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まるごとで聴くあり… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2019.05.17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
子どもの成長を支えている「命の働き」にはちゃんと成長プロセスが組み込まれています。でもそれは、「小さいものが大きくなり、単純なものが複雑になっていく」というような単純なものではありません。

「知識がないものが知識を得、技術がないものが技術を得ていく」というものでもありません。

でも、多くの人が「成長」を、そのような「量的な変化」、「複雑さの変化」としてだけ捉えています。

早期教育もその様な考え方に基づいて行われています。成長が「量的な変化」「複雑さの変化」に過ぎないのなら、早くからその変化を引き起こした方が、量的にも、複雑さにおいても、より有利になるはずだからです。

早期教育だけでなく、子育てや学校教育の現場でも、多くの大人がそのような考え方に基づいて、子どもの成長を支えようとしています。

学校では、最初は「単純なもの」「簡単なもの」を教えます。そして、学年が上がるにつれて「複雑なもの」「難しいもの」を教えるようになっています。

一般的な大人の常識から言ったら、これは当然のことですよね。

でも、「命の働きに基づく子どもの成長」という視点から見たら、この大人の思い込みは全く見当違いなんです。

確かに、人間が作っている様々な機械や人工的な世界はそのように進歩してきました。でも、命あるものはそれとは全く異なった成長プロセスを持っているのです。



南米アマゾン川流域やトリニダード島に生息しているアベコベガエルは、幼体の時は全長25cmを超えるほどの大きさですが、大人のカエルになると6cmぐらいになってしまうそうです。

全部のペンギンがそうかどうかは知りませんがキングペンギンなども子どもの方が大人よりも大きいです。

確かに人間の場合は子どもよりも大人の方が大きいですが、「大きさ」は生物の成長において、本質的な要素ではないのです。

また、「カエルの子」は、卵から孵ってしばらくは「オタマジャクシ」として水の中で暮らしていますが、「オタマジャクシ」は「カエルの子」でありながら、親であるカエルとは全く異なったものを食べ、異なったライフスタイルを持っています。

それを知らない人が見たら、カエルとオタマジャクシが親子だなんて全く分からないと思います。実際、成長という過程では、それほど大きな変化が起きているのです。


でも、
おたまじゃくしにゃ手もない、足もない
だからといって、
出来損ないのカエルじゃないよ。

おたまじゃくしは、オタマジャクシ。
やがてカエルになるけれど
今は、カエルじゃなくて りっぱな「オタマジャクシ」

無理矢理、陸にひっぱり揚げて
ジャンプの練習なんかさせないで!


これは 新しく出した私の冊子 の中にも書いた私の詩(?)ですが、カエル以外でも、子どもの時と大人になったときとでは姿形や、生態や、食べ物が全く違う生き物はいっぱいいます。

チョウチョやトンボなどの昆虫もそうです。

と書くと、「人間は違うだろ」と言われる方もいらっしゃるかも知れませんが、実は人間も同じなんです。
ただ人間の場合は、その変化の大部分をお母さんのお腹の中で済ませてから生まれてくるに過ぎません。人間の形をしてオギャーと産まれてきた赤ちゃんでも、十月十日前は単なる一個の受精卵に過ぎなかったのですから。

その受精卵が細胞分裂を繰り返しながら35億年の命の歴史を再体験しながら人間の形にたどり着いて産まれてくるのです。

そして、産まれた後でもその変化は続いています。ただ、その変化は子どものからだの内側だけで起きているので、大人の目には見えないだけのことです。



その変化が一段落するのが7才、10才ぐらいです。ですから、7才10才ぐらいまでの子どもは大人と同じ生き物ではないのです。(種としては同じですが進化の状態が違うと言うことです。それはオタマジャクシとカエルの違いのようなものです。)

子どもは7前後で歯が生え替わりますよね。でも、そのような能力を持った大人はいませんよね。

もっと赤ちゃんの時は、脳の構造も、喉の構造も大人とは違っています。
赤ちゃんはおっぱいを吸いながら、同時に呼吸も出来ますが、大人がそんなことしたらむせてしまいます。

感覚も違うので、感覚で認識できる世界も違います。


物理的には同じ色を見て、同じ音を聞いていても、主観的には異なった色を見て、異なった音を聞いているのです。

「子どもが見ている赤」と、「大人が見ている赤」は同じものではないのです。
大人と子どもは違う世界に生きているのです。

ものの考え方も、価値観も、意識も、思考方法も、認識方法も違うのです。

ですから、大人には分かりやすくても子どもには分かりにくいこともあります。逆に、大人には分かりにくくても、子どもには分かりやすいこともあります。

単純にどっちの方が賢いということではなく、子どもと大人では「知の形」が違うのです。

例えば、大人は「部分」から入ろうとします。そして「全体」のことはあまり気にしません。
でも、子どもはいきなり「全体」から入ろうとします。そして「部分」のことはあまり気にしません。

それは、西洋的思考と東洋的思考の違いとも似ています。

ちなみに、シュタイナー教育ではそのような視点で教育プログラムを作っていますが、なかなかそこが理解されません。





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Last updated  2019.05.17 08:33:15
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