ゴールデンウィークは終わったの?
…えー…なんでこのスタジオにはカレンダーが無いの?(笑)
5月…10日までかぁ。
ゴールデンウィークって言ってもさあ…前も話した…僕らは仕事してた方がいいんだよね。
仕事少ないとさ…だって俺ら外出れないんだもん。
もう人!凄いもん。
俺、この間そうだ!
4月末にさ、あの~…同窓会があったのよ(笑)。
中学ん時の。
ま、同窓会つっても、なんかみんな集まろうか~みたいのがあって、「ああ じゃあ行くよ~」なんつって。
学校の先生とかも来た…んでも2、30人来たかなあ…うん。
ほんで…でもやっぱ、分かんないヤツも居るよね。
名前言われてもさ、なんとなく…で、顔もさ…「や、ゴメン、お前誰だっけ?」って(笑)。
そんなヤツが1人…2人ぐらい居たかなあ。
だからもう帰りが上りの方がもっのすごく混んだ…東京に帰る…。
さ!そんな中で。
そうだ、みんなに言わなきゃいけないことがあるのかぁ~…。
「華麗なる逆襲♪」
さあさあどうも中居です。
えー皆様に、えー言わなければいけない事がありましてですね…。
えー…もうだいぶ…落ち着きましたので…えーこの時期なんじゃないかなぁと思い…勝手にこの時期を選ばさせて頂きました。
と、言うのも…ホントわたくし個人的な事なんですけども…。
あれっ?なんかこれ…これ結婚報告みたいな雰囲気になってる?(笑)
いやいや、そんなんじゃないんですけど…。
あの…ほんと真面目な話ですね、2月…の…だから先月、先々月…あ…もっと前なのか…3カ月前なのか。
2月の19日にですね、えー…わたくしのお父様が亡くなりました。
えー…享年、79。
4月の2日で80だったんですけども、80を前にですね、えー…亡くなりまして。
えー…2月の19日に亡くなりまして、から…四十九日も4月の8日に終わって…その後すぐがいいかな~と思ったんですけど…う~ん…色々タイミングとかを見計らいながら…ということでこの時期になってしまいました。
あの…もう、お葬式もね、あの…密葬でえー…ホント、家族だけ…うん、家族とほんと親族だけ…つっても、5、60人いたかなあ…うん…で、やって…。
え~…4月の8日も…四十九日も滞りなく終わりまして…えー…僕のおうちにも…ちっちゃい…こんぐらい…ほんと、こんぐらい…5cm・5cmぐらいの箱の中に…えー…骨があって。
うちのお父さんちにもあって…。
ほんでね、2番目のね、兄ちゃんところに仏壇があって、で、まだねぇお墓がね、まだね…四十九日が終わった時に…お墓を作るところのお寺に…骨が今、置いてあって。
で、お墓が出来たら、っていう。
いきなり亡くなったわけではなく。
ちょっと経緯を説明しますと…今から…2月の19日?
…2月の19日の丸2年前かな。
丸2年前の2月、に肺がんを患いまして…で、片方の肺を全摘して。
それが3月の…手術が3月の12日。
忘れもしない。
僕がねぇ…「いいとも」やってて…「いいとも」終わりでWBCで東京ドームに行く日だったんですよ。
その日の朝、7時半…とかかな。
朝、行って…ほんで、手術もね、うーんと、8時ぐらいからね…7時間ぐらいかかったのかな。
そしたら、3時ぐらいになって、WBCの東京ドームに行く前に、お父さんとこ行って…そしたら、管だらけで。
なんだこれぇ(笑)って。
こんなおっきいのか…って。
そしたらずーっとね…「パパー、パパー、ひろちゃんだけど、分かる?」つったらさ、「あー…」って。
たぶん、あの、麻酔でね。
ホントおっきな手術だから俺、分からない…そしたらずーっと指まわしてんのよ。
「何なに?」
「まーじゃん…まーじゃん…」(笑)
この期に及んで 麻雀やりたいのかよ。
それはでもね、1週間、2週間ぐらいで退院したのかな?
その年の秋に…リンパに転移して、えー…放射線治療というのを一週間に6日間の通院を…7…7週間?かな…。
なんかね、30何回やるのよ。
…うん、6週間とかかな。
36回とかかな。
うん。
まーいにち行って。
放射線治療。
それも治りました、で、もう…うーん…お父さん もう肺を摘出…だから、そのね丁度、リンパに転移したなんだ…っていう時期。
秋ぐらいかなぁ?
ゴルフに行ったり、宮崎に行ったりだとか…うん、なんか旅行とかも。
もうその時期にはもうね、そんなに元気はなかったから…なんかお父さんと時間が過ごせればいいのかなぁ…と思って。
ほんで、去年のね…ちょうどだから、ハワイに行った時かな?うん。
5月とか6月かな?
ちょうどゴールデン…だから今から1年…だから、1年前なんだよね。
1年前、俺、お父さんとハワイ行ってるんだよね。ふっ(笑)。
で、ハワイに行こう…って言った時、ハワイに行く前に、喉頭がんが…うーん…なんか…また、転移した、と。
喉頭がん。
んで、ホントに2日、3日ぐらい前かな…で、「どうする?」つったら、お父さん行かないって言うのよ。
「親父が行かないつったら、俺が行ってもしょうがないから」つって。
そしたら、これキャンセル料って…ま、しょーがないか~つって。
そしたら違う病院で診てもらったら、行くぶんには…明日明後日亡くなる、ってことはないんで…って、ハワイ行ったのかな。
元気だったんだよ。
2日連続でゴルフとか行ってたからね。
プールも行って…ゴルフもやって…色々やって…って。
で、俺とパパは2人部屋だったから。
んでね…酒もねぇちょこちょこ飲むのよ。
飲んじゃいけねぇ…なんて言ってて。
朝ご飯とかなんか、和定食とかそのホテルにあったからさ、それ食べながら、2人で…バルコニーに来るのよ。
バルコニーに、ホテルマンの人が運んでくれたの。
そーれが良かったなぁ。
でも、オヤジ朝6時とか、5時半とかに起きちゃうから。
その時間から「飯食おうぜ」って言うのよ(笑)。
早い!って。
「昨日、1時2時まで遊んでたじゃんか!」って。
ほんで、ハワイ帰ってきて…で、結局、手術したのが…8月とかかな。
うん。
いろんなやり方がある、なんて聞いて。
8月に…そしたら9 、10、11って…3ヶ月…丸々3ヶ月かな?
うー…その間、入院してたんですけども、その3ヶ月の間、ホントね 100日間ぐらいなんですけど…えー…飲まず、食わず、喋れず…の100日間。
…これは辛かったねぇー…うーん…。
もう、なんにもやってあげれないからさ…。
…ほんと、週に…ねっ。
2日に1回、3日に1回ぐらいさ…でも、そっからもう筆談になってたから…手術した後…。
で、手術してから退院するまで、食べれるようになるまで、水を飲めるようになるまで…。
あのー…この食道と気管とやっぱり…食べた物が気管に入っちゃうような…うん…そのね導線がつながってない…ってホント何ミリがちょっと塞がらない…つって。
結局、その間にやっぱりね、4回また手術してるのね。うん。
で、もうホントにねぇ 腿の肉を…ん?胸の肉を、この喉頭がんの手術って…一番最初の8月の…やっぱ喉を取っちゃうってか…ここにね、ちょうど喉仏が丸々ね、2cmぐらいがぽっかり穴が開いちゃうのね。
で、空気が漏れちゃうから喋ることが出来ない。
ほんで、次は食べるために…って言うんだけども、やっぱりそれが上手くいかなくって…もう3回、4回ぐらい手術したかなあ…。
んで、最後はねえ…なんか…胸の肉を…この喉に移植して、で…その腿の肉をまた胸に移植するとか?
…なんかおっきい…なんか手術とか何回か繰り返したんだけども…やっぱり、お父さんもさ、あの…気持ちが持たなくなるのよ。
食べたいし、で、飲みたいし。
…で、やっぱ体重も…やっぱりみるみるうちに…もう…70kgあったけど…やっぱ食べてないからさ。
点滴の生活だから、痩せてって…ホント、80kg近くあったのが、肺の摘出で…でもう70いくつ…70kgぐらいあったのかな?
す-ぐもう50kg台になって…40kg台になって…って。
で、1回…お茶の許可が出たのよ。
で、先生が「お茶飲めます」つって。
やったーっ!って親父んとこ行って、「お茶飲めんじゃーん!」つって。
「冷たいのがいい?あったかいのがいい?」なんつってて。
ほんで、これが3日、4日経過良ければ、ご飯も食べれると。
…で、3日4日の…木曜日かな…なんか検査の日があって。
「ほんとに申し訳ございません」って。
「もう水分もストップさせてください」って。
まぁたストップすんの!?って。
そしたら、お父さん「もう、いい」と。
もう手術…その間もずっと筆談で “食べれるようになったら何を食べたいかリスト”みたいのをずっと書いてるんだよ(笑)。
サンマ定食、トンカツ、ラーメン、何々…刺身、イカの握り…(笑)とかさ。
全部、俺が仕切ってやるから!つって。
親父の好きなもん、全部食べれる、朝から晩まで食わせてやるから。
でも、親父はいい…って言うけど…もう一回頑張ってみよう、つって。
最後頑張って、これでダメだったら、それが5回目だったのかなぁ…。
そしたら水の許可が出て…親父がまた木曜日に検査受けたら、「ご飯食べれますよ」つって。
それが、だいたい90何日ぶり、かな。
で、お粥食べ…お粥からなにから…食べて…そして4~5日したら、退院の目安も出ました、つって。
退院したのかな。
それが12月かな…11月末かな。
文字数が来てしまったので、続きは その2
に。
華麗なる逆襲 2016.01.22
世界に一つだけのSMAP 2016.01.16
SMAPライブ20年 2015.09.03
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