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1年のうちこういう心地よい日が何日あるでしょう。薫風とか風薫るとか。最近は俳句の季語くらいしか使われなくなってしまいましたが。 毎日YOU TUBEで遊んでいますが、先日、サラ・ボーンのラヴァーズ・コンチェルトから始めて佐々木幸男さんのセプテンバー・バレンタインという曲に辿りつきました。何と心地よい曲なんでしょう。この曲を思い出します。初めて見る名前、曲。1971年の名曲。んんん。こんなん知らへん。今でも活動しているみたやけど。20年ほど前はFMをよく聞いていました。その時も横山輝一という歌手の名前が出てきて曲もかかるんやけど知らへんぞそんな人。と同じです。知らなくて通り過ぎるということがある。両人とも他の歌手にも楽曲を提供しているんです。音楽で人生変わりますから、当時、知っていたら・・・。 若い頃、吉田拓郎という歌手は大勢の人に影響を与えたと思いますが、これからテレビに出演しようといた時、心無い言葉をいう歌手のお陰でテレビには出なくなりました。そんなこと言うのは布施明やないかとずっと思っていたら、あたりでした。若気のいたりと本人は言っていましたが、冗談じゃない当時もっと出ていたら人生変わっていたやろなと思います。布施明だけは許すことができません。今でもテレビに出ていますが、事前にわかっていれば観ないし、出ていればすぐにチャンネルを替えます。 サラ・ボーンにしてもエラフィッツ・ジェラルドにしても圧倒的に歌がうまい。でもうまいからいつも聞く、にはならないのですね。これが不思議なところ。ヘレン・メリルとかジュディ・ロンドンの方が聞く機会が多い。アン・バートンなんてうまいかどうかでも一番よく聴いてしまう。最近、寝る時もクラシックは飽きたのでジャズボーカルばかり。音楽が生活(おおげさにいうと人生)に大いにかかわっているということを感じます。現在私の周りにいる人々はほとんど音楽を聞かない。信じられませんが、それでも生きている。ただ、思考の幅が非常に狭いことに気づきます。何で聞かへんのやろう。聞かなくても平気なんや。と人ごとながら考えてしまいます。性格がせっかちでお節介ですから。
2012年05月23日
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毎日、パソコンはつけっぱなしでテレビを観ながらYOU TUBEで音楽を楽しんでいます。それでも飽きたらグーグルマップに学生時代の下宿や当時の友人の住所を打ち込んで、道路を歩きながら遊んでいます。行ったこともない友人の家も解ってしまう。逆に言えば怖いことでもあります。ただ、学生時代の下宿はいつも利用していた南海高野線の狭山駅から歩いてみると実際に行かなくても行った気になれるので懐かしさも手伝って便利なサイトではあります。懐かしいと言っても、大阪といっても田舎だったので変わってしまっていてちょっと残念な気持ちにもなります。前にも書きましたが、始めて蛍を見たのは下宿の近所の小川でしたから。でもさすが本州。ストリートビューは四国では出来ません。山口の島に住んでいる友人の家も出来るのです。ただ鳥取と島根は出来ませんでした。
2012年05月19日
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これは何なのか自分でも解らない。近くのオジサンがくれました。その頃はニャンコのおいちゃんと言っていました。小学生の頃お札と古銭をくれました。切手は集めていましたが古銭には全然興味がなくその時にもらったままこのケースに保存しています。かれこれ50年近く経ちます。10年ほど前、40年振りくらいになりますか古銭あげると言って今度はこんな立派なケースに整理したものをくれました。中身はこういうものです。ついでみたいに、これもくれました何なんでしょう。オジサンからとったらいつまでも私は子供なのでしょうね。ただそのオジサン数年前に亡くなってしまいました。身近で好きな人が段々少なくなってしまいました。
2012年05月16日
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本棚にある本を見てみました。昔、IVYに興味があり、JAZZを聞いている頃、ずっとメンズクラブとスイングジャーナルは買っていました。コレクションとして持っていたのですが、家を建て替える際に母親が借りていた仮住まいに置いていたらすっかり他の大切なものも含め捨てられていました。何も言いませんでしたが、その時は本当にショックで・・・といっても取り返しがつかないので仕方ないかと切り替えました。かすかにその名残が残っていました。1978年1月号の付録表紙がピーコック=キース=ディジョネットというアルバムです。このレコードは持っています。当時キース・ジャレットは最も好きなピアニストでした。1979年7月号の付録Jに乗っかっている写真はキャノンボール・アダレイのSOMETHIN’ELSEタイトルはキャノンボールですがマイルス・ディビスのと言ったほうが良いアルバムです。このレコードも持っています。一時期このレコードオークションで高値が付いていました。1980年1月号の付録この頃は渡辺貞夫が元気なころです。1983年1月号の付録レコード屋に置いてあった冊子です。140ページの本格装丁50年代、60年代の演奏をまだまだ聞いていた頃です。月刊平凡 1968年1月号付録 歌本です。中を見てみると今は考えられませんが、’68年オール・スター住所録として当時の人気俳優や歌手の住所が番地までキッチリ掲載されています。ナショナルのテープレコーダを買ったらくれた冊子だと思います。こちらのタイトルはヒットソング集になっていますが片方はテープレコーダ操縦術になっています。これもテクニクスのおまけ本です。1974年か75年頃だと思います。メンズクラブは1972年から198数年まで欠かさずそろえていたのですが、唯一残ったのはこの付録です。1984年1月号付録メーカーごとの広告本ですが、くろすとしゆきさんや小林泰彦さんの文章が掲載されています。最後に付録ではなく何故買ったのか不明な本イルカのライヴに行ったのがこの頃だったからか永井龍雲が最初にこうして掲載されていますが、全然興味がなかったし、ましてふきのとうとかオフ・コースがカラーページを飾っていますがそれ以上に興味がなく、やはりイルカなのか。1980年3月1日にここで紹介されているあしたの君へのLPは買っているので。
2012年05月15日
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昨日、収集物でテレビに出演したと書きましたが、その時出さなかったもので恐らく現在持っているものの中で一番古いものです。パッチン(メンコ)です。小学生の頃、らんこん(ビー玉)とともによく遊んだものです。昭和30年代ですね。印刷がずれていたりして、このラフ感がいいですね。坂本九と橋幸夫は特にずれています。
2012年05月14日
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パソコンの前に座っています。ケーブルテレビの時代劇チャンネルはお気に入りのチャンネルです。先日も三浦リカさんが出ていて、好きやったんやと懐かしくなり、ネットで調べてみました。堤大二郎さんの奥さんになっていました。仕事関係の知人Mが昔、堤さんのマネージャーをやっていたそうで、芸能関係の仕事をしていたら、麻丘めぐみに会えるかもしれないというのが動機だそうで、実際に会えたそうです。今は地元で広告代理店をやっています。以前、その知人が持っているローカルの番組に出演したことがあります。内容はお宝拝見的なもので、緊張しそうなので別の広告代理店の知人Kさんに先に出演してもらい、次の週に出演しました。Kさんは大変な収集家でいい歳(私より2歳上)してバービー人形や飛行機の模型他いろいろと集めているのです。ただこの人には感心したことがあります。父親が亡くなって次の日が葬式だというのにNHKの夕方の番組に生放送だから穴を空けるわけにいかないということで出演したのです。まあ自分が広告代理店に勤務しているので特に使命感があったのだと思いますが、大したもんだと思いました。内容は収集している飛行機の模型を見せるというものでした。穴あけても良かったんちゃうんという感じでしたが。私はというと昭和30年代の初めて買った少年サンデーとかエポック社の古い野球盤やレーシングゲームだったのですが、結局は切手が主になってしまいました。400~500シート収集していたのでそちらの方がいいということになったのです。緊張すると思っていたのですが、全然でリポーターに指図したりして普段通りの撮影ができました。ちょうど15年前の今頃現在の家を建て替える前の何もなくなった古い家でのことでした。
2012年05月13日
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