



江戸末期から明治初期にかけて、旧江戸川対岸の堀江飛地(現江戸川区南葛西)の農地耕作のため、「堀江の渡し」が内田平次郎によってはじめられました。待合所は、堀江4丁目469番地地先(現境川西水門堀江側)にありました。その後、この渡しは廃止され、そのかわりにこの場所に待合所ができ、ここから対岸の東長島(現江戸川区東葛西)を往復する「浦安の渡し」が開かれました。~「中略」~昭和初期の渡し賃は、大人2銭、子供1銭、自転車3銭、小車4銭であったといいます。(当時のアンパン1つの値段が3から5銭くらい)昭和15年(1940)の浦安橋開通により、対岸へは徒歩や自転車で渡れるようになったため、渡し船は、その役目を終えました。






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