MoMo太郎日記

MoMo太郎日記

Mar 8, 2022
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カテゴリ: 旅の重さ
東京メトロ東西線の第一江戸川橋梁の下は船着場になっていて、屋形船が係留されていました。

その橋のすぐそばにあった、船宿です。この船宿はかなり古くから続く店のようで、小説家の 山本周五郎 (→→→​ こちら ​)氏の作品「青べか物語」に「船宿・千本」として登場する船宿だそうです。

青べか物語 」(→→→ こちら )とは、山本周五郎により昭和36年(1961)に 文藝春秋社より刊行された連作短編小説で、、浦安をモデルとする架空の町「浦粕」を舞台に、昭和初期の漁師町の人間模様を描いた作品です。
また、山本周五郎氏は実際に大正15年から昭和4年の春まで、23歳~26歳の時に同地で暮らしていたそうです。

旧江戸川その名の通り、かつての江戸川本流だった川です。



そして、明治43年(1910年)に利根川水系に起きた大きな洪水をきっかけに、政府は利根川から江戸川へ流れる水を増やす「江戸川改修工事」を大正3年(1914)に着手します。大正5年(1916)には千葉県の行徳を貫く開削に着工しました。この開削は大正8年(1919)に竣工し、その後、新たに開削した川を「江戸川放水路」、また篠崎から下流の旧流路を「旧江戸川」と呼ぶようになりました。その後、江戸川放水路は「江戸川」と改称されたのです。

対岸は東京都江戸川区です。そして、川の中にあるコンクリート壁でかこまれた土地が「 妙見島 」(→→→​ こちら )です。この島は東京23区内にある唯一の自然島です。

渡し場跡の説明板がありました。
江戸末期から明治初期にかけて、旧江戸川対岸の堀江飛地(現江戸川区南葛西)の農地耕作のため、「堀江の渡し」が内田平次郎によってはじめられました。待合所は、堀江4丁目469番地地先(現境川西水門堀江側)にありました。その後、この渡しは廃止され、そのかわりにこの場所に待合所ができ、ここから対岸の東長島(現江戸川区東葛西)を往復する「浦安の渡し」が開かれました。~「中略」~昭和初期の渡し賃は、大人2銭、子供1銭、自転車3銭、小車4銭であったといいます。(当時のアンパン1つの値段が3から5銭くらい)昭和15年(1940)の浦安橋開通により、対岸へは徒歩や自転車で渡れるようになったため、渡し船は、その役目を終えました。


また、明治15年(1882)年、国から新川を経て江戸川を上り銚子に至る航路が開かれ開き、蒸気船「通運丸」が運航されており、ここに発着場が設けられ、浦安から東京方面や行徳に行くのに大いに利用されていたそうです。
そして、この船着場が 蒸気河岸 と呼ばれていたそうです。

このあたりが蒸気河岸と呼ばれていたところです。
「青べか物語」では、山本周五郎氏がモデルとなっている主人公の「私」は、この蒸気河岸の近くに住んでいて「 蒸気河岸の先生 」と呼ばれていました。



理由はよくわかりませんが、杭のアタマにはバケツがかぶせられていました。

川の中をボートに乗ってクルージングしていました。カッコイイですね。

(浦安散歩のコースです)

【つづく】


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浦安物語(その7) 山本周五郎の青べか物語





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Last updated  Mar 8, 2022 07:41:42 AM
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