるのは、とても心強いと思いました。
2004.07.31
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2004 7/30(金)長女と都内のオープンキャンパスへ出かける。昨年は急に言い出したため、行ける所へ行くと言う形になったが、今年は早めに本人が計画した。オープンキャンパスの時期は集中していて調整が必要だったらしいが、どうやら3校にに絞ったようだ。出発時間、電車の路線、当日のスケジュール調整など普通の高校生には何でもない事も、彼女の苦手な事ばかりだったので計画の段階から結構きつかったらしい。shinのPCも今日が最終日だが早めの夕食までに帰宅できるか分からなかったので、一応用意は済ませておいた。本人にも手順を説明し出かける。思ったより早く帰れたが、shinはすでに出かけていた。後から聞くとTさんから連絡があり、PCの会場で会う約束をした・・と言う。「メモか携帯への連絡があれば良かったね」と言っておいた。最終日もほぼ同じ時間に帰ってきた。メンバーの人たちと写したデジカメの写真や自分の血圧データをグラフ化したもの等を持って帰ってきた。PCについては更にスキルアップの必要性を感じているようなので、9月から通えるように準備をしたい。また夜間の外出も、夜道の歩行や電車の乗り降りなど特に困った事もなかったようで、これが一つの自信につながればいいが・・と思う。帰りに長女と宝くじを買う。「当たったら山分けしよう」と言うと「お母さんってオメデタイ性格ね」と言われてしまった。トホホ。2003 7/30(水) *転院15日目*両親の介護保険がおりたので、事業所の人に来てもらい契約をしました。最近は事業所も選ぶのに迷うくらい沢山ありますが、両親にはこれと言って心当たりもなかったので、加入している生協の居宅サービスを利用する事にしました。来週から月・木でケアにはいってもらう事になりました。これでもし両親に何かあっても、相談する人が出来ました。ちょっと安心です。病院の行きがけにドラッグストアでオムツ(パット、リハパン、夜用スーパー)を買いました。この1週間ほど、ズボンの洗濯量が増えています。トイレが間に合わないのか、量が増えたのか、一時的なものなのか、脳のダメージと関係があるのか、冷房で冷えているのか…まったく分かりません。おまけに天気が悪く洗濯物がなかなか乾きません。生乾きを持って行って病棟の乾燥機で乾かすことにしました。家の洗濯機も時々水漏れもするし、乾燥機がついたタイプの種類も多くなってきたので、買い替えの時期かな・・と思ったりもしますが。お隣のベットのNさんの奥さんが「夜用スーパーは吸収力もスゴイですよ」と教えてくれました。昔、公園で子供の紙オムツの情報交換をした事を思い出しました。
2004.07.30
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2004 7/29(木)体調は昨日より回復したが、まだキツイ。でも一日でここまで元気になれるとは思わなかったので、安心した。先日Y子ちゃんから貰った黒酢をずっと飲んでるからかも・・。Zさんがクエン酸を取るといいよ・・・とこの前メールで教えてくれたが、この暑い時期お酢の力はスゴイぞ。台風10号が近づいて来ているが、東から西に向かって進んでいる。関東地方は直撃は無いようだが、今日は天気も不安定なようなので外出はヤメにした。月曜日と木曜日は両親の介護保険利用でヘルパーさんが来る日なのだが、今日はお休みになる。shinが出かける時間には雨も降らず、徒歩で出かける事ができた。今日は夕食も用意する。帰りは次女の塾の終わる時間と重なるので、迎えに行ったついでにshinもひろって帰る。2003 7/29(火) *転院14日目*昨晩からデジカメが不調です。PCに画像をコピー出来なくなってしまいました。H病院の近くの電気店で購入したので、そこへ持って行きました。あれこれテストをしていましたが、結局カメラ本体とケーブルを交換する事になりました。2時ごろY子ちゃんとランチです。F病院に移ってからは会う機会もなく、久々におしゃべりが出来ました。お昼休みは交代で取るらしく2時の昼食も珍しくないようですが、いずれにしても貴重な休み時間です。またしても私がワーッと喋ってしまいました。Y子ちゃんはいつも聞き役です。人に話す事で楽になる・・ってあるのですね。聞いて貰うだけで気持ちも軽くなります。OTの4時に合わせて病院へ着きました。同室のKさんはいつも気持ち良く挨拶をしてくれます。耳は良いようなので、ちょっとした雑談もスムーズに出来るのが嬉しいです。shinの入浴用マキマキタオルがKさんの所に置いてありましたが、本人もKさんも気がついていません。名前は書いていましたが、看護師さんも気がつかない事もあるようです。こんな事も本人が指摘出来るようになればいいのにな・・と思います。火曜日はPTのO先生はお休みです。今週もK先生が担当のようです。マッサージをしてもらいながら、shinは「PTがリハビリでは一番辛いですよ。でもね、少しずつ前日との比較が出来るようになってきたので、自分の進歩が分かって嬉しいです」と話していました。病前から話は長い人だったので先生も5時を過ぎてお疲れモードのようでしたが、自分の気持ちを整理しながら誰かに伝えようとする意思とshinのリハビリに対する気持ちが分かり私も嬉しかったです。手足の動きが少しずつ回復し、頭の方も考える事が出来るようになってきたのは、やはり進歩です。2週間でもこれだけの前進があった・・これはリハビリの成果でしょう。自分で成果が実感出来るようになれば、リハビリに対する不満や退院を急ぐような事も言わなくなるかもしれません。実績を作ってそれを実感できるのは大事な事です。がんばれ、shin。
2004.07.29
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2004 7/28(水)朝起きると、アレ、喉が痛い。久々の感覚だけど、これはカゼのひきはじめ。まちがいない。あ~やだな。喉が痛むと体の節々も筋肉痛みたいに痛くなるし・・。明日からいろいろ予定があるので無理して耳鼻科に行った。やはり喉が赤く腫れ、ついでに鼻も調子が悪い。よし、今日は主婦業は臨時休業にしよう。食事は手抜き。片づけは子供たちに任せよう。薬を飲んで午後から爆睡する。夕方にはかなり楽になっていたが、shinの早めの夕食は作りたくなかったので、外で食べてもらうことにする。2003 7/28(月) *転院13日目*眼科受診の付き添いのため、次女と8時過ぎに家を出ました。15分程走ったところで、携帯に連絡が入りました。「あのお、眼科は今日ではありませんでした・・。スミマセン」ちょっとぉ、それはないんじゃないの?と思いましたが、リハビリも午後からなので、一旦帰宅する事にしました。午前中は会社への定例ファックスを送り、電話の問い合わせなどをしました。shinが入院してから面倒な問い合わせも増え、夜出来ないものは時間がなかなか取れずに、皆どうしているのだろう・・と思う事もしばしばです。今日は溜まっていた電話も片づけられました。午後からの病院は私一人で出かけました。ちょうどDr.Kと3Fフロアーで話が出来ました。結局、眼科受診はshinではなく同室のKさんの間違いで、shinは今のところ眼科を受診する必要はない事が分かりました。やはり昨日「主治医の説明が無いのにおかしいな」と思ったのは間違いではありませんでした。今回はこの程度で済みましたが、お知らせのタイミングも前日でしたし、人違いのまま他科を受診したり薬を間違えたりする事も有り得る訳です。ちょっと恐いと思いましたので、ナースセンターにもひとこと言っておきました。きっとウルサイ家族と思われた事でしょう。OTのI先生は今週が夏休みなので、違う先生が担当になります。いつもと違う環境ですが、shinも結構うまくやっているようです。PTも久々に見学しましたが、歩行がしっかりしてきています。O先生の話ではshinの場合、手足の運動機能より脳からの命令系統の方が問題のようです。先日から読んでいる闘病記にもイメージの重要性が書いてありましたので、リハビリの前に「自分の動きにイメージを持ってみてね」とshinに言いました。本人も「分かった」と答えましたが、O先生からも「○さんの動きに対する考えが、今日はよく分かったよ」と言ってもらえました。少しずつ意識する事も出来てきているのでしょうか。夕食まで付き合いましたが、今日はフォークとスプーンを右手で持って食べていました。ぎこちない動きではありましたが、自分の意思で左から右へ持ち替えたようです。2~3日早く帰っていたので、ちょっとウレシイ発見です。
2004.07.28
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2004 7/27(火)shinのPC講習2日目。今朝は前日の復習をしていた。前回のワード講習の時よりモチベーションも高そう。次女が3泊4日の合宿から帰宅。夕方6時過ぎと聞いていたが、5時半には帰ってきた。すでに真っ黒に日焼けしていたのだが、更に黒さが深くなっている。疲れたり行事の終わった後などは無口になるのが常の次女だが、今日は様子が違う。合宿の様子を喋りだし、止まらない。よほど印象が深かったのだろう。気にしていた10k走も長距離チーム中32/69でゴールしたと言っていた。何かしら乗り越えられたものもあったようで疲れてはいるものの、いい顔をしている。参加させて良かったと思う。それにしても連日の猛暑で自分の汗も気になる事も多々あるが、次女の洗濯物はすごかった。洗剤も持っては行ったのだが時間が取れなかったらしく、4日分のシャツのニオイは・・・・。めまいがしそうだった。shinはやはり5時に家を出て10時過ぎに帰宅。今日は少々疲れ気味のようだ。2003 7/27(日) *転院12日目*朝、義母の誕生会をしました。昨日shinに書いてもらったメッセージとプレゼントを渡しました。ケーキは暑い時なのでオーブンを使わない冷たいお菓子を作りました。shinにも少し持っていきます。トイレが間に合わないらしく、洗濯物もオムツの使用量も増えています。キャビネットにはオムツ類は入らないので、ナースセンターの前の棚に置くのですが、買い足しておくように看護師さんに言われました。デイルームで次女と書字の練習をしていると同室のKさんやUさんが車イスで登場し、3人で談笑を始めました。shinとは20歳以上年上の方たちですが、話も結構合うらしく楽しそうに話しています。時々チグハグなやり取りもあるのですが、それもまた面白くこうやって話をして下さる相手の方がいて有難いと思います。少しずつここでの生活にも慣れてきたようで、家族としても安心できます。看護師さんに「○さん、明日は眼科の受診があるので付き添いをお願いします」と言われました。主治医から何も聞いていないので、ちょっと気になりました。F病院には眼科はないので同系列の病院を受診しなければなりませんが、車イスごと専用車で送迎してくれますし1分の距離です。F病院転院の際に他科を受診する場合は家族の付き添いが必要と言われましたので、明日は8時には家を出ないといけません。それにしてももう少し予定は早く知りたいと思います。
2004.07.27
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2004 7/26(月)今日からshinはエクセルの講習会に参加する。身障者やその家族を対象とした講座なのだが、5月にもワードの講座を受講している。月~金の夕方6:30スタートで、PCだけでなく、夜の歩行・交通機関の利用・・等を体験するいい機会と捉える事にした。早めの夕食を摂り、5時ごろ出かけた。終了は9時前、帰宅は10時頃だったがバスにも乗れたようで病後初の夜の単独行動だが、思ったより元気な様子で安心。講師も前回のワードの講習でお世話になった先生方らしく、緊張も少なくて済んだようだ。「お父さん、予習復習もやってみてね」と事前に子供たちからも応援を受けていたので、shinとしても気合が入っているようだ。2003 7/26(土) *転院11日目*次女と病院へ行きました。今日から左手で右手を持って書字の練習を始めました。用紙はスケッチブック、筆圧が無いためマジックペンを使います。デイルームのテーブルで練習していると、OTのI先生が通りかかり覗いていきました。明日は義母の誕生日なので、shinにメッセージを書いてもらいました。プレゼントは病院の隣の店で次女と選びました。昼食後、またケンカです。「三ヶ月」が気に入らないようです。何故三ヶ月もかかるのか・・・が理解出来ていない・・と言うよりは前回説明された事を記憶出来ていない為でしょう。本当に(悪いけど)両親と同じレベルです。「三ヶ月」が具体的にいつまでなのか、それまでに出来なくてはいけない事がどれだけあるか・・を順々に説明するとだんだん納得の顔になりましたが、また忘れてしまうかも…。つい大きな声を出してしまいましたが、公衆電話の傍のソファーに座っていたので、電話を掛ける人や次女にも悪かったなぁ・・・と思いました。こんな時、上手く対処出来ない自分にも落ち込んでしまいます。修行がたりないのかなぁ。でもまた何回も説明する事になるのでしょう。
2004.07.26
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2004 7/25(日)連日暑い。午前中shinは散髪に行き、かなりのカリアゲになって帰って来た。日曜の1000円床屋は結構混んでたらしい。H病院に入院していたTさんから電話があり、23日に退院したとの事。少々疲れ気味の声の様子だったが、手術も済み無事退院できたのは何よりだった。「涼しくなってから又お会いしましょう」と約束をする。次女の合宿2日目の今日は恒例の「10k走」があるらしいのだが、長野では雷雨や雹が降ったとニュースで報じていた。完走できただろうか…ちょっと心配。Telカードを持たせたが電話はかかってこない。夕方、長女は義母に着付けをしてもらい浴衣を着て友人と地元の盆踊りへ。何故か娘たちは浴衣が好きで、毎年着ている。9時ごろ「下駄が壊れたので迎えに来て」とTelがある。右足の後ろの歯がパックリと折れていたのが可笑しかった。「着付けはバッチリだったのになぁ・・」子供たちがいなかったので、今日の夕食は大人4人。これは結構ツマラナイ。2003 7/25(金) *転院10日目*10時のST(言語療法)に合わせて家を出ました。F病院は駐車場スペースも少なく(40台ちょっと)混み合う時間だと1時間待ちも珍しくありません。今日は幸いにも待たずに入れました。ラッキー。病室へ上がり髭剃り、トイレを済ませます。朝のトイレもまだだったらしく、夜用のパットが多数出てきます。看護も大変なのでしょう・・・。看護師さんたちも患者の自立を目指すケアが基本のようですが、やはり労働力の問題もあり着替えや髭剃りなどの優先度は低く、一人で出来ない患者や気が付かない患者は家族のフォロー無しでは「整容」はできません。H病院ではレンタルの病衣で一日を過していましたが、転院を機会に朝晩の着替えを目指しました。しかし今のshinは朝晩自分で気付いて着替えや髭剃りが出来るレベルではないようで、また毎日シフトが変わる看護師さんたちにも着替えを促す事を頼むのは無理のように感じました。しばらくは一日を通してジャージの生活です。STは読み・聞く・話すの検査の続きです。すんなり出来る事とまったく出来ない事がハッキリしているようです。特にある種類の言葉を集める・・野菜を10種類とか動物名を10種類など・・が苦手のようです。shinの状態の特徴として一つの言葉に拘り、何を聞かれても拘った言葉しか出て来ない・・・事が多々あります。今はSTも検査が主なのでshinの状態を正確に把握した後、今後の方針が立つのでしょう。その後CT検査を受けるはずでしたが、機械が不調のため延期となりました。ちょっと不機嫌になります。帰りに売店の前を通ると、新聞とパックの飲み物をリクエストされました。今まで自販機の前を通っても気が付かないようでしたから、これも一つの進歩かもしれません。昨日の世界水泳で200m平泳ぎでWR金を取った北島康介が一面トップに載っていました。shinの大好きな世界です。3Fのデイルームのテーブルに新聞を広げ(まだ両手を広げて新聞を持つ事は出来ません)飲み物を飲みながら、ゆっくりした時間を過します。子供たちも夕方から盆踊りの予定があり、今日は午前中で帰る事にしました。帰宅するとネットで注文していた闘病記が4冊届いていました。早く読みたい気もしましたが、2時間ほど昼寝をしました。頭も体もスッキリして気持ちが良かったです。今年の夏は天気が安定しません。折角盆踊りに行った子供たちも、雨の為早々に帰宅しました。
2004.07.25
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2004 7/24(土)次女は今日から陸上の合宿で、家を6時に出る。長女はこんな時「駅まで送って」と頼む子だが、次女は嫌がるのが可笑しい。大きな荷物を持ってフラフラしながら出かけた。今日は9時にH病院のMRIの予約が入っているので、8時過ぎに家を出る。道も空いていて8時半には病院に着いた。時間より早くスタートでき、30分くらいでshinは検査室から出てきた。造影剤も使わなかったので状態も普通で、一安心。しかしMRIの閉所感と騒音はすごいらしい。あんまり早く終わったので何だか拍子抜けしたが、折角だから(何が?)ちょっと早いお墓参りに行く事にした。いつもはものすごく混む道も今日はスイスイで調子が良い。病院の駐車場を出て1時間で鎌倉に到着。セミがうるさい位にないている中、お花とお線香を供えて終了!「もし私が先に死んだら、お骨は全部海に散骨してね」とshinに頼んだ。shinはいい気持ちはしなかったろうと思うが、私は死んでまで生きている人を煩わせたくない。死んだらそこで終わり・・・それでいいではないか。竹の子の季節に「お母さんって竹の子好きだったね」と少しだけ思い出してくれればそれでよい。2003 7/24(木) *転院9日目*今朝は雨でラジオ体操は休みです。6年生の次女は喜んでいました。昨夜から風邪気味だった長女は、夏期講習を休みました。9:30STスタートと聞いていたので、次女と間に合うように病院へ行きましたが、明日の9:30の間違いでした、ナント。人間が書くホワイトボードと人間が入力するPCとではどちらがより正確なのでしょうか。昨日の新聞を持って行ってみました。デイルームのテーブルで熱心に読んでいます。もともとshinは新聞好きなのですが、入院してからはなかなか「読みたい」とは言いませんでした。昨夜のサッカーの日韓戦の結果を聞いてみました。すると「1対1の引き分けだったよ」と覚えていました。スポーツ観戦も大好きな人だったので、興味のある事から記憶も濃くなっていけばいいな・・と思います。OTも午前中に終わりデイルームでいつものように昼食です。今日はちょとトラブルがありました。shinの隣はTさんが座っているのですが、どうも失語症らしく言葉がほとんど出ない人のようです。言葉を理解する事はできるらしいのですが、「うー」とか「あー」等と言って要求をしているようです。それが日が浅いshinにはうるさかったらしく、「ちょっと、ウルサイよ」と言ってしまいました。Tさんも言われた事に腹を立てたようで、「う”-」とshinの方を向いて怒っています。様子に気がついた看護師さんが二人をなだめましたが、超険悪な雰囲気です。Tさんもshinと同じ位の年令でしょうか。まだ自分の状態をしっかり受容できていないのかもしれません。shinも以前はこのような行動を取る人ではなかったのに・・・家族としてちょっと悲しい気分です。やはり病気のせいなのでしょうか。夕方のPTはパスして次女と早めに帰りました。
2004.07.24
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2004 7/23(金)今日は訪問PTのT先生が来る日。ケアマネージャーのKさんが紹介してくれた人だが、つきに2回の両親のPTと不定期でshinをみてもらっている。T先生も優れた観察力を持っている人で、両親とshinの変化には敏感に対応してくれるのが有り難い。寝たきりの状態で訪問PTを利用するケースがほとんどらしいが、KさんもT先生の事務所もそうなる前のケアの重要性を認識しているようで、恵まれた利用の仕方だと感謝している。T先生にはshinの通院ルートのチェックや、夜道の歩行、フィットネス等不定期ではあるが、要所要所で見てもらっている。評価もキチンとしているし、アドバイスや指摘も的確だ。Kさん同様T先生への両親の信頼度も大きいので、これから何かあったとしても安心だと思っている。shinは15年度の地区リハ教室のOB会で午後から出かけた。11月から参加したので、shinは今年度も参加しているのだが殆どの方とは久しぶりの再会だったようだ。終了後、同年代の方と近くのファミレスでお茶まで飲んだらしく、結構楽しめたようだ。病前は会社の付き合いがほとんどの生活だったが、最近は地域の知り合いが沢山でき、これから老後に向けて?いい事だと思っている。長女は夏期講習、次女は午後から部活。この暑さの中、外での練習は相当シンドイと思うが、「キツイ、疲れた、眠い・・」と言いながらも続いている。私は若い頃からスポーツと名のつく事は殆どしていないが、若い頃に体と心を鍛えるのは大事な事だと思う。2003 7/23(水) *転院8日目*5時のPTに間に合うように病院へ行きました。昨日買ってベット下の引き出しに入れておいたTシャツを着ています。午前中はST(言語療法)があったらしいのですが、その様子を少し覚えており、先生の名前など私にも話してくれました。PT(理学療法)もOT(作業療法)も先生は何人かの患者を並行してリハビリをしているようです。まずは目の届く範囲で自主トレをさせながら、他の患者のリハビリも行うのがどうやらF病院のスタイルのようです。しかし先生方の観察力は細かく、小さい事も見逃しません。危険な場合はすぐ飛んで来たり、近くの別の先生が補助をしたりするのは普通の事です。また後から「さっきは××していたけど、あの場合は△がベストの選択だったね」ときちんと指摘されます。まあ、患者の側で覚えていられない事も多いのですが・・。それでも先生方は手を抜かないし、患者とキチンと向き合ってくれるのは有り難いと思います。O先生が「5分休憩したらユラユラクッションに座っておいてね、○さん」と言い残してリハビリが終わった患者を車イスにのせ、病棟まで送っていきました。私は黙って見ていましたが、shinは時計を見て5分後に指示されたユラユラクッションに座りバランス訓練を始めました。先生方は機能訓練だけでなく、記憶力や判断力のレベルについても常にチェックしているようです。PTが終わったのは6時を過ぎていました。shinが最後の患者なのでO先生もじっくり時間を掛けているようです。デイルームには2人しか残っていませんでしたが、ゆっくり食事ができました。夕食後shinが「仕事を辞めようかと思う」と話すのでビックリしました。やはり気になっていたのでしょう。期間については話さなかったのですが、「今日、診断書と一緒に休職願を会社に送ったのよ」と言うと「そうか」と安心した様子でした。また高額医療費についても説明しましたが、一応納得したようです。明日は午前中にOTとSTがあるので、次女と早めに行こうと思います。
2004.07.23
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2004 7/22(木)義母の誕生会を急遽する事になった。私は週末を予定していたのだが、「私いないよ」と次女が言う。そうだ、土曜日から合宿だった。カレンダーにも書き込んでいるのに、皆の予定が覚えられず把握できない。年令のせいか、もしかしたら私も梗塞の1個や2個あるのかもしれない。最近嗜好も変わり歯の調子も良くないので、食べられる物も限られている上に私の能力も伴わず、行事食のメニューには毎回悩む。今日は次女の部活が休みなので、合宿の荷物のパッキング。3泊4日中ずっと練習なので、Tシャツとタオルの量がすごい。洗濯もするらしいのだが、初めてで様子が分からない。4泊5日の長女の就学旅行の荷物より重かった。2003 7/22(火) *転院7日目*午前中会社へ定例ファックスを送ります。OTが3:45だったので、ちょっと早めに行きました。I先生にデジカメでの撮影について尋ねると、他の患者さんに被らなければOKとの事でした。今日は籐編みや細いスティックの移動などを先生とコミュニケーションを取りながらやっていました。H病院では自分の右手の重さをどうする事も出来なかったのが、何とか動かせるようになっています。やはりこの6ヶ月のリハビリが重要である・・の意味がよく分かります。ちゃんとした訓練をすれば、ある程度の機能は回復できるのです。OT室は学校の教室の2倍位の広さでしょうか。先生方もざっと10人はいるようです。夫々の患者さんが時間になると入って来ます。歩行や車イスの使用が自立していない患者は、看護師さんが連れて来ています。中には時間の関係で、一人の看護師さんが3~4人の患者さんを一度に連れて来る時もあるようです。いくらエレベーターで移動するとは言え、大変な労働だと思います。OT室ではテーブルでのリハビリが主なので、必ず車イスから普通のイスへ移ります。これもスムーズに行く人とかなり大変な人がいるようですが、shinは見守っていれば随分移動も上手くなったようです。PTのO先生は火曜日が休みのようです。リハビリは休みにはならず、若い女性のK先生が担当でした。今日は杖を使ってPT室内の歩行をしていました。またマットの上でストレッチやマッサージもやっていました。 PT室はOT室の4倍くらいの広さで、さながらスポーツジムのようです。先生方は20人はいるでしょうか。H病院とは比較になりません。歩行機やバイク、大小のエクササイズボール、ダンベル、杖、装具・・等など沢山の道具と敷き詰められたマット。患者は夫々決められた課題を先生と共にこなしています。平らな所の歩行が出来るようになるとPT室から出て、階段や屋外での歩行練習もあるようですが、shinにもそのような日が来るのでしょうか。PTが終わるともう夕食です。3Fのデイルームでは今日も10数人の仲間が食事を始めます。shinはKさんと話をしながら食事が出来るようになりました。食べる事に精一杯だったり、失語症がひどく話が出来ない人もいるのですが、隣の人と話しながら食事が出来るようになったのはやはり進歩でしょう。ベットの抑制帯はなくなりましたが、ベットの足元に、踏むとナースセンターに繋がるセンサーマットが敷かれました。勝手にベットから降りたり車イスから移ったりすると分かるようになっています。shinは結構鳴らしているようなので、まだまだ要注意です。また車イスに座っている間は、赤ちゃんの安全ベルトのような物を転落防止の為に必ず着けなくてはいけません。車イスを使用していてこのベルトを着けていない人は、逆に言うと安全が確認できる人なのです。今日はそのベルトをどうやったのかくぐり抜け、トイレで転倒したところを看護師さんに見つかったようです。幸いケガもなかったのですが、ヒヤリとしました。せっかくここまで来たのに、怪我や骨折だけはしたくありません。本人にも「まだ一人でトイレに行ってはいけないのよ」と言いましたが、明日まで覚えていられるかどうか。
2004.07.22
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2004 7/21(水)ずっとサボっていた胃腸科へ行く。気になっていたピロリ菌の除菌結果は1%と言う事で合格だった。1年後にまた検査するように言われたが忘れるだろう、たぶん。前回貰った2週分の朝1回の薬はずっと飲み忘れていたせいか効果を感じなかったが、もう2週分出たので今回は真面目に飲もうと思う。shinにはお薬の管理をうるさく言うのに、私は結構忘れているのがおかしい。長女は今日から夏期講習で学校。午後は部活なので夏休でも弁当を作る毎日だ。午後からshinは地区のリハビリ教室。あまりにも暑いのでちょっと心配だったが、本人はいたって平気な様子。「普通に暑かった」と帰宅したので、やはり出来る事はどんどんさせるべし・・と改めて思う。今日は「高次脳機能障害」の人が自転車!で来る途中、電信柱にぶつかったらしい。この暑さの中、かなりの距離を自転車に乗るのもスゴイと思ったが、たぶん「半側空間無視(視力はあるにも関わらず、片側だけ見えている物を認識できない障害)」の症状があるのに自転車に乗るのはやはり危険ではないか・・とshinも言っていた。出来る事と出来ない事、安全の基準・・は障害を持つ人とその家族にとってリハビリをするのにも大切な要素だと思う。専門家にも相談しながら社会復帰を目指す姿勢は大事だろう。2003 7/21(月) *転院6日目*子供たちと一緒に病院へ。4人でベンチに移って、名詞のトレーニングや計算、デジカメで写真を撮ったりしました。「海の日」で休日なので、静岡のshinの弟にも電話をしてみました。子供たちの名前はなかなか出てこなかったりするのに、弟の名前はスルリと出るのが不思議です。月曜日はシャワーの日で(湯船には入りません)、看護師さんと浴室へ行きました。シャワーの後、バスローブか浴衣を上から掛けて病室まで帰って来るようですが、なかなか適当な物を探せなかったので、水泳用の大きなサイズの巻きタオルを使う事にしました。上からスッポリ被せられて車イスに乗って帰ってくるshinの図は結構笑えます。病室は6人部屋でナースセンターのすぐ近くです。皆さんshinより年上の方ばかりですが、結構うまくやっているようで、今日もKさんと談笑していました。子供たちを「私の娘です」と紹介していました。自分でも名前が覚えられない事は自覚しているので、困ると「先輩」と呼んでいるようです。リハビリの担当は、PTがO先生、OTがI先生、STがS先生と決まりました。ST以外は日曜を除く毎日リハビリが原則のようです。最新設備のH病院に比べたら、ここはスペースは狭く、天井も低く奥に長いので暗く、子供たちは「H病院は豪華ホテルで、ここは民宿みたいだね」と言います。リハビリの時間もH病院はパソコンですぐ分かるようになっていましたが、ここは毎週ナースセンターのホワイトボードに書き出されます。(たまに間違っている事もありました)患者や家族はそれを見て、時間を確認します。すべてアナログの世界ですがshinにはかえって都合が良いかもしれません。
2004.07.21
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2004 7/20(火)ケアマネージャーのKさんが10時に訪問。両親とshinのケアマネージャを担当してもらっている。おっとりとした感じの女性なのだが観察力は確かで、3人の様子を的確に把握してくれている。また家族の思いや大変さにも耳を傾けてくれるし、よく理解してもらっていると思う。仕事も速く手配や手続きなども、あっと言う間にこなしていまう人なのだが、あたりは穏やかで感心する。両親の信頼も大きいので、これから何かあってもKさんからアドバイスをしてもらえる・・そう思うだけで私も安心できる。2003 7/20(日) *転院5日目*昨日は電卓の他に九九や簡単な暗算などを試してみましたが、前回H病院で一桁の暗算をやった時と比較すると、格段の進歩でした。もともと数字には強い人でしたので、H病院では計算能力の低さに驚きましたが、一月もしないでここまでリカバリーできると知り嬉しく思ったとともに、一度試して出来ない事もタイミングの問題もある・・・と知りました。その時出来ないからと言って落胆する事も無いし、諦めずに時間をおいて試してみればよいのだ・・と思いました。4歳児用の「国語のおけいこ」を購入しました。子供たちが小さい頃は「ノンキなカーサン」だったので、幼児教材は買った事も無かったのですが、書店で選ぶとなるとその多さにびっくりしました。まずはイラストを見ながら名詞、動詞、形容詞・・と言葉を増やしていけたらと思います。H病院のTVはベットサイドのキャビネットからアームが伸びてA4サイズの液晶TVが1日500円で「見放題」でした。TV好きのshinですがH病院では集中力がなかったのでしょうか、あまりTVに関心は示しませんでした。F病院は個別に小さなTVがキャビネットの上にあり、各自TVカードを購入して見るタイプです。おまけにキャビネットの中に組み込んである小さな冷蔵庫もTVカードで使えるようになっており、スイッチを押し間違えると使わない冷蔵庫もONになりカードの残がすぐ無くなります。看護師さんと相談して、冷蔵庫のスイッチには触らないようにペットボトルのキャップでガードを作りテープではりました。今日は二人でTVを見ていると(shinはイヤホンを使って音声あり、私は映像のみ)九州の雨のニュースが流れていました。突然「長崎へ電話しよう」と言います。「誰に?」と聞くと「え~っと」と名前は出なかったものの、私の実家の事だと分かったので、公衆電話からかけてみました。母は信じられないようでしたが、「え~、shinさんなの?電話できるの?ああアリガトウ!」と興奮しています。これはすごい進歩です。長女の学校の創立者が好んで使われた聖句の一つに「為ん方尽くれども希望(のぞみ)を失わず」があります。生前よくお話の中にも使われたようですが、学校のあちこちにもこの言葉が掲げてあります。shinの場合はどうでしょうか。私はまだ、為ん方尽きていない・・と思います。まだリハビリは始まったばかりです。これからどんな展開になるか誰にも分かりませんが、やるだけの価値はある筈です。挫けそうになったら「まだ為ん方尽きていない」と思う事にしました。業者に頼んでいたレンタルの車イスが届いていました。どこに行くにも何をするにも、まだまだ車イスがたよりです。ここでは車イスの背中に「歯磨きセット」やタオルなどを掛けている人が目立ちます。shinの洗面道具もS字フックを使って背中に背負わせました。「夕食の用意をしてこなかったので、今日は早く帰ってもいい?」と尋ねてみました。shinが入院してから毎日、夕食の準備をして家を出ていましたが、今日は早く帰ろうと決めていました。入院も5日目になると気持ちも少し落ち着いたのでしょか、あっさり「いいよ」と言ってくれたので気が変わらないうちに帰ることにしました。F病院の周りはスーパーも多く、買い物をゆっくりしてから帰りました。30数日ぶりに家族と夕食を摂りました。アツアツの焼き魚がとてもおいしく、子供たちも嬉しそうでした。明日からは本格的にリハビリも始まります。shinの気持ちも落ち着いてきたようなので、きっとがんばれるでしょう。落ち込む日ばかりでもありません。かと言って前進する日ばかりでもないでしょう。でも諦める時期ではないので行ける所まではドンドン行こう・・そう強く思った1日でした。
2004.07.20
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2004 7/19(月)次女が部活のため早めに昼食を用意していたら、Y子ちゃんとご主人のTさんが訪ねて来てくれた。Y子ちゃんには4月に会ったきり、ご主人には…もしかしたら彼女たちの結婚式以来かもしれない。貴重な休みの日に「この黒酢効くよ」とわざわざ来てくれた二人の気持ちが嬉しかった。2003 7/19(土) *転院4日目*長女は今日が終業式です。病院に誘いましたが、月曜の祝日に行く・・と言います。途中ドラッグストアに寄り、shinのリハパンと夜用オムツを買います。10数年前は娘達の紙おむつを買っていましたが、大人用はかさばるし重いです。今日は弟のアドバイスで持って行った大きな電卓を使って右手のリハビリをしてみました。私が言う数字をshinが右手でキーを押す・・そんな簡単な事ですが、今はそれでも大変です。聞いた数字を認識し、マヒのある右手を使ってキーを押す・・いつの間にかまどろこしいのか左手を使ったりしていて、可笑しくもあります。そのうちイラついてきて、またぞろリハビリについての文句を言います。転院4日くらいでは、リハビリの成果など実感出来ないのも当然でしょう。そのうちケンカになりました。土日は原則としてリハビリがないようなので、早く週が変わらないかな・・と思いました。後で担当看護師のIさんにケンカした事を言ったら「いいよ、いいよ。奥さんもストレス溜めないようにしてね。まだ記憶が無いから後には残らないし・・」と言ってもらいスッキリしました。帰宅後、両親に医療費・休職・健保関係の3度目の説明です。う~ん無理して理解してくれなくてもいいんだけどな・・と思いますが。今はshinと両親はほぼ同レベルでしょう。こんな時、ズドーンと疲れる私です。夜、母から電話がありましたが気持ちの余裕が無く、うまく対応出来ずにケンカになるのもイヤだったので、早々に切りました。ごめんね、お母さん。
2004.07.19
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2004 7/18(日)午前中次女と買い物。子供たちのスケジュールが合わず、私が毎日出ている。先輩に教えてもらったというスポーツ専門店はスタッフの対応も気持ち良く、シューズの説明やフィッティングも丁寧だった。ランニング用のシューズとランパンを購入。「最近スランプなの」と練習メニューになかなかついて行けなくて落ち込んでいる次女。4月から始めたばかりでスランプはないだろう・・と可笑しくもあったが、本人は超真面目に言うので「まだ発展途上だからね」と慰めた。専用のシューズを履けば、ちょっとは足も軽くなるかも。shinは午前中から掲示板の下書きをしていたのだが、やりかけのままwalkingに出るという。時間も午後2時と一番暑い時なので、「一つを仕上げてから次に移ったら?」と言うと一瞬イヤな顔をしたが、掲示板の書き込みを始めた。優先順位をつける・・これをいつも考えて欲しい。どんな職業に決まったとしても考えて行動できる水準でなければ勤まらないだろう…きっと。2003 7/18(金) *転院3日目*小学校は終業式です。次女は歯の矯正中で、今日は新たに装置を着ける予定なので一緒に歯科へ出かけます。4時に会社の人と病院で約束をしていたので、私は先に歯科を出ました。約束の4時ごろ、会社のKさんとFさんが来られました。shinは車イスに乗って部屋から出てきました。ソツなく対応出来ていたので、内心ホッとしました。しばらく近況の説明や会社の様子などを話していましたが、デイルームはそろそろ夕食のセットに入るので、shinを残して近くのファミレスへ行きました。主な話の内容は「休職」についてと「高額医療費・付加給付金」についてでした。まず休職は8/1~10/31の3ヶ月間。6月の後半と7月一杯は休職期間には入れないとの事です。休職期間中は給与ではなく傷病手当金が健保より支給され、これは最長で1年6ヶ月受給できるそうです。高額医療費と付加給付金についても一定額を超えたところで(若い人が多い会社の健保なので、かなりの額をカバー出来るらしい事がわかりました)2~3ヶ月のタイムラグで給付があるそうです。一応健保のガイドブックは読んでいたのですが、たまたまKさんは健保のエキスパートだったので、私の質問にも丁寧に答えて下さいました。発病からずっと気になっていた事が一つ片付きホッとしました。3ヶ月という休職期間は長くはありませんが、一応リハビリの予定期間はカバーできるので、あれこれ心配しないで専念出来ると思いました。リハビリのハード面・ソフト面での環境が整いました。転職間もない時期での発病でしたので、とても心配していたのですが、会社の対応にも私は誠意を感じました。リハビリテーション総合実施計画書をもらいました。心身機能の項目では意識障害と中枢性マヒにチェックが入り、詳細部分で音声・発話障害と失行・失認にチェックがついています。また活動面ではベット起き上がりと食事以外はすべて、監視から全介助の自立度です。やるべき事がいかに多いか…。ほとんど赤ちゃんレベルからのスタートです。どこまで出来るか…行ける所まで進もう…そう思いながら帰りました。
2004.07.18
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2004 7/17(土)shinは午前中PT。PTは1回/2週になっている。10:30スタートだと終わりは昼になるので「今日も食堂で食べてきてね」と送り出す。長女と買い物に出る。義母の誕生日も近い。先日一緒に外出した際、私のパスケースに興味を待ったので今年はスイカとパスネットのセットにする予定。問題はJRと私鉄の乗り換え時に混乱しないか・・だが、まあ本人の意欲の問題だろう。新しい事に興味を示し、かつチャレンジする精神状態であれば、まだまだ大丈夫だ。次女は陸上の大会応援。5時に起き6時に家を出る。「雷三日」と傘を持たせたが、今日は夕立は無かった。バスの便が悪い会場だったらしく、かなり疲れて帰宅は7時過ぎ。2003 7/17(木) *転院2日目*昨日、F病院へは10時過ぎに着きました。H病院から車で15分位の距離ですが、寝台車の運転は慎重でほとんど揺れる事も無く、ストレッチャー上のshinにも緊張の様子は見られません。入院手続き、荷物の整理の後、3Fフロアーのオリエンテーションと担当看護師Iさんの説明がありました。途中、shinの主治医になるリハ科のDr.Kが挨拶をして下さいました。40歳前後位の人でしょうか。私だけでなくshinにもきちんと自己紹介して下さったのが嬉しく、先生のスタンスが見えたようにも思えました。shinも「私、○と申します。どうぞ宜しくお願いします」と大変立派!?な返事をしました。(ここで先生はshinの高次脳の程度をちょっと軽めに勘違いしたようです)午後からはDr.Kの簡単な診察のあと、カンファレンスです。今後のリハビリの予定(ほぼ3ヶ月)、諸申請のタイミング等々。やはりshinの場合「高次脳」が大きな問題のようです。ソーシャルワーカー(SW)との面談も出来ました。Uさんと言う女性のSWで、当面の問題である休職手続きと傷病手当金についての一般的な説明を丁寧にしてくれました。また会社への連絡もしなければいけませんが、その点でもいろいろとアドバイスを受けました。夕方、転院の報告も兼ねて会社へ電話連絡をしました。18日(金)の夕方、こちらへ来ていただく事になりました。すでに診断書も届いているので、今度はshinにも会い休職期間などが正式に決まるはずです。昼食、夕食ともにデイルームで14~15人と一緒に食事をしました。F病院の場合、食事の自立が出来ていない人はデイルーム利用のようです。shinはあまり周りには興味がないらしく黙々と食事をしています。まったく食べれない人から見守りで済むshinレベルの人たちまで様々な障害の人達がいるようです。看護師さんたちは5~6人で食事の介助をしています。食事一つを見ても、ここは大変な所だ・・と思いました。H病院ではベットからの転落防止のために抑制帯を着ける事が多かったのですが、こちらでは様子を見る事になりました。安全の為には仕方ないのですが、やはり抑制帯は本人も嫌がっていたので、他の方法があればいいなと思いました。さて今日は次女もお昼には帰宅したので、一緒に病院へ行きました。shinも次女が来て大変喜びました。長女にもメールで連絡しましたが、結局返事がありません。昨日今日と私も緊張していたのか、夕方にはどっと疲れてしまいました。夕立もあり予定していた買い物も止めて、次女と早めに帰宅しました。ICUにいた時は一般病棟へ移り、リハビリのスタートが目標でした。一般病棟へ移ったら、リハビリ専門病院への転院が次の目標になりました。さていよいよ第3ステージのリハビリ専門病院での訓練が始まります。どんな訓練内容になるのか、shinの機能がどこまで回復するのか先はまったく読めませんが今は前に進むしかない、そう思います。
2004.07.17
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2004 7/16(金)入院仲間のYさんご夫婦と病院で昼食。Yさんは午前中OTとPTを済ませ、相当汗をかいておられた。4月下旬から運転免許取得のため教習所に通い、残すは高速教習ぐらい・・という頑張りを見せておられる。shinより少し年上だがその博識な事尋常ではなく!、4月から始めた掲示板にはいつも硬軟取り混ぜた話題を提供して下さっているのには、ただただ感謝である。Yさんは免許取得後は復帰する職場もあり、早ければ秋ぐらいには社会復帰もできるかもしれない。奥様も働いておられるが、お仕事の合間にYさんの教習所への送迎もなさっているようで、前回お会いした時より少し痩せられたように見えた。血圧も高めで「主人と同じ薬を飲んでいるのですよ」と笑って言われたが、やはりどなたも無理はしてしまうものなのか。掲示板で毎日やり取りをしているとは言え、久々にお会いしたので昼食を摂りながらの会話も弾む。お互い苦しい時を一緒に過した仲間なので、夫々の進歩は嬉しいしお互い励みにもなる。このようなお付き合いが出来る事が本当に嬉しく、大事にしたいと思う。今日のK先生の診察では「高次脳」の薬について質問した。先月はTVで「高次脳」の特集が数回あり、テキストもあったので購入してshinと読んだ。夫々の症状ごとにリハビリの解説とお薬についての説明があった。shinは退院後、降圧剤と胃薬は服用していたが「高次脳」についてはお薬を飲んでいないはずだ。まず、shinがその事の確認をした上でテキストに書いてあるお薬について自分に当てはまるものかどうか・・について尋ねた。一つ一つのお薬について先生は丁寧に答えて下さったが、結果として今のshinには必要な薬ではなかった。記憶障害や遂行機能障害に用いるお薬はどちらかと言えば覚醒系が多いらしく、その使用についてはやはり慎重になるのも当然だろう。「今の○さんにはこれらのお薬の服用は適当ではありません。それよりもご自宅で反復訓練や機能訓練などを続けられた方が良いと思います」との答えだった。K先生と話をしていて、いつも感心する事は、どんな時も冷静に暖かくキチンと対応をなさることだ。今回もイヤな顔もせず、ちゃんと答えてもらい、私たちもスンナリ納得できた。こういう事を通して医師と患者の信頼関係は出来ていくのかと思う。2003 7/16(水) *入院33日目*いよいよF病院への転院の日です。早めに病院へ来てほしいと昨日看護師さんから言われたのですが、道も混まず8時には着くことができました。まず3FのICUへ行き勝手にフットペダルを踏んでドアを開け、shinが書いた手紙とお礼のお菓子を中間ドアの前にそっと置いてきました。いけない事とは承知の上でしたが、ICUを出るときも突然だったので私は挨拶もしていなかったし、その後ICUのスタッフに会う機会もありませんでした。今のshinがあるのはICUでの10日間があるからです。どうしても感謝の気持ちを伝えるために、いけない事をしてしまいました。ちょっとドキドキしました。病室では食事と洗面・髭剃りを済ませていたので(昨日セットしておいたので男性看護師のTさんがやっておいてくれたらしい)ベットで着替えをしました。ちょうど着替え終わったところに脳外のDr.IとDr.Kの回診がありました。最後にキチンと挨拶が出来たので良かったです。リハ科のDr.Mも来てくれました。昨日「F病院での事も心配ですし、良かったらリハビリ室のメールアドレスがあったら教えていただきたい」とお話をしていたところ「メールアドレスはありませんが、私の医療用PHSのナンバーです」とメモを渡して下さいました。F病院の見学もしておこうと思っていましたが、時間切れで様子も分からないまま転院する家族には本当に心強いメモです。Dr.Mありがとうございます。shinの用意も出来、荷物もまとめました。入院費の精算と車イスの返却、入院証明書の申し込みを済ませました。5Fのナースセンターも一切贈り物は受け取らない事になっているようです。しかし今日で転院だし、お仕事とは言え本当によく看護していただきました。私たちが出てから見つかる分はいいか・・と考え、shinが昨日書いた手紙とお礼のお菓子をキャビネットの後ろへ置きました。shinも落ち着いています。発症した6/14は、私は次女と外出中で救急車には乗っていません。今日はH病院が寝台車で送ってくれるので、shinと一緒にF病院へ行けます。いよいよです。shinはストレッチャーに乗せられました。朝のシフトの看護師さんたちが沢山お別れに集まってくれました。「○さん元気でね」「リハビリがんばってね」能天気なshinは「はい、又来ますね」等と答えています。皆さん笑いながら手を振ってくれました。
2004.07.16
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2004 7/15(木)2時から中学の三者面談。次女は1時過ぎに帰宅し、20分で昼食を済ませて又私と共に学校へ。暑い中ちょっとハードだったかも。弁当を持たせてやれば良かった。夕方すごい雷雨。この前の日曜ほどではなかったが、次女の部活も今日は休みだったので、良かった。2003 7/15(火) *入院32日目*F病院へ移る前に、私の身辺も整理しないといけません。仕事は辞めましたが、細々と点訳のボランティアをやっていたのでそちらの事もあります。今はとても続けられる状態ではないので責任者へ連絡をし、預かっていた本は返却して続きを打って下さる方を探してもらう事になりました。また相互公正をしていたFさんにも連絡をして、私の代わりの人を探してもらう事にしました。Fさんとはボランティア仲間で、年令が近いこともあり、点訳だけに限らず悩みを相談したり趣味の世界の話をしたりしていましたが、すっかり迷惑をかけてしまいました。shinの事を知らせるととても驚いていましたが、しっかり励ましてくれました。Oさんにも連絡です。この方もボランティア仲間ですが、いろいろと経験豊富で、かつパワフル&がんばり屋さんです。点訳の受講生の頃から大変お世話になりました。私のメールが舌足らずだったせいで、Oさんは両親のどちらかが病気になったと勘違いし、Fさんから詳しい話を聞いて、驚いて訂正メールをくれました。OさんもFさんも私が40代になってから知り合った大切な仲間です。点訳の関係で立ち上げた掲示板の管理もお二人に任せてしまいました。いつかは私も点訳を再開したいと思っています。スーパーの特売日なので、shinの下着や洗剤、本等買い物を済ませて病院へ。ここでのリハビリも今日で最後です。shinには毎日転院の事は話していますが、タイミングまで覚えているのかどうか・・と不安でしたが、最後には先生方にちゃんとお礼を言っていました。又この病院へ来ることがあるでしょうか。とてもお世話にはなりましたが、できればもう入院はしたくないです。あまりにも強すぎる経験でしたから。Y子ちゃんにはとても力になって貰いました。貴重な昼休みに誰にも言えない事を黙って聞いてくれました。忙しい体なのに毎日メールにも付き合ってくれました。本当に感謝しています。この一月Y子ちゃんZさんをはじめ、いろんな人たちに助けて貰いました。その時々の気持ちを忘れないようにしなくては・・と思います。そして一人で抱え込むのはヤメにしなくては。もっとしなやかに「HELP」を言おうとも思います。リハビリとはもう一度持てるようになる・・と言う事でしょうか。明日からの新たな目標は rehave,rewalk,respeach!! です。
2004.07.15
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2004 7/14(水)shinと長女(夏休み前の休みなので)はKさんが立ち上げた障害者の交流会の日帰り旅行に参加。(目的地は千葉の某フラワーパーク)朝、バスが遅れたり夕方の渋滞にはまったりといろいろあったようだが、具合が悪くなる人も出ず楽しい一日を過したようだ。昨夜進路について長女と話をしたので、いろいろと考える時間があったかもしれないと思っていたが、shinの話によるとバスの中では爆睡していたらしい。はぁ~。この一年、子供たちはshinのありのままを受け入れているように思う。特に長女は今日も一緒に行動してくれたが、たまたま帰りの電車でリハ帰りのshinと一緒になったりすると、shinのペースで帰ってきてくれる。「高次脳機能障害」では感情のコントロールが難しくなりコミュニケーションが取りづらい人もいるようだが、shinには今の所それは見られない。家にいる時間が長いため、子供たちとも病前より話もしているようだし私も細かい事を話せるようになった。ただし忘れている事もありはするのだが…。しかし家族の情報を夫々が知っているのは、やはり大事な事だと思うし、それによって「父」「夫」としての自覚をまた待って欲しいと思う。2003 7/14(月) *入院31日目*長女は学校が休みなので一緒にリハビリの見学をしました。リハビリは原則として月~土(午前中)なので、子供たちはshinのリハビリを実際には見たことがありません。shinには言っていなかったので、嫌がるかともおもいましたが、「いいよ」とあっさりOKが出ました。I先生もS先生も張り切っています。今日は杖を使って10mほど歩きました。娘も飽きることなく真剣に見守っています。shinにも緊張が見られますが、頑張っているのはヒシヒシと伝わってきます。やはり娘に見学させて良かったと思いました。父の様子、他の患者さん、リハビリの先生方…彼女は何を感じたでしょうか。長女をバス停まで送り買い物をして戻ると、shinはすでにナースステーションで食事を始めていました。「ごめんね」と言うと「あっち(デイルーム)に移ろう」と言うので、食事の途中で席替えです。デザートに買った果物はほとんどshinが食べてしまいました。娘に見守られたリハビリに疲れたのでしょうか。食後は先生方と撮ったデジカメの写真に書き込みです。「ありがとう ○ shin」とこれだけの事ですが、やはり書字は難しいようです。スケッチブックには上手く書けましたが、「あ」が「お」になった物もありました。書き直そうかとも思いましたが、これもご愛嬌です。そのまま使うことにしました。H病院のイスはどこの物も適度な固さで、座り心地がよいので仮眠にもよく利用します。今日もひと眠りし8時半ごろ帰宅しました。今日でちょうど入院一カ月が経ちました。いろんな事を考えた長い時間でした。私に足りなかったものがあるとすれば、それはバランス感覚でしょう。目隠しをしてまっすぐ歩いているつもりでも、気がつくとナナメに進んでしまう事ってありますが、まさにそれかもしれません。一生懸命やってもベクトルの向きが違っていればどこかに無理が出てきます。今回の事はそれに気づく為の痛い試練だったのかも・・と思う気持ちも生まれました。最初はパニック、次は「どうしてshinなの」「なんで私たちなの」…そんな気持ちとの戦いでした。でも、きっとそんな気持ちのままでは先に進めないと思います。誰かのせいにしてしまうのでもなく、自分だけを責めるのでもなく…。しかし私の中にあった思い上がり、自己満足、そして焦りに似た気持ち、そんなものがない交ぜになって私をずっと取り巻いていましたが、「感謝」という気持ちを忘れていたのも事実です。もう少しで「今在る事」の幸せを失うところでした。この病院ともあと2日でお別れです。これからどんなリハビリが行われるのか想像もつきませんが、shinにとっていろんな面でよいリハビリの良いスタートができたと感謝しています。
2004.07.14
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2004 7/13(火)入院仲間のTさんのお見舞いにH病院へ行く。一年前shinの部屋は5FのAフロアーだったが、Tさんは5FのBフロアーだった。Tさんは術後1週間とは思えないほど元気そうで、顔色も良かった。摘出物は1.5cm位だったそうだが「本物!」だった事が今日分かったらしい。このサイズで見つかる事は稀らしく、「手術ができて本当に良かった」と笑っていたが、こうやって自分が受けた医療行為を肯定出来る人は、直りも早いだろう。フィットネス仲間でもあるので「涼しくなったら又、いい汗流しましょう」とshinは言っていた。昼食をデイルームで一緒に摂り記念に!5Fを一周すると、5Aのナースセンターに思いがけずshinの担当看護師のKさんがいた。声をかけるとしばらくして思い出したらしく、shinを見て「ああ○さん、歩いてますね。良かった、元気になって!」と言ってくれた。H病院には退院後は脳外の外来には来ていたし、リハ室には挨拶に行きもしたが、なぜか病棟には上がらなかった。Kさんも1年ぶりのshinの様子に驚いたのだろう。あの驚き方からすると、shinの当時の症状は相当厳しかったに違いない。専門家は経験を積むほど、患者の未来もある程度予測ができ、かえって辛かったりするのだろうか。しかしH病院のSW(ソーシャルワーカー)が話してくれたようにいい裏切りも沢山あるのだ。諦めてはいけない。2003 7/13(日) *入院30日目*あれこれ買い物を済ませて病院に着いたのは4時過ぎでした。眠っていたので、廊下のイスに座り溜まっていたノートをまとめます。先日ここのソーシャルワーカー(SW)と面談をしました。私のまとまらない話も辛抱強く聞いてくれました。急性期の患者が多いので、パニックに陥ったままの家族の話にも慣れているのでしょう。その中で、「重度障害」と言われてもリハビリをしていく内にいい裏切りも沢山あり、予想以上の成果を出す場合も多いので、今から諦めてはいけない…と言われました。慰めも入っているのかとも思いましたが、そう信じることで私の気持ちが少しでも軽くなり、前向きになれるのなら信じてみようと考えました。またセカンドオピニオンについては、病院としても協力体制は十分だが目的意識をはっきり持たないと、かえって大きな迷いになる事もあるので、よく考えてみるようにアドバイスを受けました。shinの場合、診断内容や治療方針で迷う・・という段階ではなく、これからは血圧を安定させつつリハビリに励むのであればむやみなセカンドオピニオンは必要ないかもしれません。最後に沢山の心配事があると思うが、必ず必要な時期に必要な現象が起こるので、あまり先回りして考えすぎないように…と言われました。考えても不安になるだけだったら、かえって辛いものです。F病院にもSWがいるようなので、必要な時に専門家に相談すればよい・・と割り切りました。(必要な時に必要な現象・・本当にその通りでしたので、何かに迷ったらこの言葉を思い出すようにしました)昨日の帰りがけにshinの足の指にタダレを見つけました。担当看護師のKさんがいたので、報告しておきました。脳卒中の患者のフットケアは結構重要らしく、明日皮膚科を受診できるように手配します・・と笑顔で答えてくれました。Kさんに限った事ではないのですが、ここの看護師さんは誰もがどんな時も笑顔をかかしません。決して人手が足りているようにも見えませんが、患者や家族の質問や依頼にも笑顔で答えてくれます。そうするとこちらも笑顔になるから不思議です。疲れていると、いつの間にかブスっとした顔になったりしているのが分かるのですが、「こんにちは」と笑顔で挨拶されるだけで家族も新鮮な気持ちになります。仏教で「顔施」(もしかしたら違う言葉だったかもしれないが笑顔も施しの一つと言う意味の言葉がたしかにあった)という言葉があるらしいのですが、まさしくこれでしょう。
2004.07.13
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2004 7/12(月)shinはST.OT。ST(言語リハ)は午前、OT(作業リハ)は午後なので昼食は病院の食堂で。職員専用食堂かと思っていたのだが、患者もOKで安くもありリハの時や入院仲間の人たちとのランチにもよく利用しているようだ。前回のSTは宿題を(文章読解の問題や作文等だが、内容は症状に応じて全然違うらしい)クリアファイル毎忘れたらしく、前日から何度も確認していた。忘れ物の後のフォローが自分で出来るようになれば、それで良いと思う。中には、忘れ物に限らず交通手段を間違えたり・・と選択を誤った時にパニックになってしまう人もいるらしい。リハ病院の先生方も失敗した内容より、その後どうリカバリーしたかを重要視しているようだ。shinは一応その時点で考えて行動しているようなので、何事も経験と割り切る。忘れ物と言えば今日は保険証を忘れた。家を出てから気がついたらしく5分位で取りに帰ってきた。私もうっかりしていたが「よく思い出せたね」と再度送り出した。2003 7/12(土) *入院29日目*子供たちは学校があるので、ウィークデーはshinに会えません。夏休みが待たれます。今日は待ちに待った子供たちとの面会日です。子供たちも午前中は歯科や学校と予定があったので、3時に病院集合としました。飲み物、フルーツ、ケーキ等を用意してデイルームで午後のお茶です。土曜日の午後は面会の人も多く、テーブルも一杯でしたが同室のTさんが席を譲ってくれました。shinは子供たちと会った瞬間、言葉に詰まったようでしたが、嬉しそうにニコニコしています。4人でテーブルを囲むのは何日ぶりでしょうか。病前は何とも感じなかった事の一つ一つがとても大事に思われます。お茶の後は4人で七並べをしたり、1Fロビーへ行きデジカメで写真の撮りっこをしたりと楽しい時間を過しました。「お父さん、ゲッツの指をして」と次女に言われ、リクエストに答えたりもしていました。昨日のシンケイスイジャクは上手くできませんでしたが、七並べは子供たちとしたせいか、ルールも覚えているしスムーズにゲームできました。やはり記憶をたよりのゲームはもう少し後がいいかもしれません。帰りの車の中で長女が「お父さんバリバリ普通じゃん!!」と嬉しそうに言いました。今日のshinは結構調子も良かったのです。そう、早く「バリバリ普通」になって欲しいです。
2004.07.12
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2004 7/11(日)shinは午前中に参院選の投票と買い物を済ませて帰宅。皆で昼食を摂っているうちに、雷雨になった。雨はさほどでもないが、雷がすごい。音と光の連続。結局1時間ほど降ったのだが、1時に美容院を予約していた長女はキャンセルし、2時に友人と約束していた次女は外出できた。私は午後から買い物と投票を一緒にしようと思っていたので出鼻をくじかれ、どちらもパス。午前中shinの最近の様子の報告がない…と義父が私に言う。「何ソレ」と思った。一緒に住んでいるのだから見れば分かる事も多いはずだし、分からなければ直接本人に聞けばよいではないか。私の口を通すより本人から話を聞くほうが、いろいろと判断も出来そうなものだ。私もよく3人を残して外出してのは、そんな意図もあったのに全然通じていなかった。それに入院中約80日間両親がshinに会わなかった事は、shinの病気を受容できなかった結果とは言え、shinにはトラウマになっている。その溝を埋めるためにも親子で話をして欲しい…そう思いshinに午後から両親と今の状況などを含めて説明したら・・・と勧めてみた。どのような会話がされたのか私には分からないが、この親子と私とは温度差がある。義弟たちの様子をこの十数年見ていても、同じような対応なのできっとこれが風土(と言うか土壌というか)なのだろう。いずれにしてもshinの病気の問題だけではなく、親子の問題だと思うので私は関わらない事に決めた。ただ残酷かもしれないが、もし機会があったらshinのトラウマについては,まったく気がついていないようなので触れておこうと思うけれど。2003 7/11(金) *入院28日目*転院が間近に迫ったせいか、S先生のリハビリは内容がだんだん濃くなってきているのが分かります。5Fの看護師さんたちが「○さん、F病院に行くんだって?大丈夫?がんばってね」と意味ありげに声をかけてくれます。F病院ってそんなに厳しい所なのでしょうか。16日が近づくにつれて私はだんだん不安が大きくなります。リハ室の先生方にも尋ねますが、あまりはっきり答えてくれません。○さんのリハはできません…なんて言われたらどうしよう。もう行くところはないし。今日はまず、リハ用ベットの上で寝返りの練習です。上手く右腰を使うのがポイントのようです。右の手足がマヒしていると言うことは、途中の腹筋や背筋、腰の力も落ちているらしく、病前とは比較になりません。ベットや車イスからの起立はかなり上手くなりました。またベットと車イス間の移動も、左を上手に使って重心の移動がスムーズにできるようになっています。本人の能力を最大限に引き出すS先生の能力はスゴイものだと思いました。病室でのベットと車イス間の移動も、いちいちナースコールを使わなくても出来るようになり、私も重心のポイントをshinに説明して後は見守りで済みます。しかしshinの能力については電子カルテにも記載されていないらしく、説明を受けていない看護師さんは未だに移動については「はい私の首につかまって・・」と、腰への負担が大きい作業です。shinも自分の能力の説明まではできないらしく、「つかまって」と言われれば素直につかまっています。でもこれは若い女性の看護師さんが多いからかもね。今日は歩行距離の記録を更新しました。「ちょっと歩いてみましょうか」とS先生に促され、杖を使って歩き出したshinは理学療法室を出、廊下を挟んだ作業療法室まで歩いています。「うわぁ、○さんスゴイ!」と作業療法室の方から声が聞こえました。これだけの距離を歩くとは思っていなかたshinは「S先生にだまされた」なんて言っていましたが、満更でもない様子です。これからは自信を持つ事が次に繋がるのだと思いました。先日私が切れてから、shinは「帰る」とか「もういい」とか消極的な言葉を口に出さなくなりました。shinの気持ちが変わったのか、我慢しているだけなのか、今のところ私には分かりません。明日は子供たちと会う予定です。「お父さんとトランプをしたい」とのリクエストがあったので、夕食を待つ間デイルームでシンケイスイジャクをしてみました。52枚は多いと思い、半分の枚数でやってみましたがちょっとシンドイようです。やはり記憶を頼りにするゲームはちょっと早かったかもしれません。先日からペンディングになっていた会計の明細説明がありました。金額に変化はありませんが、かなり高額な請求の場合きちんと説明が欲しい…と言う事を担当者に言いました。今日は11日なので5日後の転院時には、また支払いです。ハァ~。
2004.07.11
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2004 7/10(土)午前中は次女の部活合宿の説明会。合計6校の陸上部が合同で合宿するらしく、3泊4日の日程はすべて練習だった。でも学校の枠を外れて競技別に練習するらしく、良い刺激を沢山受けるのがメリットらしい。shinは午後からフィットネスへ行ったが、帰りのタイミングに丁度雨が降った。携帯に連絡してみようかとも思ったが、どんな行動をするかにも興味があったので、敢えて連絡はしなかった。結局バスに乗る頃は小降りになったし、帽子も被っていたしで連絡はせず、帰ってきた。病前もこの程度だったら濡れて帰る人だったので、まあいいか。それにしてもこの夕立は、長女が修学旅行の洗濯物を自分で洗って干したからかも。ハハハ。2003 7/10(木) *入院27日目*shinがICUを出たのを機会に、毎晩子機を枕元に置いて寝るのを止めましたが、その頃から無言電話が頻繁にかかるようになりました。shinの入院と何か関係があるのでしょうか。最初は夜中だけでしたが、私は寝不足がたたるタチなのでなので参りました。その内、昼間もかかるようになり、子供たちも気味悪がります。子供たちとも相談してナンバーディスプレーを契約することにしました。手続きは電話でOKでしかも4~5時間後から使えました。親戚や知人など番号の登録はちょっと面倒でしたが、これで安心して眠れます。shinにも話しましたがピンと来てない様子でした。転院が決まったので簡保に入院証明書について問い合わせをしたところ、病院が複数になるのであれば複数の証明書が必要との事です。早速事務カウンターに申し込みましたが、2週間以上かかる上7千円もするそうです。昨日受け取った診断書も結構高額で、書類は高いなと思いました。速達で会社に送りました。shinが音楽を聴きたいと言ってので、CDプレーヤーを買って病院へ行きました。カーペンターズや'70年代のフォークなど聞かせると結構楽しんでいる様子です。日曜から相撲が始まったので、夕食までの時間が楽かな思っていましたが、日によって興味のムラがありテレビだけではもたなくなっていました。リハビリでお腹もすくらしく「何か食わせろ」「食べに行こうか」など話が「食べる」方にすぐいきます。民放だとCMも入るので、刺激も強いのでしょうか。CDを聞いてくれるならシメシメです。(手続き記憶は弱いので、プレイヤーの操作は覚えられず誰かがセットしなければ聞けませんでした)昼はY子ちゃんとランチ。貴重な昼休みに付き合ってくれ、本当にありがたいです。デジカメの映像を見ながら私の話をよく聞いてくれます。F病院に移ったら、遠くなるのでちょっと寂しいかも。先日の夜はボランティアの先輩Zさんに電話しました。実は今年度はZさんとボランティアの会のお仕事を一緒にする事に決まっていたのですがshinの入院のお知らせをしただけで、そのままになっていました。すでに私の後任の方も決まっており、Zさんも御存知でした。本当にいろんな方に迷惑をかけてしまいました。かわいいお孫さんもいらっしゃる方なのですが、とても若くパワフルで一緒にいるといつの間にか元気になっている自分に気がつきます。(ご主人の突然の入院体験やお年寄りの介護などなど私の参考になる事をいつもジャストのタイミングで話してくれる方なのです)ハガキやメール、電話での励ましは本当に嬉しく勇気づけられます。(合計4ヶ月の入院生活でしたが、ZさんとY子ちゃんがいなかったら私は挫けていたでしょう)
2004.07.10
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2004 7/9(金)さすがに猛暑の中、4日連続で外出し疲れたのか、今朝の起床はいつもの1時間遅れで6時半だった。特別具合が悪そうでもないので安心する。朝からパソコンスクールの関連で問い合わせをするように言っていたのだが、準備を始めたのは夕方だった。先を見通せなかったり優先順位をつけられなかったりするのが、「高次脳」だよ・・・と言いたかったがグッと我慢した。私の胃の不調はこんな時にひどくなる。ストレスをなるべく溜めないようにしなければ。夕方長女が沖縄修学旅行から無事帰宅。平和学習では「ガマ」(防空壕のようなものらしい)を実際に見学したり「ひめゆり部隊」の方のお話も聞けたと言う。台風が来なかったので与論島にも渡れ、練習の甲斐あってかクラスレクも上手くいったらしい。超ゴキゲンで帰ってきた。ヨカッタ。お土産に黒砂糖を頼んでいたら、食べやすいカットタイプを買ってきてくれた。去年の今頃、実家の母が「疲労回復にもいいのよ」と黒砂糖を送ってくれた事を思い出した。2003 7/9(水) *入院26日目*昨日の様子が気になったので、早めに行きました。ナースステーションにいましたが機嫌も良く、数日「お呼ばれ」が無いらしく看護師さんとカンチョウに行きました。ちょっと気が抜けます。リハビリ前にshinの担当看護師のKさんよりF病院への転院が7/16と聞かされました。昨日のリハ科の先生はもう少し先のようなニュアンスでお話をしていたので、ちょっとびっくりです。しかしベットの空きは重要ですし、なかなか空かないと言う事も聞いているので、F病院のリハについて行けるか不安もありますが準備を進めるしかないでしょう。PTのS先生はまだ転院のタイミングを知らされてなかったようで少々驚いていました。もう少し課題も消化したかったようですが。その思いもあったのか、今日のリハは靴の着脱・寝返り・4点杖(接地点が4点あり安定感はありますが真上から降ろすように使わないとバランスが難しいそうです)での歩行(6m位)等盛りだくさんでした。先日からのshinの様子をS先生に相談したところ、「リハビリは計画書がすべてです」と言われました。リハのスタート時にリハビリ計画書が渡された事を思い出しました。トイレへの歩行や座位保持・ベッド起き上がり・食事・排尿・整容・更衣・・など日常生活の中の活動項目が自立から非実施まで5段階に評価されており、いずれもshinの現在の能力は極めて低いものでした。これを分かりやすくスケッチブックにでも書いて事あるごとに説明してみよう・・そう思いました。夕食前にまた「帰る」です。まだ項目を書き出してなかったので、リハの計画書を見ながら説明しましたが、ゴネます。今日は何回説明しても納得しません。「分かった!」 私も切れました。「そんなに帰りたいのなら、今すぐ帰ろう。そのかわり2階までおんぶも出来ないから自力で上がってね。ベッドもないからお布団で寝て頂戴。あなたは重たすぎるから私の力では寝返りもさせてあげられないので、床ずれも出来るかもね。車イスもないからトイレも行けないし・・・大変ね。」と一息で言いました。shinは目が点になっています。話の内容を理解したと言うより私の様子に驚いて「ちょっとマズイぞ」と思ったのかもしれません。ちょっと可哀相かなと思いましたが、私も溜まっていたのでしょう。とうとう切れてしまったのでした。今週は長女の試験期間中なので早く帰るね・・・と毎日説明していつもより早く帰宅します。家では両親に「早かったね」と言われ、毎日説明です。3人ともほぼ同じレベル!です。フー。夜インターネットで「高次脳」についてのサイトを見つけました。交通事故後の若い人も多いそうです。大きくて重たい問題です。
2004.07.09
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2004 7/8(木)猛暑が続き、ちょっとグッタリ。6月の教育TVで「高次脳機能障害」の特集が数回あり、shinと二人で見て、大変参考になった。テキストも出ているので購入してshinにも読んでみるように勧めたら「オレは本当に高次脳機能障害なのか」と言う。ちょっとびっくり。病院でも先生方との会話の中でそのような話は度々出たし、機会を見ては私も「高次脳」について説明したのに・・・。病前と明らかに違う記憶力や段取りをする能力についての自覚は本人にはないのだろうか。それとも認めたくないのだろうか。高次脳機能障害とは交通事故や脳血管障害などの後遺症からおこる症状で、記憶障害・注意障害・遂行機能障害・行動と情緒の障害が挙げられる。shinの場合、記憶障害と遂行機能障害(一言で言えば段取り)が問題だ。新しい事の記憶がなかなか定着しなかったり、何かをする時に段取りを立てて実行できなかったり…。しかしリハビリの研究も進んでいる現在、夫々の症状に応じた訓練があり、積み重ねて行く事で症状の緩和や能力の向上も期待できるのだ。入院中からOT・PT・STの先生方とも相談しながら家族としても対応してきた。退院後二人で相談して工夫したこともある。そのリハビリの内容はTVで紹介された対策と重なる部分も多く、少なからず道は誤ってないと思ったりしていたのに。たしかにshinの「高次脳」のレベルはそんなにひどい状態ではない。またメモを書いたり、本人の意識を促す事でかなりレベルアップしたようにも思えるが、やはり今後のリハビリの効果を上げるためにも、本人の意識は重要だと私は思うのだが。番組で知ったのだが、事故や病気の後に主治医から「高次脳」の診断も指摘もなく(医療関係者でも知らない場合もあるとか)、家族や本人は混乱する場合も多いらしい。その点shinは早い段階で知ることができたので、対策も早く取る事ができラッキーだったと思うべきだろう。去年の日記を見ると「高次脳」についての記載があった。「あの素晴らしい愛をもう一度」の時も、スーパーでこの曲を聞いた日が、ICUのベットの上で歌った一年後だった。これは偶然だろうか。2003 7/8(火) *入院25日目*「先が読めない」「もう出る」 「帰る」 そんな言葉が増えてきました。一つの変化とみるべきでしょうか。その都度説明をして、本人もある程度納得するのですが、翌日は忘れています。こんな時どうしたらよいのでしょうか。リハビリの段階表を作って本人に見せてみようかとも思います。口だけの説明より目で見ての納得が有効かもしれません。リハビリ室にリハ科のDr.Mがいたので、様子を聞いてみました。7/2にはMRIも撮ったようですが脳外からは何の説明もありませんでした。すでに脳外は外れたと言う事でしょうか。思ったよりも運動機能のダメージは少ないが「高次脳機能障害」が問題と言われました。聞きなれない言葉なので一語一語漢字を確かめながらノートしました。交通事故や脳血管障害で起こる後遺症で、いろいろな症状があるらしいのですが一般的な認知度が低く、外見上も普通に見えるため理解されにくいそうです。各種診断書でも障害として通用しづらいとの事でした。気持ちの用意がないまま先生の話を聞いたのでズドーンと胸が重くなりました。今日のは10gのブンドウ3個分くらいでしょうか。ただ転院の希望を出しているF病院は「高次脳」の患者さんも多く、STの先生もいるので運動機能と共にリハビリが出来る病院である事が、今の私には小さな光です。今日のshinは天気のせいかリハビリもあまりのりません。その後私が買い物に出て待たせたのも気に障ったらしく、ずっと不機嫌でした。
2004.07.08
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2004 7/7(水)水曜日は地区センターのリハビリ教室。退院後の11月から行き始めている。この会ではKさんをはじめいろいろな方に出会っている。地区センターで陶芸や料理をしたり、外に出てエレベーターやバスの乗降訓練、地下鉄に乗って外出…等自宅ではなかなか出来ない事を体験しているようだ。今月の進行担当の保健師はOさんだ。彼女はshinの介護保険申請の時も面接に来てくれた人なのだが、shinは今年3月にOさんに言われるまでまったく気がつかなかったらしい。午前中入院仲間のTさん宅に電話する。Tさんは昨日H病院で手術を受けている。奥さんの話では予定より時間はオーバーしたが、無事終わったとの事。良かった。直前に子供さんの結婚式があったりと慌ただしい数日間だったようだが、奥さんの話し振りも落ち着いていて安心した。来週のお見舞いを約束する。shinが最後にいた部屋は6人部屋だが、ナゼか気が合う人ばかりで、退院後もお付き合いが続いている。6人の内2人は転院してさらにリハビリ中。1人は職場復帰のため車イスで運転免許取得を目指して教習所通い。shinとTさんYさんは歩行は自立しているが、それぞれ高次脳や失語症のリハビリを続けている。時々会って食事をしたり掲示板に書き込みをしたり、皆各々の頑張りを見守りつつ、自分も頑張ると言う理想的な関係を保っているのは、ちょっと羨ましいくらいだ。2003 7/7(月) *入院24日目*午前中ケアマネージャーのUさんとの面談。先日の区役所の聞き取り調査と違って、両親の介護度もかなり固く見ている様子でした。リハビリの前にサッパリしたいようなので、まず髭剃りです。ICUでは午前中に髭剃りなど看護師さんが気がついて済ませてくれていましたが、一般病棟はそうはいきません。髭剃りそのものはできますが、カバーを外したりスイッチを入れたり水洗い等はまだできません。リハビリが4時からに変更になったので、私は会計へいきました。6月後半分の請求がきたのですが、30万近い金額なのに明細が記載されていません。15日のうち1週間はICUにいたとしても(すでに15日のシメで2日分は支払い済み)明細を知りたいので、説明を求めました。かなり待たされた挙句に4~5日のペンディングになりました。OT.PTが終わり、shinに提案をしてみました。「私も弁当を買ってきて一緒に食べてもいい?」「OK」売店の弁当でしたが、20数日ぶりに一緒に食事をしました。何か欲しがるかな・・と思いましたが、チラリと覗いただけでshinは病院の食事を食べました。こんな事でも何だか嬉しいのです。「七夕ディナーだね」と言うと「そうだな」と答えました。帰宅後、利用している生協のFPから電話がありました。申し込んでいた「保証の見直し」は申込者が多く、8/5に変更して欲しいとの事。私もまだ保険について何もまとめてなかったので、OKしました。shinに関しては保険も薄かったので、今後の事も心配です。
2004.07.07
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2004 7/6(火)長女がいないので、朝もちょっとだけゆっくり起きる。弁当も次女の分1個だけで、朝の時間も余裕がある。shinは午前中はレギュラーのDuty。朝食前にPTの自主トレを済ませる(退院時にO先生が作ってくれたが、その後も課題が増え、1コース終わるのに30分位かかっているようだ)。今の時期は汗ビッショリになるので、ここでシャワー。朝食後はその日の予定を確認し、優先順位をつけ、新聞チェック。それから音読と計算問題をした後、4月から始めた掲示板への書き込み用下書き。音読と計算は去年話題になった「大人のための~」シリーズで1サイクルやってしまったので暫く止めてみたところ、何かと注意力も落ちるようで、再開した。音読や計算は前頭葉の血流を促すらしく、すでに病院や施設でもリハビリの一環として取り入れている所もあるらしい。3サイクル目に入った時には、さすがに計算は飽きたらしく100舛計算で話題になった著者の別シリーズをshinが買ってきたので、現在はそれを使っている。午後からは払い込みを3件してもらった。日曜日に作ったチェックリストを基に、健保と国民年金の払い込みを銀行で、お中元の払い込みを郵便局でと頼む。気温も高くちょっと心配もしたが、2時間程度で帰宅した。外出はいろんな意味でのリハビリなので、体調さえ良ければ毎日でもしてもらいたい。2003 7/6(日) *入院23日目*朝から、溜まっていた家事を片づけました。shinのYシャツもそのままになっていたので、アイロンがけもします。いつの日かこのYシャツを着てネクタイを締める時がまた来るのでしょうか。5Fのナースセンターはとても広く、カウンターがアールになっていて患者も家族も自然に近寄れるよに出来ています。今日はshinはそこにいました。よく手こずるおばあちゃんがナースセンターに座っているのを見かけましたが、shinも勝手にベットから起きようとしたらしく、監視下に置かれていました。体の機能も少しずつ思い出してきているので、いくらテレビがあるとは言え、ずっと寝たままでは退屈なのかもしれません。ICUでは剃って貰っていた髭も、一般病棟では自分で剃らなくてはいけません。交流式の髭剃りしかなかったので、電池タイプの物を買ってはいたのですが、まだ自分で気がついて使うところまではいかないようです。私が病室へ行ってまずする事は髭剃りでしたが、そろそろ自分でさせようと思い、扱いも教えてみます。結構うまく左手で使えるので、デジカメで写真も撮りました。男性は化粧こそしませんが、髭を剃るだけでサッパリ見えるものです。今日も1Fロビーへ降りました。売店でプリンを買い、会計前のイスへ。昨日座った場所を覚えており、またそこがいい と言うので車イスからソファーに移ります。日曜のロビーも静かで、所々に患者さんと面会の人がいる位です。1Fフロアーは天井も高くとても明るく広く作ってあるので、ゆっくり話もできます。今日はICUでの様子を話しましたが、全然憶えていないようです。私の話を聞きながら涙を流していました。入院から23日が過ぎましたが、車イスの乗り降りをはじめ髭剃り、食事と出来る事も少しずつ増えてきているので明日からもリハビリがんばろうね・・と励ましました。デジカメでshinを撮ったり、私を撮ってもらったりしました。カメラのシャッターは右にあるので逆さにしてシャッターを左下から押すようにするとなんとかできました。こんな事でも出来ると嬉しいようです。今日から夏場所が始まりました。スポーツは勿論、相撲も大好きなので夕食までの時間が助かりそうです。熱心に見てました。昨夜「早く帰る約束」をした事は忘れていましたが、事情を話すと納得したので、早めに帰ることができました。
2004.07.06
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2004 7/5(月)長女は今日から沖縄修学旅行。集合時間の関係で4:30には起きる と言っていたのに、昨日の疲れもあってか私が5時に起きるまで爆睡していた。「あ~髪が上手くまとまらないーっ!」と飛び出す背中にshinが「楽しんでこいよ」と声をかけていた。shinは午後からOT&PT。O先生のPTはかなり混んでいたらしく帰宅は6時前だった。先生の予定を聞いて次回から土曜日に変更してもらったらしい。上出来。2003 7/5(土) *入院22日目*3時ごろ病室に着くと、険悪なムードです。「オレはもう帰るからな…」とかなりいらついた様子で、入院生活に「アキタ!」と言います。看護師とも相談して、1Fホールまで散歩に出てみました。売店で車イスのレンタルの更新をした後、ヨーグルトとゼリーを買って会計フロアーのイスで食べました。「どっちを食べる?」と聞くと「両方」と答えました。土曜日の午後は外来もなく、フロアーも落ち着いています。両親の事、子供たちの事、shinの事…いろんな話をして、もう少しリハビリを頑張ってみようと話しました。夕食前、自宅に電話をしてみました。各階の電話ブースは個室になっていて、電話の高さも車イスのまま掛けられるように作ってあります。二人の娘と話をし、本人も納得したのか、夕食の時間は落ち着いていたので一安心です。数日前からスケッチブックとマジックで字の練習を始めていましたが、病室のオーバーテーブルに七夕の短冊が配ってあったので、書いてみることにしました。暫く考えて「オレはがんばるぞ」「負けない」と左手で書きました。夕食後5Fの笹につるしましたが、どの短冊にも「早く元気になりたい」「早く歩けるようになりたい」「早く退院したい」と患者さんたちの思いが書かれていました。ちょうどS 先生も通りかかり、shinの文字を見て「また来週もがんばりましょうね」と声をかけてくれました。何気ない事ですが、医療スタッフとのちょっとした交流が患者や家族をホッとさせるとこの時も思いました。「S先生ありがとう」私が用意した夕食を子供たちと両親が先に済ませ、後片付は子供たちが交代でやってくれています。長女の期末試験が近いので、後片付はちょっと可哀相かなと思いshinに相談してみました。「明日の日曜日は、疲れたからちょっと休もうかな」ともちかけると、なかなかウンと言いません。「高校の期末試験があるから、じゃあ来週1週間は早く帰ってもいい?」と聞くと「じゃあ次の週は遅くいてね」とネゴされました。交渉成立です。駆け引きができるのはスゴイと思いました。少しずつですが、考える事ができるようになってきています。入院生活がイヤと感じるようになったのも、その表れではないでしょうか。夜、母から電話がありました。「夏休みは、またお見舞いに行くから、子供たちをどこかに連れて行こうと思っている」と言ってくれました。母からの連絡はファックスか夜の電話ですが、夜は私も疲れており、うまく対応できない事も多いのです。今夜はうまくコミュニケーションでき、私もいい気持ちでした。母に感謝です。
2004.07.05
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2004 7/4(日)今日も暑い1日。長女は明日からの修学旅行でやる予定のクラスレクの練習に出かけた。次女は昨日に続き陸上の県大会の応援。(応援だけかと思っていたら合間に練習もするらしい)shinには毎月決まっている払い込みや提出書類のチェック表を作ってもらった。健保や国民年金の払い込み、傷病手当金の請求書を主治医に書き込んでもらったり、郵送したり…事務的な事はずっと私がやってきたのだが、そろそろshinにシフトしようと思い毎回少しでもスムーズに仕事ができるよう、チェックリストを作る事にしたのだ。いきなりややこしい事(shinのレベルでは)を言うと露骨にイヤな顔をするので、数日前から話を進めてその気にさせる。私がやったが早いのだが、それでは今後に繋がらないのでここはグッと我慢だ。これって…そうだ子供たちが小さい頃も「待ちモード」があったな。新聞や育児書などにも「お母さんはなるべく手を出さず優しく見守りましょう」と書いてあった。私はもともとセッカチなので、この「待ち」が苦手で反省する事も多々あったのだが。将来的に私が楽!?をする為にも、待たなくては。2003 7/4(金) *入院21日目*ケアマネージャーのUさんから月曜日のアポの電話がありました。両親の介護保険については着々と進んでいるようです。PTは昨日に続いて平行バーを使っての歩行訓練です。shinはS先生に「昨日は1往復だったので、今日は2往復させて下さい」とリクエストしていました。昨日の記憶がある事、リハビリに意欲が出てきた事に嬉しく思いました。「起立」の状態で両足にバランス良く体重をかけるのがshinは苦手のようで、S先生もしっかり体を触ってよい時のタイミングを出してくれます。後は本人の自覚と学習ですが、体で覚えてくれるでしょうか。OTもPTもリハビリをしながら先生は雑談のように、いろいろな質問をします。「○さん、生年月日は」 「○さん、住所は」 「○さん、昼ごはん何食べた」 等など。今日はS先生が私の名前を聞いていましたが、なかなか思い出せず「先生、本人に聞いてくださいよ」とかわしていました。OTは肩から腕にかけてよくマッサージをした後、バスタオルやキャスター着きボードに右腕を乗せて、車のワイパーのように左右に動かす運動からスタートします。最初はなかなか右手だけでは動かすことができず、左手の介助が必要でした。空き箱に入った片手で握れるくらいのボールを1こずつ持っては、隣の空き箱に入れる…そんな何でも無い事もマヒした右手を使うとなると大変です。ボールを握る事はできても、持ち上げて移す事が難しいのです。自分の右手を支えられない、そんな感じでしょうか。I先生がshinの右手を上から持ってくれたり、自分の左手で支えたりしながらのリハビリです。(後日リハビリ病院で、ある家族の方が、…マヒした手足は本当に重く、私は絶対にバラバラ殺人なんかできないワ…と言っていました。バラバラ殺人はちょっと・・ですが感覚を失った肢体は寝たときの赤ちゃんのようにとても重たいと思いました)廊下やリハビリ室で時々会うYさんと挨拶をするようになりました。私と年齢的には変わらないくらいでしょうか。移動も車イスでリハビリはPTだけのようですが、歩行が難しいようです。でもとても明るい方で「お互いがんばりましょうね」と爽やかな笑顔で言われます。リハビリ室以外でも廊下の手すりにつかまって、立つ練習をしている所を何回も見かけました。彼女の歩くことへの気持ちの強さを見た思いでした。夕食や歯磨きを済ませると、だいたい7時くらいです。病室を出ると渡り廊下の辺りが、少し照明も落としてあり仮眠には最適な場所です。30分程度寝るとスッキリして帰れるので、よくひと休みします。今日は近くのスーパーで買い物もして帰りました。大きなスーパーで9時まで開いているので、なかなか便利ですが、閉店間際の時間でも小さい子供づれのお母さんをよく見かけます。夜の方が涼しかったり、商品も値引きになったりするからでしょうか。中には保育園の帰りかなと思われるような親子もいますが、これから家に帰って食事をしてお風呂に入って…と余計な心配をしてしまいました。私も典型的なオバサンです。でもやはり8時9時って普通は子供は家に居る時間じゃないかと私は思うのです。多様化するライフスタイルの中で、子供を取り巻く時間も変わって来ていると言うことでしょう。
2004.07.04
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2004 7/3(土)相変わらず暑いが、湿度は低いので凌ぎやすい。今日はそれぞれ皆外出の予定があり、私も義母の整形外科へ一緒に行くことにする。4月から行き始めた整形外科なのだが、ちょっと遠いこともあり場所を一度確認しておきたいと思っていたので。いつ行っても患者が多く待ち時間が長い・・と義母が言うのでそのつもりで行ったが、土曜の昼前という事もあってか、すぐ名前も呼ばれ、小1時間ですべて終了。義父は友人と会食、shinはフィットネス、長女は学校、次女は部活。一年前は皆、体が縮こまり、電話の音ひとつにも神経質になって過していたのがウソのようだ。今あることの感謝は忘れてはいけないと思う。2003 7/3(木) *入院20日目*デジカメで両親や娘達を撮り、shinに見せます。新しい写真を見るとshinも喜びます。両親はまだ面会するとは言いません。娘達は土日でないと会えないので、家族の様子は私の話とデジカメを利用して伝えます。またリハビリの様子は、他の患者さんが被らないようにしてshinの様子を撮ります。帰宅後はデジカメを見せながら説明です。私はデジカメの運搬人?今日は気持ちも落ち着いているようです。デイルームで夕食を待つ間「オレにはこのゆっくりした時間が必要なんだなぁ…」とshinがしみじみと言いました。この二十日間いろんな事がめまぐるしく起きましたが、少し状況を考えられる余裕が出来たのでしょうか。私もまったくその通りだと思います。今の時をそのように感じているのなら上等です。こんな時、もしかしたらこの人は病気のフリをしているだけなのではないか…と思うのです。たまにポロリといい事を言うのですが、悲しいことに明日になると忘れています。やはりフリではなく現実なのです。
2004.07.03
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2004 7/2(金)今日も暑い。長女の期末試験の最終日で、明日は5日からの修学旅行の荷物を先に送らなければならないので、午後からは荷物のパッキング。例によって「あれはどうしよう、これも持って行きたい」となかなか選択が出来ないようだ。4泊5日にしてはバッグが小さかったかな・・・とも思ったがなんとか詰め込めて一安心。身障者スポーツのお試し企画の案内とパソコンスクールの案内が届いていたが、さっと見ただけでTVに夢中。いろいろと内容について質問するとイヤな顔をしたが、分からない事をメモして電話で問い合わせをしていた。この辺の呼吸が難しいといつも思う。なるべく私は口出しをしたくないのだが、病前からノンビリした性格で(これはそのまま長女が引き継いでいる)これは変わらない部分なのだろうか。2003 7/2 (水) *入院19日目*朝からお風呂に入ったらしく、気のせいかサッパリして見えます。今日はOTはお休みですがPTの調子も良く、大き目のボールの上に両脚を乗せたり、輪投げを右手でしたり、ベンチ上を横に移動していました。先日から気になっていた足の裏の感覚は、有る日と無い日があるのだそうです。右足の裏をコチョコチョしても反応しない時もあるし、モゾモゾと足をすくめる時もあったのですが。でも感じる日もあるのだから、やはり刺激は与えたほうがよいのでしょう。5時に会社の方と玄関ホールで待ち合わせをしましたが、shinには興奮するといけないので、教えませんでした。なんとなく私が時間を気にしてソワソワしていると、「どうかしたの?」と聞かれてしまいました。会社のFさんはお一人でした。9階の食堂でコーヒーを飲みながら、お話をしました。特に会社の方針が決定した訳ではなく、診断書を見てから・・との事のようです。健保の関係で高額医療費と付加給付金、傷病手当金についての質問をしましたが、これも後日回答という事になりました。仕事上の事はshinもあまり話す方ではなかったのですが、特にトラブル等もない様子なので一安心です。「今日の面会については、ドクターストップがかかっているので本人はまだ会うことが出来ない」と説明したところ、残念そうでした。やはり本人の状況を見たいと思っているのでしょう。問題点は先送り…の面会でした。休業期間は(転職後半年なので)3か月との事。1年以上でも大した差はないらしく、複雑な気持ちです。でも「Kさんとも善処しようと言っておりますので」との言葉もあり、少し期待が持てそうな予感。
2004.07.02
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2004 7/1(木)今日は次女の中学の体育祭だ。雨は降りそうにないので、一回で終わるだろう。プログラム1番の800mは是非応援して欲しい・・と言うのでshinと出かけた。shinはストップウォッチでタイムも計っていた。3分台で走るのが目標だったが、3分前半でゴールでき良かったと思う。中学に入って陸上を始めたが、自分で目標を決め練習している姿は、親としても嬉しい。60m走を見たところで、私は帰宅した。shinはスポーツが大好きなので、残って見ると言う。夕方帰宅した娘は、ますます日に焼けていたが、1年でクラス優勝したようで、疲れているにもかかわらず、ニコニコしていた。小さな幸せ。2003 7/1(火) *入院18日目*明日の面会も気になるところですが、脳外のDr.Kに診断書についても一言お願いをしました。「ありのままを書くだけですから」と事務的な返事です。家族としては「大丈夫ですよ」くらい言って欲しかったのですが、(何が大丈夫なのかって?)こんなものなのでしょうか。10g位のブンドウが胸の中をゴロゴロ動き回っているような気分です。リハビリの前にちょっとしたトイレトラブルがあったためかなかなか調子が出ず、リハビリ中ずっとトロトロしていました。shinのリハビリは大体2時スタートになっているので、昼食後の過し方が大事なのでしょうか。子供のように宥めたり賺したりする事も出来ず、ちょっと考えます。夕食の時間になっても機嫌が悪くイライラしています。何とか気分を紛らわせようとしますが、「オレは負けだ」等と口走ります。あ~、こんな時はどうすればよいのでしょうか。
2004.07.01
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