森の声さんへ

ご返信ありがとうございます。昨日は娘なりに気持ちに折り合いをつけて、泣かずに幼稚園へ行けました。そこからは自信につながったのか色々なことを自分でやりたがったり、できることが増えました。反面夜泣きがひどくなったりと、小さい頭の中でたくさんの刺激が入り込んでいるのだと思います。

外で頑張っている分、家では安心して甘えられる、心の基地にできるようにしたいと思います。篠先生のおっしゃるよう、子供の行動を制限することを考えるのではなく、娘を1人の人間として尊重して、どのような関係性を築いていくのかを考えていきたいと思います。

いつも深いご回答をありがとうございますm(_ _)m (2019.09.27 12:53:41)

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「あ~、湧いたな~… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2019.09.25
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ここしばらく「感覚の話」を書いてきましたが、「感覚の話」の難しいところは、「分かる人には分かるが、分からない人には分からない」ということです。

「少し分かる人」ならその「少し」を広げることも出来ますが、世の中には「全く分からない人」もいっぱいいて、そのような人にはどんなに言い方をしても通じません。

熱い物に触れたことがない人には「熱いものに触れた時の感覚」を伝えようがありません。どんなに言葉を尽くしても伝わりません。それが「感覚」を扱う時の難しさなんです。

ですから、私の文章を読んで「何言っているか分からない」という人もいるかも知れませんが、そのような人は、「世の中には自分が分からない世界を大事にしている人もいるんだ」という発見をしてもらえばそれだけでいいです。

意識が外側の世界にばかり向かいがちな人は、自分の内側の世界に意識を向けることが困難です。

逆に、意識が内側の世界にばかり向かいがちな人は、外側の世界に意識を向けることが困難です。

例えばですが、この両者がどう違うのかというと、意識が外側の世界ばかり向かいがちな人は、花を見て、花の「形」や「色」や「種類」といった社会的、物質的側面を見ることが出来ます。「五感の働き」と「脳の働き」をメインに使うことで世界を見ようとするのです。
そのため客観的に物事を見るのも得意です。

また、「きれい」という判断も出来ます。お花を見て喜んだり、「心が安らぐ」的なことも感じることも出来ます。



でも、意識が内側の世界に向かいがちな人は、花を見ていると「花」と「自分」が簡単に同化してしまうのです。

「見ている対象」と「見ている自分」が一体化しやすいのです。そのため、対象を客観的に見ることが出来なくなります。


色や形すら、自分の思い込みで自由に変化します。

また、自分の気持ちを相手に投影したり、相手の気持ちが自分の中に入ってきてしまうというようなことも普通に起きます。
それは「共感能力」を支える感性でもあります。

そのため、物理的には「命のないもの」に、「命を感じる」ということもあります。
「心」がないものに「心」を感じることもあります。

木々が風に揺れているだけなのに木々が踊っているように見えてしまうこともあります。

木が切り倒されるところを見ていると、自分の体が切られるような痛みを心に感じる人もいます。
詩人と呼ばれるような人はそのような感性に優れている人だと思います。

そして、女性は男性よりもそのような感性に優れています。
だから男性は自然を「資源」として見る傾向が高いのに対して、女性は自然に命を感じて自然を守ろうとする傾向が高いのでしょう。
まただから、子どもに対して共感する能力も高いのでしょう。


大人は意識が外側に向かう傾向が強いです。だから子どもよりも物事を客観的に判断する能力が高いわけです。

でも、子どもの場合は、まだ「自我」という「外側と内側を分離する壁」自体がないので、外側に見たり感じたりしたものが簡単に内側に入ってきてしまうのです。

そして「自分」と同一化してしまうのです。
だから子どもの言葉はいつも詩人のようなんです。


そしてだから、花が踊ったりお話ししているように感じたり、自動車や機械が生き物のように思えるのです。

黒い色を怖がる子は、黒い色を見ていると、闇の世界に自分が取り込まれるような感じを受けるのです。

大人は目で「色」を見ているのですが、子どもは色の中に入ってしまうのです。
大人は耳で「音」を聞いていますが、子どもは音の中に入っていってしまうのです。


だから、「色」や「音」に安心や不安を感じる感性も高いのです。

大人にとって「色」や「音」は、外側の世界にある物の属性の一つに過ぎませんが、子どもにとっては「色」も「音」も「心の一部」なんです。

だからこそ、子どもの育ちにおける色環境、音環境は非常に大きな意味を持っているのです。



ちなみにシュタイナー教育は、このような感性を大切にしています。この感性の中でゆっくりと育つと、子どもの心の世界がより深く、豊かに育つからです。そのことで、子どもは自由に生きることが出来るようになります。
そのため、幼児期はあまり内側と外側との間の壁を作らせるような活動はしません。


でも、モンテッソーリでは敢えて、この壁を作らせようとします。この壁が出来ると大人と同じような判断が出来るようになるからです。





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Last updated  2019.09.25 13:19:30
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Re:「子どもの感覚と大人の感覚」(09/25)  
むーみん さん
いつも興味深い記事をありがとうございます。ご質問させてください。

3歳4ヶ月の娘が、幼稚園の慣らし保育(登園時は毎朝大泣きし、お迎え時にはご機嫌です)が始まったあたりから、夕方眠くなると人が変わったように癇癪を起こすようになってしまいました。眠くなるまではとてもいい子です。


きっかけは些細なことで、そこからはスイッチが切り替わったように何を言っても話が通じず、ママをグーパンチし(今まではありませんでした)雄叫びをあげ、寝るまでこの調子でこちらも参っています。こちらがムキになると口が達者なので言い返してきます。

慣れない幼稚園への不安やストレスがあるのかと思います。叩く、物を投げるなどの感情表現を、できることならば別の表現に置き換えて欲しい気持ちもありますが、別の表現に置き換えられないほどの発散したいストレスが彼女の中にあるのかとも思っており、どの様に接したらいいものかと悩んでいます。

殴る、投げるをそのままにしておくと、この表現でもいいのかと勘違いしてしまい、いつか外でも平気でやってしまうのではという心配があります。その反面、感情の抑圧はさせたくないという気持ちもあります。

こういった激しい感情表現は、3歳児にはどの様に対応すべきなのでしょうか?

よろしければアドバイス頂けますと大変ありがたいです。
よろしくお願いいたします。 (2019.09.25 19:59:31)

Re[1]:「子どもの感覚と大人の感覚」(09/25)  
むーみんさんへ

>殴る、投げるをそのままにしておくと、この表現でもいいのかと勘違いしてしまい、いつか外でも平気でやってしまうのではという心配があります。その反面、感情の抑圧はさせたくないという気持ちもあります。

>こういった激しい感情表現は、3歳児にはどの様に対応すべきなのでしょうか?

子育ての基本原則は子どもとの間の人間関係作りです。そのような場では親と子は同等です。

親が子どもを一方的に何とかしようとする発想では何も解決できません。

「お子さんの行動をどうにかしよう」と考えるのではなく、「お子さんとの間の人間関係をどう築くか」と考えてみて下さい。 (2019.09.27 10:48:29)

Re[2]:「子どもの感覚と大人の感覚」(09/25)  
むーみん さん

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