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数日前、スーパーに買い物に行った時、よく買う1ガロン(約3.7リットル)の水が棚から消えていることに気付きました。通常、売り切れることがない量の水が置いてあるのに、私が手にしたのは最後のひとつ。この時点ですぐ気付くべきでしたそれから会社に行きメールをチェックすると、ハリケーン・ディーンが接近中である為、別の都市に出張出来ないかとの依頼のメールが…。そうだった! スーパーから水が消える現象は2年前のハリケーン・リタで体験済だった!!思い出したくない… 本当に思い出したくない悪夢がよみがえる…2年前の夏、リタという大型のハリケーンが私が住んでいる都市に接近し、大騒ぎになりました。過去にないレベルの大型ハリケーンが直撃するとニュースで報道され、ちょうどその1ヶ月前、お隣ルイジアナ州がハリケーン・カトリーナの被害を受けたばかりだったこともあり、街はパニック状態になりました。うちの会社は、万一、オフィスの近辺が水で埋まってしまった時のことを考え、ここから高速で5時間程の別の都市で臨時オフィスを開設し、近くのホテルをおさえ、そこへ何割かのスタッフを出張させることに決定。私もその中に入っておりました。私は、万一、今のアパートがなくなってしまった時のことを考え、貴重品や衣類、ノートパソコン等を、ほとんど寝ずに荷造りし、1週間ほど帰らない覚悟で早朝出発しました。しかし… スーパーからは水が消え、レストランは全て閉まり、ガソリンスタンドのガソリンは尽き、どの道も大渋滞という悪夢。炎天下の中、12時間のドライブで進んだ距離はごくわずかで、病人続出。私を含めた3人はハリケーンのリスクを覚悟で引き返してきました(会社側はそれを承諾)。後日談ですが、他のメンバーは24時間ほどかけて現地に到着したそうです。その後、戻ってきた3人のうち1人は飛行機で他州へ避難。残りの1人と私は自分の家に戻ったのですが、友人から「危険だからそこに居てはいけない」と言われ、身体がヘトヘトな中、夜間また非難させられました。夜になると、街は日本の元旦のように静まりかえり、ゴーストタウンのような不気味さがありました。ちなみに、出張しないスタッフはどうしたかと言うと、そのまま家に留まる者もいれば、早くから仕事を放棄して非難を始める者も。しかし、同様に渋滞にはまり、結局遠方には逃げられなかったそうです。又、避難中のホテルをおさえようとしても、州(日本の2倍の面積)のホテルが全て満室であった為、州外のホテルをとった人までいました(もちろんそのホテルにはたどり着けませんでしたが)。私がこのリタでまず準備したことは…化粧品の買いだめ(←バカ)避難生活を余儀なくされた場合、水や食料の供給はあっても、さすがにコスメはないだろうと、当時愛用していたラン○ムのスキンケア類を$100以上買いました。今回のディーンについても、会社側はスタッフを別の都市へ移動させることを考えていました。私は既に断りましたが、幸い今回はそれほど深刻な状況ではなさそうなので、スタッフの移動はなく済みそうです。そして、今回私がこのディーンで準備したことは…水とフルーツの買いだめ人は学習するものです。水は他のスーパーを探し、かろうじて2ガロンを確保。ガソリンも念の為満タンにしました。ところで、台風に番号をつける日本と違い、なぜこちらはハリケーンに名前をつけるのでしょうか?同僚Kさんに聞いたところ、彼女も不思議に思い誰かに訊ねたそうです。理由はハリケーンには性格(強さやタイプ)があるので人にたとえるだそうです。これの良い点は、名前だと覚えやすいということ。印象に残ったハリケーンは、名前を聞いただけで、いつ頃、何処で、どれくらいの規模で、どれだけの被害を及ぼしたのかすぐに思い出せるのです。例えば、私が「リタ」と聞いただけですぐにあの悪夢がよみがえる感じ(ちがうか)。これが、「○年のハリケーン○号」だとちょっとわかりづらい。又、毎年Aからアルファベット順に名前がつけられていくので、台風○号のように、今年何番目のハリケーンなのかもわかる。その年に使われる名前は事前に決められるそうで、名前の性別は男女交互となり(今回はディーンで男性なので、次回はEから始まる女性の名前)、大きな被害をもたらしたような有名なハリケーンの名前はその後二度と使われなくなるそう。でも、自分と同じ名前のハリケーンで大きな被害が出たら嫌だろうなあ…
2007年08月21日
以前からよく聞いてはいましたが、こちらの人はそう簡単には謝りません。私は以前、あるケーブルTV会社との間でちょっとしたトラブルがあり、電話で激怒したことがあります。最後にはスーパーバイザーが出てきて、ひたすら謝罪されました。それを友人に話すと、「みらのさん、よっぽど怒ったのですね。こっちの人をそこまで謝らせるのはスゴイことですよ」と関心されました。それくらい謝らないのです。それに比べ、日本人はやたらと「すみません」と言い(確か日本人が一生のうちで一番多く使う言葉)、サービス業の人間は何かあれば即、「申し訳ございません」が口から出てきます。まあ、これが悪いとは言いませんが、何かしてもらった時、「ありがとう」より「すみません」が出てきてしまうのはどうかと思います。明らかに自分に否がなくても、お客が文句を言えばまずは謝罪の言葉が出てくる日本とは対照的に、こちらの人間は(特に企業側は)、明らかに自分が否があったとしても、それを認めることさえしない時があります。それはやはり、訴えられた時に不利になるからだそうです。謝ること自体、自分の否を認めるということになり、それは裁判での敗訴につながるのです。日本では、相手側が謝罪しても、それで許すか許さないかを決める程度で、それを利用して訴える人はなかなかいないと思います。しかし、こちらでは訴える人が普通にいるようです。なにせ、マクドナルドのコーヒーが熱くて火傷したからといって訴える(しかも勝訴する)国ですからね。よって、アメリカには弁護士が掃いて捨てるほどおり、平日の昼間は、同時に3つのTV局で「法廷番組」がやっています(しかもどうでもいいような案件ばかり)。なんだか、何かあれば法的手段に出るのが当然のことのようにさえ思えてきます。同僚Kさんは以前、ヒル○ンホテルで働いたことがあり、その研修の時、「何かあっても絶対にお客に謝らないように」と教え込まれたそう。うわぁ… 日本と正反対だこちらの人は、誰かが不幸な状況に陥ってしまった時に、それを同情するような慰めの感覚で「I'm sorry」と言います。Sorryと言う言葉は、謝罪の時以外にも使われるのです。例えば、そのホテル内でお客がすべって転んでしまったとします。そんな時に「お大事になさって下さいね」的に使う「Sorry」も言ってはいけないと教育されたそうです。そんなことを言おうものなら、そのお客が腰を痛めたり、妊娠中だったのが流産した場合、会社側にどれだけの損害賠償請求があがるかわかったものではないからです。Kさんは、自分が非人道的になっていく気がしたと言ってました。私は以前、地元の電話会社とトラブルがあり(今思えば結構あるな…)、最初は自分で処理しようとしましたが、どうにもラチがあかず、法的手段を取るしかない思ったことがあります。結局、弁護士のお世話にはならずに済みましたが、それは本当に良かったと今では思います。Kさん曰く、やはりむやみに争ってもいいことはないのだと。時間とお金と根気が要り、ストレスが伴い、相当なエネルギーを費やす。しかし、その頑張りはその後の人生にあまり役に立たない負のパワーのもの。又、「アメリカは金でJustice(正義)が買える国だ」と言われるくらい、弁護士の腕で裁判の結果が左右されます。そして、裁判官や弁護士は必ずしも善人とは限らない。何かに巻き込まれてしまったら弁護士を利用しないわけにはいきませんが、出来れば争い事の少ない平和な人生をおくりたいものです。
2007年08月14日
3月に日本へ久しぶりに帰国した時、改めて思い知ったのが、サービス業の人間の優れた接客応対。例えば、キャミソール2枚程度を購入しただけでも、店員さんは丁寧に包んで袋に入れてくれ、店の出口のところまでお見送り。成田空港で帰りのチェックイン時、職員の丁寧な説明と無理のない接客スマイル。スターバックスコーヒーの店員さんの丁寧な接客、もちろんこれでもかっていうスマイル。たとえマニュアルに基づいていても、これを完璧にマスターするのがスゴイ。もちろん、愛想の悪い店員や、どんくさい職員も普通におみかけしますが、そのいけてない層のレベルも他の国と比べると段違高い。とにかく、日本のサービス業・カスタマーサービスのレベルが高すぎて違和感すら感じました。私自身、現在こちらでカスタマーサービス的ない仕事をしており、過去の仕事も、接客や営業事務といったもので、人と接する(又は電話で応対する)機会が常にありました。職業病に近いものがありますが、私は電話をとって、相手の第一声「もしもし」だけで、その人がどのようなタイプのお客なのかある程度わかってしまいます。あまり決めつけたくないのですが、いつもいつも最初に受けた印象があたってしまうのです。特に、難しいお客の場合はすぐに察知し、無意識に「注意」してしまうのです。ちなみに、プライベートだとこれが一切なくなります。きっと自分と全く違うタイプの人間と同じ時間を共有にする必要がないので、いつも自然体でいられるのだと思います。私がまだ20代だった頃は、サービス業の人間に対して厳しい目を持っており、ファミリーレストランの店員に失礼な応対をされた時などは、その場でバシッと注意する正義感を持っておりました(もちろんむやみには怒りません)。しかし、ここアメリカでは日本のようなサービスを一切期待してはいけないのです。日本のカスタマーサービスは世界一だと、こちらに来てから何度か耳にしましたが、それは大げさでも何でもなく、紛れもない事実だと思います。アメリカのカスタマーサービスは… とにかく酷い。というより、最低の最低の最低(ここまで言わせていただきます)。公共料金の支払い等で、間違った明細が届きその確認をするだけでもひと苦労なのです。電話をかけても、転送され転送され転送され、その都度同じ事を何度も説明し、待たされ続ける。友人はこれを1時間繰り返し、結局最初にかけた部署に転送されてしまって激怒。その会社にE-mailで、「至急対応しないなら法的手段をとる」とメールしたところ、即効電話がかかってきたそう。私も、あまりにもらちがあかない場合は、「上の人間にすぐつなげ」と言いますが、こちらの人間はなかなかそれをしてくれません。上にすぐつながないよう教育されているのだと思います。何度訂正の電話を入れてもきちんと処理されていない、すぐに間違える、問い合わせてもわからないからとりあえず誰かに転送する…こんな無駄な時間と労力の要る、解決まで根気のいる作業に、こちらに来た日本人は最初はかなり激怒し、苦情を言い続けます。しかし、相手は何を言われてもへっちゃらな奴らなので、徐々にあきらめ始めます。怒るだけムダなのです。いつしか私も「怒らない」「期待しない」「間違えてあたりまえ」が浸透してきました。ファストフードのドライブスルー(もう行ってませんが)で何かを買っても、不思議と2回に1回は中身が違う。ネットで何かを注文しても届かない。届けられても留守だと家の前に置いていってしまう(普通は不在通知を残す)。日本であれば、誰でも普通に出来るような簡単な作業がまともに出来ない、もしくは最初からやる気がないのか、とにかくこれが現状です。私はここアメリカで、「あきらめる」という事を覚えました。
2007年08月07日
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