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昨日は、ブロークバックが「ジェイク・ジレンホール(ギレンホール)をどう撮っているのか」について書いた。今日はジェイクという俳優の演技について書こうと思っていたのだが、その前に、「顔の演出」についての駄文を少し発展させてみたい。今も映画で多用されている、首のモーションを使った「肩越しの視線」の劇的な効果を作品に取り入れたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチだということを書いた。レオナルドは「万能の天才」と称されるが、当時、権力者のための式典や出し物の舞台演出にも手腕を発揮していた。また、彼は絵画作品を作るとき、構図とともに、「人物の顔」「手」「衣装のヒダ」などのパーツにわけて、ディテールをデッサンしている。これは「レダ」のための習作。完成したレダは女性の全体像なのだが、顔をクローズアップして、その表情を決めていくプロセスがわかる。デッサンの左下をみると、ラフな女性の顔の輪郭があり、そこでは鼻で唇が隠れるほど女性は深くうつむいている。ところが、右上の少し詳しく描かれたデッサンでは、うつむき加減は抑制され、そのかわり、顔の向きに多少角度が加わっている。最初の構想からレダの顔の表情が少し変わっていったことがわかる。また、実際のレダ像には描く必要のない、後ろから見た頭部の習作もある。実際に作品では後ろ髪の描写はないのだが、完成作品では見えないパーツもしっかり描くことで、完成度を高めようとしている。レオナルドの「髪」に対する執着は一種異様だ。レダでも複雑に編みこんだ髪型をきわめて入念に描いている。今風にいえば、明らかに「髪の毛フェチ」だろう。特に好んだのが「金髪の巻き毛」で、実際、レオナルドは30代後半のときに、「輝くような金髪の巻き毛をもつ美少年」をどこからか拾って(苦笑)きて、そばにおき、生涯面倒を見ている。これがその少年をモデルにしたといわれる素描。髪の毛と瞳が明るい色であることが想像できる描写だ。プロフィール(横顔)の輪郭線、特に額から鼻、唇へかけてのラインを見ると、古代ギリシア彫刻風の顔立ちの少年だったことが推察できる。激しい戦闘の場面もある。「アンギアリの戦い」図のための頭部の習作が何点か残されている。いずれも戦う戦士の表情だ。この若い戦士の闘志をむき出しに咆哮する表情などは、古めの戦争映画のワンシーンに出てきそうだ。こちらはどうだろう。この2つは、同じ人物の顔の習作だが、表情の違いから、何が読み取れるだろうか? 帽子のないほうは、口を大きく開き、まがまがしい怒りを表現しているように見える。一方帽子をかぶった、より詳しく描かれた顔のほうは、明暗のコントラストが強く、目の表情が見えにくくなり、口も上作品より縦方向に長くあけている。上のほうが生き生きしているようにも見えるが、逆に下は顔全体が硬く陰鬱になったために、戦士の悲壮感がより強く出ているかもしれない。ここでも、レオナルドは「顔の演出を途中で変えている」のだ。「サイコパス」を扱った作品もある。これは「5つのグロテスク像」といい、中央の古代ローマ皇帝風の装いをしている学者らしい老人は誇大妄想で、それを取り巻く人物たちは、右の太った老婆は痴呆、もしくは何かにことさら固執する粘着質な性質、正面をじっと見詰める男は冷酷で陰鬱な性質、大口をあけた男は自分を制御できない躁の性質、左端で侮蔑の表情を浮かべた男は病的に攻撃的な性質を示しているといわれている。こうしたサイコパスなキャラクターも現代映画において再現され、いろいろな名優が演じているのを私たちは見ている気がする。「羊たちの沈黙」でアンソニーが演じたのが、右上の性格、「バットマン」でヒース・レジャーが演じるのは左の性格ではないだろうか。こうしたレオナルドの習作を見ていくと、現代映画の演出方法やそのプロセスにあまりに似ている気がして驚く。実際にデッサンするのではなく俳優を使って、映画監督や舞台の演出家は、レオナルドと同じような思考プロセスを経て、作品に出てくるキャラクターのイメージを作り、顔の表情をつけていく。というよりも、人の顔を使って何かを表現しようとすれば、当然、レオナルド的思考プロセスを経ざるをえないのだろう。また、昨日も書いたレオナルド作の肖像画に見られる肩越しの視線は、その前後のモーションをつけるだけで映画のワンシーンに応用できそうだ。この「ある婦人の肖像画」では、暗い画面から、こちらを挑みかかるように見つめる女性の眼があまりに印象的だ(写真よりも実際のほうが、眼は異様なまでに輝いて見える)。彼女なども、まずは体の向きと同じ方向を見ていたのが、何かの拍子に首を動かし、肩越しにこちらに視線を向け、何かをあるいは誰かを睨んだ・・・ そんな一瞬の情景だ。かたくなで挑戦的な表情は、こちらと彼女の心理的な距離感を浮き彫りにする。レオナルドはこうした人間の感情を人物の顔の表情に端的に表現する。つまり、レオナルド・ワールドに出てくる役者は皆名優なのだ。その生き生きとした表現の原点ともいえるのが、この作品。レオナルドがまだ20歳をちょっと超えたぐらいのときに、修業していたヴェロッキオ工房が描いた「キリスト洗礼」図だ。この作品では、左下の2人の天使(左下に頭に「お皿」をのせたような少年がいるが、彼らが「天使」)のうち、向かって右側の正面を向いた天使は親方のヴォロッキオの筆によるものであり、背中を見せて何かささやいているような長い巻き毛の天使、それに背景の自然風景は、弟子レオナルドの筆によるものだと言われている。そして、自分よりも弟子のほうがうまいと知った親方のヴェロッキオがこの作品以降筆を折ったというエピソードも残っている。豊かな巻き毛、やわらかそうな頬、少女のような優美な表情… おそらく、この天使は、レオナルド作品のなかでももっとも美しいが、そのモデルは、少年時代のレオナルド自身だともいわれている。実際に同時代のヴァザーリの伝記によれば、ビンチ村から(ダ・ビンチとはイタリア語で「ビンチ出身の」という意味だ)出てきた若きレオナルドが、まずフィレンツェで衆目を集めたのは、その絵画の才能からではなく、その美貌ゆえだったと書いている。ところで、この2人の天使だが、何をしているのかよくわからない。正面を向いたやや表現の硬い天使を、左側の天使が抱き寄せているようにも見える。何かしら性的な雰囲気を漂わせているような印象を与えないでもない。この天使が何をしているのかは作品のテーマにとって重要ではなく、したがって、研究者も解答を出していないが、1つ言えることは、この作品以降、「何をしているのかよくわからない、そこはかとなく性的な天使のような脇役」がしばしば他の画家の作品にも登場するようになるということだ。ミケランジェロの「ドーニ家の聖家族」にも、背景に5人の裸体の少年が描かれている。彼らが何をしているのか、何を象徴しているのか、ミケランジェロ自身何も語っていないし、誰も答えを出していないのだが、天使の象徴であろうということを言う研究者はいる。左側の少年2人が抱き合って仲がよさそうであるのに対し、右側の3人は1人が他の2人に嫉妬して邪魔をしているようにも見える。だから左は「調和」を右は「不調和」の象徴だという説もある。だが、何にしろ、この裸の少年たちが非常に性的な印象を与えることは間違いない。ちなみに、右の中景に描かれた少年が洗礼者ヨハネであることは明確になっている。「ルネサンス期の絵なんて、古すぎてつまらない」と思うかもしれない。だが、この時代には、現代の映像表現の原点が間違いなくある。肩越しの視線のもつドラマチックな効果も、たとえばポートレート写真などに、しばしば応用されている。これは「ゴットファーザー」「太陽がいっぱい」で知られるイタリアの作曲家ニーノ・ロータの写真。このように肩越しのロータを撮ることで、彼の細く高い鼻が強調されている。いっておくが、ロータはいわゆる芸能人ではない。映画音楽の作曲家として知られるが、彼はアカデミックなクラシック教育を受けた作曲家で、オペラや交響曲も作っている。晩年はバーリで大学教授の職にも就いている。そ~ゆ~オカタイ職業の人のポートレートがこれ…。ほんと、イタリア人はとことん「美」にこだわる。
2008.01.31
その人の経歴や人物像を紹介するときに「プロフィール」という言葉を使う。この英語はどこから来たかご存知だろうか。実は、イタリア語のprofilo(輪郭とか横顔)から来ている。イタリアのフィレンツェあたりの美術館、たとえば名高いウフィツィ美術館に行くと、ルネサンス以前の古い作品に、「横顔」の肖像画がやたらと多いことに気づくと思う。それもそのはず、ルネサンス以前は、肖像画といえば「横顔」を描くものだったのだ。これはその人物の特徴を一番よく表わすのが「横から見た顔」だと考えられていたためだ。だからイタリア語で「肖像画を描く」という意味の言葉は、「profiloを描く」という。今では必ずしも横顔を描くものではなくても、そういう言い方をするのだ。肖像画=横顔だったのが、時代が下るにつれ、次第に正面から、あるいは斜め横から描かれた肖像画が増えてくる。そのきっかけになった芸術家は、レオナルド・ダ・ヴィンチだと言われている。日本にも来たことのある「白テンを抱く貴婦人の肖像」は、身体は正面ではなく、画面の左奥のほうに向いており、顔は逆に右前方のほうにひねって描かれている。光は右側から当たっており、女性の左半身はだから、半ば闇に沈んでいる。胸に抱いた白テンも、彼女と同じほうを見ている。まるで、「誰かがふいに部屋に入ってきて、そちらのほうを一瞬見やった」ような情景だ。こうしたドラマ性のある劇的な瞬間を捉えた肖像画は、レオナルド以前にはなかったものだ。こうしてレオナルドによって始められた「劇的な一瞬を描く」肖像画は、その後追随する画家たちによってさまざまな広がりを見せてアルプス以北にも伝わっていく。その頂点に立つのが、おそらく、17世紀のオランダの画家フェルメールの「真珠の耳飾りの少女 (青いターバンの少女)」だ。たった今、肩越しにこちらを振り向いたかのような少女の輝く瞳、半ば開い濡れた唇。そして耳にゆれる真珠のイヤリング。ここでは光は左後方から当たり、少女の顔の右半分と背中は半ば闇に沈んでいる。肖像画そのものは、写真の発明とともに、絵画の世界からは本来の意味を完全に失っていく。肩越しにこちらを見つめるというような顔の描き方も、絵画の世界ではとっくにすたれている。だが、実は映画の世界では、頻繁に引用され、使われ続けているのだ。何でもいい。美女の出てくるハリウッド映画の宣伝スポットをいくつか見てみれば、必ずといっていいほど、この「肩越しに視線を投げる」顔が使われていることに気づくと思う。完全に後ろを向いているものよりも、身体はやや画面奥のほう、あるいは横のほうを向いた状態で、首を動かして、顔だけこちらに向けるものが多い。このモーションそのもののもつ劇的な効果は、役者の顔を美的に見せるための手法として、映像世界では今も昔もかかせないものとなっている。「ブロークバックマウンテン」では、ジャック役のジェイク・ジレンホール(ギレンホール)の顔を美しく撮ることに相当力が入っている。「いや、ジェイクはもともとハンサムなのだ」とファンの人は言うかもしれない。もちろん、それはそうだ。だが、人の顔というものは、その人が一番美しく見えるアングルというのがある。リー監督はジェイクに関して、「典型的なアメリカンボーイで、ロマンチックな雰囲気がある」と言っている。そして、「ブロークバックマウンテン」でジェイクという役者のもつロマンチックな雰囲気をあますところなく表現したのは、通常使われるの「肩越しの視線」の劇的な効果ではなく、本来の意味の「プロフィール」だった。これほど、ジェイクの「横顔(プロフィール)」のカットが多い映画は、他にちょっと思い当たらない。しかも、それはほとんど決まってイニスとの愛の場面で効果的に使われている。もっとも印象的なのは、2人が衝動的な関係をもった翌日のエピソード。羊の群れを遠くに見つめながら、ジャックが足を投げ出し、肘をついて、半身を起こしているところに、イニスがやってきてすわり、「あれは一回だけのことだ」と言う。それに対して、ジャックは、「他のヤツらは関係ない。俺たちの問題だろ(字幕では「2人だけの秘密だ」とロマンチックな訳になっていた)」と答える。映画では、イニスの台詞の直前に、ジャックがイニスを一瞬見やり、それから何か言葉を待つように視線を伏せる。イニスが「あれは一回だけのこと」と言うときには、その顔はほぼ後ろから撮られ、頬の一部が見えるだけで、表情は見えない。次のジャックの台詞まで台本では何のト書きもないが、実際の映画では間があり、ジャックは少し傷ついたように目を伏せたまま頷くような仕草を見せる。それから上の台詞が来る。このシーン、ジェイクがうつむいて台詞を言い、それから次のイニスのジャックの「俺はホモじゃない」「俺だって違う」の台詞のあとにジャックが少し目を視線をあげるまで、ずっとジャックは伏目がちの「横顔」のアップになっている。また、2人が4年ぶりに再会して、イニスがジャックを壁に押しつけてキスするシーンでも、壁のほうに押されていくジャックは横顔のままで、「何をするんだ?」と言いたげに、少し驚いている。それから、イニスの熱烈なキスでジャックのほうにも火がつき、今度はイニスを壁のほうに押しつける。この尋常ならざる2人の姿をイニスの妻が上から目撃する。そのあとカメラが、2人のアップに戻り、イニスが周囲をひどく気にし始める場面でも、ジャックは「横顔」で、まだイニスを求めており、明らかに性的に高揚しているように見える(ジェイクという人は、どんなエキセントリックなシーンを演じても、「本当に」見えるからコワイ)。それから、そのまま2人がモーテルに行き、ベッドで半身を起こしてもたれあっているシーン。ジャックがやさしくイニスを抱いている。最初のアップではジャックはイニスのほうを向いていない。次にジャックは首をひねって、完璧な「横顔」になり、イニスの耳元に「4年ぶりだな」と、睫毛をしばたたきながら、うれしそうにささやく。次に、ジャックの4年間についての長めのモノローグが入る。その「語り」の間、ジャックはタバコを吸いながら、ほとんど伏目がちなのだが、首だけはときおり右へ左へ動かしている。そして、もっともロマンチックな台詞、「マジで、またこんなふうになるなんて思っていなかった」「いや、本当はこうなるってわかってた。だからできるだけ速く来た」という場面。2番目の台詞の直前に、また首を曲げて「横顔」になり、イニスの耳元に甘く語りかける。横顔のまま、ささやきながら微笑み、目も微妙に動かし、最後に目を伏せている。このように、イニスとのロマンチックで感傷的な場面では、必ず「横顔」が印象的に使われる。最後の逢瀬で、「俺はやっぱりお前が恋しい」というシーンまで、それは一貫しており、山での最初の夜に、ジャックがイニスに「仕掛ける」場面でも、ジャックの顔はほとんど「横顔」。そして翌日。「あれは一度だけのこと」と言ったその夜に、結局イニスはジャックが上半身裸で待っているテントにやってくる(前日の夜は「凍えるほど寒い」って言って2人で寝袋に入ったハズのに、なんでその翌日の夜、ジャックはさっさと1人で「脱いで」いるのだ?? あのお、寒くないんですか? と思わず突っ込みたくなる・笑。ま、寒くなかったんでしょうね、山の天気は変わりやすいしね)。ジャックがイニスの気持ちを確かめようとするところでは、ジャックの真剣な目がクローズアップされ、その場面ではジェイクの顔はほぼ正面から撮られるのだが、それから2人が横たわり、イニスがジャックを求めてくるのを、ジャックがやさしく抱いて受けとめる場面では、やはりジャックは「横顔」を見せている。また、4年ぶりに再会して、そのまま山へ行った夜、ジャックがイニスに、「なあ、ずっとこんな風に暮らせる方法がある」と夢を甘く語るところも、伏目がちの、ほぼ横顔。だが、イニスに「それはできない。俺に考えられるのは、たまに会うことぐらいだ」といわれ、「たまに?」「4年に一度かよ?」と、ムッとする場面はほぼ正面からのカットで、ジャックの怒りが目に表れるのが、よくわかるようになっている。イニスと一緒に住むという夢が、どうしてもかなわないと悟ったときに、ジャックはメキシコの男娼街に慰めを求めに行ってしまうのだが、道で立っている男娼の1人に声をかけられ、彼を見つめて頷く場面では、顔のカットは斜めから撮られ、このときのジャックは少し虚勢をはるように顎をあげ、空虚で、親しみのこもっていない視線で彼を見つめている。また、牧場をやっている男性に「週末、別荘に2人で行かないか」と誘われる場面。台本には「ジャックが答える前に、2人の妻が出てくる」と書いてあるだけだが、誘われたジャックの顔が、斜めやや上方から少しの間アップになる。そのときのジャックの表情はなんともいえない。とまどったように何度もまばたきをしながら、だが、誘いをかけている男のほうは見ない。明らかに喜んではいない。だが拒否してもいない。ジェイクという人は、目の演技が素晴らしい。喜怒哀楽をすべて巧みに表現できる役者というのは、実はそんなにはいない。怒るシーンにリアルがある役者は、たいてい喜んでいる演技はわざとらしくなる。哀愁を表現できる役者は、逆に心から楽しんでいる様子が出せないことが多い。ところが、ジェイクはこの喜怒哀楽を、どれも「本当」に見えるように演じることのできる稀有な存在だ。あの若さで…、本当に信じられない。自分の感情に素直なジャック役は、まさにハマリ役だろうけれど、それに加え、撮る側がイニスへのロマンチックな想いをこめるシーンで、ジェイクの「横顔」を多用したことが、より映画の印象を強め、ジェイクを美しく見せたと思う。カメラマンのアドバイスなのか、監督の意思なのか、よくわからないが、お見事としかいいようがない。<明日へ続く>
2008.01.30
そして、もう1つ、リー監督作品の大きな特徴は、ラストシーンに常に「余韻が残る」ということだ。まるで寺社の鐘をついたあと、残音が長く空中に尾を引いているようで、極めて東洋的な中庸の精神を感じさせる。彼の映画はほとんどが、救いのようない完全な悲劇で終わることはなく、といって典型的ハッピーエンドもない。自分の価値観やメッセージを積極的かつ明示的に見るものに押しつけるのではなく、観客の解釈と想像力にその後をゆだねる「間」を残したまま、物語の幕が閉じる。これはあらゆるリー作品に共通しており、おそらく新作「ラスト、コーション」でも変わらないのではないかと思う。だが、実は個人的にはリー監督の作品には、映像や物語作りが巧みであればあるほど、ある種の「苛立ち」を感じることがある。繰り返し強調するが、「ブロークバックマウンテン」は、映画作品として、よくできている。できすぎている。それは間違いない。だが、「宗教的タブー」がテーマといいながら、実際には観客は別のものに感動し、明らかに違うものに感動させるように作っている。そのあたりに何か「ずるさ」といっては大げさだが、「甘さ」を感じないでもないのだ。その甘さこそ、大衆を惹きつけるリー監督のロマンチシズムなのかもしれないが。リー風ロマンチシズムに何の疑問もなく耽溺できるタイプなら、作品に何も文句はつけないだろう。だが、Mizumizuのようなひねくれた人間には、リー監督の仕掛ける「甘やかな罠」に、簡単にとらわれたくはないというジレンマがあるのだ。これは「グリーンデスティニー」でも感じたことだ。白い衣をまとい、緑の竹林を妖精のように飛び回る男女2人の武侠の動きは、それこそ子供のころに見た夢のように美しく、視覚的には感動するが、それをここまでストレートに見せられると気恥ずかしくなる。大の大人がこんなシーンで喜んでいいのかな、などと思ってしまうのだ(実際には、相当喜んで見てしまっているのだが)。戦いながら互いの見つめる男女の顔のカットもあまりに美的すぎる。「戦っている」というよりも「魅了しあっている」という感じだ。ぶっちゃけ、少女漫画のカット割りのようなのだ。リー作品では常に、感動してしまいたい自分と、こういう内容であからさまに感動してしまっていいのか、と問う自分がせめぎ合う。こうした混乱をMizumizuの中に引き起こす監督はアン・リーだけだ。ブロークバックマウンテンにもっとも感情移入するのは、社会的に抑圧された同性愛者では、おそらくない。だからこそ、アメリカのゲイコミュニティの一部から「自分たちの本当の姿は、なんらすくいあげていない」と批判がでる一方で、一般の多くの観客を集め、大ヒットしたのだ。社会的マイノリティの代弁をした映画で、ここまでの興行成績をあげることは不可能だ。また、キリスト教的価値観に対するアンチテーゼでもない。あくまでも、そうした社会に生きる「人間」の人生を見つめた、感覚的なラブストーリーなのだ。それでいながら、ありきたりの通俗性に陥らないところが、リー監督の円熟した表現者としての手腕であり、あまたの映画賞が証明する、批評家からの高評価には違いないのだが。そうしてみると、やはりリー監督にとってもっとも重要なテーマは、人生、そして愛であり、「宗教的タブー」や「民族的タブー」は、それを語るためのとっかかりないのかもしれない。ブロークバックでジャック役を演じたジェイク・ジレンホール(ギレンホール)も、「愛を語らせたら、彼以上の人はいない」と言っている。「ラスト、コーション」はまだ見ていないが、民族的タブーに挑んだといいながら、たとえば中国本土から香港へ、ノーカット版の「ラスト、コーション」を見に中国人が押し寄せたのは、歴史に翻弄された同じ民族の人間が、その時代に自分の生き方をどう選択したか見つめるためではない。激しいラブシーンが目当てなのだ。こうした観客の好奇心と通俗性をうまくくすぐる術をあまりにリー監督という人は熟知しすぎている気がする。この新作もベネチア金獅子賞に輝き、ヨーロッパでの評価は高いが、肝心の「その歴史を体験したはずの」中国や、同じく抗日運動の歴史をもつ韓国からは、テーマそのものがよく描けているか否か、登場人物の生き方をどう考えるかという批評より、ラブシーンがカットされたとかされないとかといった話題ばかりが伝わってくる。中国本土ではそもそも、最初からこうしたテーマの映画が、ズタボロにカットされることはわかっていたが、そのとおりになった。カットされてしまったら、正当なテーマの評価は誰もできなくなってしまう。中国政府はいい加減にしてほしい。自分は中国人であるというアイデンティティを強くもつ世界的監督の作品が、中国本土でマトモに上映されないなんて状態はあまりに不自然だ。「売国奴を美化している」という批判はかまわないのだ。だが、「だからカット」してはいけない。リー監督の母国、台湾での評価はあまり伝わってこないが、台湾はもともと親日的だから、中国本土や韓国の観客とは受け止めかたが違うだろう。その一方で、「ラスト、コーション」も、前作ブロークバックと同様、多くの観客を集めている。「ブロークバック」が、「友情から秘密へ」「これは普遍的な愛がテーマ」と言って2人の成熟した男性の性愛の世界をきれいなオブラートに包んだのとは逆に、「ラスト、コーション」では、戦争にからめた民族的タブーという大きなテーマがあるはずなのに、2人の男女の扇情的な濡れ場ばかりが宣伝に使われている。こういうのを見ると、一般ピープルの通俗的な願望を見抜いたうえでの制作サイドのあからさまな戦略を見るようで、そこにまた、なんとなく「苛立ち」を感じてしまう。以前日本で「有名女優を脱がせるために、文芸作品をやたらと映画化した」みたいな時代があった。あれに似たものを感じるのだ。映画館に行ったら、若い美人のハダカ目当ての中年のおっさんがやたら多いんじゃないか…とかね。とはいっても、映画は見てみなければわからない。なにしろ、ブロークバックも最初、「ゲイのカウボーイの映画ぁ? ちょっとなあ…」と思ったのが、皆が「いい、いい」と言うので見てみたら、期待以上の「驚愕的完成度」だったのだから。女スパイが敵に心を奪われるという、それだけ聞いただけでは見る気にもなれないあまりに通俗的な「ラスト、コーション」の設定を、どう通俗的でなく見せるのか、リー監督の手腕が楽しみだ。XXXヒースのその後XXXXところで、イギリスのメディアも、「ヒースの死因はオーバードーズではないかもしれない」と伝え始めた。体内からは致死量には到底およばない毒しか検出されなかったとのこと。また、ロスでナオミ・ワッツやミシェル・ウィリアムズ(娘のマチルダも)、それにヒースの家族が参列した、内々の葬儀が行われたあと、ヒースの遺体はどうやらオーストラリアのパースに向けて出発したらしい。パースでは公的な葬儀が行われるようだが、詳細はまだ未定。
2008.01.29
日本では、「睡眠薬を過剰摂取したと見られる」で片付けられてしまった感のあるヒースの死因だが、アメリカのメディアではまだまだ引っ張られている。毒物検査を行ったにもかかわらず、原因はいまだ不明で、一部には死に至るほどの毒物が体内から検出されなかったため、「自然死の可能性もある」と書いているメディアもあった。26日付けFOXnews.comによると、ヒースの葬儀の詳細は、まだ明らかにされていないという。また、オーストラリアの外務大臣が、遺体を母国に搬送する際には、要請があればオーストラリア政府が全面支援すると話したらしい。国賓級の扱いだ。オーストラリアに帰ったら、また大変な騒ぎになるのだろう。<きのうから続く>また、原作の2人の孤立と孤独を暗示する部分が、映画ではせつなく、ロマンチックなゆるし合いの場に変わっている場面として、春先の最後の逢瀬の2人の別れのシーンがある。最後の最後になってイニスが「次は11月まで会えない」と言い出し、8月に会うつもりでいたジャックは激しく落胆し、2人は言い合いになる。原作では、ジャックが「いっそ別れられらいいのに」と口にしたとたん、イニスは「まるで心臓発作を起こしたように」膝をつき、その場に倒れこんでしまう。それを見たジャックが驚いて駆け寄ろうとする。だが、ジャックが助け起こす前に、イニスは「自分で」立ち上がっている。映画の台本では、「いっそ別れられたらいいのに」と言われたイニスが、ふいに涙をこぼしながら、「じゃあ、何でそうしないだ? どうして俺をほうっておいてくれないんだ。ジャック、お前のせいで俺はこんなふうになった。今の俺には何もない。行き場もない(映画の字幕では「俺は負け犬だ」となっていたが、それは若干ニュアンスが強すぎる)」と言う。それを聞いたジャックが近寄ろうとするが、「来るなよ!」と、一瞬イニスは背を向ける。だが、ジャックはさらにイニスに近寄り、今度はイニスも逆らわない。「こっちへ来い。いいから、もういいよ、イニス」。映画ではここでジャックは強く、やさしくイニスを抱きしめている。原作ではジャックの言葉に衝撃を受けながら、イニスは結局自分1人で黙って立ち上がるのに対し、映画ではジャックがイニスをなだめ、抱擁することで、お互いの「どうにもならなさ」をゆるしている。そして、そのあとに美しい追想のシーンが突然入ってくる。若いころのブロークバックマウンテン。2人が関係をもつ前のエピソードで、羊番を交替したイニスが、夕食を食べて出かける前に、火の前で立ったままウトウトしているジャックを後ろから抱擁し、ちょっとしたやさしい言葉を呟いたあとに、「じゃ、また朝会おう」と言い残し、馬に乗って出かけていく。それをジャックが半ばまどろんだような、うっとりとした表情で見送る。映像では、ジャックのイニスに対する思慕の芽生えと未来への期待感を暗示した場面のように見える。だが、原作にはそこに、どうにもやるせないジャックの心情が書き添えられているのだ。「イニスが自分を正面から抱こうとしなかったのは、彼が抱いているのが自分だということを見たり感じたりしたくなかったからだということはわかっていた」。つまり、原作では、ここでジャックはイニスが自分をどこかで拒否していることを感じているのだ。だが、映画のこの場面は、せつなく美しく、だが唐突で曖昧で、観客がそれぞれ自由に解釈できるようになっている。そして、夢見るようにイニスを見送る若いジャックの表情がアップになったあと、それが、中年になったジャックの厳しく寂しい、そして何かを決心したようにも見える顔にとってかわる。視線の先にあるのは、去っていくイニスのトラックだ(実際、物語の断片をつなぎ合わせると、このあとジャックは実家に行き、「別の男」と牧場をやる、と父親に話すことになるのだ)。ロマンチックな余韻からつらい現実へ、瞬く間に移るこうした映像表現の秀逸さは、アン・リー監督の真骨頂だろう。イニスの抑圧は、父が取った行動によるトラウマが原因だが、これは2人の住む世界を支配しているキリスト教的倫理観に絡む問題で、実際にジャックが山でふざけて歌うのは賛美歌だし、イニスとの会話にもキリスト教のどの宗派か、などといった話題も出てくる。だが、宗教に絡んだ精神的抑圧に関してはアメリカとヨーロッパでは若干見方が違う。アメリカでこれをもっぱら社会的な問題として捉える傾向があるが、ヨーロッパではこれは哲学的な問題だ。どういうことかというと、宗教的価値観から生まれた差別意識が社会を支配し、差別対象になった「価値観から外れた人」を外側から抑圧しているという考え方がアメリカ的であるのに対し、宗教的価値観が人々を深く支配し、それがときにゆがんだ極端な形となってある集団や家族や個人を、内側から抑圧するというのがヨーロッパの哲学的思考だからだ。実際、同性愛的な傾向の色濃いヴィスコンティ監督の作品の登場人物たちは、常に自分を内側から縛っているものと葛藤している。イニスの抑圧は、ヨーロッパの知識層が共通した素養としてもっているキルケゴール哲学における「絶対不可能なこと」に近い。キルケゴールは若い頃、ある女性を愛し、求婚している。ところが実際に結婚が間近にせまると、「人生には絶対不可能なことがある」といって一方的に破棄している。相手は当然なかなか納得せず、紆余曲折があるが、結局別の男性と結婚する。キルケゴールはだが、その後も彼女を愛し、自分の財産を彼女に譲ると遺言を書き、彼女より先に亡くなる。この不可解な婚約破棄の原因は諸説あるが、キルケゴールの父親が非常に信心深く、「自分は神の怒りをかった人間。だから、自分の子供はキリストより長くは生きられない」と信じこみ、それを子供たちにすりこんだ結果、キルケゴールは短命である自分が人並みの結婚をし、相手を不幸にすることは許されないのだという考えにとりつかれ、どうしてもそこから逃れられなかったという説が一般的だ。これはイニスがもっている「男同士で住むなんて、問題外」というすりこみに極めて近い。同性愛者であることが周囲に知られれば、タイヤレバーで殴り殺されることになるというすりこみから、イニスはついに自由になることはできなかった。そうしたすりこみを持たないジャックに、何度「一緒に暮らせば、幸せになれる。牛や羊を飼って、俺たちの本当の人生が送れる」と言われても、イニスはタイヤレバーの恐怖から逃れられない。イニスにとって、男同士が一緒に住むことは、破滅なのだ。これはイニスを内側から抑圧する力の強さを示している。原作では、だから、そうやって自分が守ろうとしたジャックを、むざむざ路上で死なせたジャックの妻に対して、イニスは怒りを覚えている。徹頭徹尾、イニスにはジャックしかないのだ。映画とはそこが大きく異なっている。「ブロークバックマウンテン」は、ヨーロッパでは英国アカデミー賞、ベネチア金獅子賞などを獲得して最高級の賛辞をもって迎えられたが、当のアメリカでは、米アカデミー賞作品賞を人種差別問題を先鋭的に扱った「クラッシュ」に譲っている。これはヨーロッパではイニスのトラウマを哲学的問題としてとらえ、それを巧みに扱った作品として評価したのに対し、アメリカではそうした視点で作品を見る姿勢が欠けていたからだと思われる。アン・リー監督はもともと、積極的社会派でもなくリアリズム追求派でもない。人生に対する哲学的思索を、研ぎ澄まされた美的感覚で切り取った映像の中に織り込むタイプだ。「ハルク」のような娯楽作品においてさえ、ややエディプス的な哲学論を作品に含ませようとして、これは明らかに失敗している。<明日に続く>
2008.01.28
ハリウッドのエンターテインメントニュース(ゴシップネタが主だが)を流す25日付けのTMZ.com で、NYのFrank E. Campbell葬儀教会からヒースの遺体が運び出される映像が流れた。TMZ.comによると、周囲は報道関係者や野次馬やファンで騒然となり、ジョン・レノンやマリリン・モンローのときのことを思い起こさせる情景だったという。ちなみにヒースの父はNYにいるはずだが、この日の葬儀には姿を見せなかったという。週末にロスで身内だけの葬儀があるらしい。ヒースはオーストラリアのパースに埋葬されるとのこと。<ここからきのうの「ブロークバック」ネタの続き>さて、脚本家2人の語ったところによれば、もともとが短編小説であるため、原作のあらゆる場面をほぼもれなく入れたにもかかわらず、最初に完成した脚本は、予定の半分の量にもならなかったという。そこで、原作にはほんの少ししか出てこないイニスの娘(2人いるが主に長女)と第二の女性(映画ではキャッシーと名前があるが、原作では名前さえ出てこない)との交流を大幅に膨らめて挿入したのだという。脚本家は男性と女性だったのだが、女性たちのエピソードはもっぱら男性脚本家が担当し、イニスとジャックの心情を表わすパートは逆に女性脚本家が手がけたという。女性脚本家自身、「私のほうがイニスとジャックの感情をすぐに理解できた」と言っているのは面白い。プロデューサーは、「この作品では女性が重要な役割をもっている」と語っている。イニスの性格に起因する物語の悲劇的な側面を際立たせるのが、イニスを取り巻く女性たちだということだ。これは単に「長さ」だけの問題ではなく、「ブロークバックマウンテン」をマイナーなアート作品に留めずに、商業ベースにのせて幅広い観客に見てもらいたいという制作者側の意図があると思う。「原作の要素はもれなく入れた」と言いながら、実はイニスのジャックに対する性的な欲望は大幅に削られている(逆は、ほぼ忠実に反映されている)。原作では最後にイニスがジャックの夢を見ているが、それは若いころの2人で、しかもその夢は豆の缶から突き出したスプーンの「柄」だとか、それが「丸太」の上でバランスを取っているとか、明らかにフロイト的な性的メタファー(暗喩・隠喩)に彩られ、「スプーンの柄は(同性愛者に対するリンチ殺人に使われた)タイヤレバーにも使えそうにみえる」と、性的なイメージが死のイメージにつながっていく。映画のイニスはジャックの夢など見ておらず、娘と会って結婚式に出る出ないの相談をしている。原作では離婚したイニスと娘の会話は一切なく、養育費を払っているらしいことが間接的にわかるだけ。だが、逆に映画では長女との心の交流を通じて、イニスがジャックとの愛の生活を犠牲にすることで築いてきた何かがあることを見るものに印象づけ、いくばくかの救いと、そしてなにより、「同性愛にまったく感情移入できない人々」からの共感も得ることに成功したと思う。それは、あらゆる男性の内に「ジャック」はいなくても、「ブロークバック山」はあるからだ。男性は特に年を重ねるにつれ、「あのころ」の「あの場所」へのノスタルジーが強くなる。結婚をし、子供をもうけても、年に一度か二度、そうしたシガラミから逃れ、どこか遠いところに行って狩りや釣りを楽しむというシチュエーションは、ほとんどの男性の琴線に触れる。そこが、実際には自分にありもしなかった、ようようたる前途があると信じていた若い頃の思い出につながっている場所ならなおさらだ。オトコとヤるために山に行く、なんてのは一切受けつけられないとしても、映画の中でイニスとジャックが馬で歩き、テントを張る山の自然の繊細さと壮大さを兼ね備えた美しさは、憧れを掻き立てるにあまりある。実際、この映画の最大の魅力は、もしかしたら風景の美しさ(正確にいえば、「美しく撮られた風景」)ではないか、と思わないでもない。そうした観客の心情を見越したように、作品ではイニスとジャックの性愛の描写は、最初と再会のシーンがもっとも激しいだけで、物語の重要な要素として何度も繰り返されることはない。30代後半になった2人の最後の逢瀬でもまったく描かれていない。映画では2人が静かに並んで座り、雪の残る山を見ながら語り合うお互いの「嘘と真実のないまぜになった」近況も、原作では肉体的なカラミに発展するなかでの会話になっている。つまり、原作ではイニスとジャックが会うのは、あくまで情事のためなのだ。だが、山に行くたびに2人のオトコがヤっているのを映像で見せられたのでは、多くの普通の観客はドン引きになってしまう。キャッシーとのエピソードならば「引く」客はほとんどいない。もしかしたら、もう一度やり直せるかもしれないチャンスが来て、それが彼女には言えない「秘密」のために結局はうまく行かないという展開は、一般的な観客にとっても簡単に感情移入できる。こうしたジャック以外の女性との関わり合いが醸し出すやるせない人間味も、この映画が広くヒットした一因になったことは確かだが、逆にイニスのセクシャリティを曖昧にし、観客が抱くイニス像に混乱をもたらした面もあると思う。<文字制限をオーバーしたので続きは明日>
2008.01.27
ヒースの訃報に関して、現在来日中のアン・リー監督の言葉をネット上のメディアに見つけた。25日付けのSANSPO.comによれば、24日の新作「ラスト、コーション」ジャパンプレミアで、「非常に悲しい思いでいっぱいです」と言葉少なに話したという。さて、アマゾンで入手した「Brokeback Mountain Story to Screenplay」。原作(Annie Proulx)と台本(Larry McMurtryとDiana Ossana)が1冊にまとまったスグレモノだ。映画「ブロークバックマウンテン」は原作に非常に忠実だという話だったが、実際に読んでみると、原作にはないエピソードがかなり追加される一方、原作にははっきり書かれている部分が削除されたり、明らかに意図的に薄められたりしている。「追加された」エピソードはもっぱら、アルマと離婚した後のイニスの娘(特に長女)との交流、それに離婚後に交際した女性キャッシーとの関係に集中している。映画では、長女が母と離婚したイニスに、「パパと一緒に住んで面倒を見てあげたい」と言ったり、結婚式に出て欲しいと頼みに来たりする。ところが、原作にはこうした場面はいっさいないのだ。定期的に娘と会っているらしいことは間接的に書かれているが、長女がイニスに同居を申し出たり、結婚式に招待したりするエピソードはない。つまり、映画で最後に娘が訪ねてくるシーンは、「追加された」もので、原作にはもともとなかったのだ。キャッシーにいたっては、名前すら出てこない。映画ではキャッシーとの出会いがあり、交際が進んで娘に会わせ、その後破局に至るまでのエピソードが具体的に描かれているのだが、原作におけるキャッシーらしき女性は、ジャックとイニスの最後の逢瀬で、2人が情事の間に語り合う「嘘と真実」がないまぜになったお互いの近況の話にちらりと出てくるだけ。キャッシーという女性と付き合ったということさえ、「嘘」なのか「本当」なのかわからない。最後の「I swear…」だが、これは原作どおり。だが、その場面に至るまでの話が違っているのだ。原作では、イニスの頭には、最初から最後までジャックのことしかない。原作はまず、家族もジャックも失い、中年になったイニスが1人で朝目を覚まし、その日の夢にジャックが出てきたことで幸福感を味わっているところから始まる。そして、最後はジャックの実家から戻ったイニスがブロークバック山の絵葉書を買いに行く。そして、それを貼り付けて、1つになった2人のシャツを見つめて、「I swear…」と呟くのだ。「I swear…」の次に何を言おうとしたのか、という映画を見てのMizumizuの疑問は、原作では疑問にはならかなった。というのは、一番の「つながらない」と感じた、結婚を控えた娘とのエピソードが原作にはないからだ。カットされたシーンがあるからではなく、追加されたエピソードがあったから、うまくつながっていないと感じたというわけだ。思い出のブロークバック山の写真を貼りながら、「I swear…」と呟くだけなら、なんとなく言いたいことはわかる。「ブロークバックでのことは忘れない」とか、あるいは「俺にはお前しかいなかったし、これからもいない」とか、そうした気持ちだろう。ちなみに、映画は「I swear…」で終わるが、原作は以下のようにまだほんの少し続きがある。XXXX「ジャック、誓って…」と、イニスは呟いた。もっとも、ジャックはイニスに何かを誓わせようとしたことなど一度もなかったし、ジャック自身誓いを立てるようなタイプではなかったのだが。そのころから、ジャックがイニスの夢に出てくるようなった。それは彼が最初に出会ったころのジャックで…(以下、出会ったころのジャックの容貌の描写とイニスの夢の具体的な記述が続く)XXXXそして、原作は、次のようなやるせない文章で終わる。「イニスが知ってしまったことと、信じようとしたことの間には少し隔たりがあった。だが、それはどうしようもないことだった。自分でどうにもできないのなら、ただ耐えるしかない」。ここでいう「イニスが信じようとしたこと」とは、明らかに、(自分にとってそうであったように)ジャックにとって自分が唯一の男性だったということであり、「知ってしまったこと」とは、ジャックは現実には、自分以外の男性と関係を持っていたということだ。原作のラストシーンでは、イニスは自分の願いと現実の「隔たり」に1人で耐えている。だが、映画ではこうしたイニスの心情は大幅に後退し、「信じようとしたこと」と「知ってしまったこと」について掘り下げることもない。ジャックの死因についても曖昧なまま、同性愛を忌み嫌う近隣住民のリンチで死んだのか、あるいはジャックの妻が主張するように事故で死んだのか、はっきりわからない展開になっており、ただ「ジャックが突然死んでしまった」という深い悲しみと喪失感の中で、彼への愛をイニスが確認するシーンで終わっている。原作では、ジャックがどんなふうに死んだのかを現実の出来事として書いてはいないのだが、リンチ殺人であることを非常に強くにおわせ、少なくともイニス自身はそれを確信していく展開になっている。伏線は、ジャックとイニスの最後の逢瀬で語られた「嘘と真実のないまぜになったお互いの近況」にある。ジャックはそこでイニスに「自分は牧場主任の妻と不倫関係にある」と告白している。ジャックが自分以外の男性を関係をもったとしたら、ジャックを「殺してしまうかもしれない」と激怒するイニスだが、ジャックが女性と関係をもつことにはまったく嫉妬しない。実はこの「牧場主任の妻」は嘘であり、ジャックが関係をもっていたのは「牧場主任の男」のほうなのだ。それは、イニスがジャックの死後、実家をたずねていったときに明らかになる。原作では、ジャックの父は明らかにイニスに敵意をもっている。「あんたの名前は、生前ジャックからよく聞いていた」。ジャックとイニスの関係に気づいているのだ。そしてジャックが生前望んでいた「ブロークバックへ遺灰をまく」ことはしないと言う。イニスもジャックの父に反感をもっている。ジャックがイニスに、子供のころ父から受けた虐待について話していたからだ(この虐待体験は映画ではすっぱり削除されている)。そして、父はイニスに、「だが、最近ジャックは別の男の名前を言った」と教える。それが近所に住む牧場主の男であり、ジャックは長年のぞんでいた「イニスと牧場をやる」という夢を諦め、別の男と牧場を持つという新しい夢を持ち始めていたのだ。父の言葉で、イニスはやはりジャックは同性愛が周囲にバレて、リンチで殺されたのだと確信する。イニスがずっとジャックと一緒に住むことを拒否してきたのは、幼いころ、自分の父親が近隣の同性愛者に凄惨なリンチを加えて殺し、その死体を「教育のために」イニスに見せつけたという重い体験がトラウマとなっていたからだ。映画でもこのとおりの展開で、このとおりの会話が交わされるが、イニスのジャックの父への反感はまったく表現されず(虐待の話がないのだから反感をもちようがない)、「別の男」の存在を知ったときのイニスの衝撃もほとんど感じられないまま、さらりと流れて、そのあとイニスが1人で2階に行って、「2つの皮膚のように重なった(原作の表現)」ジャックとイニスのシャツを見つけるシーンにつながる。イニスはその自分のシャツをブロークバックに忘れたとばかり思っていた。だが、実はジャックが黙って持ち帰り、「自分のなかにイニスがいつもいるように」1つにして、クローゼットにしまっておいたのだ。映画では、このシーンは、きわめて念入りに、長々と、最大限感動的に描かれている。リー監督自身も、このシーンの重要さについて語っている。「自己否認ばかりしていたイニスは、重なった2人のシャツを見て初めて、『自分たちは愛し合っていたのだ』ということに気づくのです。自分にとって何が大切なのか、認めようとしなかったイニスが、最後にひとりぽっちで孤独な生活を送っているのは当然の結果。幸せな人生を送ろうと思ったら、イニスのように大切なものを見失ったまま生きてはいけない」。リー監督はこのことを強く観衆に訴えかけたかったのだ。クローゼットに隠されたシャツをイニスが抱きしめるシーンの直前に、イニスがジャックの死因について確信したり、別の男性の存在を知って衝撃を受けていたりしては、肝心の感動的な場面の印象が弱くなってしまう。だからあえて、その前の部分は淡々と流したのだろう。台本を見ると、父から別の男性の名前を聞いたときのイニスは「真っ青になる」とある。だが実際の映画では、ここでのイニスの表情は明らかに、あまり強調されていない。衝撃を受けた様子を描きたいなら、アップにするとか、もっと目を見開くとか、演出の方法はいくらでもある。また原作では、ジャックを路上で死なせた彼の妻への怒りや、ジャックを辺鄙な土地に眠らせたくないというイニスの反発も描かれている(つまり、イニスはジャックをブロークバックに連れて行きたかったのだ)のだが、映画にはそうした心情を暗示するような表現はいっさいない。それが最初のMizumizuの「曖昧な印象」につながったのだと思う。だが、リー監督のメッセージを聞くと、演出の意図が納得できた。映画で何をもっとも伝えたいかは、監督の人生観や世界観ともかかわっている。あまりにいろいろな要素をゴチャゴチャと詰め込むと、メッセージ性は弱くなる。アン・リー監督は「映画は小説のような心理描写ができない。あくまで視覚で表現する世界」とも言っている。確かに、彼は、「説明的な台詞」を好まない監督だ。台本の書き直しを頼むことも多いと聞く。この監督の作品には、ナレーションでつないだり、長々としたモノローグで心情を説明したりということがほとんどない。そのかわり、さりげない台詞に余韻をもたせ、卓越した視覚的な描写で物語を展開させる。色彩や照明効果、風景とセット、人物を撮るときのアングルを含めた映像のロマンティックな美しさは、「ブロークバックマウンテン」だけではなく、リー監督作品に共通している。何かを美しく見せようとしたとき、どこをどう引き算し、何を強調するかが、表現者の腕の見せ所だ。「シャツを抱きしめて涙するイニス」のシーンは、視覚的にもっとも感動を誘う場面であり、監督はそれを生かすために、台本にはあったニュアンスをそぎ落としたのだろう。このように監督によって弱められたのであろう要素のほかに、脚本家によって明らかに意図的に曖昧にされたイニスの性向もある。<明日に続く>
2008.01.26
ヒースの急死について、日本のネット上のニュースサイトでも詳しい情報が流れ始めた。CNN日本語版によると、23日の検視でも死因は特定されず、死因が判明するまでにあと10~14日かかる見通しだという。お昼のABCニュースでも同様のことを言っていた(そして、またも「ブロークバックマウンテン」でイニスに扮するヒースの映像が流れた。ほかの作品もちょっとぐらい紹介してあげたらどうなんだろ?)。さらにCNN日本版を読むと、女性マッサージ師は22日午後2時45分ごろヒースの自宅を訪れたが、15分たってもヒースが姿を見せなかったため、ヒースの寝室に入り、意識不明のヒースを発見したとある(警察関係筋の話)。家政婦のほうは、22日午後12時半頃にヒースの自宅に到着し、午後1時頃にバスルームの電球を交換した。その際にヒースは、ベッドでシーツをかぶってうつ伏せ状態で寝ており、いびきをかいていたという。昨日読んだ英語のニュースでは意識不明のヒースを発見したのは家政婦とマッサージ師の2人だと書いてあったが、CNN日本版ではマッサージ師が1人で発見したように書いてある。単に一緒に家政婦がいたことを省略してあるだけかもしれないが。日本の新聞は「睡眠薬の過剰摂取だとみられる」とほぼ決めつけたように書いているが、薬物の種類についてはアメリカのメディアはずっと慎重だ。昨日は「処方薬」としか情報がなかったが、今日付けのFOX News.comには睡眠薬、精神安定剤、抗ヒスタミンを含む6種類の処方薬が見つかったとあった。ヒースが主演を演じた「ブロークバックマウンテン」のアン・リー監督は、新作「ラスト、コーション」のPRのために今日本に来ている(なんというタイミング…)。リー監督によれば、「ブロークバックマウンテン」と「ラスト、コーション」は、前者が宗教的タブー、後者が民族的タブーを描いたという意味で姉妹のような作品なのだという。さて、その宗教的タブー作品の主役が、自身の声の役作りについて語った番組を昨日ご紹介したが、http://www.youtube.com/watch?v=fkOpJsdjrEU3:48から5:35のエレン氏とヒースの会話はざっと以下のとおり。XXXXエレン:まず最初に、イニス役でもジャック役でもいいと言われて、あなた自身がイニス役を選んだと聞いたんだけど、なぜイニスを演じることにしたの?ヒース:えっと…エレン:それと、なんでイニスはあんなふうに喋ってたワケ?(ゲスト爆笑)ヒース:まず最初の質問に答えるよ。ボクは自分には、イニスというキャラクターに与えられる何があると感じたんだ。イニスは自分の内面的な葛藤を表現するのにも、ものすごく口数が少ないし、ときには直接的な暴力に訴えてしまったりする。そういうところにとても魅力を感じた。なんというか、感情を荒っぽい肉体的な表現に変えて表わすようなところが気に入ったんだ。身体や声で感情を表現するということだね。それで、次の質問の声、それと訛り、それから口のことなんだけど、さっきキミがやってたみたいに、イニスはまるでこぶしを握るように、口を閉じて喋る。それは、彼まさにがんじがらめの人間だということなんだ。それを表現するために、どんな場面で何をやるにも、痛みをともなっているような感じを出したかった。言葉や喋りを含めてね。だから、口はぎゅっと閉じて、言葉はイニスの内面から、戦いながら出てくる、そんなふうでなくてはならかった。で、訛りのことだけど、ワイオミング訛りにちょっとテキサスのニュアンスも入ってる。それを明確にしたうえで、2つを少し近づけようと努力した。それは、この映画では老け役も演じる必要があったせいもある。これは自分にとって大きなチャレンジだと思ったよ。それで、訛りを自分の演技の重要な要素として使うことにした。映画の最初のほうではイニスはちょっとしか喋らない。それからだんだん訛った喋り方を前面に出すようにして、情熱とかエネルギーを表現する。そのあとは、落ちぶれて、孤独で、悲劇的な雰囲気にもっていく…エレン:なるほど、あなたが、どうしてイニス役を選んだのか、すごくよくわかったわ。本当に素晴らしかったと思う。イニスになりきるのために、あんなふうに、単に(言葉の)感情表現だけではなく、身体で表現するというふうにしたという話はおもしろいわ。XXXXところで、アン・リー監督が「ブロークバック」の公開に合わせて来日したとき、「アジアでこのテーマは受け入れられると思うか」という質問に対して、「日本のOLさんは気に入ってくれるかも」とマジメに答えているのを聞いて、思わず吹き出してしまった。わかってる! どこでそんな情報をキャッチしたんだろ。ただ、ブロークバック山は、日本の「一部の若い女性」が特に好む同性愛の世界とは若干違うと思うけどネ。一方で、アメリカでは反同性愛団体からは有害映画扱いされ、ゲイコミュニティの一部からは、同性愛を「まともに」描いていないと批判されたという。実はMizumizuは最初にこの映画を見たとき、ジャックが死んだ後、ラストシーンまでの展開がどうもよくわらかなかった。感動的であることに異論の余地はないのだが、感動的であるがゆえに、何かしら違和感があった。ジャックの死因についてが相当曖昧なままで、何かが抜けているような気がした。もっともよくのみこめなかったのは、最後の場面。1人でトレーラーハウスに暮らしているジャックを娘が訪ねてきて、結婚式に出てほしいという。いったんは「その時期は仕事が…」と、出るのは難しいというような話を始めるイニスだが、すぐに「大切な娘の頼みだから」と言って娘を安心させる。そのあと娘が忘れていった服をしまおうとして、クローゼットにかかった自分とジャックのシャツを見つめ、涙を浮かべながら、「I swear(誓って言うけど)…」と呟く。誓って、何? と、こちらが思ったところで映画は終わる。あれ? イニスは何を言おうとしたの? ワカラナイ(まあ、だいたい映画の中では、何を言っているのかよくわからない人物だったんだけど)。字幕はこれを感傷的なまとめにすることで解決していた。「I swear…」の台詞を「ジャック、永遠に一緒だ」という言葉に集約させていたのだ。原語とここまで違うと一瞬、非常に戸惑うし、粗野なイニスにはあまりに似合わないロマンチックな台詞だから、この日本語訳を嫌う人もいるだろう。だがある意味、これはとてもよくできている。何より日本人の情緒に強く訴える感動的な言葉だし、重ね合わせたイニスとジャックのシャツが象徴するのは、まさに「ずっと一緒にいること」だからだ。この2枚は、イニスとジャックの「若き日の楽園」だったブロークバックでの最後の日、ジャックが黙ってイニスのシャツを持ち帰り、自分のシャツの内側にたくしこんで合わせ、クローゼットにずっと隠しておいたものだ。それをイニスがジャックの死後、ジャックの実家に訪ねていって見つける。ジャックの実家では、ジャックのシャツの中にイニスのシャツがあったが、ラストシーンのイニスのトレーラーハウスでは、それが逆になっている。もちろん、イニスが「自分のなかにジャックがいるように」したということだ。本当に演出が細かい。だが、娘の結婚式に出る出ないの話をしていたシーンのあとに、ジャックに対して何を誓おうとしたのかわからない、と思った。イニスはジャックとの春先の最後の逢瀬のとき、「仕事が忙しいから、次は11月まで会えない」と言っている。ジャックが落胆して、「8月に会うんじゃなかったのか」と詰め寄ると、「8月の休暇を返上したから、今回休みが取れたんだ」と弁解していた。ということは、イニスとの8月の逢瀬は仕事を理由にダメ出ししたのに、娘の結婚式には仕事を休んででも出るといったことと、最後の「誓って言うけど…」の台詞には何か関連があるのだろうか? こういうふうに「どうも場面と場面がつながらないな」と感じるときは、劇場公開に向けてカットされたシーンがあることが多い。これは、原作を入手するしかないでしょう。と思って探したら、なんとおあつらえむきに、原作と映画の台本(!!)がセットになったペーパーバックがある。これはスゴイ! というわけで、さっそく手に入れて読んでみることにした。読んでみた結果、意外なことがわかった。
2008.01.25
天気予報では降る降るといっておきながら、なかなか降らなかったまとまった雪が、ようやく東京の朝を白く染めた1月23日水曜日。起きてメールをチェックしたらイギリス人の友人から、「ショック! ヒース・レジャーが死んじゃった」というメールが入っているのを見て我が目を疑った。ヒース・レジャーって「あの」ヒース・レジャー? 先日「いつ君」のエントリーへのコメントの返事に、「ブロークバックマウンテンそっくりのシーンがありますね」と書いたばかりだ。ヒースはまだ28歳。なんかの間違いじゃないの? さっそく、その友人が教えてくれたニュースソース「BBC News」にアクセスする。顔写真があった。間違いない。お昼にテレビをつけたら、ABCニュースでも「ハリウッドでもっとも将来を嘱望されていた俳優が急死」と速報を流していた。やはり、というべきか、ヒースの代表作として紹介されたのは「ブロークバックマウンテン」でのカウボーイ姿、つまりイニス・デル・マー役だった。日本語で聞いていたら、映画でのヒースの台詞が流れて、それがアナウンサーの読み上げるニュース原稿の間に入り、通訳が1人で両方訳して、結果ハチャメチャになっていた。BBCやABCニュースを総合すると、ヒースが意識不明(あるいはその時点で死亡?)で発見されたのは1月22日(火)の午後3時半。その時間に予約を受けていた女性のマッサージ師が、NYのオシャレなソーホー地区にあるヒースの自宅アパルトマンに行ったところ応答がなく、家政婦に連絡。家政婦と一緒に部屋に入ると、ベッドの上で裸でうつぶせになり、頭が床に落ちた状態で意識のないヒースを発見したという。周囲には処方薬が散らばっていた。最初家政婦とマッサージ師はヒースが眠り込んでいると思い、体をゆすって起こそうとしたが、まったく反応はなかった…。NYの警察当局は、23日に遺体を解剖して死因の究明に努めるとしながらも、薬も違法なものではなく、自殺は考えにくいので、オーバードーズ(薬物の大量摂取)による事故だと思われる旨の声明を出している。1月22日はアカデミー賞ノミネートの発表の日。ヒース自身は今回はノミネートされなかったが、出演した「アイム・ノット・ゼア」からケイト・ブランシェットが助演女優賞でノミネートされた。その同じ日にオーバードーズでの「不慮の死」とは・・・。だが、マッサージ師を予約しておいて、裸の状態で発見された(恥ずかしいよね、それ)という状況を聞くと、意図的な自殺とも考えにくい。日本語のニュースでは「睡眠薬」と特定しているメディアも多いが、英語のネット上の新聞では「処方薬」としか書かれていなかった。遺書などは今のところ見つかっていないようなので、能動的な自殺とは断言できないにしろ、もし本当に処方薬しか飲んでいなかったのだとしたら、大の大人が「たまたまアクシデントで」大量摂取して死んでしまった、というのも・・・。日本のメディアのいう「睡眠薬を大量に服用したらしい」というのが誰もが思うところだろう。イギリスの大衆紙「The Sun」のネット版では、最初『薬と一緒に裸のヒース発見』と、「マリリン・モンローかよ」みたいなセンセーショナルな見出しが踊ったが、その後数時間で『ヒース・レジャー、遺体で発見』とマイルドな見出しに書き換えられた。「The Sun」は、一般紙よりもっと突っ込んだ(というか、いい加減な?)情報を載せている。それによると、ヒースは新作の「バッドマン」(アメリカでは2008年の夏、日本では秋の公開予定で、現在撮影後の編集作業に入っている)でのジョーカーの役作り、つまりこの「サイコパス」なキャラクターをどう演じるかについて悩んでいたという。去年のミシェル・ウィリアムズとの破局によるストレスもあって酒びたり、薬漬けの状態で、不眠も深刻。「先週の平均睡眠時間は1日2時間ぐらいだった」と本人が語ったという(ホントに本人がそう言ったかどうかは知らないよ。こうした大衆紙はわりと平気で本人が言ってもいないコトを書くのが得意だ)。さらにハリウッドのゴシップネタをおもしろおかしく書きたてるのが得意なあるソースによれば、ヒースは娘のマチルダを溺愛していたので、ミシェルとの破局によって娘と離れ離れになったことが、精神なダメージとなり、重度のウツに陥っていたという。「ブロークバックマウンテン」で共演し、ヒースとミシェルの娘マチルダの名づけ親にもなったジェイク・ジレンホールが、この数ヶ月のヒースのひどい状態を心配して、支援(って何の? それは書いてなかった)を申し出たがヒースが断ったという。亡くなりかたが亡くなりかただけに、どうも虚々実々入り乱れて、いろんな情報な飛んでいるようだ。だが、今のところヒースと同じオーストラリア出身のニコール・キッドマンとオーストラリア育ちのメル・ギブソンが哀悼の意を表明したというのは情報として流れているが、ジェイク本人のコメントは何も伝わってきていない。もちろん、すぐにマスコミが大挙してジェイクのところに押しかけそうだけど。新作バッドマンでのジョーカー役でも周囲の評価では、「ジャック・ニコルソンにも劣らない名演」を見せていたというヒースだが、なんといっても、あっちこっちのメディアで紹介されているのは、カウボーイハットをかぶったヒースの写真。2人のカウボーイの秘められた愛をテーマにした、アン・リー監督の「ブロークバックマウンテン」(2005年)は、いまさらいうまでもなく、社会現象まで巻き起こした大傑作。オスカー3部門受賞をはじめ、全世界での映画関連の受賞数は76にものぼり(これは近年まれに見る数字だといっていい)、受賞にいたらないまでもノミネートされた映画関連賞は64を数える(出典:The Internet Movie Database)。米アカデミー作品賞こそ「クラッシュ」に譲ったが、「クラッシュ」は3オスカー、他の映画関連賞は38の受賞にとどまった(ノミネート数だけなら64と同数)ことからすると、総合的にみて、映画界での評価では圧倒的に「ブロークバックマウンテン」が「クラッシュ」を凌駕しているといって差し支えないだろう。しかも、批評家に絶賛されただけでなく、同性愛というきわめてマイナーなテーマだったにも拘らず、興行的にも大きな成功をおさめ、軽く180億円は稼ぎ出している。最終的にはいくら儲かったんだろう? 200億円は超えたんじゃないかな。約16億円(1400万ドル)というハリウッドにしては低めの予算で作られた作品としては破格のヒットだろう。主役のイニス役のヒース・レジャーとジャック役のジェイク・ジレンホールの演技も内外から高い評価を受けたが、不思議なことに、ヒースに関しては母国オーストラリアをのぞけば、アメリカ国内での評価がきわめて高く、ジェイクに関しては逆にアメリカ国内より海外で評価された感がある。ジェイクが英国アカデミー賞の助演男優賞を獲得したのもそのよい例だと思う(ヒースは英国アカデミー賞主演男優賞にノミネートはされたものの受賞は逃している)。ちなみに2人の演技に対して与えられた賞の数はほぼ同じなのだが、ヒースが8つ、ジェイクが7つ(「ジャーヘッド」や「プルーフ」と合わせての受賞も含む)で、実はヒースのほうが少しだけ多い。アン・リー監督はヒースの演技を「奇跡的な名演。若き日のマーロン・ブランドを思い起こさせる」と絶賛している。ジェイクのことも、もちろん違った表現で違った部分を褒めているのだが、この「マーロン・ブランド」というのは「ブロークバックマウンテン」のヒースの名演をひも解くためのキーワードだ。喜怒哀楽の感情表現が極めて巧みで、見ていてわかりやすかったジェイクの演技に対して、抑圧された性格のイニスを演じたヒースの表現は、特にアメリカ人以外には理解しにくかったのではないだろうか。アメリカ人には「西部の僻地ワイオミングにいそうな、古いタイプのカウボーイ」に対するややステレオタイプ的なイメージがある。口数が少なく、「男性的であること」を何より大事な価値観としてもち、何でも自分自身で問題を解決しようとし、解決できないことに関しては文句もいわず、じっと忍耐するようなタイプ。乗馬テクニックの巧みさ、くぐもったしゃべりかたを含めて、ヒースはアメリカ人の抱く古いタイプの西部の男のイメージにぴったりで、そこが高く評価されたのだろうと思う。明らかにヒースはジェイクよりはるかに馬に慣れていたし、山の斜面を馬とともに駆けていくシーンは惚れ惚れするほどサマになっていた。本人曰く「オーストラリア育ちだから、子供のころから馬に乗っていた」とのこと。日本のようにカウボーイもいないし、アメリカ英語もわからない観衆には、ヒースの演技の良さは完全には理解されなかったかもしれない。Mizumizuが「ブロークバックマウンテン」のヒースを見て、まず最初に思ったのは、「この人、なんでこんな聞き取りにくいしゃべり方すんの?」ということだった。アメリカの西部訛りはもともと非常にわかりにくいのだが、ヒースはそれをさらにくぐもった声で喋るから、ハッキリ言って何を言ってるんだか、さっぱりわからなかった(苦笑)。ジャック役のジェイクに関しては、それ以前の出演作を見たことがあったのだが、ヒースを見るのは同作品が初めてだったので、「もともとこういう変な声なのかな」と思った。ところが、その後すぐに見たヒースの主演作品「カサノバ」では、発音や声のトーンが全然違う。「ちゃんとマトモに、ハッキリしゃべっている」のにビックリした。つまり、あのマーロン・ブランドのごとく聞き取りにくい、低く、抑圧されたような声は、ヒースの役作りの一環で、それを知っているか、あるいは聞き取って感じることができるアメリカ人からは直接的な高い評価を得ることができたのだろう。この特徴的な声の役作りについて、Mizumizuと同じような感想をもったらしいアメリカのトーク番組の司会者を見つけた。「Ellen」さんという人で、自身の番組でヒースをゲストに招き、「ブロークバック」でのヒースの声の演技をオーバーにマネする自分の映像を流して、ヒースの爆笑を誘っている(Mizumizuも大爆笑してしまった)。おまけに「イニスはなんであんなふうに喋るワケ?」とMizumizuが聞きたかったことを聞いてくれている!番組が収録されたのは、「ブロークバック」が成功をおさめ、アカデミー賞にノミネートされたころ。そして、ヒースの演技をマネした場面(時間でいうと3:15から3:35の間)のあとで、エレン氏の質問に答えるかたちで、ヒース自身が声の役作りについて語っている。具体的にいうと3:48から5:35までの間がそのヒースのコメント。番組のURLは以下。http://www.youtube.com/watch?v=fkOpJsdjrEU番組はまず、ブロークバックマウンテンの成功とオスカーノミネートに対しての「おめでとう」コメントで始まり、そのときのヒースの生活についてちょっと触れ、それから問題の(?)ブロークバックの爆笑モノマネに入る。もっとも興味深いのはその後の3:48から5:35までヒースのコメントだ。しかも、なんと「イニス役でもジャック役でも選んでいいと言われ、ヒース自身がイニス役を選んだ」という知られざる秘話(?)も語られている。このようにわりとリラックスした雰囲気の中で自分の役作りについて語るヒースの映像はほかではなかなか見られないし、ご本人が亡くなってしまったから当然今後もないわけで、今となっては貴重だ。英語のわからない皆さんのために、明日ヒースの言葉に字幕をつけてご紹介しようと思う
2008.01.24
ドバイといったら、やはりココは欠かせません。ゴールドスーク(金の市場)。金製品を売る店が、延々と続く一帯。値切って買うべし、というのは聞いていたので、ココで18金のペンダントヘッドを買うときに一生懸命粘り、2割5分か3割か、そのぐらい引いてもらった。ドバイのゴールドスークに来る前に、アブダビで現地の日本人の知人に出入りの店を紹介してもらったので、そこでも18金のブレスレットを買っていた。品揃えや雰囲気からいったら、ゼッタイにドバイのゴールドスークのほうがいい。ほとんど「日本人にはつけられないようなド派手な金製品」なのだが、つぶさに見ていけば、日本人好みの控えめなもの(苦笑)もある。アブダビで行った店は1軒だけだったし、連れて行ってもらった手前、買わないわけにはいかずちょっと困った(笑)。手ごろなものでよい商品が見つからなかったのだ。さてさて、日本に帰ってきて、知り合いの宝石店の店主に見てもらったところ、意外なことがわかった。どちらも確かに18金は間違いなかったが、アブダビの店は値引きNGだったので、定価で買った。ドバイのゴールドスークでは2割5分~3割値引いてもらった。それでも、アブダビで買ったモノのほうが、重さ当たりの単価はちょっとだけ安いことになるというのだ。ということは、やはりドバイのゴールドスークは3割以上値引きしてもらうのが、UAEにおける適正価格ということになるのかな。ちなみにUAEでは金製品は「重さ」で売る。デザインは関係ないようだった。「値引き交渉はちょっと…」としり込みしがちなジャパニーズの皆様、現地の人が買う店に比べると、ドバイのゴールドスークにある店では、どうやら明らかに3割以上はのっけているのは間違いなさそうなので、心置きなく値引きしてもらってください。
2008.01.23
伝統的なアラブ建築を見るべく、シェイク・サイード邸へ。シェイク・サイードとは現ドバイ首長シェイク・モハメッドの祖父。19世紀の邸宅だというが、もっと古い時代のものに見える。全体的にきわめて質素。装飾もほとんどない。石油によって莫大な富がもたらされる前の砂漠の民の生活がしのばれる。この塔は「風の塔」といって、暑い砂漠の国で風を建物の中に呼び込むための工夫。もちろん今のUAEでは冷房が完備されていて、こうした塔をもつ建物はない。わずかに見られた壁面装飾の一部。
2008.01.22
UAEの首都アブダビからデューンドライブのできるドライバーつきのタクシーをチャーターした。タクシーといっても、もちろんRV。トヨタ製だった。ドライバーの運ちゃんいわく、「砂漠ではトヨタが一番。壊れなくていい」とのこと。さすがトヨタ。現場のプロの評価高し。ただ、さすがに現地の金持ちはメルセデスのGクラスに乗っていたけど(笑)。内陸へ40分ほど走ると、もうそこはすっかり、砂漠。砂の丘の向こうにみえる緑は天然のオアシスではなく、わざわざ水をひいて緑化させているとか。人の肌のようにも見える質感。日本にはないものだから、「砂漠」と聞いただけで憧れが掻き立てられる。一度は見てみたいと思う人は多いはず。日が傾いてくると、砂がオレンジに染まり始めた。デューンドライブを楽しんだあと。砂の上にできた轍。デューンドライブは非常に楽しかった。砂の丘を越えるとき、クルマが一瞬ふわっと宙に浮いたようになる。それから柔らかく着地。起伏のある砂漠のドライブはとてもスリリング。ドライバーの腕もよかった。足元をみると、そこにあるのは風の存在証明「風紋」。美しいこと限りなし。だが、やはり砂の支配する空間は埃っぽくてかなわない。短時間の見学なら感動もあるが、長時間滞在はできなさそう(ヒヨワなジャパニーズの結論)。とはいっても、一晩だけなら、砂漠のテント(はワイルドすぎるからテント式ホテルかな・笑?)で寝てみたいかな。砂埃であまり空はきれいに見えない、つまり「月の砂漠」は期待できないという話もあるが、どうなんだろう。アフリカの観光地ではそうした砂漠滞在を売りにしてるところもある。次回砂漠に行くなら、中東以外のところにしたいのでアフリカは魅力的なのだが、UAEでは労働者の質が全体的にとても高かった。デューンドライブをしてくれたドライバーはパキスタン人だが、英語をきちんと話したし、態度もとても紳士的だった。ドバイのタクシーの運転手もアメリカやヨーロッパの一部のような「ガツガツした」卑しさがまったくなかった。だが、アフリカとなるとどうなんだろう。労働者の質が心配だな~。それと水道などのインフラも。
2008.01.21
野生のラクダはスリム。見目麗しいラクダは高い値段で売れるそう。そして、見目麗しいといえば、なんといってもベリーダンスの女性。まだ10代だという(サバよんでませんか?・笑)。観光客相手のショーのせいか、1人で踊るベリーダンスそのものは短くて、すぐに女性の見物客を誘って一緒に踊ってお茶を濁そうとしてるのが、どうも…(苦笑)。ま、そんなもんでしょうか。一見の価値は、とりあえず「あり」かなと。
2008.01.20
やはり砂漠の国に来たからには、ラクダも見たい。アブダビからデューンドライブに参加したときにラクダ君たちに出会った。ラクダ君、あまりにカワイスギル! なんでそんなとぼけたお顔をしているの?思わずアップで撮ってしまった。睫毛が長いのは、やはり砂から目を守るためかも。デューンドライブのポイントに着いたところにいた、観光客相手にラクダ乗りをさせるお兄さん。できすぎの構図になった(笑)。Mizumizuも乗ってみたが、案外快適。馬よりずっと高いので眺めがいい(笑)。注意するのは、ラクダが膝をつくとき、つまり降りるとき。ガタッとなるので振り落とされそうになっている人もいた。
2008.01.19
最上階のレストランからは、ドバイの街と海が見渡せる。確かに大変に高いところに来ているのはわかるし、海は汚くはないのだが、絶景というほどのものでもない。やはり砂漠から飛んでくる砂塵にけむったような街だ。ホテルも豪華なのだが、そもそもドバイには何かが足りない気がする。ビーチは整備されているが、自然の景勝地がない。ホテルの近くにモールはあるから買い物はできるが、どうもこうした場所でのショッピングはしょせんお仕着せという感がぬぐえない。ホテルは街から離れているから、ぶらっと街に出るということもできない。タクシーは安いから気軽に使えるが、だからといって街に出ても、ぶらぶらと散歩を楽しむにはちょっと暑すぎるので、すぐに冷房のきいた建物に入りたくなる。スークは完全に観光地化している。豪華なホテルに泊まり、ビーチで寝転がり、ブランドショップで買い物し、スパやエステ、競馬などの娯楽を楽しむ。それで十分満足できる観光客にはうってつけかもしれないが、その街の豊かな歴史や自然や芸術に興味がある人間にはものたりない場所だ。だが、ブルジュ・アル・アラブは素晴らしいホテルには違いなかった。チェックアウトの30分ほど前に、「ポーターを10時によこして」とバトラーに電話で伝えて部屋で待っていた。Mizumizuはバカンスといえば、イタリアが基本だから、ポーターがすぐ来るなんて発想はもとからない。イタリアのポーターなんて10分や15分では来やしない。どうぜホテルのエントランスまでなんだからと、「呼んで」と言ったあと、痺れを切らして自分で運んでしまったことも多い。ブルジュ・アル・アラブでも時計の針が10時10分を過ぎてもさほど気にしなかった。ところが15分になっても来ない。これは遅いよね、と思ってもう一度、担当のバトラーに電話したら、「ポーターはすでにお客様のお部屋のドアの外で待っています」とのこと。なんと、ベルをならしてお客のペースを乱さないよう、静かにドアの外で待っていたというのだ。ドアを開けると本当にちゃんと待っていた。さて、荷物を預けて、チェックアウト。階ごとに控えているバトラーに「滞在はご満足いただけましたか?」と聞かれたので、「もちろん」と答えて、部屋の美しさと清潔さ、それに従業員の態度をほめまくった。「お食事は?」と聞かれて、それには「う~ん」。実は、前日のランチと翌日の朝食を取ったのだが、どちらも相当イマイチだった。不満げな表情のMizumizuを見て、「嗜好が違うからでしょうか? 寿司レストランもありますが」と言われた。数日しかいないドバイで寿司食おうと思わないけどねぇ。寿司なら日本で食べるって。こりゃ、わかってないな、と思ったので、「フランスではフランス料理を食べるし、イタリアではイタリア料理を食べて満足するけれど、ここでの食事はあまり満足できるものではなかった」と正直に答えておいた。今後の改善点だと思ってくれればネ。「パリよりも多くミシュランの星が与えられた」と欧米のメディアが驚きをもって伝えた(パリを知ってる東京の人間からすれば驚きでもなんでもないが)東京から来たお客を満足させるのは、並大抵のことではありませんゾ。さて、ホテルのロビーで待っていたのだが、どうも荷物がなかなか手元に来ない。荷物を手から離さない個人旅行をスタンダードとしているMiuzmizuは不安に思って、ロビーのレセプションとおぼしきデスクに立ってるにーちゃんに「荷物まだ?」と聞いたら、「お待ちください」とのこと。ソファで待ってると、別のにーちゃんがやってきて、「タクシーですか? クルマですか?」と聞く。「タクシーで」と答えると、「どちらまで?」。なんでそんなこと聞いてるんだべ? 早く荷物を持ってきてよ、と思いつつ、「空港へ」と言うと、わかったと去っていこうとする。「荷物は?」としつこく聞いたら、「ご心配なく、運びますから」とのこと。そして、すぐまたにーちゃんがやってきて、「どうぞ」と促される。荷物は~? と不安になりつつもエントランスに向かう。タクシーはすでに来ていて、後ろのトランクが開いている。そして、トランクにちゃんとMizumizuたちの旅行ケースがお行儀よくおさまっているではないか! 「こちらでよろしいですか?」とにーちゃん。お客に荷物をもたせてロビーを歩かせたりはしないわけね。そういえば、ふつうホテルのロビーでよく目にする「荷物の山」をここではほとんど見なかった。さすが「7つ星」。ヨーロッパの5つ星ホテルにも見習ってほしいよね。というわけで、上げ膳据え膳の旅は空港で終わり、あとは荷物は自ら引きずってチェックインしたのだった。急に身分が低くなったような気分だった(笑)。ところで、ホテルにはアンケート用紙があり、簡単な質問のあとに自由に書き込める欄があったので、従業員の勤務態度を褒めまくっておいたら、なんと! 後日ブルジュ・アル・アラブの支配人から日本へ直接お礼の手紙が届いた。しかもちゃんと「従業員に対して高い評価をいただき、大変光栄でした」と書いてあった。しっかり読んでたのね、アンケートの書き込み。「また是非おいてください」ともあった。こうした大型の豪華ホテルというのはどうしても「ゲストとの親密さ」が築けない。話のネタに一度行く人は多くてもリピーターは案外少ない気がする。わざわざパーソナルなレターを書いてきたのは、支配人に「リピーターを少しでも増やしたい」という気持ちがあるからではないかと思う。そりゃ、お金と時間が有り余っていたら、こちらとしてもいつでも再訪したいけどね(苦笑)。
2008.01.18
1階は友人を招いて楽しめるリビングススペースになっているブルジュ・アル・アラブだが、2階は完全なプライベート空間。ドレッシングルームのほかにバスルームとベッドルーム。右の写真がバスルームを入り口から撮ったもの。ダブルボウルの洗面台には特注を含めたエルメスとブルガリのアメニティグッズがずらり。石鹸、ジャンプー、香水、アフターシェービングローション… これらだけでも普通にショップで買ったら数万円。もちろんすべて持ち帰りさせていただいた(笑)。ほかにも、ホテルの近くのビーチで使うための大きめのショルダータイプのビーチバッグがあって、それは今東京で活躍している。そうそう、お菓子もあった。帆のカタチの特注の箱にマジパンなどが入っていた。お味もグー。全部食べられなかったので、これもお持ち帰り。おかげで荷物が増えちゃって(笑)。さて、バスルームは大理石がふんだんに使われていた。バスタブは円形でジャグジーつきなのだが、これは水の勢いが弱くて水をためるのが大変だったし、ジャグジーもイマイチ。左の写真はバスタブのある場所とは別にしつらえられたシャワールーム。細かなモザイクのようなタイルが敷き詰められ、ため息ものの美しさ。色のコーディネーションといい、床の模様のデザインといい、ほとんど芸術品。しかし真鍮に金メッキのシャワーノズルが重いのなんの。豪華仕様の道具を使うのも大変だ。ベッドルームも広々。ヘッドボードの後ろに青いカーテンが下がっているのが、いかにもアラビックな貴族的雰囲気。ヘッドのほかにもソファがあるのだが、ここの大きな青いオットマン(写真右の中央)にはビックリ。みんなでソファに座ってここに足をのせてくつろげってことかな? アラブの家族だとありそうな光景だが、日本人にはない発想。ソファに並んだクッションには手の込んだ刺繍が施されていて、お土産に欲しいぐらい。モチロン、これはお持ち帰りするワケにはいかない。夜のベッドメーキングも完璧だった。若い男性2人がかりで、テキパキとベッドを整え、サイドボードにチョコレートと冷たいエビアンの水。夜喉がかわいても、ヘッドから出て水を飲みに行く必要がないということだ。ここの従業員は誰も「チップ待ち」をしない。さっさと仕事を片付けてあっという間に出て行く。その訓練された手際のよさはジャパニーズでも瞠目した。ヨーロッパのやる気のないメイドと大違いだなぁ。ホントいたれりつくせりで、こんなところに2~3日いたら、人間がダメになりそう(笑)。
2008.01.17
吹き抜けを建物の中央に見ながら、部屋までの渡り廊下を歩く。下の写真右が部屋の入り口ドア正面。絨毯にもあでやかな模様が施されている。重たげな木製の装飾を施したドアのぐるりも金。中に入ると左手すぐに、2階のバスルームとベッドルームに続く階段がある(上写真左)。手すりまで優美な螺旋階段にはやはりフカフカの絨毯が敷いてある。スリムで可憐なシャンデリアはあまり重々しくないのが階段の灯りとしてふさわしい。部屋まで案内してくれたベルボーイがあっという間に荷物を上にもって行くので、「どうしたの?」と聞くと、「上にドレッシングルームがあるから、そこに」と言われた。なるほど、リビングスペースに荷物を広げるようなヤボなマネはしなくていいわけね。写真右:入り口すぐの左には、アラブ風に豪華なデスク(側面まで詰め物入りの布張り!)があり、ファックスやインターネットも備えられている。写真の奥にカウンターストゥールがあり、そのむこうの壁に金の額縁がかかっているのがかすかに見えるだろうか? 実はこれはテレビ。テレビまで金の囲いの中に入れている。写真左はデスクのそばに置かれた象嵌細工の円テーブル。ウエルカムドリンクはフレッシュなミックスフルーツジュース。果物が籠に飾られ、リネンのナプキンとお皿とカトラリーが揃っている。果物は当然パクパクといただく(笑)。もちろんエクストラで料金を取られることはない(その前にたっぷり正規料金で取ってるしね)。食べごろの果物ばかりで、小ぶりだが日本の梨もあったのにはビックリ。南イタリアのサンタ・アガタにある星つきレストラン「ドン・アルフォンゾ」では、腐った果物置いていたっけ。夜、果物を全部食べ終わったのでバトラーを呼んだら、きれいに片付けてくれて、新しいナプキンを置いていってくれた。替えのナプキンはちょっとグレードが落ちて、コットンだった(別にいいけど)。写真左がリビングスペースを入り口のほうから見渡したもの。写真では切れているが、左側にもゆったりとスペースが広がっている。窓の向こうは海、海、海…。ただ、階が高すぎで、海の現実味がなく、オーシャンビューのホテルの眺めを楽しむというより、飛行機から見てるような感じがした。リビングは半端でなく、ゆったり。リビングの中央を広くとり、壁にそった部分に長椅子を並べている、クッションがやたらと置いてあり、10人は座れそうだった。友達呼んで騒ぐと楽しそうなのだが、なにしろドバイに友人はいない。残念。2人でいるには広すぎて寂しいぐらい。写真右はリビングスペースにおかれた優美な寝椅子。つやつやしたブルーのベルベットの手触りがなんとも安楽な雰囲気を醸し出す。アラブのお姫様気分に浸れる。芸術品のような寝椅子だった。全体を深いブルーとゴールドでまとめ、アラブの美意識を前面に出した見事なインテリアコーディネート。<明日は2Fをご紹介します>
2008.01.16
ヨーロッパ人に人気のリゾート、砂漠の街、ドバイ。ここには地元民が「7つ星」と自慢する超高級ホテルがある。(ちなみに、ミシュランのレストランの格付けは3つ星が最高、ヨーロッパでのホテルの格付けでは5つ星が最高。)その名は「ブルジュ・アル・アラブ」。アラブのタワーという意味。建物全体がアラブ船の帆をイメージしたデザインになっていて、海に突き出した人工の島に建っている。この写真はイタリア人の友人、ITALA SANTORSOLAさんから送られてきたもの。あまりにキレイに撮れているのでご紹介。イタリア人の間でも人気のあるリゾートらしい。Mizumizuも話のネタに1泊してみた。噂にたがわず、すごいホテルだった。まずは入り口から入ったところ。左が上を見上げた写真、右がエントランスを入って正面から撮ったもの。巨大な吹き抜け空間になっており、いかにもアラブらしいキンキラ金。宇宙的成金趣味と名づけてしまった。右がエレベータホール。右端に絢爛たる装飾がほどこされたエレベータのドアが見える。ブルーのソファもアルブ風に豪華でふかふか。共有スペースにおかれたソファなのに、ちゃんとクッションまであつらえてある。このエレベータで各階の自分の部屋へ向かう。左は自分の部屋のある階についたところ。建物の壁部分にぐるりと渡り廊下がめぐらされ、それそれの部屋の扉が見える。ここでは階ごとにバトラーが待機していて、気軽に渡り廊下に入るのははばかられるようになっている。<明日は部屋の中をご紹介します>
2008.01.15
チョコレートは、トリュフのような量感のあるものではなく、薄いものが好きだ。それもタブレット(板チョコ)ではなく、2口、3口で食べられるサイズのもの。となると、パレファンが好み、ということになる。そんななかでも銀座の「ピエール・マルコリーニ」のパレファンは、なんとも官能的で、嗜好にピッタリはまる。厚さ4ミリの正方形(なので、正確にいえば「Palet」ではない)に4種類のフィリング。周囲の硬いカカオの風味とねっとりとした中の個性的なフィリングが最高にマッチしている。「山の蜂蜜」は、樹液から採ったのではないかと思わせる野性的な蜂蜜に、ビターなチョコレートが競うように舌のうえで主張しあう。自分自身が蜂にメタモルフォーゼし、森の樹木から蜂蜜を集めているかのようなイメージが浮かぶ。「伝統的プラリネ」は、ベルギーのチョコレートらしく、ヘーゼルナッツの香り。とじこめられたいたヘーゼルナッツの甘く、独特なクセをもったフレーバーが、チョコレートをかじったとたんに周囲にひろがる。「キャラメル」は文字通り、少し苦めに仕上げたキャラメル。周囲がミルクチョコレートでかなり甘いので、味覚がミルクの風味のなかで無意識に苦味を探しているのに気づく。「ビターガナッシュ」も、文字通り。甘みをおさえたチョコレートクリームを甘みを前に出したミルクチョコレートでくるむ。二重のカカオの風味と違った食感を一度に楽しむ仕掛け。
2008.01.14
自由が丘の「モンサンクレール」もあまりに有名なパティスリー。昨日ご紹介した「アテスウェイ」と方向性が似た、非常に「イン」なスイーツで、長いこと人気を博し続けている。実は自由が丘は荻窪からも、距離的にはそれほど遠くはなく、あまり渋滞していなければ、クルマで40分ほどで行ける。「セラヴィ」のような有名ヒット商品もあるが、Mizumizuがオススメしたいのは秋のお楽しみ、「タルトタタン」。タルトタタンというのは、フランス中部ソローニュ地方にあるラモット・ブーヴロンという小さな町でホテルを経営していたタタン姉妹が作ったお菓子のこと。ある日、りんごのタルトを作っていて、焼く時にうっかりタルト生地を入れ忘れてしまった。型の中にりんご、砂糖、バターだけを入れて焼いてしまったというわけ。仕方なく、その上に生地をかぶせてみたら、意外にも、底にたまった砂糖がキャラメリゼのようにりんごを覆い、りんごのタルトとは違う、美味しいお菓子ができあがったのだ。これをパリの「マキシム」がデザートとして紹介し、一挙に広まった。りんごのタルトより「りんご感」が強い。実はMizumizuは、物好きにも、このタルトタタン発祥の町を訪ねて、町一番というタルトタタンを買ったことがある。シャンボール城で名高いロワール川流域からそれほど遠くなかったので、シャンボールに行ったついでに足を向けたくなったのだ。クルマで湿ったソローニュ地方の森を抜けて走った。ラモット・ブーヴロンは本当に小さな町で、目抜き通りもすぐにわかり、目指すパティスリーも名前だけで、通りを走っていて一発で見つかった。こんなことは東京ではほとんど考えられない(笑)。タルトタタン発祥の町で一番という評判のタルトタタンは、意外にも甘さも酸味も控えめな、やさしい味だった。りんごのカタチも残っているし、自然の風味が豊かに感じられた。生地も厚めで素材そのもののもつ美味しさを大切にしていた。自由が丘の「モンサンクレール」のタルトタタンは、紅玉の酸味が非常に強く出ている。ここまで酸味を前面に出すのは、日本では冒険だったと思う。ちょっと沈んだ、きれいとはいえない色合いで、りんごのカタチはほとんど姿を消しているが、そのかわり洗練された不思議な歯ごたえと舌触りが楽しめる。すっぱいケーキが嫌いな向きにはオススメしないが、りんごのお菓子好きなら間違いなく評価してくれるはず。モンサンクレールのりんごのスイーツはどれも美味しい。りんごのタルト「プティポンム」もリピートしたくなる味。
2008.01.13
東京女子大の目の前にある「アテスウェイ」。この店のオーナーパティシエの経歴も華々しい。クープドフランス世界大会総合優勝、アルパンジョンコンクールのショコラ部門優勝。修業先はブルターニュだったらしく、店内にはブルターニュ風のガレットやブルターニュの塩、バターなどもおかれている。Mizumizuは日本のクッキーはほとんど食べられない。いつもブルターニュのガレット(輸入もの)を買っている。だが、アテスウェイのガレットはちょっとお高い(笑)ので、あまり手がのびないでいる。一度か二度買ってみたことはある。塩づかいに気を使っていて、もちろん美味しかった。アテスウェイで秋から冬にかけてよくお世話になるのは、モンブラン。アーモンド風味のメレンゲを土台に、和栗がしのばせてある。タマネギを細くのばしたような独特の形の中はほとんどがクリーム。完全な生ではないが、ホイップクリームとしては上質でしつこさや油っぽさがない。それを栗のクリームで覆っている。実は、コレ、以前はもっと大きくて、もっと甘かった。そのときは美味しいものの、強烈すぎて、1つ食べるのは苦しいほどだった(笑)。血糖値が一挙にあがるような変な興奮があった(再笑)。今は全体的に小さくなって、甘さもやや控えめになったと思う。物足りないと思う人もいるかもしれないが、個人的には歓迎している。あとは栗のロールケーキもオススメ。モンブランはこれまで買ってバラツキがあると感じたことはないのだが、他のアイテムは質にムラがあるような気がするのが残念なところ。ここは大はやりの店で、たくさん職人を使って作っている。そのせいかもしれない。たとえばガトーフレーズはときどきジェノワーズがバサバサになっている。だが、アテスウェイはとにかく人気がある。客層は若い女性だが、女子大生という感じでもない。卒業生かな? 便利な場所ではないのだが、遠くから買いに来る人も多いらしく、クルマもよく停まっている。男性客は、明らかに女性に付き合わされてる感が出ている人が多い(笑)。おそらく、とても「イン」な味なんだろう。甘みが強く、フルーツとチョコレートのようなインパクトのある素材を一緒に使って強烈な個性を出している。生地に蜂蜜をしのばせて風味を高めるなど、ちょっとした隠しワザもきいている。12月の繁忙期以外は、イートインコーナーもある。ただし、コーヒーの味は「いけません」。
2008.01.12
阿佐ヶ谷も荻窪、西荻窪、吉祥寺とはまた違った意味で非常に魅力的な街。荻窪とは中央線で一駅違いなだけだが、なぜか住人の平均年齢は低い気がする(笑)。若者が多いのだ。爆笑問題の事務所があるとかで、同事務所の社長さん(つまり太田光の奥様)が、阿佐ヶ谷に集う若い女性を称して「アサガヤンヌ」という呼び方をはやらそうとしたとかしないとか。ひところ羽田空港でよく宣伝していた「東京ばな奈」。若者を中心に東京のお土産としてかなり売れたらしいのだが、このヒット商品を開発した店は、実は阿佐ヶ谷にある。その会社は、銀座にも出来たてスイーツを食べさせてくれる店を出している。「銀座 ぶどうの木」だ。「銀座」といいながら、実は本店は阿佐ヶ谷で、阿佐ヶ谷では「ぶどうの木&鎌倉座(銀のぶどう)」という名前。ちなみに会社としては株式会社グレープストーンといい、もともとは食器屋さんからスタートしたらしい。商品ブランドとしては「銀のぶどう」を使うらしい。なにやら複雑なのだが、実際、阿佐ヶ谷の「ぶどうの木」に行くと、食器も売られていて、奥にフレッシュなスイーツコーナーがあるというつくりになっている。もちろん、東京ばな奈もあるが、ここでの人気商品は、なんといっても「かご盛り 白らら」だろう。超ふわふわのレアチーズケーキで、北海道の六花亭の「帯広の森」や、世田谷桜新町のプラチノにある「アンジュ」などと同じ系統。ただ、フルーツソースはかかっていない。甘くはかない食感が舌のうえで溶けていく瞬間がなんともいえない。銀座店にもあるのか、いつだったか、テレビでIKKOと的場浩二(どういうカップリングなんだか?・笑)が、明らかにコレだと思われるスイーツを食べていた。ビックリしたのは的場浩二。この大きなかご盛りスイーツを1人でほとんど食べつくす勢いだった。甘さは強烈ではないけれど、ふつーの人は、イッキに食べられるものでもないと思う(苦笑)。だが、何人かで分け合って、すっぱめのフランボワーズソースをかけたりしながら食べるには最適。もちろんそのままでも美味しい。
2008.01.11
エクストラバージンオリーブオイルも、最近では多種多様なものが売られるようになった。浜田山あたりの高級食材店に行けば、カンパーニャ産、シチリア産、プーリア産というように、イタリアの地方ごとに区分されたエクストラバージンオリーブオイルが売られているし、ペックのような有名ブランドのものも簡単に手に入る。だが、イタリア人の友人は、エキストラオリーブオイルは「オリーブ農園を経営してる農家に行って直売してもらってる」という。それが一番おいしいのだと。さすがに、日本でそうしたライフスタイルは望むべくもない夢だろうと思っていたのだが、実は身近なところに、その夢をかなえてくれる店があった。阿佐ヶ谷の「ブオーノイタリア」だ。ここはイタリアのウンブリアの村の農家の自家製エクストラバージンオリーブオイルを空輸して扱っている。基本的に量り売りで、一度瓶を買って次回から持参すれば、樽からオリーブオイルを直接出して瓶に入れてくれる。まさに農家の直売に近い。濾過もしていない、フレッシュな本物のオリーブのジュース。イタリアではよく、子供にエクストラオリーブオイルをスプーンで一口か二口、そのまま飲ませている。「油」をそのまま飲ませるなんて、信じられないと思うかもしれないが、「ジュース」を飲ませているといえば、納得できるだろう。しかも、そのジュースは砂糖の入った甘いものではなく、トコフェロールやポリフェノールをふんだんに含んだ健康食品なのだ。ブオーノイタリアのオリーブオイルはそのまま飲むとピリッとした辛さを感じる。だが、パンにつけて食べると、辛みはあまり感じない。オリーブオイルにパルミジャーノレッジャーノをすって入れるのも、イタリアの家庭ではありふれているが、なんとなく日本やるとリストランテ(イタリアレストラン)に行った雰囲気になる。パン+エクストラバージンオリーブオイルというのは、実は昔は南イタリアの貧しい農家の食事の典型だった。だが、大地の恵みを一番シンプルな形で直接味わうという意味では、今はもっとも贅沢な食事のひとつかもしれない。
2008.01.10
今やミシュランの3ツ星レストランとして全国的な知名度を得た感のある銀座の「ロオジエ」。かつてここのパティシエとして腕をふるっていた鈴木氏が自身の店を開くのに選んだ街も荻窪だった。ケーキとパンのほかに、奥にちょっとしたレストランもあって、ランチどきには若い女性を中心に行列ができるほど。南口にある「ル・クール・ピュー」だ。Mizumizuのイチオシはケーキではなくて、ここの合鴨サンド。ヨーロッパ仕込みの重めのパンに、スモークした合鴨とたっぷりの野菜、それにピクルスがはさんである。パン生地にしこまれたひまわりの種もアクセントになっている。カヌレと季節もののアップルパイ。ここのカヌレはちょっとクセが強く、個性的なので、好き嫌いが分かれるかもしれない。個人的にはかなり好きな味。カヌレは焼きたてがめちゃ美味しいのだが、残念ながらここで焼きたて感のあるカヌレにはお目にかかったことがない。行く時間が悪いのか、あるいは遠くで焼いてもってきているのか、実態は不明。アップルパイも酸味がきいていて、シナモンの風味がふんだん。
2008.01.09
最近「値段の高い蜂蜜」を置く店が増えた。自然食品を扱う店、高級食材を置く店、あるいはケーキ屋でも主にフランス産の蜂蜜を置いているのを見かける。Mizumizuの住む荻窪近辺でも、あくまで「ついでに」高級(?)蜂蜜を置いている店は多いが、専門店となるとまだまだ珍しい。蜂蜜だけを扱う店舗をかまえた「ラベイユ」はそういう意味でも貴重な店だ。本店は荻窪だが、渋谷や丸の内にも店舗を出している。名古屋、大阪、京都、福岡にもある。本店といってもごくごくこじんまりとした店。荻窪駅を出て、北の「教会通り」という、とても狭く、とても風情のある古い商店街を5分ほど歩いたところにある。ディスプレイは南仏の雰囲気にあふれた、かわいらしい演出。だが、店舗自体は小さいし、あまりにさりげなさすぎるので、うっかりしていると通りすぎてしまうかもしれない。店内の蜂蜜の品揃えはさすがに充実。量り売りもある。フランス産ならラベンダーやラズベリー、イタリア産ならひまわりやオレンジといった蜂蜜を、瓶を持参すればその場で入れてもらえる。もちろん量り売り以外の蜂蜜も充実している。たとえば菩提樹(シナの木)の蜂蜜なら、北海道産、フランス産、イタリア産があった。お願いすれば試食もできる。季節によって品揃えも変わる。便利な場所にあるとはいえない店だが、お客さんはそれなりに入って、それなりに売れている。Mizumizuもすっかりリピーターに。意外だったのは北海道産のシナの木の蜂蜜が、名寄の養蜂農家から直売で買ったものとは味がまったく違ったこと。名寄のものは色も濃く、ワイルドで力強い味だった。ラベイユで試食させてもらった道産のシナの木の蜂蜜は色も薄く、上品で淡白な味わい。同じ木の花から採ったものとは思えないほど。実は、他の東京の店で買った「北海道のシナの木の蜂蜜」もほぼ同様な印象。理由はよくわからない。フランスとイタリアの菩提樹の蜂蜜もまったく味が違った。ことに個性的だったのが、フランスのプロバンス地方の養蜂家のもの。ひたすら滑らかな口当たりとハーブのような個性的なフレーバーと香りがある。ここまで独特だと、普通の食パンには合わないのだが、ハード系のチーズや小麦の風味の高いバゲットとマリアージュさせると最高だった。これまでさっぱりとさわやかなレモンやら、花粉をふくんだ濃厚な舌触りのひまわりやら、いろいろと試したが、どれひとつとしてハズレがない。もちろんどれもこれも味はまったく違う。蜂蜜の奥深さを改めて知らされる。しかも、ここの蜂蜜は養蜂家の名前まで入っている。もっとも名前を書かれたって誰だか全然知らないワケだが(笑)。ヨーロッパのどこかの養蜂家の採った、多種多彩な蜂蜜を極東の島国でも味わえるのだから、ありがたい話だと思う。
2008.01.08
稚内のほうから見た利尻島。海の中に突然、山。それもすんなりとカタチがよい。この景色も相当感動できる。残念ながら、この日は夕暮れには雲がかかってしまった。
2008.01.07
礼文島の入り江。かもめが飛んでいる。礼文島の海岸。石がゴロゴロしていて、海水浴は難しそう。礼文島の奇岩。またかもめが飛んでいった。実はこの手の岩は北海道の日本海側には珍しくない。積丹にもいくつかあった。
2008.01.06
青い空のもとでの礼文島は、緑がひたすら鮮やか。岬へ向かうお散歩コース。蒼い空と海、緑の岬、風――あるのは、それだけ。水平線が丸みを帯びている気がする。
2008.01.05
日本屈指の絶景……とMizumizuの思う「礼文島から見た利尻島」緑の丘の向こうに、蒼い海が見え、そこに富士山めいたカタチのよい利尻島が浮かんでいる。残念なのは、マフラーのように巻きついた雲がなかなか取れなかったこと。それでも、花の時期は曇ることの多い礼文島だから、見えただけでラッキーかもしれない。午後になってやっとマフラーははずしてくれたと思ったら、すでに島は陰影を失くして、壁絵のように平面的になっていた。レブンウスユキソウもたくさん咲いていた。一所懸命歩いて行ったのだが、宿に戻ったら、軒先にも咲いていて、ちょっとガッカリ(笑)。
2008.01.04
新年を迎えても、相変わらず華やかな東京のイルミネーション。コニー・ブロク(わからない人は突っ込まないでください♪)に掲載のイルミネーションを逆方向から撮ったもの。繊細な光のカーテン。こちらも年始で静かな商店街。実はここ、「DEATH NOTE後編」の最後、父と娘が雪の夜、家路についているシーンの撮影で使われた。映画ではうまい具合に道わきに雪がつもり、すずらんのカタチをした街灯が水色の灯りをともしていた。歩いていく親子の後姿をカメラが、街灯のあたりまで上昇しながら映し出していて、「ホントにここ?」というぐらい、美しく撮れていた。我が家のバイク。ときにはクルマではなくバイクでお出かけすることも。Mizumizuはもっぱら後ろ。「ハイティ~ン、ブギ~」などと口ずさんでみるが、さすがに古すぎて、それ以上歌詞が出てこない(苦笑)。それによく考えれば、原作のマンガも映画も見たことないのだった。映画「ハイティーンブギ」には、加藤武さんの名前も見える。風林火山の諸角虎定役でもイイ味を出していたが、それよりも石坂「金田一」で、「よ~し! わかった!」を連発する 等々力警部役の印象が強いかもしれない。実はこの方もかなり近所にお住まい。いつだったか自転車で自宅横を通ったとき、玄関の外で発声練習をしてる人がいた。たぶんご本人なんだろうけど、ジロジロ見るのも悪いのでそのまま通りすぎた。これからも息の長い活躍をしてほしい役者さんの1人。
2008.01.03
年末・年始の東京は、道は概ねすいている。だから都心へもスイスイ行ける。都心はといえば、ひと気のない場所も多いが、混みそうなスポットはやはり混んでいる。六本木もにぎやかだった。名高い六本木ヒルズのお膝元、けやき坂のイルミネーション。さすがに華やか。タクシー渋滞している。夜もあいてるカフェは若者でいっぱい。ここは、Mizumizuがもっともコンテンポラリーだと思う東京の風景。イルミネーションで飾られたけやきの向こうに、つやつやしたアクリルのウォールが並び、そこに内側から明るい光で照らされたデジタル数字が浮かび上がる。最初は時計か日付なのかと思ったのだが、せわしなくランダムに数字が変わるだけ。これが誰も知らない何かの暗号だったら、映画のワンシーンなのだが(笑)。
2008.01.02
全日本フィギュア男子フリーでの最大の収穫は高橋選手がフリーで4回転トゥループを単独とコンビネーションで2回成功させたことだろう。4回転を2度入れると、一番危ぶまれるのは「たとえ4回転は成功しても、そのあとのジャンプで体力がついていかずにミスる」ということだったが、高橋選手はそのあとのジャンプも後半の3F+3Tの3Tが回転不足になっただけで、大きなミスなくまとめた。ということは、4回転ジャンプを2度入れてもフリーを滑りきることができる、ということだ。これは心強い。グランプリファイナルでは、高橋選手はショートでランビエールより高い点だったが、フリーで負けて、結果僅差で敗れた。実はすべてのジャンプをほぼミスなくまとめた高橋選手に対し、ランビエールはジャンプで細かいミスを連発している。にもかかわらず負けたということは、やはりジャンプの難度をあげて戦うことができれば、それにこしたことないのは間違いない。ジャンプにしぼってランビエール選手と高橋選手の構成をショートで見てみよう。ランビエール 基礎点(GEO後の実際のスコア) 3A 7.5(8.1)4T+3T 13.0(12.8) 3Lz 6.0(5)基礎点合計26.5 実際のスコア合計 25.9 高橋基礎点(GEO後の実際のスコア)3F+3T 9.5(10.9)3A 7.5(8.9)3Lz 6.0(7.2)基礎点合計 23 実際のスコア合計 27ランビエール選手は4T+3Tという大技をもってきているので基礎点は高橋選手よりはるかに高いのだが、ジャンプがうまく決まらないことも多いので、GEO後で見るとグランプリファイナルショートでは高橋選手のほうがジャンプで点を稼いでいる。ちょうど女子フリーのキム選手と浅田選手のようなものだ。浅田選手のほうが難しい技をもっているが、着氷でしばしば乱れる(ルッツでは踏み切りエッジ)ので、加点で稼ぐキム選手に差をつけることができず、逆に今シーズンは負けている。日本人がキム選手のジャンプの加点による高得点に苛立つように、ランビエールの側だって高橋選手の加点には相当頭に来てるだろう。ランビエールは3Aが苦手なので、3Aを必ず跳ばなければいけないショートのジャンプはどこかで乱れる可能性が高い選手だ。グランプリファイナルでは苦手の3Aは決めたが、次の2つのジャンプでミスって減点されている。加えてショートの振り付けと曲の解釈に対する点は、フリーとは逆に高橋選手のヒップホップのほうが高かった。それだけプログラムが評価されたということでもある。しかも、高橋選手はコンビネーションジャンプの難度が低い分、今シーズンのショートは抜群の安定感を見せている。だからジャンプの構成ではおとっても、ショートは、たとえランビエールがすべてのジャンプを決めても、総合得点はランビエールより若干低い程度でフリーに入ることができるだろうという予想は立てられる。そうなったときに、フリーのジャンプ構成をどうするかだ。グランプリファイナルフリーでのジャンプ構成を比べてみよう。ちなみに男子はジャンプを8箇所、連続ジャンプは女子と同じく3箇所で入れることができる。3回転と4回転ジャンプについては2種類まで繰り返してよく、そのうち1回は連続ジャンプにしなければいけない。フリーランビエール 基礎点 3A 7.5 4T 93Lo 5 2A 3.5 3F+3T+2T 11.88(後半) 2Lz+3T 6.49 3S+2T 6.38 3F 6.05 基礎点総合 55.8 高橋(グランプリファイナル)基礎点3T 44T 93A 7.53A+2T+2Lo 11.33(後半)3F 6.052S 1.433Lo 5.53Lz+2T 8.03基礎点総合 52.84高橋選手はもう1度どこかで連続ジャンプを入れることもできたわけで、2Tだけでももう1つどこかでつけておけば多少点が伸びた。ジャンプのグレードについてはお互いに少しミスがあったのだが、総じてジャンプの基礎点は高橋選手のほうが低い。他の要素が高くもらえるのなら問題はないのだが、相手はスピンの名手であり、今回のフラメンコに関してはステップの評価も高く、しかも振り付け+曲の解釈とも高橋選手の今回のロミジュリより評価が高かった(グランプリファイナルでは、だが)。あくまで個人的には「スケーティング」の技術に関しては高橋選手のほうがランビエールより上だと思っている。それはひとこぎひとこぎのスケートの伸びの違いでわかる。ランビエールはスピードをつけるために、「何度もこがなければ」ならない。高橋選手が滑るとまるで氷がよりなめらかになったように見える。これは両者の滑る技術の差なのだが、残念ながらフリーでの「スケートの技術」では同点だった。それは、ある意味、ランビエールのフリーの振り付けが非常によく、「スケートがもうひとつ伸びない」というランビエールの欠点をうまく補っているということでもある。となると、やはり4Tを2度入れてジャンプの基礎点を上げたい、ということで方向性は固まったようだ。今回の高橋選手のフリープログラムの前半の3つのジャンプのつなぎは、かなりスカスカで、ジャンプ以外はほとんどただ滑っているだけ。つまり4Tを2回入れることを想定して作ったプログラムでもある。一番の懸念は体力だったのだが、全日本で「いける」ことは証明された。高橋(全日本フリージャンプ)基礎点4T 94T+2T 10.33A 7.53A+2T 9.68(後半)3F+2T 7.48(2Tは3Tから回転不足によるダウングレード)3S 4.953Lo 5.53Lz 6.6基礎点総合 61.01つまり、グランプリファイナルのときより全日本ではジャンプで8.17点も底上げしたのだ。これが決まれば、かなりの確率で世界チャンピオンの座につけることは間違いない。あとは世界選手権での本人の調子と他選手の出来でモロゾフが判断するだろう。4Tはきれいに決まれば高得点が出るが、失敗したときのリスクも高い。他に敵のいない全日本と違って、極度の緊張を強いられる世界選手権でモロゾフがどう指示するか、こればかりはフリー当日まではわからない。ショートのお互いの得点によっても判断は変わってくるだろう。だが、どちらにせよ、日本男子初の世界チャンピオンの実現に向かって、また一歩近づいたのは事実だ。う~ん、でももし、世界選手権で日本人初の世界チャンピオンになったら… 大ちゃん、泣いちゃうだろ~な~、モロゾフにすがって(笑)。NHK杯優勝で織田選手が号泣したシーンでは、けっこう「引いた」が(苦笑)、『ニコライ+大ちゃん涙の図』は相当「萌え」そうだ。ワクワク。しかし、モロゾフって人の人生は、日本人には想像もつかないぐらいスゴイものがある。彼はまさしく、「サヨナラだけが人生だ」を地で行っている。彼の最初のキャリアは男子「シングル」の選手としてだった。だが、それもクーリックの才能を見て、とてもかなわないと悟り、すぐにサヨナラ。それからアイスダンスに転向し、アゼルバイジャン代表として戦うも、パートナー替えにともなってアゼルバイジャンともサヨナラ。次はベラルーシ代表として長野オリンピックに出場(つまり荒川選手と同じオリンピックに選手として出ていたのだ)するが、オリンピック後に引退して選手生活ともサヨナラ。次にタラソワのもとでコーチ業に入るものの、結局タラソワを裏切るようなカタチでサヨナラ。結婚もあの若さで何度したんだろう? 旧ソ連人→フランス人→カナダ人と渡り歩き(?)、2007年の夏には2度目だか3度目だかの離婚をしている。つまり、今は「シングル」に戻ったのだ。ただ、モロゾフのために(??)言っておくと、ロシア人で30代で3度目の結婚というのは別に珍しくもないらしい。だいたいみんな最初の結婚は17歳ぐらい。20代になると離婚して、再婚。それから30代になって3度目に入り、そこでだいたい打ち止めとなるらしい(ワラ)。日本人とは結婚観も人生観もえらく違うのだろう。これだけケーケン豊富で精神的に超タフなモロゾフから、いろいろ教わってネ、大ちゃん。願わくばオリンピックまでは大ちゃん(もちろんミキちゃんとも)とはサヨナラしないで欲しいものだが、さてどうなりますか。
2008.01.01
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